日々是勉強

教育、国際関係、我々の社会生活・・・少し上から眺めてみよう。

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【おかしいのが】全教ってすごいよ!!(笑)【ここにもいた】

2005年12月31日 10時57分16秒 | 日教組関連
  今年最後の記事です。今日は全日本教職員組合(全教)という団体を紹介します。

  教職員組合という名称が付く団体にろくな団体がないことは、みなさんもこのブログを少しご覧になればおわかりでしょうが、全教というのは、「ろくでもない」だとか「左翼」だとか、そういった形容では足りません。

  一言で言えば、「異様」な連中です。いや、カルト宗教といってもいいかもしれません。

  紹介が遅れましたが、全教は「1991年3月6日、全日本教職員組合協議会(協議会・全教)と日本高等学校教職員組合(日高教)の組織統一によって誕生し」たそうです(HPより引用)。日本労働組合総連合会(いわゆる「連合」)の結成に反発した教職員組合員が、分裂したようです。
  なぜ、「連合」がダメなのかというと、連合が共産党を支持していなかったからというのが本当のところのようです。日教組の中でも、共産党を支持する人は「左派」と言われていました。
  あの左翼思想そのものの日教組の中でも、さらに「左より」なのが全教というわけです。どういう団体かは、だいたい想像が付きますよね?

  残念なことに、全教は言っていることがほとんど共産党の政策と同じなので、おちょくる要素が少ないのが玉に瑕(きず)です。
  それでも、面白いことを言っている部分はあります。ここではその「一端」を紹介しておきます。

  まず、ホームページを見てみましょう。

  http://www.zenkyo.biz/index.html

  URLのアルファベットに注目です。

    "biz"

  教職員組合と"biz"(ビジネス)・・・どういうつながりがあるんでしょうか??
  
  私の知り合いの小説家(の卵)で必要もないのに週1回わざわざ朝のラッシュに揉まれて東京駅まで行く人がいます。理由を聞くと、「あの中にいるとなんか世の中の流れについていけてるような気がしていい」のだそうです。でも「毎日は嫌だから週1回」だと(笑)。全教の人たちも、「ビジネス」と言う言葉に、何か憧れを抱いているのかも知れませんね(笑)。

  ホームページ内のリンクにも注目です。

  「給与構造の見直しに伴うあなたの賃金損失は?」

  これをクリックすると、変なエクセルのファイルがダウンロードされる仕組みになっています。ダウンロードの表示があまりにも唐突なので、ウイルスプログラムだ!と思われ兼ねません(笑)

  給与構造の見直しというのは人事院が進めている地方公務員の賃金体系の見直しのことです。

  googleで検索してみたところ、●こんなサイトが見つかりました。

  ・・・これだと、どの法律をどういう風に見直すのか、客観的な把握が全く出来ません。どうして労働組合という連中は「改悪」とか「不当」とか「心一つにたたかう」とかいう感情的な表現ばかり使うんでしょうか?身内だけで盛り上がっていて、組合員以外の人間が目にしたら白けるだけです。●こんな連中に支持されている政党が、広く国民の支持を受けるわけがありませんよね。
  全教の作ったエクセルファイルにしても、自分の給料が減らされる!という被害者意識ばかりが伝わってきてしまい、同情する気に全くなれません。
  わたくし事ですが、昨日まで冬期講習があり、風邪を引いてろくに食べ物も喉を通らない状態だったにも関わらず、2日間で合計17時間の授業をしました。代わりの人がいないから、しかたがないのです。民間企業はみんなそういう努力をしているのに、ボーナスも休暇も確保されているお前らが、たった5%給料が下がるくらいでギャーギャー言うな!!と全教の連中に言ってやりたい気分です。

  さて、全教も日教組同様、義務教育国庫負担金をなくすな、という主張をしています。
  それ自体は別に面白いことではないのですが、その主張の仕方が「やっぱり全教は違う」と思わざるを得ません。

●義務教育費国庫負担制度にかかわる職場ジャンボはがきのとりくみを!

  ・・・どうやら、首相官邸に、「ジャンボはがき」というものを送りつけようと言う作戦のようです。
  ●こちらのPDFファイルがその「ジャンボはがき」というやつなのですが、馬鹿でかいです。幅だけで23センチもあります。
  小泉首相も内閣府の役人も、こんなのを大量に送りつけられたら、処理に困るでしょう。はがきを利用したテロの一種と言ってもいいかも知れません。ゴミと言ってもそのまま捨てるわけにいきません。きっと、首相官邸のシュレッダーは大活躍していること間違い無しです。

  最後に、「きっと韓流ドラマってこういうオバサンたちがムキになって見てるんだろうなぁー」と感じる記事を。

●世界女性行進まもなく到着

  出ました出ました。日教組も「教え子を再び戦場に送るな!」など、かなりの電波を発していますが、全教は周波数も電波の強さも、日教組を凌駕しています
  のっけから「女性」「平和」「人権」という、反日左翼のスイッチが入りそうなキーワードのオンパレードで、「さすが日教組の左派は違う」と思わせれくれます。

  しかも、この女性後進とかいうイベント、韓国でもやってしまったようです。そこで出てきた「韓国女性へのメッセージ」がまたすごいすごい。


>韓国ドラマのファンです。人間の尊厳と愛を守れるのも平和が
>あってこそ。日韓の友情のためにも日本国憲法9条の誇りを大切に
>していきたい!


  書いている内容もそうとういかれていますが、「9条の誇りを大切に」って日本語が変です。「9条を誇りに思う」のか「9条を大切にする」のかはっきりすべきです。もしかしたら、「憲法第9条はどうでもいいから、それを誇っている(偽善的な)自分を大切にしてくれ!」という意味なのかもしれません。


>アジアが手を取り合って世界平和と女性解放に向かうことを
>心から願います。


  ●こんな素晴らしい教育をなさっている国々と、我々日本人が「手を取り合って」などと、私にはおこがましすぎて口に出来ません(笑)。
  世界の女性を解放する前に、あなた自身がまず戦後民主主義教育や、捏造韓流ブームから解放されてください。

>昔から日本は朝鮮の方々からたくさんのことを教わってきました。
>感謝と敬意を払っています。平和を築く母親として
>がんばっていきます。


  漢字や仏教のことでしょうか。あれは別に朝鮮人が発明したわけではないですから、そんなに朝鮮側に威張られても困ります。この人も、1910年の併合後国費の20%近くを支出して朝鮮を近代化してきた戦前の日本の功績は全く知らないんでしょうね。

>世界に誇れる日本国憲法9条。
>これを改悪しようとしている
>日本政府に反対する勢力もたくさんありますので
>手をつないで阻止したいです。


  改めて読んでみたのですが、ここも日本語が変ですね。「改悪しようとしていて、なおかつ日本政府に反対する勢力」なのか、「日本政府が憲法を改悪しようとしていて、これに反対している勢力」なのか、いまいちよくわかりません。仮に、前者だとすると、全教は日本政府を援護射撃する羽目になってしまいます(笑)。   
  まあ、おそらく後者の意味だと思いますが、それにしても「日本政府に反対する勢力もたくさん」・・・いるんでしょうか?私は「自衛軍」を持つことは100%賛成です。憲法の裏付けのない軍隊の方がかえって危ないです。全教の方々が大好きな平和憲法のコスタリカにも「国境警備隊」という軍隊類似の組織が存在しています。丸裸で平和を唱えれば全てうまくいくなどというのは、ただの幻想です。

  最高なのがこれです。

>歴史を学ぶと…日本の軍国主義が韓国の民衆にどれほど
>多くの苦しみと悲しみをあたえたのか!と心がいたみます。
>平和憲法を守り軍国主義復活を許さない運動をすることにより、
>仲良くしたいです


  この人は歴史を全然学んでいません。●こういうサイトを見たことがないのでしょう。
  憲法改正が軍国主義に直結するという思考の飛躍もすごいです。私が見た中で一番すごかったのは、●この投書です。衆院選で自民党が296議席を獲得→徴兵制が敷かれて子どもが戦死するというのは、脳のどこら辺を使ったら出てくるのでしょうか。全教もそうですが、左翼団体は想像力が豊かすぎます。

  さて、2006年はこのブログもアドバンス版にグレードアップする予定です。ブログの内容が「全然アドバンスになっていない」というご批判を頂かぬよう、頑張って参ります。

  また来年もよろしくお願いします。 
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子供じみた投書をする馬鹿、それを堂々と選ぶ馬鹿

2005年12月27日 23時27分20秒 | 社会と教育
  ●狂想~電波投稿を食べないというとても面白いサイトがあります。投書を集めたブログなのですが、そこに、暗澹たる気持ちになるような記事がアップされたので、みなさんにも紹介しておきます。

(引用開始)

ブザー押さず遅刻した生徒

主婦 篠田 淳子(愛知県豊田市 49歳)

 その朝、娘はいつものように豊田市駅前から通学の高校生で満員の名鉄バス
に乗りました。

 学校近くの停留所前になっても、誰も停車のブザーを押しませんでした。
 停留所を過ぎそうになって、あわてて押しても間に合わず通過しました。

 やむなく、次の停留所まで行き、かなりの距離をみんなで歩いて戻ったそうです。

 全員遅刻。
 ブザーを押さなかった生徒が悪いのは当然でしょう。

 運転手さんもマイクでそんなことを言ったそうです。
 しかし、その時間帯の乗客は同じ高校へ通う生徒がほとんどです。

 ブザーが押されなくても、生徒が降りることはわかっていたはずです。

 「みなさん、降りなくていいですか」となぜ聞けなかったのでしょうか。
 そうしたら、「ああ、いい運転手さんだった」と思い、さわやかな気分で朝のスタートが切れたことでしょう。

 いい大人に出会えることは、子どもたちにとってとても大事なことではないでしょうか。
 これが高校生でなく、高齢者や体に障害のある人だったりしたら、と思うとゾッとします。

(2005年12月23日 名古屋本社版)


(引用以上)

  ・・・ええ、みなさんよくお分かりですね。この投書が乗ったのはもちろん

    朝 日 新 聞 

  です。

  投書の内容を要約すると、「娘が遅刻したのは、運転手、おまえのせいだ」ということです。身勝手な親、というか、身勝手な大人です。高校生にもなってブザーを押す判断一つ出来ない娘を叱ったのならまだしも、公のメディアに投書までして援護するとは、情けなくて涙が出てきそうです。

  この投稿者の卑怯なのは、自分の娘を「悪く」扱われた不満を、生徒一般にまで広げている点です。こういうのは、左翼や人権団体が常套手段にしている、「一部の例を針小棒大に取り上げて一般化する」典型的な例です。
  しかも、「障害者」ってなんですか?(笑)「狂想」の管理人の方も突っ込んでいましたが、障害者を口にすれば全て正当化されると思っているところがますます気にくわないです。
  きっと、この人自身、「同和地区出身者」とか「在日コリアン」とか聞くと、無条件に「美化スイッチ」が入ってしまう頭の持ち主なのでしょうね。

>いい大人に出会えることは、子どもたちにとってとても大事

  だったら、まずお前がつまらんことを言う大人になるな!!
  人にはいろいろ道義的な要求をするくせに、自分では全く責任を果たそうとしない。子どもっぽい我を通すことを、「自分らしさ」や「筋を曲げない潔さ」と勘違いしている、「マイノリティ」をご神体のように崇拝してことあるごとに言説に取り込む・・・

  お前、日教組だろ?!

  と思わず問いかけてしまいました。(笑)  

  こんな子供じみたエゴ丸出しの投書を載せる新聞が、「クオリティーペーパー」(たぶん自称)と言われているのですから、笑えますね。どうせ、投書を選んでいる人間も、それにオッケーを出す人間も、みんな投稿者と同レベルの幼稚な人間だらけなのでしょう。

  思わずむかついて記事にしてしまいました。さて、冬期講習があと3日残っているので、そろそろ寝なくては・・・。
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ロシア=言論弾圧国家

2005年12月26日 23時30分27秒 | ロシア関連
  以前、私は●最も大切な自由は「表現の自由」だという記事を書きました。その自由とは少しそれますが、関係のありそうなニュースがあったので紹介しておきます。

(以下引用)

露下院がNGO規制強化法案を可決、開設を許可制に
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20051223i515.htm?from=main5

 【モスクワ=五十嵐弘一】ロシア下院は23日、民間活動団体(NGO)に対する規制を強化する法案を賛成357、反対20、棄権7の賛成多数で可決した。
 上院が可決し、プーチン大統領が署名すれば発効する。プーチン政権は、ウクライナなどで相次いだ政変で、外国からの支援を受けたNGOが大きな役割を果たしたとみており、規制強化は、ロシアでの政変発生の封じ込めが狙いとみられる。

 法案では、これまで登録だけを義務付けてきたNGOの開設を、外国NGOをのぞき、当局の審査が必要となる許可制に変更。そして、NGO設立の目的が、「ロシアの主権、政治的独立、領土保全や国益に反する」場合、露当局は登録を拒否できると規定している。

 NGO団体側は「極めてあいまいな表現だ。当局者の恣意(しい)的解釈が可能で、政権が気に入らないNGOを禁止することが容易となる」と反発。また、米国も「民主社会の発展にNGOは重要」(ライス国務長官)と懸念を示している。

(引用以上)

  都合の悪い者はもみ消してしまえ、という全体主義国家の匂いが強烈に漂ってきますね。
  ロシアというのは、ほとんど言論弾圧国家だと言うことができます。●こちらのURLなどが参考になります。●テレビ局を全て国家が掌握しているなどという信じられない話もあるようですね。
  
  そもそも、テレビのようなマスメディアを、言論の自由の主体と見るのはかなり無理があると言えます。テレビというのは、メディアの中では最も設備投資がかさみます。そうだとすると、どうしてもスポンサーが必要になり、その方面からの圧力に弱くなるのです。
  さらに、電波は有限だということで、様々な法的規制が課せられるのが普通です。そうなると、今度は国家によるコントロールが及ぶことにもなるわけです。
  マスメディアの存在がかえって言論統制をしやすくするということも言えそうです。ロシアの例は、テレビ局が言論統制に屈しやすいという、非常に分かりやすい例だと思います。

  そこで、今度はNGOの既成です。これは、「結社の自由」(日本国憲法では21条にある)の規制です。しかも、許可制というのは、原則として禁止するという意味ですから、相当強力な規制です。
  結社の自由は、弱い立場の人間が団結して、お互いに支え合うという点で、表現の自由に似た側面、すなわち、「自己実現」「自己統治」に役立つ機能があります。
  日教組や共産党や社民党や、もろもろの「市民」団体も、束になることでお互い励まし合って自分の意見や思想を形成しているのです。彼らも日本国民には違いありませんから、そういう結社を作っておかしな主張をする自由はあるのです。
  国家の安全を守るという側面はあるものの、ロシアのやっていることは個別具体的な対処を捨てて、自由そのものを殺すという人権擁護法案と類似の性格があるということは忘れてはなりません。

  私が前回の憲法の話で述べた理屈からすると、ロシアは次に海外への(からの)インターネット接続に規制を課したり、プロバイダを許可制にしたりするでしょう。私がプーチン大統領だったらそうします。
  プーチンの面の皮がいくら厚くても、国内でチェチェン人テロリストどころか、人質まで一緒に毒ガスで殺している超人権侵害国家●こちらのリンクに記事が出ています)だということは国際的に知られてしまっているので、さすがに「人権擁護法」という名前がついた法律は作れないでしょう。しかし、似たようなものは作る可能性があります。今回のNGO許可制も、その端緒であると見るべきです。
  日本にとっては、ロシアは極東での「隣国」でもあります。かの国の国内動向についても、今後の進展を注意深く見守りたいと思います。
  

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【「フォー」って】教育とメディアと性【素直に言えない】

2005年12月25日 23時54分36秒 | 社会と教育
  私は国・英・社という文系しかやれないので、塾でのクラス運営は理系の先生とペアになってやっています。
  ある時、飲みに行ったとき、小6で組んでいる理系の先生が

 「うちのクラスの連中は、『受精』とか『交尾』とか出てくると
  異様に反応がいいんですよねぇー」


  と、言いました。
  私も、ブログの文章から分かるようにあまり品性のよろしくない人間なので、「そういう」ネタは意識して完全に封印していましたが、入試の理科に出てるのだから、理系の先生は避けて通れないですね。それに、教える先生の方がが恥ずかしがっていたら「キモイ」などと言われかねないのが子どもの世界です。大変そうだなぁ、と思いました。

  それはともかく、私はテレビをほとんど見ないので、たいそう有名なレイザーラモンHGという人物の肉声を聞いたことがありません。だって、しょうがないじゃないですか。テレビ台を置いた場所から、アンテナジャックまでケーブルが届かないので、見られないのです(← 買 え よ )。
  しかし、彼は、ニセモノとはいえゲイを売り物にしているわけで、いつ子どもから「ゲイって何ですか」という質問を寄せられないかと思うと、精神衛生上よろしくありません。

  しかし、いい機会なので、性、というより性欲の問題にメディアの与える影響力というのを考えてみたいと思います。

  そもそも、性に関する問題が他の社会的な問題と異なるのは、徹頭徹尾「我欲」に還元される問題だということです。
  生殖本能なのですから、自分が種を植え付けられるかどうかが重要なわけです(どこかで方向性が変わってしまった人もいるが、性欲の本源は同じ)。だから、その出発点が利己的なのは当然のことです。
  そのせいで、性というのは、公に論じるとなると、どうしても「性欲は素晴らしいものだ」、もっと抽象化すると「我欲を肯定せよ」という思想につながりやすいのです。(ヒッピーとかフォークソングが流行った頃に出回った「フリーセックス」なる言葉が好例)
  我欲の肯定の何が悪いんだ、という方もいらっしゃるかと思いますが、そういう方も一つ、私と問題点を共有してもらいたい部分があります。それは、我欲は、思うように充足できる人間が限られているということです。簡単に言えば、外見や話術や財産などといった魅力によって、その実現の度合いが大きく異なるということです。

  それにも関わらず、メディアにおいて性欲(性的なものと言っても良い)を原則肯定としてしまうと、それを充足できないことがマイナスとして認識されてしまいます。例えば、クリスマスになると、「女のいない(性欲を充足できない)俺は、だめな人間だ」などと思っている男性はきっと結構いるはずです。そう思っていなくても、他にネタのないメディアが、「クリスマスなのに秘湯で彼としっぽりデート!」「男性諸君、聖夜に熱い一発を決めろ!」などと扇動すると、自分は落ちこぼれや「負け組」ではないかと思いこまされる可能性はあります。

  そして、あまり大人が意識しないことですが、子どもはメディアを疑うことはほとんどできないので、そういう「恋人はいて当然」的な発想を当然そうあるべきだというイメージで捉えてしまう傾向があります。
  実は、これは、子どもに正しい知識を教えれば済むということを超えた危険を持っていることを知らなくてはいけません。

  実際の社会では金銭を媒介とせずに(例えば性風俗)性欲を発露できる機会はあまりありません。人と人が対面する現実の社会というのは性について非公然性を原則としているから当然なのですが、現在はそれに輪を掛けて、男女間の力関係が不均衡になり、男性が「選ばれる側」にあるという現実があります。決まった相手に一生尽くそうなどという考え方は「つまらない」とか、場合によっては「ジェンダーによる差別である」「男社会のご都合主義で女を縛り付けている」などという煽り文句で、簡単に否定されるような時代なのです。
  それにも関わらず、性欲を煽り、我欲を全面肯定するような記事や話題がメディアには氾濫しています。具体的に言うと、雑誌のセックスに関する記事で「女は男よりスケベ」とか「女子高生はセックスが大好き」といった偏った情報が一方的に投げかけられています。私も教育に携わる人間ですから節度が大事と思っていますが、ああいう記事ばかり読んでいたら、そういうものなんだと思い始めてしまいそうな危険は感じます。
  すると、どうなるか。●「『負け組犯罪』はなぜ起こる!?」という記事で述べたように、飢えて苦しんでいるときに、分厚いガラスの向こうで豪華な立食ディナーパーティーを開かれているような状況に陥ってしまうわけです。

  生身の人間でなく、メディアから情報を受け取ることが当然になってしまった世代は、メディアの情報に誇張があるということに気づけないし、気づこうとしません。つまり、メディアが垂れ流せば、それが既成「事実」になってしまうのです。
  こうして、性に関する観念と現状が著しく乖離した状態が形成されます。世の中は我慢強い人間ばかりではありません。現実の世界でこのギャップを埋めようとすると、どうしても性犯罪が発生してしまうのです。
  そうでなくても、性行為の醜悪さに触れたあまり、将来きちんとした男女関係を築けなくなるおそれもあります。広い意味ではメディアと言うことになるでしょうが、日教組や子どもの権利条約なんとかネットワークとかいう団体などがやっている「近親者による性的暴力」に関する宣伝やワークショップなどが典型です。実際は子どもにわいせつ行為を行う父親などごくわずかなのにも関わらず、そういう「現実」を無理矢理作り上げてしまうというのは、れっきとした人格破壊行為です。メディアに携わる人間にも、自分はそういうことをしかねないのだという自覚がほしいです。

  このようなことを見るに付け、性的なものをメディアが肯定してはいけないと私は思っています。

  我欲は素晴らしいものでも、憎むべきものでもなく、一生を通じて何とか付き合っていかなければならない腐れ縁の友人です。だから、現状のように原則肯定という態度ではいけないというのが私の考えです。

  ハードゲイくらいいいじゃないか、という声が聞こえてきそうです。しかし、「割れ窓理論」(くわしくは●こちらのサイトをご覧ください)とか、蟻の一穴という言葉もあるように、規範意識というのはある一点が破られるとそこから雪崩を打ったように崩壊していくものです。
  そういう観点からすると、言葉を出して、当然存在するものだと扱うことも、立派な規範の破壊です。放送禁止用語というものがありますが、そういう用語を使わなければ何をやってもいいというわけではないはずです。テレビやら週刊誌は政治家に対して道義的責任を追及するくせに、自分たちにはどうも甘いようですね。
  そのくせ、中国・韓国との関係や、皇室問題(例えば、「女性天皇」と「女系天皇」の意図的なすり替え)についてはおかしなことばかり垂れ流しています。
  大マスコミはライブドアの社長に「既存メディアを殺す」などと言われて慌てていましたが、殺すどころか●「既に死んでいる」と私は思います。
  大学時代に学生運動(という立派な反社会暴動)をやって、ヒッピー(という社会からの落伍者)に憧れていた世代は、どうもこういうことについて、何でも自由にすればいいという考えでいるようです。あるいは、自分たち(大人)が楽しければいいということかもしれません。そうなると、単なる自己中心ということですね。そういう人々がメディアの中心にいるというのが、性に関する乱れの原因の一つであることは否定できないでしょう。
  自分の子どもが「お父さん、僕将来ハードゲイになる!!」といいだしたら、メディアの責任ある立場にいる方々はどう思うのでしょうね?

  日教組が日本破壊を狙って、そういう下地を作る教育をしてきたなら、90年代に七分咲き、21世紀になって満開というところでしょうね。しかも、最近は教職員組合の方々も、●このような素晴らしい人権擁護団体まで作って、レイザーラモンHGやカルーセル麻紀さんを応援しているみたいです。
  同性愛者の嗜好は尊重しろというのはよくわかったから、おまえらちゃんと教師の仕事をしろ!!!!と言いたいのは私だけでしょうか?

  昔は、赤ちゃんはどうして出来るの?という問いに、コウノトリさんが運んでくるのだと答えていればよかったのですが、今はそうは行かなくなりました。というか、団塊の世代に乗っ取られたメディアが暴走していると思うのは私だけでしょうか?
  性欲や性に関する話題は、極力、非公然にすべきなのです。それで損をするのは、ゲイを売り物にしている芸(ゲイ)人(笑)や、女の裸や水着姿を出せばいいと思っている馬鹿なメディアだけです。
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【外国にも】日教組ってたのしい!5【人材豊富】

2005年12月21日 11時01分41秒 | 日教組関連
  どうも、すっかり日教組フェチになりつつあるろろです。
  今日は小さいながらも珠玉のネタを取り上げてみたいと思います。
  
  日教組のシンクタンク(として機能しているのか微妙な)「教育総研」(ホームページは●こちら)が開催した、「敗戦国日独伊三国の少女、少年の戦後」というシンポジウムについてです。

(以下引用)

2005年10月22日(財)神奈川県教育会館にて、「今語る 敗戦国日独伊三国の少女、少年の戦後」と題して第25回教育文化フォーラムを開催しました。ホールには150人の参加者がシンポジストの話に聞き入っていました。
教育総研運営委員の村上義雄さんの司会によりゲプハルト・ヒルシャーさん(ドイツ)、馬渕晴子さん(日本)、ピオ・デミリオさん(イタリア)が自己の体験や思いを述べました。シンポジストのプロフィールと発言要旨は、以下のようになっています。

ゲプハルト・ヒールシャーさん
ドイツ人。(中略)元「南ドイツ新聞」極東特派員。外国報道協会会長、外国特派員協会会長。『ヤーパンの評判』などの著書がある。

●発言要旨
(中略)私は、あるとき、日本の教科書を調べ、びっくり仰天しました。戦時中、日本が中国や朝鮮で繰り返した非人道的な行為についてほとんど書かれていない。ドイツは違います。子どもはドイツの「負の歴史」をしっかり学びます。そればかりか、ドイツ人自身の手でナチの残党を南米まで足を延ばして探し出し、裁判にかけています。自力で「戦後処理」を続けているのです。日本はどうですか、そうしていると言えますか。

馬渕 晴子さん
まぶち はるこ。女優。1936年生まれ。(以下略)

●発言要旨
私の父も祖父も旧日本軍の高級将校。軍人一家でした。その運命が敗戦で一気に暗転しました。「お嬢様」が「戦犯の娘」になったのです。やさしい父でした。しかし、私のなかに常に葛藤がありました。日本の歴史のなかで軍人はアジアの人びとに大きな苦しみを強い、日本を暗黒に導く人間として機能しました。残念でならないが、これは事実です。
私は最近、長崎で被爆した作家、林京子さん原作の芝居「もうひとつのグラウンド・ゼロ」に出演しました。被爆女性が生者や死者と対話しながら「八月九日の長崎」と向かい合っていくのです。
私は、以前から「侵略戦争を美化する作品」には絶対に出演しないと誓っています。林さんのお芝居に出演してその気持ちがさらに強くなりました。

ピオ・デミリアさん
イタリア人。ジャーナリスト。(中略)2001年からイルマニフェスト紙極東特派員。(以下略)

●発言要旨
ええっ、イタリアが敗戦国だって? それは違う。イタリアは敗けていない。敗けたのはファシストです。イタリア人はレジスタンスに身を投じ、ファシストと戦った。そして、勝利し、その統領のムッソリーニを裁判にかけ、処刑した。私たちは自分の力で勝利をかちとったんです。(中略)
ジャーナリストとして日本を取材していて非常に不思議に思うのは、やはり政治という世界の奇妙な現実かな。小泉純一郎さんは変人と呼ばれますが、もし、彼が靖国神社参拝をやめ、イラクから自衛隊を撤退させ、アメリカの言いなりにならず、アジアとの関係改善に力を入れれば、歴史に名を残す人物になるでしょう。それが彼に出来るかな?

※詳細は『教育と文化』41号に掲載しています。


(引用以上)

  ・・・日教組の赤い人脈の豊富さには敬服すべきものがあります。外国人に言われたからと言ってびびってしまう必要などさらさらありません。では、「注釈」開始。

>少女、少年

  英語でも普通"boys & girls"って言いませんかねぇ?わざわざ女性を先に書くところに日教組の強烈なフェミニズムを感じます。彼らの狙いは、抑圧された女性を「解放」することで、家庭内でマルクス主義革命を起こすことにあります。だから、ことあるごとにこうした実感に反する極端な「女性優位」を強調するわけです。

>IN神奈川

  日教組を見ているといつも思うのですが、どうして無理に横文字やら英語を使いたがるんでしょうね?彼らはアメリカが大嫌いなはずなんですが・・・。

>150人の参加者

  外国人を呼んで大仰にやっているわりに、ずいぶん少ないですねぇ。私の塾の父母向け行事の方がたくさん人が来ます。

続いて、パネリストの「人となり」についてはどうでしょう。

>「南ドイツ新聞」

  どんな新聞かな、と思って調べてみると、●こんなことを言っているようです。記事の冒頭からして、

 >日本のラジカルな極右たちの聖地である靖国神社

  ですからね。どうやら、ドイツ版「朝日新聞」もしくは「北海道新聞」とでも言うべき存在のようです。
  余談ですが、上に挙げたURLの記事の泣けるところは、末尾にある

 >スイスのクオリティーペパー

  という部分です。日本語に訳すと「スイスの品質の高い香辛料」ですからね。自爆しています。
  そういえば、「日本のクオリティーペーパー」を自称する新聞がありましたねえ。●この新聞だったかな? 

>戦時中、日本が中国や朝鮮で繰り返した非人道的な行為について
>ほとんど書かれていない。


  自国領だった朝鮮で日本がどういう非人道的なことをできたのか興味深いです。まさか、朝日新聞でさえ否定している「強制連行」じゃないんでしょうね?

 ※朝鮮人に課されたのは「強制連行」ではなく、日本国民
  全体の義務だった「徴用」。
 

>自力で「戦後処理」を続けているのです。日本はどうですか

  「良心的日本人」がよりどころにしているドイツの戦後処理の話が、やはり出てきました。これは、日教組の組合員も常套手段にしている可能性がありますので、きちんと理解しておきましょう。http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog118.htmlの記事が参考になります。
  ポイントとしては、

 1.ドイツが賠償したのはナチスの「ホロコースト」行為についてだけ
  その賠償形式は個人補償である
 2.その他の国との戦後賠償はまだほとんど片づいていない
 3.日本は北朝鮮以外の全ての国との間で国家補償により
  賠償問題は解決済みである

 4.有名なワイツゼッカー大統領の演説は、「ドイツ人には罪はないが、
  ナチスの責任は負う」
という趣旨であり、謝罪など全くしていない

 といったところです。上の記者はドイツ人ですから、こういったことを知らないはずはありません。彼女は故意犯の「嘘つき」です。

  日本代表のパネリスト、女優の馬渕さんも飛ばしています。

>「お嬢様」が「戦犯の娘」になったのです。

  そんなに簡単にスイッチが入るようにして、人間の立場が変わるものでしょうかねぇ。後からなら何とでも言えます。

>軍人はアジアの人びとに大きな苦しみを強い、日本を暗黒に
>導く人間として機能しました。


  まあこういう方々は、本当に「アジアの人びと」というフレーズが好きですね。私も、日本軍が行った先々で戦争に付き物の犯罪行為はやっただろうと思いますが、オランダやイギリス以上の「大きな苦しみ」を与えたとは思えません。どうせ、ここでいうアジアというのは、中国や朝鮮だけを指しているのでしょう。誤解を招くような書き方はやめるべきです。

>以前から「侵略戦争を美化する作品」には絶対に出演しない
と誓っています。


  ●こちらに馬渕さんの出演歴が出ています。結構有名な女優さんのようですね。御安心ください。日教組のシンパだと知ったら絶対オファー来ませんから


  さて、今度はイタリア人記者の方です。

>イルマニフェスト紙

  どんな新聞かなと思って調べると、案の定●こういう感じの新聞でした。なるほど、どこの国にも朝日新聞や日教組のような団体がいるのですね。

>イタリアが敗戦国だって? それは違う。

  その通りです。イタリアは、1943年にさっさと連合国に寝返ってドイツに宣戦布告し、もっとひどいことには1945年には日本にまで宣戦布告しています。他国の悪口はあまり言いたくありませんが、イタリアというのは根性がないくせに相当図々しい国です。
  ドイツ人が珍しく口にするジョークで「今度の戦争はイタリアを入れないでやろう。そうすれば勝てる」というのは本当かも知れませんね。

>小泉純一郎さんは変人と呼ばれますが

  たしか、小泉首相が小渕恵三元首相と総裁選で戦ったとき、田中真紀子がこんなことを言っていた覚えがあります。イタリア人なのに、ずいぶんとまあ古いネタを知ってますねぇ。  

>靖国神社参拝をやめ、イラクから自衛隊を撤退させ、
>アメリカの言いなりにならず、アジアとの関係改善に力を入れれば、


  全て日教組の願望の現れですね。一番笑えるのは「アジアとの関係改善」です。日本のODAに感謝もせず、その金で軍拡まっしぐらの覇権主義の国や、国内で●こんな教育をしている国と関係をどうやって改善しろと言うのでしょうかね?

>それが彼に出来るかな?

  この引用文の中で私が一番むかついた部分がここです。どうしてこういう連中は、何かにつけてエラそうなのでしょうか?自分たちはエリートなのだという鼻につく態度、朝日新聞や、それを愛読する大学教授に相通ずる要素があります。
  できるかな?って、小泉首相はそんなことやるつもりありませんから。

  この記事の教訓は、

  外国の新聞が引用されていたら、
  必ずその新聞社をgoogleで検索!!
   
  クオリティーペパー(原文ママ)は
  絶対に信用するな!!
  

  ということに尽きます。みなさんも、お気をつけください。それでは。
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「負け組犯罪」はなぜ起こる!?(後編)

2005年12月18日 12時47分02秒 | 生き方・人間関係
  ●前回の記事で私は、「負け組犯罪」という、我欲の充足による自己実現が出来ない者(特に男性)による犯罪が増えてきていることや、そういった犯罪に現在の刑事司法が対処できていないこと、厳罰化(死刑連発)をしても「負け組犯罪」はなくならないことなどを述べました。
  いつの時代にも、「こんなはずではない」と自分を追いつめている人間は存在するでしょうし、強姦や強制わいせつや突発的な殺人といった犯罪がこの世からなくなるなどとは思っていません。しかし、原因を知って対処すれば、絶対数は間違いなく減らせるのが「負け組犯罪」である、と私は考えています。
  では、どのような方法が有効なのか、私の考えを述べてみます。

  前回の復習ですが、「負け組犯罪」が多発する原因は、次のようなものでした。

 1.高度成長の頃のメンタリティなのに、
   パイが小さいのでうまくいかない
 2.学校教育やコマーシャルで
  「なりたい自分」
  「やりたいことをやる」
  という自己実現至上主義ばかりが
  吹聴されている
 3.女性の立場が「向上」し、男性が
  女性を巡って過当競争をしている
  (あぶれる男が多数出ている)

  
  このような原因を見ると、「社会の変化だからしかたがない」と言ってしまいたくなります。しかし、そう結論づけてしまったら、小学生がカッターで同級生を殺害するのはイラク戦争のことを教えないからだと言っている日教組(証拠は●こちらの記事にあります)と同レベルになってしまいます。
  原因があるからには、それをなくす、もしくは緩和することは可能です。

  私は、まず教育から変えるべきだと思います。
  上の原因2のように、自己実現が出来なくて絶望してしまうのは、「やりたいことをやれない人生など価値がない」と煽っている人間がいるからです。だからといって、マスコミに「自己実現を煽る広告をやめろ」というのでは北朝鮮や中国とやっていることが同じになってしまいます。
  だからこそ、教育が大切なのです。
  具体的に言えば、教育の現場で、「他人のために役に立つことをしろ」と訴え続けることです。
  戦前の「教育勅語」が、天皇を中心とした家族共同体としての日本という姿を国民に説き、これに奉仕するように求めていました。私は教育勅語の精神は全く否定するつもりはないと思っています(●こちらの一連の記事をご覧ください)。しかし、どうやら戦争に負けたことで、教育勅語が戦前の悪い日本の象徴だと思われてしまい、そこに謳われている「勤勉」「利他」「国への忠誠」といった精神も否定されてきているようです。
  その代わり、教育現場に持ち込まれたのは、「がんばれば、自分の生活を良くできる」「努力すれば、夢は叶う」という自己実現至上主義だったのです。それもそうでしょう。教育というのは、ある目的に沿って行うものです。目的というのは、簡単に言えば、生徒に「何のために勉強するのか」と訊かれて、どう答えるかということです。私も、受験勉強が嫌で嫌で仕方がなかったとき、中学校の先生に質問をしたら、「後で必ずいいことがある、得をする」という答えが返ってきたように記憶しています。
  高度成長の頃なら、それでもよかったのです。夢や希望を実現できる人は少なからずいた上に、実現できなくても「普通の生活」が出来たからです。ここでいう普通の生活とは、「結婚して子供を持つ」「定年まで年収が安定して上がり続ける」「我慢すれば家やマンションが買える」ということです。
  しかし、現代は地球規模での競争を強いられる時代です。相次ぐリストラで、若い労働力が戦力になるまで育てるという余裕が、日本企業にはなくなっているのが現状です。そして(これは前回言いませんでしたが)、専門的な仕事も、そのための「予備校、専門学校が乱立し、過当競争になっています。その中で趣味を仕事にできる人など、ほんの少ししかいません(そもそもその程度の需要しかない)。
  つまり、もう職業を通じて「なりたい自分になる」という幻想は捨てた方がいいということです。

  しかし、これが「他人の役に立つ」ということになると、話は全く変わってくるのです。
  まず、「人の役に立つ」というのは、どんなに素質や環境に恵まれていなくても実行できるということが重要です。
  何も、ボランティア活動なんてしなくてもいいじゃないですか。日常生活の中で、他人を助けるちょっとした利他的行為をするだけでもいいのです。
  「なりたい自分になる」というのは、一見素晴らしい目的のようですが、それを通じて社会に関わろうという積極的な側面がありません。これは憲法の話でもゆくゆくは述べようと思いますが、自由や権利というのは、他人を排除するという「さびしい」側面も持っているのです。強調すればするほど、社会から離れていくのです。そういう意味では、宅間死刑囚や小林薫被告ほど「自由」な人はいないでしょう。
  それに対して、利他的行為というのは、他人や社会に働きかけるという積極的な行為です。どんどんつながっていけば、どこかで世の中をまともにする作用が働くのです。例えばこのブログを見た方が将来国会議員になって、教育を良い方向に導いてくれるかもしれない(笑)わけです。
  これならお金や才能を必要とせず(これは非常に重要です!)毎日の生活に張りを持って生きていくことが出来ます。少なくとも、「こんなはずではなかった」と、幼女を強姦して殺害する人間にはならずに済みます。

  そんなもの、どうやって教育の現場で教えるんだよ?と、思う方。実は、簡単な方法があります。

  それは、教育基本法に「教育の目的は、利他精神の涵養にある」という条文を盛り込むことです。

  これをやると、基本法を実現するために関連法規が整備されます。当然、学習指導要領にも改正が及ぶことでしょう。道徳教育も根本的に変更されるはずです(今までの道徳教育は「されて嫌なことをするな」という結局は利己主義につながるような教育しかできなかった)。  
  改正してしばらくは「戦後教育の火を消すな」「教え子を戦場に再び送るな」などと訳の分からないことをわめく日教組の愚かな抵抗があることでしょう。しかし、10年持ちこたえれば、もう既定路線になります。そこまでの辛抱です。
  幸い、そういう方向の法改正を企図している下村博文さん、西川京子さん、山谷えり子さん、高市早苗さんといった国会議員の方々もいらっしゃるようです。是非とも実現してもらいたいです。

  でも、原因3は変えようがないじゃないか、と思っているかもしれませんね。
  実は、これも対処は十分可能です。
  誤解を恐れずに言えば、「負け組犯罪」は我欲、特に「性欲」の処理がうまく行っていないことから来るものです。
  じゃあ、買春を合法化したり、風俗営業法を改正してもっと「便利に」するなどで対応できるのかというと、無理です。
  なぜなら、性風俗には人間関係が存在しないからです。料金やらコースやらいろいろ決められていて、趣味にあった「プレー」をいろいろ選べるとしても、日常生活に持ち込めるわけではありません。だいいち、そんなに頻繁に利用するのは「負け組」には無理です。
  そうだとすれば、「負け組」になる前に、女性とうまく付き合えるようなコミュニケーション能力をつけるほかありません。
  女性と付き合えないことを嘆いている人間というのは(自分の体験も踏まえると?)二種類しかいません。「ぜいたく」「人付き合いが下手くそ」かです。
ぜいたくなのは諦めてもらうほか無いとして、人付き合いの面は矯正教育が十分可能です。
  そもそも、女性と話せないという男性は、男性とのコミュニケーションもダメな人が多いです。同質の仲間としか固まらないので、男とは話せると勘違いしているだけです。
  そして、「負け組犯罪」を犯す人間というのは、小中学校時代「おとなしくて無口な子」が意外に多いのです。この時期に、話す練習をしていないので、上手に人間関係を結べない、だから孤独になってしまう、という推測が出来ます。

  突飛な話かも知れませんが、そのような「負け組予備軍」とでも言うべき人々について、強制的に人間関係を作る能力を付けさせる「社会化センター」のようなものを作れないかと思うのです。
  そこで、「負け組予備軍」を、「通院」と「入院」の二種類のカテゴリーに分けるのです。「通院」は、小学生でうまく周囲に溶け込めない子を親と一緒に通わせるコースです。「おとなしくて無口」、要するに自分でものを言わなくても何とかなると思ってしまっているのは、何でも先回りしてトラブルの芽を摘んでしまう親がいるからです。だから、親の子育ても「矯正」する必要があります。
  「入院」というのは、社会不適合になってしまった人間向けの、人格改造プログラムです。例えば、軽い強制わいせつをやってしまった人間などは、女性にもてる(というか、まともに人と話せる)会話能力や立ち振る舞いなどを身につけるまでは解放しない、という方法があります。
  こんなの無理だ!というあなた!日本には、鑑別所少年院という立派な矯正施設があるのをお忘れですか?それらのカバー範囲をもう少し広げて、予備軍の段階で「負け組傾向」を叩くようにするという提案なのです。「社会化センター」送りという処分があったら、先日の人殺し塾講師などは間違いなく「入院」対象です(実質的に強盗致傷の余罪がある)。それによって、犯罪を防げるという効果もあります。
  ちなみに、少年法第3条にも、「保護者の正当な監督に服しない」とか「いかがわしい場所に出入する」少年は、審判して少年院にぶち込めるという規定があります。これなど、もっと活用できると思えませんか?
  
  それでもダメなら、最後の手段があります。科学的去勢がそれです。  
  奈良県女児誘拐殺人の小林薫被告は、強制わいせつの前歴があったのはご存じでしょうか。そういう人間は、自分の低すぎる社会的地位と、性欲のバランスが取れていないのです。強姦をやるような犯罪者も、この傾向があります。だから、男性ホルモンを抑制する薬物を投与し続けることを条件に、釈放を許すのです。(実際に、ノルウェーで実施している。詳しくは●こちら
  よく「性犯罪者に発信器になるチップを埋め込め」(●こちらのHPの「論陣」参照)などと言われますが、こういう連中は発信器など付けても、やりたくなったらやります。もともと我欲を我慢できないから犯罪者になってしまうのです。その根っこを断つというのは、社会防衛のために必要です。

  よくこういうことをいうと、「個人の尊厳が損なわれる」「犯罪者も人として幸せにいきる権利がある」などと言い出す馬鹿がいます。そういう「人権派」の方々に訊きたいのですが、自分の7歳の娘が強姦されたあげく殺されても、まだそんなことを言っていられるのでしょうか!?

  日本が変わってしまったことを嘆く前に、我々は、高度成長が残した負の遺産である「負け組犯罪」ときちんと向かい合わなくてはいけません。このブログが、その一助になれば幸いです。

 
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「負け組犯罪」は、なぜ起こる!?(前編)

2005年12月14日 10時07分56秒 | 生き方・人間関係
  近頃、どうも子どもを狙った犯罪が多いですね。
  21世紀に入ってから、まず、●大阪教育大学池田小での児童殺傷事件がありました。そのあとしばらくして●奈良県女児誘拐殺人事件、そして最近では、●広島での日系ペルー人の女児殺害もありましたし、●栃木県では通学路で女児が殺される事件など、まだ(05年12月14日現在)犯人が見つかっていません。
  そして、なんといっても、土曜日の●例の事件です。(不謹慎ですみません、私昨日の授業で、「私はハンマーと包丁は持っていません。御安心ください」という発言等、笑いのネタにしまくりました。幸い、みんな楽しく笑ってくれたのでよかったです。結構、関心が高いようで・・・。)

  個別の事件をいちいち分析しても、後々の役に立たないと感じています。報道での取り上げ方が、どうもそのような傾向があるので、私なりにこれらの一連の事件から学ぶことができる事柄をまとめたいと思います。
  ちなみに、私は例の事件の容疑者のように、犯罪学を学んではいませんが、理論的裏付けがない点についてはご容赦ください。
 
  結論から言ってしまえば、上に挙げた犯罪は、「負け組犯罪」と名付けるべきかと思います。
 「負け組犯罪」とは、我欲の充足による自己実現を充足できない者(男性)による犯罪のことを言います。典型的なのは、性犯罪です。●こちらの資料でも、上に挙げたような事件が起こり始めた辺りから増加に転じているのがわかります。

  さて、勝ち組、負け組という表現は、近年マスコミが意味もなく吹聴している概念ですが、私は、「負け組」というのは、「こうありたい」「こうしたい」という願望と、実際の自己が置かれている状況が著しく乖離している人を言うのではないかという気がしています。つまり、年収が引くかろうと、社会的地位が低かろうと、「自分には満足だ」「これで十分」と心から感じている人は、負け組ではありません。
  自分が「こうありたい」という観念と、現実の自分には開きがある人は、いつの時代にも少なからずいたはずですが、ここに至って日本で「負け組犯罪」が増えたのはどうしてか。
  識者でも犯罪学専攻の大学生でもない私ですが、以下のようなことを思いつきました。

1.高度成長の頃のメンタリティなのに、パイが小さいのでうまくいかない

  経済白書で「もはや戦後ではない」と言われたのが、1956年のことです。それ以降、日本は一貫して好況でした。特に60年代から70年代前半は高度成長期と言われています。石油ショックという「事故」はありましたが、それでもそのあと安定成長→バブル景気です。
  そして、戦前育ちの人々が子育てを離れると、子どもを持つ大人のほとんどが右肩上がりの時代しか知らないことになります。
  高度成長の時代は、「努力すれば何とかなる」「夢は叶う」という考えに、かなりのリアリティがあったと思うのです。また、夢破れたとしても、ちゃんと働けば車やら家やら家族(配偶者)やらを手に入れることはできたのです。
  ところが、今はグローバルな競争を強いられる時代です。なにしろ、日本の隣りにとにかく安くものを作れる国(その内情は●こんな感じですが)があって、日本のお家芸である製造業は青息吐息です。切りつめて、競争力を付けなければやっていけないわけです。小泉首相が「改革!改革!」と叫ぶことには(是非はともかく)、ある種必然性があります。そうしなければ、日本が滅んでしまうという思いもあるのでしょう。まあ、だからといって、2000年以上続いた皇室制度を変えていいなどとは絶対に思いませんが。(詳細は、●こちらのサイトをご覧ください)
  ともかく、そういう時代ですから、望む仕事について、なんとなく過ごせば思い通りに「自己実現」ができるという時代ではないのです。私も同じ試験に4回も落ちているので(笑)、「こんなはずでは・・・」と嘆きたい気持ちは分からなくもありません。幸いにも、犯罪をやりたいと思うまでは至りませんが・・・。

 2.学校教育やコマーシャルで「なりたい自分」「やりたいことをやる」という自己実現至上主義ばかりが吹聴されている

  1.のような状況にも関わらず、高度成長の時代しか知らない親御さんは(ペルー人の彼にはこの定義は当てはまりませんが・・・)、がんばれば何とかなると思って、子どもたちの置かれた状況を顧慮しません。それ以前に、親や教員が「夢を持て」「頑張れば必ずむくわれる」と吹聴している以上、後に引けなくなっているのです。
  そればかりでなく、広告も我欲の充足としての「自己実現」を煽るような商業広告ばかりが目に付きます。
 我々も、日常生活の中で、いろんな願望を口にしますね。

「みんな持ってるからプレステほしい」
「(異性の気を引くため)きれいになりたい」
「クリスマスにステキなデートをしたい」
「車を買って彼女とドライブがしたい」
「安定した職業につきたい」「自分の望む仕事をしたい」
「綺麗なお嫁さんがほしい」
「一軒家がほしい」「息子は○○高校に行かせたい」
「老後は海辺の家で静かに暮らしたい」


・・・一応人生の時系列に沿って並べてみましたが、どうやら我々の生活は、ことごとく商業主義の餌食になっている(笑)ようですね。年代別の雑誌でも買えば、そういう広告を全てチェックできます(というか、無理矢理させられる)。
  しかし、残念ながら、このような事象を通じて自己実現できる人々はあまり多くありませんもともとある種の素質や、家庭環境や運に恵まれていないと実現が困難なものもあるからです。
  それにも関わらず、教育や広告が「なりたい自分になれる」「楽しくなければ人生じゃない」という文句で欲望を煽り続けるのです。能力や財産に恵まれない人間には、毎日が生殺し、欲求不満の日々でしょう。飢えて苦しんでいるときに、分厚いガラスの向こうで豪華な立食ディナーパーティーを開かれているようなものです。
  そのような絶望感が、弱者に欲望を向ければよいという形で転化すると、「負け組犯罪」ができあがるというわけです。

3.女性の立場が「向上」し、男性が女性を巡って過当競争をしている
  
  高度成長期に、いわゆる「団塊の世代」の人々が一般化してしまった行動様式の中に、「個人の自由意思に基づく恋愛」や「同年代との恋愛結婚」というものがあります。
  団塊の世代の人々は、戦前を「ひきずった」(戦前=悪という匂いがして、管理人はこの言葉は好きではない)社会に生まれたにも関わらず、初めて「戦後民主主義教育」や、日教組の「平和人権至上主義」に洗礼された世代です。彼らが大人になる頃、まるでホームドラマにあるアメリカ人のような自由な恋愛、そして幸福そうに見える結婚に憧れたのも無理はありません。団塊の世代にとっては、自由な恋愛こそ「個人の尊厳」や「男女平等」の具現化だったのです。
  もちろん、全ての人が望むような恋をして、望むような伴侶を得たわけではありません。しかし、戦後の経済成長が物質的欲求を次々満たすことによって恋愛や結婚に関する不満を吸収していたので、問題が起こらなかったのです。
  しかし、現状は1.で述べたような状況であるわけです。女性を、高度成長の時代同様の生活スタイルで養えるような経済力を持っている男性はそう多くはありません。それにも関わらず、家庭というのはそういうものだと教わってきているので、なかなか結婚ができないわけです。
  しかも、商業主義がやたらと女性、女性と吹聴するので(たとえば、「レディースデー」。管理人は「メンズデー」というのを聞いたことがない)、女性の意識は相当高くなっています。恋愛で言えば、もともと男女の数が不均衡であるのも手伝って、完全に女性が選ぶ時代になっていると言えます。
  これに文句を言っても始まらないのですが、小さい頃からメディアや親によって、大人になれば彼氏や彼女がいて、恋愛結婚するのが当然だと植え付けられているとなると、いささかまずい事態になります。そういうことができない自分は、規格から外れた人間であるという認識を持ってしまう人が出てくるわけです。
  上に挙げた「奈良県女児誘拐殺人」の小林薫被告にしても、経歴・職業・見た目どれをとっても異性に対して訴求力がありません。ああいう人間がもともと歪んでいることは確かでしょうが、このまま生きていてもどうせろくなことがないという絶望感が、異常性に磨きをかけたのは間違いないでしょう。程度の差こそあれ、異性問題についての不全感は多くの人が抱えているのではないでしょうか。
  恋愛や異性について問題は、個人の主観が大きく左右するものなので、私自身客観的に分析できているかは疑問ですが、あえて説明させてもらいました。

  「負け組犯罪」がこのような背景を持って生まれてきている一方で、大きな問題があります。それは、刑事司法制度が「負け組犯罪」の犯罪者に対して何の役にも立たないということです。
  たとえば「模範囚」や「仮出獄」という制度は、犯罪者を野に放つのを早めるだけの結果に終わっています。刑務所の中で規則正しく振る舞っていても、「負け組犯罪」の根っこは残ったままです。
  矯正教育が、そもそもダメなのです。規則正しい生活をし、職業訓練をすれば犯罪者にならずに済む、というのは、高度成長が更生した人間を労働力として吸収していた時代だからこそ意味があったのです。
  悪いことだったと自覚させるのも無駄です。「池田小事件」の宅間守死刑囚は公判廷で、「世の中のやつは全部敵や」と発言しています。また、小林被告は取調べに対し、「悪いことをしたとは思っていない。」と供述していたそうです。世の中が自分のやりたいことをやらせないからいけない、という反社会的思考に陥っている負け組人間に、矯正教育などやっても無意味なのです。

  同じくらい意味がないのは、とにかく厳罰を科せばよいと言う考えです。
  「負け組犯罪」は、窃盗や詐欺のような「ビジネス」に近い犯罪と異なり快楽計算によって行われるものではありません。極端な話ですが、負け組にとっては望む仕事にもつけず、異性とも付き合えない人生そのものが地獄なのです。だから、性行為目的で誘拐した後、殺すような馬鹿な真似まで出来てしまうのです。これでは厳罰で威嚇しても、効果は薄いのが目に見えています。
  死刑を科せば、犯罪者を「駆除」できるかも知れません。しかし、「負け組犯罪」を醸成するような社会環境を放置すれば、このような犯罪は決して無くなりません。それこそ、アメリカと原理主義テロリストのようないたちごっこになるのがおちです。一定の厳罰化は国民の意識の高まりから必要でしょう。しかし、それをもって犯罪の発生自体は抑止できません。死刑判決をたくさん出しても、儲かるのは葬儀屋だけです。

  では、「負け組犯罪」はどうやったら少なくできるのでしょうか。
  私は、どこかの馬鹿な教職員組合のように、「社会がおかしい」とか、「学校で平和や人権の尊さを訴え続ければ、犯罪はなくなる」などと思っていません。それどころか、今の学校教育が依って立つ理念そのものに、「負け組犯罪」を生む根っこがあるとさえ考えています。
  次回は、私自身の体験も踏まえながら、解決方法を具体的に論じたいと思います。(後編は●こちらです)
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先生は、キレるとこわい!?

2005年12月11日 12時08分32秒 | 塾・仕事関係
  私の職業が塾講師ということで、やはりこのニュースには触れないわけにはいかなくなりました。

京都・宇治市小6女児殺害 容疑者の学習塾講師、
自宅から包丁やハンマー持ち込む
(クリックしてご覧ください)
http://www.fnn-news.com/headlines/CONN00081896.html

  まず、私ごとから申し上げましょう。

  私は、よく生徒に「キレやすい」などと評価されます。プリントを配ったのに教室がざわついていたり、職員室で騒ぐ連中がいると、すぐ怒るからでしょう。
  昨日など、用事が済んだのに下らない話をしてくる生徒(女)が何人かいたので、ムカムカして「帰れと行ったら帰れ!」と怒鳴ってしまい、隣の先生に「あれはやりすぎですよ」と珍しくたしなめられてしまいました。
  ムカムカしたのは理由があります。生徒が、私のことを名字で呼び捨てにしたからです。
  親しみがあっていいなどという大人は、教育というのを「仲良くなること」だと誤解していると思います。困ったとき、「こうしろ」とはっきりした方向を示すためには、権威が絶対に必要です。
  ふだん仲良くしていて、いざというときにはちゃんと言うことを聞く、そういう信頼関係を築かなければ行けない。子どもは対等な人格なのだから、大人が教え導くのではなく共に学ぶ姿勢が大切だ・・・いかにも日教組が言いそうな妄言ですが、こういうありえない理想を、先生という人間に求めてはいけません。そんなことができる神様のような人格者が、全国に何100万といる教職員にどれほどいるか、考えてみればわかると思うのですが・・・。
  
  基本的に、教師というのは威張っていてもいい職業です。この「威張る」というのは、「私のやっていることは基本的に正しい」と思うことです。そうでなければ、人に知識や考えを伝授することはできません。
  その上で、自分の考えからそれてしまうようなら、叱るというのは当たり前のことです。柔らかい物腰で言ってもだめなときがあります(というか、ほとんどダメです)から、強い口調で言うのもやむを得ないでしょう。
  
  ただ、上のような図式が成り立つためには、絶対に満たさなくてはならない条件があります。

  それは、知識面、精神面で教える側が子どもに負けてはならないということです。
  特に言えるのは、隙を見せるようなナヨナヨした授業などやっていてはいけないということです。多少ハッタリでもいいのです。教壇の上では完成した「商品」を売るという姿勢で臨まなくてはいけないのです。
  残念なことですが、以前いた職場でも生徒が他の先生のことを「わかりにくい」「つまらない」などと私に言ってくるケースが何度かありました。もしかしたら、私も言われているかも知れません。しかし、上司に親がクレームを付けたり、私のクラスから「脱走」した生徒がいたとか、顕在化したことがないので、うまくやれているのでしょう。

  そこで、上の京都の事件に戻ります。

  この容疑者には同情の余地は0.1%もありません。しかし、それで終わってしまってはブログがつまらないので、少し突っ込んでみたいと思います。自分で言うのも何ですが、ちょっと意地が悪いですね。
  適宜、記事から引用させていただきます。

>紗也乃さんは12月に入り、萩野容疑者の授業が嫌だと、
授業を受けるのをやめていた。紗也乃さんの同級生は
「あんまりよくわからへんとか言って。国語の勉強が、
萩野先生の授業がわからへんって言ってたから」と話した。


  業界のことが分からない方のために言うと、この程度のことはよくあります。私も、滑り出しの頃にこういう反応をされたことがありました。
  しかし、こういうことがあったら、まず現場の責任者に文句を言うべきですね。そうすれば、今回の殺害に至るまでのどこかで、容疑者にチェックが入っていた(場合によっては首になっていた)かもしれません。
  12歳の子どもに「わからない」と言われてしまうのは、はっきり言って恥ずかしいです。そのくらい、何とかごまかせないのでしょうか。容疑者は、大人の世界でも影でいろいろ言われているかもしれません。


>さらに萩野容疑者は、紗也乃さんにすり寄って拒絶
>されたのを逆恨みして、紗也乃さんに冷たくあたる
>ようになったという。


  「すり寄って」って何ですかね?本当に情けない。典型的な、子どもになめられる大人です。以前●信じられないような事件の記事を書きましたが、ここに出てくる「小遣いをくれるから好きなお父さん」と同じですね。
  大人の世界同様、中身で勝負できないから、ご機嫌伺いに走るのです。ご機嫌伺いも全くしなくていいというのではありませんが、教職や親の役割という「本業」をしっかり勤め上げずに子どもの気を引こうとするのは、明らかに本末転倒です。そういう連中は、10代の女の子相手に買春している馬鹿同様、結局軽蔑される運命にあります。
  確かに、弱いところを見せるのはつらい、というのはあるでしょうが、そこで開き直って、自分を鍛え上げられないのなら教える仕事には向かないのです。そうやって私も成長してきましたし、多分これからも自分のやり方を修正しなければならないでしょう。結局人生というのはそういう微調整の繰り返しなのではないかと思います。
  もっとも、容疑者の場合、やや特殊な事情があるようです。

>萩野容疑者は、現役の同志社大学法学部の4年生で、
>2年前に大学の図書館で、財布を盗もうとしたのをとがめた
>警備員を殴って逮捕され、停学処分になっていた。


>また、萩野容疑者の近所の人には、家庭内暴力を振るう
>姿を目撃されている。


  容疑者は、大学生にもなって、何をやっていいか悪いかという区別(規範意識)が全くないということがわかります。親に対して暴力を振るうなどというのは、動物以下です。ストレスがどうだの、幼児期のトラウマがどうだの、自称知識人による下らない意味づけなど要りません。立派な反社会行為です。
  親を畏敬(あえて「尊敬」とは言わない)できないから、社会一般に対しても「おそれおおい」という態度が採れなくなってしまうわけです。そういう方には、少年院や刑務所と言うところで「勉強してもらう」しかありません。それができないとうなら、社会に出てこなくて結構です。
  それにしても、容疑者の家の父親は何をやっているんでしょうね?母親が救急車で運ばれたこともあるそうですから、親父が息子に何かアクションを起こしてもいいのではないでしょうか。私なら半殺しにします。大切な伴侶を傷つけたわけですから、そのくらいは覚悟してほしいです。

  みなさんはきっと、「塾は人間を見て採用していないのか?」と言いたいかも知れませんが、こういう人間は表面を取り繕うだけは上手だということが多い(だから、同志社大学という難関大学に入る「学力」は付けられた)ので、塾の側にそこまで求めるのは無理です。
  しかし、被害者のような不満は、決して一人の生徒だけが持っていたわけではないと思います。だから、良くない点が見えたら、現場責任者が積極的に介入することで、こういう事件になるまでの関係の歪みは防げたでしょう。そういう対処は、同時に品質を向上させて生徒をやめさせないことにもつながるわけです。だから、気の利いた塾ならしっかり責任者のチェックが入っているでしょう。それが出来なかった点は、多少なりとも塾側に責任があるということもできます。

>家から包丁とハンマーを持ち込んでいるほか、教室内
>にある監視モニターの電源が切られていたことから、
>警察では、計画的な犯行の疑いもあるとみて、容疑を
>殺人に切り替えて追及する方針


  こういうところに気を回すなら、授業をしっかりやれるように計画を立てろよ!と言ってやりたいです。

  私が憂鬱なのは、これから生徒に会う度に、「俺はハンマーとか包丁は持っていない」と明言しなくてはならないことです(笑)。まあ、それは単なる冗談ですが、親御さんの心配の種が塾の行き帰りだけではなくなったというのは残念です。
  塾が怖いところだという先入観が、出来上がってしまわないことを祈ります。そうなると、ちょっと授業のやり方が分からなくなると、「殺されたくないから辞める」という考えに行き着いてしまいかねません。それでなくても、塾の先生というのはまともな仕事が出来ないからやってるとかロリコンが多いとか、よくない印象を持たれることがままある職業なので・・・。

  私ももう少し大声で叱る回数を減らさないといけないかもしれませんね(笑)。

  
  
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【学力】日教組ってたのしい!4【崩壊中】

2005年12月06日 10時50分06秒 | 日教組関連
  日教組も一応教員の集まりだという自覚はあるようです。その証拠として、●日教組のホームページには、「親子で学ぶ算数教室」というコーナーがあって、楽しく勉強できるようになっているらしいです。
  みなさんも、一緒に勉強しましょう。(笑)

(以下http://www.jtu-net.or.jp/education/sansu/series/08.htmlより引用)

タイトル:親子で学ぶおもしろ算数室教

前回(ぜんかい)は、「かけ算」、「ニコニコわり算」、「ドキドキわり算」を使って、沖縄(おきなわ)のカデナ米軍基地(べいぐんきち)と嘉手納町(かでなちょう)のことを勉強(べんきょう)しました。「1あたり量(りょう)」=「人口密度(じんこうみつど)」を計算することで、カデナ米軍基地が、嘉手納町の83%をフェンスで囲(かこ)っていることなどがわかったね。
 また、かけ算やわり算の世界(せかい)も広(ひろ)がったんじゃないかな?

 今回は、カデナ米軍基地の「F15イーグル」という戦闘機(せんとうき)が飛(と)ぶ速度(そくど)「1あたり量」を、引(ひ)き続(つづ)き「マジッククロス」をつかって考(かんが)えていこう。
 フェンスの向(む)こうのデージ(とても)広いカデナ米軍基地の滑走路(かっそうろ)には、世界最強(せかいさいきょう)とされている「F15イーグル」が58機(き)いるんだ。そんな戦闘機が、毎日、沖縄の空(そら)を自由(じゆう)に飛(と)んでいるんだよ。みんなの中には「かっこいい」と思う子もいるかもしれないけど、日常(にちじょう)に飛んでいるわけだから、ちょっと怖(こわ)い気もするよね。
 この戦闘機は、“マッハ2.5”という速度で飛ぶ、すごい機能(きのう)を持っているんだよ。

Q.1
カデナ米軍基地の「F15イーグル」の速さを、ミニ知識(ちしき)を参考(さんこう)にして求(もと)めてみよう。

A.
マッハ2.5の速さだから、
340m/秒×2.5=850m/秒  
秒速(びょうそく)(1秒に進(すす)む距離(きょり))を分速(ふんそく)(1分に進む距離)に直(なお)してみよう。

「マジッククロス」で考えると、「1分」は「60秒」なので、
全体量が・・・(「マジッククロス」の画像略)
 だから、「かけ算」になるよね。よって、こういう式(しき)が考えられるよ。

(式) 850m/秒 × 60秒 = 51000m

mをkmになおすと、51000m=51km
分速51km ⇒ 51km/分
となるんだ。

6120kmって、どれぐらいの距離なんだろう。「世界地図」で
沖縄を中心に半径(はんけい)6120kmの円をかいてみると……

 カデナ米軍基地の新聞(しんぶん)でも、東(ひがし)はアラスカから西(にし)はアフリカまでと発表(はっぴょう)しているんだ。本当にこの戦闘機(せんとうき)は、沖縄や日本を守(まも)るために飛んでいるのかな?

「F15イーグル」が120分間で飛べる距離(画像略)

~「カデナ米軍基地」と「1あたり量」の
 授業を受けた嘉手納の子どもたちの感想 ~

* カデナ基地(きち)のところには、本当だったらおじいちゃん、おばあちゃんが住(す)んでいた。嘉手納町が東京(とうきょう)より混(こ)んでいるなんて、信(しん)じられない。

* 私たちが住んでいる嘉手納町が、本当はあんなに広(ひろ)いんだと初(はじ)めて知(し)った。もし、戦争(せんそう)がなかったら、あんなフェンスもなければ、私たちの住(す)む家(いえ)も大きかったかもしれません。

あんな怖(こわ)い飛行機(ひこうき)があるなんて、知(し)らなかった。世界の人は「沖縄(おきなわ)は海がきれいで、人も優(やさ)しい」と言っているけど、本当は「恐(おそ)ろしい島(しま)」と思っているかもしれない。

* 小さな島“沖縄”の小さな町“嘉手納町”に、こんな飛行機が置(お)いてあるなんて。この基地からミサイルが発射(はっしゃ)されたら、狙(ねら)われるのはこの島で、私たちは逃(に)げたくても逃げられないだろう。こんな小さな島に大きな基地があるので、とても怖い。


(引用以上)

  ・・・・・・・・。

  あ、す、すみません。唖然としている場合ではありません。解説してみたいと思います。

>親子で学ぶおもしろ算数室教

  日教組には、●憲法で権利が「保証」されるとした前歴や、●英語や国語の教員資格を持っているのか疑いたくなる表現の引用といった、「学力崩壊例」がありますが、今度のは本当にすごいです。「教室」じゃなくて「室教」ですよ。捏造なんかではありません。この記事の一番右上にある小さな画像(クリックすると大きくなります)が動かぬ証拠です。
  自分が作ったものを見直すという最低限の動作も怠っている可能性があります。こんな人々に、「解き終わったら、ちゃんと見直ししなさい」なんて言われたくありません(笑)。

>沖縄(おきなわ)のカデナ米軍基地(べいぐんきち)と
>嘉手納町(かでなちょう)のこと

>「F15イーグル」という戦闘機(せんとうき)

  脳味噌のどこをどう使ったら、「親子で学ぶ算数室教の題材に米軍基地が出てくると言うのでしょうか・・・?常日頃から、「人殺し集団・米軍は日本から出て行け」とか「第9条は世界に誇る日本の宝」とか考えてばかりいるんでしょうね。
  一度日教組の先生に、米軍が日本からいなくなったら、北朝鮮や中国がどういう行動を取るかぜひ差し向かいで質問してみたいです。まさか、「憲法9条を信じていれば、必ず平和が訪れる」などと思っていませんよね?
  なお、日教組も、さすがに政権を狙うと公言している(わりには実質の伴わない)政党を支持しているだけあって、自衛隊についてまで悪口は書けないのですね。今は、恨まれ役を米軍が一手に引き受けているという感じです。

>デージ(とても)広い

  「デージ」ってなんですか(笑)。最近沖縄がブームというのはわかります。しかし、たった1カ所、どうでもいいようなところでウチナーグチ(沖縄の方言)を使っただけで、流行について行っていますよー!とアピールしてしようなんてデージ(とても)馬鹿っぽいです(笑)。
  他にも日教組は、「締めのコメント」を「シメコメ」と無理して名付けたりしています(http://www.jtu-net.or.jp/kyouiku_news/koko/koko02.htmlの最後の辺り参照)。どうも、横文字を使えば「ナウい」と思っている団塊世代のおっさん的な臭いが漂ってきますね。

>本当にこの戦闘機(せんとうき)は、沖縄や日本を
>守(まも)るために飛んでいるのかな?


  日教組は、どうしてもF-15を悪者にしたくてしょうがないようですね。どっかの国の「テポドン」とかいうミサイルが日本全域を射程に収めている●こちらが詳しいです)ことを先に取り上げてくださいよ。あれ、どう考えても自国を守るための武器じゃないですから。

>嘉手納の子どもたちの感想

  これ、本当に嘉手納町で取材してるんですよねぇ?日教組のような平和的な団体がまさかそんなことをするとは思いませんが、捏造は良くありませんよ、捏造は。

  しかし・・・凄い感想ですよねこれ。

>嘉手納町が東京(とうきょう)より混(こ)んでいるなんて、
>信(しん)じられない。


  私だって信じられません(笑)。基地を除いた人口密度だとでも言いたいのでしょうか。私、昨年末実際にバイクで嘉手納町を走ってきましたが、とてもそんな人口密度だとは思えませんでしたよ。だいいち、「嘉手納町」という行政単位の面積は米軍用地も含めた面積のはずですから、そもそも根拠となる数字がおかしいです。
  まあ、「教室」を「室教」と書いてしまう日教組のことですから、単なる(馬鹿な)計算ミスという可能性もあります。それにしても、嘉手納が東京より込んでいる・・・その東京って、奥多摩町や檜原村のことですか?

>もし、戦争(せんそう)がなかったら、あんなフェンスもなければ、
>私たちの住(す)む家(いえ)も大きかったかもしれません。


  子どもに「あんな」と言わせているのがいやらしいですね。
  しかも、フェンスがなければ家が大きかったって・・・米軍基地がなくなると、ただで土地がもらえるということなんでしょうか。日教組のことですから、嘉手納町での授業で、「みなさんの土地を奪ったのは、あの憎らしい米軍のフェンスです!」などと洗脳を行ったのかもしれません。まあ、その授業も本当にあったかどうか怪しいですが・・・。

>本当は「恐(おそ)ろしい島(しま)」と思っているかもしれない。

  日教組は朝鮮や中国と思想的に仲良しですが、ここで思わず本音が出てしまいました。かぎカッコの直前に「親愛なる将軍様にとって」「人民の模範となる輝かしい中国共産党にとって」という言葉を入れておきましょう。

>この基地からミサイルが発射(はっしゃ)されたら、
>狙(ねら)われるのはこの島で


  最後の最後に、メガトン級のフレーズが隠れていました。かなり意味不明な文です。「誰に向けて」ミサイルを発射するのか、「誰が」この島を狙うのか、全然分かりません。下手をすると、自分の撃ったミサイルで自分を狙っているとも受け取れます。こういうことを書くセンセーに限って、作文の添削で「主語と述語をはっきりさせましょう」などと赤ペンを入れたりするのでしょう。
  もっとも、北朝鮮や中国は米軍がミサイルを撃つ前に嘉手納基地を攻撃しますから、このような心配は無用ですね(笑)。だいいち、嘉手納は空軍基地なので、ここからミサイルを撃つわけではありません。だいたい巡洋艦や護衛艦から発射するのが普通です(その方がベストな発射位置のために動かせる)。日教組も嘘を教えてはいけません。

  ここで、全体を読み終わった感想を。

   カッコが鬱陶しいんだよ!!

   算数なんてほとんど
   やってねえじゃねえかよ!!


   沖縄方言、デージだけかよ!!   

  それでは、また・・・。
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もっとも大事な自由とは?(2)

2005年12月04日 11時49分43秒 | 憲法の話題
  憲法の中に定められている自由で最も大事なのは 表現の自由であるという話を前回しました。表現の自由には、「自己実現」(何を言うべきか言うべきでないか自律的に判断できること)や「自己統治」(意見を言うことで国の政治に影響を与えられること)という、他の自由にはない価値があるからでしたね。
  繰り返し申し上げますが、民主主義国家は、表現の自由がなくては成り立たないのです。
  それを証拠に、非民主的であると考えられる独裁国家は、古今東西、必ず表現の自由を奪うこと(言論統制)をしています。昔であれば、ソ連がそうでした。共産党の批判を表立ってすると、公職の追放や政治収容所行きが待っていたわけです。
  最近の例で言えば、北朝鮮がわかりやすいでしょう。支配者である金正日や朝鮮労働党の批判をすれば、即収容所行きです。
  また、皆さんは大いに勘違いをしているかもしれませんが、中国も立派な言論統制国家です。例えば、外国の記者は取材するとき必ず「外交部」(外務省に当たる)の人間を助手として雇わなければなりません。(詳しくは、●こちらをご覧ください)また、インターネットにおいても、中国にとって都合の悪いサイトには、中国国内からアクセスできません。(●こちらにその実態が述べられています)中国が「改革・解放」したというのは真っ赤な嘘です。
  しかし、こういう国にも、なぜか新聞やテレビが必ずあるのです。独裁国家は、テレビや新聞を怖がっていないのです。なぜでしょうか?
  それは、管理可能な表現媒体(メディア)は、全く怖くないからです。
  テレビや新聞と言ったマスメディアは、専用の建物や機材、あるいは専従の職員が必要なため、お金がかかります。そこに働いている人もたくさんいます。つまり、簡単に始められず、おいそれとやめるわけにはいかないのです。
  そのため、新聞やテレビは圧力に対してかなり弱い存在になっています。例えば、テレビなら電波法によって、総務省が放送免許をくれないと活動できません。
  また、スポンサーを通じた間接的な圧力、、弱小メディアを取材の場から閉め出す記者クラブ制度という特権に対する執着も存在します。
  さらには、いろいろな「団体」による営業妨害同然の「抗議」に対しても、毅然として対処するより、問題を起こさないように初めから無難な記事を書くだけにしようという対応がよくあると言います。
  このように、新聞やテレビは実はその基盤が脆弱なのです。「潰しちゃうよ?」とか、「スポンサー付かなくても良いの?」という脅しがあれば、かなり容易に主張を曲げうるのです。
  しかし、それだけではまだ不十分です。新聞やテレビの最大の欠点(独裁政権から見れば「利点」)は、一方的に情報を投げかけてくる、つまり、双方向性がないことです。
  このことが意味するのは、新聞やテレビというのは、簡単に情報操作が出来るということなのです。活字や映像という権威があるために、だましやすいということです。

  これに対して、インターネットは双方向性があり、統制が難しいという特徴があります。しかも、安価で、いつでも始められるし、やめられる気軽さがあります。だから、みんな自分が思ったことを何でも口に出すことになります。
  これが、独裁国家には一番怖いのです。インターネットは、統制ができないのです。やろうと思うと、上に挙げたような中国と同じような「ネットフィルタリング」という方法しかありませんが、有象無象のインターネットのサイト全てにこのようなフィルターをかけることは不可能です。
  日本は独裁国家ではありませんが、内情を批判されたくない圧力団体や、おかしなことばかり書いて国民を騙し続けている新聞などは、インターネットを不愉快に思っているでしょう。決定的だったのが、トラックバックという形で同じ考えを持つ人々と情報を共有できる「ブログ」(ウェブログ)の存在です。特定の外国政府やメディアの言っていることに反感を抱いたり、嘘を暴いたりすることが、これほど容易になった時代はありません。

  はっきり言ってしまえば、日本にも国民が本音でものを言って、「自己実現」「自己統治」をしてもらっては困る連中がいるということです。

  そこで、登場したのが人権擁護法案という法律です。
  私も大分この法案については触れてきましたが、今一度簡単におさらいをします。みなさんも、韓国をけなしたり、日教組を叩いたりしているだけで満足しないで、ぜひこの法案を知ってください。韓国や日教組にとって、最高の武器となりうる法律だからです。
  この法案は、「裁判制度を補完する目的で様々な行政上の人権救済にかかわる制度」●法務省のQ&Aによる)を作るためのものです。要するに、裁判だと時間がかかりすぎるので、行政機関が人権侵害を防ぐ措置を執るということです。
  この法案の問題点は●こちらをご覧頂ければいいでしょう。大ざっぱに言うと、問題点は、「人権委員が差別だと認定すれば全て差別になりうる」のに、「対象者には異議申立ができない」ことに尽きるでしょう。
  この法案が表現の自由に与える影響は、途方もなく大きいです。というか、国民の(特にインターネットにおける)表現の自由を潰すために作られようとしているのが、人権擁護法案なのです。
  どんな大きな影響なのかというと、「萎縮効果」という言葉を覚えておくといいでしょう。
  人権委員が初めの数年で何回か伝家の宝刀を抜いたとします。もうそれだけで十分です。言いたいことを言うと、30万円の過料か家宅捜索・取り調べになってしまう「かもしれない」と、インターネットの利用者が思ってくれれば、「推進勢力」は満足でしょう。
  政治的な意見は、自分が生活していく上でそれほど差し迫った必要性がありません。給料をもらえなくなったり、自分の会社の商品が売れなくなったりすることに比べると、どうしても後回しにしがちです。だから、面倒に巻き込まれるくらいなら、言いたいことを言わなければいいという方向にみんなの気持ちが傾いてしまうのです。これが、「萎縮効果」です。
  この事態の深刻さは、計り知れないものがあります。
  まず、言いたいことが言えないというのは、ものすごいストレスになります。だから、犯罪的な行為が増えるでしょう。実際に、言論弾圧が厳しかった旧ソ連では、麻薬が横行していました(麻薬は資本主義の病気などと言って、ソ連政府は認めなかった)。日本でも、そういう事態が起きないとも限りません。
  また、反社会的行為をしている団体・個人に正当な批判が出来なくなります。責任の追及ができないとなると、自浄作用が働きません。特に、ここに民族差別が絡むと厄介になります。理不尽な要求を突っぱねただけで、「差別だ」とされてしまいかねません。
  一番まずいのは、国民がそもそも本音でものを言うことをやめてしまうことです。
  前回も言いましたが、言いたいことを言っても、周りがそれにダメ出しをすれば、自然と「何を言っていいのか悪いのか」自分で判断できるようになります。
  しかし、人権擁護法案や、それに類似した条例が出回ってしまうと、「面倒だから言わない」という事態になってしまいます。人権擁護法案では、どんなに非のない人でも攻撃対象になる可能性があります。だから、日常会話においても、何も言いたいことが言えなくなるおそれが強いのです。

  そんな社会が、健全な人間社会といえるでしょうか?

  ちょっと待て、そういうときのために、裁判所には「違憲立法審査権」があるじゃないか。そう思う方もいると思います。憲法21条に定められた表現の自由を過度に制約するものとして憲法違反→無効ではないか。だから、法律が作られても、結局無効になるから、むきになって反対しなくてもいいのでは・・・と。
  すみませんが、その考えは、即刻捨ててください。
  法務省の見解では、人権擁護法案によってまさに「人権を侵害された」人の救済手続は、国家賠償請求訴訟で行うことになっています(なぜか、人権救済手続は使えない)。
  訴訟です。地方裁判所の判決が出るのさえ1年や2年かかるのが当たり前です。その間、原告としていろいろ活動しなくてはならない上、弁護士費用などもかかります。すでに人権委員によって「有罪」だと判定されているのですから、仕事をクビにされている可能性もあります。つまり、原告である「救済手続対象者」にとっては、あまりにも負担が大きいのです。
  しかも、実際に法律が無効になるには、裁判が確定するか、最高裁の判決が下されなければならないのです。そうなると、もう10年かかっても文句は言えません。憲法違反になるかどうかも、はっきりしたことは言えないのです。
  そして、国家賠償が支払われたとしても、微々たる金額です。刑事訴訟法39条1項の「接見交通権」を巡って最高裁まで争った訴訟が、わずか5万円の賠償で終わったことからもそれは窺えます。
  このように、人権擁護法案の「攻撃目標」になったら、反撃するのは想像を絶する困難を伴うのです。だから、そもそも法律として制定させてはいけないのです。

  インターネットの普及によって、我々は教科書でしか学ぶことができなかった表現の自由を本当に手に入れたといっても過言ではありません。
  年金が、増税が、第9条がなんですか。そんなものは後からいくらでも変えられます、表現の自由さえあれば。
  
  だからこそ、人権擁護法案には絶対に反対しましょう。
  
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