日々是勉強

教育、国際関係、我々の社会生活・・・少し上から眺めてみよう。

ドラマの中の先生と、塾という場所

2006年02月07日 00時27分09秒 | 塾・仕事関係
  今日、やっと私が担当する小学6年生の全てのクラスの受験日程が終わりました。

  残念ながら、全ての生徒が望むような結果を出せたというわけではありませんでした。名の知れた難関校に合格した生徒も結構いたのですが、思うようにいかなかった生徒のことを思うと、あまり素直に喜べません。
  中には、10校近く受験して、まともな結果は補欠1つという子もいました。私立入試の補欠は、2月中旬まで待たされることはざらです。落ち着かない日々を過ごすことでしょう。そういう状況を作り出してしまったのは、私の責任でもあります。
  塾やクラスとして○○中学に何人受かった、というのは、確かに成果として受け止めてよいと思います。しかし、実際に塾に通い、勉強して、受験をした個々の生徒の家庭から見れば、そんなことは関係ありません。不満感を持ったまま幕切れに至ってしまう生徒に対しては、申し訳ないという気持ちで一杯です。

  なんですって?そんな偽善的なことを言うなですって?

  なるほど、みなさんは、塾というと、とにかく受からせればいいとテクニックの指導に走っているとか、合格実績にならないような生徒は無視しているなどという印象をお持ちでしょう。実際、どこかの保守系の雑誌で、●京都のこの事件のことを論じた記事にも、塾というのは、合格させることだけを考えて、頭の悪い生徒をほとんど切り捨てているいるドライな場所だという下りがあったのを覚えています。

  断っておきますが、私は塾は勉強をするだけの場所であるということは全く否定するつもりはありません。
  否定するどころか、学校も勉強をするだけの場所にすべきだと私は思っています。

  いわゆる戦後民主主義教育といわれているものは、自由な対話や人格の交流が目的であり、知識の伝授は二の次になっています。
  わかりやすく言えば、「金八先生」の世界です。あのドラマには、生徒がムキになって単語を覚えたり、もがくようにして計算問題を解いているような場面があまり見あたりません。そのくせ、なぜかトラブルだけは沢山生じます。(笑)
  「金八先生」を見ていると、まるで教師というのは生徒のトラブル解決係のように思えてくるから不思議です。あの、全てのトラブルを人間性で解決してしまう武田鉄矢さんの姿を見て、「先生になりたい」と思った人は多いはずです。「金八先生」こそ、教育の理想だと思われていたのです。

  このような「理想的な」教育が、どのような成果を上げたかについて、私がいちいち紹介しても仕方がないでしょう。現場の教員の方々には失礼かも知れませんが、はっきり言って大失敗でした。学級崩壊や少年犯罪の増加は、学校教育に訴求力がないことを示しています。
  失敗の原因は簡単です。教育における目的設定が間違っているからです。
  公教育には、予算や人員の制約があります。その中でできることと言えば、、独学の難しい知識の体系的な伝授や、物事の原理や関係性を分かりやすくかみ砕いて理解させることくらいしかありません。
  しかし、その過程では、どうしても人間的な交流が生じてしまうのです。これは当然でしょう。ものをよく教えるには、相手を知らなくてはいけないからです。そうなれば、生徒を呼んで話を聞いたり、できが悪ければ残して勉強させたりすることになるわけです。話を聞いていない生徒は、叱りつける必要も出てきます。
  実は、知識の伝授という目的を突き詰めていくと、結局は人間そのものの教育をやらざるを得ないのです。
  ここは非常に重要です。教え手は、知識や理解の伝授を通じてこそ、教える相手と交流できるのです。
  それなのに、どうも教育というと、大人が子ども相手に、非常に偏った人生観を植え付けたり、夢だの希望だの中身のない概念をばらまくものであるという印象が強いのが現状のようです。具体例は、いささか古いですが、「夕陽丘の総理大臣」というドラマで、中村雅俊さんが演じた教師役です。あの人がまともに勉強を教えている場面を、(再放送で見た)私は全く記憶にありません。
  はっきり言いますが、あれが教師の理想像だとしたら、学級崩壊が起こって当たり前です。なぜなら、あの「総理」のような事が出来るのは、ごく少数の、特に優秀な教師だけだからです。それがスタンダードになってしまえば、他の「ふつうの」教師の授業は、つまらないだの、型にはまっているだの、マイナス評価されるに決まっています。

  「塾はドライな場所だ」という決めつけも、おそらくそういう夢物語を捨てられない人たち(団塊の世代に多い)が作り上げているイメージなのでしょう。実際のところは、合格という結果を出すために、かなり「濃い」人間模様が描かれる場所です。ただ知識だけを教えていてはダメです。それを通じて、生徒のいろんな力を引っ張り上げるというつもりでやらなければ、とても成功はしません。
  だから、知識を一方的に喋っておしまい!という人は、この業界でも「劣等生」です。ただ、知識を喋るなら、上手な先生のビデオを流せばいいだけですからね。

  上のような理解に立てば、学校が知識や理解の伝授という本来の目的を取り戻せば、塾は不要ということになります。ある市会議員の方がおっしゃっていましたが、それこそ学校教育の理想の姿です。学校教育は、何よりも中身のリストラをして、本来あるべき姿を取り戻すべきです。
  なお、不要になったら、私はまた別の仕事をやるので、心配しなくても結構です。(笑)

  最後に、私が今年経験した「濃い人間模様」を一つ紹介しておしまいにします。

  ●前回の記事で、入試付き添いの朝に私に会うなり、「インフルエンザにかかって来なければよかったのに!」と元気のいい(笑)言葉をかけてくれた彼女のその後です。
  実は、彼女も受験で苦戦した一人です。2月1日の本命の学校は、さすが難関だけあってあえなく不合格でした。しかも、その次の2月2日に、確実に受かると思われていた女子校にも不合格。そして、その女子中を再び受けたら、また不合格になってしまいました。

  このままだと、行く学校がないのでは?・・・と、私も焦りました。親御さんや、本人はもっと焦ったでしょう。

  しかし、彼女は私が以前に日程が空いているからと勧めた中学(かなり難しい)に、見事合格してくれました。二回受けた中学よりも受かりにくいだろうと思っていたところです。我が事のように、いや、自分の事よりも嬉しかったです。
  あとでそこのお母さんと電話で話す機会がありました。会うなり「来なけりゃいいのに!」と言ってくる子です。頭は切れるのですが、ものすごい「マイペース」で、お母さんも苦労したようです。夜中まで本を読むのをやめろとか、風呂に入ったら頭を刺激するような作業はやめて床に就けとか、私もいろいろアドバイスしたのを覚えています。
 「ほんと言うと、何度塾を辞めさせようと思ったことか」と、お母さんに言われて、私は肝を冷やしました。しかし、どうやら本人が「絶対に止めたくない」と言い、親御さんサイドも不承不承、私のところに通わせたそうです。

  何が、そこまで彼女の足を運ばせたのだろうと思いました。
  すると、お母さんが、

 「あの子は帰ってくると、いつも○○先生が
  こんなことを言ったとか、こうやって
  言い返してやったとか、毎回毎回
  言ってたんですよ。話題に上らない日が
  ないくらいで。」

  一応言っておきますが、○○先生というのは、私の名前です。(笑)

  そうだったのか・・・と、ため息が漏れました。
  口は悪くても、ちゃんと私を信頼してくれていたのでしょう。

  
  受験生の皆さん、親御さん、塾の先生方の皆さん、本当にお疲れさまでした。
  
 

君の背中を見送る時

2006年02月01日 23時09分34秒 | 塾・仕事関係
  季節的なことを簡単に書いてみようと思います。

  東京の私立中学の入試は、今日2月1日から解禁になります。
  みなさんも、テレビでなら、有名な中学(例えば、開成中)などの前に、塾の先生がずらーっと並んで、子どもと握手などしている風景を見たことがあるかも知れません。「入試付き添い」という、年中行事です。

  私も、小学6年生を教えているので、都内のある中学校に朝から行って参りました。

  相当有名な中学と言うこともあり、いろいろな塾の先生方が校舎の前に群がっています。その間を縫うように、生徒や保護者の方が会場に入っていくのです。どっちが主役だかわかりません。(笑)
  先生たちも、ここまで生徒たちに精一杯入試の勉強を教えてきて、もう出来ることといえば、会場の前で声をかけて励ますことくらいしかありません。塾業界は朝がダメな人たちの集まりなのに、みんな張り切って受験生を迎えています。
  当然、私も、この中学を3人の生徒が受けるということで、最後に一声かけようと思っていました。

  さて、その中に私がどうしても本番前に声を掛けてやりたかった女の子の生徒がいました。

  人でごった返している会場の中で、予定の時間になっても彼女とお母さんの姿が見あたりません。大人、子どもの間を縫うようにして歩きながら、彼女の姿を探していると、私の名前を呼ぶ声がしました。
  慌ててそちらに向かうと、お母さんと一緒に彼女が傘を差して立っています。おはよう、と声を掛けると、第一声がすごい。

 「なんでインフルエンザとかかかってくれなかったんですか??」

  要するに、「付き添いに来なくていいのに!」ということを言いたいようです。なんという不埒な!!と思うかも知れませんが、この子はもともとこういう子なので、あまり気になりませんでした。
  彼女は、非常によく本を読む子で、知識がかなり豊富です。その反面、生意気なところがある子でした。しかも、口が悪い。男子に絡んで「馬鹿やろー」くらい平気で言います。黙っているときれいな女の子なのですが、もうこればかりは性格ですね。うるさくならない限度で放っておきました。
  こういう子ですから、生活が不規則だったり、親の言うことをなかなか聞かなかったり、私も苦労しました。
  
 「たのむから、面接の時に文句や暴言を口にしないように」と、私が(ふざけて)釘を差すと、「そんなのわかってます!」と力んだ口調。照れ隠しでしょう。わざと格好つけて、大人に対してぶっきらぼうに話す時期が、誰にでもあったはずです。彼女は、その真っ直中にいる。

  そういう、大人には理解しにくいところにエネルギーや情熱を傾けている様子が、性別や、勉強の量こそ違えど、子供の頃の私とどこか重なるのです。

  せっかくだから、入口まで付いていってやるよと言ったのですが、彼女は「大丈夫です」と、ニコリともせずに歩き出します。どうしていつもこの子は、わざとらしくかしこまった言葉遣いをするんだろうな・・・と思いましたが、子どもの弱さを見せたくない強がりなのでしょう。
  お母さんに会釈すると、「いつもこんな感じですみません」とでも言いたげに苦笑いしていました。
  入口のすぐ手前でやっと追いつきました。握手などして、「頑張ってこいよ!」「はい!」などというやりとりが普通なのでしょう。しかし、さっさと逃げていく背中を追うのが精一杯で、それどころではありません。

  まあいいか。見送り方くらい、子どもの数だけあっていいだろう。

  私はそう思って、わざとらしい「最後のシーン」の演出は諦めました。
  すぐ前に彼女がいます。受験票を確認すると、また早足で歩き始めます。
 「しっかりやってこい!」と、去っていく背中に声をぶつけるくらいしか、私には出来ませんでした。

  他の受験生が教室を探してうろうろしている校舎の暗がりの中に、彼女が吸い込まれていきます。

  その時、私は初めてある感情がわかりました。

  もう、ここから先は、守ってやることも、叱ってやることもできない。彼女が自分自身で、問題と向き合うしかない。
  そんな子どもを見送るとき、きっと、親なら皆、味わうのだろう。ただ「がんばるんだよ」と声をかけて、背中を見守るしかない、これ以上ない切なさを。

  彼女の姿は、あっという間に消えてしまいました。


  最後まで、がんばれよ!!


  見えなくなっても、思わず声をかけていました。

  この仕事の悲しいところは、どんなに精魂を込めて人を育てても、こうして呆気なく終わりが来ることだと思います。毎年、「この子たちなら、もう1年授業をしてもいい」と思うのです。でも、それは許されません。
  しかし、逆のことも言えるのです。こういう、結実の時があるからこそ、長く過ごした時間が輝くのだ、と。
  どこの学校に進むかは、結果でしかありません。それでも、私が撒いた種が、どこかで、ものを見る目や、人の役に立とうという精神という形で、実を結んでいるといい。

  彼女が消えていった後も、しばらくそんなことを考えていました。


  すみません・・・例の大問題は現在構想中です。  

先生は、キレるとこわい!?

2005年12月11日 12時08分32秒 | 塾・仕事関係
  私の職業が塾講師ということで、やはりこのニュースには触れないわけにはいかなくなりました。

京都・宇治市小6女児殺害 容疑者の学習塾講師、
自宅から包丁やハンマー持ち込む
(クリックしてご覧ください)
http://www.fnn-news.com/headlines/CONN00081896.html

  まず、私ごとから申し上げましょう。

  私は、よく生徒に「キレやすい」などと評価されます。プリントを配ったのに教室がざわついていたり、職員室で騒ぐ連中がいると、すぐ怒るからでしょう。
  昨日など、用事が済んだのに下らない話をしてくる生徒(女)が何人かいたので、ムカムカして「帰れと行ったら帰れ!」と怒鳴ってしまい、隣の先生に「あれはやりすぎですよ」と珍しくたしなめられてしまいました。
  ムカムカしたのは理由があります。生徒が、私のことを名字で呼び捨てにしたからです。
  親しみがあっていいなどという大人は、教育というのを「仲良くなること」だと誤解していると思います。困ったとき、「こうしろ」とはっきりした方向を示すためには、権威が絶対に必要です。
  ふだん仲良くしていて、いざというときにはちゃんと言うことを聞く、そういう信頼関係を築かなければ行けない。子どもは対等な人格なのだから、大人が教え導くのではなく共に学ぶ姿勢が大切だ・・・いかにも日教組が言いそうな妄言ですが、こういうありえない理想を、先生という人間に求めてはいけません。そんなことができる神様のような人格者が、全国に何100万といる教職員にどれほどいるか、考えてみればわかると思うのですが・・・。
  
  基本的に、教師というのは威張っていてもいい職業です。この「威張る」というのは、「私のやっていることは基本的に正しい」と思うことです。そうでなければ、人に知識や考えを伝授することはできません。
  その上で、自分の考えからそれてしまうようなら、叱るというのは当たり前のことです。柔らかい物腰で言ってもだめなときがあります(というか、ほとんどダメです)から、強い口調で言うのもやむを得ないでしょう。
  
  ただ、上のような図式が成り立つためには、絶対に満たさなくてはならない条件があります。

  それは、知識面、精神面で教える側が子どもに負けてはならないということです。
  特に言えるのは、隙を見せるようなナヨナヨした授業などやっていてはいけないということです。多少ハッタリでもいいのです。教壇の上では完成した「商品」を売るという姿勢で臨まなくてはいけないのです。
  残念なことですが、以前いた職場でも生徒が他の先生のことを「わかりにくい」「つまらない」などと私に言ってくるケースが何度かありました。もしかしたら、私も言われているかも知れません。しかし、上司に親がクレームを付けたり、私のクラスから「脱走」した生徒がいたとか、顕在化したことがないので、うまくやれているのでしょう。

  そこで、上の京都の事件に戻ります。

  この容疑者には同情の余地は0.1%もありません。しかし、それで終わってしまってはブログがつまらないので、少し突っ込んでみたいと思います。自分で言うのも何ですが、ちょっと意地が悪いですね。
  適宜、記事から引用させていただきます。

>紗也乃さんは12月に入り、萩野容疑者の授業が嫌だと、
授業を受けるのをやめていた。紗也乃さんの同級生は
「あんまりよくわからへんとか言って。国語の勉強が、
萩野先生の授業がわからへんって言ってたから」と話した。


  業界のことが分からない方のために言うと、この程度のことはよくあります。私も、滑り出しの頃にこういう反応をされたことがありました。
  しかし、こういうことがあったら、まず現場の責任者に文句を言うべきですね。そうすれば、今回の殺害に至るまでのどこかで、容疑者にチェックが入っていた(場合によっては首になっていた)かもしれません。
  12歳の子どもに「わからない」と言われてしまうのは、はっきり言って恥ずかしいです。そのくらい、何とかごまかせないのでしょうか。容疑者は、大人の世界でも影でいろいろ言われているかもしれません。


>さらに萩野容疑者は、紗也乃さんにすり寄って拒絶
>されたのを逆恨みして、紗也乃さんに冷たくあたる
>ようになったという。


  「すり寄って」って何ですかね?本当に情けない。典型的な、子どもになめられる大人です。以前●信じられないような事件の記事を書きましたが、ここに出てくる「小遣いをくれるから好きなお父さん」と同じですね。
  大人の世界同様、中身で勝負できないから、ご機嫌伺いに走るのです。ご機嫌伺いも全くしなくていいというのではありませんが、教職や親の役割という「本業」をしっかり勤め上げずに子どもの気を引こうとするのは、明らかに本末転倒です。そういう連中は、10代の女の子相手に買春している馬鹿同様、結局軽蔑される運命にあります。
  確かに、弱いところを見せるのはつらい、というのはあるでしょうが、そこで開き直って、自分を鍛え上げられないのなら教える仕事には向かないのです。そうやって私も成長してきましたし、多分これからも自分のやり方を修正しなければならないでしょう。結局人生というのはそういう微調整の繰り返しなのではないかと思います。
  もっとも、容疑者の場合、やや特殊な事情があるようです。

>萩野容疑者は、現役の同志社大学法学部の4年生で、
>2年前に大学の図書館で、財布を盗もうとしたのをとがめた
>警備員を殴って逮捕され、停学処分になっていた。


>また、萩野容疑者の近所の人には、家庭内暴力を振るう
>姿を目撃されている。


  容疑者は、大学生にもなって、何をやっていいか悪いかという区別(規範意識)が全くないということがわかります。親に対して暴力を振るうなどというのは、動物以下です。ストレスがどうだの、幼児期のトラウマがどうだの、自称知識人による下らない意味づけなど要りません。立派な反社会行為です。
  親を畏敬(あえて「尊敬」とは言わない)できないから、社会一般に対しても「おそれおおい」という態度が採れなくなってしまうわけです。そういう方には、少年院や刑務所と言うところで「勉強してもらう」しかありません。それができないとうなら、社会に出てこなくて結構です。
  それにしても、容疑者の家の父親は何をやっているんでしょうね?母親が救急車で運ばれたこともあるそうですから、親父が息子に何かアクションを起こしてもいいのではないでしょうか。私なら半殺しにします。大切な伴侶を傷つけたわけですから、そのくらいは覚悟してほしいです。

  みなさんはきっと、「塾は人間を見て採用していないのか?」と言いたいかも知れませんが、こういう人間は表面を取り繕うだけは上手だということが多い(だから、同志社大学という難関大学に入る「学力」は付けられた)ので、塾の側にそこまで求めるのは無理です。
  しかし、被害者のような不満は、決して一人の生徒だけが持っていたわけではないと思います。だから、良くない点が見えたら、現場責任者が積極的に介入することで、こういう事件になるまでの関係の歪みは防げたでしょう。そういう対処は、同時に品質を向上させて生徒をやめさせないことにもつながるわけです。だから、気の利いた塾ならしっかり責任者のチェックが入っているでしょう。それが出来なかった点は、多少なりとも塾側に責任があるということもできます。

>家から包丁とハンマーを持ち込んでいるほか、教室内
>にある監視モニターの電源が切られていたことから、
>警察では、計画的な犯行の疑いもあるとみて、容疑を
>殺人に切り替えて追及する方針


  こういうところに気を回すなら、授業をしっかりやれるように計画を立てろよ!と言ってやりたいです。

  私が憂鬱なのは、これから生徒に会う度に、「俺はハンマーとか包丁は持っていない」と明言しなくてはならないことです(笑)。まあ、それは単なる冗談ですが、親御さんの心配の種が塾の行き帰りだけではなくなったというのは残念です。
  塾が怖いところだという先入観が、出来上がってしまわないことを祈ります。そうなると、ちょっと授業のやり方が分からなくなると、「殺されたくないから辞める」という考えに行き着いてしまいかねません。それでなくても、塾の先生というのはまともな仕事が出来ないからやってるとかロリコンが多いとか、よくない印象を持たれることがままある職業なので・・・。

  私ももう少し大声で叱る回数を減らさないといけないかもしれませんね(笑)。

  
  

新学期に行くならこんな塾(その2)

2005年04月04日 01時10分56秒 | 塾・仕事関係
もうすっかり春ですねー。外はただ今春の嵐・・・。


さて、前回の続きです。実際に塾に見学に行ったときの
チェックポイントを紹介しておきます。


まず、校舎に入ってすぐにわかる「ダメな塾」の
見分け方があります。
それは、「タバコ」です。

タバコが体に良くないことは、誰でも知っていることと
思います。
しかも、匂いも非喫煙者にはあまり愉快なものではありません。
(子供は非喫煙者のはずです・・・)
それにもかかわらず、タバコを吸うことが許容されている
塾は、客商売としての自覚がそもそもありません。

なお、大手の塾のほとんどが校舎内では原則禁煙にしている
のが現状です。それにも関わらずタバコの匂いがしたら・・・
その塾(校舎)はお勧めできないですね。

その他はどうでしょう。
「書類が乱雑に積んである」というのは、あまり参考になり
ません。塾の仕事は教材その他の書籍・書類をたくさん使う
ので、一般企業に比べてどうしても書類を積むことが
多くなります。
(私個人としては、不要な紙までとにかく取っておくという
のは、要領がよくないことだとは思いますが)
また、「教室が薄汚れている」というのも、悪い塾とは
一概に言い切れないところがあります。
新規に開校した校舎はきれいなのが当たり前ですし、
古い校舎はその点はどうしても見劣りします。
ここは、あまりこだわらなくていいでしょう。


職員室に生徒がいる場合もあるでしょうが、そのときの
様子も参考になります。
以下のポイントに複数個当てはまるなら、「要注意」です。

①生徒がうるさくしていても(責任者以外の)
 先生が注意しようとしない

②先生が(じゃれあい・ふざけあいとして)生徒を叩く仕草
 などを頻繁に見せる

③職員室内で生徒が平気で飲食している

④先生が生徒に(こんにちは・さようなら等)
 あいさつをしない

⑤生徒が複数いるのに活気がない

①②③があてはまる塾は、おそらく生徒に対して指導力を
発揮できていない可能性が高いです。いったん生徒が
騒ぎ出すと、授業の収集がつかなくなるのが目に浮かびます。

④⑤は、先生が生徒に対してきちんとアプローチをしていない
可能性が高いです。つき合いも事務的な対応に終始するでしょう。
塾(や学校)で勉強する意味は、講師が相手の顔色等を見て
修正を繰り返すことができたり、講義で足りないところを発問や
個別の対応でカバーできることにあります。
生徒と付き合えない先生が多い塾に行くのは、高いのに
巻き戻して再生が出来ないビデオ教材を買っているようなものです。


実際に担当者と相談する段階になった場合はどうでしょう。
ここは、実はその塾の姿勢が顕著に現れる点です。

責任者やそれとおぼしき人物が強引であるとか、何らかの
圧力をかけてくるような気配がある場合は、その後の
つき合いも一方的に押し切られることが多くなるのです。
私の知り合いが、某大手塾に話をききに行ったとき
カウンターに座った途端に、何人かの社員に囲まれてしまった
という経験をしました。こちらから聞いていないのにいろいろ
質問を受け、危うく入塾するという言質をとられそうになった
らしいです。
こういう塾は、夏期講習や単科講座の「営業」も相当熱心に
(要不要抜きに)やってくるおそれがあります。

次に、教育内容についての話が、あまりにも理想的である場合は
要注意です。
親御さんからすれば、塾内のテストで偏差値が上昇し、学校の
定期テスト対策もぬかりなく行い、わからないときは徹底して
教えてくれて第一志望に合格させてくれる塾がいいのかもしれませんが、
そのような塾は、まずありません。だいたいは、定期テスト等の
学校の成績関連(内申)対策か、受験指導か、どちかかが優れて
いるのが普通です。
これは、人的物的資源が限られている以上、やむを得ないことです。
それにも関わらず「何でもやります」という塾は、お客に対して
不誠実極まりないといえるでしょう。

それよりも、「できることはここまで」ということをはっきり
言う塾の方が信頼できます。


さらに、チェックした方がいいのは「クラスの人数」です。
塾は人を集めてこそ経営が成り立つので、本音ではひと教室に
沢山の生徒を詰め込むようにしたいはずです。
もちろん、そうなると教えている人間は個々の生徒の把握が
難しくなります。それに、生徒も質問などがしづらいでしょう。

私が埼玉にいたとき、有名な中学受験の塾から生徒が移って
きたので、話を聞いたところ、その塾の大宮校はひとクラス
40人もいたそうです。これでは予備校と変わらないですよね。
だいたい、文系・理系の担当がそれぞれいたとして、
管理できる限界の人数は30人でしょう。
少なければ少ないほどいい、というわけでもなく、
適性人数としては、15~22、3人程度だと思います。
(あまりにも人数が少ないと、今度は良い子から学べる
という塾の良さを発揮できなくなる恐れがあります)

もっとも、新規に開校した校舎は、人数が少ないのが当たり前
なので、初年度はよかったものの、次は・・・ということが
よくあります。また、担当も新規開校ということで、平均値より
熱心に指導しがちです。
上のような点は、割り引いて見た方がいいです。


あとは、「展望」をきちんと示してくれるかどうか、これは
かなり大きいです。

これは特に中学生の場合がそうなのですが、塾に入って
しばらくすると、部活動や本人自身のやる気のなさによって、
塾が本来予定しているような家庭学習などをこなせなくなって
くる場合が多いです。
そんなとき、まず何をすればよいのか。どの程度までは
目をつむればよいのか。また、塾としてはどのように働き
かけるのか。そういった点をきちんと説明してくれる塾は、
本人がやめそうな状況になっても誠実な対応が期待できる
でしょう。
その担当者自身が授業を担当しているクラスを例にとって
具体的に話してくれる場合も期待できます。

逆に、うまく行った場合の話ばかりするようでは
信用が出来ません。私の経験から言えば、1年間塾に通えば
問題点が(複数)生じるのが普通なのです。それを予め
話せないようでは、脳天気にも程があります。

できる先生というのは、先々の見通しを立てて仕事をしている
ものです。それを教室の責任者が示せないとなると、
行き当たりばったりの運営になっている可能性が高いと
いえます。
そういう塾は「やめたい」と言い出してから、
逆に過剰なまでのサービスをしてくるでしょうね。もちろん
問題の根っこはそれ以前の対応にあるのですが・・・。


以上のポイントは、大手の塾の場合、校舎校舎
(というより、そこの責任者)によって違うのが実情です。

ぜひとも、実際に足を運んで確かめてみてください。







新学期に行くならこんな塾(その1)

2005年03月31日 23時46分26秒 | 塾・仕事関係
私はただいま春期講習の真っただ中です。
これから子供を塾に入れようとお考えの御父母の方や、
塾で勉強しようかなと思っている生徒のみなさんもたくさん
いらっしゃると思います。そこで、今日はこの4月から
塾を選ぶときのポイントを、私なりにいくつか取り上げて
みたいと思います。



まず、「合格実績」というものを過信するのは危険です。

私の塾は特定の学校を目指すことを謳い文句にしているわけ
ではないのですが、塾の中には国立や早稲田・慶應系列の学校に
合格した人数が多いことや、それらの学校に特化した教材を
用意していることを売りにしているところもあります。
しかし、そういった学校の「合格実績」というのは、
ある程度出来る子を強力に誘導した結果ということが多いのが
実情です。その学校に行きたい生徒が多く集まっている結果だから
いいのでは?と思うかも知れませんが、「強力誘導」の結果ですから
合格率はかなり低い可能性があります。
(業界では、上のような受験のさせ方を「無駄弾を撃つ」などといいます)

それに、どの学校でも出題する科目やその範囲は共通するところが
多いのですから、「特定の学校に強い教材」というのは、単に形式
を真似ているだけという可能性が高いです。それに、出題者が例年と
傾向を変えてきた場合、どうやって対処するのでしょうね?
「○○中学に強い」というのは、要するに、
「うちは○○中学に向けて強引に誘導しますよ」という姿勢の
現れにすぎないのです。

合格実績そのものよりも、子供とどのように接していくかを具体的に
話してくれる塾の方が信用できると思います。



また、「広告に出ていることは当てにならない」と思っていただいた
方がいいでしょう。
塾のウェブサイトや折込広告を見ると、保護者の方を
くすぐるような文句がいろいろと並んでいます。
「納得が行くまでつきっきりで指導」というような抽象的な
ものから、「休んだ日の分もきちんとフォロー」というものや
はては「成績アップ保証制度」などというものまで謳い上げて
いる塾さえあります。

しかし、実際に塾の内部で働いている人間として、上に挙げた
ようなことは不可能だと言わざるを得ません。
「つきっきり指導」をするのであれば、個別指導に行くべきです。
塾はある程度の人数を集めて一度に教えることに存在意義がある
わけですし、それでこそ経営が成り立つわけです。
本当につきっきりで指導をしている塾は、おそらく、何らかの
「うしろめたさ」を抱えている可能性が高いです。
具体的に言えば、授業の質がかなり低いので、それを誤魔化すために
個別の指導をしているとか、生徒にわかるまで指導するために
極端に遅い時間まで残しているとかいったことです。
親御さんとしては「熱心に教えてくれて嬉しい」となってしまう
心理はよくわかります。
しかし、個別の指導を塾が熱心にやるというのは、ラーメン屋が
デザートを売りにしているようなものです。みなさんは、
「うちはラーメンはおいしくないよ。だけど・・・」などと言う
ラーメン屋に足を運びますかね?

休んだ日の分も「きちんと」フォローしていたら、個別でやったり
することが多い以上、休んだ方が生徒にとって得だという
おかしな事態になってしまいます。
生徒側にしても、授業がある以上は出席すべきであり、欠席フォロー
などを売りにするのは間違っているのです。

「成績保証」というのも、中身は相当怪しいですね。
成績が上がらない場合は無料で補講をやる塾もあるようですが、
正直なところ、本末転倒だと言わざるを得ません。
塾で定期的にテストをするのは、成績が上がったことをプラス材料に
するとともに、試験に出た範囲で理解不足や抜けがあるかどうかを確認
するためのものです。(その確認も、わざわざ無料補講を設ける必要は
ありません)。偏差値を上げることが主たる目的ではありません。
御父母の方の心理につけ込んだやり方と言えますが、上のような
補講にしても、講師側にとって過重勤務になっている可能性があります。
そういった塾は講師の定着率が悪く、指導の質が低いことが往々にして
あります。

広告よりも、(これは次回に述べることと重なりますが)実際に
教室を見学に行かれて、責任者等に話をきいていただくのがベストでしょう。



次回は、塾を見学するときによい塾かそうでないかを見抜くコツを
お教えします。