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心と言葉 その4:実無限と可能無限

2008-01-16 21:58:30 | 雑感
心と言葉を考えるシリーズ。今回は「無限」というもののとらえ方について。

前回

1:A君がB君に追いつくことと、自然数を数え終わることは本当に意味的に等しいのか?
2:自然数を数え終わることは本当に不可能なのか?

という考え方の道筋の例を示しました。今回は具体的な解決の方策の例を示します。

まず2の考え方ですが、自然数の遥か彼方に「無限」は確かに存在すると考えます。これまで運動を無限回の足し算に置き換えて議論してきましたが、この考え方では無限回の足し算の遥か彼方に確かに1という数字が存在する、と言い切っちゃうわけです。無限回の足し算は、人間には不可能ですが、「神様」なら可能なんじゃない?と考えるわけです。

この「無限」に対する考え方を「実無限」と呼びます。

当然、説得力を「神様」とやらに求めているあたり、スンナリと受け入れられない気がします。

一方、1の考え方とは、競走をビデオにとってコマ送りしながら「今A君は最初にB君のいた地点に到達して、B君はその間に少し前に進んで、A君が再びB君のいた地点に到達して、やっぱりB君はその間に少し進んでいて、A君は・・・」と無限回の運動の「解説」をすることはできる、というものです。

「無限回の解説?やりたきゃ死ぬまでやってろ!」
(^A^)オー ヨチヨチ ヨカタネー
とA君が捨てゼリフをはいてB君に追いつき、追い越していく、と考えます。ビデオの解説と実際の競走は別物。解説が無限回できることは、A君がB君に追いつけない理由にはならないでしょ?

この「無限」に対する考え方を「可能無限」と呼びます。

一見すると見事な発想の転換で矛盾を切り抜けたようではありますが、この考え方ではいろいろ困ることが出てきてしまいます。例えば円周率・πなどの無理数が数字ではなくなってしまうのです。

どういうことかと言うと、πは「無限小数」であり、3.14・・・と「無限」の小数が続いていきます。実無限の立場なら、「人間は有限桁までしか正確な値を把握しえないけど、神様なら完全に正確な小数の列を知ってるんじゃね?」と言うんですが、可能無限の立場なら「人間の努力によってπの値をどこまででも正確にしていけるけど、それは有限の範囲に収まっちゃうから、本当の円周率とは微妙に違うよね」ということでπをはじめとした無限小数は、実は数ではない、と。

以上紹介した2つの「無限」に関する考え方をまとめますと、

実無限
A君は無限回の作業をやり遂げることでB君に追いついた。つまり小さな運動の無限の積み重ねで追いついた。
数学の言葉で言うと、無限個の点のがまず最初にあり、それを寄せ集めると線になる。
可能無限なんて本当の無限じゃない!

可能無限
A君はB君に追いついた。それに無限回の解説をつけることは可能。もちろん追いついくために解説など必要ない。
数学の言葉で言うと、線がまず最初にあり、それをいくらでも細かく分割できる。
実無限なんてただの妄想に過ぎない!

ニワトリが先か?タマゴが先か?平たく言うとそんな感じでしょうか。

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