小学6年生の受験クラスの社会科は、5月になると
「歴史」分野が終わり、新しく「政治」という分野に入ります。
その時期になると、必ず子供から出てくる反応があるんですね。
「歴史は面白かったけど、政治ってつまんないから好きじゃない」
私は、こういう意見を真に受けて、「政治って大切なんだよ」という
学校の教科書にありがちな応答はしません。
ああ、また出たか、と私は思わず苦笑するくらいです。
あとは、まあ中身で勝負すればいいだろう、そう思っています。
「社会(特に歴史)が好き」というお子さんは、結構たくさん
いますよね。私もそうでした。
中学1年生なのに、毎週発刊される「朝日世界の歴史」という
うすい本を、父に頼んで講読させてもらっていたくらいです。
しかし、「好きだからやる」という論理には、大いに疑問を
感じてしまいます。
別に、これは入試には他にもいろいろな科目があるから、という
みみっちい動機からではありません。
そもそも、人間が物事を学ぶのに、「好き・嫌い」を基軸に
するべきなのでしょうか。
まず、理解しておかないと行けないのは、「好き・嫌い」というのは
100%自分を中心にした価値判断です。
自分の中だけで完結してしまうものなので、他人に対して説明したり
納得してもらう必要がないからです。
そして、現代の社会では、何かを選ぶ段階で、この「好き・嫌い」に
対して、非常に大きな比重が置かれています。
一番よくある例は、職業に関する物です。
「好きじゃなければ、仕事じゃない」とか、「好きを、仕事に」とか、
そういうキャッチコピーをよく見かけますよね。あれです。
この根底にあるのは、「わがまま」を肯定する、戦後型の価値観だと
言うことができます。
ここでいう「わがまま」とは、自分自身の言動を、社会的な需要ではなく
自分の内部にある欲求に従わせようとすることを言います。
だから、「わがまま」=悪である、というつもりはありません。
「僕は将来宇宙飛行士になりたい」という男の子に対して、
「おまえはわがままなやつだな」と叱る人は誰もいませんよね。
むしろ、現代的な文脈からは、この「わがまま」はむしろ良いものです。
例えば、親が造り酒屋なのだが、親の期待に応えて家業を継がず、
東京に出てミュージシャンになる夢を追う、というと、
なんか格好いいですよね。
今までのブログの内容から、私は夢や理想に対して否定的だと思う
人が多いかも知れませんが、むしろ肯定的な方です。
このわがままの、最も典型的な現れが「好きなものだけすればいい」
という発想です。
発明王エジソンがあれだけ偉大な発明ができたのはなぜか?
それは、彼が発明することが大好きだったからだ。それを証拠に、
エジソンは下らない反復学習ばかり押しつけてくる公立学校に
行かなかったじゃないか。
学校教育がいかに型にはめた教育をしているか、わかるだろう?
だから、嫌いな事なんてやらなくてもいいんだよ!
好きなことにこだわって、その道を極めて、
誰にも負けないオンリーワンになればいいんだよ!
・・・書いていて腹が煮えくり返ってきました(笑)
私は、「嘘」や「無責任」を書くのが何よりも嫌いだからです。
よく考えてみてください。
社会にある職業や役割は、果たして、
「好かれる仕事」だけで成り立っているのでしょうか?
職業というのは、そもそも必要だから存在しているわけです。
(いわゆる「やくざ」というのも、非合法の問題解決を
必要としている個人や企業がいるから存在している)
そのような社会では、働かなくても利益を生み出せるもの
(例えば土地や多額の株式投資)を持っていない限り、
自分の能力を職業にあてはめることで、収入を得るしか
ありません。
その時、我々は、相手の要求に応じて、自分をコントロールする
必要が出てきます。
たとえば、決められた予算内でパーティーの料理を作ってほしいと
言われたら、その通りにしなければなりません。
(言うことをきかなければ、次から仕事が回ってこない)
どんな個性を持っていても、相手に応じた自己コントロールは
必要になります。
こういうことを、私は「個性の社会化」と呼んでいます。
つまり、どんなに珍しい、極端に言えば「世界に一つだけの」個性を
持っていたとしても、社会の需要に合わなければ、生きていく
上で何の役にも立たないのです。
もう何度も書いているので、「いい加減にしろ」と言われそうですが、
仕事をする前から好きで好きでたまらない理想の職業に就ける
人間など、おそらく世界の総人口の5%もいないでしょう。
みんなに好かれる職業(例えば芸能人)は、高いレベルの能力が
要求されるうえ、そういった能力は努力をすれば誰でも
身に付くというものではないからです。
そんな中で、「好きを仕事に」などと言い続けていたら、
どんなことが起こるのでしょうか?
もう、結論は出ています。
「ニート」や「ひきこもり」や「パラサイト・シングル」です。
自分の好きなことだけを選んでいけば、社会に出られなくなる
のが、当たり前なのです。
嫌いなものを食べもせず、面倒な手伝いをやらず、
こわい説教も受けずに育てば、他者の要求に応えるような
姿勢が身に付くはずがありません。
価値観を変えなければダメなのです。
大切なのは、「好きな仕事を選ぶ」ことではなく
「選んだ仕事を好きになる」ということなのではないでしょうか?
「歴史」分野が終わり、新しく「政治」という分野に入ります。
その時期になると、必ず子供から出てくる反応があるんですね。
「歴史は面白かったけど、政治ってつまんないから好きじゃない」
私は、こういう意見を真に受けて、「政治って大切なんだよ」という
学校の教科書にありがちな応答はしません。
ああ、また出たか、と私は思わず苦笑するくらいです。
あとは、まあ中身で勝負すればいいだろう、そう思っています。
「社会(特に歴史)が好き」というお子さんは、結構たくさん
いますよね。私もそうでした。
中学1年生なのに、毎週発刊される「朝日世界の歴史」という
うすい本を、父に頼んで講読させてもらっていたくらいです。
しかし、「好きだからやる」という論理には、大いに疑問を
感じてしまいます。
別に、これは入試には他にもいろいろな科目があるから、という
みみっちい動機からではありません。
そもそも、人間が物事を学ぶのに、「好き・嫌い」を基軸に
するべきなのでしょうか。
まず、理解しておかないと行けないのは、「好き・嫌い」というのは
100%自分を中心にした価値判断です。
自分の中だけで完結してしまうものなので、他人に対して説明したり
納得してもらう必要がないからです。
そして、現代の社会では、何かを選ぶ段階で、この「好き・嫌い」に
対して、非常に大きな比重が置かれています。
一番よくある例は、職業に関する物です。
「好きじゃなければ、仕事じゃない」とか、「好きを、仕事に」とか、
そういうキャッチコピーをよく見かけますよね。あれです。
この根底にあるのは、「わがまま」を肯定する、戦後型の価値観だと
言うことができます。
ここでいう「わがまま」とは、自分自身の言動を、社会的な需要ではなく
自分の内部にある欲求に従わせようとすることを言います。
だから、「わがまま」=悪である、というつもりはありません。
「僕は将来宇宙飛行士になりたい」という男の子に対して、
「おまえはわがままなやつだな」と叱る人は誰もいませんよね。
むしろ、現代的な文脈からは、この「わがまま」はむしろ良いものです。
例えば、親が造り酒屋なのだが、親の期待に応えて家業を継がず、
東京に出てミュージシャンになる夢を追う、というと、
なんか格好いいですよね。
今までのブログの内容から、私は夢や理想に対して否定的だと思う
人が多いかも知れませんが、むしろ肯定的な方です。
このわがままの、最も典型的な現れが「好きなものだけすればいい」
という発想です。
発明王エジソンがあれだけ偉大な発明ができたのはなぜか?
それは、彼が発明することが大好きだったからだ。それを証拠に、
エジソンは下らない反復学習ばかり押しつけてくる公立学校に
行かなかったじゃないか。
学校教育がいかに型にはめた教育をしているか、わかるだろう?
だから、嫌いな事なんてやらなくてもいいんだよ!
好きなことにこだわって、その道を極めて、
誰にも負けないオンリーワンになればいいんだよ!
・・・書いていて腹が煮えくり返ってきました(笑)
私は、「嘘」や「無責任」を書くのが何よりも嫌いだからです。
よく考えてみてください。
社会にある職業や役割は、果たして、
「好かれる仕事」だけで成り立っているのでしょうか?
職業というのは、そもそも必要だから存在しているわけです。
(いわゆる「やくざ」というのも、非合法の問題解決を
必要としている個人や企業がいるから存在している)
そのような社会では、働かなくても利益を生み出せるもの
(例えば土地や多額の株式投資)を持っていない限り、
自分の能力を職業にあてはめることで、収入を得るしか
ありません。
その時、我々は、相手の要求に応じて、自分をコントロールする
必要が出てきます。
たとえば、決められた予算内でパーティーの料理を作ってほしいと
言われたら、その通りにしなければなりません。
(言うことをきかなければ、次から仕事が回ってこない)
どんな個性を持っていても、相手に応じた自己コントロールは
必要になります。
こういうことを、私は「個性の社会化」と呼んでいます。
つまり、どんなに珍しい、極端に言えば「世界に一つだけの」個性を
持っていたとしても、社会の需要に合わなければ、生きていく
上で何の役にも立たないのです。
もう何度も書いているので、「いい加減にしろ」と言われそうですが、
仕事をする前から好きで好きでたまらない理想の職業に就ける
人間など、おそらく世界の総人口の5%もいないでしょう。
みんなに好かれる職業(例えば芸能人)は、高いレベルの能力が
要求されるうえ、そういった能力は努力をすれば誰でも
身に付くというものではないからです。
そんな中で、「好きを仕事に」などと言い続けていたら、
どんなことが起こるのでしょうか?
もう、結論は出ています。
「ニート」や「ひきこもり」や「パラサイト・シングル」です。
自分の好きなことだけを選んでいけば、社会に出られなくなる
のが、当たり前なのです。
嫌いなものを食べもせず、面倒な手伝いをやらず、
こわい説教も受けずに育てば、他者の要求に応えるような
姿勢が身に付くはずがありません。
価値観を変えなければダメなのです。
大切なのは、「好きな仕事を選ぶ」ことではなく
「選んだ仕事を好きになる」ということなのではないでしょうか?