ひめちゃんたちのママ・七海は、伊勢崎市柴町生まれです。
日光例幣使街道&日光裏街道の柴宿の生まれです
2004年(平成16年)6月生まれの双子座の女子です。
本日は、我が家にやって来た頃のかわいいナナちゃんアーカイブです。
ボールやぬいぐるみが大好きでした
たくましく成長してママになり、かわいい子供達を残してくれました。
ありがとう、ナナちゃん
県道142号線(旧国道354線)の柴宿本陣跡を西に行き、柴町の信号を過ぎると、まもなく長い橋です。
五料橋です
信号を右折して北上すると、県道104号線、駒形柴町線です。
駒形を北上すると、大胡です
あの「南・五料」と道しるべにあった交差点に到達するのです
橋を渡ると、五料です
史跡・五料関所跡を確認です。
橋を渡ってすぐの常楽寺前に、ちょっと駐車です。
「五料関所跡→」に従って、路地を入ります。
郵便局を過ぎると、また「五料関所跡→」の表示です。
矢印の方向に曲がってまもなく、ありました
やっと残っているという感じです
「街道を行く12 日光例幣使街道」によれば、
「入鉄砲に出女」の監視を厳重に行うとともに、利根川の舟の監視の役目も担っていた。五料河岸は利根川最上流の公認河岸で、五料と柴宿の渡し場でもあった。
説明板には、門の沓石と井戸が残るとあります。
でも、門柱の礎石だけかろうじて残っているようです。
奥の門から入り、左下の門柱を出て、渡し場に行くようになっていたのですね。
柴宿から来たら逆ですね。
利根川の方に行ってみましょう。
あの橋・五料橋を渡ってきました
赤城山が見えます
日光裏街道は、あの山の麓を目指して行くのです
橋のたもとに、この橋の説明板がありました。
その一部です。
この場所は朝廷から日光に参賀する「例幣使」が利根川を渡舟した(五料の渡し)ところでもある。
明治に入ってから、五料の渡しには、木橋やつり橋が架けられるようにが、大水の度に必ずといっていいほど流されたため、渡し船は依然として両岸を結ぶ主力交通手段であった。現在の橋は、昭和46年に県内初のデイビダークエ法によって架設されたコンクリート橋である。
日光裏街道は、この橋を渡って柴宿から始まっていたのです
「南・五料の謎」、大胡宿の道しるべに導かれてここまで来ました
以前は、ここが国道354号線でした。
今は国道354線は、一つ上流の伊勢玉大橋を走り、五料橋を渡る旧国道354号線は、県道142号線に格下げになってます。
車を置かせてもらった常楽寺も、参拝していきましょう
( 2020.12.17 記 )
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