☆~Carefree Life~☆

HPの管理人 Sugaryが、日々の出来事から、趣味や宣伝まで勝手気ままに綴ります。

二七日(ふたなのか)

2016-01-04 08:26:35 | 愛猫の闘病生活終了後…(初代)

昨日、2回目の節目である二七日の為、愛猫に会いに行ってきました。
急きょ、旦那が残業になったので、予定より遅くなってしまいまいましたが…。
お線香の他に何か持っていくものはないかな…と探し、ちょうどおもちゃのチューチューが2個残っていたので、とりあえず1個持っていくことにしました。

「まったく…相変わらず遅いなぁ…」

──と思っているかもしれませんが、これで許してちょ(笑)


四十九日まで続く1週間ごとの節目。
後悔よりも恋しくて…毎日でも会いに行きたい気持ちでいっぱいです。
なので、1週間が長い…というか待ち遠しいです。
そんな中、段々と気になってくることがあります。
日中、コビトがいなかったら泣きっぱなしで何も考えられないんでしょうが、ちょうど今は冬休みで家にいるからでしょうね。
気がまぎれて、今後、将来出会うかもしれない未来の愛猫の為にもハッキリさせたいと思ったんです。
そう、それが愛猫の「死因」です。
今更死因なんて…と思う人もいるかもしれませんが、「死因」って大事だと思います。
人が亡くなった時もそうですが、やっぱり、「なぜ死んだのか」が分からないと、自分の中で納得できないというか、ひとつひとつ、自分の中で区切りをつけることができないからです。

看取る過程で起きた愛猫の症状。
気になったのは、心臓発作のような体の動きに合わせた瞳孔の開き(ガガガ…と見開く症状)、痙攣、そして旅立つまでの格闘時間。
ひとつひとつ、調べてみました。
まず、一番気になったのは、やはり、苦しむ時間が長いのか短いのか…という事でした。
個体差はあるかと思いますが、やはり、老衰や衰弱の最期に比べると、3時間というのは長いようでした。
眠るように…とか、容態がおかしくなってからは早かったとか、老衰で死ぬ時は目を開けていない(絶対こうだ、というのではないかもしれませんが)…とか。
最期も目を開いていたことも気になっていたので、この段階で、「あぁ、ごく一般的な最後じゃなかったのか…。ちょっと長く苦しんだんだな…」と、残念というか、気付いてやれなくて「ごめんね…」という気持ちで落ち込みました。
でも、そうでないなら何が原因なのか…という事を調べなければなりません。
そこで、次に調べたのが瞳孔の開き。心臓関係になにかあったのか…というのも含め調べてみましたが、納得できる情報は見つかりませんでした。
あと残るは、痙攣です。
痙攣は脳神経に関係するな…と思いつつ、調べてみると、出てくるのは「癲癇(てんかん)」。
癲癇発作の動画を見ましたが…やっぱり、違うんですよね。
なので、今度は病気から調べてみようと思いました。
愛猫の場合は「消化管リンパ腫」と「慢性腎不全」。
フローリングをリフォームしてから、嘔吐も3~4回くらいしかしてなかったので、回数からすれば、以前よりずっと減っていました。
下痢もなく、触診で何かが触れることもなかったので、やはり、可能性的に高いのは「慢性腎不全」です。
ただ色々調べてみると、慢性腎不全で亡くなる猫ちゃんは“数日間 飲まず食わず…”というのが多く、愛猫には当てはまりません。最初の痙攣が起きる5時間前くらいまで水も飲んでいたし、ウェットフードも昼間には食べていました。
また、この数週間は嘔吐もなく、慢性じん不全の最期を看取った人のサイトを見たりすると、死との格闘時間が全然違うんですよね…。
なので、最初は余計に「ごく一般的な最期」だと思っていたんです。

でもね。
調べていくうちに、愛猫の死因が「慢性腎不全によるもの」だと、ほぼ確信していきました。
毒素が心臓や脳を侵していくこと、脳が侵されると痙攣が起き、「慢性腎不全による痙攣は、極末期状態」であるという事が、判断材料です。
心臓発作のような体の動きと、それに伴う瞳孔の開き方を考えると、「ガガガ…」と瞳孔が開いた時は、心臓が侵されていた時なんじゃないか…と思いました。
最初の痙攣で、おそらく最初に脳が侵されたのでしょう。
脳神経が侵されたことで、心臓や瞳孔にも影響が出たのだと思います。
そして更に、ある方の投稿が愛猫の最期とほぼ同じだったので、そこで腑に落ちました。
痙攣も癲癇発作のようなものではなく、力なく足をバッタバッタしている感じのもので、単純に死の間際ですし、動かす筋力がないためにゆっくりした動きだったのかもしれませんけどね…。
でも、顔をのけ反る最期とか…ほぼ一緒だったので、愛猫の一番の死因は「慢性腎不全による尿毒症」なんだな、と思いました。

──だとすれば、もっと早くに気付いて点滴でもすれば良かったのか?
正直、自分が問うたその疑問には「イエス」とは答えられませんでした。
数日に1回の点滴でも、最後は毎日の点滴になります。
毎日、痛い思いをさせるのもそうですが、費用面を考えると、いつまで続けられるのか分かりません。
人間のように保険がきいて3割負担くらいなら続けられるかもしれませんが、調べると点滴は1回3000円しますから、正直、難しいものです。
それに点滴で生きながらえても、費用面で中止すれば、それは延命装置の人工呼吸器を自らの手で外すという事で、自分的には到底耐えられるものではないからです。
きっと、後悔も大きくなります。
それに、愛猫の場合は11歳でお別れしたかもしれないところを、15歳まで生きてくれたんですから、平均寿命であることも考えれば、愛猫はこれで良かったのかもしれないと思いました。
最期が老衰や衰弱での3時間なら長い苦しみですが、慢性腎不全の3時間なら短い方だったのかも…と。
あとは、猫はステロイドに対して強い…と言われていますが、抗癌剤終了後からずっと飲み続けていたので、腎臓への影響もあって一気に壊れていったのかもしれません。
最期に飲ませた薬が決定的になったのかもしれない…そう思う事もありますが、与えなかったら与えなかったできっと後悔するでしょうから、そこは考えてもしょうがないかな…とも思います。

そんなわけで、またひとつ、自分の中で納得する事ができました。
そして同時に、未来への愛猫の為にできることを考えることができました。
あとはもう、愛猫が我が家で過ごして幸せだと思ってくれていたら…と願ってやみません。

来週の三七日には、ベランダのカランコエが咲きそうなので、それを切って持っていこうかと思います。
時々、葉っぱを食べていたので、あっちでも食べるかも
愛猫が生きている時は、食べているのを見つけた時には即、「だめー」と引き離していました。
理由は、アブラムシ対策でカランコエに薬を使っていたから。
花に興味がないので食べられても全然気にはしませんが、薬が愛猫に悪さをしたら…と思うと、食べさせるわけにはいきませんからね
今ならきっと病気知らずでしょうし、薬もほとんど残ってないので大丈夫でしょう(笑)

コメント
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