セラピストの仕事を語る上でのひとつのキーワードと
して「共感」があります。
アロマセラピストの仕事というのは、ただ身体にオイルを塗って
肩凝りのケアをするだけのものではありません。
サロンに来ることによって、その方が、よりその人自身で
いられるようにお手伝いするのがセラピストの役目です。
施術そのものは、そのためのいろいろな方法の
ひとつに過ぎないという見方すらできるのです。
ですから、施術前後の会話も、お茶も、
心からリラックスしていただくための大事なツール。
お客様の話を聞きながら、その心持ちに寄り添って共感すること、
これはとても大切なことであると、学校でも何度も言われるわけです。
その共感を支えるのは、多分、想像する力。
じゃその「想像力って何だ?」が今日の疑問。
■ 気持ちを共有することは不可能です
体験できることには限りがあります。
例えば、47歳、既婚、出産経験無しの私には、
おそらく妊娠や子育てにまつわるしんどさも喜びも、
本当のところは理解できないかもしれません。
反対に、私のような者が、老いて行く親を見る時に
感じる心もとなさを、子を持つ人には想像できないかも
しれません。
またさらに、配偶者も兄弟を持たず、たったひとりで親を
見送らねばならない人の心情も、私には体験することはできません。
あたりまえですが、どんな感情もその体験をした人だけの特別なもの。
全く同じ境遇をすごし、同じ体験をし、
同じ気持ちを共有することは不可能です。
■ 言葉だけの共感は見抜かれる
他人の中にある感情をどのように想像し共感すればよいのか。
これはなかなかに難しい。
セラピストがクライアントを受け入れるという姿勢をとって
いたとしても、それが「そうですねー。それは大変でしたねー」
と言葉だけの反応であったとすれば、
クライアントは、そのセラピストが自分に本当に「共感」して
くれているのかどうか、セラピストの言葉や態度、
さらに施術する手の感触から、
おそらく見抜くに違いありません。
人間はものすごく優秀なセンサーを持っているのです。
■ 私の女医受診体験
20代の頃、初めて産婦人科というものにかかった私は、
女医先生のところを探して受診しました。
当時の私には男性に診てもらうことに抵抗があったのですね。
ところが、その女医先生に診てもらった私は
ずいぶん「へこんで」帰って来た記憶があります。
その女医先生は非常にさばさばした方で、言葉に飾りがなく、
まだ若かった私にはデリカシーが足りなく感じられたのだと思います。
今思えば、別にきついことを言われたわけではなく、
その先生は何も悪くないのですが。
女医先生だから優しくしてもらえるだろうというのは
こちらの勝手な思い込みです。
女だからって女の気持ちが全て想像できるわけじゃないし、
男だからって女の気持ちが全くわからないというわけじゃない
(気持ちを理解することと、どういう態度をとるかというのは
また別の問題ではありますが)。
世の中には、医学部、国家試験という難関を突破し、
厳しい医学界を生き抜く女医は、そこらの男性より
よっぽど男らしいなどというセクハラまがいを言う人もいますが、
それはあまりにも失礼な話。
要は性別ではなく、個人差ですものね。
(次回へつづく)
して「共感」があります。
アロマセラピストの仕事というのは、ただ身体にオイルを塗って
肩凝りのケアをするだけのものではありません。
サロンに来ることによって、その方が、よりその人自身で
いられるようにお手伝いするのがセラピストの役目です。
施術そのものは、そのためのいろいろな方法の
ひとつに過ぎないという見方すらできるのです。
ですから、施術前後の会話も、お茶も、
心からリラックスしていただくための大事なツール。
お客様の話を聞きながら、その心持ちに寄り添って共感すること、
これはとても大切なことであると、学校でも何度も言われるわけです。
その共感を支えるのは、多分、想像する力。
じゃその「想像力って何だ?」が今日の疑問。
■ 気持ちを共有することは不可能です
体験できることには限りがあります。
例えば、47歳、既婚、出産経験無しの私には、
おそらく妊娠や子育てにまつわるしんどさも喜びも、
本当のところは理解できないかもしれません。
反対に、私のような者が、老いて行く親を見る時に
感じる心もとなさを、子を持つ人には想像できないかも
しれません。
またさらに、配偶者も兄弟を持たず、たったひとりで親を
見送らねばならない人の心情も、私には体験することはできません。
あたりまえですが、どんな感情もその体験をした人だけの特別なもの。
全く同じ境遇をすごし、同じ体験をし、
同じ気持ちを共有することは不可能です。
■ 言葉だけの共感は見抜かれる
他人の中にある感情をどのように想像し共感すればよいのか。
これはなかなかに難しい。
セラピストがクライアントを受け入れるという姿勢をとって
いたとしても、それが「そうですねー。それは大変でしたねー」
と言葉だけの反応であったとすれば、
クライアントは、そのセラピストが自分に本当に「共感」して
くれているのかどうか、セラピストの言葉や態度、
さらに施術する手の感触から、
おそらく見抜くに違いありません。
人間はものすごく優秀なセンサーを持っているのです。
■ 私の女医受診体験
20代の頃、初めて産婦人科というものにかかった私は、
女医先生のところを探して受診しました。
当時の私には男性に診てもらうことに抵抗があったのですね。
ところが、その女医先生に診てもらった私は
ずいぶん「へこんで」帰って来た記憶があります。
その女医先生は非常にさばさばした方で、言葉に飾りがなく、
まだ若かった私にはデリカシーが足りなく感じられたのだと思います。
今思えば、別にきついことを言われたわけではなく、
その先生は何も悪くないのですが。
女医先生だから優しくしてもらえるだろうというのは
こちらの勝手な思い込みです。
女だからって女の気持ちが全て想像できるわけじゃないし、
男だからって女の気持ちが全くわからないというわけじゃない
(気持ちを理解することと、どういう態度をとるかというのは
また別の問題ではありますが)。
世の中には、医学部、国家試験という難関を突破し、
厳しい医学界を生き抜く女医は、そこらの男性より
よっぽど男らしいなどというセクハラまがいを言う人もいますが、
それはあまりにも失礼な話。
要は性別ではなく、個人差ですものね。
(次回へつづく)