玉置浩二の「田園」の構造と曲想を分解する。土着と洗練がもたらしたヒット
http://www.youtube.com/watch?v=WlIWEat2m1Q
玉置浩二のミリオンセラー「田園」は、玉置浩二という優れたシンガー・ソングライターの曲の構造と創造性を理解するのに格好の作品である。
レコード会社のイメージにのって安全地帯としてヒット曲を連発してから、活動を休止して、自分のために歌を作る方向に転換した時に作った曲が田園である。
初期のクラブ歌手のような唱法をやめて自然に声を出す技法を鍛錬する事でビブラートのような繊細な声の音域が深まったと語っている。
土着ロック
田園はロックなのである。きわめて土着性の濃いロックなのである。だからヒットしたといえる。
大ヒットした要因の仮説を述べてみよう。
自分が鬱状態で病院を抜け出し、自宅で療養しているときに玉置の母親が、「何にもしなくてもいい。畑で農業やれば食べていけるんだから」といわれて、曲想がわきあがったそうである。
実に素直な感慨が歌詞にこめられている。メロディは最も歌いやすい中音の微妙な変化による連続である。ロックの特徴である、リフレインのシャウトがふんだんに織り込まれている。それでいて、ミリオンセラーになる条件に不可欠な大衆性は伝統的な日本のリズムである祭りばやしのエンヤー・トットを基調にしていることが成功の要因といえよう。
1番の歌詞とともにさらに詳しく解説する。
イントロに安藤さとこのキーボードがちょっと洗練された音色で、田園にポコポコ注ぐ、陽光を木琴のような暖かみのある音色ではじまる。ソ・ラ・シ・ドレーソレド、そこに気持ちよさそうにルルルーと玉置のスキャットがながれる。ミソラソラソミソー弾むながら少しずつ上昇するメロディー。
小石をけ飛ばし、夕日をみてる僕。夜空見上げ星にいにってるあの娘、油にまみれ座り込んでるあいつ、仕事ほっぽらかして頬杖ついてるあの娘、玉置の青春のひとこまが、日常が描かれている。
そして、苦悩する自分がでてくる。
ドドラドドラドドララソ、ドドラドドラドドラドレミをくりかえすのだが、いわゆる民謡の素朴なメロディの持続である。
何もできなくて、かっこつけてるだけで悲しみひとつもいやせない。だれもたすけないで、それでも毎日できることがんばっている。
平易な中音をリズムで叫ぶ。
これもレレレレレ、レレレレ、レレドラドレ
これも地なりのような音調とリズムなのである。
そして一呼吸おいて、
生きているんだ、それでいいんだビルにはさまれ波にのみこまれて、それでもその手を離さない。
社会の風に吹かれ、荒波にもまれても、生きていればいいんだという。生きているだけでいいんだと自分に語る。しがみついても生きていようとみんなに語る。
イントロと終奏のメロディー、ラドレミレド、ドファソラソミのサビになるのだが、これもほとんど同音で構成しているので、いたって単調な音階の流れである。
僕がいるんだ、君がいるんだ、愛はここにある。
ここに普遍の人間愛が叫ばれる。しかしこのあたりまえのメッセージがしなやかに強い信念を示しているのだ。
間奏はミソラソラソミソー弾むながら少しずつ上昇するメロディーで十分に聴衆を高揚させて、2番にはいる。
はじめの前奏、最後の終奏がじつにいい。生きているんだのメロディをソラシドレドラシソラシドレドラシの循環がほのぼのとした余韻に収束する。
玉置浩二という音楽家
この曲のアレンジャーの一員は8年間連れ添った、安藤さとこである。土着のエンヤー・ドットのリズムとロックのシャウトをすべらかに流すべく洗練のキーボードで演出している。
この頃の映像を見ると、はじめ、終わりにキーボード奏者を見ながら心の協奏を確認する玉置の姿がほほえましい。曲つくりの至福にあったことはまちがいない。つまり、その8年間は玉置にとって充実した創作環境にあったのであろう。しかし、全てを燃焼してしまったために感性は枯渇してしまった。捻り出すことができなければ、全ては沈殿の沼に沈むのである。続きはポール松の「のんびり館」でどうぞ。
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