そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

長期連休のたびごとに

2010-04-30 02:09:50 | 雑感
広島カープの応援に行ってきます。

・・・まぁ㌧でもなくチーム状況の悪い中での中日戦なんで、3試合観に行って正直3連敗も覚悟していますが。

2週間前に中日を3タテしたあの奇跡をもう一度

小田原開城

2010-04-25 21:33:13 | 歴史
「小田原の役」シリーズ第10回。前回の続きです。

これまでに説明してきましたとおり、6月下旬までには忍城以外の支城が全て陥落してしまいました。

頼みの綱であった伊達政宗は、6月5日に僅かな馬廻りとともに秀吉の元に参じ、遅参を詫びて完全に屈服してしまいました。

外交、戦略、戦術のいずれにおいても秀吉を上回れなかった北条家はついに継戦意欲を喪失し、韮山城とともに既に降伏していた北条氏規の降伏勧告を受諾。北条家当主・氏直は7月5日に城兵の助命を条件に豊臣軍の陣に入りました。しかし秀吉は、城兵の助命とは別に、宣戦布告時に要求していた抗戦派(氏直の父・氏政と、叔父・氏照を含む)の切腹を命じました。

こうして小牧の陣に端を発し、名胡桃城事件を契機として勃発し、双方合わせて30万に達する兵力が動員された小田原の役は、北条家の解体という結果で幕を閉じました。

秀吉は当初から北条家の臣従を要求していただけで、北条家を滅亡に追い込もうとまでは望んでいませんでした。実際に戦後処理を見ても、高野山で謹慎させられた北条氏直は半年後に1万石の知行を与えられ、北条氏規も7千石を得て狭山藩祖となり、北条氏邦は前田家臣、北条氏勝は徳川家臣となっています。
(ただし、当主であった氏直は更に半年して病死したため、北条の嫡流は滅亡してしまいます。)

とは言え、関東一円に威を張った「北条帝国」は完全に崩壊、解体されてしまいました。四国統一寸前で秀吉に敗れたものの、土佐一国を安堵された長宗我部や、九州統一寸前で秀吉に敗れたものの、薩摩・大隈・日向半国を安堵された島津と比べると、半年間寸土も与えられなかったことは、決定的に違っています。

では北条家はどこで道を誤ったんでしょうか?そもそもこの戦争で北条に勝ち目があったんでしょうか?

シュレーディンガーの猫

2010-04-24 23:56:09 | 雑感
量子力学シリーズ。前回の続きです。

量子力学が数学によるよる自然描写に頼った結果、とうてい納得できないような自然の姿が表現されるに到り、アインシュタインとシュレーディンガーという、それまでの量子力学構築の主要メンバーが抗議をして去ってしまったことをお話してきました。

ではどんな不思議なことが起きるのか?今回はシュレーディンガーが提案した「シュレーディンガーの猫」という思考実験の(標準的な量子力学の立場からの)解説をしてみます。

実験には
・電子を1個だけ発射する電子銃
・2つの穴A・Bが開いた板
・電子が穴Aを通った時に毒ガスを発生させる装置
・生きている猫
以上が入った「箱」を準備します。

そして、電子銃から穴の開いた板に向かって電子を発射するとどうなるか?を考えてみます。オリジナルとは違いますが、本質は一緒なんで。

・・・一応、「思考実験」なんで、良い子は真似しないでね!

と冗談はここまでにして。

量子力学を記述した数学では、電子銃から発射された電子は、「状態」の波として広がって行き、穴Aと穴Bを同時に通過するわけです。

・・・えっと、で結局、電子は穴Aを通ったのか、穴Bを通ったのか、どっち?

これに対して量子力学は
「穴Aを通った可能性と、穴Bを通った可能性の、重なり合った状態である」
と解答します。

・・・えっと、で結局、毒ガス発生装置が作動して猫が死ぬのか、作動せず猫は生きているのか、どっち?

これに対して量子力学は
「箱を開けるまでは生きている猫と死んでいる猫の重ね合わせの状態であり、箱を開けるまで猫の生死は不明」
と解答します。
(これが現在の量子力学の標準的な解釈である「コペンハーゲン解釈」と呼ばれるものです。)

そんな馬鹿な!人間が箱を開けようが開けまいが、猫の生死は決まっているはずじゃないか!それを「生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせ」だと説明するだなんて、ナンセンスにも程がある!

これがシュレーディンガーの提案した「『流行している量子力学』のクレイジーな部分」でして、シュレーディンガーは「断じて自然はこんなキチガイじみた姿をしていない!『現在流行している量子力学』は間違っている」と考え、物理学者をやめてしまったのです。

以上が量子力学のもつ性質である「状態の重ね合わせ」が生み出す不思議な現象です。

次回はアインシュタインが反発した「遠隔相関」についてお話します。

本当にあった怖い話

2010-04-22 21:25:49 | 会社
社内で使っているPHSに電話がかかってきました。

相手「相談なんですが、消防隊と労組の執行委員を兼任することになったんですが、やはり兼任するのは無理ということで、どうしたらいいでしょうか?」

( ゜Д゜) ??

ワタシ「え、え~っと、どちから片方をワタシに肩代わりしてくれ、ということですか」

・・・ワタシは現在計量器管理委員会、システム管理委員会、安全委員会を掛け持ちしているのに、なんでこんな話になったんでしょうか?

ワタシ「とりあえず上長と相談してから折り返し電話します」


その後電話の相手と直接会って話をしました。

ワタシ「さっき電話いただいた話ですけど・・・」
Tさん「へ?電話なんかしてないよ?」

(∩゜д゜) ??

じゃあ誰からの電話だったんだろう?

会社の電話帳で着信履歴に残っていた電話番号を探すと・・・

ない!?
Σ(゜Д゜;≡;゜д゜) <

誰からかかってきたんだろう??

その番号に折り返しの電話をかけてまましたら・・・

「その電話は現在電源が切れています」

(( ;゜д゜))ヒイィ


明日の朝もう一度かけてみて、電話口から
「キサマの命は残り10日」
とか言われちゃったらどうしましょぅ・・・。
(((゜Д゜:)))

忍城

2010-04-18 22:10:27 | 歴史
「小田原の役」シリーズ第9回。前回の続きです。

豊臣軍中山道支隊は、北武蔵を掌握する鉢形城を攻囲しました。北条氏邦(北条氏政の三弟)が籠っていたんですが、氏邦が小田原ではなく鉢形にいた理由として「評定で自分の策が却下されて居辛くなったから」という説がありますけど、実際には上州方面総責任者として、各支城衆を統括指揮する必要があったとため、考えるのが自然ですね。

しかし豊臣軍は着実に、しかも北条方の予想をはるかに上回る速度で進撃し、氏邦はわざわざ孤立するために鉢形に籠城した格好となりました。

城兵3000は豊臣軍5万を相手に10日以上耐え抜く善戦を見せましたが、ついに力尽き6月14日に降伏しました。

その後豊臣軍は、南の八王子城を攻める中山道支隊と、東の忍城を攻める東方支隊に再び分かれて進撃しました。

八王子城は、北条氏照(北条氏政の次弟)が安土城をまねて石垣を拡張してきた鉄壁の要塞でしたが、城主の氏照が小田原にいたこと、守備兵が非戦闘員を含めてすら3000人しかいなかったこともあり、広大な城域が仇となって1日もたずに落城してしまいました。

しかし忍城は簡単に陥落しませんでした。

東と南の二つの流路に分かれる利根川の分岐点と荒川上流を扼す位置にある忍城は、河川交通の要衝であると同時に、館林経由で下野佐野へ向かうルートと、厩橋方面へ向かうルート、そして鉢形へ向かうルートが集中する陸上交通の結節点でもありました。豊臣軍が手に入れれば、利根川の線で北条領国を真っ二つに分断することができます。

交通の遮断を最優先に考えた豊臣秀吉は、館林城を陥落させたばかりの石田三成に忍城攻略を命じます。

守備兵は300、非戦闘員を含めて3000。一方の豊臣軍は2万以上でしたが、忍城は過去に北条氏康や上杉謙信の攻撃も跳ね除けた難攻不落の水城ということもあり、攻城軍は水攻めのための堤防工事に取り掛かります。工事完成後すぐに水が堤防へ引き入れられましたが、翌日の大雨のために堤防の一部が決壊する事態となりました。しかも忍城の東側に低地が存在し、城内の被害は期待されたものに遠く及びませんでした。

ここら辺のお話はベストセラーになった「のぼうの城」なんかの題材として何度も小説になっています。興味がある方は是非。

で、結局忍城は小田原城降伏後まで持ちこたえ、城主の成田氏長の命で開城することになります。

忍城水攻めの失敗は石田三成の「戦下手」の証左とされることがよくありますが、これは「石垣山の一夜城」と同じく多分にデモンストレーション的な意味を込めて秀吉自身が指示したものであり、そんな秀吉をかばって三成が汚名をかぶった、というのが真相でしょう。

サヨナラ

2010-04-17 17:48:58 | 雑感
広島カープが4/16、4/17と2試合続けてサヨナラ勝ちです!
キタ━━━ヽ( ゜∀゜)人(゜∀゜ )メ( ゜∀゜)人(゜∀゜ )メ( ゜∀゜)人(゜∀゜ )ノ━━━!!

そして高橋建さんが3勝目。中継ぎなのに勝ち頭です。
ヽ(´エ`)ノ ナンノコッチャ

量子力学への抗議

2010-04-17 17:45:01 | 雑感
もうしばらく続きます、量子力学のお話。前回の続きです。

前回、ある時は粒子、ある時は波として振舞うという、常識では理解できないモノを説明するには数学による記述に頼るしかなく、その結果人間の直感と乖離した自然の姿が予言された、というお話をしました。

ではどんな風に人間の直感とズレているのか?とりあえず書いてみますと、この2つに集約されるかと思います。

a. 遠隔相関
b. 状態の重ね合わせ

世の中の量子力学が数学的基礎を獲得し、湯川秀樹がπ中間子の存在を予言した1935年。応用が花開いていたそんな時期、
「そのツール(量子力学)は間違っている!」
と声を挙げたのがアインシュタイン。彼はaの性質が、自身の築き上げた相対性理論と矛盾してしまうことに我慢できませんでした。

そしてアインシュタインの抗議に共鳴したのがシュレーディンガー。彼はbの性質を認めると「猫のゾンビ」が誕生してしまうと発表し、自分がこんなヘンな科学に携わってしまったことを後悔し、最終的に物理学者をやめてしまいました。

アインシュタインが指摘した量子力学の「矛盾」が「EPRパラドックス」、シュレーディンガーが指摘した「矛盾」が「シュレーディンガーの猫」と呼ばれるものです。

次回は先にシュレーディンガーの猫を詳しく説明してみようと思います。

「難民」

2010-04-15 21:01:53 | 雑感
2G終了などで“携帯難民”1200万人 流出阻止へ各社が躍起 (産経新聞)

「難民」呼ばわりですかそうですか。

ワタシは5年前に携帯電話端末をJ-PHONEからdocomoへ変えたんですが、当時の所属研究室がリフォームのため、地下の実験室に仮住まいしていました。かつ、就職活動中で、通話可能域を広く確保する必要がありました。

そういうワケがあり、選択した端末は鉄の着信を誇る800MHz帯の電波を使用している「mova携帯」でした。端末の値段が「1円」だったということもあります。で、現在も使っています。

まだ使えるものをわざわざ取り替えるのがバカバカしいと考えるタイプであり、電話とメール機能があって、運よく(余計に)写真撮影機能まで付いているもので、これ以上望むものはありません。

電話とメールだけできればいいのに、端末の値段がアホほど高いことも、端末を変えない理由の一つなんですが、movaの電波が(予定通り)干されていく世の中、基本料金がFOMAのほうが安かったりするんですかね?

「5年間培ってきたポイント + 機能を電話とメールに絞る」のコンボで、端末を最大限安く抑えた上で基本料金を安くすることができれば幾分メリットになるか・・・。

週末はdocomoショップに行って、「Xperia」には目を向けずに最安値の端末を探してみようか・・・。

量子力学の特徴

2010-04-13 23:29:24 | 雑感
まだまだいきます、量子力学のお話。前回の続きです。

1930年代に完成した量子力学の基礎理論は、「古典力学」に次の3つの新要素を加えたものでした。

①プランク定数という最小単位
②状態ベクトル
③作用素

エネルギーが飛び飛びの値を取る、など前期量子力学は、①の要素だけで様々な成果を挙げました。「量子」とはそもそも「飛び飛び」と言う意味です。この考え方を積極的に採用するべきだと主張したのがプランクやアインシュタインたち。

さらに量子力学が理論的に研究され、量子力学に数学的な基礎が完成したのが1930年代初め頃。その量子力学の数学的記述に登場したのが、②と③の要素です。

②の性質からは、物体は複素ヒルベルト空間のベクトルでしかないという結論が導かれます。まぁ難しくて理解できませんので大雑把に説明しますと、(特に量子論的効果が現れ易い電子などの小さな粒子は)物体の「状態」が波のように広がっている、ということです。

え?それでも理解できない?う~ん、ある意味それは妥当なんですよ。

光がある時は波、ある時は粒子として振舞う、という直感で理解できないような現象を、数学の言葉で表現した結果「複素ヒルベルト空間のベクトル」になったわけで、その理解は直感ではなく数学的記述にしか頼る術がないのです。

実はそんな話、中学・高校の数学でも登場しました。覚えてますか?

リンゴがマイナス1個あります。・・・って、そんなモン理解できるか!
いやいや、方程式
x + 1 = 0
の解を-1と定義するんですよ!

2乗して-1になる数!?・・・って、そんなモン理解できるか!
いやいや、方程式
x^2 + 1 = 0
の解(の片一方)を i と定義するんですよ!

こんなふうに人間は、直感的に理解できないものも、数学的記述に頼ることによって、自然の姿を表現する便利な道具として利用してきました。それを量子力学に応用した結果、「量子力学の父」と呼ばれるプランクですら、理解できない難解な数学で記述される世界が広がっていた、というわけです。

(③の性質は、②と一緒にでてきたもので、①と②の間をつなぐもの、ぐらいの理解で十分です。)

さて、実験結果を適切に表現しようとした結果、人間の直感と大きく乖離した自然の姿が立ち現れてきました。

そんな量子力学の人間の直感と乖離した姿に、量子力学を構築してきた物理学者の中にも耐えられなくなって反発し始めた人たちがいました。それが①の要素の推進者であったアインシュタインと、②・③の要素を世に送り出したシュレーディンガーだったのです。

次回は量子力学の不思議な面を説明し、反発した理由を考えてみようかと。

小田原城の後背地

2010-04-11 19:33:22 | 歴史
2週ぶりの「小田原の役」シリーズ第8回。前回の続きです。

箱根での戦闘と平行して、豊臣軍の中山道支隊も碓氷峠を越え上州攻略に取り掛かっていました。前田利家、上杉景勝、真田昌幸らが率いる約3万。

最初に重囲に陥った松井田城は、城主の大道寺政繁に指揮されて抵抗していましたが、4月17日に国峯城、19日には厩橋城が陥落すると翌20日に降伏。その結果23日に石倉城、24日に箕輪城が開城し、作戦開始から1か月あまりで中山道支隊は上野制圧を完了しました。

一方その頃、小田原城を包囲していた東海道の主力部隊は、三浦半島の付け根にある玉縄城を21日に降伏させました。これによって豊臣軍は武蔵への進撃路を確保。秀吉は浅野長吉を司令官とした東方攻略隊を組織し、26日に出立させました。

東方支隊は27日に江戸城を攻略したのを皮切りに、5月18日に佐倉城を陥落させて下総を制圧。西転して22日に武蔵の岩槻城を攻め落としました。長吉の東方支隊はわずか1か月足らずで北条家の東方支配圏を完全に崩壊させたことになります。

これほどの電撃的作戦が可能となった原因として、北条家が、小田原の東は「後背地」としてろくに守備兵を配置していなかったこと、武将のほとんどが「前線」へ出払っていて組織的な防戦ができなかったこと、そして無理な徴兵によって兵の練度が落ち、豊臣軍の機動力に圧倒されたことが挙げられます。

降将の大道寺政繁を道案内として上野から武蔵北部に侵攻した中山道支隊は、鉢形城を攻囲する一方、河越、松山城を開城させて東方支隊と合流。5万を超える兵力となります。

前期量子力学

2010-04-10 23:25:28 | 雑感
と、いうわけで量子力学のお話、始まり始まり。

量子力学は黒体輻射問題から始まりました。金属を溶鉱炉に入れて加熱すると赤く光ります。さらに温度を上げると白っぽい光になります。日本語の「赤熱」とか「白熱」の語源ですね。そんな熱い物体の光り方に関する問題です。

熱い物体の発光スペクトルは、どうやら物体の温度のみに依存していることはわかったのですが、19世紀までに築き上げられてきた古典物理学で説明しようとすると、無限大に発散して上手く説明できなくなってしまいました。

そこで1900年にマックス・プランクが、
「エネルギーは、ある最小単位(プランク定数)の整数倍の値しか取れない」
と仮定すれば、実験結果を上手く説明できることを提唱しました。エネルギーは飛び飛びの値しか取れないんだ、というアイデア。エネルギーの量子化仮説と言われるものです。

しかし当然、エネルギーが飛び飛びの値しか取れないなんて、突拍子もないことは当時の学会で猛反発を受けます。寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞと。

しかしそんなプランクの仮説を踏まえたうえで、1905年にアルバート・アインシュタインが、金属に光を当てた時に電子が飛び出す現象を、
「光が粒子として振舞う」
と仮定すれば、実験結果を上手く説明できることを発表しました。光量子説と言われるものです。

ニュートンの時代には光が粒であると唱えていた人もいましたが、反射、屈折、回折、干渉など光は波特有の性質を示し、誰がどう考えても波であることは動かしようのない事実です。そこへもってきて光量子説がなんだか本当っぽい、っていうことで学会が揺れ始めました。

ちなみにアインシュタインが1905年に発表した論文は、特殊相対性理論に関するもの、ブラウン運動に関するもの、そして先に挙げた光電効果に関するものと、「奇跡の年」と呼ばれる輝かしい業績が一挙に揃いました。相対論、量子力学、統計力学と、20世紀の物理学、のみならず科学や思想までが1905年のアインシュタインの論文で方向付けられたと言っても過言ではありませんね。

やがてニールス・ボーアが電子の角運動量を量子化することによって電子軌道の考え方を見出し、原子のモデルを確立しました。また、ルイ・ド・ブロイがアインシュタインと逆の発想をすることで、電子などの物質も波動として振舞うことを予言しました。

そうした理論をヴェルナー・ハイゼンベルクの行列力学、エルヴィン・シュレーディンガーの波動力学、ポール・ディラック、マックス・ボルン、パスクアル・ヨルダンなどが数学的体系を与えました。量子力学を数学で扱えるようになったのです。
(その数学は、量子論の父となったプランクでさえ理解できないものになっていましたが。)

こうして量子力学の基礎付けが出来上がっていくわけですが、そんな量子力学の流れに
「信じられるか!」
と文句を付ける人間が現れました。その人こそ、アインシュタインだったのです。

EPRパラドックス

2010-04-09 21:59:22 | 雑感
何回かに分けて量子力学にまつわるいろんなことを書いてみようかと思います。

メインテーマは「EPRパラドックス」というもの。

湯川学という物理学者が、合コンの相手の条件として「EPRパラドックスが理解できる人」と提示したのを何となく覚えていますが、そんな湯川先生と合コンするためにEPRパラドックスを勉強してみましょう。

木村拓也

2010-04-07 22:39:33 | 雑感
巨人のコーチ、木村拓也さんが4月7日に亡くなられました。

ドラフト外から這い上がり、
・足速い
・どこでも守れる(キャッチャーまでこなす!)
・スイッチヒッター
・ホームランも打てる
という文字通り「ユーティリティープレイヤー」として広島、巨人で活躍。今年からは巨人のコーチに就任し、NPB全体の新人研修で講師として講義をするなど、若手から信頼を集めていました。

「最後にジャイアンツに入って、3連覇や日本一を経験し、勝つ喜びを知った。」のコメントに広島ファンは涙するわけですが。
(´;д;`)

ワタシも観に行った4月3日、4日の広島-巨人戦では、試合前の応援合戦で、両チームの応援席からキムタクコールが送られました。

足の速さは誰にも負けない
風を切り走れ木村拓也

人間、いつ死ぬかわかんないっすね。

ご冥福を。