ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

沙羅双樹の花の色

2011年10月20日 23時02分44秒 | タイの季節
「この木、この花、なんの花か知ってるよね?」
と聞かれて見上げると、まん丸のかわいらしいかたいつぼみ。
    


変わった花が咲いている。
見たこともない形の、肉厚な花。

    

私にこう尋ねたのは、本が好きで、文学知識の深い先輩隊員。

「なんでしょう、知りません。何かなあー。」
分からないでいる私に教えてくれた。
「沙羅双樹だよ。」

沙羅双樹(さらそうじゅ)
と言われてすぐに思い出すのが
「沙羅双樹の花の色」という言葉。
『平家物語』の冒頭に出てくる言葉だ。
ああ!平家物語の、あの!あの沙羅双樹!


一応私が国語科の教師であるわけだから、先輩隊員は
もちろん、平家物語の冒頭をすぐに連想すると思って教えてくれたのだと思う。
これがあの沙羅双樹、知らなかった、見たこともなかった、
授業では生徒たちに数え切れないくらい朗読してきたが、
実際には見たことがなかった。
だから、感激した。
日本の代表的古典、誰もが中学で学習する『平家物語』、
その冒頭に出てくる、あの沙羅双樹をこんなところで見ることになるとは。
     


『平家物語』は鎌倉時代に成立した、軍記物語。
平清盛を中心とする平家一門の栄華と没落が描かれており、作者は未詳。
「耳なし芳一」で有名な「琵琶法師」が歌い語る物語。
和漢混淆文で書かれ、平易で流麗な名文が並ぶ。リズムがよいのだ。
とくに、「祇園精舎の鐘の声……」の冒頭が有名で名文。
私は必ずこの冒頭を生徒たちに暗唱させていた。




  『平家物語』冒頭

  祗園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、
  諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
  娑羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、
  盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。
  おごれる人も久しからず、
  ただ春の夜の夢のごとし。
  たけき者もついにはほろびぬ、
  ひとえに風の前の塵(ちり)に同じ。



  【現代語訳】
   インドの祇園精舎というお寺の鐘の音には、
   諸行無常、この世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。
   (鐘の音は鳴っても、次第に弱まり消えていく)
   沙羅双樹の花の色は、
   どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
   (お釈迦様が亡くなったときにその色を変えたという)
   世に栄え得意になっている者も、その繁栄は永遠ではない。
   ただ春の夜の夢のようなものである。
   勢い盛んな者も、結局は滅び去ってしまう。
   まるで風の前に吹き飛ばされる塵(ごみ)と同じようである。





何度読んでも、秀逸な冒頭文だと思う。
1000年以上も昔のものが、今もなお読み継がれる理由が明らかだ。
1000年前から人間は、ずっと栄え滅んで、それを繰り返し生きてきたのだ。


「沙羅双樹の花の色」を初めて見た。
薄い赤色で、はかなげな色合いでありながら、花弁は厚く力強い。
花の中央には鎌のようなものもある。
     


インド北部が原産のこの木は、高地に生える高木で、
日本では温室以外ではまず見かけることはないらしい。
釈迦が亡くなったとき、釈迦を囲むように四方に植えられていたこの木が枯れ、
鶴の羽根のように白くなったとの伝説から、仏教では聖木とされている。
ミャンマーの国花。
     


学校で繰り返し朗読してきた平家物語。
もちろん、私もそらで暗唱できるこの冒頭。
暑いタイで、初めてお目にかかれて感極まるほど光栄。
まさか、ここで沙羅双樹を見るとは。

「沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」
どんなものも一定ではない、変わらないものはなく、必ず移り変わってく、
仏教の無常観を感じながら、花の前で口に出し、冒頭を暗唱してみる。
   

よいものも、わるいものも一定ではない。
必ずうつりかわっていく。
生きる者は栄えるが、必ず衰えていく。
それが生きるということ。
人は変わっていく。
心もうつりかわっていく。


「春の夜の夢のごとし」、というならば、はかなくても思いきりいい夢を見てやろうじゃないか。





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