日々是勉強

教育、国際関係、我々の社会生活・・・少し上から眺めてみよう。

伊勢神宮という名のタイムカプセル

2007年05月06日 23時46分10秒 | 旅行・外出
  連休中に伊勢神宮に行って参りました。

  「伊勢神宮」というのは俗称で、本来は、単に「神宮」と呼ばれています。皇大神宮(こうたいじんぐう)豊受大神宮(とようけだいじんぐう)という二つの建物と、多数の別宮から構成されています。二つの大きな建物のうち、前者を「内宮(ないくう)」、後者を「外宮(げくう)」と呼ぶのが通例です。
  正直に申し上げて、神道には今まであまり興味がなかったのですが、後で述べるように、この神宮こそが日本文明の生き証人だという気がして、見に行ってみようということになりました。
  
  一応、外宮から回るのが本筋らしいので、JR伊勢市駅前にあるそちらの建物にまず赴きました。
  
  多賀宮、土宮といった別宮にいくつかお参りした後、いよいよ本丸(笑)である本宮へ。



  白い簾(すだれ)みたいなものがあって、奥はよく見えません。風が吹いてちょっと覗けたのですが、ちょうど山門のような建造物があり、全容はまったくつかめませんでした。

  どうやら、「中は秘密」ということのようです。

  面白いのは、こちらの神様=大豊受大御神(おおとようけおおみかみ)は、内宮に祀られている天照大神(あまてらすおおみかみ)の食事の世話をするために丹波地方から呼ばれた神様だということです。今風にいえば、専属コックとでも言うのでしょうか。神様とはいえ、食事には気を遣うのだと思うと、何か親しみが湧いてきます。

  では、いよいよ内宮へ向かいます。

  伊勢市中心部から、ものすごい渋滞を我慢してたどり着きました。門前には仲見世のような市街が広がっており、えらい賑わいようです。松坂牛の串焼きや、名物「赤福」の店、三重県の物産を扱う店がずらりと並んでいます。



  銀行も、門前町モード(笑)ですね。

  江戸時代には「お伊勢参り」というのが、江戸の庶民の最大のレジャーだったといいます。昔の人も、ここで買い物や食べ歩きを楽しんだのでしょう。

  内宮は、しばらく山を登るとたどり着きます。



  すごい人手です。貧血で一人がひっくり返ったら、大変なことになりそうですね。●『戦艦ポチョムキン』というソ連映画で出てきたオデッサ市内の階段を思い出したのは私だけで・・・すね(笑)。
  若い人も子供連れも、明らかに日本人ではない白人の方もいらっしゃいました。これから内宮の神様に何か祈ることがある人も、単に手を合わせてみようというだけの人もいるでしょう。しかし、そんなまちまちな人々を、神道の神様は、誰でも受け容れてくれるのです。

  画像を見ればおわかりでしょうが、内宮もやっぱり奥は秘密でした。

  悔しいので、塀によじ登れそうなところがないか探しましたが、要所要所に係りの人が張り付いているので、とてもできそうにありません。
  
  しかたなく、少しだけ内宮の建物が覗けているところを見つけて写真に収めておきました。



  なんか、歴史の授業で習う「高床式倉庫」みたいな感じですね(本当に、高床式倉庫から発展した形式らしい)。京都にあるような大きな神社とずいぶん違う感じがするのは私だけでしょうか。

  そこで、ふっと思ったことがあります。

  この伊勢神宮という場所は、おそらく日本で唯一のいつ作られたか分かっていない現存する宗教施設です。いちおう日本書紀によると内宮が垂仁天皇26年、外宮が雄略天皇22年だという記述がありますが、このお二方はいずれも実在性が立証されていません。
  しかし、間違いないことは、伊勢神宮は日本という国家が成立するはるか昔から存在し続けているということです。
  その伊勢神宮には、●式年遷宮という、他の神社にない独特の行事があります。20年ごとに、建物を建て替えるというものです。なぜ、そんなことをするのか、本当の理由はわかっていません。記録が残っていないからです。しかし、この行事自体は、持統天皇4年(690)から、ほとんど中断することなく行われています。
  つまり、伊勢神宮という「聖地」は、我が国の歴史が始まったときから、何度も脱皮を繰り返しつつ、はるか昔の日本の建築様式、文化のかたちを伝える存在だということです。

  よければ、もう一度内宮の画像をご覧になって下さい。  
  
  私の妄想なのかも知れませんが、このような内宮とその周囲の森の姿を見ていると、この国の始まりの頃の姿が目に浮かんでくるのです。

  厳しい自然環境にあっても、それと調和する方法を懸命に探り、アマキミと呼ばれるリーダーのもと、みんなで力を合わせて暮らしていた私たちの祖先たち・・・。

  私は、残念ながら神道について詳しいことはわかりません。しかし、伊勢神宮が皇室の氏神であり、日本人の総氏神であるとされている本当の理由は、この神宮こそが、日本文明の黎明期を物語るタイムカプセルの役割を果たしているからなのではないかと思うのです。
  地球環境が悪化の一途を辿っているということで、環境保護につながるような運動をしている方も沢山います。しかし、どうもその中身を見てみると、ゴミを化学的な方法で無理矢理リサイクルしたり、二酸化炭素とかフロンだとか目に見えないものについて議論する観念的な作業だったりします。
  そんなことに目くじらを立てるより、この伊勢神宮という場所を訪れるべきです。そして、この神宮が今まで続いてきたことの意味、祖先達が私たちに訴えたかった何かに耳を傾けてみてほしいと思います。
  それが、混迷する社会の中で、日本人として、一人の人間として生きていく道しるべになるかもしれません。

  次回は、旅行中に考えた、もう少し俗っぽい話でも書こうと思います。

今治の焼き鳥と地方自治について考える

2005年08月18日 18時42分56秒 | 旅行・外出
 終点の徳島に到着しました。
 明日の午前中に出発するフェリーで東京に帰ることになっています。
 徳島の名物・・・といえば、阿波踊りですが、「徳島ラーメン」も忘れてはなりません。
 写真を見ていただくとすぐおわかりだと思いますが、ここの ラーメンは相当「くどい」です。店の外からして匂ってきます。
 しかし、これが実にうまかったのです。毎日いりこだしのうどんばかり食べている反動でしょうか?
 実は、今日の午前中にフェリーで高松に渡ったので、また讃岐うどんの店に寄ってしまいました。その後に食べる徳島ラーメンは、まったく違う系統の味なので、新鮮に感じるのかもしれませんね。徳島の人も、同じように感じてこのラーメンにたどり着いたのかもしれません(珍説)。

 最後に、自分は社会科も教えているので、今の時代を理解するのに役に立ちそうなことでも書いてみたいと思います。

今回は瀬戸内海の周辺地域を回ってみましたが、率直な感想として、地域の違いが感じられて面白かったです。
 同じ瀬戸内海沿岸でも、岡山や広島県の東部は大阪・神戸と地続きなので、お店や食べ物がそれほど大都市と変わりません。
 他方、四国は、もっとも本州と距離的に近い香川や、明石海峡大橋で本州とつながった徳島でも、かなり本州と違います。一番簡単にわかるのは、
 ●東京にたくさんあるチェーン店(たとえば牛丼などの「松屋」)の少なさ
 ●うどん屋の多さ(ラーメン屋の少なさ)
ですね。四国の人はうどんが大好きという話を伝聞で知っていたのですが、今回確信しました。
 それだけ本州の「発展」から取り残されているといってしまえばそれまでです。しかし、だからといって高松の駅前に「みなとみらい21」の真似をして変なタワーなんて建ててほしくないです。田舎は田舎くささを逆手にとって、東京とは違った方向で発展してほしいと思います。
 何でもほしい物がすぐ買えることだけが、「発展」ではないはずです。シャッター商店街が目に付いた今治にも、たとえば「今治風焼き鳥」という他にはない売り物があります。
 これからは、そういう「個性」を前面に押し出すことが、地方が生き延びていく鍵だと私は確信しました。

 東京に住んでいても強く感じることがあります。それは、この国が、いまだに高度成長期に作られた常識に縛られてしまっているということです。右肩上がりの成長や高い出生率を前提とした年金制度などが典型でしょう。1960年代から70年代に整備されたいろんな仕組みが、今では時代に合わなくなってきているのです。
 それが、地方に行くと、もっとはっきりと現れていることが、今回わかりました。シャッター商店街も、地元にある品揃えの悪い商店街でも物が売れた、言い換えれば車がないのでそこで買うしかなかった時代には、十分通用したのです。しかし、郊外に大型店ができてしまうと、みんな便利だからそこに行ってしまう。これは、考えてみれば当たり前のことです。地方の商店街にしかできないことをするしか、生き延びる方法はないのです。
 それにもかかわらず、いまだに地方自治体の多くは土木工事を理由にして中央の官庁から予算を取ってくることばかり考えています。これは、後で述べるように、田中角栄が首相だった時代に常套手段になったので、仮に「1970年代方式」とでも言っておきます。
 この方式にも、一定の合理性が認められる時代は、確かにありました。高度成長と円高によって、割安な輸入品を外国から購入できるようになりました。そこで、まず滅びたのが林業です。そして、若者離れが進んでいた農漁業も、だんだんと元気を失っていきました。そういう時期に、あくまで「緊急避難」として、土木工事で雇用を維持することが有効だったのです。
 しかし、田中角栄の時代あたりから、土木事業による雇用創出を恒常化してしまったことが、現在までの地方の物乞い体質を形作ってしまったのです。これは、自民党の票取り、官僚の権限拡大などの思惑とも一致していました。そして何より、日本がまだ無条件に成長を続けていたので、上のようなやり方のマイナス面=地方の財政的自立や個性的・自律的な発展の阻害は誰も気にしなかったのです。
 あの時代に、社会党や共産党、それに自民党の若い政治家達が、きちんとした未来のビジョンを描いていたら、日本はここまで急激な変化を強いられることはなかったはずです。そして、「痛みを伴う改革」など必要なかったはずなのです。

 再び日本が豊かになれば、1970年代方式でもいいのかもしれませんが、これだけグローバルな競争が繰り広げられている世界で、日本だけがのうのうと発展をしていくような未来が訪れる確率は、限りなくゼロに近いでしょう。なにしろ、ものを作って売るだけなら、日本の十分の一の人件費でやってしまう恐ろしい国が近くにいるのですから・・・。
 地方もいい加減に1970年代が「死んだ」ことを認めるべきなのです。 

 田舎に行くと、自民党の議員のポスターでさえ、「地方から日本を変える」などと書いてあります。しかし、多くの地方自治体はいまだに「1970年代方式」にしがみついたままです。財務省が財源の地方移譲に消極的だとか、いろいろ文句はつけられるでしょうが、一番問題なのは、1970年代方式がだめになったことをわかっているにもかかわらず、地方がそれにぶら下がっていることです。これではまるで、自立できないニートや引きこもりと変わりません。
 高度成長の時代に膨れ上がってしまった組織や意思決定方式を整理して、身の丈にあった成長をするのが、これからはカッコいいことだと思います。
 愛媛県の今治市で、原宿みたいな若者向けの店を作っても全然カッコよくありません。秋葉原にいる「電車男系」の人が、雑誌を見て無理やり「ギャル男」になったみたいで、気持ち悪いです。それが、六本木ヒルズの3番煎じくらいの変なビルだったら、なおさらです。
 それより、商店街を半分くらい今治風焼き鳥の店にしてしまう方がいいです。「焼き鳥を食うなら今治だ」と言われるようになれば、四国の他の県からも人がやってきます。しまなみ海道の通行料が500円くらいになれば、広島や岡山からだって来ますよ。個性というのは、そういうものなのです。
 そういう地方の「個性化」を可能にするのが、地方自治なのではありませんか。橋や道路を作っているばかりの行政には、住民がきちんと「ノー」の意思表示をしてほしいです。

 そうでもしなければ、脅すようですが、何十年も後に移民を受け入れるようになったとき、ある地方都市が外国人にのっとられるような事態にもなりかねません。日本の文化伝統を守るためにも、絶対に地方都市のゴーストタウン化を防がなくてはならないのです。
 地方の方もこのブログをご覧になっていたら、ぜひとも自分の町や村の「個性」について、一度考えてみてください。よかったら、コメントでもつけていただけると幸いです。

 いくつになっても、旅をするというのは勉強になりますね。机上の空論は、広がりがないと痛感します。開成高校や東大にいるエリートのみなさんや、霞ヶ関の役人も、いろんな地方を一人で旅行をしてほしいものです。
 
 

今治のシャッター商店街にて

2005年08月17日 22時54分33秒 | 旅行・外出
今日は、なぜか倉敷から更新です。

 高松を出発した後の目的地をちゃんと決めていませんでした。とりあえず「うどんを食べてから高知にでも行こうか」ということに決めて、いざ出発。
 まず、おとといも朝食のうどんを食べた某製麺所に行きました。今度はかき揚を乗せてみたのですが、おとといのたこの天ぷらの方がおいしかったです。

 途中、画像にある「満濃池」に寄りました。ここは、弘法大師のひらいた「ため池」です。
 讃岐平野に、ため池!
 ついに来た、入試に出そうな観光地、という感じですね。4日前の高野山の母子連れ(with覇気のない親父)が頭に浮かんでしまいしました。
 しかし、眺め自体も素晴らしかったです。周囲は国営のレジャー施設になっているのですが(小泉改革も、こういうものをまず地方に移管しろ、と言いたい)、子供の遊ぶ施設もたくさんあって、親子連れも楽しめそうでした。特に、トランポリンのような遊具はえらくたのしそうでした。さすがに、私一人で遊んでいると「通報」されかねないので、試すのはやめておきましたが・・・。

 その後、徳島県境にある超有名うどん店(実際は「米穀店」だが)へ向かいました。山の中の国道がほんの少しだけ市街地になっている場所があり、そこに突如行列が出現するのです。メニューはうどん1種類、しかも、温かい「だし」(いわゆる「つゆ」のこと)はかかっていません。
 しかし、これが本当においしい。葉唐辛子の漬物とねぎを乗せて、しょうゆをかけるだけなのですが、それだけでもおいしい。うどん自体のおいしさがあるからでしょうね。
 店内はただでさえ込み合っているのに、「おかわり」が許されているので(私もしました)、滞留客も少なくないのです。それはもう、ラッシュアワーの新宿駅の地下のようです。しかし、休みに観光で来ている人も多いからか、雰囲気はとても和やかでした。

 吉野川沿いに池田町(甲子園に優勝した「池田高校」の地元)まで出て、休憩中に、どうしても諦めきれないことが頭をよぎり、進路を愛媛県に変更することにしました。
 それは、愛媛県今治市(タオル作りで有名)の「焼き鳥」です。
 どうやら、今治の焼き鳥、特に鳥の皮は、鉄板で焼く独特のものだというのです。それをどうしても食べてみたくなり、無理を覚悟で今治へ向かいました。
 
 今治の町に着いたのは4時前でした。ついでなので、町の中をぶらぶらすることにします。中心街などを眺めて、東京と何が違うのか、観察するのが好きです。
 県庁所在地の高松では感じなかったことですが、今治のアーケードはシャッターの閉まったままの店舗がかなり多いのです。もういい加減「お盆」と言って済まされる時期ではないと思うのですが・・・。
 これが、いわゆる、地方都市の「シャッター商店街」です。これは、車社会の進展とそれに伴うロードサイド型の大型量販店の拡大によるところが大きいといわれています。世の中の変化だから、仕方ない面もありますよ、と。
 しかし、実際に「現場」で見てみると、そんな生易しいものではないという風に思えます。なんといっても、活気が全然ない。開いている店でも買い物をしている人が本当に少ない。さびしいを通り越して、無気味になります。ここでギャング集団みたいなのに襲われたら、誰か助けに来てくれるのかと思うほど・・・というのはいくらなんでもオーバーでしょうが、界隈によっては本当にそんな感じなのです。
 郊外のジャスコにだけ車と人が馬鹿みたいに集まる、そんなのが健全な都市の姿でしょうか。大いに疑問です。

 五時になったので、「世渡」(せと)という焼き鳥屋さんに開店と同時にうかがい、上で触れた「皮焼き」などをいただきました。いや、これ、本当に知らない人は損をしています。鉄板でカリッとするまで焼いた親鳥の皮に、少し甘めのタレを絡める。香ばしくて最高です。
 店主に「東京でもはやりますかね」(関西弁が強くて聞き取りづらかく、2回も聞きなおしてしまいました。ご主人、すみません)ときかれたので、「そりゃもう」とだけ答えました。ご主人も喜んでいたようです。
 まだ五時だというのに、店内はお客さんが私以外に5人、そのあと予約の電話が続けて入ってきました。繁盛しているようです。

 それを見て、私は強く思いました。
 シャッター商店街が生まれるのは、出来もしないのに「東京の真似」をしようとしているからなのではないか。
 今治の焼き鳥は、一人当たりの消費量全国1位だそうです。焼き鳥屋の件数が多く、競争が激しいからでしょう。今日うかがった「世渡」は相当人気のお店らしいですが、ほかにもそういう店がたくさんあるに違いありません。
 今治にも、タオル以外にちゃんと全国で通用するものがあるのです。
 これからの地方都市は、田舎らしい個性を売りにしていくべきです。中央省庁から予算を取ってきて、とにかく建物を作ればいい(たとえば、高松駅前のシンボルタワー)というのは、もう終わりにしないとだめです。でかい建物を作って人を呼ぶ、というのは、「恵比寿ガーデンプレイス」や「六本木ヒルズ」の発想です。人口が多い東京のような地域ではそれで何とかなっても、同じことを高松や今治でやっても、どうせ赤字になるに決まっています。
 それならば、売り物を絞って生き残りを図ったらどうか。高松の「讃岐うどん」や今治の「焼き鳥」のようなものが、程度の差こそあれ、どこの町にもあるはずです。
 シャッター商店街はそういう個性的な売り物を売るために使えばいいですし、そうでなければその町で働きたいという若者のために安く住める住宅にでもすべきです。
 そんなこともやらずに、大型店の出店を呪い、頼みの綱は政治家先生と公共事業、そんな町は滅んでもいいのではないでしょうか。「一村一品運動」の平松元大分県知事のような人が、どこの県にもいればいいのですが・・・。

 その後、「瀬戸内しまなみ海道」を通ってきました。瀬戸大橋のような一本の橋でなく、島と島を飛び石のようにつないだ本州四国連絡橋です。
 行って初めてわかったのですが、しまなみ海道は一本につながっていないんですね。来島海峡大橋、大三島大橋(ややこしい名前です)や因島大橋などが、まだ接続されていない状態なのです。とりあえず島と島の間をつなぐ部分だけ完成させておくか・・・という感じだったのでしょう。
 しかし、これ、使う側にはえらい迷惑です。乗ったり降りたりするたびに料金がかかるので、結局3回分、3600円かかってしまいました。まさか、つながったあともこれ以上の高い料金が・・・明石海峡も垂水-鳴門北という一番短い区間で4000円ですから、そんな感じになりそうですね。
 どうせ公共事業にお金をかけるなら、こういう利便性の高いところにお金をかけてほしいと本当に思いました。

 それでは、今日はこの辺で失礼します。

うどん王国香川

2005年08月16日 22時09分02秒 | 旅行・外出
 おいしそうでしょ?

 これ、某製麺所さんで食べさせてもらったうどんですが、たこの天ぷら+うどん1玉で240円です。これだけ安くて、しかも万能ねぎは自分で入れ放題なんです。さすが、うどんのメッカは違いますよね。
 味も、東京の普通のうどんを食べるのがばかばかしくなるほどのおいしさでした。
 しかし、このうどん、実は私の「自作」です。製麺所でうどんを食べる場合、「セルフ」です。あらかじめ下茹でしてあるうどんを自分でお湯に入れて湯切りし、だしも自分でかけるのです。初めは動きがとろくて困りますが、2、3件続くと慣れてきます。
 お盆休みで肩透かしを食らいながら、5件ほど回ってきました。5回連続のうどん攻撃。さすがに、晩御飯はカレーで済ませました(笑)。

 香川でうどんが発達したのは、雨が少ない讃岐平野では、小麦の栽培がしやすかったからだそうです。
 最近、香川は渇水がひどく、頼みの綱である早明浦(さめうら)ダムの貯水率がついに5%台にまで下がってしまいました。電力用の水の飲料水への転用(こんな手があるのか!?とビックリしました)も行われるそうです。
 20日辺りが「Xデー」と思われているようです。自分は19日に四国を離れるので、そこから大雨になってくれると、四国の皆さんにとっても私にとってもいいのですが・・・。

 宮城で強い地震があったり、日本は結構自然に悩まされますね。その分恵みも多いということは、愛情の裏返しなのでしょうか・・・。

 明日は、愛媛方面に向かいます。それでは失礼。

旅先の困った親子

2005年08月15日 19時16分37秒 | 旅行・外出
 今日は明石海峡大橋と大鳴門橋を通って四国までたどり着きました。1998年開通で、本州四国連絡橋の中では最も新しいんですね。

 実際通ってみると、明石海峡の方はかなりの長さなのですが、大鳴門橋は「は、もう終わりですか」という短さでした。短時間でしたが、「鳴門の渦潮」も見ることができました。すぐ近くまで船が行っているので、はらはらしました。

 どうも行く先行く先天気が芳しくないです。一日目の静岡県、おとといの名阪国道、昨日の奈良・和歌山に続いて、今日は兵庫県内も雨です。しかも、空が明るいのに雨粒が大きいという、はっきりしない天気でした。
 行く先行く先でグズグズしているなんて、自分の人生みたいで嫌だな、と思いました。せめて、旅行のときくらい何もかもうまく行ってほしいものです。

 そうそう、昨日高野山の金剛峰寺で、仕事のことを思い出して、いや、それ以上に嫌なものを感じて、かなり精神的に疲労しました。このブログの本筋に近いことだと思うので、書いておきたいと思います。

 金剛峰寺の中を見て回った帰り道、石段を下っていたときのことです。
 カメラで門を収めようとしていたら、近くに親子連れが現れました。お母さんが「ぽっちゃり」していて、息子(小学6年生くらいか?)はそれを0.5回りくらい小さくした体形、お父さんはちょっと影の薄いタイプです。
 あれ、どっかで見たことあるような・・・と思ったその瞬間でした。
 お母さんが、息子に向かって「ここが真言宗の総本山、高野山金剛峰寺よ」などと言っています。
 へえ、こんなしっかりしたこといえるお母さんもいるんだ、と思いましたが、その後私は思わず凍り付いてしまいました。

「いい?○○ちゃん、空海は弘法大師、最澄は伝教大師よ!」

 お母さんが、まるで入試の知識を確認するような口調で息子に言うのです。
 息子は現代っ子にありがちなバイタリティのまるで感じられない顔を全く変化させずに、「うん」と言いました。
 多分、中学受験を控えた親子だと思うのですが、物見遊山できているのに、それはないだろうと思いました。
 私が不愉快になったからこんな事を言うのではありません。高野山に来たのはあくまで観光のはずです。そういうときは、勉強のことを忘れて楽しく過ごすべきです。オンとオフの切り替えがきちんとできないと、疲れがたまるだけです。
 息子が自分で知識を披瀝するならまだしも、なぜわざわざ母親が・・・とあきれてしまいました。
 こういうとき、親父が「おいおい、おまえらここは塾じゃねえんだぞ」などと冗談めかしてくれたら救われるのですが、そのお父さんといったら、息子以上に覇気のない面構えでボーっとしているだけ。
 こういう親子って、結構多いんでしょうね。お母さんがいろいろ抱え込んで、頭がおかしくなってしまわないか心配です。

 さて、私は今夜は高松に泊まります。明日は、やはり香川名物を食べに行かなければ・・・。それではまた。

高野山へ行きました

2005年08月14日 21時51分49秒 | 旅行・外出
奈良を出て、高野山へ向かいました。本日は曇ったり雨が降ったりというあいにくの天気でしたが、時間を惜しんでバイクで出陣です。

 高野山金剛峰寺は文字通り山の上にある寺です。上に登るのはノーギアの250ccスクーターには結構つらいです。慎重に、ずり下がることだけはないように上っていきました。
 山頂付近の靄(もや)がすごかったです。視界が不完全になりました。その上、路面も滑るので、かなり神経を使います。途中の茶屋の付近まで上ったあと、疲れてしまって一度休憩をとってしまいました。
 画像にあるのは、山頂にある大門です。ここから少し奥に下ると、真言宗総本山の金剛峰寺があります。世界遺産とはいうものの、それほど仰々しい建物ではありませんでした。京都・奈良的なものを期待していくとがっかりするでしょうね。もちろん、それだからといって、この地に今も息づく真言密教の伝統が損なわれるわけではありませんが・・・。

 本当はここからさらに南下して、新宮まで行きたかったのですが、やはり天候が気になります。そこで、なるべく早く目的地の四国へ渡ろうと和歌山へ。ここから、徳島までフェリーが出ています。
 ここで、少し計算が狂いました。徳島のホテルに電話で予約を入れようとすると、どこも満室なのです。
 8月15日まで「阿波踊り」なんですね。気づきませんでした・・・。
 そこで、進路変更して大阪へ。

 結局、今日も食べてばかりでした。朝は旅館(この旅館のことはいずれ別に機会を設けて詳しく述べたいと思います)でパンとゆで卵を食べ、少し早い昼食は五條(奈良県)のバーミヤンでとりました。
 普通なのはここまでです。旅行先でその土地のものを食べることに執念を燃やす私は、ここからが本領発揮です。

 まず、和歌山で、もっとも有名な和歌山ラーメンの店である「井出商店」で20分以上列にならび、特製中華そば(600円)を食べました。ラーメンそのものの味もさることながら、チャーシューが最高!!和歌山に行ったら、ぜひ並んでも食べてみてください。

 次に、大阪の難波にある「金龍ラーメン」でラーメン(600円)。白菜とニラのキムチが入れ放題というサービスつきです。大阪では、ほかの店でもあるみたいですね。
 またラーメンかよ、と思いますよね・・・しかし、ここは、私が初めて一人で旅行をした高校2年生の夏休みに、母に教えられて食べにいった店なのです。その後、修学旅行で訪れたときには、友人たちと連れ立って行きました。
 友人たちが、無料だからといってキムチをアホみたいに入れて、「辛い」という感想しかなかったのですが、それを食べながら懐かしく思い出しました。

 さて、大幅にルート変更を余儀なくされてしまったようです。しかたがないので、明日は瀬戸内海にかかる連絡橋のどれかを渡って、四国に向かうことにします・・・さて、どれでしょうね?

奈良からこんばんわ

2005年08月13日 19時47分14秒 | 旅行・外出
どうも、ろろです。
今、奈良のインターネットカフェから更新しております。

 昨晩は浜松に泊まり、本来は渥美半島の先から三重に渡るつもりでした。
 ところが、携帯電話の充電器を忘れていたことに気づきました。自分の予定しているルートだと、浜松を過ぎたら「都会」と呼べる場所がありません。そうなると、手軽に充電器を買うというわけにもいかないし、旅行中に汎用の充電器を求めてコンビニをしらみつぶしにあたる、というのも鬱陶しい。
 そこで、ルートを名古屋経由に変更しました。人口200万人の大都会だから、東京のビックカメラに相当するものがあるだろうと思ったわけです。

 しかし、結果的にはよかったです。中心街の栄で無事充電器を手に入れた後、立ち寄った広小路通りの「ユウゼン」というお店で、名古屋名物の「あんかけスパゲッティ」(写真は「激からスパ」)を食べられました。
 もう、これは最高でした。こういう格好をつけない食べ物は、東京ではなかなか見かけませんね。

 そのあと、四日市を通って名阪国道で天理まで行き、そこから奈良へ。生まれて初めて奈良公園の鹿に餌をやってきました。鹿せんべいをみると、追いかけてくるんです。何回か囲まれました(笑)。

 奈良も、さすが世界遺産になっただけあり、興福寺や奈良公園の周辺は落ち着いたたたずまいですね。

 明日は、もうひとつ世界遺産の地を回ってみたいと思います。さて、北でしょうか?南でしょうか?