八木荘司氏の考えは違うようだ!
八木荘司 著 「古代からの伝言・日本建国篇」 角川書店
神武天皇は、西暦174年に日向を出発し、東征を開始した。
その時、山城に有った邪馬台国に、一時は追われて、なにわの海に逃げるが、
その後、熊野にまわって攻め入り、大和の南に国を成した。西暦181年。
その国は、邪馬台国が言う「熊野国」、なぜか中国に渡って魏志倭人伝では「狗奴国」と呼ばれた。
中国の歴史書に「倭国の大乱」と書いてある事だそうだ。
邪馬台国は乱れるが、卑弥呼を女王とすることで倭国連合として安定した。
245年頃、狗奴国は再度倭国連合を攻めるが、邪馬台国は中国の魏に救援を求めた。
248年に卑弥呼が亡くなると、邪馬台国は男王を建てて、倭国連合は乱れた。
女王に壱与を建てることにより、倭国は安定。
しかし、266年頃には邪馬台国は制圧され、近畿一円は狗奴国(大和朝廷)のものとなっていた?
これは、本当だろうか?
一つの仮説にすぎない。色々な仮説が出てきて、結局は真実は分からない。
はっきり分からない日本の古代は、面白い!!!
八木荘司氏は、後世の人が書いた創作とされる部分多い「古事記」や「日本書紀」を
おおむね正しい伝承して考えているようだ。
2代天皇から9代天皇までは実在しなかったという「欠史八代」の考えはない。
245年に邪馬台国を攻めたのは、5代の孝昭天皇で、
8代孝元天皇の頃には、邪馬台国を併呑したのではないかと云っている。
10代崇神天皇の頃(310年頃)には、四道将軍を派遣して初めて全国規模の国家となった。
この四道将軍を、安土桃山時代の信長の戦いになぞらえて書いているのが面白い。
これにて、北陸(柴田勝家)、丹波(明智光秀)、吉備(羽柴秀吉)、東海道(徳川家康)の制覇を狙った。
12代景行天皇の頃には、九州や関東の制覇に向かう。
・・・・そして伝説のヒーロー大和武
さっぱりわからない古代の歴史。
分からないゆえに、色々な仮説が許される???
私のお気に入り度:★★★★☆
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