そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

ガリレオ

2011-02-05 23:09:59 | 歴史
最初に「科学」を起こしたのは、「万学の祖」と呼ばれるアリストテレスです。アリストテレスは世の中に転がる動物、植物、鉱物、天体などをつぶさに観察し、系統的にまとめることによって本質へ近づこうと試みました。

その業績が途轍もなくて、キリスト教が幅を利かせた中世においてもその合理性は無視することができませんでした。「聖書には書いてないけど、こんだけ調べられて論理的に説明されたら、やっぱり本当なんだろうなぁ」、と。

で、トマス=アクィナスという天才が、キリスト教とアリストテレス哲学の統合、つまり「神様中心主義」と「人間中心主義」を統合する、ほとんど不可能と思えるようなウルトラCをやってのけちゃいました。アリストテレスの考え方がキリスト教と一体化した、これが「スコラ哲学」と呼ばれるものです。

ですが、アリストテレスの業績が凄すぎて、アリストテレスの説に間違いを見つけようとする批判者が登場しなかったことに加え、キリスト教のお墨付きが与えられたことで、「脳は血液を冷やす臓器である」とか「真空なんて存在しない」とか「重いものは軽いものより速く落ちる」とか「宇宙の中心は地球である」といった間違いが、修正されることなく1800年以上無批判で信じられてきました。

ところがガリレオが登場し、アリストテレスの間違いを指摘し始めます。「地球は回っている!」

ところがアリストテレス、つまりスコラ哲学への批判は即、キリスト教への批判となりました。「神は人間を特別な存在として創造したのだから、地球は宇宙の中心なんだ。そんなこと考えなくてもわかる。それを疑うなんて、お前はキリスト教に喧嘩を売るキチガイか?」

ちなみにコペルニクスも地動説を唱えましたが、「いや、これは『数学的にこんなモデルも考えられますよ』という思考実験です。信じるか信じないかは、あなた次第です!」という注釈を付けて教会との喧嘩を避けることにより、発禁処分を免れています。

つまりガリレオの問題点は、天動説の否定ではなく、その帰結から導き出されるキリスト教批判にあったわけです。

スコラ哲学では神の存在を前提にしてすべての論理を組み立てていましたが、ガリレオはそれまでの前提を一切取っ払って、真摯に目の前の現象を観察しました。「神様がおるかおらんかは知らんけど、とりあえず自然はこうなっとるよ。」

ガリレオの業績は、たんに物理学を発展させたと言うだけではなく、科学を目的論や倫理観、形而上学と切り離した契機として評価されるべきですね。

こうして科学は形而上学からの独立を果たしましたが、思想の方を形而上学から独立させたのはカントですね。カントについて次回書いてみたいと思います。

ムハンマド・アリー

2011-02-02 23:42:59 | 歴史
世界史の授業で必ずヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ南端をまわってポルトガルからインドへ抜ける航路を発見したことを教わります。

・・・ですが、世界地図をよくよく眺めてみますと、ポルトガルからインドへ行くのに、わざわざアフリカ南端を回るのではなく、地中海からスエズを通って紅海に出た方が圧倒的に近道なんですよね。

さて、エジプトがムバラク(正しく音写すると『ムバーラク』)政権の退陣を求めるデモで大変なことになっています。ここに一枚噛んでいるのがアメリカ。独裁政権なのを十分に理解したうえで、アメリカはスエズ運河の利権を守るために、親米的な姿勢を採ってきたムバーラク政権を黙認してきました。スエズはその地政学的な意味合いから、太古から歴史を左右する緊要地として所有権をめぐり争われてきた地です。

ここでワタシが思い出したのはムハンマド・アリーと言う人。エジプト近代化の父と呼ばれていますが、この人は間違いなく「独裁者」なんですよね。

フランス革命軍を率いたナポレオンと戦った傭兵隊長のムハンマド・アリーは、軍事的才能を発揮し、地方豪族(マムルーク)を暗殺までして実力でエジプト総督の地位を奪取。農業と工業の実質的国営化を進めて国力を高め、行政・財政・税制・軍事改革を進めることによって、宗主国であったオスマン帝国や、さらに後ろから糸を引きスエズでの権益確保を狙ったイギリスからの侵略に抵抗した指導者です。現在エジプトが教育・文化の面で中東の中心的な役割を担っているのはムハンマド・アリーの教育政策に依るところが大きいんですよ。

農業に頼っていた貧弱なエジプトという国家を、外国の干渉を退けつつ近代化するためにはムハンマド・アリーのような中央集権的な手法を採らなければ実現不可能であり、そうでなければ他のアフリカ諸国と同様に列強の草刈り場として悲惨な歴史を歩んだことだろうと推測します。独裁性が無ければエジプトは今より悲惨だった。

第2~4次中東戦争で戦果を挙げ、30年にわたる独裁制を築いたムバーラクを、ムハンマド・アリーと並べて評するのが妥当かどうか、ワタシの判断は保留としておきます。

チュニジアでのジャスミン革命を発端として起こったエジプトでの暴動。これが「革命」として歴史に名を刻む公算が高い現状、次に飛び火するのはサウジアラビアですかね。サウード家の独裁体制で近年まで憲法、立法府、行政府が無かったサウジアラビアは、石油輸出を武器に「民主主義の旗振り役」を自任するアメリカまでもを黙らせてきました。サウジアラビアまでが民主主義の波に洗われた時、アメリカはどういう態度をとるんでしょうかね?