現在横浜市の教育委員をなさっている
義家弘介(よしいえ ひろゆき)先生・・・といって
知らない人はいないでしょうね。
全国から不登校や荒れている生徒が集まってくる
北海道の私立高校で、社会の先生をしていた頃の話は
「ヤンキー母校に帰る」というドラマにも
なったほど有名です。
実は、義家先生は私と同じ塾講師をやっていたことが
あるのです。
教員志望の塾の先生は結構多いです。
今の私の職場にも、7月に教員採用試験を受けようと
している人がいますしね・・・。
義家先生について思うことは幾つかあります。
一つは、彼のような異色の人材が、教育委員に就任したり
教師1年生に講演を行ったり出来るようになったとは、
日本の教育業界も変化したのだなぁ、ということです。
なにしろ、義家先生は以前、ヤクザのベンツをたたき壊す
ような「武勇伝」を残したほどの「不良」生徒だったのです。
私といえば、物に当たるというときでも、
「これは自分の物だよな」といちいち確認しないと安心して
当たり散らせない(笑)ような人間です。
ものすごいエネルギーの持ち主ですよね・・・。
公教育が期待しているような人物とはとても思えないのですが
挫折した生徒を蘇らせたという実績が認められたのですね。
こういう人が表に出てくるということは、とても
いいことだと思います。
次に思うのは、やはり教師に必要なのは人間性だと
いうことです。
自分でも嫌になるくらい月並みな言葉ですが、本当にそうです。
子供に「昔こんなことがあった」というエピソードを
語ることができないような生き方をしている
人に、教師になってほしくはない、というのが私の実感です。
バイク事故で瀕死の重傷を負ったとき、恩師の先生が病院に
駆けつけてくれて、命を救われたという話は、とても
いい話ですね。義家先生が教師になろうというきっかけに
なった出来事ですが、人は人に支えられて生かされている
ということをよく伝えていると思います。
事故や失敗は、人生においては「イレギュラー」な出来事です。
しかし、そんな出来事が多いほど、話す種が増えるわけですから
教師はイレギュラーな人がやったほうがいいに
決まっていますね。
子供も、話せることが大学受験と教員採用試験の合格体験だけ
だというつまらない人間には教わりたいと思わないでしょうね。
しかし、私が一番強調したい点は、義家先生がことあるごとに
講演でも口にしていることです。
それは、「教師はプロでなくてはならない」ということです。
まず、教える科目について、生徒より知らないというのは話に
なりません。私が受け持った生徒で、
「バブル崩壊まで高度成長期が続いた」
などと教えている社会の先生に3年間習った子がいました。
(一応指摘しておきますが、国民総生産が10%前後
成長していく「高度成長期」は、1973年の石油ショックで
終わっています)
しかも、それを生徒がだれも指摘せず、影であれこれ
言われている・・・というのを聞いて、私は怒りや呆れるのを
通り越して、その先生が可愛そうになりました。
まあ、韓国や中国について、気味が悪くなるくらい
「相手の立場を考えた」記述が続いている教科書で
教えさせられる先生たちは、ある意味みんな「かわいそう」
ともいえますが・・・。
それに、何かを教えるということに、ムキになれない
人間はダメです。
義家先生の授業風景などドキュメントでながすと、
「みんな授業をよく聞いているなぁ」と思うでしょう。
そうではないのです。あれは、義家先生がうまく
「聞かせている」のです。
予習をきちんとやってくる
(これすらきちんとやっていない教員はごまんといます!)
というのは当然として、
話し方、メリハリ、聞いていない生徒への対応のしかた等に
その先生の腕や、熱意が出てくるのです。
ただ何となく「うるさいなぁ」で、何となく形だけの
注意をする・・・これでは、生徒も先生も不幸になる
だけですね。
自分の仕事にプライドを持つのは、大人として
当然だと思うのですが、どうでしょう?
義家先生は、自分で言うだけあって、番組等で見ていても
発言や立ち振る舞いに「隙がない」ですね。
お手本にするには、もってこいの先生です。
ただ、義家先生は、教育業界の中で言えば「偏差値70」
の先生です。そこを忘れてはいけません。
念のために言うと、偏差値というのは相対的な実力を測る数値で、
50が平均ということを表しています。
70というのは、学校で言うと「東大法学部」レベルです。
親御さんや生徒のみんなも、義家先生を見て、
「こういう先生がいたらいいなぁ」という願望を持つと思います。
しかし、実際あそこまで徹底している先生は、なかなか
いないものです。
人生や夢というものを、真正面から訴えても嘘臭い感じが
しない、というのは、それだけすごい人物だということです。
義家先生のような先生でないと習いたくない!というのは、
「僕は長谷川京子か松島菜々子じゃないと付き合いたくない!」
とか言っている若い男の子みたいなものです。(笑)
実現不可能な夢や理想は、求めてはいけません。
私たちに今必要なのは、
偏差値50の先生でもしっかりと実行できるプログラムを
用意することではないでしょうか。
子供と目を合わせられない、あいさつを自分から出来ない
ような先生は、人間としての偏差値が「不合格圏内」なので
さっさとお引き取り願うとして、
普通にやっている先生が少し努力して報われるような
教育の仕組みを作ることです。
たとえば、明治大学の三沢直子教授が、教育制度を
「3-6-3」にしよう、ということを提言されています。
今の6歳と12歳を同じカテゴリに入れて教育するという
のは無茶だということは何となくわかりますよね?
そこで、初めの「3」年間では、社会生活の基本となる
動作(あいさつや口のききかた)を身につけさせ、
その後の「6」年間でいわゆる初等・中等教育を行えばいい
というものです。
家庭で社会生活に通じる教育が出来ていないのが今の
日本の現状なので(なぜそうなのかは、別の機会に述べます)
それを時代に合った形で再編するということです。
上のような提言にこそ、私たちはもっと熱心に
耳を傾けるべきなのです。
「ヤンキー先生」の大活躍は、それはそれで素晴らしいのですが、
教師たるものみな義家先生のようであれ、というのは、
野球少年はみんなイチローのようにプレーできなくては
野球をやっている意味がない、というのと同じです。
天才に頼っていてはダメです。
社会の仕組みに着目しなければダメなのです。
義家先生がこれほどクローズアップされるのは、
それだけ日本の教育制度が疲弊しているということの現れ
でしょうね。仕組みがダメだから、ヒーロー的な
人物に夢を託してしまっているという・・・。
義家先生が、「自民党をぶっ壊す」と言いながら、いまだに
その権力基盤にしがみついている誰かさんと同じような
運命にならないことを祈りたいです。
まあ、知性や人間性において、例の彼とは大きく違うので
そんな心配は無用でしょうが・・・。
義家先生には、お役所勤めという立場になっても、
スマートに暴れ回ってもらいたいです。
義家先生、がんばってね!!
義家弘介(よしいえ ひろゆき)先生・・・といって
知らない人はいないでしょうね。
全国から不登校や荒れている生徒が集まってくる
北海道の私立高校で、社会の先生をしていた頃の話は
「ヤンキー母校に帰る」というドラマにも
なったほど有名です。
実は、義家先生は私と同じ塾講師をやっていたことが
あるのです。
教員志望の塾の先生は結構多いです。
今の私の職場にも、7月に教員採用試験を受けようと
している人がいますしね・・・。
義家先生について思うことは幾つかあります。
一つは、彼のような異色の人材が、教育委員に就任したり
教師1年生に講演を行ったり出来るようになったとは、
日本の教育業界も変化したのだなぁ、ということです。
なにしろ、義家先生は以前、ヤクザのベンツをたたき壊す
ような「武勇伝」を残したほどの「不良」生徒だったのです。
私といえば、物に当たるというときでも、
「これは自分の物だよな」といちいち確認しないと安心して
当たり散らせない(笑)ような人間です。
ものすごいエネルギーの持ち主ですよね・・・。
公教育が期待しているような人物とはとても思えないのですが
挫折した生徒を蘇らせたという実績が認められたのですね。
こういう人が表に出てくるということは、とても
いいことだと思います。
次に思うのは、やはり教師に必要なのは人間性だと
いうことです。
自分でも嫌になるくらい月並みな言葉ですが、本当にそうです。
子供に「昔こんなことがあった」というエピソードを
語ることができないような生き方をしている
人に、教師になってほしくはない、というのが私の実感です。
バイク事故で瀕死の重傷を負ったとき、恩師の先生が病院に
駆けつけてくれて、命を救われたという話は、とても
いい話ですね。義家先生が教師になろうというきっかけに
なった出来事ですが、人は人に支えられて生かされている
ということをよく伝えていると思います。
事故や失敗は、人生においては「イレギュラー」な出来事です。
しかし、そんな出来事が多いほど、話す種が増えるわけですから
教師はイレギュラーな人がやったほうがいいに
決まっていますね。
子供も、話せることが大学受験と教員採用試験の合格体験だけ
だというつまらない人間には教わりたいと思わないでしょうね。
しかし、私が一番強調したい点は、義家先生がことあるごとに
講演でも口にしていることです。
それは、「教師はプロでなくてはならない」ということです。
まず、教える科目について、生徒より知らないというのは話に
なりません。私が受け持った生徒で、
「バブル崩壊まで高度成長期が続いた」
などと教えている社会の先生に3年間習った子がいました。
(一応指摘しておきますが、国民総生産が10%前後
成長していく「高度成長期」は、1973年の石油ショックで
終わっています)
しかも、それを生徒がだれも指摘せず、影であれこれ
言われている・・・というのを聞いて、私は怒りや呆れるのを
通り越して、その先生が可愛そうになりました。
まあ、韓国や中国について、気味が悪くなるくらい
「相手の立場を考えた」記述が続いている教科書で
教えさせられる先生たちは、ある意味みんな「かわいそう」
ともいえますが・・・。
それに、何かを教えるということに、ムキになれない
人間はダメです。
義家先生の授業風景などドキュメントでながすと、
「みんな授業をよく聞いているなぁ」と思うでしょう。
そうではないのです。あれは、義家先生がうまく
「聞かせている」のです。
予習をきちんとやってくる
(これすらきちんとやっていない教員はごまんといます!)
というのは当然として、
話し方、メリハリ、聞いていない生徒への対応のしかた等に
その先生の腕や、熱意が出てくるのです。
ただ何となく「うるさいなぁ」で、何となく形だけの
注意をする・・・これでは、生徒も先生も不幸になる
だけですね。
自分の仕事にプライドを持つのは、大人として
当然だと思うのですが、どうでしょう?
義家先生は、自分で言うだけあって、番組等で見ていても
発言や立ち振る舞いに「隙がない」ですね。
お手本にするには、もってこいの先生です。
ただ、義家先生は、教育業界の中で言えば「偏差値70」
の先生です。そこを忘れてはいけません。
念のために言うと、偏差値というのは相対的な実力を測る数値で、
50が平均ということを表しています。
70というのは、学校で言うと「東大法学部」レベルです。
親御さんや生徒のみんなも、義家先生を見て、
「こういう先生がいたらいいなぁ」という願望を持つと思います。
しかし、実際あそこまで徹底している先生は、なかなか
いないものです。
人生や夢というものを、真正面から訴えても嘘臭い感じが
しない、というのは、それだけすごい人物だということです。
義家先生のような先生でないと習いたくない!というのは、
「僕は長谷川京子か松島菜々子じゃないと付き合いたくない!」
とか言っている若い男の子みたいなものです。(笑)
実現不可能な夢や理想は、求めてはいけません。
私たちに今必要なのは、
偏差値50の先生でもしっかりと実行できるプログラムを
用意することではないでしょうか。
子供と目を合わせられない、あいさつを自分から出来ない
ような先生は、人間としての偏差値が「不合格圏内」なので
さっさとお引き取り願うとして、
普通にやっている先生が少し努力して報われるような
教育の仕組みを作ることです。
たとえば、明治大学の三沢直子教授が、教育制度を
「3-6-3」にしよう、ということを提言されています。
今の6歳と12歳を同じカテゴリに入れて教育するという
のは無茶だということは何となくわかりますよね?
そこで、初めの「3」年間では、社会生活の基本となる
動作(あいさつや口のききかた)を身につけさせ、
その後の「6」年間でいわゆる初等・中等教育を行えばいい
というものです。
家庭で社会生活に通じる教育が出来ていないのが今の
日本の現状なので(なぜそうなのかは、別の機会に述べます)
それを時代に合った形で再編するということです。
上のような提言にこそ、私たちはもっと熱心に
耳を傾けるべきなのです。
「ヤンキー先生」の大活躍は、それはそれで素晴らしいのですが、
教師たるものみな義家先生のようであれ、というのは、
野球少年はみんなイチローのようにプレーできなくては
野球をやっている意味がない、というのと同じです。
天才に頼っていてはダメです。
社会の仕組みに着目しなければダメなのです。
義家先生がこれほどクローズアップされるのは、
それだけ日本の教育制度が疲弊しているということの現れ
でしょうね。仕組みがダメだから、ヒーロー的な
人物に夢を託してしまっているという・・・。
義家先生が、「自民党をぶっ壊す」と言いながら、いまだに
その権力基盤にしがみついている誰かさんと同じような
運命にならないことを祈りたいです。
まあ、知性や人間性において、例の彼とは大きく違うので
そんな心配は無用でしょうが・・・。
義家先生には、お役所勤めという立場になっても、
スマートに暴れ回ってもらいたいです。
義家先生、がんばってね!!