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排中律の拒否

2008-07-21 23:44:34 | 雑感
前回、直観主義という立場を紹介しましたが、今回はその副作用と、直観主義に対する数学界の反応を紹介します。

直観主義はラッセルのパラドックスを回避するため、「無限集合」などという、有限である人間が構成しきれない集合を集合として認めないこととしました。

有限の手順で構成できないもの、証明できないこと、そんなものは真でも偽でもない!

例えば、宇宙人がいるかいないか、現時点でいるともいないとも証明されていないから、宇宙人はいるともいないとも言えない。
円周率πは、整数から四則演算と冪根をとる有限回の操作では正確な値を求めることができない。よってπは数ではない。ワレワレは円周率の無限小数の中に0が100個続く部分があるかどうかすら分からない。

「おいおい、今の人間は宇宙人の存在・非存在を証明できていないけど、将来証明される日が来るんじゃないか?それと、神様なら宇宙人がいるかいないか、円周率の中に0が100個続く部分があるかどうか、知ってるんじゃないか?」

直観主義では、「ある時点での知識状態での証明可能性」を論じるものであって、将来に証明できることと、現在証明できないことは別のものとして扱います。
そして「神なら存在の有無を知っている」可能性を認めた上で、「ワレワレは神と交信する手段を知らない」という風に答えます。

こうして直観主義は、肯定も否定もできない命題の存在を認め、排中律
A∨¬A
を拒否しました。

そして排中律の拒否と同時に二重否定除去則
¬¬A⊃A
平たく言うと一部の背理法すら拒否します。Aを証明するには実際にはAを構成してみせなければ意味がない。宝の地図だけでは宝物の存在を証明したことにはならないのです。


これは強烈です。背理法の拒否には世界中の数学者達が鼻白みます。背理法という便利なツールが使えなくなるのか?

ブラウアーの唱えた独特の禁欲的論理・直観主義に先頭を切って反対したのが、その当時の数学界の巨頭・ヒルベルトでした。

ヒルベルトはこう言っています。
「数学者から背理法を奪うことは、天文学者から望遠鏡を、ボクサーから拳を奪うようなものだ」(「数学の基礎」, 1927)

そしてラッセルのパラドックスを乗り越え、かつ排中律をも認められるような数学を打ち立てるべく、全世界の数学者に協力を呼びかけます。これが全世界の数学者を巻き込んだ一大ムーブメント、「ヒルベルトプログラム」です。

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