おはよー!ポンちゃんだよ。今日は早く起きて二度寝は不可能っぽいから、ブログを更新するよ!
昨日は料理教室で、メニューはそぼろ丼、スイートポテト、でした。作り方知りたい?オッケー!
☆そぼろ丼(三人前)
①いり卵を作る。卵(5個使ったけど、余るんで好きな量で)に砂糖少々で溶き卵を作り、フライパンにジャーっとあけて、菜箸でガシガシ。ポロポロにする。
②砂糖大さじ1・5杯、しょうゆ大さじ3杯、酒1・5杯と生姜汁の中にとりひき肉200gを入れる。フライパンでポロポロに炒める。
③小松菜適量を刻んでいため、塩、コショウで味付け。
④ご飯を盛った上にもりつけて完成だよ☆
☆簡単スイートポテト
①さつまいもを小さく切って水にさらし、ゆでます。
②ゆでたものをマッシャーでつぶし、牛乳をほんのちょっとだけ加えてまぜまぜ。
③コンデンスミルクを好きな量入れてまぜまぜ。
④かくし味に塩をひとつまみ、まぜまぜ。
⑤手で好きな形に作って完成だよ☆
茶巾絞りと何が違うって?形だよ。そこ、突っ込まない(笑)!
昨日はしょうへいくんの14歳のバースデーでした。おめでとう!十代ってなんでもできそうだよね。私は一度きりしか使えない切符を使った感じで…、そこがうらやましい。来月24なんだよね。それまでにはやめた大学のことでくよくよしないで、スッキリしていたいと思う私。24っつうと「うっ」って感じだけど、今は我慢のしどきだからね。元気になったら、またギラつく時を待ってるんだぜ☆
年をとることは悪いことばかりじゃない、ひとつ賢くなることでもある。
エアロスミスの歌詞に「年をとるかわりに洒落て格好良くなっていく」って歌詞があるんだ。そうありたいよね。
十代の時、「教養のある大人」になりたいと思った。今考える。哲学とは何ぞや。「生きること」である。生きることは普通に生活すること。生活の中で、その人なりの哲学が出来上がっていく。人間はみな生きる哲学者だと思う。知性とは何ぞや。これを考えたときに、学ぶことは学校に限ったことではない、と思う。大学も形骸化してるところと生きているところがあるわけだし。本物の知性を手に入れようとするなら、また大学に行きたいと思っていた私だけど、それに限ったことではないような気がした。机上によらず、体験することだってそうだしね。授業でも、「フィールドワーク」っつてたぐらいだし。もし、また大学に行くことがあれば、大学を利用してやろう、ぐらいの気構えが必要だな、と思ったのでした。
最近、何もする意欲がなくて、1週間ぐらいずっと寝てたのね。昨日、アネモネを植えて見たんだ。爪ぐらいの小さい球根なんだけど、ありゃー、植える間隔失敗したね。いいんだ、転んで覚えるタイプだから。転んで、ひとつ賢くなる、それが私のやり方。
本屋の経済書のコーナーにこのあいだ初めて入ってみたのね。そしたら、「いかに効率よく生きるか」「いかに損をしないで生きるか」みたいな本ばかりで、いやな気持になったのね。「そこの本をとったあなた、今までの人生で人生は効率良くないってわかってるでしょ?」みたいな。人生に効率を求めてはいけないと思う。効率を求めてヘンに老成したカサカサの青春なんて、青春じゃねえよ。青春は…、答えのない問いに悩むものでしょう。答えは50過ぎてから出るかもしれないし、一生でないかもしれない。でも、考え続けることに意味があると思う。20代の悩みって答えのない問いだもの。
同じコーナーにさ、今有名な女性が「俺みたいに生きろ!」的な本出してて、うさんくさく感じたね。俺みたいに生きろっていうやつは危険だ。すべての人にあうわけがないからね。私は「ほぉー、私はその勝って勝って勝ち進むんだ的な人生を進もうとして挫折して、生き方模索中なんだけど、この人は私にかける言葉を持っているのかね」と思った。
「運命は俺たちが決めるんだ」。私はそう思う。
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