そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

表現

2007-10-31 21:23:14 | 雑感
外に向かって伝えたい思いや感情というボールを持つ。

それをストレートで投げると「表出」、カーブやフォークボールなどの変化球を投げ、その軌跡を「表現」と呼ぶのでしょうね。

廃人?

2007-10-30 02:53:04 | 会社
ワタシの心の中の押し問答。

「昼ごはんが社食のカレー300円、晩御飯が自販機のカップラーメン150円。ワタシの1日の食費は500円未満か!?」

「いやいや、朝ごはんは100円の食パン1/3斤と100円の牛乳1/3パックほど。合計517円だ。何とか最終防衛線だけは守りきった!」

こんなことを夜1時過ぎの会社で考えている自分に気が付く。


先日大学の研究室の後輩から
「日付が変わっても研究頑張ってます」
というメールをもらいました。

大丈夫。社会人になっても立派な廃人ライフを満喫できますYO☆

「姫」から「鬼」へ

2007-10-28 22:01:12 | 歴史
忙しくて資料に当たる時間がなく、隔週更新になってきた歴史のカテゴリー。もっと勉強の時間を作りたいです。歴史の。
・・・課長、ダメですかね?
( ´゜д゜)ノシ(´゜д゜`)ヾ(゜д゜`)

今回はいよいよ長宗我部元親のお話。

父・長宗我部国親と本山茂宗の争いが激化の一途をたどる永禄3(1560)年5月、長宗我部元親は当時としては非常に遅い22歳でようやく初陣をかざります。元々虚弱で、初陣となる出陣の前にも家臣から槍の使い方を教わっていたんだとか。

しかし、いざ戦いが始まると兵士と一緒に本山軍に突撃。勇猛果敢な戦いぶりを示し、長宗我部軍が勝利。こうして「姫若子」と呼ばれバカにされていた元親は以降「鬼若子」と恐れられるようになります。これが長浜の戦い。

余勢を駆って浦戸城の攻撃を仕掛けていた長宗我部軍でしたが、攻囲中に国親が病死。国親の土佐統一事業を受け継ぐこととなります。

国親のバックアップをしていた土佐中村の一条氏と共同し、国親の遺した布石、吉良家と香宗我部家ののっとりも上首尾にまとめ、勢力を拡大。永禄11(1568)年に宿敵の本山氏、永禄12年(1569年)には東土佐の安芸氏を滅ぼします。

ここまできて問題になったのが、一条氏。
「父親の後見をしてくれた一条氏を滅ぼさないと土佐の統一はできない。でも父親の後見をしてくれた一条家を滅ぼしたらバチがあたらないかなぁ・・・」
と心配する元親を、弟の親貞は
「バチなんか俺が全部引っかぶるから気にせず攻めろ!」
と言った、なんてエピソードもあります。

そのバチが本当に当たったのか、親貞は36歳と早死にするオチがついてくるわけなんですが・・・。

で、元亀2(1571)年には一条氏の家臣・津野氏を滅ぼして三男の親忠を養子として送り込みます。んで、天正2(1574)年には一条家当主・兼定を追放して土佐をほぼ統一することに成功しました。

しかしそんな元親に試練が訪れます。追放された一条兼定が妻の実家である豊後の大名・大友宗麟のバックアップを受けて土佐に再度侵攻してきます。そこからはまた次回のお話ということで。

ちょwww3匹wwww

2007-10-28 09:54:04 | 雑感
今話題の「ねこ鍋」



大学院1年の時、先輩から
「『萌える』とは『布団の上でゴロンゴロンしたくなる感情』です」
と教わりました。


こ、この感覚か・・・!!!
キタ━━━( ´∀`)・ω・) ゜Д゜)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)-_-)=゜ω゜)ノ━━━!!!!

政治力

2007-10-27 23:46:21 | 雑感
「政治」という言葉を定義するとしたら「『関係性の力学』を把握し、地位と金、権力の配分によってそれを支配すること」とでもなるでしょうか。

この手の能力に長けた人間はえてして嫌われてしまいますが、なぜ嫌われるかは下記の要素があるからでしょう。

1. 敵にすると恐ろしい 
2. 他人の心をもてあそぶ側面がある
3. 地位や金を配分する際に、自己権力の伸張のために、自身に厚くそれをプールすることがある

なんかワルそうですけれど、これが下手だと適材適所でなかったり、税制にバランスがとれてなかったり、他人に力を分け与えすぎて肝心なときにリーダーシップがとれなかったりしてしまいます。足利尊氏など良い例でしょう。

政治は「悪どい」と「上手い」が紙一重なのですよね。

亀田一家と武士道

2007-10-26 22:20:43 | 雑感
日本には「武士道」という戦士の規範があり、「忠義」と「名こそ惜しけれ」がその二本柱でした。後者の「名こそ惜しけれ」は、「勝利より大事なものがある、それは『名誉』」、という価値観なわけです。亀田一家には武士道が感じられませんね。

なお「騎士道」にも同様の「フェアプレー」という価値観がありました。これは現在の西欧スポーツマンシップにも引き継がれていますね。
ちなみに西洋人同士の戦争には「ボーガン」は使われなかったそうです。残酷すぎてフェアプレーにもとる、というのがその理由で、教皇が禁止令を出してます。ただ異教徒にはガンガン使えってことだったそうです。なんだかなぁ

日本だけじゃなく、言動の美しくない戦士は尊敬されなかったということです。たとえ強くても。

金や命、勝利や身内といったことは大事ですけれど、それ以上に大事なものがこの世にある、ということを知らないと人はダメだと思うのです。

ガクガクブルブル

2007-10-25 23:21:32 | 雑感
Wikipediaにてブラウン運動にまつわる誤解という記事を見つけました。
( ゜Д゜)ホントに何でもあるな

どういう話か簡単に説明しますと、「ブラウンは花粉から出た微粒子が不規則に揺れ動いていることを発見した」というのが事実なんですが、「ブラウンは花粉そのものが動いているのを発見した」と誤解されているケースがしばしば見られるというもの。

実際に花粉を顕微鏡で観察しても、少なくとも普通の顕微鏡では花粉の振動を観察できません。実際に実験すれば簡単にわかることなんですけれども、先人達が実際に確かめる努力を怠り、過去の文献を鵜呑みにして思い込んでしまった結果、教科書にまでウソがはびこる事態になったそうです。

その記事によると、朝永振一郎や湯川秀樹、そして土星型原子モデルを提唱した長岡半太郎までも思い誤っていたそうです。

長岡半太郎って、ワタシの出身校の初代総長。今までの常識や権威を疑う態度に欠けていると、とんでもなく間違った方向へ進んでしまう、ということを総長自らが体を張って教えてくださったんですね・・・。

これでなくては

2007-10-24 23:45:53 | 雑感
会社から帰ってビールを飲む。

ワタシは「お酒」ではなくビールが飲みたい。そう、ビールでなくてはダメなんです。

もうすぐ日付が変わるなぁ・・・
(´・ω・`)

「言葉は神」と思ったキッカケ

2007-10-22 23:09:03 | 雑感
一つ前の記事で「言葉は神」という、何ともしかつめらしい記事を書きました。

そのキッカケとなったのがこのページ


・・
・・・

オタク文化において、アニメ・漫画・ゲーム等様々な媒体における、対象への好意・傾倒・執着・興奮等のある種の感情を表す言葉。

この言葉の出現のために、ワタシを含めた「オタク」と呼ばれる人達の雰囲気を上手に表現できるようになりました。ある人にはアイデンティティーとなり、ある人にはビジネスチャンスとなり、ある人には表現の方向性となり、またある人には侮蔑や弾圧の対象となりました。

言葉は多面的な世界ののぞき窓であると同時に、言葉そのものの多面性に様々な世界が映り込む。この部分と全体とが渾然一体となる世界観は仏教のものに通じますね。

ここで再び「言葉は神」というキリスト教の考えを思い出す。洋の東西を問わず、言葉は「神」であり続けているわけですね。

萌えという言葉でそんなことを考えましたよ。
(´σー`)ホジホジ


とりあえず、日常生活に潜む奥深い言語学の世界を垣間見せてくださったWikipediaの編者さんに拍手

言葉は神

2007-10-21 16:08:42 | 雑感
初めに言葉ありき、 言葉は神と共にありき。

ヨハネの福音書冒頭に書かれた、世の中の数少ない真理の一つだと思います。

思想・哲学の世界で、「言語は思考に対して制限を与えうるか?」という問題があります。言葉を知らないチンパンジーや赤ちゃんだって適切な判断をしますし、失語症になったからといって考える能力がなくなるわけではありません。しかし、「犬」という単語を知らない人は、おそらくセントバーナードとチワワを見たとき、別の種類の生き物と考えるでしょう。(似ても似つかないと思うのはワタシだけではないと思うんですが。)

どうも、ワレワレは言葉を推論や抽象化など複雑な思考をする際のツールとして使用していることは間違いないようです。その意味で、(思考のツールとしての)言葉を一つ覚えるということは、多面的な世界を一つのものの見方から整理する、という意味に考えることもできるでしょう。

ダウンタウンの松ちゃんは「サムイ」とか「逆ギレ」とか「イジリ」という言葉を生み出しました。この言葉達によって、「今まで存在していたけどそれを表現する単語がなかったために無いことになっていた」状態に名前が与えられることになり、これらの言葉は市民権を得ました。

言葉という名の概念を産み出す者は、その影響力からして神にも近い。なにせ、言葉はものの見方であるが故に、同じ対象であっても善の色・悪の色を鮮明に塗り替えることすらありますから。

「イジメではなくイジリだよ」
「リンチではなくかわいがり」
「売春じゃなくてエンコー」

善悪の判断基準を聖書に求めてきたキリスト教において、新約聖書の中で「言葉は神」と記されているあたり、非常に興味深い。

正義、恐怖、そして

2007-10-20 23:57:39 | 雑感
「法律」というものを深く考える機会がありました。

法律が存在する意味とは、平たく言えば正義を体現するために制定されたもの。それなのに、正義は人間の数だけ存在し、法律を司る裁判官は必ず意見を一致させるとは限らないと言う。

同時に、以前スパルタという都市国家の記事を書いたことも思い出しました。

その中でワタシは、戦争とは自分が負けると思い込んだ瞬間から、「自己防衛」という自己正当化のために始まる、という文章を書きました。

別言すれば、人間の数だけ恐怖の形態が存在し、それが故戦争が始まる。

人間の感情とはそれほど曖昧なものであり、完全な一致をすることはない。悲しいけれど。

それでも一つだけ、たった一つだけ、その人と、別の人とが完全に、文字通り完全に一致するものこそが「愛情」と呼ばれるものなんでしょうね。

檸檬爆弾

2007-10-18 00:28:03 | 雑感
ミカンを食べていると、ふと高校生の頃に読んだ短編小説を思い出しました。

その小説は、梶井基次郎の「檸檬」。シトラスつながり。

あらすじを書きますと・・・

うつ病の人間が八百屋でレモンを買ってテンションが高くなり、本屋で適当に積み上げた本の上にレモンを乗っけて立ち去る。「あのレモンが大爆発したら面白いだろうなぁ・・・」

檸檬 (青空文庫)


・・
・・・

10年ほど昔に読んで、その時はあまり意味もわからず読み過ごした文章をふと思い出し、急に魅力的な文章であることに気付き、読んだときから10年ほど経った現在になって生き生きと感動しました。

ワタシが今感じたことが80年以上前に表現されていて、10年前のワタシがそれを読んで、未来の自分が感動する部分には気付きもしませんでした。

80年以上前にプログラミングされ、10年ぐらい前にワタシの中ににセットされ、今日爆発した「檸檬爆弾」。この「檸檬」という短編自体が「檸檬爆弾」そのものでした。


・・・梶井基次郎は、自分の表現がこれほどまでに不滅であるということを知っていたんでしょうか?

蜜柑

2007-10-16 22:55:08 | 雑感
スーパーでミカンが売っていたので、ふと買ってみました。



まださすがに青い。

ですが仕事帰りの疲れた体には、ヒンヤリとした感触や、口の中に入れたときの清涼感はたいへん癒しになります。



・・・オチが考え付きませんでした。疲れてるんですネ☆

焼チキン

2007-10-14 21:30:07 | 雑感
日清食品から「焼チキン」という商品が発売されています。チキンラーメンの焼きそば。

スクランブルエッグ(ごま油推奨)を作ったうえで、この「焼チキン」を「日清焼きそば」の要領で作る、いたって簡単なもの。(普通にお湯から戻すだけでも食べられますが、卵と炒めたほうが吉。)

これ、けっこうビールに合います

この焼そばを食べながら発泡酒を飲み、大河ドラマを見るのが今の幸せ。

・・・なんだか人生の黄昏を感じるセリフですけど。

あ、もうちょっとお年を召された方は、もう少し、いや、だいぶマシなお酒の飲み方してますよね・・・。チキンラーメンと発泡酒なんて侘しすぎるか

それでも、幸せを感じるのだから仕方がない。他人から何と言われようがワタシは幸せなのです。他人からどれほど哀れに思われようが、ワタシは幸せなのです。

ま、理解してもらえませんわな。