日々是勉強

教育、国際関係、我々の社会生活・・・少し上から眺めてみよう。

ロシア、ついに臨界点突破

2006年05月15日 23時44分07秒 | ロシア関連
  受験勉強中に、携帯電話でかなり気になるニュースを見つけた(←勉強しろよ)ので、それに関する記事を書きます。

●暴走する露民族主義・・・相次ぐ外国人襲撃、アムネスティ警鐘

(以下引用)

 国際的人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルは四日、外国人排斥を旗印とするロシア民族主義の暴走に警鐘を鳴らす報告書を発表した。外国人が多数在住するモスクワやサンクトペテルブルクなどロシアの大都市部では、毎週のように外国系住民が襲撃されるが、保安当局が真剣に対策を講じる気配はない。こうした現状は、後に独裁者ヒトラーを生み出した一九二〇年代当時のドイツの状況に酷似すると警告する専門家も出てきた。
 報告書「ロシア連邦・コントロールを失った暴力的な民族主義」では、暴力的な民族主義で昨年少なくとも二十八人が殺害され、三百六十六人が負傷したと言及し、「ロシア当局者には、故意に(民族主義に)目をつむる者もいる」として早急に対策を講じる必要があると訴えた。
 ロシア民族主義者による外国人襲撃事件は、今年になってエスカレートする兆候もある。ロシアのNTVなどによると、先月二十二日午後六時ごろ、モスクワ中心部の繁華街に近い地下鉄プーシキン駅構内で、アルメニア人大学生、ビゲンさん(17)が友人とキリスト教の復活祭をお祝いしようと、プラットホームに集まっていたところ、地下鉄から降り立ったロシア人の若者の集団に突然襲われ、ナイフで刺されて死亡した。若者たちはそのまま逃走した。
 白夜の季節を迎えて外は明るく、乗客らで込み合う地下鉄構内で発生した白昼の殺人事件に、モスクワ市民たちは衝撃を受けたが、ビゲンさんは今年十四人目の犠牲者にしか過ぎない。
 その前の週の十四日には、サンクトペテルブルクでアフガニスタン人が治安当局の制服を着た男たちの集団に襲われ暴行を加えられたほか、十三日には、南部のボルゴグラード州でロマニ人(ジプシー)たちの家族が襲撃され二人が死亡、二人が重傷を負った。七日には、サンクトペテルブルクで、人種差別の撤廃を求めて活動していたセネガル人の人権擁護団体指導者が射殺された。
 一昨年二月には、同じサンクトペテルブルクでタジク人の少女(9つ)=当時=が帰宅途中に自宅の目の前で十数カ所をナイフで刺されて死亡した事件が発生。今年三月二十二日には、同事件の容疑者の若者たち八人に対する判決公判が行われ、事実上の無実判決である狼藉(ろうぜき)の罪が言い渡された。陪審員たちは、殺害された少女よりも若者たちの将来に配慮した。
 ロシアの人権擁護団体ヘルシンキ・グループの法律顧問、ナビツキー氏は、外国人排斥の根には貧困や失業など同国の社会問題があり、その責任を外国人に転嫁する風潮の表れであると指摘したが、「民族主義が要因の事件は、全体の犯罪の1%に過ぎず、それを強調して過剰反応するのはまだ早い」と述べた。
 しかし、ロシアの著名なジャーナリスト、ムレチン氏は、ドイツ帝国が第一次世界大戦に敗れて帝政を廃止、ドイツ共和国(ワイマール共和国)の下で復興が始まった一九二〇年代とロシアの現状を比較。「帝国の威信が失墜し、失業者数が増大。そこに登場し人気を博したユダヤ人排斥運動をドイツの官憲は当時、野放しにした」と述べ、ファシズムが誕生する前のドイツと、現代ロシアには数多くの共通点があると警告した。

(引用以上)

  それにしても、ロシアというのは相当外国人労働者が多い国のようです。
  それもそのはずで、実はロシアはソ連崩壊してから初めてと言っていい好景気なのです。●こちらのニュースによると、最近のGDPが前年比5.4%も伸びています。
  その主な原因は、原油の世界的な高騰です。ロシアは世界第2位の原油生産国(1位はサウジアラビア)ですから、原油の希少価値が高まれば高まるほど、ロシアは利益を増やすことができるというわけです。
  その好景気に引っ張られて、外国、特にCIS(独立国家共同体。要するに旧ソ連諸国)からの労働者の流入が著しいわけです。
  しかし、外国人労働者がどっと押し寄せてくると、治安の悪化や住宅不足など、社会問題が増えるのはどこの国も同じです。ロシア政府は、どのような対応をしているのでしょうか。参考になるのは、●こちらのPDF資料です。
  上記のリンク先にもあるように、ロシアも「一応」外国人労働者を管理しようとはしています。しかも許可制=原則禁止なので、かなり厳しいものと言えるでしょう。
  しかし、おそらく実態は「ザル法」でしょう。その証拠は、●こちらのブログです。なにしろ、ロシア人の成人の3分の1が賄賂を公務員に渡したことがあるという統計がある(本当)というのです。外国人労働者を受け容れる企業が、内務省の「招待状」とやらをわざわざ請求する遵法意識があるとはとても思えません。
  現実は、政府が発表する実態を大きく上回る外国人労働者がロシアの主要都市に流れ込んでいるわけです。

  最も重要なことは、冒頭のニュース記事に、「ファシズムが誕生する前のドイツと、現代ロシアには数多くの共通点がある」ということです。

  それもそのはずです。どちらも「ランドパワー」(意味は●こちらのサイトを参照)なのです。
  ランドパワー(大陸型国家)の特徴は、勢力圏が陸続きになっているので、国境付近に本国とは異なる民族や集団がたくさん存在していることです。
  第1次大戦前のドイツはポーランドやチェコを併合していたので、大戦後もそれらの国との国境地帯に「ドイツ人でないドイツ国民」がたくさんいました。また、今のロシアであれば、事実上ロシアの属国となっているCIS諸国がそうです。
  これを言い換えれば、ランドパワーは常に国境付近に「反抗勢力」やそれに近い集団を抱えているということです。ロシアを悩ませている問題に、●チェチェン人によるテロがありますが、こういう少数集団による抵抗運動は、最近に始まったことではありません。1648年のボグダン・フメリニツキーの乱(ウクライナ・コサックの反乱)、1837年のケネサルの反乱(カザフ人による反乱)のように、ロシアの歴史では「恒例」といってもよいほどです。

  重要なことは、歴史上このようなリスクを抱えずに成立したランドパワー国家は存在しないということです。それゆえ、ランドパワーが強権を振るっている時期には、必ずある行動を取ろうとする、いや、取らざるを得なくなります。
  それが、「反対勢力の抹殺」です。
  我々日本人には到底思い及ばない選択肢ですが、これこそがランドパワーの本質です。そして、忘れてはならないのは、彼らは悪趣味なのではなく、国家の安全保障という観点から、反対勢力を抹殺せざるを得ないということです。
  ヒトラーは国会議事堂放火事件(1933年)後非常事態を宣言しますが、その後やったことは共産党の弾圧でした。その次にやり玉に挙がったのは社会民主党員です。ホロコースト(ユダヤ人根絶作戦)が始まったのが第2次大戦開始後です。実はまずナチスの標的になったのはいわゆる「左翼」だったわけです。
  彼らが標的になった理由は簡単です。左翼政党、特に共産党は、ソ連がコントロールしている組織だからです。つまり、国境線付近にいる異民族集団と同じような位置づけにあるというわけです。ソ連からしてみれば、ソ連の国境線を侵しかねないドイツを内部崩壊させるために、ドイツ共産党を飼っているのです。まさに獅子身中の虫です。だからこそ、ヒトラーは共産主義を目の敵にしたのでしょう。

  そしてナチスが軍拡、領土拡張、第2次大戦の惹起、ホロコーストといった風に、どんどんおかしな方向へ進んでいったのは、よく知られていることです。

  しかし、これを「ナチスという特殊な連中」のやったこととして片づけるべきではありません。極論かもしれませんが、ナチスの歩んだ道こそが、ランドパワーの宿命なのです。
  ナチス前後のドイツの歴史を、おおざっぱに抽象化してみるとこうなります。

 1.敗戦で国外の領土放棄(外国人は国内に残る)
        
 2.不景気と、それにともなう外国人排斥の動き
        
 3.強硬派の指導者の登場(国民の熱狂的支持)
        
 4.軍拡、領土拡張の野心をみせ、周辺国と対立
         
 5.対立するランドパワー国家との大戦争

  1.は「敗戦」を「ソ連崩壊」と置き換えてみてください。ぴったり合致しています。ドイツ帝国の場合と同じく、ソ連の崩壊も、ロシア人のプライドをいたく傷つけたことでしょう。
  また、2.はゴルバチョフ、エリツィン政権下での自由経済への転換期です。合理化に伴い、割安な労働力を得るために、外国人労働者が入ってきたのもこの時期です。
  そして、3.はプーチン大統領誕生です。政敵を疑獄事件で葬り、テレビ局を支配し、NGOまで許可制にする・・・ヒトラーまでは行かなくても、相当に全体主義的な指導者であることは間違いありません。
  プーチンが大量得票で大統領になれたのは、第2次チェチェン戦争で徹底的にチェチェンを叩いた(大量殺戮、大量強姦を行わせた)からです。失われた「強い(ランドパワーである)ロシア」のプライドを国民に取り戻させたわけです。
  こういう指導者の姿勢が、偏狭な連中に妙な自信を付けさせたという面もありそうです。
  
  では、4.はどうなのかというと、実はつい先日その動きが出てきました。

●ロシア大統領、軍事大国復活に意欲・年頭教書演説

(以下引用)

 ロシアのプーチン大統領は10日、クレムリンで年次教書演説を行い、戦略核兵器の増強を軸にした軍拡路線を明確に打ち出した。従来は軍の近代化を重視してきたが、再び軍事大国化へカジを切る。資源外交の強化も打ち出しており、議長を務める7月の主要国首脳会議(サンクトペテルブルク・サミット)を前に、西側との対立が鮮明になってきた。

 上下両院議員らを前に演説した大統領は核兵器の宇宙配備の可能性や小型核兵器開発などに言及し「各国の軍拡競争は新しい段階に入った」と指摘した。そのうえで「戦略的な均衡を保たねばならない」と、軍備拡張を強く訴えた。

 具体的には、ミサイルに迎撃されにくい大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発を進めていることや、1990年以来となる核兵器搭載可能な新型原子力潜水艦二隻を近く配備することを表明。特に、戦略核については今後5年間でミサイル、長距離爆撃機、原子力潜水艦への配備を増強する考えを示した。

(引用以上)

  この記事の中で重要なのは「核兵器搭載可能な新型原子力潜水艦二隻」と「小型核兵器開発」です。まさか、チェチェンのゲリラと戦うのにこんなオーバーな装備は必要ありません。
  あくまで最悪の予想ですが、5.は「アメリカとの大戦争」になる可能性があるのです。

  冷戦が終わったのに、どこで何をするのだ?と思うかも知れませんが、舞台になるとすればおそらく「黒海」か「中東」です。
  黒海に関しては、●以前の記事でも紹介しましたが、ウクライナの問題です。仮にここに完全にアメリカ寄りの国が誕生してしてしまえば、黒海にアメリカの潜水艦や空母が入ってくることにもなりかねません。そうなると、ロシアの一大石油利権であるカスピ海油田が危なくなるのです。
  そして、中東に関しては、やはり油田地帯だということです。ここの石油を全てアメリカが支配すれば、ロシアの「ある戦略」にとって致命傷になりかねないのです。

(以下引用)

 欧州連合(EU)は天然ガスなどの安定供給を確保するため、包括的なエネルギー条約をロシアと締結する検討に入った。欧州委員会が作成するエネルギー共通政策の具体案に盛り込み、23日からのEU首脳会議で協議する。

 現在は加盟国が個別にロシアと条約を結んでいるが、これをEU共通の条約に切り替える。対ロシアでは今年初め、ウクライナとの紛争や記録的な寒波で欧州向けの天然ガス供給が減少する事態が起きた。特にロシアへの依存度が高い中・東欧諸国は危機感を強めており、EU全体としての対応を求めていた。
(3月9日、日経新聞ウェブ版より)

(引用以上)

  簡単に言えば、ロシアはエネルギーをダシに、EUを支配しようと考えているのです。ここにアメリカが安定した石油供給を申し出たりなどしたら、せっかくの構想が台無しというわけです。

  アメリカ、フランス、イギリス、そして日本も含めた各国が、核開発が疑われるイランに対して、これ以上馬鹿な真似はやめろと言っているのにも関わらず、ロシアは「イランと一緒になってウラン濃縮をやりたい」などととんでもないことを主張しています。
  その動機は簡単です。イランまでアメリカの手に落ちたら、ロシアは窮地に立たされるからです。イランはカスピ海最大の油田、バクー油田を擁するアゼルバイジャン共和国の隣国です。つまり、イランを取られれば、アメリカの「石油力」が増大し、自分のそれが脅かされることになるのです。
  このロシアの行動を見るに付け、もうすでに戦争は始まっているのではないかと思ってしまいます。
  
  外国は中国、朝鮮だけではありません。みなさんも、是非ロシアの今後の動向に注目しましょう。

「格差社会」など信じるな!!(後編)

2006年05月08日 01時17分20秒 | 社会と教育
 (注)一部記述を追加したところがあります。

  初めに断っておきますが、私は人間社会に「格差」が存在することを否定するつもりは全くありません。しかし、それが小泉政権の「改革」に伴った発生した現象だというのは、100%嘘だと断言できます。
  証拠として●こちらのサイトを挙げておきます。連合という労働組合ですら、貧富の格差を示す「ジニ係数」(0に近ければ近いほど格差がないと言われる)は、「80年代初頭から着実に上昇して」いると評価しているのです。
 しかも、日本のジニ係数は●こちらのPDF資料の70ページにあるように、2005年現在でも0.28足らずなのです。これは、先進国の平均より下であり、カナダやフランス、オーストラリアよりも低い数字です。これを「格差社会だ!」などと言ったら、カナダの人たちに失礼な気がするのは私だけでしょうか。

  そうは言っても、格差が増大していることは事実です。では、この「格差」とやらの原因は何なのでしょう。

  はっきり言えることは、現代がボーダーレス化の時代になったということです。
  ボーダーレス化については、以前●「卒業生に贈った言葉」でも触れましたが、簡単に言えばあらゆるものの垣根がなくなり、以前の常識では図れないところで競争を強いられるようになる、ということです。
  このボーダーレス化は、世界レベルで進んでいる現象です。我が国も、それに否応なしに巻き込まれてしまっているのが現状です。
  具体的に言えば、まず、工業製品の分野で中国と競争しなくてはならなくなったということです。
  簡単に言えば、今まで日本国内の企業が満たしていたあまり技術程度の高くない電化製品や石油化学製品、それに繊維製品といった製造業分野の国内需要に、中国製品が食い込んできたことです。もちろん、中国との貿易自体は、国交回復以降、絹糸や漢方薬などといった分野で活発に行われていました。それが、1990年代以降飛躍的に量が増えたのです。(いまや、日本の最大の輸入相手国はアメリカではなく中国)。
  そうなると、今まで、付加価値の低い製品を作っていた企業は、廃業するか、人件費の安い国に工場を移転せざるをえなくなるわけです。これが日本国内の雇用を減らすことはすぐに想像できます。
  ここで強調したいのは、中国が日本の「非熟練雇用」を代替したということです。
  独自の技術を持っている企業(例えば●こちら。必見です)や、技術者を囲い込んでいる大企業は、中国と戦う次元が違うので、怖がる必要はないのです。むしろ、「なんとなく」利益を上げてきた企業が冷や汗をかくことになったのです。今までは「なんとなく」他と同じことをやっていれば、親会社や得意先が「なんとなく」取引をしれくれた。それなのに、「中国から買うからいいや」と言われて断られる。途方に暮れてしまうのは無理がありません。

  もうひとつの具体例は、金融の世界でアメリカと競争しなくてはならなくなったことです。
  この前戸棚を整理していたら、私が高校3年生の頃(1993年)に書いていた日記が出てきました。ちょっと見てみると、証券会社が特定の顧客に対して損失補填をして問題になったという事件について、なにやら書いてあったのです。外国の投資家が、「日本の市場には透明性がない」とか「アンフェアな取引だ」とか、さんざん批判していたように記憶しています。
  それ以前でも日本の証券会社は損失補填をやってきていたのです。それなのに、なぜあのタイミングで問題視されるようになったのか。
  今ならはっきりと理解できます。なるほど、アメリカの金融界が、日本に宣戦布告してきたんだな、と。
  損失補填の問題化は、これからおまえたちの金融市場に殴り込みを仕掛けるぞ、不公正なルールというおまえたちの弱点を狙ってやるぞ、という、彼らのメッセージだったのではないかと思うのです。
  これは、別に妄想ではありません。アメリカは、すでに80年代の自動車交渉などを、Trade War (貿易戦争)と形容していたのです。向こうはやる気満々なのに、日本は全く気づいていなかったのです。
  そして、その後のクリントン政権は、日本の弱点が旧態依然とした金融業であるという点に攻撃を集中させました。金融ビッグバンによって日本の金融市場をこじ開け、外資企業が侵略し放題にしたのです。上に挙げた「なんとなく」利益を上げてきた企業の最たるものが銀行でした。基軸通貨をバックにして、政府が強力に後押しするアメリカの投資会社や金融グループに、勝てるわけがありません。
  同盟国に対して何てひどいことを・・・と思うかも知れませんが、それが現実です。アメリカも日本というシマになぐり込みをかけなくては生き残れない時代が、ボーダーレス化の時代なのです。だから、アメリカを一方的に断罪するのは間違いです。非難されるべきは無策だった我々(の政府)です。
  このボーダーレス化をもたらした最大の原因は、冷戦が終わったということです。
  冷戦時代というのは、簡単に言えば米ソが世界各国をそれぞれの陣営に囲い込み、軍事力や貿易をエサにして養っていた時代です。この時代の日本の製造業は、はっきり言ってしまえばアメリカと「だけ」競争していればよかったのです。いいものを作れば、とにかくアメリカという「親分」が買ってくれた時代だったのです。
  それが、「ソ連の弱体化」と「アメリカの貿易収支の悪化」(「プラザ合意」に顕著)をきっかけにして崩壊したのです。親分に子分を養う力がなくなったので、家から追い出されたようなものです。
  しかし、我々が1993年頃、アメリカ一家から追い出されて、一人で食って行けと言われていることに気づいていたでしょうか?
  結局、日本はあわてて「リストラ」に励まざるを得なくなったというのが、「失われた10年」とやらの正体だったというわけです。小泉政権がやってきたのも、日本という国のリストラだったという面があります(もちろん、全てではないが)。

  ここで言うリストラというのは、単に首を切ることだけを意味するのではありません(マスコミはやたらとそういう面ばかり吹聴しているが、あれこそ洗脳)。私は、「人間の配置替え」だと思っています。そして、その核心は、「使える人間はとことん使おう」という発想です。
  これは当然、収入にも反映されます。収入だけではなく、(正常な企業なら)上司からの扱いという面でも差が生じるでしょう。「使える」人材に逃げられてしまったら困るからです。
  当然、逆も言えます。代替が効くような仕事しかできない人間は、時給で雇っておけばいいのです。ものを作るなら中国の工場にやらせようか、ということもできます。それによって浮いた利益を、「使える」人間の方に回したり、競争力を高めるために使えばいいのです。
  よく言われる「格差」というのは、こういった「人間の配置換え」から生まれていると私は思います。つまり、使える人間にばかり仕事や金が集まっているのです。
  もちろん、個人レベルで見れば数々の悲哀があったでしょう。しかし、「配置換え」によって日本の企業が力を発揮できるようになったという面も、確かにあるのです。マイナス面ばかりを捉えてはいけません。
  それに、有名な●サイバーエージェントの藤田社長など、働きまくっています。「勝ち組」になるというのは、そういうことなのです。決して努力もせずにうまい汁を吸うことではありません
  
  そういうことを言っても、きっと民主党を支持されている方や、右肩上がりの時代に青春を過ごした「団塊の世代」及びその周辺世代の方々は納得が行かないでしょう。そこで、私が、「格差社会」をなくす方法をいくつか紹介します。

  一番簡単なのは、「中国と断交すること」です。
  上に挙げたように、日本の非熟練労働者は、中国の安い労働力に雇用を奪われているのです。それならば、いっそのこと全く付き合うのをやめてしまうというのはどうでしょうか。  
  もちろん、はっきり断交するなどと言わなくてもいいのです。交流事業をストップしたり、中国に進出している企業に税をかけたり、中国向けのODAや円借款を止めたり、少しずつやっていけばいいのです。

  なに?そんな極端なことを言うな?

  そういう人に言いたいのですが、それならあなたはどうやったら「格差」とやらがなくなると思っているのですか?格差が生じているのは、ボーダーレス化が原因なのです。それなら、「鎖国」をするしかないんじゃありませんか?
  「日中友好が」とおっしゃる方に言いたいのですが、中国の安い労働力を使って安い品物を買うというのは、本来日本が負担する環境破壊や資源調達に対するリスクを、中国に背負わせているということなのです。そこに、何も罪悪感は感じないのですか?
    
  他にも、格差をなくす方法はあります。それは「公共事業を思いっきり増やす」ことです。
  例えば、私は新しい公共事業のアイディアを持っています。詳しく紹介することはできませんが、かいつまんで言えば、建設業者の廃業を促進し、その受け皿として「スギ林などの針葉樹林を広葉樹林に転換する」公共事業を行うと同時に、農業や伝統工芸といった地方でも持続可能な業種の人材育成を行うのです。これなら、林床も豊かになり、陸や海の自然環境が改善させることができます。

  なに?税金の無駄遣いは出来ないって?

  じゃあ、地方にどうやって雇用を生み出すんですか?まさか、地方分権すればいいとか思っているんですか?かたまりのままだと小さなケーキが、切り分けた途端に大きくなるんですか?

  誤解を招くと面倒なのではっきり言っておきますが、私は上の二つの政策は本気で実行すべきだと思っています。しかし、もし私がポスト小泉(笑)だったとして、国会で上の二つの政策を公言したら、きっと国会で野党にけなされ、新聞の社説で叩かれる羽目になるでしょう。「アジアの友好を守れ」だとか「田中角栄型のばらまき政治は時代遅れ」などといった風にです。
  
  野党(特に社民党と共産党)や朝日新聞などのマスコミが言っている「格差社会の是正」などというのはその程度なのです。批判することが目的なのです。無責任も程々にしろ!!という気になります。
  
  わたしはちゃんと責任を持つ人間なので(笑)、最後に、お金もあまりかからず、しかも根本的な「格差社会」対策を紹介しましょう。

  それは、「教育」です。

  私は、能力開発だけの面を言っているのではありません。子どものメンタリティーを、「冷戦型」から「21世紀型」に変えていくだということです。

  「冷戦型」のメンタリティーを一言で表現すれば「努力すれば夢が叶う」ということです。言い換えれば、誰でも我欲の充足という形の自己実現ができるということです。
  冷戦型メンタリティーを支えていたのは、夢がもし叶わなくてもそこそこいい暮らしはできるだろうという楽観と、それを実現していた冷戦期の社会情勢です。日本が閉じていた、ボーダーがはっきりとしていた時代だからよかったのです。夢を本当に実現できる人間がほんの一握りだとしても、失敗を気にせず「夢」や「希望」などと言っていられたのです。日教組が平和だの人権だの気炎を上げて教育指導要領を守らなくても問題にならなかったのは、そういう時代だったからかもしれません。
  ところが、日本がボーダーレス化に巻き込まれて、その基盤が崩れてしまいました。夢ばかり追いかけていても、いつか「普通」の生活を、いつでも、さしたる努力もせずに(←ここが重要!!)実現できるだろうと思っていた若い人たちは、梯子を外されたような状態になってしまったというわけです。昔に戻してくれ、と言っても無駄です。ボーダーレス化は、日本だけがやっていることではないからです。
  そういう状況だから、「格差社会」になってしまうのです。冷戦型のメンタリティーが、21世紀のボーダーレス社会に適応していないだけです。少なくとも、日本には明らかに社会不安を巻き起こすような格差は存在していません。ぜいたくを言っているだけです。

  それなら、いっそのこと考え方を変えてみたらどうでしょうか?

  努力したい人は目一杯努力して、成功でも何でもすればいいのです。ただ、誰もがそういう生き方は出来ないということを、子供の頃からきちんと教えておかけばいいのです。
  そのとき、大きな軸になるのは、「人(社会)と関わること」と「利他精神」です。
  私たちは、中学の公民の授業で、いきなり「権利は大切だ。自由が一番だ」などと習います。これは、不幸なことだと言わざるを得ません。権利や自由というのは、他人の干渉を排除するという側面が必ずあります。権利や自由は、寂しいものなのです。
  それよりも、我々は必ず誰かを必要としていることを、そして、その誰かを助けることがまず第一なのだと教育する方が先です。

  これは、そんなに難しいことではありません。一つ、具体例を挙げましょう。

  よく、各界で成功した人が子どもに向かって講演する機会がありますが、あれを「他人のために一生懸命働いている人物」の話を聞くイベントにすればいいのです。
  消防士や、海上保安官、社会福祉事務所の職員といった職業の人でもいいですし、毎日欠かさず家の前の道路を掃除しているおじいさんでもいいのです。●こういう企業の社長さんを招いてもいいですね。
  大切なのは、そういう人が見えないところで社会を支える生き方に、確かな価値があるのだということを子どもに「植え付ける」ことです。
  そういう教育を受けて育った子どもであれば、多少年収が下がろうが、子どもが塾に行けなかろうが、学歴が低かろうが、司法試験のような難しい資格試験に落ち続けようが(笑)、人生が真っ暗になるようなことはないはずです(嫌なら、努力すればいいだけ)。なぜなら、人の役に立つというのは、誰でもできることだからです。そういう強さこそ「21世紀型」の日本人として必要なものなのです。

  教育基本法の改正が話題になっていますが、どうせなら第1条に「教育の目的は社会の一員であることを自覚し、利他精神を持った人間を育てることにある」とでも書けばいいのです。そういう人間なら、個人主義など吹聴しなくても、社会の中で自分がいるべき場所は見つけられるはずです。
  何よりも、ここを見ていらっしゃる方々一人一人が、「21世紀型」人間になることが重要です。子どもは、その姿を見て育つのですから。

  「格差社会」というのは、冷戦時代の精神構造を捨てきれない我々の「甘え」なのです。なんでも「格差」のせいにするのは、やめにしませんか?

「格差社会」など信じるな!!(前編)

2006年05月04日 08時23分33秒 | 社会と教育
  最近「格差社会」などという言葉が喧伝されています。

  私がブログ更新を停止している間のことですが、伯父の家であるテレビ番組をみる機会がありました。「たけしのTVタックル」(テレビ朝日系)という番組です。
  4月17日放送分のテーマがまさに「格差社会」でした。
 その内容は、●こちらのブログを見ていただくと少し雰囲気が掴めるかも知れません。(ちなみに、公式の番組紹介は●こちら)私が覚えている限りでは、「小泉政権になってから、富める人々とそうでない人の差はどんどん広がっており、いわゆる二極化社会になりつつある」ということでした。
  番組には、就学助成を受けている家庭が全体の4割だという東京都・足立区の母子家庭が出てきていました。お母さんが勉強を教えているシーンなどが流れ、「塾にも通わせられないから学力面は不安です」とおっしゃっている場面がありあました。
  その一方で、都内のデパートでは高級時計などの売り上げが最近になって伸びてきていることが紹介されました。さらに、いわゆる「ヒルズ族」の男性とセレブ(笑)を目指す女性たち(モデルが多い)のお見合いパーティーのような場面が続きます。いかにも成金という雰囲気の男性が「お金のない人も努力すればいいんじゃないですか」という意味のコメントを寄せていたのが印象に残りました。

  もしかしたら、この番組を見て「小泉政権は、自由化の名の下に弱者を切り捨てて、こういう金持ちばかりを優遇しているのだな」と、義憤をたぎらせた方もいらっしゃるかもしれません。

  しかし、ちょっと待ってください。この番組、本当に社会の実情を正確に描写しているんでしょうか?

  私に言わせれば、「TVタックル」の番組構成は相当に偏っています。少なくとも、同番組でコメンテーターだった社会民主党の国会議員が言っているような「格差社会」が現実に存在しているかどうかは相当に怪しいというのが正直な感想です。
  おかしな点はいくつかあります。
  まず、「教育もろくに受けられない子どもがいる」という具体例やデータが、全て一カ所で採取したものだということです。就学助成を受けている子どもが増加しているという統計、それに関する行政側のコメント、そして具体例としての母子家庭、全て足立区のものです。足立区というのは、区税収入の水準が相当低く、都の交付金に頼る割合が高い自治体、要するに「豊かでない」自治体です。(●こちらのブログが参考になります)「TVタックル」の司会者(?)である北野武氏が足立出身だからということで使われたのだと思っていたのですが、実は「格差社会」という言葉を受け手に伝えたい人間にとって、かなり好都合な自治体だったというわけです。
  また、どうして具体例が「母子家庭」なのでしょうか?私も離婚家庭で育った人間ですからあまり家庭のあり方について偉そうなことは言えないのですが、やはり母子家庭というのは絶対数が少ない、すなわち「特殊」な家庭です。なんらかのハンデがあるのは、おそらく江戸時代でも、高度成長期でも同じでしょう。母子家庭の「窮状」を持って、格差が拡大しているというのは根拠不十分だと言えるでしょう。
  私が一番おかしいと思ったのは、そのお母さんが「塾にも行かせられないから学力が不安で」ということを述べていた(=制作側があえてそのコメントを放映した)ことです。
  確かに私の塾でも授業料の滞納が10年前に比べると多くなっているというデータはあります。しかし、塾というのは行かなければ将来が完全に閉ざされてしまう性質のものではないはずです。
  実際塾で教えている人間が言うのは変ですが、私は高校受験も大学受験も塾には行っていません。理由は簡単です。親がそんな金など出せないと言っていたからです。ちなみに、私の父は二部上場企業に務めていて役職も付いていました。だから、「貧しい」家ではありません。それでも、塾に出せる金などない、という方針だったのでしょう。
  しかし、私は大学に行きたかったので、自分で受験勉強の方法などを書いた本を読んだり(全部立ち読み)、問題集を何度もやったり(自分の小遣いやアルバイト代)、学校の授業中内職をしたり(恥ずかしながら先生にチョークを投げられたこともあった)、それなりの努力をしました。名前は言えませんが、難関と言われる大学に現役で合格してもいます。
  だから、塾に行けないから教育の機会が奪われる、という言葉には、賛成しかねるのです。本当に教育を受けたいなら、能力をつけるのは自分の責任で行うべきです。塾に子どもを行かせているのは、親御さんの情愛の現れか、みんなと同じでないと不安という心理ゆえでしょう。
  ところが、どうも最近、「親の所得格差が学力格差につながっている」という主張をする人間が増えてきています。学者やコメンテーターが言うならまだしも、教職員の組合(笑)が声高にそんな主張を唱えているのには情けなくなります(証拠は●こちらのサイト
  どうも、「TVタックル」の制作者(おそらく番組製作会社やテレビ朝日の人間)や、先生方は塾に行くのが当然であるという前提で物事を判断しているようです。どう考えても、「ぜいたく」な発想でしょう。
  さらに、いわゆる「ヒルズ族」のように取り上げられていた男性が、どうもあまり知性の感じられない口調だったのも気になります。わざと反感を買いやすい人間を映像に出して、感情的な反応を誘いたいのかもしれません。そうでなくても、最近はドラえもんだか土左衛門だかいう人物が話題になっていますから・・・。

  上記のような理由から、「TVタックル」が言うような「格差社会」というのは、眉唾物だということができます。明らかに、制作側が何らかの思想を視聴者に喧伝しようとしているプロパガンダの一種です。

  しかし、それにしても最近「格差社会」という言葉がやたらとメディアに出てくるようになったのはなぜでしょう。
  それは簡単です。「格差社会」をネタにして、現政権を攻撃したい勢力がいるからです。  
  その代表格は、なんと言っても社会民主党でしょう。先日のメーデーでも●こんなアピールをしています。「二極化」「人間らしさの回復」「新自由主義」など、格差社会を論ずる連中の大好きなキーワードが目白押しです。また、格差の中でも身分が不安定だと言われる派遣社員の増大という点に焦点を絞り、党首の福嶋氏自ら雑誌に記事を寄稿していたりします(週刊エコノミスト、2005年3月22日号)。
  社会民主党は、言わずと知れた「社会主義」の政党です。同じ社会主義の政党である共産党も、最近は格差社会のPRに熱心です。(●こちらのサイトを参照)どうやら、冷戦終結で大義名分を失っていた社会主義の政党が、ここぞとばかりに弱者救済を訴えているようです。
  そして、最近では朝日新聞とテレビ朝日がこの動きを応援しています。今年の朝日新聞2月10日朝刊で、著名な経済学者2名による格差社会の分析が載せられています(●こちらのブログに抜粋有り)。とはいえ、その二人の専門が「労働経済学」ですから、人選の段階で、「日本にはセーフティネットが足りない」「所得の再分配をしろ」という発言が出てくるのは簡単に予想できます。要するに、学者の名前を借りた宣伝です。
  テレビ朝日でいうと、先ほどの「TVタックル」もそうですが、看板番組である「報道ステーション」のキャスターが、先日「(韓国の)武装スリが日本で増えたのは格差社会のせい」などと発言していました。どうもこのキャスターは何でもかんでも格差社会に結びつけたがる傾向があるのか、このキーワードを番組内で多発しています。
  そして、どうやら万年野党である民主党も、この便利なキャッチフレーズに便乗しようと言う腹のようです。先日の連合系の大会で、党首の小沢一郎氏が「不条理な格差を是正すべき」と発言しています。(●こちらを参照)

  この一連の「格差社会」提唱の流れから見ると、このような結論が容易に想像できます。すなわち、郵政民営化でも、景気回復でも、靖国神社参拝でも、「アジア」外交でも、全く小泉政権に歯の立たない野党や反日メディアが、攻撃手段を変えてきたということです。それゆえ、上に挙げたような「TVタックル」のような、強引な格差社会PR番組が出てきてしまうことになるわけです。
  確かに、わからなくもありません。このまま小泉首相が勇退し、人気のある安倍官房長官が自民党総裁・総理大臣にでもなれば、民主党や朝日新聞が大好きな中国や北朝鮮に対する日本の対決姿勢が強まるのは目に見えているからです。それを止めようと必死なのでしょう。
  小沢氏という人物は、自民党にいる頃は大人の国家とか小さい政府だとか主張していたような気がするのですが、やはり本質は「外国人参政権」(実態は朝鮮・中国人参政権)推進派です。儒教アジアのためになることなら躊躇無く口にできるということでしょう。
  そして、その成果は、先日の千葉7区補欠選挙で一応の結実を見ました。しかし、今後も同じネタが使えるかどうかは微妙です。

  こういうことを書くと、「実社会の格差はないとでも言いたいのか」という声が聞こえてきそうです。それとも、共産党員や民主党サポーターの方は、「おまえは塾に来られるような恵まれた子どもしか知らないくせに!!」とでも私をなじるのでしょうか。
  はっきり申し上げますが、私は、格差というものは絶対に存在すると思っています。しかし、格差を生み出す原因の認識や、対処法についての考えが、社民党・共産党・民主党や「TVタックル」の制作者とは全く異なっていると言わざるを得ません。
  そこで、次回は私の「格差社会」についての考えを述べさせて頂きます。

  ※うまく行けば、5月7日の夜23:30ごろには
   後編をアップできると思います。