さて、私が務めている塾も、3月から新年度に入っています。
昨今は、行き帰りの生徒の安全というのが問題になっています。しかし、いくらなんでもこれはないだろうという事件を紹介しておきます。朝鮮日報から。
中3男子、フラれた腹いせに放火
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/20/20070320000036.html
(以下引用)
光州南部警察署は20日、女友達が誘いを断ったという理由で学習塾に放火した光州某中学校3年A少年(14)を放火未遂容疑で身柄を拘束、現在取り調べを行っている。
この少年は19日午後8時50分頃、同じ学習塾に通う女子生徒からデートの誘いを断られたことに腹を立て、光州南区の学習塾の窓にトイレットペーパー挟み、放火したところを講師に発見された。
警察の調べによると、少年は今月9日にも放火未遂事件を起こしており、誘いを断った女子生徒を脅すため、これまでにも事件をおこしていたことが分かった。
(引用以上)
さる国の放火というのは、もはや「風物詩」「民俗行事」と化しているという感があります。●こちらのサイトを見るとよくわかりますが、
「ライターを売ってくれないので、中学生が放火」
「喧嘩して妻が逃げたので、自宅に放火」
など、日本では考えられない事例が多発しています。
この国の人間には観光ビザが免除されているようですが、神社や日の丸を掲揚している建物に放火してもらいたくはないものです。
さて、今回は、勉強についての話です。私が塾で政治関連のヨタ話ばかりしているわけではない(笑)ことを知っていただければと思います。
どうも、受験勉強の世界は、真偽を検証されることなく流通している迷信が多いような気がします。その最たるものは、
「社会は暗記物である」
という言葉でしょう。
この言葉にも、一応の「論拠」はあります。すなわち、社会の入試問題で問われるのは知識のある・なしなので、結局それを沢山覚えた人間が点数を取れる、ということです。
しかし、この考えは重大な誤解が前提になっています。それは、「暗記」と「記憶」をごっちゃにしている点です。
暗記というのは、たとえて言えば、接着剤で壁にものを貼り付けることと似ています。確かに頭の中に一定の時間留まりはするのですが、何か少し違うことをすると簡単に剥がれてしまうわけです。
私は英語の熟語のテストなどを、別の科目の授業をやった後に実施することが多いのですが、それを宣言すると必ず生徒がブーブー不満を口にし始めます。
彼彼女らの言いたいことは、要するに「早くしないと忘れちゃう」ということです。直前に暗記しているから、早いこと吐き出してしまわないと忘れるわけです。これでは意味がありません。
これに対して、記憶というのは、頭の中にある物事がボルトで固定されたような状態とでも言えばいいのでしょうか。何かのきっかけさえあれば、簡単に思い出すことが出来ます。
当然ですが、物事を覚えるときは、「記憶」した方がいいに決まっています。ところが不思議なもので、勉強が苦手な人ほど暗記に頼ろうとする傾向があるのです。そうして、ますます出来なくなっていくのです。社会に限らず、理科の知識や、数学の解き方などもそういうことがあります。
では、どうすれば「記憶」という状態に持っていくことができるのか。ここがわかれば、暗記に頼っている人間を大きくリードすることができます。
まず、一番重要なのは覚えるべきものの意味を知ることです。
英語の単語が一番良い例でしょう。複雑そうな単語、長い単語は覚えづらいと思われがちですが、アルファベットの塊に特定の意味が伴っていることがよくあります。いくらなんでもbatやstudyなどといった単語までそうしろとはいいませんが、beautifulなら「beauty(美)」が「full(いっぱい)」、comfortableやportableのableは「できる」などがそうです。
そういう意味をいちいち取り上げたり調べたりする方が時間がかかるじゃないかという方もいるかもしれませんが、意味が分からずに覚えるとかなり頭に負担がかかることを忘れてはいけません。丸暗記の方がよほど時間がかかります。
社会の勉強でも、やはり意味をいちいちかみしめる必要があります。「大化の改新」なら、どうして皇族方が蘇我氏を暗殺しなければならなかったか、「北陸地方は水田単作地帯」なら、なぜ新潟では他の作物が作りにくいのか、簡単でもいいから知っておくべきです。
本当に親切な先生というのは、自分の好き嫌いに偏ることなく、そういう物事の意味をわかりやすく説明してくれる先生です。そういった説明をちょっとメモしておく方が、黒板に書かれた文字を写す作業より何十倍も意味があります。
興味がないことに意味を見いだすのはなかなか苦痛ですが、そういうときにはわざとでもいいから「ふーん」「なるほど」「そうなんだ」と思う(できたら口に出す)ことで、自分をだます(笑)というのが有効です。そのうち、その気になってくることが結構あります。
とにかく、初めから遠ざけないことです。そういう姿勢を直さずに、後から変な暗記勉強をするくらいなら、勉強などしない方がましです。
次に、知識と知識のつながりを重視することが必要です。
よく思うのですが、勉強が下手な人ほど「コンピューターの真似」をしています。
コンピューターというのは、あらゆるデータを「逐一検索」しています。たとえて言えば、トランプの神経衰弱で、一番端っこのトランプから一番手前のトランプまで、全てのトランプをめくっていって、条件に合うカードを見つけ出しているようなものです。
勉強でこれと似ているのが、「一問一答」です。みなさんも使ったことが一度はあるでしょう。左側に「不平士族に担ぎ出されて西南戦争を起こした人物は誰か」という問題があって、右に「西郷隆盛」という答えが出ているあれです。
後で述べるように、これは全く無意味ではないのですが、初めからこれを使ってしまうと非常に効率が悪くなります。知識を「逐一検索」している状態になるので、角度を変えた出題をされてしまうと、すぐに思い出せなくなってしまうのです。それに、だいたい一個一個の知識がどこに位置づけられているかわからないまま、問題を解けるのでしょうか。そういう覚え方は避けるべきです。
ものを覚えるときは、必ず他の事柄と関連づけて覚えなくてはいけません。具体的には、一つの知識を覚えるときは必ず関連する複数の知識に目を通し、その間のつながりを確認する作業を入れることです。
たとえば、「南北朝を統一した人物は誰か」という問いがあって、「足利義満」と答えられることにはあまり意味がありません。足利義満のように、教科書で写真付きで紹介されるような歴史上の有名人であれば、複数の業績を挙げているのが普通だからです。
そうするくらいなら、初めから「足利義満がやったことを5つ挙げよ」とでもメモしておいて、その横に
①南北朝統一
②京都室町に「花の御所」を建設
④明との間で勘合貿易を開始
④金閣
⑤能の世阿弥を後援
とでも書いておく方がいいでしょう。そして、とどめに、
「日本をまとめた後、貿易で金儲け、そのカネで北山文化をプロデュース」
などとメモしておけば完璧でしょう。この一言で、5つの事柄にハッキリしたつながりが見えてくるからです(歴史学の観点から見ればどうかとは思いますが・・・)。そう考えてみると、一番初めに挙げた「意味を知る」ことと余り大差がないのかもしれません。
そこまで面倒くさくで出来ない!!という人に、いい方法を教えましょう。
知識と知識のつながりがちゃんと書いてあるものがあるのです。学校の教科書です。
歴史や公民は、この方法がかなり使えます。特に歴史は、きちんとした文脈に従って整理されています。だから、何か覚える時には、必ず教科書の何処にその知識が書いてあるのか確認する(できれば印を付ける)ようにするといいでしょう。あるいは、上のようなメモ書きを作るときに、教科書に書いてある文章をパクってくるという使い方もあります。
「ニューコース」のような学習参考書や、塾のテキストでもいいのですが、初めから簡略化してしまっていることが多いので、前後のつながりがかえってわかりにくくなっています。普段の勉強には使わない方がいいでしょう。
地理の教科書は情報量が少なすぎるので、出来れば地図帳を使う方がいいでしょう。受験用の地図帳(「受験対応」と書いてあるもの)なら、関連知識のイラストや図表が挟まれているので、一緒に見ておくとかなり効果的です。歴史で有れば、年表で出来事や人物を確認するのもいいですね。
とにかく、同時代、同地域の何かと関連づけて覚えることが大事です。
また、覚える対象を全体として把握することを意識すべきです。
塾の先生でも学校の先生でもそうですが、「本当にこの人お金もらってんのかな」と言いたくなるような人がいます。大抵は何を言っているのかよくわからない人です。 あるいは、いつもいつも授業時間をオーバーしている先生もいます。学校で言えば、中学2年生の2月になってまだ江戸時代の中頃のことを喋ってる社会の先生といったところでしょうか。
この両者に共通しているのは、初めから詳しく取り扱いすぎていることです。入試問題を見ればわかりますが、「卑弥呼」や「縄文時代の生活」などというものはほとんど出ません。●学習指導要領でも、「古代」の目標事項が4つしかないのに対して、「近現代」のところは8つもあります。当然、後者の方が重視されているのです。だから、縄文時代や弥生時代でウネウネと細かい話をしている暇など本来ならないはずなのです。
まあ、だからといって日教組教員(狂員)が近現代史の暗い部分の「解説(怪説)」に恐ろしいまでの情熱を傾けているのも勘弁願いたいものですが・・・。
話し下手、授業下手も、全体の中での位置づけを意識していないという点では同じです。
勉強も同じです。下手の横好きにならないよう、以下のように心がけるべきでしょう。
(1)まず、できるだけ早く全体を終えるようにする
(2)細かい知識はとりあえず置いておく
(1)について言うと、一回目の勉強は、全ての範囲に、一応目を通したという状態を作れれば十分です。後述するように、どうせ何度も繰り返すものですから、一度目は「こういうこともあるのか」程度でおしまいにしておくべきです。
(2)については、(1)が出来ていない以上は、細かいことを覚えても無駄だということです。車のボディが出来ていないのに、高額のカーオーディオやカーナビを揃えても意味がないのと同じです。
具体的には、科目全体を網羅した薄い問題集を使うといいでしょう。このとき、後でやり直したとき役に立つように、間違ったりすぐに思い浮かばなかったりした問題に印を付けておくとよいです。
それ以前に全く知識がない場合は、教科書の太字の所だけを読んでいくという手もあります。数学ならば、例題だけをどんどん解いていくことがこれに当たります。
とにかくこの段階では、「覚えていないのではないか」と疑わないことが重要です。
そして、一巡目が終わったら、すぐ二巡目に入ります。
今度は、一巡目で出来が悪かった箇所(印が付いているはず!)を中心に問題を解いていきます。分からなかったところは自分の弱点ですから、手で書いてみたり、カードに記録しておくなどして、3回目に当たったら解けるようにしておくことが重要です。
注意すべき事としては、上に挙げたような作業は直前に慌てて始めても全く意味がないということです。
慌ててやるから、しっかり覚えられなくて、暗記に頼るようになるのです。逆に言えば、記憶するためには、覚える作業をしながら、ある程度の時間を重ねることが必要なのです。
私はもう司法試験の勉強をやめてしまいましたが、今になって「あ!この条文は、こういう時に使えばいいんだ」とか「こんな細かいことを覚えていたけど、要するにこことここさえわかっていればよかったんだな」と思うことが結構あります。
そう思えるようになったのは、時間を置いて、覚えたものを醒めた目でとらえ返すことができるようになったからでしょう。そういう腑に落ちるような瞬間があると、なぜか記憶が鮮明になったりします。時には、その知識を覚えたとき、どんな服を着ていたとか、誰それの顔が思い浮かんだとか、そういうことも一緒に思い出せるくらいです。
おそらく、脳の中で、無意識に整理のような作業が行われているのでしょう。しかし、それはホットな状態では難しいことでもあります。
だから、直前と言われるような時期になる前に、何度かヤマを作って、そこまでに必要な知識を叩き込んでおくようにすべきなのです。そして、直前にはそういう知識に漏れがないかをチェックしていくわけです。
先に挙げた「一問一答」というのは、こういう時にこそ使うべきです。旺文社や代ゼミ当たりが出している英単語集なんかもそうです。最後に、「こういうこともあったよね」的に振り返る材料として使うべきなのです。
もちろん、その場合でも、以前からやってきた問題集や、昔まとめたメモやノートを読み直すことの方が大切です。
少しは参考になったでしょうか?
<関連記事>
こんなノートは命取り!!
http://blog.goo.ne.jp/roro_football-lover/e/086d94cae3d2694088fd6d96ec5814d5
事務処理能力アップ講座~受験と仕事は同じ!!
http://blog.goo.ne.jp/roro_football-lover/e/e1fcdf9fccbf3909cc37a4c672467bc2
昨今は、行き帰りの生徒の安全というのが問題になっています。しかし、いくらなんでもこれはないだろうという事件を紹介しておきます。朝鮮日報から。
中3男子、フラれた腹いせに放火
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/20/20070320000036.html
(以下引用)
光州南部警察署は20日、女友達が誘いを断ったという理由で学習塾に放火した光州某中学校3年A少年(14)を放火未遂容疑で身柄を拘束、現在取り調べを行っている。
この少年は19日午後8時50分頃、同じ学習塾に通う女子生徒からデートの誘いを断られたことに腹を立て、光州南区の学習塾の窓にトイレットペーパー挟み、放火したところを講師に発見された。
警察の調べによると、少年は今月9日にも放火未遂事件を起こしており、誘いを断った女子生徒を脅すため、これまでにも事件をおこしていたことが分かった。
(引用以上)
さる国の放火というのは、もはや「風物詩」「民俗行事」と化しているという感があります。●こちらのサイトを見るとよくわかりますが、
「ライターを売ってくれないので、中学生が放火」
「喧嘩して妻が逃げたので、自宅に放火」
など、日本では考えられない事例が多発しています。
この国の人間には観光ビザが免除されているようですが、神社や日の丸を掲揚している建物に放火してもらいたくはないものです。
さて、今回は、勉強についての話です。私が塾で政治関連のヨタ話ばかりしているわけではない(笑)ことを知っていただければと思います。
どうも、受験勉強の世界は、真偽を検証されることなく流通している迷信が多いような気がします。その最たるものは、
「社会は暗記物である」
という言葉でしょう。
この言葉にも、一応の「論拠」はあります。すなわち、社会の入試問題で問われるのは知識のある・なしなので、結局それを沢山覚えた人間が点数を取れる、ということです。
しかし、この考えは重大な誤解が前提になっています。それは、「暗記」と「記憶」をごっちゃにしている点です。
暗記というのは、たとえて言えば、接着剤で壁にものを貼り付けることと似ています。確かに頭の中に一定の時間留まりはするのですが、何か少し違うことをすると簡単に剥がれてしまうわけです。
私は英語の熟語のテストなどを、別の科目の授業をやった後に実施することが多いのですが、それを宣言すると必ず生徒がブーブー不満を口にし始めます。
彼彼女らの言いたいことは、要するに「早くしないと忘れちゃう」ということです。直前に暗記しているから、早いこと吐き出してしまわないと忘れるわけです。これでは意味がありません。
これに対して、記憶というのは、頭の中にある物事がボルトで固定されたような状態とでも言えばいいのでしょうか。何かのきっかけさえあれば、簡単に思い出すことが出来ます。
当然ですが、物事を覚えるときは、「記憶」した方がいいに決まっています。ところが不思議なもので、勉強が苦手な人ほど暗記に頼ろうとする傾向があるのです。そうして、ますます出来なくなっていくのです。社会に限らず、理科の知識や、数学の解き方などもそういうことがあります。
では、どうすれば「記憶」という状態に持っていくことができるのか。ここがわかれば、暗記に頼っている人間を大きくリードすることができます。
まず、一番重要なのは覚えるべきものの意味を知ることです。
英語の単語が一番良い例でしょう。複雑そうな単語、長い単語は覚えづらいと思われがちですが、アルファベットの塊に特定の意味が伴っていることがよくあります。いくらなんでもbatやstudyなどといった単語までそうしろとはいいませんが、beautifulなら「beauty(美)」が「full(いっぱい)」、comfortableやportableのableは「できる」などがそうです。
そういう意味をいちいち取り上げたり調べたりする方が時間がかかるじゃないかという方もいるかもしれませんが、意味が分からずに覚えるとかなり頭に負担がかかることを忘れてはいけません。丸暗記の方がよほど時間がかかります。
社会の勉強でも、やはり意味をいちいちかみしめる必要があります。「大化の改新」なら、どうして皇族方が蘇我氏を暗殺しなければならなかったか、「北陸地方は水田単作地帯」なら、なぜ新潟では他の作物が作りにくいのか、簡単でもいいから知っておくべきです。
本当に親切な先生というのは、自分の好き嫌いに偏ることなく、そういう物事の意味をわかりやすく説明してくれる先生です。そういった説明をちょっとメモしておく方が、黒板に書かれた文字を写す作業より何十倍も意味があります。
興味がないことに意味を見いだすのはなかなか苦痛ですが、そういうときにはわざとでもいいから「ふーん」「なるほど」「そうなんだ」と思う(できたら口に出す)ことで、自分をだます(笑)というのが有効です。そのうち、その気になってくることが結構あります。
とにかく、初めから遠ざけないことです。そういう姿勢を直さずに、後から変な暗記勉強をするくらいなら、勉強などしない方がましです。
次に、知識と知識のつながりを重視することが必要です。
よく思うのですが、勉強が下手な人ほど「コンピューターの真似」をしています。
コンピューターというのは、あらゆるデータを「逐一検索」しています。たとえて言えば、トランプの神経衰弱で、一番端っこのトランプから一番手前のトランプまで、全てのトランプをめくっていって、条件に合うカードを見つけ出しているようなものです。
勉強でこれと似ているのが、「一問一答」です。みなさんも使ったことが一度はあるでしょう。左側に「不平士族に担ぎ出されて西南戦争を起こした人物は誰か」という問題があって、右に「西郷隆盛」という答えが出ているあれです。
後で述べるように、これは全く無意味ではないのですが、初めからこれを使ってしまうと非常に効率が悪くなります。知識を「逐一検索」している状態になるので、角度を変えた出題をされてしまうと、すぐに思い出せなくなってしまうのです。それに、だいたい一個一個の知識がどこに位置づけられているかわからないまま、問題を解けるのでしょうか。そういう覚え方は避けるべきです。
ものを覚えるときは、必ず他の事柄と関連づけて覚えなくてはいけません。具体的には、一つの知識を覚えるときは必ず関連する複数の知識に目を通し、その間のつながりを確認する作業を入れることです。
たとえば、「南北朝を統一した人物は誰か」という問いがあって、「足利義満」と答えられることにはあまり意味がありません。足利義満のように、教科書で写真付きで紹介されるような歴史上の有名人であれば、複数の業績を挙げているのが普通だからです。
そうするくらいなら、初めから「足利義満がやったことを5つ挙げよ」とでもメモしておいて、その横に
①南北朝統一
②京都室町に「花の御所」を建設
④明との間で勘合貿易を開始
④金閣
⑤能の世阿弥を後援
とでも書いておく方がいいでしょう。そして、とどめに、
「日本をまとめた後、貿易で金儲け、そのカネで北山文化をプロデュース」
などとメモしておけば完璧でしょう。この一言で、5つの事柄にハッキリしたつながりが見えてくるからです(歴史学の観点から見ればどうかとは思いますが・・・)。そう考えてみると、一番初めに挙げた「意味を知る」ことと余り大差がないのかもしれません。
そこまで面倒くさくで出来ない!!という人に、いい方法を教えましょう。
知識と知識のつながりがちゃんと書いてあるものがあるのです。学校の教科書です。
歴史や公民は、この方法がかなり使えます。特に歴史は、きちんとした文脈に従って整理されています。だから、何か覚える時には、必ず教科書の何処にその知識が書いてあるのか確認する(できれば印を付ける)ようにするといいでしょう。あるいは、上のようなメモ書きを作るときに、教科書に書いてある文章をパクってくるという使い方もあります。
「ニューコース」のような学習参考書や、塾のテキストでもいいのですが、初めから簡略化してしまっていることが多いので、前後のつながりがかえってわかりにくくなっています。普段の勉強には使わない方がいいでしょう。
地理の教科書は情報量が少なすぎるので、出来れば地図帳を使う方がいいでしょう。受験用の地図帳(「受験対応」と書いてあるもの)なら、関連知識のイラストや図表が挟まれているので、一緒に見ておくとかなり効果的です。歴史で有れば、年表で出来事や人物を確認するのもいいですね。
とにかく、同時代、同地域の何かと関連づけて覚えることが大事です。
また、覚える対象を全体として把握することを意識すべきです。
塾の先生でも学校の先生でもそうですが、「本当にこの人お金もらってんのかな」と言いたくなるような人がいます。大抵は何を言っているのかよくわからない人です。 あるいは、いつもいつも授業時間をオーバーしている先生もいます。学校で言えば、中学2年生の2月になってまだ江戸時代の中頃のことを喋ってる社会の先生といったところでしょうか。
この両者に共通しているのは、初めから詳しく取り扱いすぎていることです。入試問題を見ればわかりますが、「卑弥呼」や「縄文時代の生活」などというものはほとんど出ません。●学習指導要領でも、「古代」の目標事項が4つしかないのに対して、「近現代」のところは8つもあります。当然、後者の方が重視されているのです。だから、縄文時代や弥生時代でウネウネと細かい話をしている暇など本来ならないはずなのです。
まあ、だからといって日教組教員(狂員)が近現代史の暗い部分の「解説(怪説)」に恐ろしいまでの情熱を傾けているのも勘弁願いたいものですが・・・。
話し下手、授業下手も、全体の中での位置づけを意識していないという点では同じです。
勉強も同じです。下手の横好きにならないよう、以下のように心がけるべきでしょう。
(1)まず、できるだけ早く全体を終えるようにする
(2)細かい知識はとりあえず置いておく
(1)について言うと、一回目の勉強は、全ての範囲に、一応目を通したという状態を作れれば十分です。後述するように、どうせ何度も繰り返すものですから、一度目は「こういうこともあるのか」程度でおしまいにしておくべきです。
(2)については、(1)が出来ていない以上は、細かいことを覚えても無駄だということです。車のボディが出来ていないのに、高額のカーオーディオやカーナビを揃えても意味がないのと同じです。
具体的には、科目全体を網羅した薄い問題集を使うといいでしょう。このとき、後でやり直したとき役に立つように、間違ったりすぐに思い浮かばなかったりした問題に印を付けておくとよいです。
それ以前に全く知識がない場合は、教科書の太字の所だけを読んでいくという手もあります。数学ならば、例題だけをどんどん解いていくことがこれに当たります。
とにかくこの段階では、「覚えていないのではないか」と疑わないことが重要です。
そして、一巡目が終わったら、すぐ二巡目に入ります。
今度は、一巡目で出来が悪かった箇所(印が付いているはず!)を中心に問題を解いていきます。分からなかったところは自分の弱点ですから、手で書いてみたり、カードに記録しておくなどして、3回目に当たったら解けるようにしておくことが重要です。
注意すべき事としては、上に挙げたような作業は直前に慌てて始めても全く意味がないということです。
慌ててやるから、しっかり覚えられなくて、暗記に頼るようになるのです。逆に言えば、記憶するためには、覚える作業をしながら、ある程度の時間を重ねることが必要なのです。
私はもう司法試験の勉強をやめてしまいましたが、今になって「あ!この条文は、こういう時に使えばいいんだ」とか「こんな細かいことを覚えていたけど、要するにこことここさえわかっていればよかったんだな」と思うことが結構あります。
そう思えるようになったのは、時間を置いて、覚えたものを醒めた目でとらえ返すことができるようになったからでしょう。そういう腑に落ちるような瞬間があると、なぜか記憶が鮮明になったりします。時には、その知識を覚えたとき、どんな服を着ていたとか、誰それの顔が思い浮かんだとか、そういうことも一緒に思い出せるくらいです。
おそらく、脳の中で、無意識に整理のような作業が行われているのでしょう。しかし、それはホットな状態では難しいことでもあります。
だから、直前と言われるような時期になる前に、何度かヤマを作って、そこまでに必要な知識を叩き込んでおくようにすべきなのです。そして、直前にはそういう知識に漏れがないかをチェックしていくわけです。
先に挙げた「一問一答」というのは、こういう時にこそ使うべきです。旺文社や代ゼミ当たりが出している英単語集なんかもそうです。最後に、「こういうこともあったよね」的に振り返る材料として使うべきなのです。
もちろん、その場合でも、以前からやってきた問題集や、昔まとめたメモやノートを読み直すことの方が大切です。
少しは参考になったでしょうか?
<関連記事>
こんなノートは命取り!!
http://blog.goo.ne.jp/roro_football-lover/e/086d94cae3d2694088fd6d96ec5814d5
事務処理能力アップ講座~受験と仕事は同じ!!
http://blog.goo.ne.jp/roro_football-lover/e/e1fcdf9fccbf3909cc37a4c672467bc2
年末年始や、年度末・年度始め(3月から4月)になると、書店には手帳コーナーができます。大小さまざまな手帳があるので、どれにしようか迷うのも楽しみだという人も多いでしょう。
しかし、ビジネスマンでも学生でも、どうも手帳をきちんと使えていない人が多いのではないかと感じます。かくいう私も、以前はあまり手帳を活用していなかった人間です。
そこで、今回は勉強や仕事に手帳(スケジュール帳)をいかに活用するかという話題について述べてみたいと思います。
絶対に忘れてはいけないのは、手帳の目的は「情報を集約しておくことによって、事務処理を円滑化すること」だということです。
もうすこし具体的に言うと、以下の三つです。
1.書き込むことによって記憶に残す
当たり前ですが、書くことによって意識が集中するので、忘れにくくなります。パソコンや「ザウルス」のようなPDAではこれが出来ません。
2.事前に予定を把握する
私が同僚や上司を見ていて思うことがあります。仕事を滞り無く進めている人は、どの人もかなり先の予定まで把握しているのです。仕事場について「さて、今日は何をするかな」というのは、もっとも非効率的な姿勢です。
そうかといって、頭の中に全ての予定が入っているコンピュータのような人もあまりいません(俺は覚えていると豪語する人も、時が経つと忘れている)。そこで、手帳の出番になるわけです。
3.やるべきことが済んだかどうかチェックする
「漏れ」は仕事の一番の敵です。また、済んだことを蒸し返さないためにも、このような作業が必要になってきます。
そつなく漏れなく丁寧に仕事を進めるということは、それ自体価値があると私は思います。企業の業務というのは「流れ」があり、まずはそれを止めないことが雇われるんげんとしての最低限の条件です。人を雇う立場になれば尚更でしょう。
個性だとかユニークな発想というのは、事務処理があって初めて企業活動というレールの上に乗るのです。
だからこそ、学校での勉強や受験においても、「いかに事務処理能力を高めていけるか」という点を追及しなくてはいけません。それが、あとあと社会に出てから自分のプラスになっていくのです。
さらに突っ込んで、活用のヒントを挙げておきます。
★小さすぎる手帳はだめ
メモできないからです。「バイブルサイズ」が限度でしょう。できれば、B5くらいはほしいものです。
★主戦場は一つに絞れ
手帳には、いろんなページが付いています。年間予定、月間予定、週間予定、自由帳・・・その全てを完璧に埋める必要などさらさらありません。
例えば、2ヶ月後に仕事の納期があるとします。それを年間予定のページに書き、二ヶ月後の月間予定にも書き、さらに週間予定にも・・・こんなことをしていたら、時間や労力が無駄になります。
手帳は、書き込むことが目的ではないのです。予定や期限を管理するページは、思い切って一つに絞った方がいいでしょう。ちなみに、私は「月間予定」に、なるべく小さめの字で書くようにしています。
★手帳はできるだけ開いておく
その方が知りたいことに即アクセスできるからです。また、何度も見ていれば、印象にも残りやすくなります。
もっとも、個人に関する情報や営業機密が漏れるのは論外です。例えば私の場合なら、職員室の机の上と、授業中の教卓以外では留め金をかけて閉じておくべきということです。
★筆記用具を付属させられるものを使う
何かを見たら、思いついたらすぐにメモできるようにすべきだからです。
今年教員になった元同僚が、「社会の授業で使えそうなネタは即座に手帳にメモする」という習慣の持ち主でした。仕事に対する姿勢が素晴らしいと思います。
この観点から、手帳の表紙の横に、ペンを付属させるペンホルダーが付いている手帳を買った方がいいでしょう。
★とにかく開く習慣を付ける
仕事前に見ておけば、やるべきことが把握でき、スムーズに仕事を始められます。また、先々のことを見ておけば余裕が生まれます。
初めのうちは慣れないものですが、私は最近電車に乗って座るとすぐに手帳を開けないと不安になるようになりました。(笑)
★よけいな「付録」は全て捨てる
ただでくっついてくるアドレス帳や、地下鉄路線図は捨てるべきです。そうしないと、開きにくくなるばかりか、別にメモを取った紙を表紙に挟んでおくのも難しくなります。
一回しか行かない店のポイントカードや、たくさん貯めないと何ももらえないサービス券で財布が膨張している人は要注意です。手帳には必要なもの以外挟むべきではありません。
★手帳に書き込む一番重要な事項は「期限」
期限とは、「ここまでに○○を終える」という予定です。
塾の先生を見ていると、どうもこれが甘い人が多いです。父母との面談の約束をするのはいいのですが、それが予定日の3日前というような同僚を何人も見てきました。これでは相手に失礼です。そういう面談には、きちんと用意をして臨むことも難しいでしょう。先を見ていない弊害です。
こういうことを言うとすぐ「予定外のことがあるのが普通で(例えば生徒の質問)、期限なんて守れるわけがない」という反論が出てきます。はっきり言って順序が逆です。期限を決めないから、だらだらと仕事をしてしまうのです。期限を決めるから、そこまでに何とかしようという強い意識が働いて、仕事の中身も充実するのです。
官も民も、どうも「先生」というのは、職業の特殊性に甘えていて、世間とずれた感覚で仕事をしている人が多いように思います。
★「ふせん」を使うと効率がアップする
メモする欄が足りないときもそうですが、何よりも「目立つ」ので、最優先事項が何か分かるという利点があります。
★携帯電話のアラーム等と併用する
忘れないためには何でもするということです。しかし、これも「入力するのが目的」になってしまわないようにしてください。
★パソコンやPDAのスケジュールは使っても意味がない
使っている人に失礼かも知れませんが、パソコンやPDAでスケジュール管理をするのは非効率的だと私は思います。まず、情報を書き込むにも、いちいちキーボード等を操作しなくてはいけません。また、文字の大きさを変えるのも面倒な作業が介在します。なにしろ、確認するために電源を入れて、プログラムを起動する必要があります。
私もパソコンのスケジュールソフトを使ったことがあるのですが、不思議なもので、ああいうのは「埋めるのが趣味」になってしまうのです。業務の効率化のために使い始めたのに、目的がすり替わってしまう。こういう現象はよくあります。そして、そのうち面倒くさくなって、使わなくなってしまうのです。
それなら、表紙を開くだけの手帳の方が楽だと思いませんか?
上のような手帳の活用法を少しアレンジすると、受験勉強にも役に立つツールに早変わりします。
私も年季の入った(涙)受験生なので、勉強の効率化というところには頭を悩ませてきました。
手帳の強みは「情報を一元化できる」ということです。具体的な使い方を以下に簡単に載せておきました。参考にしてください。
1.バインダー式の手帳を用意する
なるべく大きい方がいいです。
2.月間スケジュールと白紙のリフィルのみ用意する
罫線のメモでもいいです。週間スケジュール等は全て不要です。
3.月間スケジュールに、「期限」を書く
受験日や模試の日時だけでなく、「○○はここまで!」など、勉強の区切りをつけると良いでしょう。いつか間に合えばいいや、と思っている人から浪人になっていくのです。
4.白紙・メモの部分には、「自分が間違えた知識」を記す。
単語、例文でも、数学の間違えた問題を丸ごと書くのでもいいです。間違いを繰り返さなければ、点数は必ず上がります。
5.上の手帳は、時間が空いたときに見直すクセをつける
問題集を用意して、机に座って「さあやるぞ!」というのだけが勉強ではありま せん。これなら、わずかな時間でも復習として活用できます。
6.手帳の中身を「作る」ことを目的にしない
覚えられない知識や、模試等で間違えた情報を集約するための手帳です。初めから完成されたノートを作っていくなど論外です。
定期試験が近くなると、教科書を見ながら妙な「まとめ」みたいな紙を作っている受験生が結構います。勉強の効率としては最悪です。普段使っているノートのポイントだけまとめたり、問題集の中でわからない知識をメモしておく方が絶対にいいです。
手帳をうまく活用して、仕事や勉強をつつがなく進める習慣をつけていただければ幸いです。
しかし、ビジネスマンでも学生でも、どうも手帳をきちんと使えていない人が多いのではないかと感じます。かくいう私も、以前はあまり手帳を活用していなかった人間です。
そこで、今回は勉強や仕事に手帳(スケジュール帳)をいかに活用するかという話題について述べてみたいと思います。
絶対に忘れてはいけないのは、手帳の目的は「情報を集約しておくことによって、事務処理を円滑化すること」だということです。
もうすこし具体的に言うと、以下の三つです。
1.書き込むことによって記憶に残す
当たり前ですが、書くことによって意識が集中するので、忘れにくくなります。パソコンや「ザウルス」のようなPDAではこれが出来ません。
2.事前に予定を把握する
私が同僚や上司を見ていて思うことがあります。仕事を滞り無く進めている人は、どの人もかなり先の予定まで把握しているのです。仕事場について「さて、今日は何をするかな」というのは、もっとも非効率的な姿勢です。
そうかといって、頭の中に全ての予定が入っているコンピュータのような人もあまりいません(俺は覚えていると豪語する人も、時が経つと忘れている)。そこで、手帳の出番になるわけです。
3.やるべきことが済んだかどうかチェックする
「漏れ」は仕事の一番の敵です。また、済んだことを蒸し返さないためにも、このような作業が必要になってきます。
そつなく漏れなく丁寧に仕事を進めるということは、それ自体価値があると私は思います。企業の業務というのは「流れ」があり、まずはそれを止めないことが雇われるんげんとしての最低限の条件です。人を雇う立場になれば尚更でしょう。
個性だとかユニークな発想というのは、事務処理があって初めて企業活動というレールの上に乗るのです。
だからこそ、学校での勉強や受験においても、「いかに事務処理能力を高めていけるか」という点を追及しなくてはいけません。それが、あとあと社会に出てから自分のプラスになっていくのです。
さらに突っ込んで、活用のヒントを挙げておきます。
★小さすぎる手帳はだめ
メモできないからです。「バイブルサイズ」が限度でしょう。できれば、B5くらいはほしいものです。
★主戦場は一つに絞れ
手帳には、いろんなページが付いています。年間予定、月間予定、週間予定、自由帳・・・その全てを完璧に埋める必要などさらさらありません。
例えば、2ヶ月後に仕事の納期があるとします。それを年間予定のページに書き、二ヶ月後の月間予定にも書き、さらに週間予定にも・・・こんなことをしていたら、時間や労力が無駄になります。
手帳は、書き込むことが目的ではないのです。予定や期限を管理するページは、思い切って一つに絞った方がいいでしょう。ちなみに、私は「月間予定」に、なるべく小さめの字で書くようにしています。
★手帳はできるだけ開いておく
その方が知りたいことに即アクセスできるからです。また、何度も見ていれば、印象にも残りやすくなります。
もっとも、個人に関する情報や営業機密が漏れるのは論外です。例えば私の場合なら、職員室の机の上と、授業中の教卓以外では留め金をかけて閉じておくべきということです。
★筆記用具を付属させられるものを使う
何かを見たら、思いついたらすぐにメモできるようにすべきだからです。
今年教員になった元同僚が、「社会の授業で使えそうなネタは即座に手帳にメモする」という習慣の持ち主でした。仕事に対する姿勢が素晴らしいと思います。
この観点から、手帳の表紙の横に、ペンを付属させるペンホルダーが付いている手帳を買った方がいいでしょう。
★とにかく開く習慣を付ける
仕事前に見ておけば、やるべきことが把握でき、スムーズに仕事を始められます。また、先々のことを見ておけば余裕が生まれます。
初めのうちは慣れないものですが、私は最近電車に乗って座るとすぐに手帳を開けないと不安になるようになりました。(笑)
★よけいな「付録」は全て捨てる
ただでくっついてくるアドレス帳や、地下鉄路線図は捨てるべきです。そうしないと、開きにくくなるばかりか、別にメモを取った紙を表紙に挟んでおくのも難しくなります。
一回しか行かない店のポイントカードや、たくさん貯めないと何ももらえないサービス券で財布が膨張している人は要注意です。手帳には必要なもの以外挟むべきではありません。
★手帳に書き込む一番重要な事項は「期限」
期限とは、「ここまでに○○を終える」という予定です。
塾の先生を見ていると、どうもこれが甘い人が多いです。父母との面談の約束をするのはいいのですが、それが予定日の3日前というような同僚を何人も見てきました。これでは相手に失礼です。そういう面談には、きちんと用意をして臨むことも難しいでしょう。先を見ていない弊害です。
こういうことを言うとすぐ「予定外のことがあるのが普通で(例えば生徒の質問)、期限なんて守れるわけがない」という反論が出てきます。はっきり言って順序が逆です。期限を決めないから、だらだらと仕事をしてしまうのです。期限を決めるから、そこまでに何とかしようという強い意識が働いて、仕事の中身も充実するのです。
官も民も、どうも「先生」というのは、職業の特殊性に甘えていて、世間とずれた感覚で仕事をしている人が多いように思います。
★「ふせん」を使うと効率がアップする
メモする欄が足りないときもそうですが、何よりも「目立つ」ので、最優先事項が何か分かるという利点があります。
★携帯電話のアラーム等と併用する
忘れないためには何でもするということです。しかし、これも「入力するのが目的」になってしまわないようにしてください。
★パソコンやPDAのスケジュールは使っても意味がない
使っている人に失礼かも知れませんが、パソコンやPDAでスケジュール管理をするのは非効率的だと私は思います。まず、情報を書き込むにも、いちいちキーボード等を操作しなくてはいけません。また、文字の大きさを変えるのも面倒な作業が介在します。なにしろ、確認するために電源を入れて、プログラムを起動する必要があります。
私もパソコンのスケジュールソフトを使ったことがあるのですが、不思議なもので、ああいうのは「埋めるのが趣味」になってしまうのです。業務の効率化のために使い始めたのに、目的がすり替わってしまう。こういう現象はよくあります。そして、そのうち面倒くさくなって、使わなくなってしまうのです。
それなら、表紙を開くだけの手帳の方が楽だと思いませんか?
上のような手帳の活用法を少しアレンジすると、受験勉強にも役に立つツールに早変わりします。
私も年季の入った(涙)受験生なので、勉強の効率化というところには頭を悩ませてきました。
手帳の強みは「情報を一元化できる」ということです。具体的な使い方を以下に簡単に載せておきました。参考にしてください。
1.バインダー式の手帳を用意する
なるべく大きい方がいいです。
2.月間スケジュールと白紙のリフィルのみ用意する
罫線のメモでもいいです。週間スケジュール等は全て不要です。
3.月間スケジュールに、「期限」を書く
受験日や模試の日時だけでなく、「○○はここまで!」など、勉強の区切りをつけると良いでしょう。いつか間に合えばいいや、と思っている人から浪人になっていくのです。
4.白紙・メモの部分には、「自分が間違えた知識」を記す。
単語、例文でも、数学の間違えた問題を丸ごと書くのでもいいです。間違いを繰り返さなければ、点数は必ず上がります。
5.上の手帳は、時間が空いたときに見直すクセをつける
問題集を用意して、机に座って「さあやるぞ!」というのだけが勉強ではありま せん。これなら、わずかな時間でも復習として活用できます。
6.手帳の中身を「作る」ことを目的にしない
覚えられない知識や、模試等で間違えた情報を集約するための手帳です。初めから完成されたノートを作っていくなど論外です。
定期試験が近くなると、教科書を見ながら妙な「まとめ」みたいな紙を作っている受験生が結構います。勉強の効率としては最悪です。普段使っているノートのポイントだけまとめたり、問題集の中でわからない知識をメモしておく方が絶対にいいです。
手帳をうまく活用して、仕事や勉強をつつがなく進める習慣をつけていただければ幸いです。
休みだったので、大相撲観戦をしてきました。
私はブルガリア出身の琴欧州のファンです。国技館でチケットを買うと、力士の写真入りクリアファイルをくれるのですが、その中にも琴欧州が出ていたのは嬉しかったです。
ただ、一緒に映っているのが普天王(0勝9敗)、若の里(休場中)というのは、あまり縁起が良くないですね・・・。
今日は、合格体験記というものについて取り上げてみたいと思います。
本屋に行くと、資格試験や大学受験の合格体験記が沢山売っています。
あそこに書いてあることは、どの程度参考にできるのか?そう尋ねられたら、私は、こう答えるようにしています。
「その人と自分が違う人間だということが理解できるなら、
大いに参考にすべきである」
この意味を、今から簡単に説明しましょう。
合格体験記を読むときに、絶対にやってはいけない態度は以下の二つです。
1.自分にそっくりそのまま当てはめてしまう
例えば、○○大学に受かった人の体験記で、「一日2時間やれば受かる」と書いてあったとすると、「じゃあ、俺も2時間しか勉強しないぞ」という風に考えてしまうのがそうです。
2時間で受かったのは、「その人」であって、自分ではないのです。その人はもしかしたら、基礎力がしっかりしていたのかも知れないし、学校の授業(入試を意識しているもの)をカウントしていないのかも知れない。一度見たことは忘れないほど頭のいい人なのかも知れない。
そういう条件があっての「2時間」であって、読み手の受験生が何時間必要かは、目標との兼ね合いで考えて行くしかないのです。
こういう人は、人生を長い目で見ると、かならず損をします。たとえば、これからはこの会社が伸びる、という話を聞くと、その会社に入ることしか考えなくなる。しばらくして、起業して成功した話を聞くと、思い切りよく会社をやめてしまう。資金繰りが苦しくなると、同業者がよく利用しているという高利の商工ローンに手を出す・・・。
何でも鵜呑みにしてしまう人は、どこかで必ず「カモ」にされるます。
成功体験を何でもそっくりあてはめてしまいがちな人は「疑問を持つ」ようにすべきです。
勉強時間は2時間でいい、と言う人には、必ず「なぜ2時間で済んだのか」を質問すべきです。
また、「この参考書を使うと受かる」と言う人に対しては、「何のために、どのタイミングで、どのように使ったのか」をきいてみるべきです。
納得できないところがあってもいいのです。そういう姿勢は、また違う意味で「勉強」になります。
では、もう一つの態度に行きましょう。
2.話を最初から聞こうとしない・すぐ疑う
ちょうど1.と正反対の態度です。
たとえば、ある予備校の講座を取ったら受かったよ、というと、「あの予備校はこういうところがダメだ」と反論してくるような感じでしょうか。
こういう姿勢を徹底させると、どういう末路に陥るか。
資格試験に受かるために、ある講座を受けることにした。わからないことが出てくると、途端にあら探しをし始める。よくないところをほじくり返すように見つけて、「続けても無駄だ」と、講座そのものに出なくなる・・・。
司法試験などの難関試験に特に多いのですが、こうやって毎年毎年やる講座を変えている受験生がいるのです。もちろん、なかなか合格しないのですが。
なぜそうなってしまうのか。理由はいくつか考えられます。
まず、そもそも「体験もせずに難癖をつけている」というのがあります。
予備校では「ガイダンス」と言って、講座担当者がこういう風にやっていきますよ、ということを説明する場を設けることが多いです。そういうのに出てみれば、その講師がお金を出すに値するかは或る程度わかります。
そういうこともしないで、伝聞で良い・悪いを判断する姿勢では、先が思いやられます。
その他には、「ただ単にサボる言い訳にしている」というのもあります。
わからないところが出てきたり、ある程度努力が必要な段階というものが、勉強にはつきものです。そういうところに来ると、教え方が悪いの、テキストが悪いの、他人のせいにして逃げてしまうのです。
私のいる塾業界でも、三つも四つも塾を変わっている子供が結構います。成績が出ないと、親御さんが「責任追及」を始めるのですが、すぐにその矛先が教え手の方へ向くのです。
こういう親御さんに育てられた子供は、もう不幸としか言いようがありません。
こういう傾向の人は、まず人の話を素直に聞くことです。
言っていることの意味内容に対して、初めから否定的な態度で接すると、覚えるのは難しくなります。相手の言うことを「聞く」というのは、自分の考えを捨てることではありません。まずは、ちゃんと聞くことです。
それから、言われた通り全力でやってみることです。その上で、やっぱりダメだというのなら、やり方を変えればいいのです。
それも出来ないというなら、やり方を人に教え手もらわなければいいのです。自分で対象を研究して、効果的な学習法を編み出せれば、時間はかかっても「勝ち」です。
もっとも、我流がひどすぎると、全く効果が上がりません。やはり、人の話は聞いた方がいいでしょうね。
結局、私が言いたいのは、
「何が妥当なのかは、自分で考えろ」
ということです。
ただ、それではあまりにも無責任なので、一定の指針は示させてもらうとしましょう。
<成功体験談よりも、失敗体験談を聞くべし>
他山の石、というやつです。
私なら、小論文のある大学で、小論文対策をほとんどやらなかったことや、高校で真面目に数学をやらなかったことです。
成功体験というのは、だいたいが自分がやったことをそのまま言っているだけです。個人差を考えると、あまり参考にはならないのです。
しかし、失敗体験は、そうすると必ずダメだというケースですから、避けることができれば合格に一歩近づくと言えます。
それに加えて、「こうすればよかった」という改善策を具体的に言っている体験談は、もう絶対に「買い」です。
<発憤材料には、どんどんすべし>
例えば、自分の模試の偏差値が40しかなく、志望校の合格圏内には全く届かない。そんなときに、同じ時期に偏差値40だったという合格者の話を聞いた、というケースを考えてみましょう。
こういう場合、「じゃあ偏差値40でも大丈夫なんだ」と、その合格者のやったことをそのままやろうとするのは、あまり賢いやり方とは言えません。その人はたまたま偏差値が低く出ていただけなのかもしれないからです。
しかし、「じゃあ、私も頑張ろう!」という風に、気合いを入れるのは大いに結構です。こいつに負けたくない、と、仮想敵にしてみると、だらけそうな時にいい興奮剤になるのではないでしょうか。
<疑問を持ったら、必ず質問すべし>
ポイントは、以下の4つです。
「何の為に、そうしたのか」
「どの程度の時間をかけたのか」
「やってみて、何が大変だったか」
「結局、どの程度役に立ったのか」
自分の人生がかかっているなら、そのくらいは質問できるのではないでしょうか。それでも、疑問がない、というなら、信じてやってみればいいだけです。
なんにせよ、一番大事なのは、自分の頭で考えることです。
自分で考え抜いて乗り越えた受験は、その後の人生で必ずプラスに働きますよ。
私はブルガリア出身の琴欧州のファンです。国技館でチケットを買うと、力士の写真入りクリアファイルをくれるのですが、その中にも琴欧州が出ていたのは嬉しかったです。
ただ、一緒に映っているのが普天王(0勝9敗)、若の里(休場中)というのは、あまり縁起が良くないですね・・・。
今日は、合格体験記というものについて取り上げてみたいと思います。
本屋に行くと、資格試験や大学受験の合格体験記が沢山売っています。
あそこに書いてあることは、どの程度参考にできるのか?そう尋ねられたら、私は、こう答えるようにしています。
「その人と自分が違う人間だということが理解できるなら、
大いに参考にすべきである」
この意味を、今から簡単に説明しましょう。
合格体験記を読むときに、絶対にやってはいけない態度は以下の二つです。
1.自分にそっくりそのまま当てはめてしまう
例えば、○○大学に受かった人の体験記で、「一日2時間やれば受かる」と書いてあったとすると、「じゃあ、俺も2時間しか勉強しないぞ」という風に考えてしまうのがそうです。
2時間で受かったのは、「その人」であって、自分ではないのです。その人はもしかしたら、基礎力がしっかりしていたのかも知れないし、学校の授業(入試を意識しているもの)をカウントしていないのかも知れない。一度見たことは忘れないほど頭のいい人なのかも知れない。
そういう条件があっての「2時間」であって、読み手の受験生が何時間必要かは、目標との兼ね合いで考えて行くしかないのです。
こういう人は、人生を長い目で見ると、かならず損をします。たとえば、これからはこの会社が伸びる、という話を聞くと、その会社に入ることしか考えなくなる。しばらくして、起業して成功した話を聞くと、思い切りよく会社をやめてしまう。資金繰りが苦しくなると、同業者がよく利用しているという高利の商工ローンに手を出す・・・。
何でも鵜呑みにしてしまう人は、どこかで必ず「カモ」にされるます。
成功体験を何でもそっくりあてはめてしまいがちな人は「疑問を持つ」ようにすべきです。
勉強時間は2時間でいい、と言う人には、必ず「なぜ2時間で済んだのか」を質問すべきです。
また、「この参考書を使うと受かる」と言う人に対しては、「何のために、どのタイミングで、どのように使ったのか」をきいてみるべきです。
納得できないところがあってもいいのです。そういう姿勢は、また違う意味で「勉強」になります。
では、もう一つの態度に行きましょう。
2.話を最初から聞こうとしない・すぐ疑う
ちょうど1.と正反対の態度です。
たとえば、ある予備校の講座を取ったら受かったよ、というと、「あの予備校はこういうところがダメだ」と反論してくるような感じでしょうか。
こういう姿勢を徹底させると、どういう末路に陥るか。
資格試験に受かるために、ある講座を受けることにした。わからないことが出てくると、途端にあら探しをし始める。よくないところをほじくり返すように見つけて、「続けても無駄だ」と、講座そのものに出なくなる・・・。
司法試験などの難関試験に特に多いのですが、こうやって毎年毎年やる講座を変えている受験生がいるのです。もちろん、なかなか合格しないのですが。
なぜそうなってしまうのか。理由はいくつか考えられます。
まず、そもそも「体験もせずに難癖をつけている」というのがあります。
予備校では「ガイダンス」と言って、講座担当者がこういう風にやっていきますよ、ということを説明する場を設けることが多いです。そういうのに出てみれば、その講師がお金を出すに値するかは或る程度わかります。
そういうこともしないで、伝聞で良い・悪いを判断する姿勢では、先が思いやられます。
その他には、「ただ単にサボる言い訳にしている」というのもあります。
わからないところが出てきたり、ある程度努力が必要な段階というものが、勉強にはつきものです。そういうところに来ると、教え方が悪いの、テキストが悪いの、他人のせいにして逃げてしまうのです。
私のいる塾業界でも、三つも四つも塾を変わっている子供が結構います。成績が出ないと、親御さんが「責任追及」を始めるのですが、すぐにその矛先が教え手の方へ向くのです。
こういう親御さんに育てられた子供は、もう不幸としか言いようがありません。
こういう傾向の人は、まず人の話を素直に聞くことです。
言っていることの意味内容に対して、初めから否定的な態度で接すると、覚えるのは難しくなります。相手の言うことを「聞く」というのは、自分の考えを捨てることではありません。まずは、ちゃんと聞くことです。
それから、言われた通り全力でやってみることです。その上で、やっぱりダメだというのなら、やり方を変えればいいのです。
それも出来ないというなら、やり方を人に教え手もらわなければいいのです。自分で対象を研究して、効果的な学習法を編み出せれば、時間はかかっても「勝ち」です。
もっとも、我流がひどすぎると、全く効果が上がりません。やはり、人の話は聞いた方がいいでしょうね。
結局、私が言いたいのは、
「何が妥当なのかは、自分で考えろ」
ということです。
ただ、それではあまりにも無責任なので、一定の指針は示させてもらうとしましょう。
<成功体験談よりも、失敗体験談を聞くべし>
他山の石、というやつです。
私なら、小論文のある大学で、小論文対策をほとんどやらなかったことや、高校で真面目に数学をやらなかったことです。
成功体験というのは、だいたいが自分がやったことをそのまま言っているだけです。個人差を考えると、あまり参考にはならないのです。
しかし、失敗体験は、そうすると必ずダメだというケースですから、避けることができれば合格に一歩近づくと言えます。
それに加えて、「こうすればよかった」という改善策を具体的に言っている体験談は、もう絶対に「買い」です。
<発憤材料には、どんどんすべし>
例えば、自分の模試の偏差値が40しかなく、志望校の合格圏内には全く届かない。そんなときに、同じ時期に偏差値40だったという合格者の話を聞いた、というケースを考えてみましょう。
こういう場合、「じゃあ偏差値40でも大丈夫なんだ」と、その合格者のやったことをそのままやろうとするのは、あまり賢いやり方とは言えません。その人はたまたま偏差値が低く出ていただけなのかもしれないからです。
しかし、「じゃあ、私も頑張ろう!」という風に、気合いを入れるのは大いに結構です。こいつに負けたくない、と、仮想敵にしてみると、だらけそうな時にいい興奮剤になるのではないでしょうか。
<疑問を持ったら、必ず質問すべし>
ポイントは、以下の4つです。
「何の為に、そうしたのか」
「どの程度の時間をかけたのか」
「やってみて、何が大変だったか」
「結局、どの程度役に立ったのか」
自分の人生がかかっているなら、そのくらいは質問できるのではないでしょうか。それでも、疑問がない、というなら、信じてやってみればいいだけです。
なんにせよ、一番大事なのは、自分の頭で考えることです。
自分で考え抜いて乗り越えた受験は、その後の人生で必ずプラスに働きますよ。
私の仕事は「ネット政治活動家」や「WEB思想家」ではないので(笑)、今日は受験勉強に関係した話を書きます。
受験勉強のことを、創造性を殺すだの、役に立たない知識を覚えさせているだけだの、文句を付けてくる人がいます。
受験勉強をしているみなさんは、そういう「たわごと」について、一切耳を貸す必要はありません。
上に書いたような文句を言っている人は、
●自分が受験勉強をしたく(させたく)ないので、
なにかと理由をこじつけている
●努力をしたくない若年層の受け狙い
●自分の周りの、受験のない世界しか知らない
この三つのどれかに当たるという、ただそれだけです。
私が勉強を教えてきた経験からも、また理屈の上からも、受験でうまくやる人は仕事もうまくできるようになります。
なぜなら、この二つの分野は、「事務処理」という共通点を持っているからです。
事務処理、というのは、簡単に言えば、「やるべきことを早く、正確に、効率よく済ませる」ということです。
経費云々は別として、仕事はさっさと・きちんと仕上げた方がいいに決まっています。お客さんも喜ぶし、自分も早く帰れるので楽になります。
そうなると、受験で合格するのも、事務処理能力を向上させればいいということになります。事務処理が上手に出来るような「作法」を身につければ、仕事をやる上でも応用できるはずです。
具体的に、どういう点に注意すれば、事務処理がうまく行くかを挙げてみます。
1.すぐに手を着ける
当たり前のことですが、こういうことを確実に出来ない人が多いです。
例えば、午後7時から勉強をすると決めたとします。「決めた」のですから、守らなければダメです。誰でも、そう思うでしょう。
ところが、実際は2、3分遅れてもいいや、と思ってしまう人が多いのです。
まだ時間は沢山あるんだし・・・と、油断していると、あっという間に30分。
経験がある人は、多いでしょう?
仕事でもそうです。出社のタイムカードを押したのは、始業4分前。さて、今日は何をしようか。そう焦らなくてもいいか。ちょっと一服して、ゆっくり始めよう・・・。
私もたまにやってしまうのですが、こういう仕事の「入り」をした日というのは、どうも全体的に気が緩みがちです。出足が鈍ってしまうからでしょうね。スタートダッシュは大切だと思います。
勉強や仕事に、すぐに手を着けられない人は、こんな工夫をしてみてはどうでしょう。実際私がしているのは、
(1)始業3分前には席につき手帳で予定を確認
(2)同じく始業3分前にやるべきことを書き出す
(3)すぐできる、簡単なことをやってみる
(3)は、最近結構使っている方法なのですが、簡単に仕事向きの脳に切り替えられるのでお勧めです。私の場合は、1件だけ電話をしたり、テストの採点を5人分だけやってみたり、という感じです。受験生なら、昨日やった英単語を5個だけ(「5個だけ」とわざと少な目にするのがコツ)。仕事でも、ここにルーティンワークを持ってくると効果があります。
2.一度にひとつのことしかやらない
理由は簡単で、混乱するからです。
以前、●「こんなノートは命取り!」という記事で、「データ抽出」と「データ整理」は分けろという話をしたかと思います。
何かを見聞きしてそこから必要な情報を持ってくるという、集中力を要する作業と、それを記憶したりまとめたりする地道な作業とは、分けた方が絶対に効率がいいです。
たとえば、みなさんも、作文を書いていて、こんな経験をしたことはありませんか?
開始1分にして、勢いよく書き出す。しかし、文体がおかしくなってきて、3行目あたりで消しゴム使用。書くペースは遅くなる一方、そして、気づいたときには、前後一貫しない文章と、書いて消した後だらけの原稿用紙が・・・。
これは、別に、その人に文章の才能がないうわけではないのです。いけないのは、書くことを考える作業と、文字を書く作業を分断していないことなのです。
受験勉強でも、実際に問題にアタックする作業と、単純に何かを覚える作業と、分けてやらずにだらだらやっている人は多いです。これは、私の受験生としての経験からも、間違いなく非効率です。
これを、克服する方法は、以下の通りです。
(1)考える作業と、単純作業は、必ず分ける
(2)道具をいちいち持ち替えない工夫をする
(3)同じ作業の間は、基本的に中断しない
(1)は、過去の記事●「こんなノートは命取り!」を参照してください。
また、(2)については、例えば
●「鉛筆」を使う作業と、「赤ペン」(加筆、重要)を使う作業
●「殴り書き」(問題を解く、考えを吐き出す)と「清書」(答案を書く)
といった分け方がいいでしょう。
(3)は当たり前すぎますが、そういうことこそおそろかにしてはいけません。
私は、テストの採点が嫌でたまらなかったことがあります。理由は、遅くてたまらないからです。
そこで、採点作業を、「正誤の判定」「ページ毎の点数計算」「全体の点数計算」「コメントを書く」「束にして点数を記録する」という風に、バラバラにして一つ一つに集中するようにしました。そうしたら、能率が急に上がったという経験があります。
受験勉強なら、一問一問解いて丸つけをして採点、というのではなく、5問や10問といった区切り毎に、「解く」「丸つけ」「解説を読んで理解」「覚えるべき事柄をノートなどに記録」といった作業分類を行うといいでしょう。
3.整理整頓する
ここで言う「整理整頓」とは、
(1)書類や筆記用具すぐに出せる場所に置く
(2)使ったらすぐ片づける
(3)不要なものは置かない
(4)同じものは、同じところに置く
という、4つの要素を指します。
気を付けてほしいのは、(1)や(4)です。
こういうことを書くと、すぐに分類や見た目に凝り始めてしまう困った人がいます。そんなことに時間を使わないでください。人生の無駄です。
分類はあくまで手段です。2時間も3時間もかけて、人件費の枠内でやることではありません。あくまで、仕事の流れの中で、必要に応じて置き方・見え方を変えていくことです。
実行しやすいのは、(2)と(3)でしょう。
通常私は、夕方小学生の授業を実施し、少し間を置いて、夜7時過ぎから中学生の授業をしています。そこで、小学生の時間が終わったら、そこで使った名簿や教材などは、次の授業に入る前に元の場所に戻すようにしています。なぜなら、後でまとめて片づけるのは、ものすごく億劫だからです。
また、(3)絡みで重要なのは、要らないものはすぐに捨てるということです。
業務用の連絡が書面で渡されたとします。数字がたくさんのっかっていたり、全体が重要だったりするものは、ファイルか何かに入れておけばいいでしょう。しかし、そうでないものは、その場で手帳にメモして捨ててしまうことにしています。
「後で見ればいい」としまったものは、後になっても見ないでおしまい、という経験は、皆さんもきっとおありでしょう。そうなる前に、情報だけ抜き取ってゴミ箱もしくはシュレッダーへ・・・そうすれば、机の上にアルプス山脈が出来上がることはありません。
なんか、どっかで聞いたようなことばかりだな、と思うでしょう。しかし、そういう基本的なことこそ、何事にも通じる重要なポイントなのです。
参考になりましたでしょうか?
受験勉強のことを、創造性を殺すだの、役に立たない知識を覚えさせているだけだの、文句を付けてくる人がいます。
受験勉強をしているみなさんは、そういう「たわごと」について、一切耳を貸す必要はありません。
上に書いたような文句を言っている人は、
●自分が受験勉強をしたく(させたく)ないので、
なにかと理由をこじつけている
●努力をしたくない若年層の受け狙い
●自分の周りの、受験のない世界しか知らない
この三つのどれかに当たるという、ただそれだけです。
私が勉強を教えてきた経験からも、また理屈の上からも、受験でうまくやる人は仕事もうまくできるようになります。
なぜなら、この二つの分野は、「事務処理」という共通点を持っているからです。
事務処理、というのは、簡単に言えば、「やるべきことを早く、正確に、効率よく済ませる」ということです。
経費云々は別として、仕事はさっさと・きちんと仕上げた方がいいに決まっています。お客さんも喜ぶし、自分も早く帰れるので楽になります。
そうなると、受験で合格するのも、事務処理能力を向上させればいいということになります。事務処理が上手に出来るような「作法」を身につければ、仕事をやる上でも応用できるはずです。
具体的に、どういう点に注意すれば、事務処理がうまく行くかを挙げてみます。
1.すぐに手を着ける
当たり前のことですが、こういうことを確実に出来ない人が多いです。
例えば、午後7時から勉強をすると決めたとします。「決めた」のですから、守らなければダメです。誰でも、そう思うでしょう。
ところが、実際は2、3分遅れてもいいや、と思ってしまう人が多いのです。
まだ時間は沢山あるんだし・・・と、油断していると、あっという間に30分。
経験がある人は、多いでしょう?
仕事でもそうです。出社のタイムカードを押したのは、始業4分前。さて、今日は何をしようか。そう焦らなくてもいいか。ちょっと一服して、ゆっくり始めよう・・・。
私もたまにやってしまうのですが、こういう仕事の「入り」をした日というのは、どうも全体的に気が緩みがちです。出足が鈍ってしまうからでしょうね。スタートダッシュは大切だと思います。
勉強や仕事に、すぐに手を着けられない人は、こんな工夫をしてみてはどうでしょう。実際私がしているのは、
(1)始業3分前には席につき手帳で予定を確認
(2)同じく始業3分前にやるべきことを書き出す
(3)すぐできる、簡単なことをやってみる
(3)は、最近結構使っている方法なのですが、簡単に仕事向きの脳に切り替えられるのでお勧めです。私の場合は、1件だけ電話をしたり、テストの採点を5人分だけやってみたり、という感じです。受験生なら、昨日やった英単語を5個だけ(「5個だけ」とわざと少な目にするのがコツ)。仕事でも、ここにルーティンワークを持ってくると効果があります。
2.一度にひとつのことしかやらない
理由は簡単で、混乱するからです。
以前、●「こんなノートは命取り!」という記事で、「データ抽出」と「データ整理」は分けろという話をしたかと思います。
何かを見聞きしてそこから必要な情報を持ってくるという、集中力を要する作業と、それを記憶したりまとめたりする地道な作業とは、分けた方が絶対に効率がいいです。
たとえば、みなさんも、作文を書いていて、こんな経験をしたことはありませんか?
開始1分にして、勢いよく書き出す。しかし、文体がおかしくなってきて、3行目あたりで消しゴム使用。書くペースは遅くなる一方、そして、気づいたときには、前後一貫しない文章と、書いて消した後だらけの原稿用紙が・・・。
これは、別に、その人に文章の才能がないうわけではないのです。いけないのは、書くことを考える作業と、文字を書く作業を分断していないことなのです。
受験勉強でも、実際に問題にアタックする作業と、単純に何かを覚える作業と、分けてやらずにだらだらやっている人は多いです。これは、私の受験生としての経験からも、間違いなく非効率です。
これを、克服する方法は、以下の通りです。
(1)考える作業と、単純作業は、必ず分ける
(2)道具をいちいち持ち替えない工夫をする
(3)同じ作業の間は、基本的に中断しない
(1)は、過去の記事●「こんなノートは命取り!」を参照してください。
また、(2)については、例えば
●「鉛筆」を使う作業と、「赤ペン」(加筆、重要)を使う作業
●「殴り書き」(問題を解く、考えを吐き出す)と「清書」(答案を書く)
といった分け方がいいでしょう。
(3)は当たり前すぎますが、そういうことこそおそろかにしてはいけません。
私は、テストの採点が嫌でたまらなかったことがあります。理由は、遅くてたまらないからです。
そこで、採点作業を、「正誤の判定」「ページ毎の点数計算」「全体の点数計算」「コメントを書く」「束にして点数を記録する」という風に、バラバラにして一つ一つに集中するようにしました。そうしたら、能率が急に上がったという経験があります。
受験勉強なら、一問一問解いて丸つけをして採点、というのではなく、5問や10問といった区切り毎に、「解く」「丸つけ」「解説を読んで理解」「覚えるべき事柄をノートなどに記録」といった作業分類を行うといいでしょう。
3.整理整頓する
ここで言う「整理整頓」とは、
(1)書類や筆記用具すぐに出せる場所に置く
(2)使ったらすぐ片づける
(3)不要なものは置かない
(4)同じものは、同じところに置く
という、4つの要素を指します。
気を付けてほしいのは、(1)や(4)です。
こういうことを書くと、すぐに分類や見た目に凝り始めてしまう困った人がいます。そんなことに時間を使わないでください。人生の無駄です。
分類はあくまで手段です。2時間も3時間もかけて、人件費の枠内でやることではありません。あくまで、仕事の流れの中で、必要に応じて置き方・見え方を変えていくことです。
実行しやすいのは、(2)と(3)でしょう。
通常私は、夕方小学生の授業を実施し、少し間を置いて、夜7時過ぎから中学生の授業をしています。そこで、小学生の時間が終わったら、そこで使った名簿や教材などは、次の授業に入る前に元の場所に戻すようにしています。なぜなら、後でまとめて片づけるのは、ものすごく億劫だからです。
また、(3)絡みで重要なのは、要らないものはすぐに捨てるということです。
業務用の連絡が書面で渡されたとします。数字がたくさんのっかっていたり、全体が重要だったりするものは、ファイルか何かに入れておけばいいでしょう。しかし、そうでないものは、その場で手帳にメモして捨ててしまうことにしています。
「後で見ればいい」としまったものは、後になっても見ないでおしまい、という経験は、皆さんもきっとおありでしょう。そうなる前に、情報だけ抜き取ってゴミ箱もしくはシュレッダーへ・・・そうすれば、机の上にアルプス山脈が出来上がることはありません。
なんか、どっかで聞いたようなことばかりだな、と思うでしょう。しかし、そういう基本的なことこそ、何事にも通じる重要なポイントなのです。
参考になりましたでしょうか?
勉強のプロというのは、物事を理解しやすく伝授するだけではまだまだだと思います。どうすれば覚えられるか、という勉強のやり方までカバーできて、初めて一人前といえるのではないでしょうか。
今日は、勉強法の中でも、ノートの徹底活用法を述べてみたいと思います。
非常に嫌な言い方ですが、「この子は多分成績は伸びないな」という生徒は、私にはすぐにわかります。
一つは、「話を聞いていない生徒」ですが、もう一つは、話題が変わっているのにまだ前のことのノートを取っている生徒です。
その生徒が鈍い、ということではありません。そういう生徒は、字も綺麗なことが多いです。それに、取ったノートが結構きちんと整理されていて、見やすかったりします。
しかし、実は、それが落とし穴だったりするのです。
授業中にノートを一生懸命取っている生徒がよくないのは、「データ抽出」と「データ整理」を、いっぺんに実行してしまっているからです。
「データ抽出」というのは、自分が知らない知識や、誤解しているポイントを認識し、理解することです。
また、「データ整理」というのは、抽出したものを後で使えるように加工し、集約することです。
この二つの作業は、似ているようで全く違います。
「データ抽出」はどちらかというと、何かを見たり聴いたりする必要があるのに対して、「データ整理」は、そういうものを取捨選択していく作業です。これをいっぺんにやろうとすると、どういうことになるか。
答は簡単です。どちらも中途半端に終わってしまうのです。
私も一応、「受験生」なので(※2007年で廃業(笑)しました)、これは自分の所行を振り返って大いに反省すべき点があります。
問題集を解いて、知らないことを見つけたり、あやふやだったり誤解していたりする知識を再認識する。それ自体は必ず必要な作業です。
そして、その後にすぐ、わかったことをカードにまとめるようにしていました。実は、これがいけなかったのです。
後から振り返って見ると、あまり重要でないものと、そうでないものを、一緒くたにしてカードに記録してしまっていたのです。そうなると、後で見直すときに「これはどれが大事なんだ?」と首をひねることが何度もありました。
つまり、「データ整理」が機能していないことがよくあったのです。
しかも、それが「データ抽出」の方にまで悪影響を及ぼしてきました。とにかく問題を沢山解くべきときに、出てきたものを理解しようと必死になってしまうため、たくさんの問題に当たることができなくなってしまったのです。
そうなると、試験本番を穴が出来た状態で迎えてしまう。その焦りたるや、もうここでは形容しがたいものがあります。
面白いことに、そういう穴の開いたところが一番出題されるものなのです。先日の試験も、「これ、見たことあるんだけど」という問題が多いのにも関わらず、その内容や構成をいちいち考えてしまい、すらすら書くことがほとんどできませんでした。
このような失敗体験から言えることは何でしょうか。
もう決まりでしょう。
データ整理と、データ抽出は
必ず分けてやれ
ということです。
問題を解いて解説を聞く。これはデータ抽出の時間です。だから、解いて、話を聞いて理解することに全力を集中すべき
です。
ここに、綺麗なノートを取るという「データ整理」が入り込んでしまうと、たちまち問題点の理解というデータ抽出の効率が落ちてしまいます。そうなると、せっかくきちんと取ったノートも、後で見たら「なんだっけこれ?」ということになり、無駄な努力に終わってしまうのです。
これを防ぐには、「データ抽出」と「データ整理」の時間を、可能な限り分ける
しかありません。
全くノートを取らない、ということは無茶です。だから、ノートを取るのはなるべく単純な作業に絞るのです。
具体的に言うと、
●色は一色だけ
●字は綺麗に書かない
●色分け、飾りなど言語道断
●何かわかったことや聞き取れたことは全て書く
という3点を必ず守ってください。
特に、中学生のみなさんは、国語の授業では、先生が喋っていることは全て書き取るくらいのつもりでいてください。
国語の授業ではここは、こういう意味なんだよというようなことを、先生がよく口にします。そして、それがよくテストにも出るのです。そういうことを聞き漏らさないためにノートというのは取るのです。
後から馬鹿の一つ覚えのようにワークブックをやっていても点数は上がりません。ぜひ、先生のちょっとした話を書き取るようにしてください。
そうしておいて、後からそのノートを整理します。
たくさん取ったノートの中には、無駄な記述もあります。また、すでに頭に入っているものもあるし、重要度も違うでしょう。それを整理し直すだけでも、立派な復習になるじゃありませんか。
そこに来て、先生が授業で言ったことを思い出せれば、完璧です。
さらに、詰めとして、そのノートを試験前に何回か見直すようにすれば、間違いなく成績は上がります。
試験前だけ勉強している「フツーの生徒」は、だいたいが「データ抽出」と「データ整理」をいっぺんにやろうとして、どんどん自分の首を絞めてしまいます。例えば、冬休みが終わってから慌てて過去問をやったり、社会の年号を丸暗記しているような生徒は、だいたい落ちます。
これに対して、普段から、抽出したデータを整理しておくクセのついている受験生は、それを見直すだけでいいのです。脳味噌の良し悪しが同じだとしたら、どちらの方が成果が出やすいか、言うまでもありません。
こういうことを言うと、必ずこういう反論が出てきます。
それは、「成績のいい○○ちゃんは、授業中にきちんとノートをとっている。自分もそれを真似しているだけだ」というものです。
そういう人には、逆に私から以下のような質問をしたいです。
○○ちゃんとあなたは、頭の作りや性格が全く同じなのか?
○○ちゃんと同じやり方をして、成績が上がったのか?
頭のいい人の真似をしてはいけません。もともとの記憶力や理解力がずば抜けていれば、多少無駄なことをやっていてもいい成績が取れたりします。覚えるべき事柄と比べて、脳味噌の出来が圧倒的に有利だからです。そういう場合は、「データ抽出」と「データ整理」をいっぺんにやっても破綻しないのです。
しかし、そういう人に限って、大学入試や、国家Ⅰ種公務員・司法試験といった難しい試験で失敗します。高校入試などと比べて、処理すべき情報量が圧倒的だからです。
逆に言えば、大学入試くらいなら、上に書いたようなノートの取り方など、地味ですが確実に結果を出せるやり方を貫けば合格できます。
漫画の「ドラゴン桜」は、決して誇張や嘘ではないということです。
頭がいい「だけ」の人の真似をして一緒に転落するか、自分のやり方をしっかり反省し、頭のいい人との差を認めてコツコツやっていくか。
まずは、ノートの活用法から変えてみませんか?
今日は、勉強法の中でも、ノートの徹底活用法を述べてみたいと思います。
非常に嫌な言い方ですが、「この子は多分成績は伸びないな」という生徒は、私にはすぐにわかります。
一つは、「話を聞いていない生徒」ですが、もう一つは、話題が変わっているのにまだ前のことのノートを取っている生徒です。
その生徒が鈍い、ということではありません。そういう生徒は、字も綺麗なことが多いです。それに、取ったノートが結構きちんと整理されていて、見やすかったりします。
しかし、実は、それが落とし穴だったりするのです。
授業中にノートを一生懸命取っている生徒がよくないのは、「データ抽出」と「データ整理」を、いっぺんに実行してしまっているからです。
「データ抽出」というのは、自分が知らない知識や、誤解しているポイントを認識し、理解することです。
また、「データ整理」というのは、抽出したものを後で使えるように加工し、集約することです。
この二つの作業は、似ているようで全く違います。
「データ抽出」はどちらかというと、何かを見たり聴いたりする必要があるのに対して、「データ整理」は、そういうものを取捨選択していく作業です。これをいっぺんにやろうとすると、どういうことになるか。
答は簡単です。どちらも中途半端に終わってしまうのです。
私も一応、「受験生」なので(※2007年で廃業(笑)しました)、これは自分の所行を振り返って大いに反省すべき点があります。
問題集を解いて、知らないことを見つけたり、あやふやだったり誤解していたりする知識を再認識する。それ自体は必ず必要な作業です。
そして、その後にすぐ、わかったことをカードにまとめるようにしていました。実は、これがいけなかったのです。
後から振り返って見ると、あまり重要でないものと、そうでないものを、一緒くたにしてカードに記録してしまっていたのです。そうなると、後で見直すときに「これはどれが大事なんだ?」と首をひねることが何度もありました。
つまり、「データ整理」が機能していないことがよくあったのです。
しかも、それが「データ抽出」の方にまで悪影響を及ぼしてきました。とにかく問題を沢山解くべきときに、出てきたものを理解しようと必死になってしまうため、たくさんの問題に当たることができなくなってしまったのです。
そうなると、試験本番を穴が出来た状態で迎えてしまう。その焦りたるや、もうここでは形容しがたいものがあります。
面白いことに、そういう穴の開いたところが一番出題されるものなのです。先日の試験も、「これ、見たことあるんだけど」という問題が多いのにも関わらず、その内容や構成をいちいち考えてしまい、すらすら書くことがほとんどできませんでした。
このような失敗体験から言えることは何でしょうか。
もう決まりでしょう。
データ整理と、データ抽出は
必ず分けてやれ
ということです。
問題を解いて解説を聞く。これはデータ抽出の時間です。だから、解いて、話を聞いて理解することに全力を集中すべき
です。
ここに、綺麗なノートを取るという「データ整理」が入り込んでしまうと、たちまち問題点の理解というデータ抽出の効率が落ちてしまいます。そうなると、せっかくきちんと取ったノートも、後で見たら「なんだっけこれ?」ということになり、無駄な努力に終わってしまうのです。
これを防ぐには、「データ抽出」と「データ整理」の時間を、可能な限り分ける
しかありません。
全くノートを取らない、ということは無茶です。だから、ノートを取るのはなるべく単純な作業に絞るのです。
具体的に言うと、
●色は一色だけ
●字は綺麗に書かない
●色分け、飾りなど言語道断
●何かわかったことや聞き取れたことは全て書く
という3点を必ず守ってください。
特に、中学生のみなさんは、国語の授業では、先生が喋っていることは全て書き取るくらいのつもりでいてください。
国語の授業ではここは、こういう意味なんだよというようなことを、先生がよく口にします。そして、それがよくテストにも出るのです。そういうことを聞き漏らさないためにノートというのは取るのです。
後から馬鹿の一つ覚えのようにワークブックをやっていても点数は上がりません。ぜひ、先生のちょっとした話を書き取るようにしてください。
そうしておいて、後からそのノートを整理します。
たくさん取ったノートの中には、無駄な記述もあります。また、すでに頭に入っているものもあるし、重要度も違うでしょう。それを整理し直すだけでも、立派な復習になるじゃありませんか。
そこに来て、先生が授業で言ったことを思い出せれば、完璧です。
さらに、詰めとして、そのノートを試験前に何回か見直すようにすれば、間違いなく成績は上がります。
試験前だけ勉強している「フツーの生徒」は、だいたいが「データ抽出」と「データ整理」をいっぺんにやろうとして、どんどん自分の首を絞めてしまいます。例えば、冬休みが終わってから慌てて過去問をやったり、社会の年号を丸暗記しているような生徒は、だいたい落ちます。
これに対して、普段から、抽出したデータを整理しておくクセのついている受験生は、それを見直すだけでいいのです。脳味噌の良し悪しが同じだとしたら、どちらの方が成果が出やすいか、言うまでもありません。
こういうことを言うと、必ずこういう反論が出てきます。
それは、「成績のいい○○ちゃんは、授業中にきちんとノートをとっている。自分もそれを真似しているだけだ」というものです。
そういう人には、逆に私から以下のような質問をしたいです。
○○ちゃんとあなたは、頭の作りや性格が全く同じなのか?
○○ちゃんと同じやり方をして、成績が上がったのか?
頭のいい人の真似をしてはいけません。もともとの記憶力や理解力がずば抜けていれば、多少無駄なことをやっていてもいい成績が取れたりします。覚えるべき事柄と比べて、脳味噌の出来が圧倒的に有利だからです。そういう場合は、「データ抽出」と「データ整理」をいっぺんにやっても破綻しないのです。
しかし、そういう人に限って、大学入試や、国家Ⅰ種公務員・司法試験といった難しい試験で失敗します。高校入試などと比べて、処理すべき情報量が圧倒的だからです。
逆に言えば、大学入試くらいなら、上に書いたようなノートの取り方など、地味ですが確実に結果を出せるやり方を貫けば合格できます。
漫画の「ドラゴン桜」は、決して誇張や嘘ではないということです。
頭がいい「だけ」の人の真似をして一緒に転落するか、自分のやり方をしっかり反省し、頭のいい人との差を認めてコツコツやっていくか。
まずは、ノートの活用法から変えてみませんか?
私はラーメンが本当に好きで、遠くまで食べに行くことが
よくあります。
福島県の喜多方というところも有名ですが、関東近県なら
何と言っても栃木の「佐野ラーメン」でしょう。
佐野に行くのは今回が3度目です。1度目は失敗、
2度目はやや成功、そして今回は入念に下調べして出陣。
写真は1軒目の「おぐら屋」のものです。
佐野市街から北西に少し行った場所にあるお店です。
店の外の駐車場には県外ナンバーがいっぱいでした。
チャーシュー麺を頼んだのですが、これがおいしい!!
味はさっぱりしています。麺は本物の手打ちでもちもちです。
2軒目は、「とかの」という人気のある店に行きました。
佐野駅の近くで行列している店なので、すぐに分かります。
味は、おぐら屋に比べると少し塩辛い、麺も硬めです。
こちらも充分においしいのですが、
私としては、軍配はおぐら屋に上げたいですね。
(「とかの」に行くまでにかなり時間が経っている上
朝を抜いているので、ハンデはないと思いますが・・・)
さて、勉強をしたくない人には、単純に
「努力をするのが嫌だ」という人もかなり多いのだと思います。
私が担当する生徒にも、そういうことを明示、黙示に訴える
やつが結構います。
こう言うときに、大人としてはどう接するべきなのでしょうね?
まず、自分自身が「なぜ努力をするのか」
明確に知っておくことだと思います。
ここで大切なのは、
「自分のやりたいことや夢を実現するため」
という、よくあるいいわけを持ち出さないことです。
なぜかというと、「自分のやりたいこと」というのは、学校の
勉強とあまり関係がないことが多いからです。
子供に聞くと、特に中学生などは「夢がない」という答えが
返ってくることが多いです。
(最近は馬鹿らしくて聞いていませんが)
当たり前だと思います。
Jリーガーになるとか、パイロットになるとかいう夢が
実現不可能だということは、どんな子供でも中学生に
なるころにはわかることだからです。
あっても、恥ずかしくて言えないということもあるでしょうね。
だから、そういう側面に訴えかけようとしても、
勉強とうまく結びつかないということが多い。
また、「受験があるから」というのも、問題があります。
中3の2学期であれば、少しは言ってみてもいいと思います。
しかし、いつもいつも受験の存在で子供を脅すのは、
やり方としてはかなりダメな部類に入ります。
子供としては、「受かればいいんだろ」とか、
「他の子はまだやっていないから」という風に、言い逃れが
いくらでも出来てしまうのです。
それに、我々のように職業として受験指導をしている人間は
失敗例を沢山知っていますから、今の君の様子だとこうなる
ということを具体的に話せます。
しかし、普通の親御さんはどうでしょうね?
きっと自分の受験を思いだしつつ、
冷や汗もので言葉をひねり出すのがやっとと思います。
一番いいのは、私が再三述べているように、
「受験を通じて獲得するものが今後の生活には必要だ」
という主張だと思います。
復習すると、理解力・事務処理能力、持続力でしたね。
そして、子供に対してねばり強く働きかけることも大事です。
前にも言いましたが、1回言って直ったら奇跡です。
3回4回でも早すぎるくらいです。せいぜい10回、
10回で少しは変化が見えてきます。
それに、一度うまく行っても少し立つとまた・・・
ということがあると思いますから、
何かの節目(通知表を持ってきたりとか、テストの後)
でもう一度話をしてみるというのは大切です。
気の長い話ですが、子供と付き合うというのは
そういうことです。
「何度言ってもわからないなんてあんたは・・・」
などと言うのは、死ぬまでとっておくべきセリフです。
ただし、ここで大人が
「自分は何かよくないことをしているのではないか?」
などと思ったら負けです。
子供はそういう大人の自信の欠如を直感的に感じる天才です。
「ガキになめられてたまるか」という気持ちを持たなくては
いけません。
そんな面倒なことをなぜしなくてはならないのか、という
疑問はもっともです。
しかし、そもそも仕事をして社会生活を営むことは
かなり面倒なことなのです。
あいさつや言葉遣いもそうですし、うまく行かないときの
対処の仕方、我慢の仕方、トラブルの事後処理・・・
面倒なことはいっぱいあります。
それに対応できるだけの心の準備をさせることが、
親御さんや教育機関の役目だと私は思います。
よく、日本の学生は教えられたことは良くできるが、
想像力や自己主張が足りない、という
「もっともらしい」主張をする人たちがいますよね。
だから、受験的な勉強なんてやめて、ディベートだとか
フィールドワークの発表みたいな、もっと知的で、
創造的なことをやれ、と。
私に言わせてもらえば、そんな知的で創造的な
ことこそ、世の中に出て何の役に立つのか疑問です。
まさか、上司に給料や仕事内容のことでディベートを
挑んだりしろ、とでもいうのでしょうか(笑)
そんなことより、人が話をしているときはきちんと
聴くとか、言われたことは期限内にやるとか、
そういうことの方がよほど大事なのではありませんか?
今の学校は、そういうことすら放棄しているのです。
話もろくに聞けない子供に「創造的な」ことなど
できるわけがありません。
社会生活は芸能活動やスポーツではないのです。
やることは、「基本」でいいのです。
創造性や自主性を尊重するという親御さんも
いらっしゃると思いますが、
当たり前のことができてこその自主性なのだと
いうことを是非知っておいてください。
どうも、華やかで創造的なことだけが「仕事」で
地道にコツコツやることが馬鹿馬鹿しいという風潮が
あるようですが、実際の社会にある仕事は
ほとんどが地道な仕事です。
それに耐えうるような準備をさせるのが重要です。
私は、子供がノーベル賞を獲っても、人に
あいさつも出来ず、共同研究者をないがしろにして
自分の功績ばかり評価されたがるような大人だったら、
怒鳴り(殴り)つけて、考えを改めるよう命じるつもりです。
そんなことを言えるのは、親だけです。
親御さんというのは、親というだけで、実はすごい存在なのです。
みんなが勉強を好きになるとは思いませんが、
すくなくとも「これはやっておかないとだめだ」と
思う人が増えれば、嬉しいことです。
私も、自分のできることからコツコツ精進してまいります。それでは
よくあります。
福島県の喜多方というところも有名ですが、関東近県なら
何と言っても栃木の「佐野ラーメン」でしょう。
佐野に行くのは今回が3度目です。1度目は失敗、
2度目はやや成功、そして今回は入念に下調べして出陣。
写真は1軒目の「おぐら屋」のものです。
佐野市街から北西に少し行った場所にあるお店です。
店の外の駐車場には県外ナンバーがいっぱいでした。
チャーシュー麺を頼んだのですが、これがおいしい!!
味はさっぱりしています。麺は本物の手打ちでもちもちです。
2軒目は、「とかの」という人気のある店に行きました。
佐野駅の近くで行列している店なので、すぐに分かります。
味は、おぐら屋に比べると少し塩辛い、麺も硬めです。
こちらも充分においしいのですが、
私としては、軍配はおぐら屋に上げたいですね。
(「とかの」に行くまでにかなり時間が経っている上
朝を抜いているので、ハンデはないと思いますが・・・)
さて、勉強をしたくない人には、単純に
「努力をするのが嫌だ」という人もかなり多いのだと思います。
私が担当する生徒にも、そういうことを明示、黙示に訴える
やつが結構います。
こう言うときに、大人としてはどう接するべきなのでしょうね?
まず、自分自身が「なぜ努力をするのか」
明確に知っておくことだと思います。
ここで大切なのは、
「自分のやりたいことや夢を実現するため」
という、よくあるいいわけを持ち出さないことです。
なぜかというと、「自分のやりたいこと」というのは、学校の
勉強とあまり関係がないことが多いからです。
子供に聞くと、特に中学生などは「夢がない」という答えが
返ってくることが多いです。
(最近は馬鹿らしくて聞いていませんが)
当たり前だと思います。
Jリーガーになるとか、パイロットになるとかいう夢が
実現不可能だということは、どんな子供でも中学生に
なるころにはわかることだからです。
あっても、恥ずかしくて言えないということもあるでしょうね。
だから、そういう側面に訴えかけようとしても、
勉強とうまく結びつかないということが多い。
また、「受験があるから」というのも、問題があります。
中3の2学期であれば、少しは言ってみてもいいと思います。
しかし、いつもいつも受験の存在で子供を脅すのは、
やり方としてはかなりダメな部類に入ります。
子供としては、「受かればいいんだろ」とか、
「他の子はまだやっていないから」という風に、言い逃れが
いくらでも出来てしまうのです。
それに、我々のように職業として受験指導をしている人間は
失敗例を沢山知っていますから、今の君の様子だとこうなる
ということを具体的に話せます。
しかし、普通の親御さんはどうでしょうね?
きっと自分の受験を思いだしつつ、
冷や汗もので言葉をひねり出すのがやっとと思います。
一番いいのは、私が再三述べているように、
「受験を通じて獲得するものが今後の生活には必要だ」
という主張だと思います。
復習すると、理解力・事務処理能力、持続力でしたね。
そして、子供に対してねばり強く働きかけることも大事です。
前にも言いましたが、1回言って直ったら奇跡です。
3回4回でも早すぎるくらいです。せいぜい10回、
10回で少しは変化が見えてきます。
それに、一度うまく行っても少し立つとまた・・・
ということがあると思いますから、
何かの節目(通知表を持ってきたりとか、テストの後)
でもう一度話をしてみるというのは大切です。
気の長い話ですが、子供と付き合うというのは
そういうことです。
「何度言ってもわからないなんてあんたは・・・」
などと言うのは、死ぬまでとっておくべきセリフです。
ただし、ここで大人が
「自分は何かよくないことをしているのではないか?」
などと思ったら負けです。
子供はそういう大人の自信の欠如を直感的に感じる天才です。
「ガキになめられてたまるか」という気持ちを持たなくては
いけません。
そんな面倒なことをなぜしなくてはならないのか、という
疑問はもっともです。
しかし、そもそも仕事をして社会生活を営むことは
かなり面倒なことなのです。
あいさつや言葉遣いもそうですし、うまく行かないときの
対処の仕方、我慢の仕方、トラブルの事後処理・・・
面倒なことはいっぱいあります。
それに対応できるだけの心の準備をさせることが、
親御さんや教育機関の役目だと私は思います。
よく、日本の学生は教えられたことは良くできるが、
想像力や自己主張が足りない、という
「もっともらしい」主張をする人たちがいますよね。
だから、受験的な勉強なんてやめて、ディベートだとか
フィールドワークの発表みたいな、もっと知的で、
創造的なことをやれ、と。
私に言わせてもらえば、そんな知的で創造的な
ことこそ、世の中に出て何の役に立つのか疑問です。
まさか、上司に給料や仕事内容のことでディベートを
挑んだりしろ、とでもいうのでしょうか(笑)
そんなことより、人が話をしているときはきちんと
聴くとか、言われたことは期限内にやるとか、
そういうことの方がよほど大事なのではありませんか?
今の学校は、そういうことすら放棄しているのです。
話もろくに聞けない子供に「創造的な」ことなど
できるわけがありません。
社会生活は芸能活動やスポーツではないのです。
やることは、「基本」でいいのです。
創造性や自主性を尊重するという親御さんも
いらっしゃると思いますが、
当たり前のことができてこその自主性なのだと
いうことを是非知っておいてください。
どうも、華やかで創造的なことだけが「仕事」で
地道にコツコツやることが馬鹿馬鹿しいという風潮が
あるようですが、実際の社会にある仕事は
ほとんどが地道な仕事です。
それに耐えうるような準備をさせるのが重要です。
私は、子供がノーベル賞を獲っても、人に
あいさつも出来ず、共同研究者をないがしろにして
自分の功績ばかり評価されたがるような大人だったら、
怒鳴り(殴り)つけて、考えを改めるよう命じるつもりです。
そんなことを言えるのは、親だけです。
親御さんというのは、親というだけで、実はすごい存在なのです。
みんなが勉強を好きになるとは思いませんが、
すくなくとも「これはやっておかないとだめだ」と
思う人が増えれば、嬉しいことです。
私も、自分のできることからコツコツ精進してまいります。それでは
理屈っぽい話ばかりでは書いている方も疲れる
ので、ちょっと画像など載せてみました。
日曜日、非常に天気が良かったので、バイクで
栃木県の足利市に行ってきました。
森高千里が歌っていた曲に、「渡良瀬橋」という
のがありました(最近、松浦亜弥がカバーしました)が
渡良瀬橋というのは、実在するんですね。
上のはその時の写真です。
「どうせ、渡良瀬川にかかってる橋だからってんで
適当に作ったんだろー」と思っていましたが、
大間違いでしたね。恥ずかしい限りです。
帰りに隣町の佐野市に行って、名物のラーメンを食べて
帰りました。2軒寄りましたが、おいしかったです。
その画像はまた次回アップいたします。
さて、今回もあまり穏やかなテーマではありませんね。
しかも、2回続きです・・・。しかし、避けては通れない
ところなので、是非お付き合いください。
前回も述べましたが、勉強の利点は、社会に出てから
どんな職業でも必要とされる「理解力」や「事務処理能力」
「持続力」を子供が身につけるのに最も適していることです。
それが必要かどうかは、議論の余地はありません。
「そんなもん要らない」という(中学時代の私のような)人は
ただの天の邪鬼です。
問題は、なぜ必要なのにも関わらず、勉強を好きだという
人間がほとんどいないのか、という事です。
これには、二つの側面があると思われます。
まず、一つは、「学校の勉強が役に立たない」ということです。
「関数や方程式が社会に出て何の役に立つのか」とか、
「英語を知らなくても私は日本人だから困らない」とかいう
よくある弁解を思い浮かべてください。
これらの言い分は、なかなかいい点を突いています。
実用性という観点から言えば、小中学校で教える各科目は
覚えたからと言って収入や地位につながるような
要素はありません。
しかし、特に初等・中等教育の勉強は、その科目の知識
そのものを修得としているわけではありません。
理解力や事務処理能力といった、後々つぶしが利く
能力を、その科目を通じて身につけることです。
これは、前回詳しく述べたとおりです。
しかも、国数英理社というのは、どの学問でも出発点に
なっている「基礎知識」です。もし、何らかの形で
もっと進んだ勉強が必要になったとき、その勉強で
つかんだ自信や方法論は、応用できる可能性が
高いのです。
算数が得意なら、簿記が得意になる可能性が高いという
のがその例です。
はい、わかっていますよ。おそらくここで、こういう
反論が出てくるに決まっていますね。
「自分が好きなものを仕事にすればいいのであって、
そのために役に立たないものをやる必要はない」
子供はよく口にしますね。もっとも、最近は大人でも
こういう考えの人がたくさんいますが・・・。
これに反撃するのは簡単です。
好きなものを仕事にするときでも、勉強を通じて
(この「通じて」というところがポイントです!!)
身につけるものがなければ、仕事として成り立たない
ということです。
それに、夢が実現しなかった場合のことを考えて
いないというのもまずいですね。
「自分は事故らないから平気平気♪」と、任意保険に
入らずに車を運転しているのと同じで、
向こう見ずにも程があります。
事故を起こしてから泣かれても、助けようがありません。
そうは言っても、私は現行の学校教育に間違いがない
などとは決して思ってはいません。
しかし、学校や先生に対して向けられる批判の多くは、
正直言って「的外れ」だとも思っています。
勉強の中身が面白くないとか、実社会で役に立たない
とか、そもそも学校の勉強など不要だとかいった
批判をしても、あまり意味がないのです。
勉強を通じて理解力や事務処理能力を身につけるという
勉強本来の目的が失われているという点を
批判すべきなのです。
私は、塾で教えながら、
「自分がやっていることは、非生産的で無意味な作業
の押しつけだ」などと考えていた時期がありました。
しかし、何のことはない、
そうやって自分に言い聞かせれば、結果が出なくても
いいわけができるから、そっちの方が楽なだけです。
「自分は子供に強制などしたくない」というような
理由でも付ければ、もっともらしく聞こえますが、
勉強をさせることから逃げていただけです。
だいいち、自分の子供時代を振り返ってみてください。
(「現役」の生徒さんは、今現在の自分でいいです)
教師に「やれ」と言われないで、
自分で進んで九九を覚えましたか?
漢字を自分から好きこのんで練習して覚えていましたか?
私は、教育を行う以上、強制というのは避けられない
ことだと信じています。
しかし、それは同時に、「意味のある強制」でなくては
ならないとも思っています。
勉強する目的は、社会に出てからどこへ行っても
恥をかかないような能力をつけることです。
この目的を達成できないような授業のやり方や、
宿題の出し方はすべきではないということです。
そう言うと、「おまえは入試という目的があるから
そんな気楽なことを言っていられるんだ」と言われる
かもしれませんが、学校の勉強には
私が前回に述べたような立派な目的があるのです。
実は、入試の勉強も、遠回りのように見えますが、
結局は理解力、事務処理能力、持続力をつければ
よいというのは、普通の学校の勉強と同じなのです。
親も、教師も、なぜ、それをちゃんと示さないのでしょうね?
恥ずかしいことなど何もないはずでしょう?
それが自信を持って言えないというのは、
自分でもどこかで「勉強なんてしなくてもいい」と
思っているからではありませんか?
そうすれば、子供のふてくされた顔を見なくてすむし、
「物わかりのいい」大人だと思われそうだからじゃないですか?
勉強に意味があるということは、よくわかった・・・
それでも、勉強したくない、という人はいるはずです。
それは、勉強が嫌われるもう一つの側面、すなわち、
「できるなら苦労をしたくない」という心理が働いているから
です。
これは、ただ努力しろ、と言えば済むような問題では
ありません。この問題については、また次回詳しく述べます。
ので、ちょっと画像など載せてみました。
日曜日、非常に天気が良かったので、バイクで
栃木県の足利市に行ってきました。
森高千里が歌っていた曲に、「渡良瀬橋」という
のがありました(最近、松浦亜弥がカバーしました)が
渡良瀬橋というのは、実在するんですね。
上のはその時の写真です。
「どうせ、渡良瀬川にかかってる橋だからってんで
適当に作ったんだろー」と思っていましたが、
大間違いでしたね。恥ずかしい限りです。
帰りに隣町の佐野市に行って、名物のラーメンを食べて
帰りました。2軒寄りましたが、おいしかったです。
その画像はまた次回アップいたします。
さて、今回もあまり穏やかなテーマではありませんね。
しかも、2回続きです・・・。しかし、避けては通れない
ところなので、是非お付き合いください。
前回も述べましたが、勉強の利点は、社会に出てから
どんな職業でも必要とされる「理解力」や「事務処理能力」
「持続力」を子供が身につけるのに最も適していることです。
それが必要かどうかは、議論の余地はありません。
「そんなもん要らない」という(中学時代の私のような)人は
ただの天の邪鬼です。
問題は、なぜ必要なのにも関わらず、勉強を好きだという
人間がほとんどいないのか、という事です。
これには、二つの側面があると思われます。
まず、一つは、「学校の勉強が役に立たない」ということです。
「関数や方程式が社会に出て何の役に立つのか」とか、
「英語を知らなくても私は日本人だから困らない」とかいう
よくある弁解を思い浮かべてください。
これらの言い分は、なかなかいい点を突いています。
実用性という観点から言えば、小中学校で教える各科目は
覚えたからと言って収入や地位につながるような
要素はありません。
しかし、特に初等・中等教育の勉強は、その科目の知識
そのものを修得としているわけではありません。
理解力や事務処理能力といった、後々つぶしが利く
能力を、その科目を通じて身につけることです。
これは、前回詳しく述べたとおりです。
しかも、国数英理社というのは、どの学問でも出発点に
なっている「基礎知識」です。もし、何らかの形で
もっと進んだ勉強が必要になったとき、その勉強で
つかんだ自信や方法論は、応用できる可能性が
高いのです。
算数が得意なら、簿記が得意になる可能性が高いという
のがその例です。
はい、わかっていますよ。おそらくここで、こういう
反論が出てくるに決まっていますね。
「自分が好きなものを仕事にすればいいのであって、
そのために役に立たないものをやる必要はない」
子供はよく口にしますね。もっとも、最近は大人でも
こういう考えの人がたくさんいますが・・・。
これに反撃するのは簡単です。
好きなものを仕事にするときでも、勉強を通じて
(この「通じて」というところがポイントです!!)
身につけるものがなければ、仕事として成り立たない
ということです。
それに、夢が実現しなかった場合のことを考えて
いないというのもまずいですね。
「自分は事故らないから平気平気♪」と、任意保険に
入らずに車を運転しているのと同じで、
向こう見ずにも程があります。
事故を起こしてから泣かれても、助けようがありません。
そうは言っても、私は現行の学校教育に間違いがない
などとは決して思ってはいません。
しかし、学校や先生に対して向けられる批判の多くは、
正直言って「的外れ」だとも思っています。
勉強の中身が面白くないとか、実社会で役に立たない
とか、そもそも学校の勉強など不要だとかいった
批判をしても、あまり意味がないのです。
勉強を通じて理解力や事務処理能力を身につけるという
勉強本来の目的が失われているという点を
批判すべきなのです。
私は、塾で教えながら、
「自分がやっていることは、非生産的で無意味な作業
の押しつけだ」などと考えていた時期がありました。
しかし、何のことはない、
そうやって自分に言い聞かせれば、結果が出なくても
いいわけができるから、そっちの方が楽なだけです。
「自分は子供に強制などしたくない」というような
理由でも付ければ、もっともらしく聞こえますが、
勉強をさせることから逃げていただけです。
だいいち、自分の子供時代を振り返ってみてください。
(「現役」の生徒さんは、今現在の自分でいいです)
教師に「やれ」と言われないで、
自分で進んで九九を覚えましたか?
漢字を自分から好きこのんで練習して覚えていましたか?
私は、教育を行う以上、強制というのは避けられない
ことだと信じています。
しかし、それは同時に、「意味のある強制」でなくては
ならないとも思っています。
勉強する目的は、社会に出てからどこへ行っても
恥をかかないような能力をつけることです。
この目的を達成できないような授業のやり方や、
宿題の出し方はすべきではないということです。
そう言うと、「おまえは入試という目的があるから
そんな気楽なことを言っていられるんだ」と言われる
かもしれませんが、学校の勉強には
私が前回に述べたような立派な目的があるのです。
実は、入試の勉強も、遠回りのように見えますが、
結局は理解力、事務処理能力、持続力をつければ
よいというのは、普通の学校の勉強と同じなのです。
親も、教師も、なぜ、それをちゃんと示さないのでしょうね?
恥ずかしいことなど何もないはずでしょう?
それが自信を持って言えないというのは、
自分でもどこかで「勉強なんてしなくてもいい」と
思っているからではありませんか?
そうすれば、子供のふてくされた顔を見なくてすむし、
「物わかりのいい」大人だと思われそうだからじゃないですか?
勉強に意味があるということは、よくわかった・・・
それでも、勉強したくない、という人はいるはずです。
それは、勉強が嫌われるもう一つの側面、すなわち、
「できるなら苦労をしたくない」という心理が働いているから
です。
これは、ただ努力しろ、と言えば済むような問題では
ありません。この問題については、また次回詳しく述べます。
勉強の目的を考える前に、こんなことを考えてみます。
どうして、さんざん学校教育や不毛な受験勉強の弊害が
指摘されているのに、それがいまだに人間を選別する
手段として用いられているのでしょうか?
勉強ができないという自覚のある人には申し訳ないのですが、
それは、勉強が出来る人間の方が、そうでない人間よりも
ある集団や組織の中で力を伸ばす可能性があるからです。
現在社会にある職業の多くは、「理解」と「事務処理」
それに、「一定の持続力」基礎として成り立っているものが
ほとんどだということは、重要なことです。
たとえば、上司からの命令や、客からの注文があれば、
その内容を間違いなく理解しなくてはならない。
それは、たとえ芸能人であっても、スポーツ選手であっても
市役所職員であっても変わらないでしょう。
理解するというのは、「言うことをはいはい聞く」という
ことではありませんよ。
相手は何をしてもらいたがっているのかということを
認識することです。
これが「理解」という側面です。
また、上のような要求があったとき、間違いなく仕事を
しなければ、意味がないのはおわかりでしょう。
時間や期限を守れないようなデザイナーに、仕事を頼む
馬鹿はいません。一度仕事を頼まれたら、望むように
それを仕上げる手際の良さ、素早さが必要なのです。
これが、「事務処理」の側面です。
それに、ある職業を勤めるというのは、同じことの
繰り返しですから、一度だけうまくいってもだめです。
同じレベルのことを実行し続けなければならないのです。
スポーツでも、その集団の中で、飛び抜けて上手でもなく、
天才的なひらめきがあるわけでもないのに
レギュラーでプレーし続けている選手
(日本代表でいうと、福西や中澤)
がいます。
そういった選手は、いつも同じようなことが
できるんですね。だから、使う側としても有り難い。
だから、「持続力」は必要なのです。
つまり、ある職業を滞りなく遂行するためには、
人の話を間違いなく理解し、
それをその通り実行し続ける作業が、どうしても
必要になってくるのです。
もっとも、それを純粋に身につけるということは、
大変なことでしょう。
「何が事務処理か」などと考えて、それを身につけようと
している人などいないはずです。
ところが、勉強をするという行為には、それらの要素が
全て含まれているのです。
テストがあったとすると、そのテストに合格するためには
どの程度の学力が必要なのかをまず理解しなくてはなり
ません。
そして、それに合わせて勉強を間違いなく実行し
続けなければ、いい結果が出ない。
(たまに、そんなことをしなくても合格できる場合があり
ますが、そういうケースは「受かってしまった」場合と
して区別すべきだと私は思います)
もちろん、社会で必要とされることは多岐に渡るため、
受験勉強さえしていれば優秀な人間になれるという
保証はありません。
しかし、勉強でやったことを仕事に「応用」すれば、
なんとなくやるよりも絶対に効率が良くなり、
仕事の質は上がるのです。
だから、勉強がきちんとできるという人は、実際に仕事を
させてみてもうまく出来ることが多いのです。
うまくできないというのは、いろいろ原因があると
思うのですが、ほんとうにきちんと勉強して(教育を受けて)
いないというのがほとんどだと思います。
(この点は、後で詳しく述べます)
もちろん、創造的な仕事ができるかどうかは別です。
はっきり言いますが、世の中の仕事の80%以上は、
想像力がなくても、失敗から学ぶことで着実にものに
できる仕事です。
みんなが芸能人だとか作家になる必要はないのです。
「夢を持たなくては行けない」というのは、
みんなに大人物になれ、という思想を強要しているように
思いませんか。
言っている本人は何にも考えないで言っていることが
ほとんどでしょうが、私にはそう聞こえてならないのです。
そんなことより、私は、「社会に出てから何をやるに
しても人の迷惑にならないような能力を付けろ」という
ほうが正しいことだと思います。
夢や希望通りの職業に就くのは大変なことだし、
それがうまく行かなかった場合、「つぶしが利く」人間に
なることが大切です。
ヨハン・クライフというオランダ人の元サッカー選手を
ご存じですか?
本題からそれるので詳しく述べませんが、ほんとうにすごい
サッカー選手でした。
彼が、バルセロナというスペインの強豪クラブ
(あの鶏みたいな顔の「ロナウジーニョ」がいるところです。
夏にまた来日するみたいですね)で監督をしていたときのこと。
下部組織にいる若い子たちに、よく言っていたことがあります。
クライフのことだから、
「偉大な選手になれるように日々研鑽しなさい」
とか言ったのかと思うでしょう?
ところが、クライフは、子供たちに必ず
「サッカーも大事だけど、勉強もしっかりやっておきなさい」
と言っていたのだそうです。
理由をきけば単純で、サッカー選手は努力に関わらず怪我や
巡り合わせで成功できないことが多いから、ということでした。
20世紀最高のフットボーラーと言われるクライフがですよ?
「夢のために努力しろ」という言葉が、いかに無責任か
わかるでしょう!?
勉強が大切なのは、理解力、事務処理能力、持続力を
子供が(←ここが重要!)身につけるのに一番良い方法だからなのです。
だから、今でも学力試験による選抜が生き残っているのです。
それでも、勉強が嫌いでしかたがない、という人や、
受験教育は間違っているという人もいらっしゃるでしょう。
何のことはない、私も中学校の頃そう思っていた「張本人」です。
私は、今なら中学時代の私に対して、おそらく反論の
余地のない主張をすることができるような気がしています。
そこで、次回は、なぜ勉強が非難されるのかという点を扱って
みたいと思います。
どうして、さんざん学校教育や不毛な受験勉強の弊害が
指摘されているのに、それがいまだに人間を選別する
手段として用いられているのでしょうか?
勉強ができないという自覚のある人には申し訳ないのですが、
それは、勉強が出来る人間の方が、そうでない人間よりも
ある集団や組織の中で力を伸ばす可能性があるからです。
現在社会にある職業の多くは、「理解」と「事務処理」
それに、「一定の持続力」基礎として成り立っているものが
ほとんどだということは、重要なことです。
たとえば、上司からの命令や、客からの注文があれば、
その内容を間違いなく理解しなくてはならない。
それは、たとえ芸能人であっても、スポーツ選手であっても
市役所職員であっても変わらないでしょう。
理解するというのは、「言うことをはいはい聞く」という
ことではありませんよ。
相手は何をしてもらいたがっているのかということを
認識することです。
これが「理解」という側面です。
また、上のような要求があったとき、間違いなく仕事を
しなければ、意味がないのはおわかりでしょう。
時間や期限を守れないようなデザイナーに、仕事を頼む
馬鹿はいません。一度仕事を頼まれたら、望むように
それを仕上げる手際の良さ、素早さが必要なのです。
これが、「事務処理」の側面です。
それに、ある職業を勤めるというのは、同じことの
繰り返しですから、一度だけうまくいってもだめです。
同じレベルのことを実行し続けなければならないのです。
スポーツでも、その集団の中で、飛び抜けて上手でもなく、
天才的なひらめきがあるわけでもないのに
レギュラーでプレーし続けている選手
(日本代表でいうと、福西や中澤)
がいます。
そういった選手は、いつも同じようなことが
できるんですね。だから、使う側としても有り難い。
だから、「持続力」は必要なのです。
つまり、ある職業を滞りなく遂行するためには、
人の話を間違いなく理解し、
それをその通り実行し続ける作業が、どうしても
必要になってくるのです。
もっとも、それを純粋に身につけるということは、
大変なことでしょう。
「何が事務処理か」などと考えて、それを身につけようと
している人などいないはずです。
ところが、勉強をするという行為には、それらの要素が
全て含まれているのです。
テストがあったとすると、そのテストに合格するためには
どの程度の学力が必要なのかをまず理解しなくてはなり
ません。
そして、それに合わせて勉強を間違いなく実行し
続けなければ、いい結果が出ない。
(たまに、そんなことをしなくても合格できる場合があり
ますが、そういうケースは「受かってしまった」場合と
して区別すべきだと私は思います)
もちろん、社会で必要とされることは多岐に渡るため、
受験勉強さえしていれば優秀な人間になれるという
保証はありません。
しかし、勉強でやったことを仕事に「応用」すれば、
なんとなくやるよりも絶対に効率が良くなり、
仕事の質は上がるのです。
だから、勉強がきちんとできるという人は、実際に仕事を
させてみてもうまく出来ることが多いのです。
うまくできないというのは、いろいろ原因があると
思うのですが、ほんとうにきちんと勉強して(教育を受けて)
いないというのがほとんどだと思います。
(この点は、後で詳しく述べます)
もちろん、創造的な仕事ができるかどうかは別です。
はっきり言いますが、世の中の仕事の80%以上は、
想像力がなくても、失敗から学ぶことで着実にものに
できる仕事です。
みんなが芸能人だとか作家になる必要はないのです。
「夢を持たなくては行けない」というのは、
みんなに大人物になれ、という思想を強要しているように
思いませんか。
言っている本人は何にも考えないで言っていることが
ほとんどでしょうが、私にはそう聞こえてならないのです。
そんなことより、私は、「社会に出てから何をやるに
しても人の迷惑にならないような能力を付けろ」という
ほうが正しいことだと思います。
夢や希望通りの職業に就くのは大変なことだし、
それがうまく行かなかった場合、「つぶしが利く」人間に
なることが大切です。
ヨハン・クライフというオランダ人の元サッカー選手を
ご存じですか?
本題からそれるので詳しく述べませんが、ほんとうにすごい
サッカー選手でした。
彼が、バルセロナというスペインの強豪クラブ
(あの鶏みたいな顔の「ロナウジーニョ」がいるところです。
夏にまた来日するみたいですね)で監督をしていたときのこと。
下部組織にいる若い子たちに、よく言っていたことがあります。
クライフのことだから、
「偉大な選手になれるように日々研鑽しなさい」
とか言ったのかと思うでしょう?
ところが、クライフは、子供たちに必ず
「サッカーも大事だけど、勉強もしっかりやっておきなさい」
と言っていたのだそうです。
理由をきけば単純で、サッカー選手は努力に関わらず怪我や
巡り合わせで成功できないことが多いから、ということでした。
20世紀最高のフットボーラーと言われるクライフがですよ?
「夢のために努力しろ」という言葉が、いかに無責任か
わかるでしょう!?
勉強が大切なのは、理解力、事務処理能力、持続力を
子供が(←ここが重要!)身につけるのに一番良い方法だからなのです。
だから、今でも学力試験による選抜が生き残っているのです。
それでも、勉強が嫌いでしかたがない、という人や、
受験教育は間違っているという人もいらっしゃるでしょう。
何のことはない、私も中学校の頃そう思っていた「張本人」です。
私は、今なら中学時代の私に対して、おそらく反論の
余地のない主張をすることができるような気がしています。
そこで、次回は、なぜ勉強が非難されるのかという点を扱って
みたいと思います。






