そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

他人の悪口で・他人の悪口より

2008-07-31 20:47:33 | 雑感
他人の悪口とかゴシップ記事とかに触れると、自分の足りない部分を指摘されているようで悲しくなります。
「ほら、これがお前だ」
という具合。

へルマン=ヘッセ曰く
「我々がある人間を憎む場合、我々はただ彼の姿を借りて、我々の内部にある何者かを憎んでいるのである」

ワタシはその叩く側に、自分の醜さを見せつけられ、ゆえに辛い。

誰かを引き摺り降ろそうとするより、自分が輝く努力をしたほうがいいと思うんですよ。

上杉達也曰く
「出番がなかったなんてあり得ないなぁ。
あんたは写真じゃないんだから。
華やかな舞台から人をひきずりおろすことばかり考えているから、自分の出番を見逃してしまうんですよ。」

ここまで達観している高校生も、何だかイヤですけど・・・

この夏の決心

2008-07-28 21:52:20 | 会社
一緒に仕事をしているSさんと食堂へ行く時のお話し。

Sさん「先に行っててください。僕は放尿してから行きますから。」

(∩゜д゜)・・・

Sさん「ぽーにょ ぽーにょ ぽにょ さかなのこ


・・
・・・



ワタシは心に決めました。もう絶対に「崖の上のポニョ」は観に行きません。
。゜(゜´Д`゜)゜。

形式主義

2008-07-27 22:53:35 | 雑感
前回、直観主義に対してヒルベルトが
「そんな禁欲的な数学、耐えられるか!」
と新しい数学体系の樹立に動き出した、というお話をしました。

その新しい数学は、形式主義と呼ばれています。形式主義を一段階だけ説明しますと、
・数学を形式的な公理系として整備すること
・無矛盾性と完全性を有限の立場のメタ数学で証明すること
この2本立てです。

( ゜Д゜)ナンノコッチャ???

ゆっくり説明していきます。数学を形式的な公理系として整備するとは、数学を単なる式変形のゲームと考え、そこに一切の意味を与えないようにします。

例えば、
「ドラゴンクエストⅢでは、魔法使いは炎を出す魔法(メラ)が使える」
ということに対して、
「人間が炎出すなんてナンセンスだろ?」
という人が直観主義。でも形式的体系として考えれば、
「ある特徴を持つキャラクターは、敵にダメージを与える特殊な行動が可能である」
という“意味抜き”の次元に抽象して
「こういうゲームだから!」
と説明するわけです。

こうしてしまえば、無限や排中律という概念の「意味」を考える必要がなくなります。ただ、パラドックスが起こってはいけないので、今までの数学体系から不具合のある部分だけを修正する必要があります。

次の無矛盾性と完全性をメタ数学でチェックするとは、上の議論で整備した数学が、首尾よくゲームとして機能することの確認です。

どんな手段を用いても相手にダメージを与えられないとか、島から外に出る手段がないとか、そんな不具合があるとゲームとして成立しないわけで、(どんなに難しかろうが)ちゃんとクリアできることを確認する作業です。

なおかつその証明の手段を「有限の立場」に限定しました。排中律が問題になるのは無限に関係した対象を扱う際であり、有限回の式変形で全て証明できてしまえば、排中律を拒否する理由はなくなります。なぜなら、有限回であれば、(たとえどれほど時間がかかったとしても)地道にチェックしていけば「AかAでないか」を直接調べることができるからです。有限の立場にこだわることで、排中律を復権させようとする魂胆です。

意味のない式変形のカタマリとしての数学と、直観主義者でも拒否できない形で展開されるチェック機構。これが形式主義の構図です。これが上手くいけば、排中律は大手を振ってまかり通り、ラッセルのパラドックスはおろか、二度とそんな憂き目には遭わない無矛盾で完全な数学が打ち立てられることになります。

「こんな理想的な数学を作ろう!」
ヒルベルトが音頭を執って始まった「ヒルベルトプログラム」。・・・だったんですが、若き天才・クルト=ゲーデルがヒルベルトプログラムの破産を宣告してしまいました。それはまた次回のお話。

関東統一

2008-07-27 19:40:51 | ゲーム
信長の野望 烈風伝プレイ日記シリーズ。

前回は1年4ヶ月で伊達と豊臣以外の大名が滅亡したところまでお話しました。

1591年3月、小田原城を落とします。徳川家康が天守閣にいましたが、士気0で陥落しますので意味はありません。
小田原まで落としたら、進撃路は中山道を選択します。箱根を越えるのに3ヶ月かかるのと、徳川家康を封じ込めたいからです。足軽適正Sで、かつ名馬を所有している徳川家康のいる城を次々落としていくのが大変なのと、東海の城は構造的に攻撃側が圧倒的不利。であれば、駿府から小田原に攻撃を仕掛けさせ、徳川家康を飼い殺しにしておいたほうが得策なのです。と、いうわけで次は甲府に。

5月、新発田城防衛戦。この城の構造で負けることはありませんね。

6月、2軍で久留里城攻略。細かい城は2軍で回収していきます。

7月、新発田城防衛戦。3500v.s.12453という数的不利ですが、新発田城の構造なら何一つ問題ありません。むしろ兵力差が開いていたほうが威信の増減の幅が大きくなって得なのです。河越城も攻撃され、3200v.s.10356でしたが防衛成功。
こちらは甲府城を攻撃して攻略しています。

8月、那須資晴が侍大将に昇格。そして前々回目標になっていた陸前国力上昇の目標を達成。次の目標は春日山城攻略に決まりました。う~ん、これだけ北越後(新発田城)への攻撃が激しいのに、そんな余裕あるのかな?

9月、早速駿府から徳川家康が小田原へ攻撃を仕掛けてきました。ま、問題なく撃退しましたけど。
一方こちらは高島城と宇都宮城を落としました。

10月、娘の望が侍大将に昇格。こいつの突撃をどんどん活用していきます。
今月は豊臣から新発田城と小田原を攻められています。しつこいなぁ。

11月、初鹿野昌次が侍大将に昇格。本来前線で活躍させられるほど能力が高くないんですが、人材不足なんでしかたがないです。
この月に深志城をを落としています。

12月、甲府城防衛戦。上杉景勝を総大将に、北条氏照、蒲生氏郷、直江兼続、真田昌幸と本気モード。ザコの大軍よりA級武将5部隊の方がよっぽどツライ。苦戦しながらも何とか撃退。
さて、箕輪城に隣接していた攻略部隊に対し、城から迎撃隊が出てきました。野戦で3600v.s.5300はキツイな・・・。しかし堰月の陣を敷いて相手を鶴翼にチェンジしさせ、こちらは攻撃力最強の鋒矢に切り替えて攻撃。一撃で大将の榊原康政を撃破できました。この段階で兵力が3166人になりましたが、構わず城攻め続行。箕輪城はコンピューターが守るには不適当な構造ですから。刃こぼれのある部隊でもちゃんと攻略できました。榊原康政の登用に成功。彼には伊達家の柱石として日本全国を駆けずり回ってもらうことになりそうです。

1591年が終わり、開始から2年2ヶ月で関東と甲斐、南信濃まで領土を広げました。秀吉が史実で死んだ1598年9月まで残り6年と9ヶ月。何とかなるかな。

鉄砲の伝来

2008-07-26 21:14:32 | 歴史
日本に鉄砲が伝来したのは、現在のところ1543年だというのが有力な説です。言わずもがな、種子島に漂着したポルトガル船から、というもの。

この説は1606年に成立した「鉄炮記」が唯一の史料でして、史料の成立は鉄砲を買った種子島時堯の死後27年、鉄砲伝来から63年経っています。書かれた目的も、種子島時尭の息子・久時が父を顕彰する目的でまとめたもの。てなワケで、無条件で信じちゃダメなんですよね。

初期の火縄銃の形式が東南アジアの加圧式火鋏を持った狩猟用の銃に似ている事や、東南アジアにおいても先行して火縄銃が使われていた事などから、ポルトガルから種子島経由で伝わったのではなく、倭寇(海賊)などの密貿易によって東南アジア方面から持ち込まれたとする説があります。

これが本当なら、「北条五代記」なんかで、16世紀初頭に鉄砲が伝来し、北条氏綱が鉄砲持ってた、な~んて(ワタシにとって)ロマンティックな話が本当にあったかもしれません。

ただ、東南アジアの鉄砲のほうが日本の鉄砲のマイナーチェンジだとする説もあり、正確なところはわかりません。


確定しているはずの歴史は、今も刻々とその姿を変えています。

ゲームの中の時間軸

2008-07-24 23:51:23 | 雑感
「時をかける少女」を見た後、アニメや、特にロールプレイングゲーム(RPG)の中の時間軸と現実の時間軸の関係を考えています。

特にRPGでは顕著になる「ゲーム時間」と「現実時間」の関係。

プレイヤーがゲームを開始した時点が現実時間におけるゲーム時間の開闢。しかしゲーム時間では、ゲームが開始される遥か前から営々と「流れて」いた場合がほとんどです。ゲームの中の人物は、プログラムどおりに記憶を植え付けられてゲーム開始とともに誕生します。そして何年も生きてきたかのように振る舞い、過去を語ったりします。

また、ベッドで寝ている間は時間がものすごい「スピード」で「流れ」、あっという間に朝になってしまいます。プレイヤーがセーブをしてゲームを中断、翌日プレイ再開した場合、ゲームの中の人物は、この一瞬と次の一瞬の間に一日の時間差があったことなど知らず、普通に生活をしています。セーブファイルをロードしてやれば、何度でも過去に戻ることができます。でもゲームの中の人物は、過去に連れ戻されたことに気が付かない。


これら「ゲーム時間」と「現実時間」のズレを、ワレワレの「現実世界」で遊ぶ神様がいたとして、「現実時間」と「神様時間」に適用するとどうなるか?

・ワレワレの世界はプレイ開始時、例えば5分前に開闢したかもしれない。ワレワレが何年も生きてきた記憶や、過去の人間が作ってきた歴史を物語る証拠、太古の昔に滅びた生物の化石など、一切合財が5分前に作られたかもしれない。

・寝ている間、時間がモノスゴイ「スピード」で「流れている」かもしれない。

・あなたが




この4行を読み飛ばしている間に、実は気の遠くなるような時間、例えば1万年経過しているかもしれない。

・あなたは既に一生を生き、「神様」のリセットによってもう一度(ひょっとすると2度3度・・・)生きているのかもしれない。


現実世界にこんな考え方を適用しようとすれば、ただのバカモノ呼ばわりされて終わりですが、ではこんな考え方を否定するような証拠をあなたは論理的に提示できますか?

そして誰もいなくなった

2008-07-22 00:52:16 | ゲーム
信長の野望 烈風伝プレイ日記シリーズ。

前回は開始から8ヶ月で東北を統一したところまでお話しました。

1590年7月、関東攻略のために部隊編成。伊達政宗や原田宗時を中心とした常陸から太平洋側を抜ける部隊と、津軽為信や最上義光、戸沢盛安を中心とした尾浦城、新発田城など支城攻略部隊。北信愛や片倉景綱など政治が高い武将は内政官として使い、防御時にスクランブルをかけます。後藤信康や森岡信元など建築のスキルを所有しておらず、適正もBどまりの武将も守備に。

8月、豊臣秀吉が管領を自称。本拠が大坂城なので時間の問題でしたが、これで威信差がさらに40開くのはツライ。

9月、黒川城防衛戦。前田慶次や本庄繁長など手ごわい面々ながら撃退。そのかたわら、水戸城と尾浦城を攻略。尾浦城では6門もの大砲を乱射され苦戦。そういえば豊臣はデフォルト大砲を8門所有していたことを忘れていました。全部奪いつくすまでは苦戦必死ですね。で、内政官を登用できたものの、目ぼしい武闘派はことごとく逃亡or任官拒否。

10月、原田宗時が侍大将に昇格。エースになる武将に勲功を与え、大兵力が率いられるよう、戦場においてでも戦略的な判断をしていきます。

11月、宣教師が来訪。古河城と新発田城を攻略。古河城は簡単に落とせましたが、新発田城は支城であるにもかかわらずかなりの難易度を誇る城で、なおかつ前田慶次や本庄繁長が守っていましたが、服部半蔵や相馬盛胤は山形城へ向けて進軍中で留守。その隙を突きました。今後守りやすい新発田城が、東北を守る防波堤として幾度も戦場になることでしょう。

12月、伊達成実が侍大将に昇格。山形城と小高城を守りました。

1591年1月、姫武将登場。政治95、戦闘87、采配98、智謀90。騎馬適正S、鉄砲適正Aと、騎馬隊を率い殺戮の嵐を巻き起こす軍神となってもよし、大砲を乱射して敵を混乱の坩堝に叩き込む破壊神となってもよし。12歳の小娘とは思えない能力の高さです。また、福山館の松前慶広が降伏してきました。
さて、新発田城から春日山城に向けて進発させた部隊が城外で迎撃に会いました。勝利は収めたものの部隊は刃こぼれし、さらに加賀や越中から新発田城攻略部隊が続々向かってきていたので一時撤退。攻勢軸は完全に関東に移すこととしましょう。攻撃陣は河越城を落としました。その時北条氏照・氏邦兄弟を捕まえたんですが任官拒否・・・。泣く泣く解放しましたけどね。

2月、大内定綱が侍大将に昇格。水戸城と黒川城を防衛しました。と、ここで榊原康政が久留里城を落として里見が滅亡。たったの1年4か月で伊達と豊臣以外の大名が姿を消しました。国数7対33でガチンコ勝負。これからも厳しい戦が続きそうです。

排中律の拒否

2008-07-21 23:44:34 | 雑感
前回、直観主義という立場を紹介しましたが、今回はその副作用と、直観主義に対する数学界の反応を紹介します。

直観主義はラッセルのパラドックスを回避するため、「無限集合」などという、有限である人間が構成しきれない集合を集合として認めないこととしました。

有限の手順で構成できないもの、証明できないこと、そんなものは真でも偽でもない!

例えば、宇宙人がいるかいないか、現時点でいるともいないとも証明されていないから、宇宙人はいるともいないとも言えない。
円周率πは、整数から四則演算と冪根をとる有限回の操作では正確な値を求めることができない。よってπは数ではない。ワレワレは円周率の無限小数の中に0が100個続く部分があるかどうかすら分からない。

「おいおい、今の人間は宇宙人の存在・非存在を証明できていないけど、将来証明される日が来るんじゃないか?それと、神様なら宇宙人がいるかいないか、円周率の中に0が100個続く部分があるかどうか、知ってるんじゃないか?」

直観主義では、「ある時点での知識状態での証明可能性」を論じるものであって、将来に証明できることと、現在証明できないことは別のものとして扱います。
そして「神なら存在の有無を知っている」可能性を認めた上で、「ワレワレは神と交信する手段を知らない」という風に答えます。

こうして直観主義は、肯定も否定もできない命題の存在を認め、排中律
A∨¬A
を拒否しました。

そして排中律の拒否と同時に二重否定除去則
¬¬A⊃A
平たく言うと一部の背理法すら拒否します。Aを証明するには実際にはAを構成してみせなければ意味がない。宝の地図だけでは宝物の存在を証明したことにはならないのです。


これは強烈です。背理法の拒否には世界中の数学者達が鼻白みます。背理法という便利なツールが使えなくなるのか?

ブラウアーの唱えた独特の禁欲的論理・直観主義に先頭を切って反対したのが、その当時の数学界の巨頭・ヒルベルトでした。

ヒルベルトはこう言っています。
「数学者から背理法を奪うことは、天文学者から望遠鏡を、ボクサーから拳を奪うようなものだ」(「数学の基礎」, 1927)

そしてラッセルのパラドックスを乗り越え、かつ排中律をも認められるような数学を打ち立てるべく、全世界の数学者に協力を呼びかけます。これが全世界の数学者を巻き込んだ一大ムーブメント、「ヒルベルトプログラム」です。

これだってタイムリープだ

2008-07-20 09:13:45 | 雑感
前回の記事のついでで、去年、アニメ版「時をかける少女」を見た時に感じた疑問を解消するべくメモをとりながらテレビ放送を見ました。

というわけで以下ネタばれ注意です。

劇中の出来事が詳しく列挙されたPDFファイルを見つけました。
劇場アニメ「時をかける少女」の時間軸 極私的漫画ウォッチング「B館」
よくまとめられていて素晴らしい仕事してくださっています。

さて、この図を眺めていて気付くことを並べてみます。

・矢印が右向き、つまり「劇中時間軸」を未来側へ飛んだのが2回だけ。
・・・って、あれ?成績を落とすために3度目の小テストで寝た後、ジャイアントスイングの「時間」まで飛んだ描写ってありましたっけ?覚えてません。
ここにこだわる理由は、一度目の未来へのリープが、真琴の意志とは関係が無かったからです。プリンを食べようとして、気が付いたら河原に戻っていた。
その一方、芳山和子(魔女おばさん)に向けて
「行ったり来たりし放題」
と言っています。果たして未来方向へ飛ぶことができたのでしょうか?
現実世界の時間軸が「過去の方向」と「未来の方向」で性質が違うこととも関係しそうです。
あ、千昭はタイムリープで未来に戻るんでしたっけ。でも釈然としないなぁ。

・千昭はどうやって「真琴のタイムリープ」を知りえたのか?
千昭が真琴に告白したことは、真琴のタイムリープによって千昭の記憶に残っていません。未来人についても、タイムリープを起こした人間の都合によって過去を書き換えられてしまうことがわかります。
では何故千昭は真琴のタイムリープに気付いたのか?
この問題は、Koji@B館さんも指摘されている「カウント0記憶問題」とも関係してきます。千昭によって最後のリープを使う前に時間を戻されたというのに、真琴は何故カウント0までリープを使ったことを覚えていたのか?
ここを上手く説明できれば、
「カウント0を覚えていたのはご都合主義」
という結論を回避できそうです。

・芳山和子の存在
Koji@B館さんが指摘されている通り、真琴のタイムリープで芳山和子に会った事実そのものが消失しているにもかかわらず、芳山和子が真琴の話を全て理解していました。タイムリープする度ごとに真琴が説明していたと考えるのはさすがに無理がありそうなので、やはり「芳山和子は魔女だった」という不自然な結論が一番自然かな・・・。


さて、こんな風に「アニメをもう一度見る」という行為だって、アニメの中の住人からすればタイムリープになるわけです。この場合、ラッセルの唱えたタイプ理論を考える必要がありますけど。

Time waits for no one!

2008-07-20 07:42:30 | 雑感
液晶学会主催のサマースクールに参加するために熱海へ行って参りました。

旅館でテレビを見ていた時。
「7月19日、フジテレビでアニメ版『時をかける少女』を放送します」
という番宣を見ました。

去年ワタシは「時をかける少女」の記事を書いていたのを思い出しました。

あれから一年も経ったというのか!?ワタシが「タイムリープ」してしまったのではないかと疑いたくなるぐらい、この一年は速く感じました。正確に言えば、一年経過した実感が無い。

お宮の松が海風に揺れ、青い空にポッカリ雲が浮かんでいる。こんなに時間はノンビリと流れているのに、一年という時間は何故、残酷なまでに、速く流れ去ってしまったんでしょうか?

帰りの電車の中で、行きとは逆向きに流れる窓の外を眺めながら、それでも未来から過去へ流れ去って行く時間に、恨めしい思いをつぶやくのが精一杯でした。

命の洗濯?

2008-07-17 02:17:28 | 会社
明日今日(7/17)から液晶学会主催のサマースクールに行ってまいります。

熱海で2泊3日だぜ!イィヤッホゥイ!!
⊂二二二( ^ω^)二⊃

戦士にもサラリーマンにも、休息は必要なんですよ。

前提が遊びになっているのはナイショという方向でどうか一つ。
( ´゜д゜)ノシ(´゜д゜`)ヾ(゜д゜`)

直観主義

2008-07-14 23:56:26 | 雑感
前回説明しましたラッセルのパラドックスを回避する方策の一つとして「直観主義」という考え方が出てきました。

これはオランダの数学者・ブラウアーが創出したものでして、ブラウアーはラッセルのパラドックスの根源を「無限」というものに求めました。

実はずっと前に「実無限と可能無限」という回でお話しているんですが、ここでいう可能無限こそが直観主義の最たる考え方です。

もう一度説明しておきますと、ワレワレが一つずつ数えていくこととは独立に、無限の総体が既に存在しているという考え方があります。宇宙には無限の対象が存在し、有限なる人間はそれを部分的に認識しているに過ぎないわけです。もっと言いますと、人間がいなくても宇宙は存在する。

これに対して、意味を持つのはワレワレが一つずつ数えていくという作業だけであるとする考え方もあります。無限とは既に存在する総体ではなく、際限なき作業の軌跡として可能的に開かれているに過ぎない。もっと言うと、人間がおらず、人間に観測されない宇宙はもはや宇宙ではない!

前者の無限観を「実無限」、後者の無限観を「可能無限」と呼ぶわけです。ブラウアーは可能無限を唱えたワケです。

では可能無限の立場から、どのようにラッセルのパラドックスが回避できるか?それは当然、
「『無限集合』なんてもの、世の中に存在しない!」
です。

実無限論者なら「ネコではないものの集合」はこの宇宙に確定して存在すると考えますが、可能無限論者は、ワレワレがネコではないものたちを必死こいて集める果てしない作業があるだけですから、ネコではないもの全体を既に出来上がった集合として考え、それが再び自分自身の要素になるかと問うのは、そんなもんナンセンスなんですよ。

ある段階でネコでないものを集めてくるのをやめ、それで集合Sを考えた場合、そこで集められたSの要素に、今出来上がったS自身を加えれば、新たな集合S'ができちゃってるので、考えるべきは
S∈S
ではなく
S∈S'
となります。これならパラドックスを余裕で回避できる、と。

しかし直観主義には猛烈な副作用がありました。それは「排中律の拒否」というもので、世界の数学者達の、それこそ拒否反応を引き起こします。その拒否反応が数学界全体を巻き込む一つのムーブメントに発展しました。

展開、速!

2008-07-13 22:31:51 | ゲーム
信長の野望 烈風伝のプレイ日記。小田原征伐の伊達政宗でプレイ。

前回・前々回で書き忘れましたけど、プレイの条件に「ショートプレイモードで目標は自動設定」というものも付け加えてます。戦略からかけ離れた目標や、達成しにくい目標(茶会開催など)が選ばれてしまったら苦戦は必至です。難しいシナリオにもう一つ足枷を嵌めてみました。

さて、ゲームスタートの1589年11月、最初の目標は「磐城統一」で期間は1年。磐城は、史実にて摺上原の戦いで伊達政宗が蘆名を滅ぼした後ですので、本城・黒川城は支配しているんですが、支城の小高城はいまだ相馬盛胤が頑張っています。でも全体を通したプレイにおいて、小高城は東北を統一した後の標的。先々を考えると面倒な目標です。

さて、ゲームを開始していきなり黒川城から伊達政宗が山形城を、岩出山城からは不来方城を攻撃させます。東北統一は1年。モタモタしていると独立勢力が次々と豊臣に降伏してしまいますので、そうなる前に速攻を決めてしまいます。

翌12月、早速宇都宮城が豊臣に降伏。言わんこっちゃない!
こちらは不来方城を落として黒川晴氏を登用。また、山形城を落として最上滅亡。その時最上義光が登用に応じてくれた!最上義光は全てのステータスが高レベルでバランスの取れた良将。建築の特技がなく城攻めには向きませんが、宿老として登用できたのは大きい。彼には「政宗の後見役」として豊臣の波状攻撃を防ぐ防波堤として七面六臂の大活躍をしていただきましょう。さすが義理のオヤジ。

明けて1590年1月、目標の小高城が豊臣に降伏。相馬盛胤が1000人の騎馬隊を編成しなくなるだけ攻略が楽になりそう。

2月、古河城の結城と、最上滅亡で独立勢力化していた尾浦城が豊臣に降伏。さらに徳川家康が小田原城、上杉景勝が箕輪城を落として、北条氏邦、氏規、氏直が降伏してます。予想以上に展開が早そう。こちらは横手城を攻略して戸沢盛政の登用に成功。寿命こそ短いですが、騎馬適正Aは全国クラス。

3月、豊臣領の小高城を攻撃。面倒なことになる前に早めに始末しました。相馬盛胤には逃げられましたが、これで最初の目標達成です。

4月、目標が「陸前国力上昇」に。人手の足りない時期に内政が目標になると、攻めに回せる人材を削ることになるのでケッコウ辛いものがあります。それはさておき、土崎湊城を落として秋田家滅亡。

5月、豊臣秀長が河越城を落として北条滅亡。「小田原征伐」の名に恥じない、7ヶ月での北条が滅亡。こりゃこちらも急がなければ。そうこうしているうちに山形城へ豊臣が攻めてきました。

6月、山形城防衛戦。防衛戦は当然勝ちやすいので、相手方より少ない兵力で防衛します。そうすれば相手の名声が減り、こちらの名声が増えますので、大局的を睨んでギリギリの線で守り抜きます。山形城は守りやすい形していますから、最上義光が少ない兵でもなんなく撃退。
そのかたわら、三戸城を落として南部が滅亡。九戸政実を逃がしましたが、北信愛の登用に成功。また大浦城を落として津軽為信と沼田祐光を登用。津軽為信は家宝の効果で足軽適正がS!普通のスピードで侵攻していた場合、豊臣に降伏して敵になる津軽為信ですが、速攻が功を奏して仲間に迎え入れることに成功しました。今後は別働隊の大将として活躍してもらいます。

そんなこんなで北条の滅亡が7ヶ月、伊達の東北統一が8ヶ月で完了しました。この先どんどん豊臣と伊達の全面戦争という形が表面化していくことでしょう。