日々是勉強

教育、国際関係、我々の社会生活・・・少し上から眺めてみよう。

【やったね!!】日教組があの超有名漫画に登場!!【知名度up!!】

2006年02月22日 22時47分31秒 | 日教組関連
  日教組も、存在が広く世間に知られて、ますます元気に活動してくれること間違い無しです。このブログの管理人としても、こんなに嬉しいことはありません。

マンガ嫌韓流2

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  発売前から話題になっていたこの本の「第5話」に、日教組が登場しています。
  しかし、書かれている中身ですが・・・。

 「マルクス・レーニン主義および
  北朝鮮の主体(チュチェ)思想を
  信奉する反日思想団体」

 「広島県の県立高校の校長を自殺に
  追いやる」

 「元委員長が北朝鮮から勲章をもらう」

 「目的は日本解体」

  
  ・・・と、ひどい書かれようです。

  まあ、全部事実なんですが。(笑)

  よろしかったら、書店で見てみてください。ただし、どんなに売れても、書店の売り上げランキングに乗らない不思議な本ですから、「今売れてる何とか流って漫画あります?」と言っても、店員さんに嫌がられる可能性があります。それどころか、別室に連れて行かれて何かされるかもしれません(冗談ですが)。

  中身は充実しています。是非ご一読を!!

【今日は「竹島の日」】

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ヨーロッパ等で「独島(竹島の韓国呼称)は韓国のもの」
キャンペーンを展開しています。
厳選★韓国情報さんのこちらの記事に詳細あり。

こんな反日タレントを使っているコカコーラ社に
抗議のメールを送りましょう!

フリーダイヤル:0120-308-509
メールフォームは●こちら

【 PR 】 2月22日って何の日?

2006年02月20日 23時50分27秒 | その他
答は、「竹島の日」です。

takeshima dokdo dokto tokdo tokto

  現在韓国が不法占拠中ですが、国際司法裁判所への付託さえすることなく、世界中で「独島(韓国での通称)は我が領土」というキャンペーンを行っています。既成事実を積み上げてしまおうという悪質なやり方です。

  このリンクtakeshima dokdo dokto tokdo toktoは、島根県のPR用英語ホームページです。「dokto」で検索しても、引っかかるようにしてあります。領土主権に関わることなのに対応が遅い政府に委せっきりにせず、ささやかな抵抗を試みようというわけです。

  こんな小さな無人島・・・などと思う無かれ。

  韓国国内には、「対馬も我が国の領土だ」という信じられない主張をしている学者や団体がいるのです。ここで一歩でも譲れば、向こうの要求がエスカレートします。
  それに、海洋資源の保全という観点からも、竹島周辺の海域を日本の正当な支配領域として回復することは大きな意味を持っています。韓国漁船による漁業資源の乱獲を防ぐことが容易になるからです。

  もし、ご自分のブログ、ホームページ等でtakeshima dokdo dokto tokdo toktoを表示させてみようと思われた方は、●「すいか泥棒 日曜版」さんのこちらの記事へアクセスしてみてください。

        みなさんも、是非
      島根県を応援しましょう!!


【関連ホームページへのリンク】
  
  ●「かえれ!竹島」(島根県の広報サイト)

  ●県土・竹島を守る会
  
【関連?コピペ】

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【皇室典範改正問題②】皇室を否定して喜ぶ奴は誰だ!?

2006年02月15日 22時38分40秒 | 憲法の話題
  前回の続きです。

  ジャーナリストである●櫻井よし子さんのブログに、こんなくだりがありました。

(以下引用)

百地章日大教授が語った。「皇室廃止を主張してきた人々が今回の報告書を支持しているのです。そのひとり、東大名誉教授の奥平康弘氏は、女系天皇は天皇制の正統性の根拠である萬世一系のイデオロギーを内側から浸食すると、“評価”しています。女系天皇はこのような皇室廃絶論者たちに悪用されていくことでしょう」

(引用以上)  

  ちなみに、この奥平という憲法学者は●9条の会、という団体の中核メンバーです。
  どうも、「進歩的」な学者の方や、インテリ層には、「天皇制」を否定したがっている連中が多いようです。 
  こういう人々が主張してくることは、だいたい想像が付きます。「皇室を養うのは税金の無駄である」というものか、「皇室制度そのものが、生まれによる差別であり、憲法違反である」というものです。

  皇室制度が生まれによる差別であろうと、金がかかるものであろうと、皇室制度はなくすべきではありません。それは、皇室があることによって、日本では世界に類を見ない効率の良い社会システムを作り上げているからです。
  その核心は、権威と権力が別れることにより、政権交代や動乱後の秩序回復のコストが低くて済むという点に尽きます。
  特に武士の世の中になって以来、日本は国を崩壊させるような内戦を経験していません。(南北朝時代は例外だが、それも長期間、北朝の力が優勢だった)それは、天皇以外は最高の権威を持つことができなかったからです。武士のトップは征夷大将軍であり、あくまで朝廷に幕府の開設を許可されているに過ぎません。これによって、権力の頂点にいる人間に、心理的な「ふた」をすることができます。要するに、「何をやっても許される」という心理状態にならず、権力の暴走が起こりにくくなるわけです。
  また、もし変事があっても、天皇を頂点とした身分秩序をすぐに整えることが出来ます。明治維新などが良い例でしょう。もし薩摩や長州が「官軍」でなかったら、その権力には正統性が無く、相手がいつまで経ってもあきらめずに、泥沼の内戦が続いていたのかもしれません。

  こういう話をすると、すぐに「日本の社会は、決まり切った秩序ばかりを追い求めて、個人の意見や自由な発想は排斥されてしまう!」などと、もっともらしいことをいう「進歩的な人たち」がいます。
  この理解は、根本的に誤っています。日本の社会は、秩序や連帯を主とし、個人の主体性を従とするだけで、決して個人が否定された社会ではなかったのです。
  それを証拠に、身分や家柄が今よりもずっとうるさかった時代に、現代とは比べものにならない優れた個人が活躍しています。平安時代の紫式部、戦国時代の武将たちや、安土桃山時代の宮本武蔵(剣術家・思想家)、江戸時代の関孝和(数学者)、明治時代の野口英世(医学者)は、個性がなかったのでしょうか?彼らより偉大な人間が、「自由で平等で豊かな」現代の日本にいたら、教えてほしいものです。
  まさか、牢屋の中にいる●この人なんて言う人は・・・日教組なら言いそうだな。(笑)

  逆に、個人の主体性を主にすると、社会が安定しません。個人を主にすると言うよりも、「権威の存在しない、平等な」社会といってもいいかもしれません。
  ●「平等など不要だ!」という記事でも紹介しましたが、国王の権威を極めて短期間で完全否定したフランス革命は、その後社会の動乱を招き、反対派の虐殺を招いています。その後、フランスがイギリスの後塵を拝してしまった原因は、ここにあります。ブルボン王朝の権威が否定された結果、国内で無駄な権力闘争ばかりして、隣接する外国勢力の干渉を招いてしまったからです。
  このような非常に効率の悪い社会制度を採っているのが、「ランドパワー」の国だけであるというのは、覚えておいて損はありません。

  以前に●ロシアのことを扱った記事で出てきましたが、「ランドパワー」というのは、地政学の用語で、陸軍国のことをいいます。
  ランドパワーの歴史は、殺し合いの歴史です。
  古代から近世にかけての中国を例に取ってみるとわかりやすいです。国が変わると王族や官僚を虐殺、反対派の粛清で虐殺、不満を爆発させた農民や義賊を虐殺、最後には自分が反乱軍に虐殺されてしまうのです。それというのも、中国には「易姓革命」といって、天に選ばれた人間なら誰でも最高の権威になれるという思想があるからです。もちろん、実際に天から神様が降りてくるわけではありません。力で権力を奪った者が権威になるのです。
  ソ連の強制収容所や、ナチスドイツの「ホロコースト」も、同じような理屈で理解できるでしょう。こういう国は、革命で権威を抹殺してしまったので、絶えず人と人とが闘争する状態になってしまったのです。
  彼らがそうなってしまったのは、結局ランドパワーの国の場合は、隣接する国から干渉を受けやすく、国内が分裂しやすいからです。だから、力で反抗する勢力を抑えるしかありません。それが行きすぎて、伝統的権威の全否定につながってしまったわけです。フランス革命も、そういう文脈で理解することができるかもしれません。
  ランドパワー流のやり方は、社会を運営するのにコスト(金・軍事力・人命)がかかりすぎます。日本のような狭い国で、絶対に真似すべきではありません。
  だからこそ、我々の祖先は、「権威」は天皇に「権力」は幕府や時の政府に、別々にしておいたのです。もし、外国の勢力が権力の分裂を図っても、次に権力の座に着いた人間が、天皇という権威から地位を授かることにより、簡単に正統性を維持できるのです。
  便利な仕組みだと思いませんか?

  それにも関わらず「人類皆平等だ!だから、天皇制は廃止だ!」と言う人がいるとしたら、それはもはや、「ランドパワー」による侵略行為と考えるべきです。
  だいたいの場合、ランドパワーの敵はランドパワーです。ランドパワーは陸づたいに他国と隣接しているので、どうしても異民族や敵対勢力をその内側に抱えやすい傾向にあります。だから、ランドパワーの国を滅ぼすには、相手を内部崩壊させるのが一番簡単なのです。
  たとえば、ある国で「自由」や「平等」を過度に強調するような運動をすれば、同質性が強く団結している集団に、反乱分子を生じさせることが出来ます。だいたい政府というのは国民に義務や負担や秩序を課したがるものです。だから、「自由」や「平等」を煽れば煽るほど、「反政府勢力」が増えるわけです。
  本人たちはわかっていないかもしれませんが、日教組のような反体制を売り物にする団体は、典型的なランドパワー(昔はソ連、今は中国・北朝鮮)の工作員の役割を果たしているわけです。日教組や全教に代表される労働組合が、ソ連や中国共産党を批判しているところを見たことがあるでしょうか?
  「人類解放」や「男女の完全平等」を謳い文句にしている共産主義の国が、なぜかランドパワーの国に多いことは、決して偶然ではありません。いや、ランドパワーだからこそ、共産主義を採用したという方が正しいでしょう。資本主義・自由主義の国の弱点は、「弱者救済」「個人間の格差」「対外進出による相手国との摩擦」です。そこに共産主義を宣伝すれば、敵国の中に簡単に反体制派を作り上げることができるからです。

  もうおわかりでしょう。天皇を最高の権威としている日本の社会を崩壊させたいと思っている勢力(ランドパワーとその手先)が、「女系天皇」と、それに続く「天皇制廃止」を狙っているのです。
  積極的に関与しているかどうかは分かりませんが、中国は明らかに「女系天皇」を歓迎しています。  
  証拠はあります。中国の国営通信社・新華社の記事がそれです。新華社は自社のウェブサイトに、(●こちらのブログを参照)「強烈に皇室典範と人権擁護法の制定に反対している」日本の右翼勢力を批判する記事を載せています。これを反対解釈すれば、中国は皇室典範の改正に好意的だということでしょう。
  それに、政府のやることに全て反対している日本共産党が、皇室典範改正だけは諸手をあげて賛成しているだけで、おかしいと思いませんか?共産党はかつて、コミンテルン(要するにソ連)の指示で天皇暗殺を計画していた政党です。

  中国や共産党と結論が一致・・・「今国会で改正だ!」と叫んでいた小泉首相は何を考えているのでしょう?

  天皇や皇室が嫌いでも、男系天皇維持に賛成すべきです。愛子様に子供が産まれなければ、自動的に皇室はその歴史を閉じます。もしお子さまが出来ても、神武天皇の皇統から外れてしまい、「天皇制」を否定する勢力に大きなアドバンテージを与えることになります。
  女系天皇容認の「暴論」は、人権擁護法案や靖国神社の問題、教科諸問題などと同様、ランドパワーによる「攻撃」だということを、しっかり認識すべきです。  

  最後に、言いっぱなしにならないように「代案」を出しておきましょう。
  
  皇室典範を改正するなら、せめて「男系の『子』」にすべきです。愛子内親王は、父を辿っていくと神武天皇までさかのぼれるます。だから、愛子様が天皇になられても、「男系」は維持できているのです。
  それとともに、皇室基本法を定めて、旧宮家の復活、養子制度など、安定的に皇室制度を維持していくための方針を作るべきです。
  また、前回の話で私が述べたような、皇室の「すごさ」「ユニークさ」を、子どもや普通の人々(インターネットを使わない人たち)にもきちんとわかってもらうことに、もっと予算や人を割くべきです。
  予算が足りないと言うのなら、人の金でマッサージチェアを買っている社会保険庁や、6年間50兆円かけてどんな成果があったかいまだに見えない内閣府男女共同参画局など潰してしまえばいいのです。
  「今は王室を賛美している時代ではない」という人は、●映画の上映前に「国王賛歌」を流しているタイ王国に行って、「おまえたちは反動保守だ!」とタイ人に文句を付けてみてほしいものです。むしろ自国の王室を賛美しない方が異常です。

  くれぐれも、安易に女系を許して、日本を侵略しようと(させようと)している勢力に付け入る隙を与えないことです。「有識者会議」や、小泉首相周辺、さらには、ランドパワーと手を組んでいる民主党や社民党などの動きには注意をすべきです。
  逆に言えば、男系維持を続けることで、日本は古代からの秩序を基調とした国柄を守ることができます。この記事を読んだ方も、ぜひ、身近な方から皇室(神武天皇王朝)の存在するメリットを伝えていくようにしてほしいです。

【皇室典範改正問題①】皇室に男女平等など不要だ!!

2006年02月12日 21時59分40秒 | 憲法の話題
  皇室典範を改正しようという動きが、最近高まってきたようです。
  これ、実はかなり重要な話です。
  どうやら、今国会への改正案提出は見送られそうですが、そういう時こそこの問題を考えるべき時と思い、2回にわたって皇室典範改正問題を扱います。
  
  ズバリ、言い切ってしまうと、皇室典範改正問題は、「女系天皇を認めるか、男系天皇を維持するか」ということだけが論点です。

  その是非について論じる前に、我が憲法で「象徴」(1条)とされている天皇と、その母体である皇室というものについて簡単に触れておきましょう。

  私は、子どもに、日本という国が出来たのは、いつか、という質問をされて、困ったときがあります。中学時代、業者テストで社会の偏差値がずっと70台だった私ですが、考えてみると、学校でそんなことを教えられていないのです。
  しかし、どうやら、我が国が統一政権を作るきっかけになったのは、「大和朝廷」の誕生にあるようです。その初代の王が、「神武天皇」と言われる人物です。
  神武天皇が実在したかどうかはわからない、と、夢のない日教組の教員が突っ込んできそうですが、天皇や皇室というものが、我が国の建国当初から存在してきたということを、昔の人たちが信じていたことは間違いありません。

  実は、この皇室には、一つの「鉄の掟」が存在します。それは、男系による皇位相続です。
  男系というのは、父から息子へ、その息子へと、男性に家を継がせるという仕組みです。これは逆に言うと、一家の主の父親だけを辿っていくと、必ず一族の祖先にたどり着くということでもあります。

  そして、なんと、日本の皇室は、誕生以来このルールを一度も曲げていないのです!!

  失礼を承知で言いますが、これは世界遺産と言ってもいいくらい貴重なことです。神武天皇から数えれば、2600年以上(実在性が認められている応神天皇から見ても約1800年)男系というルールに基づいて一つの家が継続しているのです。
  今の天皇陛下の中には、聖徳太子だとか中大兄皇子だとか、教科書でしか名前を知らないような人物の時代から続く血が流れているわけです。30歳近くになって初めてこれを知って、私は正直感動しました。(笑)
  すごい!と思っているのは、私だけではありません。外国の方々も揃って皇室のすごさを認めています。以下のようなエピソードでも、それがわかります。

 ●アメリカの大統領が、空港まで白ネクタイ
  で出迎える


  世界最強(最凶?)の権力者、アメリカ合衆国大統領が、上のようなスタイルで「ぺこぺこ」しなくてはならないのは、世界でたった3人だけです。ローマ法王、イギリス国王、そして、日本の天皇陛下です。

 ●英国の女王が上座を譲った

  イギリスの現在の王朝はウィンザー朝(ウィンザー家の王朝ということ)で、改称前のハノーヴァー朝時代から数えると、292年間続いています。イギリスの女王は、今でもイギリス連邦(カナダ、オーストラリアなど、旧英国領)の元首ですが、それの人物が上座を譲る、つまり、自分より上だと認める王侯貴族は、日本の天皇だけです。

 ●ローマ法王がわざわざ皇居まで出向いてきた

  ローマ法王は泣く子も黙るキリスト教(カトリック)の世界のボスです。その法王、ヨハネ・パウロ2世が、慣例を破って、自らその国のトップのところに赴いたのは、日本を訪問したときだけです。
  
  非常に乱暴な言い方をしてしまえば、世界で最も権威のある一家が皇室なのです。
  その理由は、非常に単純です。皇室が、信じられないほど古いからです。ずっと同じ仕組みで血統を維持してきているという、ただそれだけの理由です。戦乱で王朝が無くなってしまうのは、世界史上珍しいことではありません。だからこそ、「世界で最も古い王朝」である日本の皇室のユニークさが際だっているのです。

  ところが、その世界最強の王朝を、台無しにしてしまおうという試みがあります。「女系天皇」の導入がそれです。
  問題点をいちいち説明しても迂遠なので、下の画像をご覧頂くとよいでしょう。

  

  そうなのです。女系天皇を認めてしまうと、愛子内親王の家系の男系を辿っても、女系を辿っても、歴代の天皇にたどり着かないのです。
  このことは、「世界で最も古い王朝」の滅亡を意味します。
  お金や権力や軍事力は後からなんとでもなりますが、世界最古の王朝の称号と、それに伴う権威は二度と戻ってこないのです。勿体ないことだと思いませんか?

  ここまでは、この問題を扱ったブログなら、たいてい触れている問題です。
  しかし、ここから先がこのブログの真骨頂です。(オーバーな)
  実は、女系天皇を認めてもいいのではないか、という、その考え方自体が、大きな問題を抱えているのです。

  女系天皇を認めるべきであるという主張の多くは、

 「皇室も男女平等の方がいい」

  という、ごくごく単純な理由によるものです。
  なんと浅はかな、と、笑う無かれ。単純だけに、これを批判するのは非常に難しいのです。
  しかし、私は敢えて言います。

  皇室には、
  男女平等など不要だ!!


  と。  
  
  なぜなら、文化伝統を現代人の感覚で裁くのは、「事後法による裁判」という、最悪中の最悪のやり方だからです。
  事後法というのは、犯罪行為があった後に、それを裁くために作られる法規範のことです。法学の世界では、これは「絶対にやってはならない禁じ手」として知られています。  
  分かりやすい例を書きます。
  朝、Aさんが通学途中に、田舎にあるB駅の近くに自転車を放置した。そうしたら、その日の正午から行われたB市議会で、「自転車強制撤去条例」という条例が可決された。その条例は、「可決の時点からB駅周辺の自転車は、見つけ次第即刻撤去して鉄クズにする」という内容だった。当然、Aさんの自転車は撤去された。学校が終わって返ってきたら、Aさんは自転車がなくなってしまったので途方に暮れた・・・。
  これ、あなたがAさんだったら、「そんな条例知らん!」と文句を言いたくなるはずです。当然です。駅周辺に駐輪したら撤去されることを知っていれば、そこに止めないという選択も出来たはずです。ところが、その機会もなく、自転車を鉄クズにされてしまった。
  これが「事後法による裁判」です。要するに、不意打ちなのです。だからこそ、重要な法律や憲法は「公布」(みんなに知らせる)と「施行」(実際に効力を持つ)を分けているはずです。
  確かに、同じ人間で、一つの人格を持っている、だから男女が平等なのは当然だ、という理屈は、シンプルで理に適っているように思えます。
  しかし、そのような考え方、いわゆる「近代合理主義」が広く知られるようになったのは、どう古く見積もっても西欧のルネッサンス(14~16世紀)、一般庶民のレベルで言えばフランス革命(1789年)の頃でしょう。皇室の男系相続は、それよりずっと前から存在しています。男系が男女平等という公理に合わない不合理なものだ、という主張は、完全な反則です。そんなこと言う奴が馬鹿だと言われても仕方がありません。
  だったらお前は中国の纏足や奴隷制度も認めるのか、という声が聞こえてきそうですが、そういうものと男系天皇を比べること自体が愚かです。男系天皇という制度が人を殺したり人権を蹂躙したりしたというのでしょうか?
  不合理な伝統なら変えなくてはいけない!というなら、ローマ法王や歌舞伎役者には男しかなれないことも同じように不合理です。「歌舞伎の世界は男女差別だ!」などと叫ぶ馬鹿はいないはずです。男系天皇もそれと同じなのです。

  それに、そもそも、「男女平等」って、そんなに偉いものなんですかね?

  人類が生まれて何百万年経ちますが、男女が完全に平等だった社会は一度も実現していません。それどころか、実現しようとすると、社会がおかしくなってしまった例はたくさんあります。
  ロシア革命直後のソ連で、法律によって家族制度を廃止したことがあります。専業主婦が搾取されているから解放して人類平等を実現するというのが理由でした。その結果、少年による強姦事件が増え、もてる男が少女を手当たり次第に妊娠させ、その多くが堕胎し、社会秩序が崩壊することになりました。(ちなみに、社民党党首の●福島瑞穂氏は、著書●「結婚と家族」(岩波新書)で、この家族制度廃止を絶賛している方です)
  もちろん、こんな世の中がいいという人は福島さんとそのお仲間たちくらいしかいないので(笑)、スターリンが実権を握ってすぐに元の家族制度が復活しました。
  最近では、左翼勢力が政権を握ったノルウェーで、女性の役員比率を40%以上にしない企業は処罰する、という法律を作ったら、移行期間中に8割弱の企業が違法状態になってしまいました。これで、罰則を嫌った上場企業がみんな海外に逃げていったら、「国破れて男女平等あり」という悲惨な状況になるでしょうね。
  こんな不自然な下駄を履かせなければ実現できない「男女平等」が、人類不変の真理なのでしょうか?大いに疑問です。妄想癖のある方々が実権をするのは勝手ですが、そのために社会や普通の人々を犠牲にするのはやめてもらいたいです。勝手に内ゲバでもやってろ、という感じです。

  男女平等が男系天皇制度を廃止する根拠として弱いのはわかった。
  しかし、それでも「天皇制」を廃止すべきだ!!

  ・・・・そんな声を●この新聞の投書欄などで目にします。私の同僚にも、さしたる根拠も無いのに、「天皇制」を廃止すべきだと主張している人がいました。(ちなみに、普段はとてもいい人です)
  どうも、皇室というものに漠然とした反感を持っている日本人が多いように思います。そして、その声が、女系天皇導入、すなわち、「神武天皇王朝の崩壊」を後押ししているように思うのです。
  
  本人たちにどういう意識があるのかはわかりませんし、好き嫌いもあることでしょう。しかし、ここで一つ忠告しておきます。
 
  日本で、諸外国に比べて安定して豊かな生活をこれからも営んでいきたい、と思っているなら、皇室制度は絶対に否定すべきではありません。
  なぜなら、天皇や皇室を否定すれば、日本を食い物にし、蹂躙しようとしている勢力に荷担することになってしまうからです。

  種明かしは、次回の記事と言うことで・・・。

【怒】どうして、実名報道しないんだ!?【怒】

2006年02月08日 22時46分39秒 | 社会と教育


  秋篠宮妃殿下紀子さまのご懐妊、
  心からお慶び申し上げます!!


 
  どうも、皇室絡みで嫌な出来事が起こっている最中にこの慶事・・・正直、ここまで来ると、日本には本当に八百万(やおよろず)の神がいるのではないかと思ってしまいます。
  親王(男の子)であれ、内親王(女の子)であれ、まずは無事に出産していただきたいと思います。


  ・・・と、思っていたら、多すぎて新鮮味も欠けてきた「不祥事」のニュースが入ってきました。

(以下引用)

<着替え盗撮>男性教諭認める 愛知県警が捜査
(毎日新聞 - 02月08日 15:13)

 愛知県一宮市内の小学校に勤務する男性教諭(36)が、女子児童らの着替えの様子をビデオカメラで盗撮していたことが8日、分かった。保護者の被害届を受け、同県警一宮署は軽犯罪法違反容疑で捜査を始めた。

 同市教委によると、1月31日午前、同小の体育館で、健康診断の心電図測定のため着替えしていた女子児童が、青い布で覆われ粘着テープで固定されたビデオカメラがあるのを発見した。カメラは撮影中で、児童は担任である男性教諭に伝えたが、上司に報告はなかった。翌日、児童から話を聞いた別の教諭が不審に思って事情を聴いたところ、男性教諭は盗撮を認めたという。カメラは学校の備品で今月3日、学校内のゴミ箱から引きちぎられたテープが見つかった。

 8日会見した馬場康雄同市教育長によると、教諭は2日から自宅謹慎中で、4日に保護者への説明会を開いた。馬場教育長は「教育に携わる者にとって許しがたい行為。監督不行き届きで申し訳ない。子供たちの心のケアと再発防止に努めたい」と謝罪した。【井上章】

(引用以上)

  教師の適格云々について、ここでは多くを述べません。

  それよりも、みなさんももっと違う視点の怒りを持ってみましょう。

  なぜこのような教師(公務員)にあるまじき犯罪をしながら、氏名が公表されないのでしょうか??これが、警察官や自衛官の方であれば、すぐに所属部署に至るまで公開され、あっという間に懲戒免職でしょう。

  これには、いろいろ原因があると思います。一つには、学校という社会の閉鎖性がそれです。校長や教頭が管理不行き届きで処分されるのを怖れて、なるべく「ことを穏便に」済ませようとするわけです。
  しかし、そういうのは、立派な「隠蔽」ではないでしょうか。

  もう一つは、日頃実名報道させろとうるさい大マスコミが、教員の場合全くと言っていいほどしつこく追及しないということです。
  大きなマスコミというのは、どうも世間と感覚がずれているようです。普通、「実名報道」というと、加害者の実名を公表しろ、というのが議論の焦点になるはずです。
  しかし、ジャーナリストを称してテレビに出ている人物たちは、それと全く違う「問題提起」をしてしまっています。●こちらのブログをご覧頂くと、それがよく分かります。

(以下引用)

 田原総一朗氏や鳥越俊太郎氏らテレビキャスターとジャーナリスト21人が8日、犯罪被害者の実名を公表するかどうかを警察の判断に委ねた政府の犯罪被害者等基本計画案の修正を求める緊急提言を発表した。

 提言は、実名か匿名かはメディアが自律的に判断すべきだとした上で「実名発表がなされないと、犯罪の背景や事実確認の検証が困難になり、国民に真実が伝わらない」と訴えている。

(引用以上)

  なんと、彼らは被害者の名前を公表させろ!と警察に要求しているのです。呆れてものも言えません。
  報道による二次被害は、「ロス疑惑事件」や「松本サリン事件」でついぞ有名になったはずです。しかし、そういう自分たちの過失は全く認めず、被害者の身辺を踏み荒らすような真似を「真実」という言葉で美化しようとしているのが、大マスコミとその御用ジャーナリストたちなのです。
  そのくせ、人権擁護法案や、朝鮮総連への陸上自衛隊の防衛機密漏洩といった、国民の自由や安全に関わる出来事をほとんど報道しようとしないのです。何が公器だ!!社会の木鐸だ!!と、怒りすらこみ上げます
  邪推ですが、もともと社会主義にシンパシーを抱いているマスコミ(特に、朝日・毎日)が、同じ社会主義者の日教組や全教に遠慮しているのではないか?・・・とさえ思えます。
  おっと、こんなことを言ってしまうと、人権擁護法案の「特別救済手続」にかけられてしまいますね。大マスコミにとっても、あの法案があった方が都合がいいのかもしれません。

  なにしろ、「犯罪者」の氏名がわからず、それを社会の木鐸を自称するマスコミが追及しないとなれば、自ずと結果は知れているでしょう。
  そう、きっとこの先生、どこかに飛ばされておしまいでしょうね。そして、ほとぼりが冷めたら、また似たようなことをやり出すかもしれません。

  給料や待遇も指弾に値するのかも知れませんが、教員が信用されなくなってきている最大の原因は、民間人から見ればあまりに非常識な人事なのではないでしょうか。
  公務員、特に教員の方には、今一度「全体の奉仕者」(憲法15条2項)であるという自らの役割を自覚してほしいと思います。

ドラマの中の先生と、塾という場所

2006年02月07日 00時27分09秒 | 塾・仕事関係
  今日、やっと私が担当する小学6年生の全てのクラスの受験日程が終わりました。

  残念ながら、全ての生徒が望むような結果を出せたというわけではありませんでした。名の知れた難関校に合格した生徒も結構いたのですが、思うようにいかなかった生徒のことを思うと、あまり素直に喜べません。
  中には、10校近く受験して、まともな結果は補欠1つという子もいました。私立入試の補欠は、2月中旬まで待たされることはざらです。落ち着かない日々を過ごすことでしょう。そういう状況を作り出してしまったのは、私の責任でもあります。
  塾やクラスとして○○中学に何人受かった、というのは、確かに成果として受け止めてよいと思います。しかし、実際に塾に通い、勉強して、受験をした個々の生徒の家庭から見れば、そんなことは関係ありません。不満感を持ったまま幕切れに至ってしまう生徒に対しては、申し訳ないという気持ちで一杯です。

  なんですって?そんな偽善的なことを言うなですって?

  なるほど、みなさんは、塾というと、とにかく受からせればいいとテクニックの指導に走っているとか、合格実績にならないような生徒は無視しているなどという印象をお持ちでしょう。実際、どこかの保守系の雑誌で、●京都のこの事件のことを論じた記事にも、塾というのは、合格させることだけを考えて、頭の悪い生徒をほとんど切り捨てているいるドライな場所だという下りがあったのを覚えています。

  断っておきますが、私は塾は勉強をするだけの場所であるということは全く否定するつもりはありません。
  否定するどころか、学校も勉強をするだけの場所にすべきだと私は思っています。

  いわゆる戦後民主主義教育といわれているものは、自由な対話や人格の交流が目的であり、知識の伝授は二の次になっています。
  わかりやすく言えば、「金八先生」の世界です。あのドラマには、生徒がムキになって単語を覚えたり、もがくようにして計算問題を解いているような場面があまり見あたりません。そのくせ、なぜかトラブルだけは沢山生じます。(笑)
  「金八先生」を見ていると、まるで教師というのは生徒のトラブル解決係のように思えてくるから不思議です。あの、全てのトラブルを人間性で解決してしまう武田鉄矢さんの姿を見て、「先生になりたい」と思った人は多いはずです。「金八先生」こそ、教育の理想だと思われていたのです。

  このような「理想的な」教育が、どのような成果を上げたかについて、私がいちいち紹介しても仕方がないでしょう。現場の教員の方々には失礼かも知れませんが、はっきり言って大失敗でした。学級崩壊や少年犯罪の増加は、学校教育に訴求力がないことを示しています。
  失敗の原因は簡単です。教育における目的設定が間違っているからです。
  公教育には、予算や人員の制約があります。その中でできることと言えば、、独学の難しい知識の体系的な伝授や、物事の原理や関係性を分かりやすくかみ砕いて理解させることくらいしかありません。
  しかし、その過程では、どうしても人間的な交流が生じてしまうのです。これは当然でしょう。ものをよく教えるには、相手を知らなくてはいけないからです。そうなれば、生徒を呼んで話を聞いたり、できが悪ければ残して勉強させたりすることになるわけです。話を聞いていない生徒は、叱りつける必要も出てきます。
  実は、知識の伝授という目的を突き詰めていくと、結局は人間そのものの教育をやらざるを得ないのです。
  ここは非常に重要です。教え手は、知識や理解の伝授を通じてこそ、教える相手と交流できるのです。
  それなのに、どうも教育というと、大人が子ども相手に、非常に偏った人生観を植え付けたり、夢だの希望だの中身のない概念をばらまくものであるという印象が強いのが現状のようです。具体例は、いささか古いですが、「夕陽丘の総理大臣」というドラマで、中村雅俊さんが演じた教師役です。あの人がまともに勉強を教えている場面を、(再放送で見た)私は全く記憶にありません。
  はっきり言いますが、あれが教師の理想像だとしたら、学級崩壊が起こって当たり前です。なぜなら、あの「総理」のような事が出来るのは、ごく少数の、特に優秀な教師だけだからです。それがスタンダードになってしまえば、他の「ふつうの」教師の授業は、つまらないだの、型にはまっているだの、マイナス評価されるに決まっています。

  「塾はドライな場所だ」という決めつけも、おそらくそういう夢物語を捨てられない人たち(団塊の世代に多い)が作り上げているイメージなのでしょう。実際のところは、合格という結果を出すために、かなり「濃い」人間模様が描かれる場所です。ただ知識だけを教えていてはダメです。それを通じて、生徒のいろんな力を引っ張り上げるというつもりでやらなければ、とても成功はしません。
  だから、知識を一方的に喋っておしまい!という人は、この業界でも「劣等生」です。ただ、知識を喋るなら、上手な先生のビデオを流せばいいだけですからね。

  上のような理解に立てば、学校が知識や理解の伝授という本来の目的を取り戻せば、塾は不要ということになります。ある市会議員の方がおっしゃっていましたが、それこそ学校教育の理想の姿です。学校教育は、何よりも中身のリストラをして、本来あるべき姿を取り戻すべきです。
  なお、不要になったら、私はまた別の仕事をやるので、心配しなくても結構です。(笑)

  最後に、私が今年経験した「濃い人間模様」を一つ紹介しておしまいにします。

  ●前回の記事で、入試付き添いの朝に私に会うなり、「インフルエンザにかかって来なければよかったのに!」と元気のいい(笑)言葉をかけてくれた彼女のその後です。
  実は、彼女も受験で苦戦した一人です。2月1日の本命の学校は、さすが難関だけあってあえなく不合格でした。しかも、その次の2月2日に、確実に受かると思われていた女子校にも不合格。そして、その女子中を再び受けたら、また不合格になってしまいました。

  このままだと、行く学校がないのでは?・・・と、私も焦りました。親御さんや、本人はもっと焦ったでしょう。

  しかし、彼女は私が以前に日程が空いているからと勧めた中学(かなり難しい)に、見事合格してくれました。二回受けた中学よりも受かりにくいだろうと思っていたところです。我が事のように、いや、自分の事よりも嬉しかったです。
  あとでそこのお母さんと電話で話す機会がありました。会うなり「来なけりゃいいのに!」と言ってくる子です。頭は切れるのですが、ものすごい「マイペース」で、お母さんも苦労したようです。夜中まで本を読むのをやめろとか、風呂に入ったら頭を刺激するような作業はやめて床に就けとか、私もいろいろアドバイスしたのを覚えています。
 「ほんと言うと、何度塾を辞めさせようと思ったことか」と、お母さんに言われて、私は肝を冷やしました。しかし、どうやら本人が「絶対に止めたくない」と言い、親御さんサイドも不承不承、私のところに通わせたそうです。

  何が、そこまで彼女の足を運ばせたのだろうと思いました。
  すると、お母さんが、

 「あの子は帰ってくると、いつも○○先生が
  こんなことを言ったとか、こうやって
  言い返してやったとか、毎回毎回
  言ってたんですよ。話題に上らない日が
  ないくらいで。」

  一応言っておきますが、○○先生というのは、私の名前です。(笑)

  そうだったのか・・・と、ため息が漏れました。
  口は悪くても、ちゃんと私を信頼してくれていたのでしょう。

  
  受験生の皆さん、親御さん、塾の先生方の皆さん、本当にお疲れさまでした。
  
 

君の背中を見送る時

2006年02月01日 23時09分34秒 | 塾・仕事関係
  季節的なことを簡単に書いてみようと思います。

  東京の私立中学の入試は、今日2月1日から解禁になります。
  みなさんも、テレビでなら、有名な中学(例えば、開成中)などの前に、塾の先生がずらーっと並んで、子どもと握手などしている風景を見たことがあるかも知れません。「入試付き添い」という、年中行事です。

  私も、小学6年生を教えているので、都内のある中学校に朝から行って参りました。

  相当有名な中学と言うこともあり、いろいろな塾の先生方が校舎の前に群がっています。その間を縫うように、生徒や保護者の方が会場に入っていくのです。どっちが主役だかわかりません。(笑)
  先生たちも、ここまで生徒たちに精一杯入試の勉強を教えてきて、もう出来ることといえば、会場の前で声をかけて励ますことくらいしかありません。塾業界は朝がダメな人たちの集まりなのに、みんな張り切って受験生を迎えています。
  当然、私も、この中学を3人の生徒が受けるということで、最後に一声かけようと思っていました。

  さて、その中に私がどうしても本番前に声を掛けてやりたかった女の子の生徒がいました。

  人でごった返している会場の中で、予定の時間になっても彼女とお母さんの姿が見あたりません。大人、子どもの間を縫うようにして歩きながら、彼女の姿を探していると、私の名前を呼ぶ声がしました。
  慌ててそちらに向かうと、お母さんと一緒に彼女が傘を差して立っています。おはよう、と声を掛けると、第一声がすごい。

 「なんでインフルエンザとかかかってくれなかったんですか??」

  要するに、「付き添いに来なくていいのに!」ということを言いたいようです。なんという不埒な!!と思うかも知れませんが、この子はもともとこういう子なので、あまり気になりませんでした。
  彼女は、非常によく本を読む子で、知識がかなり豊富です。その反面、生意気なところがある子でした。しかも、口が悪い。男子に絡んで「馬鹿やろー」くらい平気で言います。黙っているときれいな女の子なのですが、もうこればかりは性格ですね。うるさくならない限度で放っておきました。
  こういう子ですから、生活が不規則だったり、親の言うことをなかなか聞かなかったり、私も苦労しました。
  
 「たのむから、面接の時に文句や暴言を口にしないように」と、私が(ふざけて)釘を差すと、「そんなのわかってます!」と力んだ口調。照れ隠しでしょう。わざと格好つけて、大人に対してぶっきらぼうに話す時期が、誰にでもあったはずです。彼女は、その真っ直中にいる。

  そういう、大人には理解しにくいところにエネルギーや情熱を傾けている様子が、性別や、勉強の量こそ違えど、子供の頃の私とどこか重なるのです。

  せっかくだから、入口まで付いていってやるよと言ったのですが、彼女は「大丈夫です」と、ニコリともせずに歩き出します。どうしていつもこの子は、わざとらしくかしこまった言葉遣いをするんだろうな・・・と思いましたが、子どもの弱さを見せたくない強がりなのでしょう。
  お母さんに会釈すると、「いつもこんな感じですみません」とでも言いたげに苦笑いしていました。
  入口のすぐ手前でやっと追いつきました。握手などして、「頑張ってこいよ!」「はい!」などというやりとりが普通なのでしょう。しかし、さっさと逃げていく背中を追うのが精一杯で、それどころではありません。

  まあいいか。見送り方くらい、子どもの数だけあっていいだろう。

  私はそう思って、わざとらしい「最後のシーン」の演出は諦めました。
  すぐ前に彼女がいます。受験票を確認すると、また早足で歩き始めます。
 「しっかりやってこい!」と、去っていく背中に声をぶつけるくらいしか、私には出来ませんでした。

  他の受験生が教室を探してうろうろしている校舎の暗がりの中に、彼女が吸い込まれていきます。

  その時、私は初めてある感情がわかりました。

  もう、ここから先は、守ってやることも、叱ってやることもできない。彼女が自分自身で、問題と向き合うしかない。
  そんな子どもを見送るとき、きっと、親なら皆、味わうのだろう。ただ「がんばるんだよ」と声をかけて、背中を見守るしかない、これ以上ない切なさを。

  彼女の姿は、あっという間に消えてしまいました。


  最後まで、がんばれよ!!


  見えなくなっても、思わず声をかけていました。

  この仕事の悲しいところは、どんなに精魂を込めて人を育てても、こうして呆気なく終わりが来ることだと思います。毎年、「この子たちなら、もう1年授業をしてもいい」と思うのです。でも、それは許されません。
  しかし、逆のことも言えるのです。こういう、結実の時があるからこそ、長く過ごした時間が輝くのだ、と。
  どこの学校に進むかは、結果でしかありません。それでも、私が撒いた種が、どこかで、ものを見る目や、人の役に立とうという精神という形で、実を結んでいるといい。

  彼女が消えていった後も、しばらくそんなことを考えていました。


  すみません・・・例の大問題は現在構想中です。