そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

上を向いたら

2010-03-30 23:54:08 | 雑感
4月直前と言うことで、会社で異動される方がこんなコメントをしていました。

「今日は寒くてうつむいて歩いていましたが、ふと上を向いてみると虹が見えました。」

(・e・)ホウ

帰り道に顔を顔を上げて帰ってみました。

目に入った看板には
死の道命の道がある」

なにこれこわい
(( ;゜д゜))ヒイィ

絶句

2010-03-29 00:00:01 | 雑感


↑貼り付けた画像の下の方。

「BS-i 池田大作  BS-iはBS6チャンネル。池田大作。」

何だコレ?本気なんだろうか?一気に血の気が引きました。一気に酔いが醒めました。

自分で何を言っているのかわからなくなっていますが、「非実在青少年」対策だったりして。

箱根戦線

2010-03-28 18:32:44 | 歴史
「小田原の役」シリーズ第7回。前回の続きです。

3月29日、豊臣軍が、箱根峠の西側を封鎖する山中城へ攻撃を開始しました。

北条流築城術の粋を結集した山中城は、守備兵力の3倍から5倍の攻撃に耐え得ると見積もられていましたが、守備兵5千に対して攻撃側は3万5千!6万石の大名だった一柳直末を戦死させる激しい抵抗をしたものの、結局戦闘開始から半日で落城してしまいました。

同日徳川家康が、海抜800メートルと、キチンとしたお城の中で日本一高いところに築かれた鷹之巣城を攻略。4月2日には足柄城も陥落し、北条家の西方防壁と防御戦略はいとも簡単に崩されてしまいました。

一応、伊豆の入り口にあたる韮山城は、山中城と同じ5千対3万5千の兵力差にもかかわらず、小田原戦役が終わるまで持ちこたえます。これは城主が恭順派の北条氏規だったこと、秀吉が「伊豆半島を封鎖できれば十分」と考えていたことから、力攻めされなかったためです。

韮山で陸上封鎖され、伊豆半島に孤立した北条家の海軍拠点である下田城は、わずか6百の兵力で1万5千の豊臣水軍を牽制する善戦をみせましたが、結局相模湾の制海権を維持するだけの活動をする余裕はなく、小田原は海陸の四方から13万の兵力によって包囲されてしまいました。

小田原に待機させてあった5万の予備兵力は、こうして5万のカカシとなり下がり、最後まで運用されることはありませんでした。

「数学ガール」読了

2010-03-26 23:33:28 | 雑感
初音ミクをブログの先頭に上げておくと人格が疑われるので、読書感想文。「数学ガール」シリーズです。

え、一緒?

さて、アキバ系数学の啓蒙書にして「理系最強の萌え」を標榜するこの「数学ガール」、非常によくできています。特に2冊目の「フェルマーの最終定理」および3冊目の「ゲーデルの不完全性定理」は、関係のなさそうでかつライトな数学パズルから、数学の最前線の問題までつなげていく構成力は見事ですね。

1冊目はウェブ上で散発的に発表していた記事をまとめたものなので、全体の統一感や、2冊目以降との整合性が欠ける部分がありますが、そこは大目に見るとしましょう。

個人的な話ですが、畳み込みとか抽象代数とか、大雑把にしか理解していなかった部分をわかりやすく解説してもらえ、ためになりました。

ただし、他愛もないラブストーリーは完全に無用、不要、余計、邪魔、無駄。同じ意味の言葉が5つ。素数だ。

無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄 WRYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄
「無駄」が109。ヤッダー バァアァァァァアアアアア

燃えるゴミは月・水・金

話を本題に戻しますが、
( ´゜д゜)ノシ(´゜д゜`)ヾ(゜д゜`)
作者の結城浩さんはプログラマということで、わりと「そっち側」に偏ってますね。整数論とか群論とか数理論理学とかももちろん面白いんですが、20世紀の数学で最も盛んだったトポロジーの話がないのは、プログラマーのための数学と分野が離れていて詳しくないから?

本人の日記によると、現在新しい本の執筆中で、文面からすると数学ガールの続編。タイトルが「ポアンカレ予想」だったりすると面白いなあ、と。

もはやフォローできなくなっている古典

2010-03-24 23:01:10 | 雑感
表現の世界はしばしば古典を知らないと理解できないことがあります。

「天の原 ふりさけみれば 春日なる・・・」とか「国境の長いトンネルを抜けると・・・」で原典がわからないと小説を読むのがツライですし、「坊ちゃんスタジアム」だとか、ヘタすると日常生活に支障をきたすものまであります。

ビートルズだとかモネだとかシェイクスピアを知らないとロックや近代美術、舞台芸術の深みを理解できない(と思います)し、スタン・ハンセンとか長嶋茂雄、マラドーナなんかは確実に知ってないとマズイ。

そんなのがインターネットを中心としたサブカルチャーにも広がっています。

「厨房」とか「池沼」とか、単純な言葉ならいいんですが、「ゆっくりしていってね!!!」とか「Nice boat」などは最早何がナンだか理解できません。

そんな中、ワタシが長年不思議に思っていた疑問が解決しました。



遠いよ!初音ミクと長ネギ!!

しかし、あのアニメに歌を乗っけようと思った人がスゴイ。こんなもん、マイケルソン・モーリーの(エーテル風測定)実験から、「普遍なのは時空じゃなくて光速度の方なんじゃない?」と言ったオッサンぐらい突飛な発想ですよ。

でも初期に初音ミクが歌ったのがスオミ語のスキャットという、歌詞が明確に聞き取れないものだったから流行したんじゃないですかね。やったことないですけど、VOCALOID(ボイスシンセサイザー)で自然に聴ける歌を作る「調教」と呼ばれる作業は、かなりの熟練を要する難しい作業だと聞きます。VOCALOID黎明期にピッタリだったのでは。

ついでなので元ネタも貼っておきます。





やっつっつぁっぱり りっぱりらんらん
て(っ)きたり りんらん てぃちたんどぅら
りぺたびだんら るっぱてぃるぴらん
これかん こっかや きりがんぐ
ぁらっつぁっつぁーや りびだびりんらば
りつたんでぃんらん でんらんど
わば りっぱった ぱりっぱりっ
ばりびりびりびりすって でんらんど
やば りんらん すてんらん でいあろー
わらば るぶるぶるぶるぶ どぅぃえぶー
わっでぃ(づ)だ りんらん すでんらん どばだか
だかだが どぅどぅ でいあどー

一点突破!

2010-03-23 21:55:30 | 歴史
「小田原の役」シリーズ第6回。前回の続きです。

箱根の天嶮に拠って豊臣軍主力を拘束し攻勢正面を限定させたうえで、支隊を領国奥深くまで引きずり込み、伸び切った軍を後方に待機させておいた主力をもって叩く。

以上のような防御戦略を採った北条に対し、秀吉は極端な戦力集中をもって応えました。

北条方の予想通り、豊臣軍の主力は東海道を進軍してきました。秀吉は北条方の見え透いた戦略に乗ったワケですが、10万人を超える兵力を運用するとなると、進軍経路は道幅の広さによって限定させられざるをえません。遠足に行くのとは当然事情は異なってきます。

しかしその数に北条方は卒倒することになりました。東海道の主力兵力はなんと17万!拠点防御と縦深防御を併用した北条軍はその結果兵力を分散させてしまったのに対し、秀吉は思い切った兵力配置を行いました。東海道方面でおよそ2対1、箱根に限定すれば8対1の兵力差がついてしまいました。

北条方の防御戦略の要である箱根の山岳城砦群を一撃で粉砕し、小田原の機動兵力を囲い込んで無力化してしまえば、関東平野は丸裸になる。意外性や華のない一点突破戦略ですが、堅牢無比で確実な作戦と言えるでしょう。

知らない間に

2010-03-22 23:01:07 | 雑感
1週間まるまる更新していなかったんですが、サボっていたんではなくて、

ブログの更新を運営側(goo)に止められた

と思い込んでいた

ためです。



一応言い訳しておきます。新規記事を作成するログイン画面に行けなかったからです。



一応言い訳しておきます。ログイン画面に行こうとすると、「キャンペーンは終了しました」という画面が出てきたんです。これを見たワタシは、「これからgooブログを編集するには金払わんとアカンのか?」と勘違いしたわけです。

「『ブログ終了のお知らせ』もなくこのブログも野ざらしにされていくのか」とか、「事前の通知も無くサービスを打ち切るのは約款に違反しないのか?いや、無料サービスなら法に抵触しないのか?」などいろいろ考えましたが、何のことはない、「アンケートに答えてくれ」というページだったわけです。

gooのブログサービスでは、無料のものと、アクセス解析や画像をまとめてアップロードする機能などを有料で使えるようになるもの(gooブログアドバンス)と、2段階ありまして、gooブログアドバンスの無料キャンペーンが実施されていました。

ワタシはそんなキャンペーンに参加した覚えなどなく、アンケートに答える義理もヘチマもないために勘違いしたわけですが、平たく言うと

「キサマが情報弱者だから気付くのが遅かっただけだろ」
m9(^Д^)プギャー



ちきしょう!

拠点防御と縦深防御の併用

2010-03-15 00:02:45 | 歴史
「小田原の役」シリーズ第5回。前回の続きです。

前回は北条氏邦の提案した出撃策をベースにワタシの考えを書きましたが、実際には北条家は籠城策を採りました。

この方針を主張したのは松田憲秀で、念頭にあったのはもちろん上杉、武田を撃退した過去の実績です。

もっとも、今回の籠城作戦は過去とは違い、拠点防御と縦深防御の併用策です。

前回も説明しましたとおり、豊臣軍主力は東海道経由で進軍し、別働隊が中山道と甲州街道からやって来ると考えられます。

そこで、まず豊臣軍主力を韮山城、山中城、足柄城という箱根の天嶮を利用した西方防御線で拘束し、時間を稼ぎます。そして別働隊を上野、武蔵の支城群(厩橋城、鉢形城、松山城、河越城、八王子城など)で漸減的に拘束し(可能なら消耗させ)、領国の奥深くまでのめり込んだ豊臣軍が兵糧を使い果たして攻勢限界に達したタイミングを見計らって、小田原に集中した強力な機動予備兵力でもって撃破する。

以上の戦略に則り、西方防御線に合計2万の守備兵力を配置し、厳重な防御態勢をとります。また、下野、武蔵、上総、下総などから動員した兵力を小田原城に集め、小田原守備隊を除いても5万を超える機動兵力を確保しました。

武装についても北条家は予てから鉄砲の導入を進めており、大動員によって兵力が2倍になったにもかかわらず、鉄砲武装度は15年前と同じ水準を保っていました。つまり15年で北条家の有する鉄砲の数は2倍になっています。関東にはかつて無いほどの大量の鉄砲が豊臣軍に向けられることとなりました。

以上が北条家の守備態勢です。次回は攻撃側の豊臣軍がどんな戦略を採ったかを見てみましょう。

感じてください

2010-03-14 00:40:49 | 雑感
「シャキーン!ザ・ナイト 」にでてきたネタ。

今から言う言葉を、感じてください。


・・
・・・

指先に


・・
・・・

ネコの肉球


日本の人口が増える予感?

2010-03-13 17:37:30 | 雑感
誰だったかがこんなことを言ってました。

お年寄りが亡くなっても死亡届を提出しなければ、年金をずっと貰えるため、将来日本には120歳を(戸籍上)超えるお年寄りがたくさん出現する。

ついでに「子供手当て法案」では、保護者が日本国内にいれば子供が外国にいても支給されるため、外国人が日本国籍を取得した上で
「私の子供は『祖国』に20人います」
と言って子供手当てを受け取る詐欺が成立します。だから「日本人」は増えるんだとか。

厚生労働省の施策が「的中」して日本の人口が増える。オメデタイ。友愛バンザイ。

キャラクター商売ですね

2010-03-11 22:48:34 | 雑感
ワタシは歴史が好きなんですが、最近は一般の方も歴史好きが増えているそうです。

でもまぁ、「アルワリード強いよね!」とか「郭侃最強よね!!」とか「グスタフ=アドルフ (;゜∀゜)=3ハァハァ」なんて人はごくごく少数なんでしょう。

と言うのも、マスメディアの売り込みによって
「歴史上の有名人 = キャラクター」
の図式が出来上がっちゃったから。平たく言うと織田信長や真田幸村や坂本竜馬は既にミッキーマウスやキティちゃんと同じ扱いなのです。

ワタシは好きですけど、武将とか軍人さんとか、人間をいかに効率よく殺すかとか、効率よく税金巻き上げるかとか、そんなことばっかり考えてた人種ですから。無邪気に「カッコいい」なんて言ってる場合じゃないんですよ。

(マイモニデスとか王安石が好きって言うなら平和的ですけど。理系なら伊能忠敬とか郭守敬に萌えるかも。)


そんなワタシはひこにゃんが大好きです!

歴史の教科書にみる科学

2010-03-09 23:45:19 | 雑感
ネットで「教科書」を5冊購入。

・もういちど読む山川世界史
・もういちど読む山川日本史
・数学ガール
・数学ガール フェルマーの最終定理
・数学ガール ゲーデルの不完全性定理

あんまり教科書らしくないっちゃぁないんですが、そんなことよりもチョイスのセンスが問題ありでしょうか。


届いたところにこんなニュースが。

たった四はいで夜も・・・黒船来航直後の作 (読売新聞)


黒船来航(1853年6月)にあわてふためく江戸幕府の様子を風刺した狂歌「太平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)(お茶の銘柄。蒸気船とかけている) たった四はいで夜も寝られず」が、ペリーが浦賀沖(神奈川県横須賀市)に来航した直後に詠まれていたことを示す書簡が東京・世田谷の静嘉堂(せいかどう)文庫で見つかった。

 この狂歌は、1878年(明治11年)の史料で確認されるのが最初で、後世の作との説も出てきたことから、現在は、多くの教科書が記載を見送っている。新資料の発見で旧来の説が裏付けられた形となった。


ワタシが日本史を勉強した13年前の教科書では、この狂歌はバッチリ掲載されていました。が、手元に届いた教科書を開くと、確かにこの狂歌は載っていません。

その他パラパラとめくってみただけで、
・「聖徳太子」という呼称や肖像画の妥当性
・「乙巳の変」と「大化の改新」
・富本銭の記述
・源頼朝の肖像画の妥当性
・「吉田兼好」という呼称の妥当性
・足利尊氏の肖像画の妥当性
・「慶安のお触書」の実態
・生類憐みの令の再評価
・「安藤広重」という画号の妥当性
・「五箇条の御誓文」という呼称の妥当性
などが「ワタシの教わった歴史」と変わっていました。
(近現代は迂闊なこと言えないので割愛しますが。)

こんなふうに、歴史は書き変わる可能性があり、教科書を「編修」する立場の人はそのことを踏まえて慎重に文章を書いていることがよくわかります。

自然科学だけでなく、社会科学の世界でもデータを吟味し、曖昧さを排し、正確さを期す。仮説を立てては(しばしば自分で)叩き壊し、それでも残ったものだけが真実として残る。学問は地道な積み上げの上にのみ存在する。

人間は足元の土を一歩一歩踏み固め、はるかな高峰を目指していくのです。

北条家のオプション

2010-03-07 22:25:26 | 歴史
「小田原の役」シリーズ第4回。前回の続きです。

防御に回る北条家にはどのようなオプションが考えられるでしょうか?今回はワタシの考えを中心に書いてみます。


従来の北条家の防御ドクトリンは、領国の奥行きを利用して敵の消耗を強いる、いわゆる「縦深防御」で、戦国時代としてはかなり特異な方途を採用していました。

そしてそれは、関東管領を名乗っていた上杉謙信から関東を防衛する際に有効に機能してきました。上杉謙信は(そして武田信玄も一度)、この北条の縦深防御の前に撃退されています。

しかし、上方から攻め寄せる豊臣軍に対して、このドクトリンは重大な欠陥を有しています。上杉は北から(上越新幹線の通るルートで)、武田は甲州街道(国道20号線)を通って来寇しましたが、豊臣軍の主攻勢軸は間違いなく東海道(国道1号線)です。北条家の心臓部である相模、伊豆が、真っ先に攻撃に晒されることになるのです。縦深防御に必要なだけの奥行きを確保することは、地理的に不可能です。

こういう条件をベースにして、北条一門随一の戦術家ととみられていた北条氏邦は、全戦力を挙げての出撃策を提案しました。この時北条軍が有していた兵力は、徳川と上杉の同時侵攻をも楽に撃退できる10万を超える数でした。これだけの兵力を城に貼り付けておくのではなく、機動兵力として攻撃に振り向けるという発想は、当然生まれてしかるべきでしょう。

北条家が大挙出撃するとすれば、どのようなオプションが考えられるでしょうか?

①越後侵攻
関東から北条、奥州から伊達が越後の上杉領へ侵攻して挟撃する作戦。上杉領を中越から下越にかけて分断でき、豊臣勢を信濃川沿いに迎え撃つこととなるため、小田原城への圧力を大幅に減ずる事ができます。

②3正面作戦
上杉を伊達に牽制してもらい、領国を空にして中山道から信濃(長野県)、甲州街道から甲斐(山梨県)、東海道から駿河(静岡県)へと侵攻する作戦。徳川家康直卒軍には勝てないまでも、圧倒的物量差で残りの2方面では勝利できる可能性が高いでしょう。

③駿河侵攻
北方の防備を伊達軍に委ね、全兵力を挙げて徳川の本拠・駿府城を落とす作戦。箱根峠と、この作戦で手に入れた駿河東部との2枚の防壁で小田原を守ろうというものです。

いずれの作戦でも伊達政宗の動向が大きなウェートを占め、伊達だけでは豊臣を支えきれるわけはなく、まして傍観したり、抗しきれないとして豊臣方へ加担したりすれば、一瞬にして破綻するものです。

したがって北条方は、早い段階で和睦に持ち込む必要があります。たとえ一戦して勝利したとしても、その戦略的勝利を政略的勝利、すなわち有利な条件を引き出した上での和睦に結びつける必要があり、しかもそのチャンスは極めて限定されたものとなります。そしてそのわずかな和睦の機会でさえ、抗戦派が勝利に我を失って暴走すれば、簡単に逃してしまう危険性もあります。

勝ち目の薄い戦争で勝ちを拾うためのオプションとして、ワタシが思いつくのはこんな感じです。では実際に北条家はどんな戦略を採用したのでしょうか?