すいぶん長い間、gooのログインすらしない状態が続いていました。ふと思い出して久しぶりにログイン画面に辿りつきました。
慌ただしい日々を送っていますが、最近、私の読書形態が随分様変わりしました。紙の本から電子ブックへ・・・・。紙ではなく、読みたい本をダウンロードして読むことが多くなったのです。毎月定期的に関東と関西を行き来している現状の中で、移動中の新幹線の中の読書は貴重なひと時ですが、数冊の紙の本を持ち歩くのはかなり荷物になると感じます。その点、紙ではなく、読みたい本をダウンロードする方法は便利だと思います。無料で読める青空文庫はこのごろとても充実してきたので最近よく利用するようになりました。
タッチパネルの操作が苦手でスマホで携帯電話を操作する自分を信用できず、結局、現在は通話用に従来型の携帯電話を使い、インターネット用にスマホを使うという、ちょっと無駄かもしれないけど両方を持ち歩くという状態になってしまいました。青空文庫はスマホを使って読んでいます。青空文庫は著作権の切れた死後50年以上たった作者のものが中心ですが、数多くの名作を読むことが出来るので、しばらくは楽しめそうです。他の電子ブックは有料が多いようですが、それでも紙の本よりは割安です。
さて今回の「黄金風景」はそんな青空文庫の中にありました。短い話ですが、とても印象に残ったものです。
作者の太宰治は「斜陽」や「人間失格」など、わが国屈指の文豪です。中学高校の頃、夢中になって読んだ記憶があります。心に突き刺すような鋭さがあって、若い人々には今でもたいへん人気があるようです。
何年も前のことですが、存命中の太宰治を知っているというAさんという方に出会ったことがあります。戦後すぐのころ、太宰が人気作家として活躍し始めた頃、Aさんはまだ子どもだったそうですが、近所に住んでいて、何度か見かけたことがあり、心中事件後もいろいろな噂話を耳にしたそうです。Aさんのお話によると太宰氏は人間としては周りの人に迷惑をかけるのはしょっちゅうでなかなかの「困ったさん」だったとか。同じく太宰と同郷のBさんもいくら太宰の作品が文学的にすぐれていても太宰氏の生き方や心中事件にはとても批判的でした。当時の私はかつて太宰ファンだった十代のころのことを思い出して複雑な思いで話を聞いていました。
大変前置きが長くなりましたが、そんな裏話を抜きにして、純粋にこの話だけに向き合うと、ちょっとあまのじゃくで頭のいい、でも生き方には不器用で、幸福とは言い難い主人公が、昔いじめた女中のことを心苦しく思うことに仏教的な説話の変形のようなイメージを持ちました。人は誰かにひどい目にあわされたりするとその人のことを恨んだり憎んだりすることがあります。いくら理性的な観点から人を恨むのはよくないとわかっていても長く心の奥に留まってその恨みを忘れることはできません。でも、このお慶はどうでしょう?主人公の男が、あれだけいじめた女中のお慶が家族に恨みごとひとつ言わず、むしろ主人公を立派とさえ言っています。そしてかつてはのろくさく見えた女中が家族を持ち、妻として母としてしっかり生きています。
最後に幸福度の勝ち負けのような捉え方が少しひっかかりましたが、そこがこの話のクライマックスです。主人公はお慶の人間としての深みに目覚めます。この話は仏教とはなんの関係もないのですが、かつてのわだかまりのようなものが億万の塵となって宇宙に散っていくような、般若心経に散りばめられた漢字が脳裡を交錯し始めました。
かつていじめたお慶の現在の幸福な様子と寛容さに完敗する主人公の心の変化の描写がとても印象的です。
「私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。」
ちょっと切なさも残る余韻となって心に響きました
慌ただしい日々を送っていますが、最近、私の読書形態が随分様変わりしました。紙の本から電子ブックへ・・・・。紙ではなく、読みたい本をダウンロードして読むことが多くなったのです。毎月定期的に関東と関西を行き来している現状の中で、移動中の新幹線の中の読書は貴重なひと時ですが、数冊の紙の本を持ち歩くのはかなり荷物になると感じます。その点、紙ではなく、読みたい本をダウンロードする方法は便利だと思います。無料で読める青空文庫はこのごろとても充実してきたので最近よく利用するようになりました。
タッチパネルの操作が苦手でスマホで携帯電話を操作する自分を信用できず、結局、現在は通話用に従来型の携帯電話を使い、インターネット用にスマホを使うという、ちょっと無駄かもしれないけど両方を持ち歩くという状態になってしまいました。青空文庫はスマホを使って読んでいます。青空文庫は著作権の切れた死後50年以上たった作者のものが中心ですが、数多くの名作を読むことが出来るので、しばらくは楽しめそうです。他の電子ブックは有料が多いようですが、それでも紙の本よりは割安です。
さて今回の「黄金風景」はそんな青空文庫の中にありました。短い話ですが、とても印象に残ったものです。
作者の太宰治は「斜陽」や「人間失格」など、わが国屈指の文豪です。中学高校の頃、夢中になって読んだ記憶があります。心に突き刺すような鋭さがあって、若い人々には今でもたいへん人気があるようです。
何年も前のことですが、存命中の太宰治を知っているというAさんという方に出会ったことがあります。戦後すぐのころ、太宰が人気作家として活躍し始めた頃、Aさんはまだ子どもだったそうですが、近所に住んでいて、何度か見かけたことがあり、心中事件後もいろいろな噂話を耳にしたそうです。Aさんのお話によると太宰氏は人間としては周りの人に迷惑をかけるのはしょっちゅうでなかなかの「困ったさん」だったとか。同じく太宰と同郷のBさんもいくら太宰の作品が文学的にすぐれていても太宰氏の生き方や心中事件にはとても批判的でした。当時の私はかつて太宰ファンだった十代のころのことを思い出して複雑な思いで話を聞いていました。
大変前置きが長くなりましたが、そんな裏話を抜きにして、純粋にこの話だけに向き合うと、ちょっとあまのじゃくで頭のいい、でも生き方には不器用で、幸福とは言い難い主人公が、昔いじめた女中のことを心苦しく思うことに仏教的な説話の変形のようなイメージを持ちました。人は誰かにひどい目にあわされたりするとその人のことを恨んだり憎んだりすることがあります。いくら理性的な観点から人を恨むのはよくないとわかっていても長く心の奥に留まってその恨みを忘れることはできません。でも、このお慶はどうでしょう?主人公の男が、あれだけいじめた女中のお慶が家族に恨みごとひとつ言わず、むしろ主人公を立派とさえ言っています。そしてかつてはのろくさく見えた女中が家族を持ち、妻として母としてしっかり生きています。
最後に幸福度の勝ち負けのような捉え方が少しひっかかりましたが、そこがこの話のクライマックスです。主人公はお慶の人間としての深みに目覚めます。この話は仏教とはなんの関係もないのですが、かつてのわだかまりのようなものが億万の塵となって宇宙に散っていくような、般若心経に散りばめられた漢字が脳裡を交錯し始めました。
かつていじめたお慶の現在の幸福な様子と寛容さに完敗する主人公の心の変化の描写がとても印象的です。
「私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。」
ちょっと切なさも残る余韻となって心に響きました