そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

猫に小判

2008-04-29 17:56:18 | 雑感
実家に帰省中なんですが、父親からパソコン動作を速くしてくれと頼まれたので、実家のパソコンのパフォーマンスを見てみました。

OSがVistaで、CPUがSempron 3400+の1.8G、メモリが512×2。わりと優秀なのでは。さて、タスクマネージャー開いてみると・・・。

何もしてないのにCPU使用率が100%になってる!?
物理メモリ7割使ってる!?


何だこれ?いったい何が起こってるんだ?素数を数えて落ち着くんだ

これはもう、Vistaを動かせるだけの能力がこのパソコンにないとしか考えられない・・・。おじいちゃんが寝返りをうつ程度にしか動けないわけだ。

Aeroを無効にしてみても焼け石に水。まさか1Gのメモリで足りないと言われるなど露ほども思わなかった・・・。XPまでしか知らない人間にとっては衝撃の事実。

結論。一般人がVistaを使う価値などない!

憲法9条の曖昧性

2008-04-26 17:17:49 | 雑感
第1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第2項
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本に住んでいればネコでも知ってる憲法9条の条文です。


さて、第1項に登場する「武力」と「戦力」は同義語なのでしょうか?

英語の原文では「武力」を「force」、「戦力」を「war potential」と記されています。とすれば、少なくとも「戦力」は「戦争を仕掛けられるだけの能力」であり、「警察力」は含まれないようです。

・「武力」と「戦力」が同義語であれば、侵略行為に対して警察力でもって防衛することは「武力の行使」に相当しないため、自衛隊による防衛戦争が合憲になります。
・「武力」と「戦力」が同義語でないとするなら、「武力」=「戦力」+「警察力」とより広い概念とみるべきであり、そうなれば自衛隊による防衛戦争は「武力の行使」に当たり、違憲となります。

(ここで、「保持しない」のは「戦力」であるので、自衛隊に侵略能力がなく警察力に特化しているならば、保持することはいずれにせよ合憲になります。ただ、「武力」と「戦力」が同義語でない場合、自衛隊は保持しているけど自衛戦争に使用してはならない、という張り子の虎状態となります。「自衛隊」のお仕事は災害救助活動だけになります。)

戦争放棄の基本理念そのものを批判するつもりはありませんけど、憲法の条文そのものが多様な解釈を可能にしていることになります。

これ、あまりにも豊かすぎる日常言語の難点ですよね。国の在り方の根幹部分なので、厳密な定義に書き直しませんかね?

光市母子殺害事件の記者会見で

2008-04-26 01:57:43 | 雑感
極刑。これは妥当だと思います。

さて、記者会見の席上で朝日新聞の記者がこんな質問をしたそうです。

「今回の判決を受け、今後死刑適用のハードルが下がると思うがどうか?」

ワタシなら被告人に尋ねますが。

コメントの付けられ方

2008-04-25 00:13:54 | 雑感
ブログって、誰にでも閲覧可能なネット上に書いてるんですよ。もちろん特定の人にしか公開しないような設定もできるんですけど、基本的に制限はありません。

そうなれば、当然いい人も、そうでない人もブログを読む。で、コメントを付ける。そのコメントがスパムだったり、頓狂だったり、誹謗中傷だったり。

腹は立ちますが、それがネット上で運営するブログというシステムのもつ特徴(この場合は欠点ともいう)なんですよね。

コメント機能とは、ブログを運営する作り手と読者とのコミュニケーションの手段の一つなんですけど、無許可で宣伝に使ったり、他人をくさし倒して悦に入ったりするなど、別の(この場合は「間違った」と言いたい)目的のためにも使用することが可能なんですよ。

「無礼な態度で人のブログにコメント書き込む方が悪い!」
って意見も当然あるでしょうけど、ネットってそんなもんでしょ。前述の通り、どんな人が見てるかわかんないんですよ。

包丁や核燃料を調理や発電に使用する「正しい」使い方をする人がいれば、その一方で殺人や大量破壊兵器に使用する「間違った」使い方をする人も少数ですが存在する。「べきである・べきではない」といった話ではなく、「存在する」。それはもう事実なんですよ。

ルールなんて在るようで無い。法律や警察もほぼ守ってくれない。それに耐えられないならブログを畳むか、アクセス制限つけて身内でコッソリやるしかないですね。もちろん納得できる話ではありませんが

先の記事を書きながらそんなことを思った次第。

電波コメント

2008-04-21 21:06:55 | 雑感
電波ソング」という面妖な音楽のジャンルがあるそうですが、先の記事に「電波な」コメントが付けられたので、さらしあげておきます


タイトル:強制的に人生も健康も破壊された新井泉さんを移動監獄から救い出しましょう。

天皇家と取り巻きが犯罪を犯しまくって栄耀栄華を楽しんでいる。公務員と共謀した彼らは、何の罪もない新井泉さんをむりやり監禁虐待して、すべてを奪い取ったあげく虐殺している。新井泉さんの人生も健康も強制的に破壊して、彼らは移動監獄に閉じ込めた新井泉さんを毎日二十四時間中昼も夜も暴行して破壊した。そうしておいて、てめえはずるく立ち回って優雅な人生を楽しんで、園遊会などでうまい酒をのみまくってでかいツラだ。こんな残虐な犯罪がとぼけた日本人によって犯されているのだ。チベット人を楽しんで惨殺できる漢民族になれたと日本人どもは思っているらしい。犯罪組織に入れてもらってタダで優雅な人生を謳歌している馬鹿天皇や公務員どもは、凶悪マスコミ人を犯罪に引き入れることで、新井泉さんを口封じしたとたかをくくっている。しかし、彼らに強制的に死に追いやられて餌食にされても、神聖な新井泉さんは必ず神の怒りをもって彼らに復讐するのだ。


'`,、('∀`) '`,、

何だ!この尋常ならざる妖気の波動は!?・・・もう毒電波ビリビリ~~なんです、はい。
ィャマッタク(´⊿`)ゞ

というわけで、「新井泉」というキーワードでググってみると、gooのブログやexciteのブログに、信じられないほどのスピードでコメントを書き続けているヤカラがいるらしいです。

さて、この人はいったい何を主張したいんでしょうか?
(^A^)オー ヨチヨチ ヨカタネー

移ろいゆく美人像

2008-04-21 00:11:33 | 歴史
10歳にも満たないうちに昭和が終わった年代の人間なんで、昭和天皇の奥さん(香淳皇后)の若い頃の写真を見てビビリました。



絵巻物に出てくる平安美人!

こんな顔立ちの人が現代日本にいるとは思ってませんでしたよ。

でも、確実に「現代の」美人の定義からは外れている人。・・・まぁ、古代から現代までのどの基準でも美男になれないワタシがいってるんだから間違いない。
(;^ω^)ヾ(^Д^゜*)゜・。

逆に考えれば、加藤夏希とか、新山千春(二人とも東北出身)は「クマソ」、蛯原友里(宮崎出身)は「隼人」、小雪(とりあえず出身地は神奈川)は「般若」なんてあだ名を付けられて、不美人にカテゴライズされた時代があったんでしょうね。顔立ちがハッキリしすぎてます。現代人のワタシでも引いてしまうくらいクッキリハッキリ。

中国でも「環肥燕瘦」と言って、ポッチャリしている陽玉環(楊貴妃)が美人とされた時代と、痩せてた趙飛燕が美人だった時代があったそうです。

何をもって「美人」と呼ぶのかわかりませんが、とにかく美人と呼ばれるためには、「時代に愛される」タイプの顔じゃないといけないんだなぁ、と思ったわけです。

シブいねぇ~

2008-04-19 23:40:18 | 雑感
今日(4/19)も広島市民球場にカープを応援に行ってきました。

1対0で勝利!


前回の試合ではバカみたいに得点取って大盛り上がりでしたが、今回はシブい投手戦。スコアがソロホームラン1本のみ。

初回から広島先発の高橋健が絶好調。ストレートが走りまくりで、7回8回なんか直球で見逃し三振をバンバン取ってました。これぞまさにキリキリ舞い。

巨人の先発の木佐貫も8回投げて被安打3、失点1なのに負け投手なんですよね。御愁傷様です。
(´_ゝ`)

それにしても打線が酷かったですね。両チームとも

巨人はノーアウト1、2塁とはいえ小笠原にバントさせて、結局2ストライクからヒッティングに切り替えてダブルプレー。広島も牽制死したり送りバント失敗したりタイムリーがでなかったり。

とにかくこれから打線が点取らなけりゃ上位に浮かび上がれませんね・・・。

ま、とりあえず今回は勝ててよかったけど。
ィャマッタク(´⊿`)ゞ

2008-04-17 23:22:29 | 会社
最近忙しいです。

「忙しい」をよく口にする人間は、大抵仕事ができないというワナ。


夜10時過ぎに会社から獣道を歩いて帰りました。

山の上にある会社からの帰り道は霧でけむり、朝にはあれほど色彩豊かだった草木が、黒と、黒に近い灰色に変わっていました。

家に帰りついたとき、霧のために作業服だけでなく、心までもが重く湿っていました。

坂本龍馬と島耕作の違いとは?

2008-04-13 13:28:42 | 歴史
大学時代にお世話になった先生のブログで、こんな論旨のエントリーがありました。

>理想像として人を尊敬するのなら、坂本龍馬を尊敬するのも、島耕作を尊敬するのも同じですわな...。
>科学上のモデルと同じように、「理想状態」は、実在する必要はないということがいいたかっただけなのです。

う~ん、さすがにシンデレラ(非実在)に憧れる人と、キング牧師(実在)を尊敬する人を同列に扱うのは乱暴だ、と思うのはワタシだけか?
('A`)

というわけで、ワタシが歴史に名を遺した偉人さんたちを好きな理由を分析してみました。

(どうでもいいですが、「歴史上の人物」という言い方は好きではありません。自分も歴史に参画している事実から目をそむけようとしてませんか?)


さて、歴史に名を遺した偉人と創作上のキャラクターの違いは、実際の人間社会に大きな影響を与えた点と、「生身の人間」である点。リアリティーが違います。

まず一点目。歴史に名を遺した人、特に民族のプライドやアイデンティーを守ったような人の場合は、その民族のDNAに尊敬の念が刻み込まれています。
日本では民族的英雄と呼ばれる人はいません(だから歴史に名を遺した人への尊敬が薄いんでしょう)けど、「13世紀の世界最強だったモンゴル人の侵略を撃退して領土を守り抜いた人」とか「黒人の権利を命を懸けて主張した人」などの場合は、実際に救われた人が大勢いるだけに、創作上のキャラクターと同列に扱うのはデリカシーがないと思いますよ。「民族の誇り」という合理的ではないけれども確実に存在する部分に障ることになりますから。


もう一点。その人が「本当にいた」ということ。凡人が言葉を失うぐらい輝かしい業績を遺した人でも、「自分と同じ」人間である。彼らも「自分と同じ」ように友情を温め、恋を語らい、悔し涙を流した。その「自分と同じ」という部分が、どれほど人々を勇気付けるか!

確かに先のブログにあった「理想状態」とやらは実在する必要はありませんけど、その「理想状態」が、ホントに存在した、っていうことがスゴくて、ウレシくてたまらないわけです。人間の能力の際限の無さを示し、そして自分も「理想状態」になれる可能性を担保してくれてますからね。

やっぱりでっち上げのホラ話ではなく、人間社会に大きな足跡を遺したという部分は説得力になるんですよ。

人間の歴史を綴ってきたのは、神ではなく人間。創作ではなく実在なのです。人間は笑って泣いて、悩んで苦しんで歴史を綴ってきた。そのことをたいへん尊いと思えばこそ、坂本龍馬と島耕作の間に存在する事実というものの重みを感じられると思います。


上の話、厳密に議論をするとヤヤコシイので別枠に書いてみますが・・・。

もちろん、シェイクスピアや司馬遼太郎みたいな作家とか、民間伝承によって神格化されているケースがほとんどですが。そしてこの「神格化された」という部分をどの程度重要視するかで態度が変わってくるでしょうね。

「イエスは当時の人々に魂の救済を与えた活動家である」というのも事実ですが、「生き返ったなんてホラ話くっつけて無理矢理神様に祀り上げたのは後世の人間でしょ?」というのも事実。ここに「事実と創作の曖昧さ」があって、イエスの純粋な業績や人間性を批評するのではなく、神格化され創作上のキャラクターに変わったイエスを批評する態度が生まれてきます。これが坂本龍馬を島耕作と同じ次元に近付けてしまうメカニズムですね。

ここはもうその人のよって立つ価値観なんですが、ワタシの立場としては、イエスのナマの業績や人間性は高く評価しますが、後の世に付け加えられた部分は余計だな、と思います。坂本龍馬本人は尊敬するけど、司馬遼太郎の書く坂本竜馬は嫌いだ、と。もちろんイエスの神性を肯定して評価する立場や、歴史的事実でなくとも文学的真実であり、それを理解したうえで(創作上のキャラクターとして)イエスを評価する立場だってあります。

でも、イエスをはじめとした歴史に名を遺す偉人さんたちを創作上のキャラクターに堕してしまっては「もったいない」と思うんですよ。やっぱり「現実にいた」っていうことに何かしら価値を見出してしまいますね。

それ何て苦行?

2008-04-12 23:23:38 | 会社
今週は火曜日からず~っと日付変更線を会社でまたぎました。ブログ更新するヒマもない状態ですた・・・。
ヽ(;´Д`)ノ

時にはご飯抜きで仕事。挙句、土曜日まで出勤。忙しすぐる。
(;・д・`´)

そんなワタシに追い討ちをかけたのは、この間まで「戦友」と呼び、不定期な食事の際にワタシのお腹を満たしてくれていたカップヌードルの値上げという裏切り。20円高くなってやがんの・・・。
。゜(゜´Д`゜)゜。

自動販売機の値段見た時、心の底からこう思いましたね。

神は死んだって

スゴイ勝ち方

2008-04-06 23:36:52 | 雑感
今日(4/6)、広島市民球場に広島カープの応援に行って来ました。

17対3で勝ちましたよ!
キタ━━━( ´∀`)・ω・) ゜Д゜)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)-_-)=゜ω゜)ノ━━━!!!!

ヒット打つたび、点が入るたびに大声で喜んでたら声が嗄れてしまいました。白熱した試合ではありませんでしたが、やりたい放題するお祭りのような楽しさがありました。

試合後、平和大通りを歩いたんですが、カープのチームカラーである赤と白の絵の具を混ぜて作った色の花で、川沿いが埋め尽くされていましたよ。

いや、ホントに楽しかった

お花見に行って

2008-04-06 10:06:53 | 雑感
お花見のために尾道市で有名なお花見スポット・千光寺公園に行ってきました。

夕暮れ時だったんですが、高台にある公園から西の方角の町並みを見渡すと・・・

光の道が見える!

少し前の記事で紹介した、太陽から足元に伸びているように見える光の道が、確かにそこには存在していました。

それはおそらく、本物の波の代わりに「甍の波」が作り出した光の道。屋根の傾きに傾向はありつつも、やはりさまざまな方向を向いていて、いろいろな方向を向いた屋根が太陽の光を色んな方向に光を跳ね返しています。確かに、海も町の景色も、みな同じように乱反射した光を返している。

これまで特に意識することもなく眺めていた町の景色、光る屋根の瓦にも、きらめく水の小波にも、光学や統計学といったものが、その姿を見え隠れさせながら、ワタシの足元に輝く道を作ってくれていました。

と、桜をこよなく愛した西行法師になるつもりで花見に来たつもりだったのに、人の営みと科学とが織り成す美しさに魅せられ、「科学の子」たらんとする思いを再び温めていました。

待ち来つる 八上の桜 咲きにけり あらくおろすな みすの山風
(西行)

ワタシの場合は思いがけず出会った美くしい景色でしたが、この思いはいつまでも褪色させたくないものです。


でも、車で来ましたので、お酒をこよなく愛した李白や若山牧水になれなかったのが残念でたまりませんでしたね・・・。
(´・ω・`)

アレクサンドル=ネフスキー

2008-04-05 11:25:02 | 歴史
人物列伝も久しぶりです。今日は「ネヴァ河の勝利者」ことアレクサンドル1世について。

1220年、ノヴゴロド公国(現在のロシア連邦の西端、バルト海のほとり)の公・ヤロスラフ2世の子として生まれます。

幼い頃から知勇兼備の名称として名を馳せ、1236年に若干16歳で父からノヴゴロド大公位を継承します。それだけ期待が高かったということですね。

さて、このころは「アジアの嵐」ことバトゥ率いるモンゴル帝国遠征軍がヨーロッパを席巻していく時代なんですが、ノヴゴロドはその侵攻軍からは免れます。その代わりと言うか、スウェーデンやドイツ騎士団、リヴォニア帯剣騎士団から領土を狙われます。これはカトリック教国の「北方十字軍」と呼ばれる活動の一環でして、カトリックv.s.東方教会、西欧ゲルマン人v.s.東欧スラヴ人の第1ラウンドなんです。

1240年、スウェーデンがノヴゴロドに侵攻してきます。これをアレクサンドルは寡兵の伏撃でもって撃破。敵将のビルゲルを討ち取る大勝利を収めます。これが有名な「ネヴァ河の戦い」です。

この一戦で一躍勇名をロシア全土に広めたアレクサンドルは、後の世に「ネヴァ河の勝利者」、つまり「ネフスキー」という称号が贈られることになります。

とは言うものの、ノヴゴロドの都市貴族は当時のロシアより裕福なドイツと商売をしたほうが儲かる、という理由で親ドイツ騎士団路線をとります。ルーシ(つまりロシア)のアイデンティティーを守らんとするアレクサンドルと貴族・民会が対立。ついにはアレクサンドルのノヴゴロド追放にまで至ってしまいます。

ところが、そのドイツ騎士団がノヴゴロドへの武力侵攻を開始。面目を失った親ドイツ派の貴族は失脚し、ノヴゴロド公国は自分達が追い出したアレクサンドルを再び呼び戻すこととなります。

1242年の4月5日、つまり766年前の今日、国境のチュド湖でドイツ・エストニアの連合軍との決戦が始まりました。アレクサンドルはモンゴルや戦国島津氏さながらの「偽装退却 + 伏撃」という得意戦術にて完勝。ルーシのカトリック化を防ぐことに成功しました。この戦いは「チュド湖上の戦い」とか「氷上の決戦」と呼ばれていますね。

西方の国境を武力で守りぬいたアレクサンドルは、東方の国境、つまりモンゴル(キプチャク=ハン国)を外交政策で固めます。自らがキプチャク=ハン国の首都・サライに赴き、キプチャク=ハン国の間接統治を容認。すなわち臣従を約束しました。

これには兄でありウラディミール大公であったアンドレイが反発します。しかしアンドレイはキプチャク=ハン国に追放され、ウラディミール大公位も継承することに成功しました。

その後もモンゴルの武力を背景に権力強化を推進。その一方、ロシアに大きな影響力を持つ教会を保護し、その支持の下でロシア諸公に対する大公の権威を高めました。

1260年にはリトアニア大公のミンダウガスと同盟して再び宿敵・ドイツ騎士団を撃破しています。

1263年、4度目のサライ訪問の途上で病に倒れました。享年43歳。


アレクサンドルの国民的英雄のイメージは、西欧からのローマ教会伸張に対する徹底抗戦によるところが大きいんですが、さらに強大なモンゴル帝国を相手取っての外交の巧みさやその武力の利用など、政治家としても超一流であったと言えます。

と、実はスウェーデンやドイツ騎士団と戦い勝利を収めたという記録は西欧カトリック勢力側には一切記録されておらず、ロシア以外の歴史家からは、彼の戦功は疑問視されていることも事実。そもそもこのころのスウェーデンに、歴史を書き残す習慣がなかったんですから仕方ないといえば仕方ない話なんですが。

また、反モンゴル活動の弾圧を行った事で過大な英雄視をタブー視する見解もありますが、東西から外圧に晒された分裂状態の中世ロシアを、ある意味で完全な破滅から守った事は間違いありません。

1547年に東方正教会により全ロシア教会の聖列に加えられ、聖王の称号を贈られました。こうして現在まで、ロシア民族の英雄という名声は揺ぎ無いものとなっています。

因みにアレクサンドルの末子・ダニールがモスクワ大公になるんですが、後にモスクワがノヴゴロドを征服・併呑しロシア史の中心になっています。皮肉なモンですね。
(´_ゝ`)