さて、もう一度復習です。
官僚政治の弊害は、①勝手に仕事を作って自己増殖する(●前々回の記事を参照)ことと、②国家政策で致命的な過ちを犯しても責任を取らないこと(●前回の記事参照)です。
しつこいようですが、大切なので繰り返します。我々が絶対に防がなくてはならないのは②です。なぜなら、①は完全に阻止しようと思うと膨大なコストが生じる上、財政という重石があれば多少なりとも抑制が働くので、致命傷にならないからです。
ところが、②はどうでしょう。
官僚というのは、道具に過ぎません。やりたい放題暴れたあげく、国家が外敵に破れ、征服されれば、結局素知らぬ顔で新しい支配者にひざまづくような真似を平気でします。中国の科挙官僚がそうでしたし、前回触れた、我が国の戦時中の「革新官僚」もそうでした。
これほど良い反省材料があるにも関わらず、戦後の日本人は東条英機や帝国軍人を事後裁判的に断罪し、はては昭和天皇の責任まで追及しようとしました(●こちらのリンクは必見。昭和天皇は中国戦線拡大や英米との開戦には反対していた)。もしかしたら、革新官僚が自らの罪を隠すために、GHQの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(略称WGIP。詳しくは●こちらのブログを参照)に進んで参加したのかもしれません。そして、そのWGIPのディスインフォメーション(攪乱情報)こそが、日教組教育や反日政党・市民団体の思想的な源だったわけです。
そうだとすると、GHQの尻馬に乗った革新官僚の生き残りこそ、現代日本をおかしくした戦犯なのではないでしょうか。
もっとも、済んだことにこだわっていては前に進めません。未だに国内の「親日派」を糾弾する法律など作っているどこかの国と同じ事になってしまいます。それよりも、今後二度と革新官僚のような癌細胞が出てこないように、日本の体質を改めなくてはいけません。
そこで、以下のような提案をしておこうと思います。
1.「国策は政治家に」を確立
理由は簡単です。政治家は、国家や国民に対して責任を負っているからです。そのために選挙があり、内閣不信任や解散総選挙が憲法に規定されているのです。
ところが、官僚が失敗を犯しても、誰が責任を取ったのか全くわかりません。耐震偽装の問題で、姉葉だとか小嶋だとかいう連中は、国会でつるし上げを食らったり、一級建築士資格を奪われたりしたのに、所轄官庁である国土交通省の役人がクビになったという話は全く聞きません。一事が万事、こんな感じです。
そういう人々に、倫理に訴えて不正を防ぐようなやり方は全く意味がありません。たとえるなら、何回万引きしても、警官が交番で説教しておしまいになるのと同じです。
だからこそ、政策決定は全て、それが無理なら国家の重要な施策(外交・軍事・教育・移民問題など)については、政治家が全て判断し、その判断について責任を負うべきです。官僚は、それを言われたとおりに処理すればいいというだけです。
これを実現するには、国家行政組織法の第1条に、「国家の基本方針の画定並びに実質的な政治判断は、内閣総理大臣並びに国務大臣が行うものとし、行政組織の各構成員はこれに忠実に従わなければならない」という第2項を追加するのです。憲法には、「全体の奉仕者」(15条2項)という曖昧な文言しかないからです。
2.「首相公選制」を導入する
この制度を導入するのは、内閣がコロコロ変わることによって、政治家側の継続性が無くなることを防ぐためです。満州事変から敗戦までの15年で、16もの内閣が成立したというのは、どう考えても異常です。これでは、官僚に主導権を握られるに決まっています。我が国も、中曽根内閣や佐藤内閣、さらには小泉内閣のような一部の例外を除いて、ほとんどが短命内閣です。これを防ぐには、今の統治システムを修正するしかありません。
問題は、いわゆる「ねじれ現象」(首相の所属会派と議会の多数派とが異なること)が起こる点です。それを防ぐには、首相公選だけでなく、「内閣不信任」について定めた69条も合わせて改正するしかありません。具体的には、①信任・不信任決議は就任後2年以内はできないものとし、②国会の解職発議の後、国民投票で過半数を獲得する必要があると定める、といった方法が考えられます。
人気投票に堕するのでは・・・などという憲法学者もいますが、「じゃあ公選大統領制の国の大統領はみんな馬鹿揃いなんですね?」と反論すればいいだけの話です。
3.政策立案は首相官邸で
これについては、橋本政権のころの行革法案で結構前進しています。(●こちらのリンクを参照)今の国家予算は、財務省原案でも内閣の方針に従わなくてはいけませんし、基本方針も「骨太の方針」といった形で、(内容の当否は別として)打ち出しています。小泉首相が活躍できるフォーマットは、10年ほど前に既に出来ていたのです。
これを今後はさらに押し進めていくことが必要です。出来るなら、年功序列になっている高級官僚の人事を、完全に内閣総理大臣のものにすることです。そうすれば、●こういう売国奴のような官僚を簡単に排除できます。何度も言いますが、官僚は「道具」なのです。持ち主の寝首を掻くような真似をする「道具」など、さっさと捨てられるようにすべきです。
4.民間のシンクタンクをたくさん作らせる
これが今回の目玉です。
狙いは、民間にも、官僚や政府の外郭団体に対抗できるほどの専門知識のある人間をストックしておくことにあります。
シンクタンクではデータの分析や政策に関するレポートを作ったりしていますが、こういう機関が増えることによって、専門知識を利用できる政治家が増えることになります。地方議会議員や、財力のない自治体には有益な話でしょう。多数の秘書を抱えなくても、政策立案や意識調査、データ分析を外注できるからです。
今の政治の現場では、政治家が官僚を押さえ込みたくても、実際の資料や専門知識は官僚に分けてもらっているのが現状なのです。よく勉強している●こちらのような議員さんもいらっしゃいますが、個人の努力では限界があるのもまた事実です。その時に、手足となって仕事をしてくれる組織があれば、議員の方は「司令塔」として、もっと幅のある仕事をこなすことができます。
また、民間シンクタンクが多数できれば、行き場の無くなっている高学歴の無職者(社会科学系のオーバードクターや、司法試験の受験回数を使い果たした法科大学院卒業生など)に、やりがいのある仕事を与えることができるというメリットもあります。福祉だけのシンクタンク、教育だけのシンクタンク、財務や税制だけのシンクタンク、総合的なシンクタンク・・・いろいろな形態があっていいでしょう。重要なのは、公務員になるための試験があまり得意ではないけれど、政治の現場でやりがいのある仕事をしたいという人材を拾うことです。
そういう場所で実務経験を積むことで、政治家になるための準備を積むこともできますし、昵懇になっている政治家とともに成長しステージを上げていくこともできます。そういうシンクタンクが切磋琢磨していく中で、明日から副大臣になってもいいような人材が育っていくことも期待できます。
では、どうやってシンクタンクを増やすですが、法律を作って「政策法人」という全く新しい法人組織を認めるというのはどうでしょうか?その際は、税制の優遇や、設立の簡易化といった特典を付けるのです。
政策法人の利点は、以下の通りです。
①NPO(非営利法人)と違い、企画立案・
データ分析などで営利活動をしてよい
②政治家の講演会と違い、契約に基づいて
政治家をサポートできる
③官僚とのコネが無い「未経験者」でも、
政治の世界に参入できる
①については、単純に失業対策です。雑誌の特集記事などを請け負ったりしてもいいですし、書籍を販売してもいいでしょう。もっとも、政治言論と関係ない業務は禁止すべきです(特に、脱税に使われないよう、土地や有価証券、高額の耐久消費財は取得したら届出を義務づける)。
②については、使えなければ切るという関係でいられるので、「縁故」ではなく「内容」で勝負できる利点があります。既存の後援会組織を利用したい政治家は、そうすればいいだけです。ただし、腐れ縁にならないよう、契約したら政治家側に届け出る義務を負わせるようにするべきです。
総会屋や右翼団体が暗躍するんじゃないか?という人もいるかもしれませんが、そういう業者と契約しなければいいだけの話です。それに、株式会社だって実態がある会社の方が少ないのです。多少ゴミは混ざっても、役に立てばいいのです。
法人の活動ですが、別に土・日だけとか休日だけとかでも構わないでしょう。今はインターネットを初めとして情報化が進んでいるのですから、後援会の事務所みたいなハコを持つ必然性もありません。「商談」はホテルのロビーや喫茶店でやればいいのです。一応登録制にすべきですが、その狙いも、政治家になろうとする人間がシンクタンクに簡単にアクセスできるようにすることにあります。
この制度の一番の利点は③です。私が思い描いているのは、「熱意や人格は立派だし人生経験もあるが、細かい知識はいまいち」な政治家志望の人間と、「表舞台に立つのは苦手だが、知識は抜群」という人間がコンビを組むことで、官僚に対抗できるステートマンが生まれることです。今までは、政治家個人の努力する範囲が広すぎたのですが、政策法人が沢山出来れば、それをうまく活用するという選択肢ができます。
もちろん、政治家と官僚が対等もしくは政治家優位で付き合うには、官僚だけが国家情報にアクセスできるという現状を変える必要があります。具体的には情報公開法を改正して、①原則情報は開示(ネガティブリスト方式)②非開示事由は公務員側に立証責任を課す③一定期間返答しない場合は、裁判所が開示命令を発する義務を負う④外郭団体にも対象を拡大する、などの条項を盛り込むべきです。
民主党や共産党も、こういう法案を提出してアピールすれば、少しは普通の国民の支持を得られるはずです。それなのに、そういう具体案を出さないのは、結局自分たちが1970年代の自民党が作ったフォーマットをそのまま利用するつもりだからでしょう。
こう見てみると、官僚政治で一番恩恵を受けていたのは、「権力や金は欲しいけど、仕事はしたくない(というか、ろくに仕事ができない)」というタイプの政治家(例えば、●この人?)なのだということがよく分かります。官僚政治の淘汰には、やる気のある政治家が不可欠です。
5.国民が政治家を信じる
批判をするななどと言いません。むしろ、すぐ上のリンクのような馬鹿(笑)はどんどん非難すべきです。しかし、●こちらの記事でも取り上げましたが、今の日本は国に対して責任を負う立場の人々を軽蔑しすぎです。これは、マスメディアに学生運動の世代が入り込んだ時期があり(要するに「団塊世代」)、そういう連中がメディアの上層部にいるからに他なりません。
一番良い例が、●こちらの、全く建設的な提案をしない紙屑です。毎日毎日見出しで現政権を誹謗しているくせに、肝心なところはいつも「~という識者の声」「~という国民の声が多数」で逃げています。こんなのを読んでいたら、自分まで無責任な人間になりそうで恐ろしいですね。知らず知らずのうちに日刊ゲ○ダイの見出しや週刊○代の中吊り広告で洗脳されている人は、戦前の翼賛報道で熱狂していた人たちと大差はない、というかもっとヤバイと思うのは私だけでしょうか?
言ってみれば、国民の間に見られる「丸投げ」体質が、官僚の専横を許す一番の根源になっているのです。政治家は腐っても「国民の代表」(憲法43条)です。それを否定することは、我々自身の否定にもつながるということは、いつでも肝に銘じるべきです。
さて、硬い話題が続いたので、次回辺り少し肩の力を抜いた記事を上げたいと思います。お楽しみに。
官僚政治の弊害は、①勝手に仕事を作って自己増殖する(●前々回の記事を参照)ことと、②国家政策で致命的な過ちを犯しても責任を取らないこと(●前回の記事参照)です。
しつこいようですが、大切なので繰り返します。我々が絶対に防がなくてはならないのは②です。なぜなら、①は完全に阻止しようと思うと膨大なコストが生じる上、財政という重石があれば多少なりとも抑制が働くので、致命傷にならないからです。
ところが、②はどうでしょう。
官僚というのは、道具に過ぎません。やりたい放題暴れたあげく、国家が外敵に破れ、征服されれば、結局素知らぬ顔で新しい支配者にひざまづくような真似を平気でします。中国の科挙官僚がそうでしたし、前回触れた、我が国の戦時中の「革新官僚」もそうでした。
これほど良い反省材料があるにも関わらず、戦後の日本人は東条英機や帝国軍人を事後裁判的に断罪し、はては昭和天皇の責任まで追及しようとしました(●こちらのリンクは必見。昭和天皇は中国戦線拡大や英米との開戦には反対していた)。もしかしたら、革新官僚が自らの罪を隠すために、GHQの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(略称WGIP。詳しくは●こちらのブログを参照)に進んで参加したのかもしれません。そして、そのWGIPのディスインフォメーション(攪乱情報)こそが、日教組教育や反日政党・市民団体の思想的な源だったわけです。
そうだとすると、GHQの尻馬に乗った革新官僚の生き残りこそ、現代日本をおかしくした戦犯なのではないでしょうか。
もっとも、済んだことにこだわっていては前に進めません。未だに国内の「親日派」を糾弾する法律など作っているどこかの国と同じ事になってしまいます。それよりも、今後二度と革新官僚のような癌細胞が出てこないように、日本の体質を改めなくてはいけません。
そこで、以下のような提案をしておこうと思います。
1.「国策は政治家に」を確立
理由は簡単です。政治家は、国家や国民に対して責任を負っているからです。そのために選挙があり、内閣不信任や解散総選挙が憲法に規定されているのです。
ところが、官僚が失敗を犯しても、誰が責任を取ったのか全くわかりません。耐震偽装の問題で、姉葉だとか小嶋だとかいう連中は、国会でつるし上げを食らったり、一級建築士資格を奪われたりしたのに、所轄官庁である国土交通省の役人がクビになったという話は全く聞きません。一事が万事、こんな感じです。
そういう人々に、倫理に訴えて不正を防ぐようなやり方は全く意味がありません。たとえるなら、何回万引きしても、警官が交番で説教しておしまいになるのと同じです。
だからこそ、政策決定は全て、それが無理なら国家の重要な施策(外交・軍事・教育・移民問題など)については、政治家が全て判断し、その判断について責任を負うべきです。官僚は、それを言われたとおりに処理すればいいというだけです。
これを実現するには、国家行政組織法の第1条に、「国家の基本方針の画定並びに実質的な政治判断は、内閣総理大臣並びに国務大臣が行うものとし、行政組織の各構成員はこれに忠実に従わなければならない」という第2項を追加するのです。憲法には、「全体の奉仕者」(15条2項)という曖昧な文言しかないからです。
2.「首相公選制」を導入する
この制度を導入するのは、内閣がコロコロ変わることによって、政治家側の継続性が無くなることを防ぐためです。満州事変から敗戦までの15年で、16もの内閣が成立したというのは、どう考えても異常です。これでは、官僚に主導権を握られるに決まっています。我が国も、中曽根内閣や佐藤内閣、さらには小泉内閣のような一部の例外を除いて、ほとんどが短命内閣です。これを防ぐには、今の統治システムを修正するしかありません。
問題は、いわゆる「ねじれ現象」(首相の所属会派と議会の多数派とが異なること)が起こる点です。それを防ぐには、首相公選だけでなく、「内閣不信任」について定めた69条も合わせて改正するしかありません。具体的には、①信任・不信任決議は就任後2年以内はできないものとし、②国会の解職発議の後、国民投票で過半数を獲得する必要があると定める、といった方法が考えられます。
人気投票に堕するのでは・・・などという憲法学者もいますが、「じゃあ公選大統領制の国の大統領はみんな馬鹿揃いなんですね?」と反論すればいいだけの話です。
3.政策立案は首相官邸で
これについては、橋本政権のころの行革法案で結構前進しています。(●こちらのリンクを参照)今の国家予算は、財務省原案でも内閣の方針に従わなくてはいけませんし、基本方針も「骨太の方針」といった形で、(内容の当否は別として)打ち出しています。小泉首相が活躍できるフォーマットは、10年ほど前に既に出来ていたのです。
これを今後はさらに押し進めていくことが必要です。出来るなら、年功序列になっている高級官僚の人事を、完全に内閣総理大臣のものにすることです。そうすれば、●こういう売国奴のような官僚を簡単に排除できます。何度も言いますが、官僚は「道具」なのです。持ち主の寝首を掻くような真似をする「道具」など、さっさと捨てられるようにすべきです。
4.民間のシンクタンクをたくさん作らせる
これが今回の目玉です。
狙いは、民間にも、官僚や政府の外郭団体に対抗できるほどの専門知識のある人間をストックしておくことにあります。
シンクタンクではデータの分析や政策に関するレポートを作ったりしていますが、こういう機関が増えることによって、専門知識を利用できる政治家が増えることになります。地方議会議員や、財力のない自治体には有益な話でしょう。多数の秘書を抱えなくても、政策立案や意識調査、データ分析を外注できるからです。
今の政治の現場では、政治家が官僚を押さえ込みたくても、実際の資料や専門知識は官僚に分けてもらっているのが現状なのです。よく勉強している●こちらのような議員さんもいらっしゃいますが、個人の努力では限界があるのもまた事実です。その時に、手足となって仕事をしてくれる組織があれば、議員の方は「司令塔」として、もっと幅のある仕事をこなすことができます。
また、民間シンクタンクが多数できれば、行き場の無くなっている高学歴の無職者(社会科学系のオーバードクターや、司法試験の受験回数を使い果たした法科大学院卒業生など)に、やりがいのある仕事を与えることができるというメリットもあります。福祉だけのシンクタンク、教育だけのシンクタンク、財務や税制だけのシンクタンク、総合的なシンクタンク・・・いろいろな形態があっていいでしょう。重要なのは、公務員になるための試験があまり得意ではないけれど、政治の現場でやりがいのある仕事をしたいという人材を拾うことです。
そういう場所で実務経験を積むことで、政治家になるための準備を積むこともできますし、昵懇になっている政治家とともに成長しステージを上げていくこともできます。そういうシンクタンクが切磋琢磨していく中で、明日から副大臣になってもいいような人材が育っていくことも期待できます。
では、どうやってシンクタンクを増やすですが、法律を作って「政策法人」という全く新しい法人組織を認めるというのはどうでしょうか?その際は、税制の優遇や、設立の簡易化といった特典を付けるのです。
政策法人の利点は、以下の通りです。
①NPO(非営利法人)と違い、企画立案・
データ分析などで営利活動をしてよい
②政治家の講演会と違い、契約に基づいて
政治家をサポートできる
③官僚とのコネが無い「未経験者」でも、
政治の世界に参入できる
①については、単純に失業対策です。雑誌の特集記事などを請け負ったりしてもいいですし、書籍を販売してもいいでしょう。もっとも、政治言論と関係ない業務は禁止すべきです(特に、脱税に使われないよう、土地や有価証券、高額の耐久消費財は取得したら届出を義務づける)。
②については、使えなければ切るという関係でいられるので、「縁故」ではなく「内容」で勝負できる利点があります。既存の後援会組織を利用したい政治家は、そうすればいいだけです。ただし、腐れ縁にならないよう、契約したら政治家側に届け出る義務を負わせるようにするべきです。
総会屋や右翼団体が暗躍するんじゃないか?という人もいるかもしれませんが、そういう業者と契約しなければいいだけの話です。それに、株式会社だって実態がある会社の方が少ないのです。多少ゴミは混ざっても、役に立てばいいのです。
法人の活動ですが、別に土・日だけとか休日だけとかでも構わないでしょう。今はインターネットを初めとして情報化が進んでいるのですから、後援会の事務所みたいなハコを持つ必然性もありません。「商談」はホテルのロビーや喫茶店でやればいいのです。一応登録制にすべきですが、その狙いも、政治家になろうとする人間がシンクタンクに簡単にアクセスできるようにすることにあります。
この制度の一番の利点は③です。私が思い描いているのは、「熱意や人格は立派だし人生経験もあるが、細かい知識はいまいち」な政治家志望の人間と、「表舞台に立つのは苦手だが、知識は抜群」という人間がコンビを組むことで、官僚に対抗できるステートマンが生まれることです。今までは、政治家個人の努力する範囲が広すぎたのですが、政策法人が沢山出来れば、それをうまく活用するという選択肢ができます。
もちろん、政治家と官僚が対等もしくは政治家優位で付き合うには、官僚だけが国家情報にアクセスできるという現状を変える必要があります。具体的には情報公開法を改正して、①原則情報は開示(ネガティブリスト方式)②非開示事由は公務員側に立証責任を課す③一定期間返答しない場合は、裁判所が開示命令を発する義務を負う④外郭団体にも対象を拡大する、などの条項を盛り込むべきです。
民主党や共産党も、こういう法案を提出してアピールすれば、少しは普通の国民の支持を得られるはずです。それなのに、そういう具体案を出さないのは、結局自分たちが1970年代の自民党が作ったフォーマットをそのまま利用するつもりだからでしょう。
こう見てみると、官僚政治で一番恩恵を受けていたのは、「権力や金は欲しいけど、仕事はしたくない(というか、ろくに仕事ができない)」というタイプの政治家(例えば、●この人?)なのだということがよく分かります。官僚政治の淘汰には、やる気のある政治家が不可欠です。
5.国民が政治家を信じる
批判をするななどと言いません。むしろ、すぐ上のリンクのような馬鹿(笑)はどんどん非難すべきです。しかし、●こちらの記事でも取り上げましたが、今の日本は国に対して責任を負う立場の人々を軽蔑しすぎです。これは、マスメディアに学生運動の世代が入り込んだ時期があり(要するに「団塊世代」)、そういう連中がメディアの上層部にいるからに他なりません。
一番良い例が、●こちらの、全く建設的な提案をしない紙屑です。毎日毎日見出しで現政権を誹謗しているくせに、肝心なところはいつも「~という識者の声」「~という国民の声が多数」で逃げています。こんなのを読んでいたら、自分まで無責任な人間になりそうで恐ろしいですね。知らず知らずのうちに日刊ゲ○ダイの見出しや週刊○代の中吊り広告で洗脳されている人は、戦前の翼賛報道で熱狂していた人たちと大差はない、というかもっとヤバイと思うのは私だけでしょうか?
言ってみれば、国民の間に見られる「丸投げ」体質が、官僚の専横を許す一番の根源になっているのです。政治家は腐っても「国民の代表」(憲法43条)です。それを否定することは、我々自身の否定にもつながるということは、いつでも肝に銘じるべきです。
さて、硬い話題が続いたので、次回辺り少し肩の力を抜いた記事を上げたいと思います。お楽しみに。