そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

形式主義

2008-07-27 22:53:35 | 雑感
前回、直観主義に対してヒルベルトが
「そんな禁欲的な数学、耐えられるか!」
と新しい数学体系の樹立に動き出した、というお話をしました。

その新しい数学は、形式主義と呼ばれています。形式主義を一段階だけ説明しますと、
・数学を形式的な公理系として整備すること
・無矛盾性と完全性を有限の立場のメタ数学で証明すること
この2本立てです。

( ゜Д゜)ナンノコッチャ???

ゆっくり説明していきます。数学を形式的な公理系として整備するとは、数学を単なる式変形のゲームと考え、そこに一切の意味を与えないようにします。

例えば、
「ドラゴンクエストⅢでは、魔法使いは炎を出す魔法(メラ)が使える」
ということに対して、
「人間が炎出すなんてナンセンスだろ?」
という人が直観主義。でも形式的体系として考えれば、
「ある特徴を持つキャラクターは、敵にダメージを与える特殊な行動が可能である」
という“意味抜き”の次元に抽象して
「こういうゲームだから!」
と説明するわけです。

こうしてしまえば、無限や排中律という概念の「意味」を考える必要がなくなります。ただ、パラドックスが起こってはいけないので、今までの数学体系から不具合のある部分だけを修正する必要があります。

次の無矛盾性と完全性をメタ数学でチェックするとは、上の議論で整備した数学が、首尾よくゲームとして機能することの確認です。

どんな手段を用いても相手にダメージを与えられないとか、島から外に出る手段がないとか、そんな不具合があるとゲームとして成立しないわけで、(どんなに難しかろうが)ちゃんとクリアできることを確認する作業です。

なおかつその証明の手段を「有限の立場」に限定しました。排中律が問題になるのは無限に関係した対象を扱う際であり、有限回の式変形で全て証明できてしまえば、排中律を拒否する理由はなくなります。なぜなら、有限回であれば、(たとえどれほど時間がかかったとしても)地道にチェックしていけば「AかAでないか」を直接調べることができるからです。有限の立場にこだわることで、排中律を復権させようとする魂胆です。

意味のない式変形のカタマリとしての数学と、直観主義者でも拒否できない形で展開されるチェック機構。これが形式主義の構図です。これが上手くいけば、排中律は大手を振ってまかり通り、ラッセルのパラドックスはおろか、二度とそんな憂き目には遭わない無矛盾で完全な数学が打ち立てられることになります。

「こんな理想的な数学を作ろう!」
ヒルベルトが音頭を執って始まった「ヒルベルトプログラム」。・・・だったんですが、若き天才・クルト=ゲーデルがヒルベルトプログラムの破産を宣告してしまいました。それはまた次回のお話。

関東統一

2008-07-27 19:40:51 | ゲーム
信長の野望 烈風伝プレイ日記シリーズ。

前回は1年4ヶ月で伊達と豊臣以外の大名が滅亡したところまでお話しました。

1591年3月、小田原城を落とします。徳川家康が天守閣にいましたが、士気0で陥落しますので意味はありません。
小田原まで落としたら、進撃路は中山道を選択します。箱根を越えるのに3ヶ月かかるのと、徳川家康を封じ込めたいからです。足軽適正Sで、かつ名馬を所有している徳川家康のいる城を次々落としていくのが大変なのと、東海の城は構造的に攻撃側が圧倒的不利。であれば、駿府から小田原に攻撃を仕掛けさせ、徳川家康を飼い殺しにしておいたほうが得策なのです。と、いうわけで次は甲府に。

5月、新発田城防衛戦。この城の構造で負けることはありませんね。

6月、2軍で久留里城攻略。細かい城は2軍で回収していきます。

7月、新発田城防衛戦。3500v.s.12453という数的不利ですが、新発田城の構造なら何一つ問題ありません。むしろ兵力差が開いていたほうが威信の増減の幅が大きくなって得なのです。河越城も攻撃され、3200v.s.10356でしたが防衛成功。
こちらは甲府城を攻撃して攻略しています。

8月、那須資晴が侍大将に昇格。そして前々回目標になっていた陸前国力上昇の目標を達成。次の目標は春日山城攻略に決まりました。う~ん、これだけ北越後(新発田城)への攻撃が激しいのに、そんな余裕あるのかな?

9月、早速駿府から徳川家康が小田原へ攻撃を仕掛けてきました。ま、問題なく撃退しましたけど。
一方こちらは高島城と宇都宮城を落としました。

10月、娘の望が侍大将に昇格。こいつの突撃をどんどん活用していきます。
今月は豊臣から新発田城と小田原を攻められています。しつこいなぁ。

11月、初鹿野昌次が侍大将に昇格。本来前線で活躍させられるほど能力が高くないんですが、人材不足なんでしかたがないです。
この月に深志城をを落としています。

12月、甲府城防衛戦。上杉景勝を総大将に、北条氏照、蒲生氏郷、直江兼続、真田昌幸と本気モード。ザコの大軍よりA級武将5部隊の方がよっぽどツライ。苦戦しながらも何とか撃退。
さて、箕輪城に隣接していた攻略部隊に対し、城から迎撃隊が出てきました。野戦で3600v.s.5300はキツイな・・・。しかし堰月の陣を敷いて相手を鶴翼にチェンジしさせ、こちらは攻撃力最強の鋒矢に切り替えて攻撃。一撃で大将の榊原康政を撃破できました。この段階で兵力が3166人になりましたが、構わず城攻め続行。箕輪城はコンピューターが守るには不適当な構造ですから。刃こぼれのある部隊でもちゃんと攻略できました。榊原康政の登用に成功。彼には伊達家の柱石として日本全国を駆けずり回ってもらうことになりそうです。

1591年が終わり、開始から2年2ヶ月で関東と甲斐、南信濃まで領土を広げました。秀吉が史実で死んだ1598年9月まで残り6年と9ヶ月。何とかなるかな。