日々是勉強

教育、国際関係、我々の社会生活・・・少し上から眺めてみよう。

今、なぜ教育基本法改正なのか?(その2)

2006年12月11日 19時24分54秒 | 社会と教育
  前回は、「戦前の教育勅語は『社会』や『国家』の側から教育を意味づけていたが、戦後制定された教育基本法は『個人』の側から教育を定義づけている」という話をしました。

  1947年制定の教育基本法に見られる個人主義の発想の原点は、おそらく「フランス革命」までさかのぼることができます。
  この革命のあとで出された、かの有名なフランス人権宣言では、

 「人は、自由、かつ、権利において
  平等なものとして生まれ、生存する。」
 (第1条)

  という言葉が出てきますが、これは成文法としては初めて、個人の人格がそれ自体価値を持ち、それが生まれや身分によって差別されるものではないということを認めたものです。
  その後、19世紀初頭にフランスの皇帝ナポレオンが西ヨーロッパを征服した際、この個人主義に乗っ取った法制度を支配地域に樹立させました。これによって、西ヨーロッパのほとんどの地域に、個人主義の法制度が行き渡ることになります。いわゆる「大陸法」の誕生です。
  大陸法の特徴として、「議会が制定した法(成文法)を重視する」というものがあります。つまり、慣習や社会常識より、代表者の話し合いで作った法律の方がエライということです。
  忘れてはいけないのは、この大陸法の考え方は、「人間という理性的存在」に大きな信頼を寄せているということです。個人の人格が尊重される以上、その個人が送り出した代表の意思表示=法律の方が、なんとなく共有されているルール(慣習や常識)よりも強いのは当たり前だ、ということなのです。
  そうだとすれば、大陸法的な考えによると、人間は理性を正しく用いれば間違いを犯すことはない(=性善説)のであり、理性を用いてたどり着いた結論以外の決まりやルールは存在しない(=不文律の否定)ことになります。そこでは、成文法になっていない場面での判断基準は「個人」になるのは当然の帰結です。
  
  しかし、ヨーロッパの国でこういう制度を採っていない国がたった一つだけあります。それがイギリスです。
  イギリスの法制度は「コモンロー」といわれ、成文法よりも裁判所による判断(=判例)の蓄積が重視されます。
  これは、言い方を変えれば、今までその社会に積み重ねられてきた慣習や常識が判断基準になるということです
  また、議会の成文法を信頼しないということは、個人の理性の働きは絶対でないということを前提としてます。そういう意味でイギリス法は性悪説であり、慣習や社会常識といった不文律が重視される社会といえそうです。
  だから、イギリス法の世界には純粋な意味での個人主義というものは存在していません。individualというのは、「それ以上分けること(divide)が不可能(in)」だという意味に過ぎないのです。

  ここで、フランスとイギリスの歴史を振り返ってみると、面白いことがわかります。

  イギリスは、確かに「バラ戦争」(1455~1485年)という内戦がありましたが、近代になってから本土であるグレートブリテン島で大規模な紛争を経験していません。それどころか、世界で初めて産業革命を成功させ、19世紀末には「日の沈まない帝国」と言われるほどの勢力を誇りました。
  イギリスでは帝国主義の時代に労働者が塗炭の苦しみを味わったという人もいるでしょうが、そんなのはどこの国も大差はありませんでした。最大の不幸である「武力紛争」に自国民が巻き込まれていないという点が重要なのです。
 
  それに対して、世界初の成文法による個人主義を定めたフランスは、悲惨そのものです。
  まず、フランス革命の時点で国内の反対派を大量に虐殺●ヴァンデの虐殺がその代表例)、ナポレオンが帝政を敷いたら絶え間のない外征(ロシア遠征は60万人が参加して37万人死亡)やそれに続く一連の混乱、さらにはパリ・コミューン、ナポレオン3世の派手な外征、普仏戦争・・・自由や平等どころではなくなってしまっています。
  これは、フランスが成文法=個人主義の国である(というか、そうせざるを得ない)ことと無縁ではありません。
  個人主義のもとでは、議会で数を取った人間が国家権力を担うことになるのですが、かえってそのことにより少数派の不満が高まってしまうことになるのです。だってそうでしょう?「正しい」と言っている人間と、自分との間には、本来人間としての価値には差がないはずなんですから。
  つまり、成文法=個人主義の世界では、個人の価値が等しい以上、誰が何をやっても正当化できないのです。だから、反乱を起こす馬鹿や、外国に媚びを売る反対派が出てきてしまうわけです。

  戦争にしろ個人の喧嘩にしろ負けた側がいかにして納得するかが非常に重要なのです。ところが、個人を基準にしてしまうと、「何が正しいか」という問いに永遠に結論が出せない。何をやろうが俺の勝手だ、ということになってしまい、それを否定することができないのです。これでは、犯罪や武力紛争などで、社会が不安定になるのは当然です。
  だから、個人主義=成文法の国では、かえって成文法が乱立して、自由や権利が制約されやすくなるという現象が起こってしまうのです。
  大陸法の国々で構成されるEUの憲法はなんと400ページあるそうです。基本法の憲法でさえこの有様です。関連法規となると、いったいどれほどの分量になるのでしょうか?

  何も争い事ばかりではありません。これが、「人生」だったらどうですか?  

  たとえば、子供に対して、「おまえは自由だ。やりたいことは何だってできるし、努力すればなりたいものには何だってなれる」という考えを繰り返し吹聴します。子供は世の中のことなんて知りませんから、大人(主に教師やメディア)がみんな声を揃えれば、思想を内面化してしまうはずです。
  ところが、実際の社会は不自由だらけで、なかなかうまく行きません。当然です。物事を実現するには能力や資金や巡り合わせというものが必要だからです。自分が努力「だけ」すればいいわけではないのです。

  そうして、挫折したとき、「何でもやれる」と言われ続けて成長した人間が、果たして現実を受け容れることができるでしょうか?

  こういう場面では、個人主義はかえって壁にぶち当たるのです。個人主義の世界では、成文法になっていない場面での価値判断の基準は、全て自分だというのが原則です。「昔から世の中というのは、うまく行かないのが普通なんだよ」と言われて、挫折した人間(=負けた側)納得ができるわけがありません。「そんな世の中なら革命だ」(=世の中が間違っている)ということになってしまうわけです。これで、社会不安につながらない方がおかしいです。

  だいぶ説明が長くなりましたが、要するに、個人を基準にした価値判断の体系が一度作られると、社会全体のコストが上がり、社会不安を除去するために細かい法規が作られることで、かえって不自由な社会になってしまうのです。

  日本では、以前なら常識や世間の目(=不文律)で抑止が出来ていたはずの「奇怪な行動」や「おかしな犯罪」がどんどん増えています。教育基本法が個人主義という理念を掲げており、戦前に初等教育を受けた人以外はその影響をもろに受けている以上、「空気を読む」ことができない人間が増えてくるのは当然なのです。
  この現象がこれ以上進めば、「そんなことまで」と思うほど細かいことがらにまで法律が作られなければならない社会になるでしょう。そういう不自由な社会にならないためには、不文律重視の姿勢を育てるしかないのです。
 
  なに?単なる「わがまま」と「個人主義」とは違うって??

  それなら、何を判断基準にして、矛盾に満ちた現実社会を受け容れろというんですか?常識や社会通念じゃないんですか?そうだとしたら、その常識や社会通念が正しいことを、どうやって「わがまま」な子供に教えるんですか?そんな子供に「センセーたちはいつも自分のやりたいことをやらなければダメだって言ってたじゃないか!」と反論されたら、どうするんですか?
  そうするくらいなら、初めから「個人」よりも「社会」「国家」を基準に物事を判断するように教育すべきなんじゃないんですか?

  イギリスが比較的安定した社会を実現できたというのは、島国であるという地理的条件と、それに合った価値判断の体系(=コモンロー)を構築できたからに他なりません。
  そして、我が国はイギリス以上に社会の空気に敏感な国であり、かなり昔から自己の言動がどのような社会的意味を持つかを重視してきました。
  明治時代に入り、「近代化」のために、手っ取り早く体裁を整えられる成文法を取り入れましたが、今までの価値判断体系を壊さないためには、何かあったときは社会の不文律(常識や慣習)に従うべきであるという考えを内面化する必要があったのです。そこで「教育勅語」が作られたというわけです。
  そのおかげで、日本は成文法の文化を取り入れながら、極めて安定した社会を築くことが出来ました。
  それが、かえって自由や権利が促進することになったのです。たとえば、大正デモクラシーがそうです。日本では、「原則不自由」の教育勅語から出発して、社会に害悪が生じない程度のスピードで徐々に権利や自由が認められてきたという歴史があるわけです。これは、もっと肯定的に捉えていいのではないでしょうか。
  
  どうせ「教育勅語によって日本は戦争に突き進んだ」などと言うパブロフの犬が出てくると思うので先に言っておきますが、日本が歴史上全体主義に陥ったのは満州事変以降敗戦までという例外的な時期であり、教育勅語は全く関係ありません。
  その原因は日本がガラでもない「ランドパワー(大陸国家)」になろうとしたからです。●大東亜戦争について述べたこちらの記事を参照してください。

  それならば、現代に教育勅語を復活させてもよいではないか、と思うかも知れませんが、そうなると天皇が象徴とされている現在の憲法にそぐわなくなります(教育勅語は、明治天皇のおことば)。なにより、言葉が古すぎます。
  そこで、「公共の精神」や「伝統の尊重」という言葉が、今度の教育基本法に加わったのだと私は考えています。

  教育はよく「百年の計」などと言われます。

  戦後60年かけて国民に浸透してきた個人主義=成文法的価値体系が、すぐになくなるとは思いません。これから何十年という間、不文律を知らない弊害は起こり続けるでしょう。
  しかし、それをくぐり抜ければ、意外と明るい未来が待っているのではないかという気もするのです。政府が方針を曲げたり、運用を歪めたりしなければ、少なくとも異常な行動を繰り返す生徒や教員にとって居心地が悪くなるような環境は出来上がるはずです。
  新基本法の成果が出てくるのは、その理念による教育を受けた子供が大人になってからです。その日を楽しみに待つことにしましょう。

今、なぜ教育基本法改正なのか?(その1)

2006年12月06日 23時28分24秒 | 社会と教育
  今年9月に就任した安倍晋三首相の「公約」は、教育改革、中でも教育基本法の改正が目玉だったというのは、昨今の報道でみなさんもご存じのことでしょう。このブログはもとはと言えば「教育」をテーマに掲げているので、今回は、この改正の狙いや、旧教育基本法(以下では「旧基本法」と略す)の問題点について、私の考えを述べてみたいと思います。
  
  ●こちらの読売新聞の特集を参照しながら、改正の概要について確認しておきましょう。

  ●前文に「公共の精神を尊び」「伝統を継承」という文言が入った
  ●第2条にある教育の目標に、「道徳心」や
  「我が国や郷土を愛する態度」を養うという項目が加わった
  ●生涯学習や、大学についての規定が入った
  ●義務教育が「9年」でなくなった
  ●旧基本法の第10条「不当な支配」に関する条項が消えた
   (旧法10条については、●こちらを参照)

  ちなみに、基本法というのは、行政分野における基本政策や基本方針を宣言するために制定される法律のことを言います。これを作ったり、改正したりすると、その方針を実現するための関係法令がどんどん作られていきます。
  基本法の一番わかりやすい例は、「日本国憲法」です。憲法に「何人も、法律の定める手続によらなければ、・・・刑罰を科せられない。(31条)」とあるだけでは、何をどうするのかよくわかりません。そこで、「刑事訴訟法」や「刑事訴訟規則」が定められることになるわけです。

  では、上記のような教育基本法の改正の、何がそんなに問題なのでしょうか?良識のある人間だと自覚される方であれば「日教組が反対しているから、賛成する」という態度(笑)ではいけません。ちゃんとした論拠があることを知っておくべきです。

  まず、旧基本法の成立過程について簡単に見ておきましょう。

  旧教育基本法が成立したのは、昭和22年(1947年)
  ●こちらのブログは、かなり保守色の強い姿勢ではありますが、成立当時の事実関係についてよく触れられています。
  ポイントは旧基本法の法案をまとめた「教育刷新委員会」という機関が民間情報教育局(CIE)の強い影響下にあったということです。
  CIEは「連絡協議会」という機関を作り、GHQ、刷新委員会、文部省の三者の間を取り持つ役目を持たせました。この「連絡協議会」は、米国側では「舵取り委員会steering comittee」と呼ばれており、その名の通り、一見して押しつけでない形で教育刷新委員会の方針の「舵取り」を行っていたということです。
  つまり、steeringを意図的に誤訳している人間がいたということです。私の推測ですが、戦前の生き残りで共産主義にシンパシーを持っている「革新官僚」の何人かがその犯人でしょう。●こちらの記事でも触れましたが、官僚には新しい支配者に媚びることで、生き残りを図るという特質があるからです。
  「教育基本法を守れ」「改悪を阻止しろ」と叫んでいる勢力は、この成立過程について全く触れようとしません。おそらく、つつかれると困る点だからでしょう。

  では、GHQはなぜこのような旧基本法を成立させようとしたのでしょうか。

  おそらく、1947年当時のアメリカの対日政策が、「日本弱体化」にあったからでしょう。
  思想的に良いか悪いかはともかく、日本軍は「天皇陛下万歳」と叫びながら、硫黄島やフィリピンで米軍に大打撃を与えました。このような事態を防ぐには、日本軍の精神的支柱である「現人神たる天皇」をなくしてしまえばいい。だからこそ、アメリカは天皇に「人間宣言」をさせたのです。
  同じように、石油を禁輸しようと、ハルノートを突きつけようと、「ほしがりません、勝つまでは」と唱えて一致団結する日本人の集団主義が、アメリカにとっては癌細胞のように思えたわけです。そこで、「個人の尊厳を重んじ」とか「個性ゆたかな文化の創造」とかいった文言(第1条)を旧基本法に入れて、日本人の集団主義を崩壊させようとしたのです。(これが、「結果的に」良かったかどうかは問題ではない。)
  アメリカは、当時の国益に従ってそのような行動をしたまでであり、これに対して怨念をぶつけるのは筋違いでしょう。当時はまだ「冷戦」が始まっておらず(ベルリン封鎖は1949年、朝鮮戦争はその翌年)、日本を「反共の防波堤」と位置づける必要はなかったのです。自分たちに逆らった日本を徹底的に痛めつけてやろうと思っても、不思議ではありません。
  国民の側も、長引く戦争で疲弊しており、旧基本法が戦前と180度異なる教育方針を取ったということに関心を向けるゆとりはなかったはずです。いろいろな要素が重なって、今の今まで旧基本法はそのままにされてきた、というのが本当のところだと思います。

  さて、上で戦前うんぬんと書きましたが、戦前の教育基本法にあたるものは何だったのでしょうか。

  それは、「教育勅語」です。

  ●「学制」ではないのか?と思われる方もいらっしゃると思いますが、学制は教科書の採用基準や教員の育成について触れているので、むしろ「学校教育法」に近い性質の法令です。

  教育勅語ついては、●このブログでも扱っているのですが、簡単に言ってしまえば、教育勅語の基本理念は利他精神を基調とした社会作りということです。「博愛衆ニ及ホシ」「公益ヲ廣メ世務ヲ開キ」と言った文言からもそれが窺えます。言い換えれば、社会にとって、国家にとって意味のある人間を作るために教育をやっていこう、ということです。
  少々乱暴なまとめですが、旧教育基本法が「個人」から教育を論じているのに対して、教育勅語は「社会」「国家」の側から教育を定義づけているといえるでしょう。
  
  ここで、問題になるのが、果たして国家が人間のあり方や生き方を決めつけてもいいのだろうかという点です。
  GHQが手がけた法令(たとえば「憲法第9条」)を改正しようと言い出すと、すぐに頭が沸騰してしまう馬鹿は置いておいて、右でも左でもないよという方は、「おまえらが教育を受けるのは社会や国家のためだ!」という言い方をされたら、抵抗を感じるに違いありません。

  しかし、もし「教育勅語型」の方がかえって自由で豊かな社会が実現するとしたらどうでしょう?

  次回の記事では、その辺について突っ込んで取り上げたいと思います。