そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

さあ召し上がれ!

2008-11-26 23:17:43 | 会社
結婚式に出席して、帰りのダイヤの関係上、お土産を買う暇もなく新幹線に飛び乗ってしまいました。

しかし、男の一人暮らしでは食べきれない大きさのチーズケーキを引き出物に頂きましたので、それを会社にもって行くことにしました。

・・・で、会社で箱を開けてビックリ!
Σ(゜Д゜;≡;゜д゜) <

間違えて食器セットを持ってきた!!!
そう、もう一つ頂いた引き出物の箱と間違えたのだ。

( ゜Д゜)・・・

・・・とりあえずコッソリ箱を閉じて、世の中に遠慮しながら会社から帰ってきました。

「子供の哲学」の残酷さ

2008-11-26 00:26:16 | 雑感
誰も疑問に思わないことを「不思議だ!」と騒ぎ立てるのが子供の哲学であり、それは時に、自分の考えに対して違和感を感じることを素直に指摘してしまうことだと思います。

二つ前の記事で、ワタシはヒネクレた感想を書きました。

自分の感じたことに、文字通り「殉ずる」選択しかできないのが子供なんだと思います。

例えば「人を暴行するのは悪か?」ということに疑問を持つのが子供であり、それを口にせずにいられないのが子供だと思います。そんなことを言う人間に対し、世間は「親の顔が見てみたい」なんて侮辱の言葉をかけますけど、ワタシはワタシの愛する両親を害する人間を、ぶん殴ってでも、殺してでも、止めるつもりでいます。

全く逆の例として、例えば自分の属する組織が(ワタシの道徳に沿っての)悪事を働いていた場合、ワタシは告発すると思います。それによって自分の親友が路頭に迷い、親を養う金がなくなり、愛する人が首を吊るような事態になっても。ワタシが「愛するものを害する人間」に変容してしまっても。

「裸の王様はどう見たって裸じゃないか!」

そのセリフは、間違いなくテロリズムなんです。

子供の抱く思想というのは、ある面で非常に危険なんだと思います。子供のリアリズムは大人のロマンチシズムと比較すれば、はるかに危険。

そう思えばこそ、ワタシのことを信用してくださる方をこそ、その方を守るためにワタシのそばに近づけてはいけない。と思ったりするわけです。


・・・酔っ払いながらこの記事を書いてるんですけど、ワタシは二つ前の記事で罰当たりなことを書いた、その弁明をしてるだけなんでしょうか?そうだとすれば、ワタシは既に擦り切れた「大人」でしかないんですよね。

クソガキ

2008-11-23 22:54:51 | 雑感
大学時代にお世話になった先輩の結婚式に出席いたしました。
゜+。:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+゜オメデトウゴザイマス

・・・別に先輩の結婚式だけではないんですけど、式場を歩いていて「神前挙式場」を見つけると
「唯一絶対の神様も丸くなったモンだなぁ」
とか、
・牧師さん(←神父さんかも。「賛美歌」というとプロテスタントのイメージがあります。が、牧師/神父さんの格好やセリフから、カトリックかプロテスタントかを判断できない時点でアウトだな・・・)がガイジンさんで、適度に英語を交えながら喋ること
・賛美歌の歌詞がワザワザ古文調であること
・賛美歌に神々しい旋律が当ててあること
は形式でもって神性を演出する舞台装置であって、イエスの説いた実存哲学とは本来無関係だな、とは思いつつも、日本人はこういう形式に「弱い」よなぁ・・・
とか。

(今回はメインキャンドルに点火されたときの炎の色がリチウムの炎色反応だなぁ・・・というのとかもありました)
(´_ゝ`)

基本的にワタシは罰当たりであり、不道徳です。こんな人間を結婚式に呼んでも甲斐がありませんよ。
( ´゜д゜)ノシ(´゜д゜`)ヾ(゜д゜`)

とは言っても、ワタシは上で述べたようなことを思わずにはいられませんでした。

青年の哲学は、人生をより良いものにするためのモノだと言います。
壮年の哲学は、世界をより高みへ引き上げるためのモノだと言います。
老人の哲学は、死をより意味深いものにするためのモノだと言います。

では「子供の哲学」とは何か?それは、森羅万象が、こんなふうにできていることへの疑問でしょう。

そしてそれは、いわゆる「大人」が理解していないのに、黙って受け入れている種類の疑問であることがしばしば見受けられます。なぜならば、その疑問を持ったとしても、その問いが解けたとしても、世の中の役に立たない種類の疑問である場合がほとんどだから。教会式と神前式が並列することに疑問を持っても、
「でもそんなのかんけーねー」
で終わってしまうんですよね。


新郎と新婦が青年の哲学に一つの答を出したその目の前で、子供であるワタシは子供の哲学に一人耽っていたわけです。

子供の特徴として、行動の原理が道徳的善悪ではなく、自分にとっての快/不快という次元で決定される、というのもあります。


・・
・・・

式の最後で先輩(新郎)が答辞を述べる際、感極まって泣いていました。ワタシはそれを見て
「ガラじゃないなぁ・・・」
と思いました。

そんな時、椅子から降りて遊んでいた子供が視界に入りました。

生産にむけて

2008-11-19 23:31:57 | 会社
ワタシがラボスケールで設計して検討して来たモノが、いよいよ生産機で試作する段階になりました。

生産機で実験やると、簡単に100万円単位でお金がかかるんで、なかなかやらせてもらえないんですが、地道に実験して、大掛かりな実験やらせてもらって、実際にモノができると感動もヒトシオです。
゜+。:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+゜

もちろん製品化するということは大量生産するということであり、安定して製品を生産できるかとか、不良品率を減らす工夫をするとか、越えなければならないハードルは両手指で収まらないくらいあるんですが、ワタシのやったことが製品として世の中に出る機会ですので、気合入れて働きます。

賤ヶ岳七本槍と柴田勝政

2008-11-16 15:15:08 | 歴史
前回の続きです。

北国脇往還を疾駆して木之本へ帰った羽柴秀吉は、木之本に残っていた弟の秀長と午後九時頃に合流。ただちに戦況の把握に努めます。

佐久間盛政の兵が依然として岩崎山から賤ヶ岳にかけて突出していることを知った秀吉は、この段階で明早朝の攻撃を決定します。敢えて隙を見せ、敵の防御体制を崩す作戦の総仕上げです。北東の柴田勝家、中央の前田利家、南東に突出した佐久間盛政を全面的に襲撃し、一気に雌雄を決する!

ところが、この計画は程なくして重大な変更を迫られます。四月二十一日の午前零時頃、佐久間盛政は弟の柴田勝政に援護を命令し、前日の未明に浸透して来た道をそのまま引き返し始めたのです。

このとき秀吉が掌握していた兵のほとんどは「大返し」で疲労困憊し、まともに戦えない状況でした。が、それでも秀吉は追撃を命令。盛政支隊にはさしたる損害を与えられませんでしたが、奪われていた第二線陣地を完全に回復しました。それはすなわち、賤ヶ岳付近に残って後衛戦闘に務めていた勝政の手勢が孤立することを意味します。

秀吉はこの好機を、徹底的に政治的に利用しようとします。もう戦の趨勢は決したと思い込んだ秀吉は、戦場においてさえ、戦術的確実さではなく政略的な視点で軍を動かします。各地の大名達を服従させてきた秀吉でしたが、自分の脇を固める側近に名の売れた将がいない。そのため秀吉は自ら賤ヶ岳に乗り込み、側近達に手柄を独占させようとしたのです。

福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、平野長泰、糟屋武則、片桐且元。この七人が後に「賤ヶ岳七本槍」と喧伝されますが、実際には石川兵助、桜井佐吉も同じように表彰されています。語呂合わせのために約二名が闇に葬られた、というところでしょうか・・・。
(´・ω・`)

しかし実際には、賤ヶ岳七本槍の猛攻に崩れることなく、勝政は整然と撤退することに成功しました。賤ヶ岳七本槍の「活躍」は、秀吉の政治目的の過大評価です。

勝政の予想外の善戦によって、柴田勢の右翼は大過なく撤退を完了しようとしていました。羽柴勢の攻撃は勢いを失い、柴田勢は秀吉の罠をくぐり抜けようとしていました。それどころか、佐久間盛政隊の殲滅を前提条件に攻勢に出た羽柴勢は、逆に算を乱しているところを突き崩され、秀吉の掌中にあった勝利をもぎ取りかねない状況にまで追い込まれてしまいます。

チョーヤバくない?

2008-11-12 20:57:23 | 雑感
枕草子とか読んでまして、
「いとをかし」
っていうフレーズ、そっくりそのまま
「チョーヤバくない?」
に置換可能ですよね!

何気に、千年前から言ってることは同じなんですね。

コレ、チョーヤバくない?

田母神論文と産経新聞のコンボ

2008-11-11 22:58:27 | 雑感
田母神論文を読みました。

かなりファンタジックな論文ですね。
∩(´∀`)∩ワァイ♪

論文の形式が非常に稚拙で、引用のつけ方がいいかげんだったり章立てされてなかったり、とハード面からして最優秀賞を受賞するに相応しくない。これが「最優秀」なんだったら、ほかの論文はどれほどクズの寄せ集めだったんだろう、とヘンな不安を抱いてしまいます。
(A´д`;)

内容面でも
「蒋介石の陰謀で日本は戦争に引きずり込まれた」
って、そんなに軍の指導部はアホだったのか?・・・いや、アホなのは間違いないですけど、これが本当だったら、日本人のオツムの無さを喧伝して自らを貶める結果になりますよねぇ。
(´・ω・`)

「日本のやったことが侵略だとすると、西洋各国も侵略になるじゃないか」
それは正しい。だからといって
「日本は悪いことをしていない」
いや、「侵略だとか植民地主義は悪だ」、というのが20世紀後半の世界中の善悪観なの知らないんですか?
┐('~`;)┌


さて、こんな田母神論文に対して新聞各社が社説でいろいろ言っています。そんななかで、わりと(?)右よりな論調で知られる産経新聞が擁護する論旨の社説を掲載し、2ちゃんねるで晒しものにされています。

【主張】空自トップ更迭 歴史観封じてはならない コラむ-オピニオンニュース:イザ!


そのために個人の自由な歴史観まで抹殺するのであれば、「言論封じ」として、将来に禍根を残すことになる。

言論統制って、高級官僚が政府見解に盾突いたのは公務員として不適切な行動と言わざるを得ず、十分に更迭の理由に値すると思うんですが?


明治天皇が軍人に下賜した「軍人勅諭」には
「(軍人は)政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り」
とあります。「拘わらず」は「関与せず」という意味でしょう。

それを「時の政治が何を言っていようと気にせず」と勝手な解釈を与えたのが、無謀な戦争へ日本を指導していった軍人達でした。

小室

2008-11-06 23:04:23 | 雑感
ワタシが中学生時代に大流行りした小室サウンド。でも当時のワタシは小室哲哉の作った歌はどれも同じに聴こえて全く識別できなかったため、一欠けらも興味がありませんでした。

そんなわけで、今回の逮捕に関して何の感慨もないんですけど、後輩がこんなことを言って爆笑してしまいました。

「人生ゲームとかいたストみたいな人生ですよね」

'`,、('∀`) '`,、

よ!大統領!

2008-11-05 23:04:07 | 雑感
前にオバマさんに対する記事書きましたけど、本当に当選しちゃいましたね。

まぁ、アフガンやイラクで5000人近い兵士を失い、1兆ドルの戦費を失い、規制緩和のためにサブプライムローンと言う奇形児を産みをとしたブッシュ政権への批判票が集まった面も否定できません。期待が高いだけに、これからが、これからこそが、腕の見せ所でしょう。

ワタシは基本的にアメリカが嫌いなんですが、それでも今回はスゴイと思いましたね。本当に何の背景も持たないマイノリティーに大統領を任せられる国なんですから。

過去の「強いアメリカ」を取り戻すために、大統領の息子を大統領にした。それがダメだとわかったら「新しいアメリカ」を目指すために、新しくアメリカに参画し始めた層から大統領を選出した。

「『お前達には絶対にできない』と言われたことをやるのがアメリカ」。
そういうイメージがありましたが、まさしくそれを証明しましたね。


The heartache and the hope, the struggle and the progress. The times we were told that we can't, and the people who pressed on with that American creed: Yes, we can.


America, we have come so far. We have seen so much. But there is so much more to do. So tonight, let us ask ourselves, if our children should live to see the next century, if my daughters should be so lucky to live as long as Ann Nixon Cooper(←106歳のおばあちゃんです), what change will they see? What progress will we have made?

真・三國無双5 Specialをプレイしてみて その2

2008-11-03 22:36:00 | ゲーム
典韋弱すぎ。と言うか、何でこんな端役に無双モードを用意したのか理解に苦しむ。

落石弱すぎ。曹操や司馬懿が哀れ。その一方、斉射と火計強いっす。敵が使っても強い。

一閃のない武器でいくら殴ってもダメージ与えられないのは仕様です。

処理落ちがヒドイ。がらんとした拠点内で、突如として出現する敵兵。いつのまにやらすれ違っている敵武将。

無双モードがある武将はたいがい強い。典韋と太史慈以外は強い。孫尚香のロングレンジヒットはもはや暗殺と呼べるクラス。

姜維と龐徳、大喬は「事典」からも削除。完全に「なかったこと」にされてしまってます。諸葛亮に見捨てられた姜維、潼関にも樊城にもいない龐徳。夫婦ともども扱いが悪くなった孫策・大喬。

全体的に難易度が上がって、やり応えがでてきましたね。もう少しやり込んでみたいと思います。

大垣大返し

2008-11-02 23:15:00 | 歴史
前回の続きです。

柴田勢の攻撃による幾つかの砦の陥落と、中川清秀の戦死という凶報は、その日の正午には大垣にいた秀吉の耳に入っていました。それでも秀吉の自信は揺らいでいなかったようです。

柴田勢が弱点の第二線陣地を攻撃しても、第一線陣地を突破しなければ意味がありません。当然勝家は攻略しようとするでしょうが、そう簡単に第一線は崩せずに手間取るはず。その間に秀吉と直属部隊が戦場に急行し、柴田勢が砦に逃げ込む前に捕捉できれば、現地に残した部隊とともに挟撃、一気に壊滅を狙うことも可能です。秀吉とその将兵達は、大垣から賤ヶ岳までの道をひた走りました。

さて、秀吉が5日前に大垣まで率いてきた直属部隊の兵数は約15,000で、総司令官の号令ですぐに右から左へ移動できる人数ではありません。学生時代、高々数百人の生徒が体育館に集合するだけでケッコウてんやわんやしませんでしたか?その数十倍の人間が50 kmの距離を移動するのは滅茶苦茶なことなんですよ。

通説になっている午後4時から9時までの5時間では、大垣から賤ヶ岳まで帰るなんて無理なんですよ。2時に出発して12時に到着したとしても、時速5 km。通説のようなクレイジーな速度を想定しなくても、十分に特筆すべき進軍速度なんですよ。

とは言うものの、歩兵主体の軍隊としては驚異的な行軍速度は、ある意味で発揮されるべくして発揮されたものでした。秀吉は大垣-賤ヶ岳の内戦作戦を前提として、予め二地点を結ぶ後方絡線上に糧秣や武器弾薬、替え馬といった大量の物資が用意されていました。

中国大返しと同じで、成功の秘訣は兵站線を逆走したことにありました。備中高松から京都までの中国道は、織田信長や明智光秀などの後続部隊を迎え入れるため、大量の物資が集積されていました。「大垣大返し」もこれとまったく同じ理屈。

唯一の違いは、中国筋では偶然であったことを、秀吉は北国往還で周到に準備し、意図的にそんな状況を準備していた、ということです。