黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

茶臼山の寄居もかくや?(広沢山大雄院)

2021-11-03 20:39:46 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸とタバサねーちゃんは、久しぶりに、岩神沼に到着です。

沼には誰もいません

高縄の摩崖仏脇を通って、上の沼(新沼&童沢貯水池)を目指します。

 

新沼にも、だれもいません

となりの童沢貯水池は、どうかな?

 

たくさんの鳥の皆さんです

あれ、奥の右端に、シラサギさんです

こちらの沼の方が、鳥さんたちにとっては、生活しやすいようです。

 

目的地到着だよ、ご褒美だよ

獅子くん、満面の笑みで催促です

獅子くん、ご褒美ゲットです。

 

アタチにも、忘れないでね

もちろん忘れてません。

タバサねーちゃんにも、ご褒美です

 

 

 

『上州坪弓老談記(じょうしゅうつぼゆみろうだんき)』という本があります。

記述内容にどの程度の信憑性があるか、疑問の箇所もあります。

でも、上杉謙信が下野進軍の途中、茶臼山(ちゃうすやま、桐生市広沢町)の寄居をなで切りにし、乱暴狼藉の限りを尽くして通過したとの記述があります。

当時この辺りは、金山城主・由良氏の領地でした。

 

茶臼山の寄居って、どんなもんだろう?

イメージ求めて、10月30日、茶臼山の北の麓にある大雄院(だいゆういん)を訪ねました。

 

 

山門下に、広い駐車場があります。

同行者は、到着早々、「わあ、お城みたい

 

りっぱな石垣と、りっぱな山門です

 

 

 

まず、駐車場奥の説明板を確認です。

大雄院は、天正十一年(1583)由良氏の家臣藤生善久が開基し、上野国沼田舒林寺七世春朔を迎えて開山とした。この山門は、記録によると寛保三年(1743)大雄院六世の綱州規範和尚の代に、中里新左衛門の一寄進金百両を基金として建立された。

天正年間には、由良領ですね。

 

 

説明板のそばに、見慣れないお地蔵様です。

御利益は、縁結びですか

どうぞ、いい人間関係のご縁をお願いします

合掌

 

 

され、それでは山門をくぐります。

 

 

山門には、四天王です。

龍も生き生きです

 

くぐって、振り返り帰ります。

みなさん、邪鬼を踏みつけています。

金網越しでなければ、もっともっと迫力があることでしょう

 

 

とりあえず、左回りに歩きます。

 

 

見晴らしのいい境内です

桐生の町もよく見えます

 

遠くに赤城山もよく見えます

ここなら、鹿田山からやってくる上杉謙信の軍勢も見えそうです。

 

 

本堂の向こうに茶臼山です。

手前の大木が、気になります。

榧(かや)の木です

根本に、石宮もいくつかあります。

それなりの物語がありそうな榧の木です。

 

 

蓮池というか、睡蓮の池です。

向こうに三重塔が見えます。

 

三重塔の向こうは、墓地でした。Uターンして蓮池(睡蓮池)の南側を歩きます。

おや、池の畔に、観音様があります。

茶臼山は、さほど高くない山です。

 

 

さて本堂で参拝です。

石の城のようです

 

階段を登って本堂で参拝です。

合掌

本堂は灯りが付いて、読経の声がしています。

法事が行われているようです。

御朱印は、又の機会にお願いしましょう

 

 

鐘楼堂の脇を降りて帰ります。

赤城山がきれいに見えます

 

あれ、道元さんだ

そういえば、ここは、曹洞宗のお寺でした

 

 

「まるでお城のようだ」、同行者の第一印象は、帰りにも変わることはありませんでした

茶臼山の寄居、ここらへんにあってもおかしくはないですね

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