コミュニティカフェ Y'sさくらcafe

不登校、引きこもりやニートを経験している人や障害を持つ人(をではなく)が支援する特別支援コミュニティカフェ

同じ日にオハナのランチ会もします

2012年03月01日 | 過去を見つめる
         オハナとはハワイ語で、家族、仲間、つながりという意味です。
      
    

 山本実千代さんのお話「手と手をつなぐことの大切さ」と、
さくらカフェ自慢のランチ(バイキング形式)をどうぞ!
日 時:2012年3月20日(火・祝日)11:00~13:30
 会 場:Y’sさくらカフェ 富山市桜町1-3-4東洋ビル7F
(マリエ斜め前の8階建てのビル)
参加費:1500円(ランチ代込み/小学生500円・中高生800円)

オハナねっとの3原則
①一人で悩まない、悩ませない。
②多様な「居場所」「受け皿」をつくる
③必要な支援がつながるように手と手をつなぐ
この3つに賛同してくださる方を募集中。
いっしょに支えあえる心豊かな地域をつくっていきましょう。
興味のある方はどなたでも参加できます。

講師山本実千代さん(金沢・日常生活支援サポートハウス)
山本さんのお子さんは、ADHDと知的障害を持っています。2002年から、自宅を開放し「共に生き、育ちあえる場」サポートハウスを開始しました。不登校やひきこもり、障がいのある子どもたちや若いパパやママたちの支援も行っています。手と手をつなぐことの大切さが生きている場でもあります。
   問い合わせ・申し込み 090(3769)2660 加藤愛理子

オハナねっと事務局 (オハナねっとを広げていこうとしている拠点です) 
コミュニティハウスひとのま(高岡市)/心の広場とやま(魚津市)
LiTaClub(富山)/Y’sさくらカフェ(富山市)

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Y’sさくらカフェが病院でも学校でもないという意味

2009年04月02日 | 過去を見つめる
 昨年末、如月君が元気をなくしました。それまで積み上げてきた「掃除」「コー ヒーマスター」「ブログの責任者」という仕事はすべて自分の意志でやっている のではなく、やらされている気がすると言いました。
「全部やめてみる?」ととりあえず言いましたが、内心「はい」とは言わないだろ うと思っていました。

 ところが、彼は即座に、そして、無表情に「はい」と答えました。
 1年半かけてやっと積み上げてきた「責任」ある仕事をあっという間に手放した のには、さすがにびっくりしました。「掃除」はゆかちゃんに、コーヒーはまな ちゃんに、ブログはショウヘイ君にお願いしました。

 「とにかく休む」如月君はそういう態勢に入りました。
 折しも年末でしばらくカフェも冬休み・・・
 正月も過ぎ、再びカフェが始まりました。
 どうかなと思っていましたが、如月君は、淡々とカフェ業務に参加して、
 今だいぶ元気になって、「新しい何かを始めたい」と言っています。

 年末の調子の悪そうな様子を見て、「過去を見つめる」という作業はストップし ました。如月君は、これを書くこと、読むことで、「そういう意味だったのか」 と整理ができたといってくれました。内心、ヒヤヒヤしていたので、ほっとしま した。辛い過去を見つめることは力がなくてはできないことだと思います。
 如月君は、それができたということでしょう。
 それでもやはり疲れます。
 また、そろそろ前を向いていく時期にさしかかったような気もしてます。
 これからは、休み休みしながら、前を向いていきましょう。

 さくらカフェは、病院でもなく、学校でもありません。
 ここには仕事があります。「お客さん」という社会との触れあう場でもあります。
 学校のような「指導」もなく、病院のような「治療」もないのですが、
 「失敗しながら体験できる」という場だと思います。

 しかし、それも、辛い時があるんでしょうね。
 みんな、入れ替わりに、調子が悪くなったり元気がなくなったりすることもあ  って、すうっと消えた(?)・・・と思うと、しばらくするとすうっと戻ってく  る。誰かが調子が悪いときは、誰かが元気で、ちゃんと営業できているから不思議です。
 

 しかし、その陰には、淡々と仕事してくれている、厨房メンバーのしみっちゃん やよっちゃん、こももちゃん,ちゃこさんがいることも忘れてはいけません。

 それに、今年度から、ちーちゃんという強力メンバーが入ります。
 いよいよカフェ内に「会社」を立ち上げる一歩を踏み出します。
 勢いがつくと疲れることもあるだろうから、みんなそれぞれ自分のペースを守り つつ、たまにちょっと無理してみてください。

 どんな1年になるか楽しみですね。

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自分を「言葉」に当てはめる如月君

2008年12月14日 | 過去を見つめる
kato

 実は、私も、以前は「言葉大好き人間」でした。
「言葉はすべてを表すと思うし、言葉で表せないものは受け取らない」
そんな時がありました。
 
 しかし、フリースクールで学んだことは、「言葉はすべてをあらわさない」ということでした。言葉にあらわせないことの中に大切なものが隠れていることも感じています。もちろん、言葉には力があるし、大切なものですが。

 「社会適応不安障害」と言われた如月君は、自分=「社会適応不安障害」なんだと思う。その枠の中にすっぽり収まろうとしてしまう。

 そこで、私の揺さぶりが始まります。

 その1
「katoさんは、僕の外見をかっこいいと言ってくれますが、僕には実感できませ ん。本当にそう思われますか?」
 
 素直に「かっこいいよ」と言ってあげればいいものを、私の揺さぶりは、
 「今は、かっこいいと思うよ。でも、自分がかっこいいと自覚したらおしまいだ と思うな。そう思っている人は、40歳くらいには、イヤな顔になっているはず」

 その2
 「僕は自己中なのでアダルトチルドレンだと思っていましたが、ある人が、如月 君は人に対して優しくて自己中じゃないと言ってくれたので、僕はアダルトチル ドレンでないことが分かりました。」

 「自分のことを自己中だと思っている人は私は自己中じゃないと思うのよねえ。
 なぜなら自分を見直しているから。自分を自己中じゃないと思っている人はほと んど自己中だわ。自己中=アダルトチルドレンって思うこと自体、ヘンだし。」

 おそらく、ものごとを言葉で収めようとしている如月君は、「いったいどう思えばいいんだ?」と混乱するだろうなあと思いました。それが・・・ねらいでした・・・




2007年9月 僕は障害者として見られてる

2008年12月14日 | 過去を見つめる
kato

如月君から、こんなメールが来ました。
「僕は、障害者かもしれない。加藤さんから、障害者を見る目で見られると、   薄々、気づいていいる。そういう目で見られると思ってしまい、腹が立ってしま う。
 だけど、普通に見られると、誰も止めてくれない。
 仕方ないけど、障害者のレッテルを、受け入れることにします。」

 このメールを読んで、私は、頭が混乱しました。意味が分からなかったのです。
でも、よく読むと、「下に見られてる」と思っているのか、と思いました。

 さあて、ここでもまたいつもの「ピキッ」です。

 爆弾メールは

「障害者」として見ているということが私には理解できません。
「障害者」として見るというのはどういうことですか?見下していると言うことですか?
 私の妹も障害がありますが、「障害者」として見るという感覚が私にはありません。私の人生の師は、先日フォーラムで講演してくれた牧口さんです。彼は障害がありますが、豊かな人生を送っています。私は心から尊敬しています。

 また、あなたを「なめている」とも思っていません。なめていたら、これほど真剣に受け答えしていません。あなたが新しい生き方を必死で探していると思うから、心から応援しているのです。

 私の言い方がきつくて腹が立ちますね。でも、なぜきついかは賢いあなたならきっとわかるはず。だから必要だと思うことを言います。


 今見直すと、私の答えにも余裕がなかったなあ。あんまり真剣に受け答えされてもしんどいことがきっとあるよねえ。

 先日、久しぶりに来られたお客様が、
「開店当時は、客もいっぱいいっぱいの人が多かったけど、スタッフもいっぱいいっぱいだったよねえ」と言われて、「なあるほど!」と思いました。

 どう考えてみても「癒しのカフェ」じゃないよね。

 

2008年12月10日 | 過去を見つめる
如月

11月~今

10月の親の会が成功したということで、次は違う地域での、親の会に参加することになりました。
前回と違い、何を話せばいいのか、だいたいつかんだので、話しやすかったように思います。

kato氏との、メールのやりとりは、あまりなく、カフェにおいても、説教をうけることは、ほとんどなくなりました。

また
人が怖い
周りが敵に見える

などといったことは、ほとんどなくなります。
何故なくなっていったかを考えると
人との繋がりを求めていた
からだと思います。

人が怖いけれど、勇気を出して・覚悟をきめて、人と接する中で、いろんな発見・自分の間違った思い込みに気づき、成長しています。

不安を抱えていないと不安

2008年12月09日 | 過去を見つめる
如月

9月~10月の終わり

不安を抱えてないと不安
という自分に気付きます。
kato氏に相談しましたが、乗り越えようとしないで、そういう自分を受け入れて生きていこうという、内容のメールが来ました。

このころ、カフェでは、kato氏からの説教が、だいぶ減りました。
そして
自分がどう変わったか・・・見直しをしよう。
しかし、まだ、自分の成長を確認できないままでいます 今でも。

10月の半ば、8月に話を頂いた「親の会」に参加します。
正直、自分のことをどう話せばいいかなど、プレッシャーと不安を感じていました。
親の会では、自分の経験から、感じたことを話せていた
と、kato氏から、言われ、参加してよかったと、しみじみ思った記憶があります。
また、自分のことを話すことで、なぜか元気になるという、現象が表れました。

このころには、もう
人が怖い
という思いは、ほとんどなくなり、残っていたのは、羞恥心だということに気付きます。
恥ずかしくて大声が出せない
など。

また、カフェのコンピュータ・・・ブログを任されるなど、いろいろ任されることが多くなり、日常に、メリハリが出てきたように思います。

何かが動きそう

2008年12月06日 | 過去を見つめる
如月

7月~8月の終わり

僕は、何か支援をしたいと、kato氏に、メールで相談します。
しかし、kato氏からは
カフェにいる私たち個人は、人に支援する立場ではありません
と、言われます。

8月の半ば、kato氏から、引きこもり当事者として、親の会で話してみないかという、お話をいただきます。
僕は、正直、嬉しい気持ちでした。
やっと、自分の過去を活かせる・・・と。
ただ、何を話せばいいのかわからず、kato氏に、相談します。

また、8月の終わり、子どもの人権フォーラムというのに、さくらカフェのスタッフとして、参加しました。
そこで、また、新たな出会いがあり、僕の人の輪が広がりました。

出会いに感謝

メールを、kato氏に送ると、喜んでおられました。


カフェでは、もう、スタッフとして定着したように思います。
当時僕は、自分で、働いたという実感を味わえず、ただ、カフェで、ほかのスタッフの足をひっぱっていると、思い込んでいました。
しかし、kato氏や、他のボランティアスタッフの方々は
よく働くねぇ
と、言っていただいていました。

でも、実は、今でも、この思い込みはあるんですよね(^^;)

別人とよばれた

2008年12月05日 | 過去を見つめる
如月


5月~6月の終わり

kato氏から
「ぐるんぱランチに来ないか」
と、誘われます。

僕は、暇だったので、誘いに乗りました。
ぐるんぱランチとは、発達障害を抱えた青年たちによる、カフェの営業です。

ぐるんぱランチでは、障害を抱えた青年たちと、どうコミュニケーションをとればいいか、わからず、うろたえてました。
しかし、kato氏のアドバイスがあり、しだいに、コミュニケーションの取り方をつかんでいきます。

対人恐怖も、だいぶ和らぎ、外に出るのが、苦痛ではなくなっていき、負担が減っていきました。
また、家族に対する憎しみも、次第に、穏やかになっていた気がします。

カフェでは、スタッフや、お客様に
「初めて来た頃とは別人!」
とまで、言われるほど、変わっていたようです。
自分では、ぜんぜん実感がないのですがね(^^;)

kato氏の説教にも、慣れ始めたような気がします。
このころの説教は、責めるものではなく
「ここまで来た自分を褒めてあげてください」
「あなたはできる人間なのよ」
と、元気づけるような説教だったと思います。

kato氏の説教?や、お客さんからの指摘を受け、僕は
何かやりたい・・・。
と、意欲がわき始めます。

3日坊主

2008年12月03日 | 過去を見つめる
3月~4月の終わり

このころから、人が怖いというのが、徐々に抜けていきます。
カフェでは、お客さんと会話したりなど、ほんの少しずつ、僕の人の輪が、広がっていきました。

ある日、kato氏から
知り合いの懐石料理店でアルバイト募集しているから、行ってみない?
と、誘われます。
当時、僕は、世間体をすごく気にしており、その世間体から逃れるために、kato氏のお誘いに、乗ります。

しかし、懐石料理店では、ぜんぜん仕事がこなせなかったのと、仕事を始めたことで、精神状態を崩してしまい、結局、3日でやめることにしました。

kato氏は、あきれ返り
もう、如月君には、(アルバイト)紹介できないわ~。
と、言っておられました。

この失敗で学んだのは
焦るとろくなことがない

これ以来、焦りや、世間体を気にしているうちは、働かないと、決心します。

さて、4月から、カフェは、大幅に変わりました。
プロの調理師さんや、ボランティアスタッフが増え、今の営業時間、12時~17時までの営業。
助成金で、新しい冷蔵庫の購入など。

kato氏は
すごく助かるわ~。
と、喜んでおられました。

結果を引き受けること

2008年12月02日 | 過去を見つめる
2008年1月~2月の終わり

このころから、精神的に、ほんの少しずつ余裕が出始め、調子がよくなっていたように思います。
カフェでは、kato氏から、説教を受ける日々だった記憶があります。
このころから、kato氏の説教は、深く具体的になり始め、僕の心にグサッとくる言葉が投げかけられます。

当時、kato氏からよく言われていたのは
「結果を引き受ける」
自分の行いに対して、結果というのはついて回るから、その結果を引き受けること。

僕は、これができませんでした。
しかし、kato氏は、強く言ってきます。

また、人が怖いというのが、抜けきっておらず、外に出るのも苦痛であることには、変わりありませんでした。
ただ

周りが全て敵

というのは、大分和らぎました。