コミュニティカフェ Y'sさくらcafe

不登校、引きこもりやニートを経験している人や障害を持つ人(をではなく)が支援する特別支援コミュニティカフェ

カフェはいよいよ今週で最後です。

2009年12月13日 | kato
だいぶ、風邪が治ってきたkatoです。
本当は、風邪など引いている場合じゃない!
引っ越しの算段をしなくちゃならないのに、身体も頭もついていかない(泣)

さて、如月くんから、カフェは「家庭のようなぬくもりがある場」と言ってもらいました。確かに、この6年半、私がカフェで出会った方たちは本当に会えて嬉しい方ばかりでした。こんな出会いができる場というのは、めったにないのかもしれない。

それでも、いろんなことは起きました。
「場」維持していくこと、支えてもらうことは、並大抵のことではありません。
私自身も苦しい思いをしたことがあるし、苦しい思いをさせた人もたくさんいます。この「場」の目的や方法に疑問もたくさんあったし、今でも「どうあるべきか」は分からない。
でも、それに悩むのも「場」の意味だと思っています。

「家庭」はある意味、小さな「社会」だと思う。
また、カフェのような「居場所」も小さな社会なのだと思う。

この場を支える人もいれば、この場で育つ人もいる。
また、支える人も、この場で育つし、この場で育つ人も支え手となっている。
育った人が、違う場に飛び出していき、新しい場でさらなる成長をする人もいる。「ほっ」とするために再び訪れる人もいる。

家庭は「やめよう!」と言って壊れることはあまり多くない(今はそうでもないのかな?)けど、このカフェは、「やめよう」と思う人が多くなれば、あっという間になくなってしまう危機をいつもはらんでいました。6年半も、続いてきたのは奇跡としか言いようがありません。

そして、この場が取り壊されるとある日突然言われたときも、私は、まったくびっくりしない自分にびっくりしていました。
「なくなるか」「また続くか」「新しいものを作るか」
いろんな選択肢があるから、流れに任せようとだけ思っていました。

でも、流れはあっという間に、「再生!」の道へ。
これは、フリースクール所長かのこさんや、YMCAの常議員のみなさんの応援があってのことです。「富山の木で作る」ことをメインにしている建築士さんが、富山の杉材を床に貼る設計をしてくれて、来週から、スクールのビルの7階にカフェが作られていきます。

資金も足りなくて、これからしなくてはならないことは山積みですが、
とにかく、さくらカフェは、「再生」の扉を開きます。

ちょっと残念だったのは、あまりにも展開が早すぎて、
カフェメンバーと、この「場」の意味の問い直しができなかったこと。

あなたにとって、カフェはどんな意味を持っているのか?
この場の再生をあなたは望んでいるのか?
再生のために、あなたはどんなことをしようと思うのか?
こんな話がしたかったなあ。

この「場」はあって当たり前の「場」ではない。
なくなってしまう危険をいつも持ちながら、いろんな人の思いや手で
支えられてきた「場」です。

でも、これからですね。
「場」は再生されても、どんな「場」になるのかはそこに関わる人によって
決まってくる。
みんなで考えたいです。みんなで作っていきたいです。
よろしくね。



にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ皆さんのクリックがカフェの力になりますクリックよろしくお願いします



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。