阪神淡路大震災が起こって12年が経ちました。
そして、この大地震で亡くなられた方の13回忌なので、6432名の御霊に合掌。
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地震発生時、今は物置となっている部屋で寝ており、地鳴りが近づいて来る音で目が覚め、直に下から突き上げるような揺れ。
しばらく起きていたが睡魔に負けて熟睡。再び目が覚めたのは11時過ぎ。
いつものようにテレビをつけると、高速道路の高架が倒れたシーンが映し出された。
どこ?いったい何が起こったのか?自問自答しながら見ていました。ちなみに名古屋市南部の震度は3でした。
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それから1年3ヶ月後の4月に、これは縁なのか?淡路島のリゾートマンション管理人として赴任することになりました。
淡路島へ車で行った初日、まだ名神高速道尼崎~西宮間は不通区間で、尼崎ICにて降りて西宮のフェリー乗り場へ。フェリーに乗り津名港に着きました。
着任地は、洲本市中より少し離れた所で、まだ所々で復旧工事をやっていました。
幸いマンションは、埋め立て地に建設したにもかかわらず、柱や壁が多く床や壁の一部にひびが入った程度で倒壊は免れました。
地震後、一時的に避難所・浴場として、また復旧工事に来られた関係者の宿舎になったそうです。
その後の復旧工事、明石海峡大橋(写真)や神戸淡路鳴門自動車道の全線開通などで島内は変わりました。
赴任していた6年間、あまり良い思い出はない・・・・・。
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と、云う訳でHPやブログ等で「管理人」と云う言葉を見かけますが、上記のような経緯がありますので、あえて私は「管理人」を使わずに「筆者」を使っています。