ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

名前を呼ぶ そしてその子がそれに応じてくれたとき

2011年05月03日 16時57分29秒 | コンケン 第9特別教育センター

大事なことを忘れていた。
大事なことをなおざりにしていたことに気がついた。

子どもの名前を呼ぶ。
子どもが振り向く。
もしくはちょっと顔を上げる。
完全に振り向かなくても、ちらっとこちらを見る。
それを、当然のステップのように流してしまい、
私の呼びかけに応じてくれている子どもをほめることなく過ごしていた。


久々に個別の学習をした今日の午後、
名前を呼んだ子どもがぱっと私に顔を向けたとき、
あっと気がついた。
最近ではこれを、当然のように思ってはいなかったか。
  

名前を呼ばれたら呼んだ人の方を振り向く。
それがごく当たり前の動作だが、自閉症の子どもにはこれができない。
名前が自分をさしているものであり、名前を呼ぶことでその人が
自分に何かを伝えようとしている、という意図が分からないからだ。
    


名前が何であるのか、
名前を呼ぶのは何のためかが分からない。
でも、それでも名前を呼ばれたら振り向くというルールを身につけることは
重要なコミュニケーション能力であり、社会性を身につけていくための
大事な第一歩。

だから、必ず名前を呼ぶ。
最初のうちは名前を呼んでも知らん顔を続けるかもしれないが、
あきらめず呼び続ければ、何回かに一回は振り向くようになる。
そのとき、すかさずほめること。
振り向くとほめられ、気持ちがよくなり、
相手との関係も居心地もよくなると体得できれば、
やがてほめてもらうことを期待して、名前を呼ばれたときに振り向くようになる。


ここでは先生達は一斉指導することが多く、そうなると当然
子ども一人一人の反応を見たり気づいたりが難しい。
だから、呼んだこどもがふり向かなくても、ふり向いたとしても
特にそのことに注目したり、ほめたりということがない。
そういう学習形態を疑問に思っていた当初の気持ちを
今薄れさせてしまっている自分に気づいた。

大事な大事な初心ともいうべき、当初に感じた違和感は
この場になれてタイの先生達のいろんなやり方を受け入れていきつつも
失ってはならないものだと思う。
日本人としての感覚、日本でこれまでやってきた私の感覚。
それを持ちつづけないといけないのに。

以前は全く反応を示さなかっただろう子どもが
しだいに学習し、名前を呼ばれることに反応を見せるようになる。
それは、できて当たり前ではなく子どものがんばりの成果。
それを受け流しては、子どものサインを見過ごす教師になってしまう。
子どもから離れたところにいる教師になってしまう。
今日はとても反省した。

子どもがほめられたうれしさににっこり笑った顔を見て
そうだった、これはほめるべき重要な反応じゃないかと思い出した。
ここしばらく、ほめるべき重要なチャンスをいくつも逃してしまったのではないか。
       


  
子どもが見せる変化や反応、その機微に気づける謙虚さ。
もつことも、枯らさずにもちつづけることも難しいこと。
だけど、そうでありたいと理想をもち
時々立ち止まって自分を振り返り問いかけながら、
そして子どもたちに教えてもらいながら。

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