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昨日、「酒問屋の読みは?」という中、夏目漱石が著作の中で「さかどんや」とルビをふっている、ということに触れました。
時々酒問屋(ルビ:さかどんや)の前などを御通りになると、目暗縞(めくらじま)の着物で唐桟(とうざん)の前垂を三角に、小倉の帯へ挟んだ番頭さんが、菰被の飲口をゆるめて、樽の中からわずかばかりの酒を、もったいなそうに猪口に受けて舌の先へ持って行くところを御覧になる事があるでしょう。
こちら「創作家の態度」という講演録の一節。
自分が見たのは青空文庫に所載されているものですが、amazonにもkindle版が無料で出ていました。
amazonの書籍紹介によると、
神田の東京青年会館でおこなわれた講演に手を入れたもの。「態度と云うのは心の持ち方、物の観方」である。創作家=作家としての態度の分析は、その意識の内部に入って、我と比我、主観と客観を分けることから始まる。
実際読んでみると、上掲の酒問屋云々もその一例として挙げられているんですね。
上で触れた酒問屋の店先での番頭さんは、酒樽からお酒をちょっと口に含んでは「ペッ」と吐く、いわゆる利き酒をしている姿が描かれています。
そして、後段の文章では、その番頭さんが自宅に帰って晩酌をしている場面が描かれています。
すると今度は飲みますね。けっして吐き出しません。ことによると飲み足りないで、もう一本なんて、赤い手で徳久利とくりを握って、細君の眼の前へぶらつかせる事があるかも知れません。まずこの二た通りの酒の呑み方(もっとも一方は呑み方ではない、吐いてしまうから吐き方かも知れませんが)――吐き方なら吐き方でもよろしい。この呑み方と吐き方を比較して見ると面白い。
漱石さん、ノッてきましたね。
(店先の番頭は)灘か、伊丹か、地酒か濁酒かが分るため、言い換かえれば酒の資格を鑑別するためであります。
晩酌の方で見ると趣が違います。そりゃ時と場合によると、今日きょうの酒は大分善いね、一升九十銭くらいするねくらいの事は云いながら、舌をぴちゃぴちゃ鳴らすかも知れませんが、何も九十銭を研究している訳でも何でもありゃしないのです。だから九十銭が一円でもただ旨うまく飲めさえすりゃ結構なんです。
酒の味を利用して酒の性質を知ろうというのが番頭の仕事で、酒の味を旨うまがって、口舌の満足を得るというのが晩酌の状態であります。
この「番頭飲みの態度」「晩酌飲みの態度」という切り口、言われてみれば当たり前ですが、興味深いですね。
と、いうのも、飲み屋さんで見る日本酒マニアって、「このお酒は●●で」とか、番頭さん的な飲み方をしているような。
自分は、肴と一緒に美味しければいいじゃん、という後者の飲み方なので、「番頭飲み」って結構気になります。
いや、納得です。
漱石はここから
番頭の飲み方の態度を「非我を明らめようとする態度であるから、主知主義と云える」
晩酌での飲み方を「我に感ずる態度であるから、主感主義と云って善かろう」
と定義し、さらにそれを文学論、作家論に展開しているのですが、いやぁ漱石って小説だけでなく、講演でもエンターテイナーなんですね。
実際の講演、聞いてみたいです。
(肉声とか残っていないのかなぁ)
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