子ども国会というイベントがあるのはご存じでしょうか。
日教組は、このイベントがことのほかお気に入りらしく、自身のホームページでもさかんにPRしています。
以下が、その記事です。
(以下引用)
10月27日、8月に開催された「第2回子ども国会」の子ども議員17人が、ロビイング活動の一環として日教組本部を訪れました。日教組からは、森越委員長、荘司副委員長、西原教文局長、高橋教文局次長が出席し、子ども達の意見が取り入れられる社会の実現に向けて意見交換を行いました。
初めに、子ども議員のメンバーから、「第2回子ども国会」で採択された宣言書が手渡され、その後、フリートークで子ども達の意見が取り入れられる社会の実現のためにはどうしたらよいのかについて議論を深めました。
子ども議員のメンバーからは、「子どもたち同士で議論できる場やおとなたちに意見を聞いてもらう機会を増やしてほしい」と要望がありました。高橋教文局次長は、1990年以来、全国教育研究集会の「子どもフォーラム」という場で、子どもたちの意見をおとなに聞いてもらう機会を設けていることを紹介。「10年前に日本が批准した子どもの権利条約を生かすとりくみをしているが、より多くの子どもたちの意見を社会に反映させる機会をつくっていきたい」と今後も努力していくことを伝えました。
最後に、森越委員長から、「子どもたちの意見は必要でないというのはおとなの偏見。子ども同士のつながり、子どもとおとなのつながり、おとな同士のつながりを確かなものにし、お互いが言いたいことを何でも言える関係をつくっていけば学校や社会はよくなる」と思いを伝えました。
(引用以上)
相変わらずの「日教組節」ですね・・・では、突っ込み開始です。
>子ども達の意見が取り入れられる社会
日教組がどうしてこんな社会の実現を要求しているのでしょうか。「社会」のことを考えるより、現場で子どもたちの声を聞いて教育に生かせば良いだけの話ではないのでしょうか?
どうも、日教組は自分たちは社会改革を使命とするエリート集団だという、妙な使命感を持っているようですね。私が常々言っているように、日教組というのは、単なる政治団体だということがここでも窺えます。
子どもの意見を採り入れると言うことは、その子どもたちに自分の都合のいいような思想を植え付けることで、後々の「革命」を促すという意図があるのではないでしょうか。日教組の主張する荒唐無稽な思想は、大人の世界では相手にされません。だから、何も知らない子どもを洗脳しようというわけです。
>「第2回子ども国会」で採択された意見書
資料がなかったので、第1回子ども国会の意見書を以下に引用します。第2回も、これと大して変わらないものだと思われます。なお、字数の都合上、一部引用です。
《日本の教育の質について》
■問題点
・先生と生徒の意思疎通ができていないことによって、学級崩壊が起こっている。
・先生からセクシャルハラスメントを受けている。
・障がいに対する先入観で、差別・特別扱いされる。
・総合的な学習の時間の授業内容を先生が組むことによって、
生徒の自主性が失われる。
・学力や態度などで差別されている。
・校則で必要以上に縛られる。
・なぜこの校則があるのか、なぜおこられるのかが
わからない、もしくは先生もわかっていない。
■理想
・全ての子どもの個性が、尊重される学校。
・共に学び、助け合う学校。
・教師と生徒、一人一人が向き合い、心が通い合う関係を持てる学校。
・受身の授業ではなく、参加型、体験型の授業。
・誰もが積極的に発言でき、意欲が高まる授業。
・入学式、卒業式に歌う歌を、生徒が決めることができる学校。
・学力と同時に、心の豊かさや人への思いやりを身につけられる教育。
・生徒同士で話しあう時間が多くある学校。
・様々な文化や伝統について学べる学校。
・生徒のプライバシーが守られる学校。
・平和や環境の科目がある学校。
・強制される教育ではなく、子どもの自主性、創造性を尊重する学校。
・先生を選ぶことができる学校。
・人権についての授業がある学校。
・地域、家庭とのつながりがある学校。
子ども国会の議員は、学校を「地上の楽園」だとでも思っているのでしょうか?こんな要望を聞いていたら、公教育の目的である「社会に通用する基礎学力の要請」などまず無理です。
教師との意思疎通ができていないことによって学級崩壊が起こっているというのも、ふざけていますね。授業妨害をする子どもには責任がないという身勝手な論理です。しかし、これは日教組の教員のクラスに真っ先にあてはまりそうですね。日教組も勢い余って自爆している感があります。
「様々な文化や伝統」を学びたいなら、自分でインターネットや文献で調べればよいではないですか。そんな要求にいちいち応えていたら、予算や人員がいくらあっても足りません。公教育は、カルチャースクールではないのです。
だいいち、子供同士で話し合って、どこでどうやったら「平和」や「人権」に関する授業をしてほしいという意見が出て来るんでしょうね?
もはや呆れてものも言えないのは、「入学式、卒業式に歌う歌を、生徒が決めることができる学校」という項目です。これを提案できる子どもは、一体どういう学校生活を送っているんしょうか?「反・君が代」である日教組の思想そのままですね。
少し考えれば、日教組の教員が特定の考えを誘導していることがわかります。あるいは、日教組の教員が自分のクラスの「青年部員」をこのイベントに送り込んでいるのかもしれません。少なくとも、全子どもの代表的意見でないことは間違いありません。
>子どもたち同士で議論できる場
まさに「日教組チルドレン」ですね(笑)。そんなもの、大人に頼らず自分で作ればいいじゃないですか。今はインターネットという便利なものもあるのです。学校でホームページ作成を習うご時世なのですから、自分たちで勝手に掲示板でも作って、勝手に運用すればいいのです。大人に場を与えてもらったら、管理されるに決まっています。そんなこともわからないで、国会の真似事などするべきではありません。
こういうのを、私は「労働組合的甘え」と呼びたいです。会社の言うことを聞くのは嫌だが、会社に金や保護は負担してほしいという、甘い考えのことを言います。自分が企業の一員であり、他と競争していかなくてはいけないという現実を全く認識しようとしないので、たちが悪いです。子ども国会の例を見ればわかるように、そういう「自分勝手」「甘え100%」なメンタリティーは、日教組が強烈に発信しているのです。
>全国教育研究集会の「子どもフォーラム」
どんな集まりなのかと思って検索してみたら、●石川県教職員組合のホームページに出ていました。
数々の無責任な左翼的発言発言の中に、「タオルをつけているのが僕のチャームポイント。趣味でいろんなことをしている。」というのがありました。意味不明ですが、微笑ましいですね。
>子どもの権利条約
日教組に限らず、左翼的傾向のある団体は何かというと「国連」という錦の御旗を掲げてきますね。
しかし、こういった条約には法的拘束力は全くありません。4条には確かに立法措置等を講ずる旨がありますが、「適当な」という留保が付いている上に、「講じなければならない」とか「必要がある」とは書いていないのです。こんな条約を持ち出されて、慌てる必要はありません。そもそも、国連の人権等の宣言・条約は、個々の国の文化的実情を無視している側面を否定できません。鵜呑みにするのは危険です。
国連の人権機構だから、いいんじゃないの?と思う方は是非、●こちらのサイトを見てみてください。人権委員会の委員長国がテロ国家として名を馳せたリビアで、その選出に賛成した国に政治活動の自由を全く認めていない中国が入っているのです。これで北朝鮮もいれば完璧でしょうね(笑)
子ども国会も、リビアや中国は自分の国の人権をまず何とかしろ!!と言ってあげるべきです。
>子どもたちの意見は必要でないというのはおとなの偏見
ここは、日教組お得意のパターンをしっかり受け継いでいますね。権威のある集団(政府や大人)を一般化して悪だと決めつけ、その権威を低下させようとする論法です。こういう反社会的なものの見方を子どもに吹き込むとは・・・日教組は子どもを「社会人」ではなく、「社会党員」にしたいのでしょうか?
>お互いが言いたいことを何でも言える関係
あのね、こんなところで大人に向かって要求せずに、まず自分たちで、具体的な場所で大人に対して意見を言えばいいだけの話でしょうが!!
現実から遊離した空々しい理念を、教育に持ち込んではいけません。教育というのは全て実践なのです。日教組の組合員は教師なのですから、教えた子どもの知識を増進させ、社会に出たときにきちんと適応できる人間を育てるために教育学を実践すればいいのです。
平和が大事だと語るなら、身近にある非行や犯罪行為に対して、「これはいけないことなんだ」ときちんと教えるべきです。日教組自体が学力テストを暴力で妨害するような人の集まりなので、そういうことを教えるとボロが出るのかもしれませんが・・・・。
みなさん、くれぐれも抽象的な知識や情報だけで、子どもを理解したつもりにならないでください。ニュースを見て、いきなり「近頃の子どもはみんなドラッグとかやってるんだな」と思う人がいたらバカだと思うでしょう?子ども国会や日教組の発想は、それと同レベルなのです。
では、ここで今日の結論を。
子ども国会の実態は、「日教組の、
日教組による、日教組のための国会」!!
日教組チルドレンのたわごとなど
聞く必要はありません!!
日教組は、このイベントがことのほかお気に入りらしく、自身のホームページでもさかんにPRしています。
以下が、その記事です。
(以下引用)
10月27日、8月に開催された「第2回子ども国会」の子ども議員17人が、ロビイング活動の一環として日教組本部を訪れました。日教組からは、森越委員長、荘司副委員長、西原教文局長、高橋教文局次長が出席し、子ども達の意見が取り入れられる社会の実現に向けて意見交換を行いました。
初めに、子ども議員のメンバーから、「第2回子ども国会」で採択された宣言書が手渡され、その後、フリートークで子ども達の意見が取り入れられる社会の実現のためにはどうしたらよいのかについて議論を深めました。
子ども議員のメンバーからは、「子どもたち同士で議論できる場やおとなたちに意見を聞いてもらう機会を増やしてほしい」と要望がありました。高橋教文局次長は、1990年以来、全国教育研究集会の「子どもフォーラム」という場で、子どもたちの意見をおとなに聞いてもらう機会を設けていることを紹介。「10年前に日本が批准した子どもの権利条約を生かすとりくみをしているが、より多くの子どもたちの意見を社会に反映させる機会をつくっていきたい」と今後も努力していくことを伝えました。
最後に、森越委員長から、「子どもたちの意見は必要でないというのはおとなの偏見。子ども同士のつながり、子どもとおとなのつながり、おとな同士のつながりを確かなものにし、お互いが言いたいことを何でも言える関係をつくっていけば学校や社会はよくなる」と思いを伝えました。
(引用以上)
相変わらずの「日教組節」ですね・・・では、突っ込み開始です。
>子ども達の意見が取り入れられる社会
日教組がどうしてこんな社会の実現を要求しているのでしょうか。「社会」のことを考えるより、現場で子どもたちの声を聞いて教育に生かせば良いだけの話ではないのでしょうか?
どうも、日教組は自分たちは社会改革を使命とするエリート集団だという、妙な使命感を持っているようですね。私が常々言っているように、日教組というのは、単なる政治団体だということがここでも窺えます。
子どもの意見を採り入れると言うことは、その子どもたちに自分の都合のいいような思想を植え付けることで、後々の「革命」を促すという意図があるのではないでしょうか。日教組の主張する荒唐無稽な思想は、大人の世界では相手にされません。だから、何も知らない子どもを洗脳しようというわけです。
>「第2回子ども国会」で採択された意見書
資料がなかったので、第1回子ども国会の意見書を以下に引用します。第2回も、これと大して変わらないものだと思われます。なお、字数の都合上、一部引用です。
《日本の教育の質について》
■問題点
・先生と生徒の意思疎通ができていないことによって、学級崩壊が起こっている。
・先生からセクシャルハラスメントを受けている。
・障がいに対する先入観で、差別・特別扱いされる。
・総合的な学習の時間の授業内容を先生が組むことによって、
生徒の自主性が失われる。
・学力や態度などで差別されている。
・校則で必要以上に縛られる。
・なぜこの校則があるのか、なぜおこられるのかが
わからない、もしくは先生もわかっていない。
■理想
・全ての子どもの個性が、尊重される学校。
・共に学び、助け合う学校。
・教師と生徒、一人一人が向き合い、心が通い合う関係を持てる学校。
・受身の授業ではなく、参加型、体験型の授業。
・誰もが積極的に発言でき、意欲が高まる授業。
・入学式、卒業式に歌う歌を、生徒が決めることができる学校。
・学力と同時に、心の豊かさや人への思いやりを身につけられる教育。
・生徒同士で話しあう時間が多くある学校。
・様々な文化や伝統について学べる学校。
・生徒のプライバシーが守られる学校。
・平和や環境の科目がある学校。
・強制される教育ではなく、子どもの自主性、創造性を尊重する学校。
・先生を選ぶことができる学校。
・人権についての授業がある学校。
・地域、家庭とのつながりがある学校。
子ども国会の議員は、学校を「地上の楽園」だとでも思っているのでしょうか?こんな要望を聞いていたら、公教育の目的である「社会に通用する基礎学力の要請」などまず無理です。
教師との意思疎通ができていないことによって学級崩壊が起こっているというのも、ふざけていますね。授業妨害をする子どもには責任がないという身勝手な論理です。しかし、これは日教組の教員のクラスに真っ先にあてはまりそうですね。日教組も勢い余って自爆している感があります。
「様々な文化や伝統」を学びたいなら、自分でインターネットや文献で調べればよいではないですか。そんな要求にいちいち応えていたら、予算や人員がいくらあっても足りません。公教育は、カルチャースクールではないのです。
だいいち、子供同士で話し合って、どこでどうやったら「平和」や「人権」に関する授業をしてほしいという意見が出て来るんでしょうね?
もはや呆れてものも言えないのは、「入学式、卒業式に歌う歌を、生徒が決めることができる学校」という項目です。これを提案できる子どもは、一体どういう学校生活を送っているんしょうか?「反・君が代」である日教組の思想そのままですね。
少し考えれば、日教組の教員が特定の考えを誘導していることがわかります。あるいは、日教組の教員が自分のクラスの「青年部員」をこのイベントに送り込んでいるのかもしれません。少なくとも、全子どもの代表的意見でないことは間違いありません。
>子どもたち同士で議論できる場
まさに「日教組チルドレン」ですね(笑)。そんなもの、大人に頼らず自分で作ればいいじゃないですか。今はインターネットという便利なものもあるのです。学校でホームページ作成を習うご時世なのですから、自分たちで勝手に掲示板でも作って、勝手に運用すればいいのです。大人に場を与えてもらったら、管理されるに決まっています。そんなこともわからないで、国会の真似事などするべきではありません。
こういうのを、私は「労働組合的甘え」と呼びたいです。会社の言うことを聞くのは嫌だが、会社に金や保護は負担してほしいという、甘い考えのことを言います。自分が企業の一員であり、他と競争していかなくてはいけないという現実を全く認識しようとしないので、たちが悪いです。子ども国会の例を見ればわかるように、そういう「自分勝手」「甘え100%」なメンタリティーは、日教組が強烈に発信しているのです。
>全国教育研究集会の「子どもフォーラム」
どんな集まりなのかと思って検索してみたら、●石川県教職員組合のホームページに出ていました。
数々の無責任な左翼的発言発言の中に、「タオルをつけているのが僕のチャームポイント。趣味でいろんなことをしている。」というのがありました。意味不明ですが、微笑ましいですね。
>子どもの権利条約
日教組に限らず、左翼的傾向のある団体は何かというと「国連」という錦の御旗を掲げてきますね。
しかし、こういった条約には法的拘束力は全くありません。4条には確かに立法措置等を講ずる旨がありますが、「適当な」という留保が付いている上に、「講じなければならない」とか「必要がある」とは書いていないのです。こんな条約を持ち出されて、慌てる必要はありません。そもそも、国連の人権等の宣言・条約は、個々の国の文化的実情を無視している側面を否定できません。鵜呑みにするのは危険です。
国連の人権機構だから、いいんじゃないの?と思う方は是非、●こちらのサイトを見てみてください。人権委員会の委員長国がテロ国家として名を馳せたリビアで、その選出に賛成した国に政治活動の自由を全く認めていない中国が入っているのです。これで北朝鮮もいれば完璧でしょうね(笑)
子ども国会も、リビアや中国は自分の国の人権をまず何とかしろ!!と言ってあげるべきです。
>子どもたちの意見は必要でないというのはおとなの偏見
ここは、日教組お得意のパターンをしっかり受け継いでいますね。権威のある集団(政府や大人)を一般化して悪だと決めつけ、その権威を低下させようとする論法です。こういう反社会的なものの見方を子どもに吹き込むとは・・・日教組は子どもを「社会人」ではなく、「社会党員」にしたいのでしょうか?
>お互いが言いたいことを何でも言える関係
あのね、こんなところで大人に向かって要求せずに、まず自分たちで、具体的な場所で大人に対して意見を言えばいいだけの話でしょうが!!
現実から遊離した空々しい理念を、教育に持ち込んではいけません。教育というのは全て実践なのです。日教組の組合員は教師なのですから、教えた子どもの知識を増進させ、社会に出たときにきちんと適応できる人間を育てるために教育学を実践すればいいのです。
平和が大事だと語るなら、身近にある非行や犯罪行為に対して、「これはいけないことなんだ」ときちんと教えるべきです。日教組自体が学力テストを暴力で妨害するような人の集まりなので、そういうことを教えるとボロが出るのかもしれませんが・・・・。
みなさん、くれぐれも抽象的な知識や情報だけで、子どもを理解したつもりにならないでください。ニュースを見て、いきなり「近頃の子どもはみんなドラッグとかやってるんだな」と思う人がいたらバカだと思うでしょう?子ども国会や日教組の発想は、それと同レベルなのです。
では、ここで今日の結論を。
子ども国会の実態は、「日教組の、
日教組による、日教組のための国会」!!
日教組チルドレンのたわごとなど
聞く必要はありません!!
最近ろろさんのブログを発見し、気に入って読んでいるところです。
このエントリ最初から最後まで、口を開けっ放しで読みました。子供の言い分に唖然としたり、ろろさんのコメントに大笑いしてたので。
でもろろさんのおっしゃるように、子供は言わされているだけですね。自発的にこんな意見が出るとしたら、その子は親が日教組ですね。(笑)
>子供は言わされているだけですね。
言わされている側が、その内容を正しいと思いこんで
しまうのは怖いですね。おそらく、もともと教師
受けも良い子たちなのでしょう。そういう子たちが
難関大学に入り、官僚や地方自治体の幹部候補生に
なる。そこが怖いところだと思います。
自分達の都合のいい物だけを作り、他は認めない。
エゴの塊、いや、そんな言葉では彼らの汚さは表現できませんね。
私も彼らの教育を受け、洗脳されてましたが色んな情報やネットが私を正気に戻してくれました。
子供達にもその可能性に賭けたいですね。