鎌倉の明月院のアジサイもそろそろ見頃だろうか。我が家の裏庭のアジサイ7株、今年も成績が良くない。花芽は2株にしかついていない。昨秋の剪定の仕方に誤りがあったということか。
ところが鉢植えのミニアジサイは、同じようにしても毎年咲いてくれる。赤ちゃんの手のひらサイズの花をつけてくれたのでアップしてみた。土壌のせいだろうか。日照不足は考えられない。結果は来年だがまた挑戦してみることにするか。
鎌倉の明月院のアジサイもそろそろ見頃だろうか。我が家の裏庭のアジサイ7株、今年も成績が良くない。花芽は2株にしかついていない。昨秋の剪定の仕方に誤りがあったということか。
ところが鉢植えのミニアジサイは、同じようにしても毎年咲いてくれる。赤ちゃんの手のひらサイズの花をつけてくれたのでアップしてみた。土壌のせいだろうか。日照不足は考えられない。結果は来年だがまた挑戦してみることにするか。
昨日は、集いの行事Iさんの好意で茶会を行う。正客として挨拶をということになった。しかし、本来茶道の技量あるものがその勤めをするのだろうが茶道の精神は相手を思いやることの大切さを説いていると伺っていたので甘んじで我流で済ます。
所作の一つ一つの意味があることや茶道の道具(?)など学びながら一期一会の御持て成しを受ける。Iさん初めお手伝いの皆様に感謝し退席する。有難うございました。
帰宅後Kさんから郷里から送られてきたのでといろいろな山菜を頂く。早速夕食の食卓に上がる。久しぶりに素朴な味わいのある苦みに食が進む。ありがとう。
町内に住む一回り上の兄、4.50年もサツキ盆栽を愉しんでいたが世話しきれなくなったという。そのすべてを引き継ぐことも考慮したが狭い庭ではままならずその事情を町内の知己に話す。昨夕早速3名の方に気に入った鉢を引き取ってもらう。
どこの何方に渡るよりも、兄も満足であろう。サツキの栽培経験ない方ばかりなのでおりおりに会話し学んでもらおう。新たな文化の継承である。
名木の数々を愉しんでいた愛好家が、子の世代となり庭木として植えてしまったため雑草の中で駄樹にしてしまった例をこれまで何度目にしてきたことか、、、。
まだまだこんなに、、、、その一部
ブドウの花が咲きだしたのでアップしてみた。なんとも地味な花である。幽かに甘い香りを衰えた嗅覚でも感じる。花言葉は陶酔というのがあるそうだが、その香りに由来するのだろうか。
ところで陶酔といえば、昨日のふれあいウォーキング完歩し、その後の懇親会で美味しく飲み過ぎ、、反省しきりである。疲れが酔いを早めたということか。
頂いたコメントに「ホトトギスは夜半にも鳴くの?」とあったが、鳴くのである。今朝もまだ明けやらぬ早暁3時ごろ鳴いていた。
彼らは子孫を残すために少しでも多く托卵できそうな巣のある地をテリトリーとして確保しつつライバルを排除するため努力しているのだと思う。やがてやってくるハーレムの彼女たちのために、、、。
さて、今日は社協主催の「歩こう会」の日である。今年も健脚(7㎞)コースを申し込んだ。頑張ろう!!
サツキ「一生の春」
このよわい(齢)になると、朝までぐっすりと熟睡することなど稀である。昨夜も眠っているのか覚醒してるのか、、、夢現のとき幽かにホトトギスの忍び音が遠くから聞こえてきたように思えた。それがだんだん大きくなり「これ初音?」と時計を見ると2時半である。こんな夜中に、、、。
昨年も一昨年も27日にそれを聞いたので10日以上も早くやって来たことになる。今年は桜の開花も早かったので、それが彼らにもか。遠く離れた地の季節の早まりを如何なる情報で彼らが知って渡ってくるのだろうか。
まばらに咲いたサツキ白玲
昨日、ブログ本「第9巻」が届く。毎年息子がプレゼントしてくれるものである。改めて昨年365日を読んでみると僅か一年前のことだが、そんなこともあったかと思うこと多いのに気付く、、。これも健忘症進行の現れか。
ところで「年々歳々相似たり」というが、趣味の園芸について見ると同じように手間暇かけて世話しているのにそうはならず大きな差があることを改めて思い知る。プロの様に相似たりと行かないのは仕方がない事なのかもしれない。
アップしたサツキ「日光」は、昨年同様花付きも相似たりと成ってくれた数少ない鉢の一つである。
昨夕金魚たちが興奮したように泳ぎ回り、追尾行動も観られたので慌ててシダを束ね池に吊るす。今朝引き上げてみるとアップしたように数百の卵が産みつけられていた。
そのままにしていると彼らの餌にされてしまうので孵化用にたらいを準備し移す。 このところの気温だと4,5日で孵化するだろう。
それにしても彼らに産卵行動を誘引するものは何なのだろう。我が家の池は雨水で入れ替わるようにしているが、決まって雨上がりできれいになったところで追尾行動を起こしているように思うのだが、、、。
サツキ松波の古木、幹の半分が枯れてしまい残った枝だけ元気に花をつけている。サツキは交配し新しい品種が創られることもあって咲き分ける木が多い。この松波も赤、白、斑入りと咲き分ける。江戸時代から愛好されていた品種で、郷土福島では多く庭木としても植えられている。故郷では6月ごろに咲く。
一般的に枯れの入った木は値打ちがないと言われるが、枯淡の境地かこれもまた愛着がある。長く付き合ってきた樹への愛おしさからか、、、。
四季折々に故郷の野山を思い出させる植物を庭に植えて愉しんでいるが、今日アップしたのはサルナシの花である。
これまで地植えにしていたが、実のつき方がイマイチで有った為、昨秋思い切って掘り起し根を切り詰め鉢植えにしてみた。それに驚いたのか種の本能か、今年は花を鈴なりにつけている。果たして実は幾つ生らせるか今から愉しみである。
郷里のアケビの採れるところもサルナシの生茂るところも今は杉山へと造林され昔の面影はないが、花を見つめては当時を想い出す。
晩秋初霜が降りる頃、霜に痛めつけられ熟れて柔らかくなった実を採りに朋と山に分け入ったものである。
注 田舎ではコクワと言っていた。キューイの仲間だが、10分の1ほどの大きさであろうか。