日々是勉強

教育、国際関係、我々の社会生活・・・少し上から眺めてみよう。

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もっとも大事な自由とは?(1)

2005年11月30日 10時03分06秒 | 憲法の話題
  日教組が好きで好きでたまらないという「憲法」について、わかりやすく書いていこうという企画の第1回です。

  私がこれを書くべきだと思った理由は幾つかあります。

 1.日教組・全教などの団体は憲法の理念や精神をやたらと強調する
  が、何となく納得してしまう人が多いのではないか

 2.憲法改正が話題になっているが、新聞やメディアの主張を読んでも
  よくわからないという人が多いのではないか

 3.憲法の理念を振りかざして他者を攻撃してくる人間に対して、「占領
   憲法だから無効だ」と、飛躍した反論をしてしまうのを防げないか

 4.そもそも、日本の戦後教育を支えてきた「個人の尊厳」「平等」
  「平和主義」
といった理念は、本当に必要な概念なのだろうか

  こういった疑問を持っている自分自身を納得させることや、憲法というとそもそも第9条にしか目が行かない視野狭窄(改正賛成の人も反対の人も、そういう傾向がある)を少しでも変えていただければと思い、普段の記事の合間合間に書いていこうと思ったのです。

  我が国の憲法の歴史などをちまちまと述べても、他のサイトや教科書にいくらでも書いてあるでしょう。また、学術的な議論をしたいとも思っていません。
  そういうわけで、あくまで私なりの意見をここに載せていきたいと思います。学術的な見地からは不十分な点もあることと思いますが、ご容赦ください。

  初回なので、憲法に書いてある数々の「自由」や「権利」の中で、一番大切な自由とは何だろう?という話題で行きたいと思います。

  解釈上認められる自由(たとえば、「海外渡航の自由」)や権利(たとえば「知る権利」)を除くと、日本国憲法には以下のような自由・権利があります。

  ●幸福を追求する権利(13条)
  ●選挙権(15条1項)●請願権(16条)
  ●国家賠償請求権(17条)●人身の自由(18条)
  ●思想・良心の自由(19条)●信教の自由(20条)
  ●表現の自由(21条)●移転居住・職業選択の自由(22条)
  ●学問の自由(23条)●生存権(25条)
  ●教育を受ける権利(26条)●勤労権(27条)
  ●労働基本権(28条)●財産権(29条)
  ●裁判を受ける権利(32条)●弁護人選任権(34条)
  ●刑事裁判を受ける権利(37条)
  ●黙秘権(38条)●刑事賠償請求権(40条)

  ずいぶん、いっぱいありますね・・・。さて、では、どれが一番大切なのでしょうか。

  ずばりいいます、それは表現の自由です。

  なぜなら、ごく簡単に言うと、「表現の自由がなければ、行き着くのは非人間的な独裁国家になる」からです。

  表現の自由には、二つの価値があるということは、憲法の教科書では必ず触れられています。これは、憲法を知らない人も絶対にしっておくべき知識です。

  一つ目の価値は、「自己実現」という価値です。
  おいおい・・・このブログの管理人は「自己実現」が嫌いなんじゃないか?と思われる方もいるでしょうね。しかし、●この記事で取り上げたものと、ここでいう自己実現は、全く違う意味です。
  基本的に、言いたいことを我慢しているのはよくない、言っていることと思っていることがイコールでつながるべきだ。それが自分らしさだ、これが「自己実現」という言葉の表面的な意味です。
  しかし、みなさんは、「しまった!こんなこと言うべきじゃなかった!」と冷や汗をかいた経験があるはずです。それも、一度や二度ではないはずです。特に若い頃(笑)は、失言や言い過ぎ、言葉足らずで嫌な経験をしてしまったという方も多いでしょう。
  では、なぜ、「言うべきでなかった」と思うのでしょう。それは、相手に嫌な顔をされたり、周りの人間に責められたりしたからなのではありませんか?
  それは、言い換えると、その場にふさわしくない発言をした誰かに、周囲の人(つまり「社会」)が、「ダメ出し」をしたということです。発言者は、当然次からはこういうことを言わないでおこう、と思いますよね。
  こういう経験を重ねると、言っていいことと悪いことを、自分の考えで区別できるようになります。これが「自己実現」の本当の価値なのです。誰かに言われたからやらない、というのは、「自己実現」ではありません。裏を返すと、「誰かに言われなければ言ってもいい」ということになるからです。

  もう一つの価値は、「自己統治」という価値です。
  言いたいことをそのまま言えば、当然それを誰か他人が聞きつけるわけです。というか、誰でも自分の考えを他人に聞いてほしくて言うのです。だから、無人島では表現の自由が必要ありません(笑)
  こんな経験はないでしょうか?インターネットの掲示板やブログを見ていたら、自分と似た考え方をする人がいた、という経験です。
  そういうとき、何を感じましたか?
  きっと、自分と同じ考え方をしている人がいる!と知って、安心したり勇気が湧いたりしたんじゃないでしょうか?そして、それによってコメントをつけたり、自分もブログを書いてみよう、と思ったりするかもしれません。
  これこそが、表現の自由を保護しなくてはならない最大の目的なのです。社会のどこかに、自分と同じ意見や疑問や怒りを持っている人がいても、声に出さなければわからないのです。
  自分と似た声を聞けば、「自分は一人ではないのだ」という連帯感が形成されることになります。それが大きな束になると、何が出来るか分かりますか?そう、「政党」です。
  政党が政策や政治理念を掲げている、というのではありません。一人一人が言いたいこと言っていたら、似た考えの人が自然と集まっていたというのが政党の本来の姿なのです。
  政党という形を取らなくても、似た考えの仲間で「○○に投票しよう」「××の政策はサイテーだから支持しないでおこう」などという意思形成は可能です。さらに言えば、誰かの発言を聞いて納得できれば、個人でも「じゃあ俺は△△党で」という判断は可能です。
  つまり、自分の言いたいことを言わせることで、直接・間接を問わず、政治に関与していることになるわけです。
  これが、「自己統治」、すなわち、自分で自分の国を治める(政治プロセスに参加する)という価値です。

  極端な話、憲法に他の権利など一つも書いていなくてもいいのです。表現の自由さえあれば、意見が人々の間を駆けめぐるので、政府がめちゃくちゃなことをすることができなくなるのです。
  逆もまた真なり、です。表現の自由が無くなってしまえば、民主主義など成り立ちません
  私が独裁者になったら、まず初めに何をするか・・・こういうことはみなさんも考えてみるといいと思います。

  私だったら、ずばりインターネットは使用禁止にしますね。

  あれ?新聞やテレビはどうなの?と思った方、甘いです。私が独裁者なら、新聞やテレビなど少しも怖くありません

  この謎解きは、次回にしましょう。(つづく)
  
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【民主党には】日教組出身の国会議員さん【入れるな!】

2005年11月27日 12時05分41秒 | 日教組関連
  日教組出身の議員・神本美恵子氏のコラムに突っ込む企画第3弾です。どうも、この企画はただ単に管理人の意地の悪さが伝わってしまうだけなのか、あまり人気がないようです・・・。

  それでは、コラムから引用します。

http://kamimoto-mieko.net/column/space_on_2005_02/p4.htmlより

私たちの拠り所としての憲法・教育基本法

そのときに拠り所となったのは憲法であり、教育基本法第十条「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って行われるべきもの」だった。そして、最も大切にしたのは一人でも多くの保護者や同僚と語り合い連帯すること、子どもたちを裏切らないことだった。

いま、東京都において行われている問答無用の強制は、明らかに教育基本法違反であり許せないやりかただ。少なくとも、「国旗・国歌法」制定時の国会での議論でも「強制しない」となっており、学校行事はあくまで子どもたちのためのものだ。それぞれの学校で子ども、保護者も含めてきちんと議論し、各学校で決めるべきものだと思う。

また、これまでの教育で教育基本法の理念の具現化が不十分で、今回の「改正」のターゲットにもなっている「個人の尊厳を重んじ」「個人の価値をたつとび」という点で、権利ばかり主張する利己主義の人間を育てたというようにいわれている。

私たちは、家庭でも学校でも子どもに対して、ひとりひとりかけがえのない存在として子どもを尊重してきたか。権利行使の主体として子どもの意見表明権の尊重や、子どもにかかわることを決定するとき、子どもの参画を保障してきたか。子どもの権利条約を批准したとき、学校ではこのことが問われた。たとえば校則ひとつとっても、ひとりひとりの子どもに関わることなのに、子ども抜きで決めて、それに従わせ、従わなければ罰するということをやってきた。そうではなく、自分たちに関わることの決定に子どもたちも参画することをやっていけば、それは利己主義でも間違った個人主義でもなく、必ずそのなかでの調和を子どもたちは考える。放っておくとわがままになるとか、意見を言わせると自分たちに都合のいいことばかりを決めるとおとなは思いこんでいるが、決してそうではない。子どもたちに投げかけ、子どもたちが参画して議論をすると、おとな以上に素晴らしい結論を生み出すという実践が今、各地の学校で少しずつ広がってきている。

女性差別撤廃条約の批准を契機に徐々にひろがってきた男女混合名簿のとりくみも、これまで気づかずに子どもたちを男女の枠に閉じ込めてきたジェンダーバイアスから解放し、性別にかかわりなくひとりひとりの個性と能力を発揮できるようにするとりくみだが、男女共同参画社会基本法があるにもかかわらず、「名簿は男女別に」とか、「男は男らしく、女は女らしく」などのジェンダーフリーバッシングが続いている。


  神本(日教組)節は今日も快調・・・という感じですね。では、少しばかり注釈を。

>教育基本法第十条「教育は、不当な支配に服することなく、
>国民全体に対し直接責任を負って行われるべきもの」


  ついに出ましたね。日教組が金科玉条のごとく奉っている条項です。教科書の採択などに当たって、行政側が強い態度に出られないのは、これを盾に行政訴訟を起こされてしまうからだと言われています。
  法律的に見れば、何が「不当」な支配なのかは、どうにでも解釈できるのですから、文部科学省や教育委員会さえ強気なら「現場介入」でも何でもできるはずです。
  行政側がそれをやれないのは、行政の側も子どもたちの教育のためという使命感がなく、ただ事無かれ主義で仕事をしているからなのではないでしょうか。日教組の大暴動が起ころうと、行政訴訟を連発されようと、絶対に筋を曲げないという強い意志のリーダーが行政サイドにいてほしいと思います。
  また、日教組の組合員が「国民全体に対して直接責任を負って」いるのなら、もう少し現実社会に出たときに齟齬を起こさないような人格を育てるようにしたらどうでしょうか。下らない思想を吹き込むだけ吹き込んでおいて、後は知りませんという連中が、責任などと言い出すとは失笑を禁じ得ません。

  馬鹿な組合員に曲解されかねないこの条文は、教育基本法の改正に伴って削除すべきでしょう。法解釈の立場からも、何を持って「不当」なのか曖昧すぎて、行政の指針として使えません。もっとも、この条文があろうがなかろうが、日教組は関連法規に従うつもりなどないでしょうが・・・。

>子どもたちを裏切らないこと

  研鑽に励むべき内勤時間や余暇の時間を、組合活動に使っている時点で、もうすでに裏切っているように思うのですが。お題目はいいから、さっさと実践しろ!と言いたくなります。

>学校行事はあくまで子どもたちのためのもの

  こう言っていますが、神本センセーたちは子どもたちが「日の丸を掲揚して式をやりたい」と言い出したら、血相を変えて罵詈雑言を浴びせるはずです。自分たちの言い分に従う子ども、都合のいい子ども(●こういう子どもたちのこと)だけが可愛いのが日教組です。自衛官のお子さんが「おまえの親は人殺しだ」と言われるケースをよく耳にするので、これは根拠のない臆断ではありません。

> 権利ばかり主張する利己主義の人間を育てたというようにいわれている。

  どうやら、神本センセーも私のような人間の存在が気になるらしいですね。
  まあ、育てた、というより、神本センセーのような組合員の方々が「権利ばかり主張する利己主義の人間」という方が適当でしょう。税金で食べているのに、で日の丸とか君が代とか平和とか、教師の仕事と関係のない自分の「趣味」ばかりやっているのですから。
  ちなみに、憲法の理念や個々の権利についての私の考えは、次回以降「中学生でもわかる憲法の話」というシリーズで展開していきます。ご期待ください。

>権利行使の主体として子ども
>子どもの参画


  不思議に思われる方もいるかも知れませんが、なぜ日教組はこんなにムキになって子どもの人権とやらを持ち上げるのでしょうか?
  理由は簡単です。子どもが「権利主体」になれば、親や共同体から子どもを切り離すことができるからです。そうすることで、自分たちの思想で洗脳しやすくするのです。
  統一教会オウム真理教のようなカルト宗教が、親元から子どもを引き離して「出家」させているというのはよく知られていますが、あれも共同体から若い人を分離して根無し草にした上で、自分たちの思想を叩き込むわけです。
  親の言いつけを守りたいと思う子どもの人権を侵害していることなど、日教組はもちろんお構いなしです。自分たちの高邁な理想に従わない子どもの方がおかしいのですから。
  統一原理やオウムでもいいのですが、私が一番日教組に似ていると思うのは、中国共産党です。
  特に、若者をターゲットにしている点が毛沢東時代の「文化大革命」とそっくりです。毛沢東は紅衛兵と言われる洗脳された若者に、中国の旧来からのしきたりや文化を徹底的に破壊させ(ることによって反対派のパージをごまかし)ました。●こちらのリンクに的確な説明があるので、ご覧ください。子どもをおもちゃにする全体主義者の考え方がよくわかります。

>必ずそのなかでの調和を子どもたちは考える。

  本当に「考える」ならいいのですが、後ろに変な人たちがいて「考えさせる」ことになるのではないか、そこが心配です。学校で子どもの参画とかいうものを実行するとなると、必ず側には教師がいるわけです。都合のいいような方向に議論を歪める危険性について、神本センセーは考えが及ばないのでしょうか。

>おとな以上に素晴らしい結論を生み出すという実践が今、
>各地の学校で少しずつ広がってきている。


  確かに、自分たちが「君が代は殺人者賛美の歌だから、歌うな」と言えば、その通りに歌わないと言うのですから、大人「以上に素晴らしい結論」が出てきますね。
  「おとな」として言わせてもらうと、そんな「実践」なんてやらなくていいですから、ちゃんと仕事をしてください、仕事を。(もう言い飽きた)

>男女の枠に閉じ込めてきたジェンダーバイアスからの解放

  ジェンダーバイアスというのは、社会的役割としての性(ジェンダー)についての偏見、ということらしいです。
  日教組は労働組合ですが、労働組合の本質である労働環境の改善と、ジェンダーバイアスからの解放と、どんな関係があるんでしょうか?
  日教組は単なる政治団体にすぎないことがよくわかりますね。

  2007年に参議院選挙があります。おそらく、「ポスト小泉」と言われる選挙として、重要な局面になるでしょう。
  そこで、私が主張したいことは、

  比例は絶対民主党に入れるな!!

ということです。理由は簡単、神本議員が当選してしまう確率が高くなるからです。神本センセーが国費で活動していると思うと、税金を納めるのが馬鹿馬鹿しくなりませんか?
  ほかにも民主党の参議院・比例区には、韓国で反日デモに参加した「良心的日本人」●この議員です)や、反日記事を毎日量産している朝鮮日報出身の元韓国人●この議員です。ちなみに、選挙のキャッチコピーは「父の国韓国、母の国日本」、つまり、儒教的に見て「韓国>日本」と言う意味)と、本当に素晴らしい人材が揃っていますからね・・・。
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【行っては】素晴らしい修学旅行を企画する学校【いけない】

2005年11月27日 00時06分34秒 | 子供の教育
  すみません、神本議員の話は一旦中断します。

  ★厳選!韓国情報★という面白いブログがあります。その記事が、教育にも大いに関連したものなので、ここで紹介します。

★<丶`∀´> 韓国へ謝罪修学旅行に出かける良心的な学校の数々を紹介するニダ!
http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/42976413e28ccd4e19a2d9a588fd7f03

  進学情報としても有益ですね。日教組推奨の私立高校ばかり出ているといっても過言ではありません。
  是非ともご覧ください。
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【民主党】日教組出身の国会議員さん2【比例選出】

2005年11月25日 09時59分42秒 | 日教組関連
  前回に続き、日教組出身の参議院議員・神本美恵子氏(ホームページは●こちら)のコラムを楽しく読もうという企画です。支持者の方からの怨嗟の声が聞こえてきそうですが、これも人気の裏返しとしてご理解ください(笑)。

http://www.kamimoto-mieko.net/column/space_on_2005_02/p3.htmlより引用

私たちはどれだけ主権者たりえているのか

戦後の教育行政は、憲法・教育基本法をもちながらその理念をほとんど棚上げにしてきた。しかし一方で、教育の現場や、平和・人権の確立を求める市民運動にとっては、まぎれもなく教育基本法は拠り所でもあった。その法律そのものが変えられようとしている今、私たちはどうするのか。

私たち自身がどれだけ主権者たりえているのか、また個人の尊厳を重んじ、民主的で平和な社会をつくるために、自らの生き方も含めて子どもたちにそのことをどう伝えようとしているのかが問われているともいえる。

私自身、教育の現場にいたとき、平和教育や人権教育、障害児教育、男女平等教育に出会い、具体的にそれを実践しようとするとき、さまざまな圧力や制約に直面した。

たとえば70年代始めの頃、私の出身である福岡県では、平和教育の一環として、「日の丸・君が代」が歴史的に果たしてきた役割、つまり侵略のシンボルであり、天皇制の象徴であったことを子どもたちにきちんと伝えること、また、学校行事の中で国旗、国歌として強制することに反対してきた。これに対して、教育行政側からは今、東京都で行われているような処分をチラつかせての圧力をかけてきた。

特に、学習指導要領が「指導することが望ましい」から、「指導するものとする」と変わってから、厳しい対応になった。

私たちは、あくまでも卒業式・入学式は学校行事であり、各学校で決めるものとの立場から、どのような卒業式・入学式にしたいのか、子どもたちと一緒につくり上げ、職員会議でも議論した。すると、どうしてもそこには「日の丸・君が代」の必要性は出てこない。しかし、教育委員会の圧力に負けて、校長が一方的に押し付けようとする。こうしたせめぎ合いの連続だった。

  神本センセーの熱い(赤い)教員生活の一端が垣間見られましたね。では、少しばかり注釈を。

>自らの生き方も含めて
  神本センセーのような日教組組合員の生き方、私なら是非とも拝聴したいです。大学時代、校舎にバリケードを張って反対派をリンチしたこととか、社会人になっても、学力テストを妨害して警察に捕まったこととか、ネタの宝庫ですからね(笑)。

>平和教育や人権教育
  そんなのどうでもいいから本業をちゃんとやってくださいよ、神本センセー!!

>さまざまな圧力や制約
  ちゃんと仕事をしてくださいとか、公務員として法律を遵守しろ、と言っても、こういう言葉で切り返されてしまいます。もはや、馬の耳に念仏・日教組に職業倫理、というレベルです。

>「日の丸・君が代」・・・侵略のシンボル
   あの日の丸からここまで想像できる神本センセーの想像力(妄想力)に感心します。それなら、●こちらの、センセーが好きそうな国旗は、「血塗られた歴史のシンボル」というところでしょうか。

>子どもたちにきちんと伝える
  そんなことより、知識や学問体系をきちんと伝えてくださいよ。この分だと神本センセーは、組合員時代に全く指導要領を守っていませんね。立派な職務怠慢です。

>厳しい対応になった。
  その原因はセンセーたちの政治活動にあるということを、センセー自身全くお分かりでないようですね。
  ●センセーの所属政党は、総選挙の敗北を「郵政への対応がまずかった」とまとめていらっしゃいますが、真の原因は●こういう「まとも」な議員と、日教組出身の神本センセーが同居している民主党の呉越同舟ぶりです。そんなのではいつまで経っても政権交代なんて出来ませんよ!!

>卒業式・入学式は学校行事であり、各学校で決める
  それは確かにそうなのですが、国がやっているのはあくまで「国民教育」なのです。日本を恨め!世界市民になれ!なんて教育するわけがありません。そういうのをやりたいなら、●勤務評定の話(後編)でも書きましたが、平和だの人権だの学習指導要領と関係のない事柄だけを教えたいなら、国民の税金でコソコソ活動せず、私塾を作って正々堂々やればいいでしょう?

>子どもたちと一緒につくり上げ
  そうやって作り上げたのがような、●子ども国会という頭のいかれたイベントというわけです。「と一緒に」という部分は、「を洗脳して」「をオルグして」と訂正すべきです。
  こういう先生が担任だと、式で国家を歌っただけで内申書が「1」だらけになりそうで怖いですね。

> 職員会議でも議論した。すると、どうしてもそこには
>「日の丸・君が代」の必要性は出てこない。

  この職員会議に出席していた、まともな先生方は「必要性」を出させようとしない日教組の工作員の恫喝や脅迫でさぞかしつらい思いをされたでしょう。心中お察し申し上げます。きっと、戦前はこういう感じで、軍部の暴走に懸念を見せる人が「非国民!」などと決めつけられていたのでしょうね。

 あの、ところで神本センセー、この文章のどこが

>私たちはどれだけ主権者たりえているのか

  というテーマと関連するのでしょう?「私たちはどれだけ教育現場を混乱させているか」「私たちはどれだけ税金を政治活動で浪費しているか」というようなタイトルに変えた方がいいと思います(笑)。

  このシリーズであと1回続きます。
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【比例】日教組出身の国会議員さん1【選出】

2005年11月23日 14時17分23秒 | 日教組関連
  
  みなさん・・・あの日教組が国会議員を生み出していたって、知ってましたか!?

  神本美恵子参議院議員がその人です。
  どんな議員さんかは、さきの特別国会で人権擁護法案を早く成立させろと小泉首相に催促したことからもお分かりでしょう。(人権擁護法案については●こちらのブログをどうぞ。)

  日教組の頭の中身を知る上で、バリバリの組合員だった神本議員の主張や思想を知っておくのは良いことだと思われます。以下で、神本センセーのホームページ(●こちら)に出ているコラムを紹介して、容赦なく突っ込みたいと思います。

http://kamimoto-mieko.net/column/space_on_2005_02/p1.htmlより

今、学校の現場は

21年間子どもたちと過ごした小学校の現場を離れてもう13年になる。自分は教員に向いていない、辞めてしまいたいと食事ものどを通らない辛い日々も何度かあった。悲しい思いや辛い経験を消し去ることはできないが、それ以上に、やっぱり子どもたちとの出会いと生活はかけがえがなく、子どもたちにエネルギーをもらっていたんだと、折に触れ思い出す。

しかし、ここ数年の学校現場の変わりようは、どうだろう。

教職員の病気休職者は10数年前と比べて2倍の6,017人、そのうち精神疾患が5割以上と急増。私の身近な友人の中にも、病休を繰り返している人がいる。同期の友人の幾人もが、「体力も気力も続きそうにない」と、定年を待たずに退職している。

情報化、都市化、少子化、階層化など激変する社会のなかで右往左往するおとなを見ながら、学ぶ意味も将来への希望も持てずにいる子どもたち、虐待、DVにさらされている子どもたちもいる。こうした社会に対して子どもたちは、いじめや不登校、引きこもり、社会的な事件などさまざまな形でおとなたちに異議申し立てをしている。

にもかかわらず、子どもの現実を無視して、矢継ぎ早に、しかも猫の目のように変わりながらすすめられている「上からの教育改革」の強制のなかで、教職員は、子どもたちに寄り添おう、向き合おうとすればするほど自分の非力さや無力感を感じて追い込まれている。こんな状況で、生き生きと生き抜く力をはぐくむ教育ができるわけがない。


  さて、突っ込み開始です。
  
>私の身近な友人の中にも、病休を繰り返している人がいる。

  仕事についていけない人への同情・・・これだけ見ると神本センセーが優しい人のように見えますが、私に言わせればいかにも「労働組合」的な考え方ですね。一番出来ない人、ダメな人に合わせようという、いじけた物の見方です。そもそも適格がないから、早く辞めて別の仕事をしよう、という考え方はできないのでしょうか?
  教育の仕事は、3年が山だと私は思います。初めは、寄ってくる生徒と話すのが楽しいものです。しかし、それが2年、3年と経つと、子どもの嫌な面が見えてくるようになります。授業が下手だったり、おどおどしている先生は、必ず陰口を言われます。それだけでなく、表立って不満を言ってくることもあります。これは、全て私が経験しているので間違いないことです。
  そこで開き直れるかどうかが、教育に携わる人間の条件なのです。子どもは天使でも何でもないです。放っておけばろくなことをしないし、自堕落で怠け癖があるものです。だからこそ、社会に適応できるよう教育しなければならないのです。それには、こちらが強くならなければ始まりません。
  それにしても、いいですねえ学校の先生って。病休と復帰を繰り返していたら、塾の先生はすぐにクビです。今の先生たちは、社会人としての適格も怪しいような「もやしっ子」の集まりなのでしょうか。  

>同期の友人の幾人もが、「体力も気力も続きそうにない」と、定年を
>待たずに退職している。


  甘っちょろいことを言うな、という感じです。体力や気力がない人間など、さっさと教壇を退いていただいて結構です。学校はリハビリやデイケアの場ではありません。せめて、店舗販売員くらいは出来る体力と、コミュニケーション能力は持っておくべきです。

>情報化、都市化、少子化、階層化など激変する社会

  世の中に氾濫している「勝ち組」「負け組」的な分類をして、世の中にキャッチアップしていこうという(無駄な)努力をしているのでしょうが、ただ言葉を羅列しているだけで、言っている本人もよくわかっていない感じがしますね。丸暗記はダメですよ、センセー!
  都市化なんて、今に始まったことではないと思うのですが・・・いつか生徒に聞いた、「バブル崩壊まで高度成長が続いたと勘違いしているセンセー」を思い出しました。神本センセーも、もう少し「激変する社会」の生の姿を見た方がよろしいですよ。そうすれば、こんな味も素っ気もない言葉は出てきませんから。

> 学ぶ意味も将来への希望も持てずにいる子どもたち、虐待、
>DVにさらされている子どもたちもいる。こうした社会に対して
>子どもたちは、いじめや不登校、引きこもり、社会的な
>事件などさまざまな形でおとなたちに異議申し立てをしている。


  日教組などの左翼の得意技を連発しています。「弱いものへの無条件の肩入れ」「世の中についてのとびきり悲惨な描写」です。権力者以外の人間をみんな弱者として自分たちの思想に巻き込み、悲観論を蔓延させて、「こんな世の中だったら革命だ!」と言わせたいわけです。マルクスが「資本論」を書いた150年前から、全く進歩していません。
  いじめは「反社会的行為」、引きこもりや不登校は「社会不適合」です。それ以上の意味はありません。そんなものを異議申立として正当化する必要などありません。本当に何とかしたいと思っている人たちは、神本議員や日教組と違って、困っている子どもたちに対して具体的な救済を講じています。子どもにどうやって社会でやっていく能力を付けるか、教師ならそっちを考えるべきでしょう。
  「社会的事件」という表現もすごいですね。一体何を言いたいのかわかりません。神本センセーも学力崩壊真っ最中という感じですね。

>「上からの教育改革」の強制

  この人は、改革という言葉の意味を根本的にわかっていません。改革は、下からは出来ません。末端の人間は現状、もっとひどい場合は過去しか見えていないからです。
  塾業界でもよくあるのですが、「ベテラン」とか言われている在籍年数の長い講師ほど、新しい講座や会社の新しい方針に従おうとしません。「今までのやりかたで何が悪い」と、話をそもそも聞こうとしません。末端というのはそういうものなのです。
  このブログで取り上げた義務教育国庫負担金の問題もそうでしたが、日教組が改革というものに賛成した試しはありません。小泉首相流に言えば、日教組こそ「抵抗勢力」です。 
  それに、労働者うんぬんするよりも、まず公務員という「全体の奉仕者」(憲法15条2項)だということを自覚すべきです。神本センセー、あなたも税金で生きているんですよ??

> 生き生きと生き抜く力をはぐくむ教育ができるわけがない。

  本当に「生き抜く力をはぐくむ教育」を実践している人は、輪になって国や会社の文句ばかり言っていないと思いますが。だいいち、そんなもの誰も日教組に期待していません。日教組ががんばると、学力テストを暴力で妨害したり、国家を歌わないよう生徒を洗脳したり、ろくなことになりません。「お願いだから、定年までじっとしてて。さもなきゃ辞めて」と、善良な市民のみなさんなら思うことでしょう。

  神本センセーのコラムは、突っ込み所が多すぎるので、複数回に分けて取り上げたいと思います。では、また。
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小泉首相を誹謗する人に言いたいこと

2005年11月20日 00時57分24秒 | 子供の教育
  明日早いので、今日は小さなネタです。

  毎日新聞が、以下のような記事を書いていました。
  教育と大いに関連あります。是非ご覧ください。

(以下引用)

<小泉首相>独自の「日中友好論」展開 APEC全体会議

 【釜山・伊藤智永】アジア太平洋経済協力会議(APEC)の21カ国・地域の首脳がそろった18日の全体会議で、小泉純一郎首相は議題と関係なく独自の「日中友好論」を展開した。中国に胡錦濤国家主席との会談を断られたが、胡主席も列席する国際会議の場で、一方的に自分の立場を主張してしまう政治パフォーマンスだった。


(引用以上)

  私個人の見解としては、小泉首相の経済政策は全く支持するつもりはありません。派遣労働者の規制を緩和する「雇用破壊」を行っており、経団連の要求丸のみだからです。(派遣労働者なら福利厚生が不要で、要らなくなるとすぐ首を切れるので、リストラがしやすい)
  しかし、首相には評価すべき点がたくさんあります。北朝鮮による日本人拉致という問題が日の目を浴びたのも、小泉政権だったからこそです。また、他国の慰霊や霊的信仰に対して、干渉してくるバカな国が日本の周りにたくさんいることを気づかせてくれたのも、首相が自分の意志を貫いて靖国神社にお参りしたからこそでしょう。

  それを、どうでしょう。この毎日新聞の態度!!

  朝日新聞という、もっとひどいメディアはありますが、毎日の記事も明らかに偏見が差し挟まれていますね。読んでいて腹が立ちます。

  何も、私は首相というものは批判してはいけない、などと言うつもりはありません。国の将来を思うのであれば、良くない点は多いに、批判すべきでしょう。

  しかし、どうもこの国のメディア(特に、朝日や毎日系列)は、権力の座にいる者に対して、国民の反感を煽るような報道をわざとしているのではないかと思えるような節があります。
  子どもを教えていて気になったのですが、首相のことを、子どもがやたらと「小泉」と呼びつけにすることが多いのです。
  子どもは、大人の鏡ですから、どこかで小泉首相を小馬鹿にしている大人がいるのでしょう。(だいたいは、平和とか人権が大好きな日教組の教師でしょうが)そして、それに「お墨付き」を与えているのが、大新聞の態度なのではないかと思います。

  権威に対する盲信は危険ですが、逆に権威を全く尊重しないこともまた危険です。それは、規範意識が低くなってしまうからです。
 「怖い人」「敵わない存在」がいる、と思うのは、大事なことです。そうでもなければ、人間は必ず「自分は何でもできる」と傲慢になってしまいます。
  これが子どもとなると、より症状は深刻になります。
  子どもは生まれただけでは「人間」ですらありません。放っておけば勝手に育つのは、本能を持った動物だけです。
  だからこそ、親を中心とした大人が、社会から見て妥当だと思える価値観を「注入」しなければならないのです。このことを欠くなら、もうそれは「教育」とは言えません。その過程において、「怖い人」「敵わない存在」があることが重要になります。ルールや社会規範の存在を、有無を言わさず分からせることができるからです。
  
  ところが、戦前に対する反動なのか、いわゆる「リベラル」だとか「左翼」だとかいう人々には、子どもに価値観を教え込もうという姿勢が全く見られません。日教組がよく主張する、「子どもも対等の人格」「何でも言い合える信頼関係」などという言葉がそれを象徴しています。  

  私が以前、●教育勅語を扱った記事で申し上げたとおり、戦前の教育は決して権威一辺倒ではなく、むしろ他の国に例を見ないような「利他精神」の浸透という大きな成果を挙げていたのです。
  ところが、敗戦後アメリカに占領されると、戦前の仕組みを誹謗すれば「善人」であり「インテリ」であるという妙な風潮が広まりました。戦後間もないころの選挙で、共産党が大きく議席を伸ばしているのも、「戦前に弾圧されていた人たちだから何かいい人たちに違いない」という贖罪意識が日本人にあったからでしょう。
  そういった国民の「リベラル化」「脱・戦前化」を後押ししていたのが、朝日や毎日のような左翼的メディアだったのです。

  その頃の日本であれば、まだ権威を否定する論調に少しは意味があったのでしょう。少なくとも害は大きくありませんでした。なぜなら、戦前生まれの人々が保守的な傾向を維持して、うまくバランスが取れていたからです。
  ところが、それがおかしくなりはじめるのが、教育勅語を全く知らず、戦後教育オンリーで育った団塊の世代と言われる人々が大きくなってきた頃からです。旧世代にはなかった、おかしな現象が次々出始めるのです。
  まず、1960年代から70年代にかけての「学生運動」です。戦後教育の、「反権威」「反権力」教育が、大学生を中心とした反社会的暴動という形で吹き荒れました。
  そして、団塊の世代が子育てを始めた80年代には「校内暴力」が始まります。「反権威」は、身近にいる教師や学校というものに矛先を向けたわけです。
  さらに、90年代になり、この世代が社会の中で重要な役割を占めるようになると、「地下鉄サリン事件」「援助交際」」「親父狩り」といったモラルの低下が見られるようになります。自分たちが権威を否定してきたために、道徳的倫理的なモデルを演じることが出来ず、社会を混乱に陥れていることがよくわかります。
  非常に強引な解釈かも知れませんが、要するに戦後教育しか知らない世代が増えるにつれて、世の中におかしな事件が起こるようになっているような気がするのです。

  団塊の世代と、戦前育ちの人々を比べてみると、どうも子どもにどう見られるかという大人としての自覚が欠けているような気がしてなりません。昔は、大人が「俺には俺の(親としてではない)人生がある」「どう生きようと俺の勝手だ」などという自分本位の発言はしなかったはずです。それが、団塊の世代以降はむしろ、それがよくある風景になってしまっています。ドラマなどで、良き父親・母親を演じるのに疲れた役柄が多い(子育てが「自己実現」を邪魔する悪になっているという描き方がされている)ことに、それが現れています。
  私は、こういった事柄を、「非責任」と言っています。そもそも責任のある立場に就こうとしていないのです。
  「いつまでも若くありたい」「いくつになっても女として見られたい」「自分の人生を楽しみたい」・・・気持ちは分かりますが、子どもを一人前の人間にするということをもう少し重視してほしいと思います。

  その第一歩として、子どもの前で権威を否定しないということをやってみてはいかがでしょう。
  先ほども言いましたが、子どもが規範意識を持たないのは、大人がそういうことを許容する言動をしているからです。その最たるものが、権威の否定なのです。「そういうつもりで言ってない」と言ってもダメです。子どもに「反権威」だと受け取られている時点でアウトです。
  例えば、私のような塾の先生が、子どもを「デブ」だの「チビ」だの「ブサイク」だの、容貌を誹謗するような発言をして、「お子さんの悪口を言うつもりはなかった」と言ったら、許せますか?それと同じなのです。

  批判をするにしても、きちんと評価すべき点を挙げて、「しかし、こういうところを改善してほしい」という風に、言い方を考えるべきです。だいいち、首相のことを呼び捨てにして、何か得をすることでもあるんですか?
  ある意味、中華意識を丸出しにして日本を誹謗中傷罵倒してくる国々に対し、「お前たちの言いなりにはならないぞ!」という態度で臨んでいるのが小泉首相だという見方もできるのです。
  朝日や毎日は、金正日や北朝鮮を非難すると、「大事なのは宥和の精神」「友好関係こそ第一だ」などとバカなことを言うくせに、小泉首相のことになると、なんでもかんでも「パフォーマンス」「劇場型政治」、さらには「女子どもをターゲットにしたずるいやり方」などと、100%決めつけをします。●こういう情けない野党を勝たせたいのはわかりますが、彼らの態度は「反権威」を助長し、国民に対して政治権力への反感を植え付ける結果になっています。
  それが政治的な無関心にもつながっていると言えるのではないでしょうか。「選挙に行きましょう」「政治は大切です」という前に、お前らが権威を侮辱するような態度をやめろ!!と言いたいです。
  日本人は政治に対して絶望しているというより、権力に対して要らぬ反感を抱きすぎて、政治に求める役割を見失っているだけなのでしょう。そして、その反感を生み出しているのが、上に挙げたような誹謗としか思えない記事を平気で掲げるメディアなのです。
  
  権威の持つ「重み」を尊重した上で、現実的な批判をできるよう、まずは我々大人からがんばっていきたいですね。

  ・・・あ、小さな記事にするつもりだったのに
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【現代史】続々・日教組ってたのしい!【やらせろ!】

2005年11月17日 23時51分47秒 | 日教組関連
●日教組のホームページ「休憩室」というディレクトリに、「点鐘」(コラム)がときどき掲載されます。
  
  なんとなく見てみたら、有名な作家であるなだいなだ氏が執筆したコラムが出ていました。(なだいなだ氏のプロフィールは●こちらです。氏は精神科医としても知られています。)
  これは、いつもと違うかも・・・と思って見てみたところ・・・や、やはり日教組の選ぶ人材は、ちがうと深く納得しました。

  みなさんも、是非ご覧ください。
   
(以下引用)

 歴史は古代から、始めなければならないものか。そんな決まりはないはず。現代に近い百年の歴史から始め、さらにその百年前に遡るという形で教えてもいい。最近の若者の現代史オンチ対策はこれしかない。歴史を古代から教えて、明治を教える頃から時間がなくなって、昭和の歴史をはしょってしまうよりも、縄文弥生をはしょる方がましだ。もう何度もいってきたが、ここでもう一度繰り返す。あまりにも現代史を知らない人が多い。最近、横浜事件の再審が開始されたね、と大学生にいったら、横浜事件ってなんですか、と聞き返されてがっくりきた。
 この現代史の無知の原因は、現在の歴史教育のやり方のせいだ。今の、教科書の現代史の部分は、決して満足できるものではないが、それでもまったく教えないよりもましだ。縄文弥生の歴史は、時間がなくなった、とはしょってもいい。このあたりの歴史は、教科書で教えるより、子どもを近くの郷土博物館に連れて行って、一日を過ごさせた方が勉強になる。最近の郷土史博物館はよくできている。その方が、せっかくお金をかけて作った博物館を活用することにもなり、一石二鳥だ。
 最近、若い人たち向けに、「こころの底に見えたもの」という心理学系の本を出したが、それを読んで、狐憑きって知らなかった、という若者が意外と多いので、これにもがっくりきた。それも精神科医や心理学者の若者にそういわれた。最近、がっくり来ることばっかりだ。狐に化かされる、という迷信が信じられていた当時の日本で、よく見られた原始ヒステリーだと説明した。すると、狐憑きってどうやって診断するのですか、と聞かれた。
 簡単だ。家族が「娘に狐が憑いた」と診断してつれてくる。本人までが、自分に「お狐様が憑いた」などという。精神科医が診断する必要はないのだ、と答えると、羨ましそうな顔をされた。
 学校での迷信打破の教育が、狐憑きを消してしまったのだ。教育の力は大きい。

  さて、突っ込み開始!

>歴史は古代から、始めなければならないものか


  そんなの当たり前なんですが・・・関ヶ原の戦いを説明せずに、どうやって江戸幕府のことを説明するのでしょうか。時系列に沿った教育の方が、因果関係もわかると思うのですが。
  どうも、現代史の(くらーい)部分を教えたくてうずうずしている一部の人々の代弁をしているような気がしてなりません。冒頭に、ここまで露骨に出さなくてもいいのにな、と思います。

>最近の若者の現代史オンチ対策

  年が年なので仕方がないと思いますが、この人の文章は、全体に「じじ臭さ」が漂っていますね(笑)。「最近の若者」なんて、この前なくなったうちの祖母(享年88)もめったに口にしませんでしたが・・・。
  塾で歴史を教えている人間として言えるのは、この分野に公立入試の出題が少ないのが、子どもが現代史をあまり勉強しない原因の一つだと言えます。なぜなら、非常に「政治的に微妙」な分野だからです。
  今年1月のセンター試験の日本史で、「朝鮮人の強制連行があった」という事実無根の記述が出てきた(しかも正解の選択肢で)のを知っているでしょうか。事実を言っておくと、朝鮮人に課せられたのは、内地の日本人と同様の徴用です。これはあの朝日新聞も認めています(●このサイト内の記事でも「徴用」としか言っていません)。つまり、朝鮮人の強制連行というのは真っ赤な嘘なのです。
  このような中国韓国が喜びそうな歪曲が飛び出しかねないのが現代史の分野です。逆に、「東京裁判は無効だと主張する学者もいる」などと書いたら、●こういうおかしな人たちが大騒ぎするのは目に見えています。だから、事なかれ主義が優先して、なかなか出題をしなくなってしまっています。
  確かに、学習指導要領に沿って、事実だけを教えていればいいのですが、それだけで満足しない意識の高い「労働者」の方々がいるのは事実なのです。だから、意図的にそこ出題することを避けているということです。
  要するに、現代史オンチの若者を生んでいるのは、日教組教員の愚かな行動なのです。なだセンセーはご自身の「教育事情オンチ」対策を急いだ方がよろしいかと思われます。

> 明治を教える頃から時間がなくなって

  それは日教組の教員が教えるのが下手くそなだけです。責任転嫁もいい加減にしろと言いたくなります。
  だいいち、中2で終えておくべき歴史分野を中3の2学期になってもまだやっている学校がある方が問題です。なだセンセーは、現代史オンチの若者たちがどんな授業を受けているか、臨床で知ることをお勧めします。

  なだセンセーの「現代史」に対するこだわりは、まだまだ続きます(笑)。

>あまりにも現代史を知らない人が多い。

  と、言ったあとすぐに出てくる歴史的事件が、

>横浜事件

  ですから、頭が痛くなります。横浜事件のことは●こちらに出ていますが、まあいかにも日教組が好きそうな事件ですねぇ(笑)。ちなみに、朝日新聞社から逮捕者が出ているんですね。さすが朝日、今も昔も真っ赤っかです。
  で、なだセンセー、こんなちっぽけな事件を知らないと、日本がなぜ大東亜戦争に突入したのか分からないというのでしょうか?なぜ冷戦が終わったのか理解できるのでしょうか?共産主義者の弾圧だけが現代史じゃありませんよ。
  だいいち、横浜事件のことを教えろ、なんて学習指導要領に出ていませんよ?の事件や、戦前の共産党の「弾圧」ばかりを話す教師の方が、指導要領違反なのですが・・・。
  なだセンセー、テレビのニュースを見ると、「近頃の若者はみんな親父狩りをやている」とか思ったりしていませんか?歴史を都合のいいようにつまみ食いするような人は、立派な「歴史オンチ」と言わざるを得ませんよ。

>教科書の現代史の部分は、決して満足できるものではない

  なだセンセーが「満足できる」教科書を私も知っています。みなさんも、●この本を書店で読んでみてください。(買う必要はありません)
  もう、古代日本がどういう風に出来たなんて、全く書いてません。戦争責任、謝罪、賠償、慰安婦、オモニ、南京なんとか・・・ほんとにどっかの国がまとめて20万部くらい買っていきそうな「現代史」ばかり書いてあります。まあ、検定に通るのは100%無理でしょう。
  しかも、この本の表紙の次の1ページ目に出ている2枚の地図のキャプション、最高です。

  「○○の地図。中国を中心に描かれている」

  もう、編集した人のお里が割れるというやつですね。なだセンセー、ぜひこの教科書を読んでみてください。ちなみに、横浜事件のことは書いてありません(笑)。

>子どもを近くの郷土博物館に連れて行って、一日を過ごさせた方が勉強になる。

  なだセンセーは御年76だということですが、これは典型的な、「団塊の世代」的発言ですね。よくいたものです。大学にほとんど行っていなかったことを自慢げに語った後、「でも、俺たちは学校以外のところで大切なことを勉強していたんだ」とかうそぶく団塊の世代のオッサンが。
  思うに、このフレーズは、学習指導要領通りの授業をサボりたい(団塊世代を中心とした)日教組の思惑に配慮したものでしょうね。なだセンセーは精神科のお医者さんだけあって、このへんの顧客満足度を上げる心理学的アプローチは見事です。
  なだセンセーにお勧めの博物館をお教えしましょう。外国にある●こんな博物館なら、それこそゲップの出るほど「現代史」を学べそうですよ。しかし、中にある展示物はほとんどニセモノですから、ご注意ください。

  最後の方になると、少々哀れになります(笑)。

>これにもがっくりきた。

>最近、がっくり来ることばっかりだ。


  日教組も、まさかコラムを依頼したら、最後の方にじーさんの愚痴ばかり書かれてしまうとは思ってもみなかったでしょう。
  狐憑きがどんなものなのか、ちゃんと知っていなくても、現代史は分かると思うのですが・・・なだセンセー、世の中にキャッチアップ出来ていないと認められた方がよいかと・・・。

>学校での迷信打破の教育が、狐憑きを消してしまったのだ。
>教育の力は大きい。


  自分の得意な狐憑きから、学校教育の影響の大きさを論じ、それを現代史オンチにつなげる・・・なだセンセー、ちょっと強引すぎます。
  そんなことをしなくても、執筆を依頼してきた日教組の人に「おまえらが変なことばっかり教えるから、現代史オンチの若い奴が増えるんだ!」と説教した方が効果的だと思います。

  ●「教え子と付き合わせろ!」という性欲全開コラムもなかなかすごかったですが、今回もなだいなだセンセーをスピーカーにして、日教組が我田引水の主張をしているだけでしたね。
早く義務教育国庫支出金を全廃して、「現代史」ばかり教えたがる変な先生や精神科医のセンセーをリストラしてほしいものです。
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【完全】義務教育国庫負担金の話・後編【削減】

2005年11月16日 01時06分07秒 | 社会と教育
  そういえば、朝日新聞が10月28日の社説で、義務教育国庫負担金制度についての中教審(中央教育審議会)の答申を批判していました。
  典型的な「的外れ」論評なので、以下に部分的に紹介します。なぜ全文を掲載しないのかというと、朝日新聞のウェブサイトが古い社説の検索を有料にしている(しかも、月525円。高い)ので、手入力になってしまったからです。では、どうぞ。

「中教審の答申は、『義務教育こそ外交や防衛と共に国が担うべき最重要政策』とする。そのうえで、人材や財源の確保は国が責任を持つべき事柄であ(ると)・・・強調している」
「子どもたちの教育が大切なことは論をまたない。とりわけ、義務教育はどこでも一定の水準を保たねばならない。だからといって、教職員の給与の半分を国が握っておく必要があるのだろうか」
「私たちはこれまで地方に税源を渡すことについて、『義務教育も聖域ではない』『教育を変える好機にしたい』と主張してきた。」
「子どもたちの教育は、・・・一人ひとりにふさわしいものでなければならない。地域ごとに中身や学級編成に工夫をこらす必要がある。そのためには、教職員の人材や財源を行かす仕事は、現場を肌で知る自治体にまかせた方がいい。」
「戦前の義務教育は国の仕事とされ、政府が指揮、監督していた。戦後、地域の教育は自治体が担うことになったが、実態は理念とはかけ離れたものだった。」
 「都道府県などの教育庁の任命に大臣の承認が必要だった。国はさまざまな方針を『指導・助言』として伝えたが、地方は丸のみをせざるをえなかった。」
「そのうえ、国は教える内容を学習指導要領でこまかく決め、教科ごとの授業時間数も全国一律で決めてきた。こうした国の影響力を後ろで支えてきたのが国庫負担金制度である。」
「地域の教育が息を吹き返し始めたのは中教審が98年に、教育庁の任命承認制度を廃止するよう提言してからだ。」
「『教育県』を宣言し、独自の教育計画をつくるところが相次いだ。少人数学級を実現したり、授業日数を増やしたりする自治体も増えた。この流れをさらに進め(るの)・・・が中教審の使命ではなかったのか。
「中教審は教育学者や有識者らで構成されている。残念ながら、この答申は、地方への発言力を手放したくない文科省の思惑を代弁したものとしか思えない。」

  まず、この社説は文部科学省は悪の牙城だとでも思っているようです。学習指導要領は少しも「こまかく」ありません。「ここに書いてあるようなことはちゃんと教えてください」という指示に過ぎません。その最低限の要求さえ満たせないような授業がまかりとおっている現状を、朝日の論説委員は全く知らないのでしょう。何より、「こまかく」ぐらい漢字で書け!と言いたいです。
  それに、文部科学省への批判も、ただの言いがかりになっています。「教科ごとの授業時間数を全国一律」にするのはダメだ、と言いながら、「どこでも一定の水準を保たねばならない」と言っています。
  朝日はどうすれば一定の水準を保てると思っているんでしょうか。一定の水準を保ちたいと思うからこそ、指導要領や授業時間数の規定があるのではないでしょうか。朝日の言っていることは、彼らの大好きな憲法第9条同様、具体的な問題への対処に全く役に立ちません。

  しかし、何よりいちばんまずいのは、この社説が「地方への教育権限や財源の委譲」というものを賞賛していることです。
  朝日は、このブログと同様、国庫負担金制度はいらない、と言っています。しかし、勘違いしないでほしいのは、私は「無駄な施策に使うお金はもう要らない」と言っているのに対して、朝日は「そういうお金は国ではなく地方が自由に使える金にしろ」と主張していることです。
  私が前回指摘したのは、少人数でのきめ細かな指導や、生きる力の育成などというのは、公教育の使命ではないということでした。だから、国庫負担金の分のお金はそのまま削ってしまえばいいということです。
  しかし、朝日の社説は、これと全く逆で、「独自の教育計画」をやる自治体をもっと増やせ、というものです。つまり、公教育でもっとバラエティ豊かなことをやろう、という、まるで「文科省の思惑を代弁したものとしか思えない」主張だと言えます。そして、その主張を実践させる原資として、財源は地方に移譲しろ、と言っているわけです。
  朝日の論説委員というのは、公教育の使命というものを明らかに誤解しています。基礎的な知的能力を付けること以外に、公教育がやるべきことはありません。
  朝日に限らず、学校教育が夢のようなシステムだと勘違いしている人々に共通しているのは、学校は「個性」や「自由な発想」や「創造性」を育む場所だと捉えていることです。この社説の、子どもの教育は「一人ひとりにふさわしいものでなければならない」という部分にもそれが現れています。
  そして、そういった薔薇色の理想が、地方に財源を委譲することで実現すると勘違いしているわけです。

  朝日だけでなく、地方への権限・財源の委譲を崇め奉っている人々は、教育に国が介入することを忌み嫌っている傾向があるのではないでしょうか。国が一定の方針に従ってその国の文化や実情に合わせた人材を育てるのは、当然のことです。それを毛嫌いして、現場に任せれば個性や自由な発想が育つと主張する・・・・。

  あれ、どこかにこんな団体がありませんでしたか?

  そうなのです。実は、朝日新聞の言っていることは、日教組とある一点を除いては全く同じなのです。その一点とは、国庫負担金制度の扱いです。
  日教組は、「国庫負担金制度はそのままにして、地方(というか自分たち)のやりたいようにやらせろ!」と言っています。まるで、ドラ息子です。どうしようもありません。
  それに対して、朝日新聞は「国庫負担金は文部科学省が地方をコントロールするための手綱だから、それをなくして代わりに財源も権限も地方に移せ!」と言っているのです。
  違うことを言っているようですが、両者は「国は現場のやり方に口を出すな!」という点では全く一致しているのです。国の関与を否定して、自分たちの「思想」が浸透しやすくなる、とでも思っているのかもしれません。

  そして、もう一点、朝日新聞と日教組が同じ考えを持っているところがあります。それは、義務教育にかけている金を減らすべきではない、ということです。
  日教組が国庫負担金に反対している理由は簡単です。要するに、自分たちの給料や勤め口が減るのが嫌だからです。
  前回も紹介した●中教審の報告をまとめたPDFの、37ページを見てください。公立中学における都道府県別の平均クラス人数が書いてあります。高知県はなんと、平均22.3人しかいないんですね!埼玉はこれに対して34人です。思ったほど多くはありません。
  これは、ご存じの通り、少子化の影響なのです。日教組が唱えている「30人学級」というのは、実はほとんどの都道府県で実施されているのです。
  それどころか、人口の少ない県では、大都市部に比べて過剰な「少人数」教育(都会との不平等)になっているというのが現状です。なぜそれが可能になっているのかというと、国庫負担金制度があるので、先生をリストラしなくても済むからです。
  だから、国庫負担金を減らすとなると、こういう「恵まれた」県の教職員組合が真っ先に抵抗するわけです。
  朝日新聞の場合は、そこまで露骨ではありませんが、とにかく文部科学省=悪の巣窟という考えですから、地方が自由に金を使えるのとか言うのが反権力的でカッコいい!とでも考えているのでしょう。
  もっと深読みすると、国レベルで金を動かされると手が出せないので、地方に移して現場(教職員組合)が「攻撃」しやすくしようという狙いもあるのかもしれません。そうなると、朝日の主張は日教組(とその手先である教職員組合)の援護射撃と見ることも出来るわけです。
  そういえば、朝日も日教組も、GHQが適当に作った憲法(特に第9条)を盲目的に崇拝していますね。なるほど、文部科学省の統制がなければ、朝鮮人「強制」連行や南京大虐殺といった反日思想教育ばかりできるわ、手抜きが出来るわで、両者にとってお望み通りの事態になりますね。
  暮れぐれもこういう連中の言っている「一人ひとりにふさわしい」教育というのを、信用してはいけません。

  では、このブログとしては、結局どのような考えを採るのか。最後に、これを明確にしておきたいと思います。
  まず、義務教育国庫負担金は削減すべきです。また、代わりとなる財源の委譲は必要はありません
  そうしておいて、義務教育段階でやるべきことを思い切って絞り込むべきです。これはそれほど難しいことではありません。現行の教育指導要領より少し狭い範囲のことをやればいいだけです。
  フルタイムの教員も、今ほど多く必要ありません。有資格者はたくさんいるのですから、パートタイムの教員を増やせばいいのです。特に、午前中は主婦の方を活用できるというメリットがあります。
  パートには責任が持てない、などというのは公務員の傲慢さです。一般企業には、正社員と同等かそれ以上に真面目に働いているパートやアルバイトはたくさんいます。子どもの管理は、学年主任や教頭・校長がフルタイムでやればいいのです。こういう風にすれば、無駄な学校行事も廃止できます。
  給食関係も、自治体単位で給食センター(ファミレスの「セントラルキッチン」のような感じ)を作ったり、外部に委託すればいいのです。高い金を払って、公務員として専業の栄養職員を複数雇う必要はありません
  
  公立学校というのは、巨大な官営企業のようなものです。国庫負担金を本当に「減らす」ことで、限られた予算で成果を上げるという、私企業なら当たり前のテーマに、教育関係者が取り組んでくれるものと期待したいものです。
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【削減か】義務教育国庫負担金の話・前編【維持か】

2005年11月13日 22時43分01秒 | 社会と教育
 
  先日私が日教組の●「義務教育があぶない!」という主張をおちょくる記事を書きましたが、そこで触れられていた「義務教育費国庫負担金制度」について、少し述べてみたいと思います。
  この制度は、ごく簡単に言えば、教職員の人件費について、国と地方自治体が折半しましょう、というものです。
  その目的は、「教育の機会均等」にあります。つまり、お金のない自治体の子どもが、豊かな自治体の子どもに比べて不公平な教育環境・・・例えば、先生の数が足りないために、遠くの学校まで登校して、大人数学級の授業を受けるような状況をなくそう、ということです。

  この制度は、小泉政権下の最後の改革であろうと思われる三位一体の改革の中で、先細りを余儀なくされている状況です。
  三位一体の改革というのは、「地方交付税交付金の見直し」「税源の地方への移譲」「国庫支出金の削減」をいっぺんに進めることによって、中央省庁(特に財務省)が握っていた金を、地方が自由に使えるようにして、いわゆる「地方分権」を実現しようとする改革です。
  義務教育費国庫負担金も「国庫支出金」、すなわち、特定の目的のために国が地方にくれる補助金のひとつです。小泉内閣は、すでに中学校分の8500億円の削減を決定しています。

  それでは、この国庫負担金、減らすべきか、そのまま手を付けずにおくべきなのか。

  結論から言って、減らしてもいっこうに構わない金だと私は考えます。
  なぜなら、この制度が前提としている人件費にかけた金に比例して、教育の成果が上がるわけではないからです。
  この義務教育国庫負担金制度の具体的な目的は、教師一人当たりの生徒数を減らし、目の行き届いた教育をすることにあります。
  しかし、そんなに少人数教育が必要な状況にあるのでしょうか?
  絶対に必要だ、という人は、おそらく出発点を間違っています。本当に少人数教育を徹底する必要があるのは、「エリート育成」が目的の場合だけです。ここでいう「エリート」というのは、今まで見たことのない問題を解決する能力を持っている人々、ということです。たとえば、前例のない判断をする必要のある政治家や、オリジナリティを要求されている芸術家です。
  でも、よく考えてください。
  小学校や中学校は、エリートを育てるための学校なのですか?
  私がこのブログで繰り返し主張しているのは、公教育の目的は「社会に出たとき、職業上の要求をこなす事務処理能力の養成」だということです。その柱になるのは「聞いて理解すること」「我慢すること」「手際よく正確にやること」です。こういった能力を必要としていない職業はありません(芸能人も、ルーズで人の話を聞かない人はすぐに落ちぶれる)。逆に、創造力や自由な発想を必要とする職業は、芸術関係やスポーツ、芸能、各種デザインくらいしか考えられません。
  確かにいろんな発想が出来て、創造的な仕事をする人間の方がどんな仕事でも伸びます。
  しかし、それには「才能」や「恵まれた環境」が必要です。これは、みんなが持っているものではありません。努力して伸ばせる事務処理能力の方が、教育効果は間違いなく高いです。
  よしんば創造性を育む教育が必要だと言っても、全国に何十万人もいる教員全員に、そういうものを理解して、本人の個性に従って伸ばすような素養がある人物は、ほんの少ししかいないはずです。みなさんの義務教育時代の先生に、目を丸くするような才能の持ち主が何人いたでしょうかね?学校の先生というのは「地方公務員」なのです。人材のばらつきは避けられません。

  このように、公教育で創造性を育む教育を行うのは、意義があることでもない上に、やったとしても効果は少ないことを理解する必要があります。

  だから、公教育は、社会に出て人に迷惑をかけずにすむ基礎的知的能力の開発や、集団行動の訓練をやっていればいいのです。こういうことは、マニュアル化が十分可能な分野です(まともな大人なら、誰でもできる)。人数も、40人くらいまでなら何とかなります。
  高度な教育を受けたいなら、それにふさわしい学校に行くべきです。たとえば、最近設立が相次いでいる公立の中高一貫校●こちらの小石川高校の付属中学など)などがあります。中学受験をしてもいいでしょう。そうでないなら、塾に行くなり、自分でがんばって勉強をするなりして、その地域のトップの高校に行けばいいのです。

  普通の子どもにだって、そういう教育をしてもいいじゃない・・・本当にそう思いますか?あいさつや読み書きも十分にできないのに、創造性なんか伸ばしてどうするんですか?

  どうも、世の中には学校教育というのは、何かとても素晴らしいものだという幻想が強いようですね。しかも、専門家や行政までそう思っているのだから、たちが悪いです。
  ●こちらのPDFの中央教育審議会の報告を見てください(アクロバットリーダーのない方は、●こちらのサイトでダウンロードしてください)。真ん中辺りをちょっと見ただけで、私は呆れかえってしまいました。
  「生きる力」を育む、食育、個に応じたきめ細かな指導の徹底、豊かな人間性、全ての教員がキャリアカウンセリングを出来るようになる専門的能力をつける・・・今の義務教育でほとんど実現していない、ありえない理想ばかり出てくるのです。
  それもそのはずです。一般的な公教育では、ここに挙げたような理想を具体化することは本質的に無理なのです。
  唯一、一番後ろのキャリアカウンセリングは、アメリカ等で実施されています。しかし、権力を悪だと決めつけ、資本主義を憎んでいる日教組や全教の組合員がどういうキャリアカウンセリングをするのでしょうね?まさか、革命家平和運動活動家にでもなれと勧めるんでしょうか?

  また、「きめ細かい指導」とか「生きる力うんぬん」を具体化しようと思うと、「下手の横好き」になるのがオチです。
  私が塾の子どもに、「今教科書のどこをやってるのか」と尋ねると、「うちの先生は教科書をほとんど使っていない」という反応がよく返ってきます。それで、中身を聞くと、ただプリントを穴埋めしていくスタイルの授業など、手抜きや指導不十分と言っても過言ではない実態がわかるのです。
  また、かなりの中学校で数学や社会などの「選択授業」が実施されているようですが、通知表の5段階の成績に反映されなかったり、中身が薄かったり、中途半端な位置づけになっているのが現状です。
  別に、先生たちの努力が足りないのではありません。教員の数を増やし、少人数でバラエティ豊かな教育をしましょう、と言っても、この程度のことしかできないし、素晴らしいものを求めてはいけないのが、公教育というものなのです。
  そうなると、教員の人件費を底上げするための義務教育国庫負担金制度も、存在意義が怪しくなってくるわけです。

  この話題は、次回に続きます。(●つづく
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応援してあげたい国会議員

2005年11月13日 03時57分57秒 | その他
  古川禎久(よしひさ)さんという衆議院議員がいらっしゃいます。

  郵政民営化法案に反対し、自民党を離党してしまった方ですが、まだ40歳と若く、非常に信念を感じる方です。
  ●古川議員のホームページでは、様々な問題についてご自身の考えを述べた「蘇れ!日本」というコラムが掲載されています。
  その中で、いわゆる「教科書問題」について触れている部分がありました。いいことを書いている、と思ったので、以下に引用してみます。

(以下引用) 

  私は、人が成長し、心豊かな人生を送る上でもっとも大切なことは、自信と誇りを失わないことだと思っています。

  では、自信と誇りの基礎は何か? それは、「自分とはいったい何者か」ということに行き当たる。すなわち父母、ご先祖。ふるさと、歴史という縦軸こそが自信と誇りの源泉だと思うのです。
  そして仮に、その大事な、大事な基礎を破壊されたなら、人はいったいどうなってしまうのでしょう。「オマエの父母、先祖はトンデモナイ悪人だ。オマエはそのトンデモナイところに生まれたツマラナイ人間だ。」などと言われて育った人間が、はたして健やかに成長することができるのかという疑問です。
 国家・民族もまた同じだと申し上げたいのです。
 歴史を否定され、歪められるということは、その国家・民族にとって、「自信と誇りの基礎」を破壊されるに等しいのです。自信と誇りを失った国に明るい未来が訪れるとは思えません。

 S県の小学校での社会科テスト問題を見て驚愕しました。『日本軍の侵略のようすを答えなさい』『中国の人々は日本人をどう思っているでしょうか』という問題に、生徒は『日本人は女や子供を殺しまくった』『日本人のやつらはサイテーだ』と書き、その上には先生の大きな三重丸です。史実でもないことを子供たちの心に刻み込む、実におそろしい教育が行われているのです。

  占領軍によって否定され、日本を嫌いな人々によって歪められてきた日本の歴史教育。未来を担う子供たちに誤った歴史教育を施すことは、子供たちの自信と誇りの源泉を破壊することであり、一種の虐待だとすら言えましょう。
  戦後60年。日本人は、客観的な眼で、自らを顧みることのできる時期にきています。まっとうな歴史教育を、子供の親としても、強く強く願ってやみません。

(引用以上)

  本当に、困ったものですね。日教組や全教の「狂育」の効果は、確実に出ているのです。古川議員のように、それを問題視している国会議員の方も、結構たくさんいるのです。
  また、古川議員は、国民の目に晒されないまま国会に提出されようとしていた人権擁護法案を自民党の法務部会で問題として取り上げ、良識ある議員の方と連携して、法案の国会提出を阻止した方でもあります。(古川議員による、人権擁護法案の問題点をまとめたコーナーは●こちら(前編)●こちら(後編)です。是非ご覧ください)
  「自民党=腐敗政治家の集まり」というレッテル貼りをしていた自分を、正直恥ずかしく思いました。日の当たらないところでも、必死になって頑張ってくれている政治家の方はいらっしゃるんですね。
  
  みなさん、古川さんのような、まともな政治家を応援しましょう!!
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フランスの企業は「コロちゃん」に学べ!!

2005年11月11日 02時01分35秒 | 社会と教育
  「コロちゃんのコロッケ」というお店、みなさん知ってますか?

  小さな店舗でコロッケを作って売っている、日本の何処にでもあるような外食チェーンの一つです。名前の通り、コロッケを扱っています。
  おい、おまえのブログはとか教育を扱っているんじゃないのか?と思われた方、ちょっと待ってください。

  私が、「コロちゃんのコロッケ」を今回取り上げようと思ったのは、ここの社長さんが教科書に載せてもいいような、起業家の鑑だからです。ぜひ、皆さんにも日本にもこういう素晴らしい経営者がいるということを知ってもらいたいです。

  「コロッケのコロちゃん」(●コロちゃん株式会社)の社長、小竹守氏は、若い頃陶磁器や雑貨の販売など、いろんな仕事をしていたそうです。
  そういう時代に、小竹氏は「庶民の目線、社会の底辺のためになる仕事」という考え方を身につけたそうです。確かに、メンチカツが1個たったの53円というところからも、それは窺えます。
  
  しかし、別に私は、商売のやり方がうまいとか、利益を沢山出しているとか、そんなところで小竹氏を誉めるつもりはありません。

  私が、小竹氏と「コロちゃん」を称えたいのは、以下の二つのエピソードからです。

  まず、2004年11月の中越地震の時に、販売用トラックを新潟まで送って、無料でコロッケを配布したことです。
  なにをコロッケごときで騒いでるんだ、義援金を送った企業なんて沢山あったじゃないかという人もいるでしょう。
  「コロちゃん」の感心なところは、金を出せばいいんだろうという態度ではなく、あくまで本業にこだわったところです。1個当たりの単価は、100円も行かないコロッケでも、それをわざわざ被災地まで行って配ろうとするのです。自分たちの作ったものにプライドがなければ、こんなことは絶対にできません。
  コロッケの無料配布はたった2日間やっただけだろう、という人がいるかもしれませんね。
  しかし、親切などというのは自分の出来る範囲でやればいいのです。ボランティアだの、チャリティーだの、何かみんな身構えすぎている気がします。温かいコロッケを配って元気づけよう、その程度でいいんです。
  聞けば、何かと最近「話題」になる天下のNHKを中心とした大メディアの記者やカメラマンは、食糧や燃料の供給さえままならない現地で、傲慢な態度をとり続けていたそうですね(例えば、地元の人が買い物をすべきスーパーで、大量に買い出しをしていたりした)。阪神大震災のときも、災害救助の邪魔になるほど大量のメディアが押し寄せたという話がありました。
  そういう偽善者反面教師にしかなりませんが、「コロちゃん」の取った行動は子どもの手本になるべき素晴らしい行動と言えます。

  さらに凄いことには、なんと、「コロちゃん」はこともあろうにケニヤに進出してしまったのです。(詳細は●コロちゃんのサイトのこちらの記事を参照のこと)
  利益を上げるなら中国に進出する方がいいのに・・・などと思ったあなた、頭の中がかなり「日経新聞」に毒されているかもしれませんね。
  「コロちゃん」と小竹氏は、ただ利益を上げるためにアフリカに進出しようと思ったわけではありません。
  「コロちゃん」のアフリカ進出を取り上げたニューズウィーク日本語版で、ケニヤと同じアフリカの国であるコンゴから「コロちゃん」の事業に加わった人物が、こう述べています。

  「アフリカが欲しいのは無償の援助ではなく商売」

  これは、どういうことなのでしょう。
  小竹氏は「ケニヤ人が自力で利益を上げる」ことを目指し、コロッケの生産・販売を全て現地に任せているのです。
  アフリカの人間が食べるものだから、アフリカで、アフリカの人間が作る・・・当たり前のことですよね。しかし、これがどんなにすごいことなのか、欧米の企業と比べてみればよくわかります。

  ヨーロッパ、例えばフランスの企業は、アフリカに生産拠点など作りません。理由は簡単です。アフリカから原料を安く買い、自国で加工して高く売りつけるためです。そうしないと、フランスの企業が儲からないのです。
  こんなやりかたでは、永遠にアフリカに産業など育ちません。1960年はアフリカの年などと言われるほど、たくさんのアフリカ諸国が独立しました。しかし、経済の主導権は相変わらず宗主国であるヨーロッパの企業が握ったままです。たとえ現地に工場のようなものを作っても、資本をヨーロッパにある企業が握って、絶対にアフリカの人間には渡しません。
  そうなのです。要するに、アフリカとヨーロッパ旧宗主国との関係は、アフリカが植民地だった時代とあまり変わっていないのです。
  
  ところが、「コロちゃん」のアフリカ進出は、そういう旧態依然としたアフリカの産業を、変えていくきっかけになる要素を持っているのです。
  外食産業はいわゆる「第二次産品」と違い、船で何ヶ月もかけて運ぶことは出来ないという違いはあります。しかし、「コロちゃん」の店がアフリカ全土に広がっていき、アフリカ人自身の経営が可能だということが実証されれば、アフリカに産業が育たないのは、「育てようとしない」からだと、現地の人々が気づくきっかけにはなるのです。
  それだけでも、大きい仕事だと思いませんか?

  「コロちゃん」の話を知った何日かあと、、ちょうどフランスでの移民の大暴動というニュースが入ってきました。
  聞けば、フランスという国は、安い労働力が手にはいるからと野放図に移民を流入させてきたようですね。フランスに来る移民というのは、アフリカ西海岸やモロッコ、アルジェリアといったフランスの植民地だった国出身が多いです。(もっとも、EU発足後は、労働市場が共通するポルトガル人も増えている)
  なぜ、彼らは「安い労働力」なのでしょう。
  それは、自国の産業が育たないため、いつまで経っても豊かになれないからです。その根っこが、先ほど上で述べた、植民地時代と変わらない、ヨーロッパだけが得をする経済の仕組みなのです。
  ひどい話ですね。その国に技術も教えず、一方的に工業製品を売りつけておいて、自国の産業が傾いてくると、今度は安い労働力だけよこせ、という・・・アフリカの人間を奴隷として使っていた時代から、あまり進歩していないというのはおわかりでしょうか?
  こういう国は、移民に敵意は持たれても、尊敬は決してされないと私は思います。私は、フランスというのはきちんとした政治信条を持っている大人の国だと思って尊敬していましたが、今回の大暴動で、はっきり言って幻滅しました。

  だからといって、私はフランスが「移民に寛容になれ」などと言うつもりは絶対にありません。文化が違う人間が沢山入ってきたら、うまく行かなくなるのが当たり前だからです。
  その代わり、私は「フランスの企業はコロちゃんに学べ!」と主張したいです。
  フランスの企業が、もしモロッコやアルジェリア、コートジボアールといった国々に、技術を教え、現地で生産して現地で売るような方式を採るよう指導していたら、あんな暴動が起こったでしょうか。移民の若者たちが、母国で職を得られれば、低賃金労働力である移民が、大量にフランスに流れ込むような事態は避けられたのではないか。私はそう思うのです。

  それで、フランスの企業があまり儲からなくても、そんなのいいじゃないですか。現地の若者は、絶対にフランスという国を尊敬しますよ。それがひいては、フランスが世界で尊敬されることにもつながるのです。

  同様に、「コロちゃん」の試みがこのまま広がっていき、類似の日本企業がたくさん出てくれば確実に日本の国際的な立場を有利にします。その国で持続的に運用が可能な技術やノウハウの伝授は、どんな高額のODAにも負けない、血の通った援助になるからです。
  一人立ちする手助けをしてくれた国を逆恨みする国が、世界中どこにあるでしょうか。(※下注)そうやって手助けをしてあげた国は、必ず「親日国」として、日本を応援してくれるようになります。

  そんな国どこにあるんだ、ですって?

  台湾があるじゃないですか!日本が50年間領有して、インフラを整備し、国民を教育した台湾は、今では立派な経済大国です。そして、彼らはどこかの恩知らずの国と違って、日本のやった事業を正当に評価してくれているではないですか!

  ※なぜかそういう国が日本の近くに幾つかあるのですが、ああいう国は
   特殊なのでまともに取り合う必要はありません)。

  
  聞けば、「コロちゃん」の社是は、「人のためになる人の役に立つ生き方をしよう」ということらしいです。
  これこそ、戦後教育が言われ無き誹謗を行ってきた教育勅語の精神(勤勉と利他的行動の尊重)そのものではありませんか!!日教組の唱える「反戦・平和・人権」なんかより、教育勅語の方がずっと世界に通用するのです!!

  当ブログは、「コロちゃん」のアフリカでの大成功を、心よりお祈り申し上げます。
  
※追記
 以前ここでも紹介した「神のいどころ」というブログに、
  ●フランスのサルコジ内務大臣の「反日」発言がアップされていました。
  この人、ちょっと余計なことを言いすぎですね。もしかして「俺ってエスプリ豊かでアンテリジャンだろ?」とか思ってるんでしょうか。私から見れば、ただの口が軽い男ですね。
  同僚と話していたら、彼はフランスについて「自国の文化が最高だと思っているあたり、フランスって中国と似てるね」と言っていました。サルコジの妄言も、それを裏付けていると思います。こんなやつにコロちゃんの話をしても無駄でしょうね・・・。
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NHK=日本恥知らず狂会

2005年11月09日 00時05分05秒 | その他
 「チカン! もう言い逃れはできません」だそうです。
  
  電車の中吊り広告で、冒頭の画像のようなメッセージ広告を発見しました。探偵の格好をしているのは、NHKの堀尾アナウンサーです。よーく見ると、左下にNHKの、分裂中のアメーバみたいな変なロゴマークが見えますね。

  しかし・・・最近事件続きなのに、よくもまあこう偉そうに人様に講釈を垂れるものです。

  なお、キャッチコピーが不適切なので、私が訂正します。


  「放火未遂! もう言い逃れできません」

  「業務上横領! もう言い逃れできません」

  「韓流マンセー! もう日本のドラマは放映しません」


  こんなバカなメディアには、民営化などせずに、さっさと解散してほしいです。
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【将来を】恐るべし、日教組チルドレン【嘱望?】

2005年11月07日 23時41分00秒 | 日教組関連
  子ども国会というイベントがあるのはご存じでしょうか。

 日教組は、このイベントがことのほかお気に入りらしく、自身のホームページでもさかんにPRしています。
  以下が、その記事です。

(以下引用)

 10月27日、8月に開催された「第2回子ども国会」の子ども議員17人が、ロビイング活動の一環として日教組本部を訪れました。日教組からは、森越委員長、荘司副委員長、西原教文局長、高橋教文局次長が出席し、子ども達の意見が取り入れられる社会の実現に向けて意見交換を行いました。
 初めに、子ども議員のメンバーから、「第2回子ども国会」で採択された宣言書が手渡され、その後、フリートークで子ども達の意見が取り入れられる社会の実現のためにはどうしたらよいのかについて議論を深めました。
 子ども議員のメンバーからは、「子どもたち同士で議論できる場やおとなたちに意見を聞いてもらう機会を増やしてほしい」と要望がありました。高橋教文局次長は、1990年以来、全国教育研究集会の「子どもフォーラム」という場で、子どもたちの意見をおとなに聞いてもらう機会を設けていることを紹介。「10年前に日本が批准した子どもの権利条約を生かすとりくみをしているが、より多くの子どもたちの意見を社会に反映させる機会をつくっていきたい」と今後も努力していくことを伝えました。
 最後に、森越委員長から、「子どもたちの意見は必要でないというのはおとなの偏見。子ども同士のつながり、子どもとおとなのつながり、おとな同士のつながりを確かなものにし、お互いが言いたいことを何でも言える関係をつくっていけば学校や社会はよくなる」と思いを伝えました。

(引用以上)

  相変わらずの「日教組節」ですね・・・では、突っ込み開始です。

>子ども達の意見が取り入れられる社会

  日教組がどうしてこんな社会の実現を要求しているのでしょうか。「社会」のことを考えるより、現場で子どもたちの声を聞いて教育に生かせば良いだけの話ではないのでしょうか?
  どうも、日教組は自分たちは社会改革を使命とするエリート集団だという、妙な使命感を持っているようですね。私が常々言っているように、日教組というのは、単なる政治団体だということがここでも窺えます。
  子どもの意見を採り入れると言うことは、その子どもたちに自分の都合のいいような思想を植え付けることで、後々の「革命」を促すという意図があるのではないでしょうか。日教組の主張する荒唐無稽な思想は、大人の世界では相手にされません。だから、何も知らない子どもを洗脳しようというわけです。

>「第2回子ども国会」で採択された意見書

  資料がなかったので、第1回子ども国会の意見書を以下に引用します。第2回も、これと大して変わらないものだと思われます。なお、字数の都合上、一部引用です。

《日本の教育の質について》

■問題点

・先生と生徒の意思疎通ができていないことによって、学級崩壊が起こっている。
・先生からセクシャルハラスメントを受けている。
・障がいに対する先入観で、差別・特別扱いされる。
・総合的な学習の時間の授業内容を先生が組むことによって、
 生徒の自主性が失われる。
・学力や態度などで差別されている。
・校則で必要以上に縛られる。
・なぜこの校則があるのか、なぜおこられるのかが
 わからない、もしくは先生もわかっていない。

■理想

・全ての子どもの個性が、尊重される学校。
・共に学び、助け合う学校。
・教師と生徒、一人一人が向き合い、心が通い合う関係を持てる学校。
・受身の授業ではなく、参加型、体験型の授業。
誰もが積極的に発言でき、意欲が高まる授業。
入学式、卒業式に歌う歌を、生徒が決めることができる学校。
・学力と同時に、心の豊かさや人への思いやりを身につけられる教育。
・生徒同士で話しあう時間が多くある学校。
・様々な文化や伝統について学べる学校。
生徒のプライバシーが守られる学校。
平和や環境の科目がある学校。
・強制される教育ではなく、子どもの自主性、創造性を尊重する学校。
・先生を選ぶことができる学校。
人権についての授業がある学校。
・地域、家庭とのつながりがある学校。

  子ども国会の議員は、学校を「地上の楽園」だとでも思っているのでしょうか?こんな要望を聞いていたら、公教育の目的である「社会に通用する基礎学力の要請」などまず無理です。
  教師との意思疎通ができていないことによって学級崩壊が起こっているというのも、ふざけていますね。授業妨害をする子どもには責任がないという身勝手な論理です。しかし、これは日教組の教員のクラスに真っ先にあてはまりそうですね。日教組も勢い余って自爆している感があります。
  「様々な文化や伝統」を学びたいなら、自分でインターネットや文献で調べればよいではないですか。そんな要求にいちいち応えていたら、予算や人員がいくらあっても足りません。公教育は、カルチャースクールではないのです。
  だいいち、子供同士で話し合って、どこでどうやったら「平和」や「人権」に関する授業をしてほしいという意見が出て来るんでしょうね?
  もはや呆れてものも言えないのは、「入学式、卒業式に歌う歌を、生徒が決めることができる学校」という項目です。これを提案できる子どもは、一体どういう学校生活を送っているんしょうか?「反・君が代」である日教組の思想そのままですね。
  少し考えれば、日教組の教員が特定の考えを誘導していることがわかります。あるいは、日教組の教員が自分のクラスの「青年部員」をこのイベントに送り込んでいるのかもしれません。少なくとも、全子どもの代表的意見でないことは間違いありません。

>子どもたち同士で議論できる場

  まさに「日教組チルドレン」ですね(笑)。そんなもの、大人に頼らず自分で作ればいいじゃないですか。今はインターネットという便利なものもあるのです。学校でホームページ作成を習うご時世なのですから、自分たちで勝手に掲示板でも作って、勝手に運用すればいいのです。大人に場を与えてもらったら、管理されるに決まっています。そんなこともわからないで、国会の真似事などするべきではありません。
  こういうのを、私は「労働組合的甘え」と呼びたいです。会社の言うことを聞くのは嫌だが、会社に金や保護は負担してほしいという、甘い考えのことを言います。自分が企業の一員であり、他と競争していかなくてはいけないという現実を全く認識しようとしないので、たちが悪いです。子ども国会の例を見ればわかるように、そういう「自分勝手」「甘え100%」なメンタリティーは、日教組が強烈に発信しているのです。

>全国教育研究集会の「子どもフォーラム」

  どんな集まりなのかと思って検索してみたら、●石川県教職員組合のホームページに出ていました。
  数々の無責任な左翼的発言発言の中に、「タオルをつけているのが僕のチャームポイント。趣味でいろんなことをしている。」というのがありました。意味不明ですが、微笑ましいですね。

>子どもの権利条約

  日教組に限らず、左翼的傾向のある団体は何かというと「国連」という錦の御旗を掲げてきますね。
  しかし、こういった条約には法的拘束力は全くありません。4条には確かに立法措置等を講ずる旨がありますが、「適当な」という留保が付いている上に、「講じなければならない」とか「必要がある」とは書いていないのです。こんな条約を持ち出されて、慌てる必要はありません。そもそも、国連の人権等の宣言・条約は、個々の国の文化的実情を無視している側面を否定できません。鵜呑みにするのは危険です。
  国連の人権機構だから、いいんじゃないの?と思う方は是非、●こちらのサイトを見てみてください。人権委員会の委員長国がテロ国家として名を馳せたリビアで、その選出に賛成した国に政治活動の自由を全く認めていない中国が入っているのです。これで北朝鮮もいれば完璧でしょうね(笑)
  子ども国会も、リビアや中国は自分の国の人権をまず何とかしろ!!と言ってあげるべきです。

>子どもたちの意見は必要でないというのはおとなの偏見

  ここは、日教組お得意のパターンをしっかり受け継いでいますね。権威のある集団(政府や大人)を一般化して悪だと決めつけ、その権威を低下させようとする論法です。こういう反社会的なものの見方を子どもに吹き込むとは・・・日教組は子どもを「社会人」ではなく、「社会党員」にしたいのでしょうか?

>お互いが言いたいことを何でも言える関係

  あのね、こんなところで大人に向かって要求せずに、まず自分たちで、具体的な場所で大人に対して意見を言えばいいだけの話でしょうが!!
  現実から遊離した空々しい理念を、教育に持ち込んではいけません。教育というのは全て実践なのです。日教組の組合員は教師なのですから、教えた子どもの知識を増進させ、社会に出たときにきちんと適応できる人間を育てるために教育学を実践すればいいのです。
  平和が大事だと語るなら、身近にある非行や犯罪行為に対して、「これはいけないことなんだ」ときちんと教えるべきです。日教組自体が学力テストを暴力で妨害するような人の集まりなので、そういうことを教えるとボロが出るのかもしれませんが・・・・。
  みなさん、くれぐれも抽象的な知識や情報だけで、子どもを理解したつもりにならないでください。ニュースを見て、いきなり「近頃の子どもはみんなドラッグとかやってるんだな」と思う人がいたらバカだと思うでしょう?子ども国会や日教組の発想は、それと同レベルなのです。

  では、ここで今日の結論を。

    子ども国会の実態は、「日教組の、
    日教組による、日教組のための国会」!!
    日教組チルドレンのたわごとなど
    聞く必要はありません!!
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【笑】子どもでも簡単に分かる東アジアの話【憐】

2005年11月06日 14時46分57秒 | 社会と教育
  以下は、完全なフィクションです(著作権は、ろろに帰属します。笑)

世界政府が樹立された。政府は、20××年の大戦争により食糧事情が急激に悪化している日本列島など食糧自給率の低い国を救済するために、温暖化によって耕作が可能になったシベリア平原東部を開拓し、食糧を生産することにした。

世界政府は、東アジアの三つの国から農業政策の担当大臣を呼び、「衛生管理の行き届いた穀物や野菜を、可能な限りたくさん、コストをかけずに作れ」と、彼らに命じた。

日本の大臣が答えた。
「我が国を含め、困っている国々のためなら、喜んで努力いたします。」
政府の代表者たちも、この返事には気をよくした。

見ると、中国の大臣が不満そうな顔をしている。なぜかと代表者たちが聞くと、彼は答えた。

「どうして、他人が食べるものに衛生管理なんかしなくちゃならないんだ?」

さらに、代表者たちは、キムチのように顔を真っ赤にして怒っている朝鮮の大臣に、おまえはどうかと聞いた。彼は答えた。

「どうして、日本人が食べるものに衛生管理なんかしなくちゃいけないんだ?」

この後、世界政府の代表者たちは協議を行い、シベリアでの食糧生産を全て日本に任せることを決定した。



 ※上の話は、フィクション・・・でなくなる可能性が高いです。
  (以下のリンク参照)


中韓“キムチ摩擦” 中国産の安全性めぐり険悪ムード
http://www.business-i.jp/news/world-page/news/200510280006a.nwc

     ↓ で、その後

中国「韓国産キムチから寄生虫卵」、食薬庁「輸出したことない」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=69196&servcode=400§code=400

     ↓ さらに

韓国「自国産キムチからも寄生虫の卵」、日本にも輸出
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20051103i414.htm



   【教訓】自分の国の食べ物は、周辺国に頼らず
   極力自分でなんとかしよう
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伊豆の国の殺人~家族の終焉

2005年11月02日 23時38分15秒 | 子供の教育
  北海道新聞のウェブ版に、こんな記事が出ていました。

(以下引用)

「母に親しみ感じない」 逮捕の女子高生が供述  2005/11/02 22:10

 母親(47)に劇物のタリウムを摂取させたとして、殺人未遂容疑で逮捕された静岡県伊豆の国市の女子高生(16)が、県警の調べに「母親にはあまり」親しみを感じていなかったと供述していることが2日、分かった。

 県警は2人の間にトラブルがなかったかどうかなど動機の解明を急ぐとともに、女子高生が母親の容体の変化などをつづったブログ(日記風サイト)を基に、事実関係の裏付けなどを進めている。

 調べでは、女子高生は父親については「小遣いをくれるから好き」などと多くを話すが、母親のことに関しては口数が少なくなるという。

(引用以上)

  最も近しい大人である母親に対して何の親しみも湧かない。
    (こんなので本当に仲の良い友達などできるのか?)

  父親が好きなのは、小遣いをくれるから。
    (まるで少女買春!)

  そして、母親を殺害する家庭をブログで記録。
    (おぞましさはもとより、通報されると思わないのか!?)

  家族共同体の終焉。これこそが、日教組が誇らしげに語る戦後民主主義教育の「成果」なのです。
  
    たまたまこういう事件が起こっただけで、教育のせいにするな?

  たまたま・・・でしょうかね?大阪教育大学付属池田小学校の児童大量殺人だけではなく、17歳の少年による佐賀県の西鉄バスジャック殺人事件17歳の少年が愛知県で「人を殺してみたかった」と主婦をめった刺しにして殺した事件、枚挙に暇がないと言った方が適当です。

    学校教育の外側で起こった問題であり、教師に責任はない?

    子どもの心が荒んでいるのは、世の中が競争社会だから?   

  百歩譲ってそういう原因が介在していたとしても、教育の場でそうした「非人間化」をくい止めるために、日教組はどんな努力をしたのでしょうか?

  大人や権威に対する尊敬、恐れを身につけさせようとせず、
  生徒を対等の人格だと扱って注意も叱責もしない。


  この国を必死になって築き上げてきた先人たちの悪口を
  盛んに吹聴し、自国の歴史に誇りを持てなくさせる。


  挙げ句の果てに、何の成果も上げられない「平和・反戦」や
  「人権」ついての教育。


  分数のわり算もまともにできない理系の大学生を生む
  「ゆとり教育」という名の手抜き教育。


  子どもや社会にとって、何にもプラスになっていません。
  仮に、そうでないとしたら、日教組は自分たちの教育が、どんな風に世の中に還元されているかをきちんと説明すべきです。

  まあ、どだい無理な注文でしょう。日教組は政治運動以外何もしていないのですから。

  このような社会状況の悪化に対して、何も建設的な提案をしようとしない日教組は、明日にでも解散すべきです。
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