さよならをもう一度
サガンの小説の映画化。主演のアンソニーパーキンスはカンヌで主演男優賞を。この作品は学生時代に観た。とにかく彼女が欲しくてしかたがない青春時代に、恋とは、女性を口説くにはどうしたら良いか、モテる上での格好いい男のファッションとは、当時の恋に憧れ、必要と思われるテーマにかぶせて観た。
この作品は女性を口説くうえでの教科書であった。当時の私には名作も凡作もどうでも良いことで、画面に飛び込みバーグマン、モンタン、パーキンスに質問したいくらいだった。
なにせ当時のアイビーファッションの教祖でメンズクラブという雑誌でたびたび特集を組まれたパーキンス。相手がカサブランカのイングリッドバーグマン、彼女の心を支配している色男のイブモンタンのそれぞれの衣装が決まっていた。
バーグマンは僕らが学生時代に珍しいキャリア▪ウーマンでインテリア▪デザイナー役。当時の日本では資生堂のグラフィックデザイナーから映画の衣装デザイナーとして世界に飛躍した石岡暎子氏のようなまぶしい存在。
ツィードのスーツに丸いブローチが落ち着いた輝きを見せる。品が良くて奥ゆかしいけれどきちんと仕事ができるデザイナー。店も経営していて調度品の展示もさりげない目利きぶり。
家に帰ると直ぐにガウンに着替える。
そのガウンがシルクの艷やかな光沢にストライブの模様が均等に正確に配置されており化粧をするバーグマンそのものが輝く。夜のディナーの電話を待ちわびているが、恋人のイブモンタンに空かしを食らうのではないか、一抹の不安の陰が目に宿る。
パーキンスは「ブラームスの交響曲第3番」のコンサートにバーグマンを誘う。演奏中、パーキンスはバーグマンの顔を見続ける。音楽はデートの口実だけ、戸惑うバーグマン、しかしその熱情は彼女の心を揺さぶる。このテレもまったくない直情的な求愛ぶりは、なるほど!と感じ入ったが、マネできるものではない。恥ずかしくて。
音楽はジョルジュオーイックで、映画音楽の巨匠である。
はじめて二人が出会う時にパーキンスが口笛で吹くメロディはダンスの場面など、何度かアレンジを変えて流す、そのうち耳に残るように仕組んでいる。また、ブラームスの3番3楽章も随所にバックで流す。音楽が演技の心理描写に効果的に活用されているのである。
イブモンタンのプレイボーイぶりは、当時、恋に憧れた青春時代には、殴ってやりたい嫌な奴であったが、モテる男の爛熟したくどきのテクニックには脱帽した。愛人はすべて同じ愛称で呼ぶ傲慢ぶり、バーグマンがパーキンスの求愛に傾きだすと、それまでお互いの自由を尊重して付き合おうというルールを撤回して結婚しようと言い出す。実に図々しい。パーキンスとバーグマンが踊って言える時、愛人という踊りながら近付き、バーグマンの手を握る。バーグマンの未練を見抜いた大胆な行動、実に嫌な奴だが流石だ。
バーグマンはパーキンスの一途な愛情を受け入れていたが、世間の見る歳の差の恋人の未来を悲観して別れるのである。そして結婚したらイブモンタンはもとのように他の女を口説きまくるのだ。
一途なパーキンス、手練手管のイブモンタン、何れにしても女性蔑視の親父たちにとって、そのスマートさは別次元だろう。
森なんぞは、水泳選手の女性をホステスのように自分の横に座らせてご満悦、まったく臭い親父だ。
サガンの小説の映画化。主演のアンソニーパーキンスはカンヌで主演男優賞を。この作品は学生時代に観た。とにかく彼女が欲しくてしかたがない青春時代に、恋とは、女性を口説くにはどうしたら良いか、モテる上での格好いい男のファッションとは、当時の恋に憧れ、必要と思われるテーマにかぶせて観た。
この作品は女性を口説くうえでの教科書であった。当時の私には名作も凡作もどうでも良いことで、画面に飛び込みバーグマン、モンタン、パーキンスに質問したいくらいだった。
なにせ当時のアイビーファッションの教祖でメンズクラブという雑誌でたびたび特集を組まれたパーキンス。相手がカサブランカのイングリッドバーグマン、彼女の心を支配している色男のイブモンタンのそれぞれの衣装が決まっていた。
バーグマンは僕らが学生時代に珍しいキャリア▪ウーマンでインテリア▪デザイナー役。当時の日本では資生堂のグラフィックデザイナーから映画の衣装デザイナーとして世界に飛躍した石岡暎子氏のようなまぶしい存在。
ツィードのスーツに丸いブローチが落ち着いた輝きを見せる。品が良くて奥ゆかしいけれどきちんと仕事ができるデザイナー。店も経営していて調度品の展示もさりげない目利きぶり。
家に帰ると直ぐにガウンに着替える。
そのガウンがシルクの艷やかな光沢にストライブの模様が均等に正確に配置されており化粧をするバーグマンそのものが輝く。夜のディナーの電話を待ちわびているが、恋人のイブモンタンに空かしを食らうのではないか、一抹の不安の陰が目に宿る。
パーキンスは「ブラームスの交響曲第3番」のコンサートにバーグマンを誘う。演奏中、パーキンスはバーグマンの顔を見続ける。音楽はデートの口実だけ、戸惑うバーグマン、しかしその熱情は彼女の心を揺さぶる。このテレもまったくない直情的な求愛ぶりは、なるほど!と感じ入ったが、マネできるものではない。恥ずかしくて。
音楽はジョルジュオーイックで、映画音楽の巨匠である。
はじめて二人が出会う時にパーキンスが口笛で吹くメロディはダンスの場面など、何度かアレンジを変えて流す、そのうち耳に残るように仕組んでいる。また、ブラームスの3番3楽章も随所にバックで流す。音楽が演技の心理描写に効果的に活用されているのである。
イブモンタンのプレイボーイぶりは、当時、恋に憧れた青春時代には、殴ってやりたい嫌な奴であったが、モテる男の爛熟したくどきのテクニックには脱帽した。愛人はすべて同じ愛称で呼ぶ傲慢ぶり、バーグマンがパーキンスの求愛に傾きだすと、それまでお互いの自由を尊重して付き合おうというルールを撤回して結婚しようと言い出す。実に図々しい。パーキンスとバーグマンが踊って言える時、愛人という踊りながら近付き、バーグマンの手を握る。バーグマンの未練を見抜いた大胆な行動、実に嫌な奴だが流石だ。
バーグマンはパーキンスの一途な愛情を受け入れていたが、世間の見る歳の差の恋人の未来を悲観して別れるのである。そして結婚したらイブモンタンはもとのように他の女を口説きまくるのだ。
一途なパーキンス、手練手管のイブモンタン、何れにしても女性蔑視の親父たちにとって、そのスマートさは別次元だろう。
森なんぞは、水泳選手の女性をホステスのように自分の横に座らせてご満悦、まったく臭い親父だ。
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