教職員組合というのは、「仕事もしないで文句ばかり言っているおかしな人の集まり」という印象があったのですが、たまには良いことも言うようです
3分の2は総合学習削減望む
=「現場の声聞いて」中学教師
-長野県教組
(以下引用)
ゆとり教育の目玉とされる「総合的な学習の時間」について、中学教師の3人に2人は「見直して他教科の時間を確保してほしい」と考えていることが、長野県教職員組合のアンケート調査で分かった。10日から大分県別府市などで始まる日教組の教研集会で報告される。
調査は県教組佐久支部が昨年7月に実施。小学校90人、中学校81人の教師が回答した。
現行学習指導要領に基づき、小中学校で2002年度から本格実施された総合学習について、中学教師の65%は、見直して国語や数学など他教科の授業時間を確保するよう希望。小学教師の38%と比べて否定的評価が多かった。高校受験の指導を抱えた事情も反映しているとみられる。
学力低下批判を踏まえ、政府の教育再生会議は今年1月、「ゆとり教育見直し」を掲げ、授業時間数の10%増を提言。中央教育審議会は指導要領の改定作業を進めているが、この調査では、中学教師の6割、小学教師の7割が「現場の意見を聞いて決めてほしい」と要望していた。
また、個別意見では「定着したと思うと改定になり、気持ちが安定しない」「ふらふら内容を変更する姿勢が×」と、一貫しない教育政策への不満も寄せられた。
(引用以上) 時事通信社 - 02月09日 07:11
学力が低下しているのは、教科当たりの学習時間が少ないためであり、そのしわ寄せとして学習時間を増やすなら、総合学習という意義のあやしいものを削ってくれ、という主張です。筋が通っていると感じます。
そんなことはない、というのなら、「総合学習は有意義である」ということを明らかにしなくてはいけません。できるかどうか、やってみましょう。
そもそも、総合学習というのは何なのか。文部科学省の言っていることを見てみましょう。
総合的な学習の時間の創設
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/sougou/020501.htm
(以下引用)
今回(注:平成10・11年)の改訂では、[生きる力]の育成を 目指し、各学校が創意工夫を生かして、これまでの教科の枠を超えた学習などができる「総合的な学習の時間」が新設されます。
「総合的な学習の時間」は、これまでとかく画一的といわれる学校の授業を変えて、
(1) 地域や学校、子どもたちの実態に応じ、学校が
創意工夫を生かして特色ある教育活動が行える時間
(2) 国際理解、情報、環境、福祉・健康など従来の
教科をまたがるような課題に関する学習を行える時間
として新しく設けられるものです。
この時間では、子どもたちが各教科等の学習で得た個々の知識を結び付け、総合的に働かせることができるようにすることを目指しています。
(引用以上)
では、「創意工夫を生かして特色ある教育活動が行える時間」や、「教科を跨るような課題に関する学習を行える時間」にどんなことをしているのかということです。
私が小中学生を教えていて一番よく耳にするのは「移動教室・修学旅行のための下調べ」です。たとえば、長崎に行くとしたら、長崎の歴史(鎖国や原爆投下など)について調べるとか、班行動の計画を立てるとかいった感じです。
どうやら、気の早い(ある意味「気の長い」)学校だと、2ヶ月くらい前からそのような下準備をするようです。しかし、意地の悪い見方をすると、総合学習のネタがないので修学旅行を利用していると思えなくもありません。
もう少し実例を見てみようということで、私の地元の小学校の総合学習を見てみることにします。運良くインターネット上に情報がのっかっていまいした。
田植えから収穫まで「米づくり」を体験する
http://homepage2.nifty.com/shokuiku/subsougou0205.htm
(以下引用)
休み中の雀による被害や、田んぼへの水の引き込みがうまくいかず一部の苗が駄目になってしまったり、また田んぼの周りの広場は一般開放のため、田んぼの水の調整弁にいたずらされたり…、数々の失敗も経験しました。失敗の中には教師からみて結構予想可能なものもありましたが、子どもたちにはあえて失敗を経験させる方針で進めました。
(引用以上)
なるほど、日本の主食について学ばせようという企画のようです。社会や理科の実践として非常に面白いと感じます。
しかし、米作りに1時間目も昼休みもないわけで、それを週3時間なら3時間、カリキュラムとして割り振ってやっていくような性質のものかどうかは少々疑問です。それに、全ての小学校がこのような実りのある学習素材を見つけられるわけではありません。小学生の学習内容の範囲内という制約があるだけでなく、学校によって立地条件などが様々だからです。
それならまだ「地域差」でいいのですが、どうも本来の教育目的から逸脱している場合もあるようです。たとえば、次に紹介する小学校の例です。
大阪府松原市立布忍(ぬのせ)小学校
http://www.e-kokoro.ed.jp/matsubara/nunose/index.html
この小学校のトップページ・・・日本語でない文字記号がふんだんに使われています。なにか、ただならぬ予感がします。
リンクをクリックしてみます。総合学習の紹介です。
ぬのしょう・タウンワークス
http://www.e-kokoro.ed.jp/matsubara/nunose/t_works/97kadai.htm
(以下引用)
(1)”ぬのしょう、タウン・ワークス”がめざすもの
①継承すること
・自分の生活・親の働く姿・自分史に返して、
自分の問題として考えることを大切にする。
・地域の人からの聞き取り、フィールドワーク等を通して、
子どもたちの出会い・体験・感動を大切にする。
・子どもの立ち上がり、一人ひとりの思いを集団に返し、
共感し合え、お互いの良さを認め合う豊かな人間関係を育む。
②問題学習をはじめ多様な人権課題を通した、
子ども自身の「気づき」を大切に
・多様な人権課題を学ぶことを通して、自分自身の
「気づき」を大切にする。
③知識・態度・スキルの育成
(中略)
(4)”ぬのしょう、タウン・ワークス”のネットワークづくり
①布小校区のネットワーク
・福祉・ボランティア活動を通して
・労働の学習を通して
・生い立ち、自分史学習を通して
・進路学習を通して
②松原市内のネットワーク
・福祉・ボランティア活動を通して
・多文化共生教育を通して
・進路学習を通して
③大阪府下のネットワーク
・福祉・ボランティア活動を通して
・多文化共生教育を通して
・進路学習を通して
④ヒロシマとのネットワーク
・ヒロシマ修学旅行の取り組みを通して
⑤アジアを始め世界とのネットワーク
(引用以上)
差別というのは差別の存在を教えなければ風化していく一方であり(実際に東京や北海道ではそうなっている)、あえて差別があるということを子供に教え込むのは、それを利用して利権を確保しようとしている勢力があるからに他なりません。
また、「多文化共生」などと言いますが、日本に入り込んでくる人々(上の小学校の想定例なら朝鮮人)について、日本人が彼らの文化を一方的に受忍するような宣伝がなされるばかりです。なぜ入ってくる連中に、日本の文化や習慣を理解しろという主張がなされないのでしょうか。
ヒロシマの例にしても、核兵器を無差別に投下したアメリカを非難するならともかく、学校現場で取り上げられると常に「日本が悪い」という結論に強引に結びつけられることがほとんどです。しかも、ケロイドになった被害者の姿などを見せて、理屈ではなく感情で「日本嫌い」の考えを刷り込もうとするのです。
アジアに至っては、どうせ中国と朝鮮を指しているに決まっています。ただでさえストーカーのようにまとわりつてくる連中に、こちらから近づく必要など100%ありません。
こういった教育は、百害あって一理無しです。
大阪と言えば、以前●このブログの記事でも取り上げたように、外国人(在日朝鮮人)を教員として積極的に採用しているということで知られています。
そういう場所では、総合学習というのは週3時間以上は学校現場の側でカリキュラムを勝手に作れるということでプロパガンダや洗脳をしようとする勢力には非常に都合がいいわけです。
案の定、危険団体の親玉(笑)も、総合学習の時間を有効に活用しろという指示を構成員に下しているようです。
日教組の総合学習についての考え方
http://www.jtu-net.or.jp/news/05/02/02n1_1.html
(以下引用)
総合学習は、子どもたちの興味・関心をもとに、地域や子ども自身のくらしと密着した内容について、教科で培われた力を横断的・総合的に生かしながら「ゆたかな学力」を育てることをめざすもので、人権・平和・環境・共生などをテーマにして、全国各地で長年にわたって実践が積み重ねられてきた。文科省も、各地の実践に呼応するようなかたちで、02年の学習指導要領改訂時から正式に導入されることとなった。
日教組は、現場教職員による教育課程編成運動をまさに実践するものとして、それまでの実践の積み重ねを生かすとりくみとしてすすめてきた。しかし、当時から準備時間の確保や予算的な裏打ちなど、十分な条件整備がない中でのとりくみに、現場の多忙化がすすむとの懸念があったことは事実である。
さらに00年ごろからの「学力低下」論によって教科学力を重視する声が高まったことに加えて、報告書を求められることの増大、内部会議の増加、教職員定数の未充足、学校予算の縮減など、充分な準備をして総合学習にとりくむことが困難な状況が強まっている。
こうした現場状況の改善をすすめることが、行政の責務であり、その具体化を強く求める。
(引用以上)
>子どもたちの興味・関心をもとに
これが本当なら、松原市には差別や在日朝鮮人の暮らしぶりに「興味・関心」を持つ子供が毎年継続的に存在することになります。嘘はいけませんね。正直に「教職員の政治的意図をもとに」と書くべきです。
>人権・平和・環境・共生などをテーマにして
文部科学省が列挙している例にあてはまるのは「環境」だけです。いかに、この団体とその構成員が、洗脳の機会として総合学習を利用しているかがよくわかります。
>日教組は、現場教職員による教育課程編成運動をまさに
>実践するものとして、それまでの実践の積み重ねを生かす
>とりくみとしてすすめてきた。しかし、当時から
>準備時間の確保や予算的な裏打ちなど、十分な条件整備が
>ない中でのとりくみに、現場の多忙化がすすむとの
>懸念があったことは事実である
自分で「積み重ね」てきたはずなのに、導入するとなると多忙化ですか。「だったら導入するなよ」という声が聞こえてきそうです。
>さらに00年ごろからの「学力低下」論によって教科学力を
>重視する声が高まったことに加えて、報告書を求められる
>ことの増大、内部会議の増加、教職員定数の未充足、
>学校予算の縮減など、充分な準備をして総合学習に
>とりくむことが困難な状況が強まっている。
>こうした現場状況の改善をすすめることが、行政の
>責務であり、その具体化を強く求める。
そもそも「多忙」とやらも、本来子供に教えるべきものとして国が定めた項目になかったはずの総合学習が原因のはずです。それを削減しろというなら、百歩譲ってまだ理解できるとして、予算を増やせだの報告書を求めるなだの言い出す。
この労働組合の加入率が年々下がり、おかしな人々の集団だと認識されるのがわかります。
もうこの際はっきり言っておきます。
おまえらみたいな
馬鹿な労働組合が騒ぐから
まともな労働運動が誤解されて、
経団連になめられるんだよ!!
日教組の言いぐさは子供の駄々です。大人なら、自分の要求が受け容れられそうなものかどうか、もうすこし計算をすべきでしょう。それをせずにただ言いたいことだけ言うなら、反社会的集団とみなされても仕方がありません。
自民党の中川昭一政調会長が「日教組は悪性腫瘍」と発言したらしいですが、私もその発言は歓迎です。こんな連中が労働者の権利を持ち出すのには反吐が出ます。
そういう団体が必死になって守っていると言うことは、やはり自分たちの政治的宣伝に使う意図なのでしょう。そういうわけで、このブログとしては、「総合学習は全廃すべきだ」という主張をさせてもらいます。
教育について暗い話題に事欠かない中、、長野県教組が総合学習の削減を提案したというのは、貴重なことです。もしかしたら、親玉(日教組)に何か邪悪な意図があって、その前振りとして仕込まれただけなのかもしれませんが、それも含めて日教組の今後の対応に注目したいと思います。
3分の2は総合学習削減望む
=「現場の声聞いて」中学教師
-長野県教組
(以下引用)
ゆとり教育の目玉とされる「総合的な学習の時間」について、中学教師の3人に2人は「見直して他教科の時間を確保してほしい」と考えていることが、長野県教職員組合のアンケート調査で分かった。10日から大分県別府市などで始まる日教組の教研集会で報告される。
調査は県教組佐久支部が昨年7月に実施。小学校90人、中学校81人の教師が回答した。
現行学習指導要領に基づき、小中学校で2002年度から本格実施された総合学習について、中学教師の65%は、見直して国語や数学など他教科の授業時間を確保するよう希望。小学教師の38%と比べて否定的評価が多かった。高校受験の指導を抱えた事情も反映しているとみられる。
学力低下批判を踏まえ、政府の教育再生会議は今年1月、「ゆとり教育見直し」を掲げ、授業時間数の10%増を提言。中央教育審議会は指導要領の改定作業を進めているが、この調査では、中学教師の6割、小学教師の7割が「現場の意見を聞いて決めてほしい」と要望していた。
また、個別意見では「定着したと思うと改定になり、気持ちが安定しない」「ふらふら内容を変更する姿勢が×」と、一貫しない教育政策への不満も寄せられた。
(引用以上) 時事通信社 - 02月09日 07:11
学力が低下しているのは、教科当たりの学習時間が少ないためであり、そのしわ寄せとして学習時間を増やすなら、総合学習という意義のあやしいものを削ってくれ、という主張です。筋が通っていると感じます。
そんなことはない、というのなら、「総合学習は有意義である」ということを明らかにしなくてはいけません。できるかどうか、やってみましょう。
そもそも、総合学習というのは何なのか。文部科学省の言っていることを見てみましょう。
総合的な学習の時間の創設
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/sougou/020501.htm
(以下引用)
今回(注:平成10・11年)の改訂では、[生きる力]の育成を 目指し、各学校が創意工夫を生かして、これまでの教科の枠を超えた学習などができる「総合的な学習の時間」が新設されます。
「総合的な学習の時間」は、これまでとかく画一的といわれる学校の授業を変えて、
(1) 地域や学校、子どもたちの実態に応じ、学校が
創意工夫を生かして特色ある教育活動が行える時間
(2) 国際理解、情報、環境、福祉・健康など従来の
教科をまたがるような課題に関する学習を行える時間
として新しく設けられるものです。
この時間では、子どもたちが各教科等の学習で得た個々の知識を結び付け、総合的に働かせることができるようにすることを目指しています。
(引用以上)
では、「創意工夫を生かして特色ある教育活動が行える時間」や、「教科を跨るような課題に関する学習を行える時間」にどんなことをしているのかということです。
私が小中学生を教えていて一番よく耳にするのは「移動教室・修学旅行のための下調べ」です。たとえば、長崎に行くとしたら、長崎の歴史(鎖国や原爆投下など)について調べるとか、班行動の計画を立てるとかいった感じです。
どうやら、気の早い(ある意味「気の長い」)学校だと、2ヶ月くらい前からそのような下準備をするようです。しかし、意地の悪い見方をすると、総合学習のネタがないので修学旅行を利用していると思えなくもありません。
もう少し実例を見てみようということで、私の地元の小学校の総合学習を見てみることにします。運良くインターネット上に情報がのっかっていまいした。
田植えから収穫まで「米づくり」を体験する
http://homepage2.nifty.com/shokuiku/subsougou0205.htm
(以下引用)
休み中の雀による被害や、田んぼへの水の引き込みがうまくいかず一部の苗が駄目になってしまったり、また田んぼの周りの広場は一般開放のため、田んぼの水の調整弁にいたずらされたり…、数々の失敗も経験しました。失敗の中には教師からみて結構予想可能なものもありましたが、子どもたちにはあえて失敗を経験させる方針で進めました。
(引用以上)
なるほど、日本の主食について学ばせようという企画のようです。社会や理科の実践として非常に面白いと感じます。
しかし、米作りに1時間目も昼休みもないわけで、それを週3時間なら3時間、カリキュラムとして割り振ってやっていくような性質のものかどうかは少々疑問です。それに、全ての小学校がこのような実りのある学習素材を見つけられるわけではありません。小学生の学習内容の範囲内という制約があるだけでなく、学校によって立地条件などが様々だからです。
それならまだ「地域差」でいいのですが、どうも本来の教育目的から逸脱している場合もあるようです。たとえば、次に紹介する小学校の例です。
大阪府松原市立布忍(ぬのせ)小学校
http://www.e-kokoro.ed.jp/matsubara/nunose/index.html
この小学校のトップページ・・・日本語でない文字記号がふんだんに使われています。なにか、ただならぬ予感がします。
リンクをクリックしてみます。総合学習の紹介です。
ぬのしょう・タウンワークス
http://www.e-kokoro.ed.jp/matsubara/nunose/t_works/97kadai.htm
(以下引用)
(1)”ぬのしょう、タウン・ワークス”がめざすもの
①継承すること
・自分の生活・親の働く姿・自分史に返して、
自分の問題として考えることを大切にする。
・地域の人からの聞き取り、フィールドワーク等を通して、
子どもたちの出会い・体験・感動を大切にする。
・子どもの立ち上がり、一人ひとりの思いを集団に返し、
共感し合え、お互いの良さを認め合う豊かな人間関係を育む。
②問題学習をはじめ多様な人権課題を通した、
子ども自身の「気づき」を大切に
・多様な人権課題を学ぶことを通して、自分自身の
「気づき」を大切にする。
③知識・態度・スキルの育成
(中略)
(4)”ぬのしょう、タウン・ワークス”のネットワークづくり
①布小校区のネットワーク
・福祉・ボランティア活動を通して
・労働の学習を通して
・生い立ち、自分史学習を通して
・進路学習を通して
②松原市内のネットワーク
・福祉・ボランティア活動を通して
・多文化共生教育を通して
・進路学習を通して
③大阪府下のネットワーク
・福祉・ボランティア活動を通して
・多文化共生教育を通して
・進路学習を通して
④ヒロシマとのネットワーク
・ヒロシマ修学旅行の取り組みを通して
⑤アジアを始め世界とのネットワーク
(引用以上)
差別というのは差別の存在を教えなければ風化していく一方であり(実際に東京や北海道ではそうなっている)、あえて差別があるということを子供に教え込むのは、それを利用して利権を確保しようとしている勢力があるからに他なりません。
また、「多文化共生」などと言いますが、日本に入り込んでくる人々(上の小学校の想定例なら朝鮮人)について、日本人が彼らの文化を一方的に受忍するような宣伝がなされるばかりです。なぜ入ってくる連中に、日本の文化や習慣を理解しろという主張がなされないのでしょうか。
ヒロシマの例にしても、核兵器を無差別に投下したアメリカを非難するならともかく、学校現場で取り上げられると常に「日本が悪い」という結論に強引に結びつけられることがほとんどです。しかも、ケロイドになった被害者の姿などを見せて、理屈ではなく感情で「日本嫌い」の考えを刷り込もうとするのです。
アジアに至っては、どうせ中国と朝鮮を指しているに決まっています。ただでさえストーカーのようにまとわりつてくる連中に、こちらから近づく必要など100%ありません。
こういった教育は、百害あって一理無しです。
大阪と言えば、以前●このブログの記事でも取り上げたように、外国人(在日朝鮮人)を教員として積極的に採用しているということで知られています。
そういう場所では、総合学習というのは週3時間以上は学校現場の側でカリキュラムを勝手に作れるということでプロパガンダや洗脳をしようとする勢力には非常に都合がいいわけです。
案の定、危険団体の親玉(笑)も、総合学習の時間を有効に活用しろという指示を構成員に下しているようです。
日教組の総合学習についての考え方
http://www.jtu-net.or.jp/news/05/02/02n1_1.html
(以下引用)
総合学習は、子どもたちの興味・関心をもとに、地域や子ども自身のくらしと密着した内容について、教科で培われた力を横断的・総合的に生かしながら「ゆたかな学力」を育てることをめざすもので、人権・平和・環境・共生などをテーマにして、全国各地で長年にわたって実践が積み重ねられてきた。文科省も、各地の実践に呼応するようなかたちで、02年の学習指導要領改訂時から正式に導入されることとなった。
日教組は、現場教職員による教育課程編成運動をまさに実践するものとして、それまでの実践の積み重ねを生かすとりくみとしてすすめてきた。しかし、当時から準備時間の確保や予算的な裏打ちなど、十分な条件整備がない中でのとりくみに、現場の多忙化がすすむとの懸念があったことは事実である。
さらに00年ごろからの「学力低下」論によって教科学力を重視する声が高まったことに加えて、報告書を求められることの増大、内部会議の増加、教職員定数の未充足、学校予算の縮減など、充分な準備をして総合学習にとりくむことが困難な状況が強まっている。
こうした現場状況の改善をすすめることが、行政の責務であり、その具体化を強く求める。
(引用以上)
>子どもたちの興味・関心をもとに
これが本当なら、松原市には差別や在日朝鮮人の暮らしぶりに「興味・関心」を持つ子供が毎年継続的に存在することになります。嘘はいけませんね。正直に「教職員の政治的意図をもとに」と書くべきです。
>人権・平和・環境・共生などをテーマにして
文部科学省が列挙している例にあてはまるのは「環境」だけです。いかに、この団体とその構成員が、洗脳の機会として総合学習を利用しているかがよくわかります。
>日教組は、現場教職員による教育課程編成運動をまさに
>実践するものとして、それまでの実践の積み重ねを生かす
>とりくみとしてすすめてきた。しかし、当時から
>準備時間の確保や予算的な裏打ちなど、十分な条件整備が
>ない中でのとりくみに、現場の多忙化がすすむとの
>懸念があったことは事実である
自分で「積み重ね」てきたはずなのに、導入するとなると多忙化ですか。「だったら導入するなよ」という声が聞こえてきそうです。
>さらに00年ごろからの「学力低下」論によって教科学力を
>重視する声が高まったことに加えて、報告書を求められる
>ことの増大、内部会議の増加、教職員定数の未充足、
>学校予算の縮減など、充分な準備をして総合学習に
>とりくむことが困難な状況が強まっている。
>こうした現場状況の改善をすすめることが、行政の
>責務であり、その具体化を強く求める。
そもそも「多忙」とやらも、本来子供に教えるべきものとして国が定めた項目になかったはずの総合学習が原因のはずです。それを削減しろというなら、百歩譲ってまだ理解できるとして、予算を増やせだの報告書を求めるなだの言い出す。
この労働組合の加入率が年々下がり、おかしな人々の集団だと認識されるのがわかります。
もうこの際はっきり言っておきます。
おまえらみたいな
馬鹿な労働組合が騒ぐから
まともな労働運動が誤解されて、
経団連になめられるんだよ!!
日教組の言いぐさは子供の駄々です。大人なら、自分の要求が受け容れられそうなものかどうか、もうすこし計算をすべきでしょう。それをせずにただ言いたいことだけ言うなら、反社会的集団とみなされても仕方がありません。
自民党の中川昭一政調会長が「日教組は悪性腫瘍」と発言したらしいですが、私もその発言は歓迎です。こんな連中が労働者の権利を持ち出すのには反吐が出ます。
そういう団体が必死になって守っていると言うことは、やはり自分たちの政治的宣伝に使う意図なのでしょう。そういうわけで、このブログとしては、「総合学習は全廃すべきだ」という主張をさせてもらいます。
教育について暗い話題に事欠かない中、、長野県教組が総合学習の削減を提案したというのは、貴重なことです。もしかしたら、親玉(日教組)に何か邪悪な意図があって、その前振りとして仕込まれただけなのかもしれませんが、それも含めて日教組の今後の対応に注目したいと思います。