日々是勉強

教育、国際関係、我々の社会生活・・・少し上から眺めてみよう。

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【仕事にも】手帳120%活用法【勉強にも】

2006年03月30日 22時53分45秒 | 勉強について
 年末年始や、年度末・年度始め(3月から4月)になると、書店には手帳コーナーができます。大小さまざまな手帳があるので、どれにしようか迷うのも楽しみだという人も多いでしょう。

  しかし、ビジネスマンでも学生でも、どうも手帳をきちんと使えていない人が多いのではないかと感じます。かくいう私も、以前はあまり手帳を活用していなかった人間です。
  そこで、今回は勉強や仕事に手帳(スケジュール帳)をいかに活用するかという話題について述べてみたいと思います。

  絶対に忘れてはいけないのは、手帳の目的は「情報を集約しておくことによって、事務処理を円滑化すること」だということです。

  もうすこし具体的に言うと、以下の三つです。

1.書き込むことによって記憶に残す
  当たり前ですが、書くことによって意識が集中するので、忘れにくくなります。パソコンや「ザウルス」のようなPDAではこれが出来ません。

2.事前に予定を把握する
  私が同僚や上司を見ていて思うことがあります。仕事を滞り無く進めている人は、どの人もかなり先の予定まで把握しているのです。仕事場について「さて、今日は何をするかな」というのは、もっとも非効率的な姿勢です。
  そうかといって、頭の中に全ての予定が入っているコンピュータのような人もあまりいません(俺は覚えていると豪語する人も、時が経つと忘れている)。そこで、手帳の出番になるわけです。  

3.やるべきことが済んだかどうかチェックする
  「漏れ」は仕事の一番の敵です。また、済んだことを蒸し返さないためにも、このような作業が必要になってきます。

  そつなく漏れなく丁寧に仕事を進めるということは、それ自体価値があると私は思います。企業の業務というのは「流れ」があり、まずはそれを止めないことが雇われるんげんとしての最低限の条件です。人を雇う立場になれば尚更でしょう。
  個性だとかユニークな発想というのは、事務処理があって初めて企業活動というレールの上に乗るのです。
  だからこそ、学校での勉強や受験においても、「いかに事務処理能力を高めていけるか」という点を追及しなくてはいけません。それが、あとあと社会に出てから自分のプラスになっていくのです。

  さらに突っ込んで、活用のヒントを挙げておきます。

★小さすぎる手帳はだめ
  メモできないからです。「バイブルサイズ」が限度でしょう。できれば、B5くらいはほしいものです。

★主戦場は一つに絞れ
  手帳には、いろんなページが付いています。年間予定、月間予定、週間予定、自由帳・・・その全てを完璧に埋める必要などさらさらありません。
  例えば、2ヶ月後に仕事の納期があるとします。それを年間予定のページに書き、二ヶ月後の月間予定にも書き、さらに週間予定にも・・・こんなことをしていたら、時間や労力が無駄になります。
  手帳は、書き込むことが目的ではないのです。予定や期限を管理するページは、思い切って一つに絞った方がいいでしょう。ちなみに、私は「月間予定」に、なるべく小さめの字で書くようにしています。  

★手帳はできるだけ開いておく
  その方が知りたいことに即アクセスできるからです。また、何度も見ていれば、印象にも残りやすくなります。
  もっとも、個人に関する情報や営業機密が漏れるのは論外です。例えば私の場合なら、職員室の机の上と、授業中の教卓以外では留め金をかけて閉じておくべきということです。

★筆記用具を付属させられるものを使う
  何かを見たら、思いついたらすぐにメモできるようにすべきだからです。
  今年教員になった元同僚が、「社会の授業で使えそうなネタは即座に手帳にメモする」という習慣の持ち主でした。仕事に対する姿勢が素晴らしいと思います。
  この観点から、手帳の表紙の横に、ペンを付属させるペンホルダーが付いている手帳を買った方がいいでしょう。

★とにかく開く習慣を付ける
  仕事前に見ておけば、やるべきことが把握でき、スムーズに仕事を始められます。また、先々のことを見ておけば余裕が生まれます。
  初めのうちは慣れないものですが、私は最近電車に乗って座るとすぐに手帳を開けないと不安になるようになりました。(笑)
  
★よけいな「付録」は全て捨てる
  ただでくっついてくるアドレス帳や、地下鉄路線図は捨てるべきです。そうしないと、開きにくくなるばかりか、別にメモを取った紙を表紙に挟んでおくのも難しくなります。
  一回しか行かない店のポイントカードや、たくさん貯めないと何ももらえないサービス券で財布が膨張している人は要注意です。手帳には必要なもの以外挟むべきではありません。

★手帳に書き込む一番重要な事項は「期限」
  期限とは、「ここまでに○○を終える」という予定です。
  塾の先生を見ていると、どうもこれが甘い人が多いです。父母との面談の約束をするのはいいのですが、それが予定日の3日前というような同僚を何人も見てきました。これでは相手に失礼です。そういう面談には、きちんと用意をして臨むことも難しいでしょう。先を見ていない弊害です。
  こういうことを言うとすぐ「予定外のことがあるのが普通で(例えば生徒の質問)、期限なんて守れるわけがない」という反論が出てきます。はっきり言って順序が逆です。期限を決めないから、だらだらと仕事をしてしまうのです。期限を決めるから、そこまでに何とかしようという強い意識が働いて、仕事の中身も充実するのです。
  官も民も、どうも「先生」というのは、職業の特殊性に甘えていて、世間とずれた感覚で仕事をしている人が多いように思います。

★「ふせん」を使うと効率がアップする
  メモする欄が足りないときもそうですが、何よりも「目立つ」ので、最優先事項が何か分かるという利点があります。

★携帯電話のアラーム等と併用する
  忘れないためには何でもするということです。しかし、これも「入力するのが目的」になってしまわないようにしてください。

★パソコンやPDAのスケジュールは使っても意味がない
  使っている人に失礼かも知れませんが、パソコンやPDAでスケジュール管理をするのは非効率的だと私は思います。まず、情報を書き込むにも、いちいちキーボード等を操作しなくてはいけません。また、文字の大きさを変えるのも面倒な作業が介在します。なにしろ、確認するために電源を入れて、プログラムを起動する必要があります。
  私もパソコンのスケジュールソフトを使ったことがあるのですが、不思議なもので、ああいうのは「埋めるのが趣味」になってしまうのです。業務の効率化のために使い始めたのに、目的がすり替わってしまう。こういう現象はよくあります。そして、そのうち面倒くさくなって、使わなくなってしまうのです。
  それなら、表紙を開くだけの手帳の方が楽だと思いませんか?

  上のような手帳の活用法を少しアレンジすると、受験勉強にも役に立つツールに早変わりします。
  私も年季の入った(涙)受験生なので、勉強の効率化というところには頭を悩ませてきました。

  手帳の強みは「情報を一元化できる」ということです。具体的な使い方を以下に簡単に載せておきました。参考にしてください。

1.バインダー式の手帳を用意する
  なるべく大きい方がいいです。

2.月間スケジュールと白紙のリフィルのみ用意する
  罫線のメモでもいいです。週間スケジュール等は全て不要です。

3.月間スケジュールに、「期限」を書く
  受験日や模試の日時だけでなく、「○○はここまで!」など、勉強の区切りをつけると良いでしょう。いつか間に合えばいいや、と思っている人から浪人になっていくのです。

4.白紙・メモの部分には、「自分が間違えた知識」を記す。
  単語、例文でも、数学の間違えた問題を丸ごと書くのでもいいです。間違いを繰り返さなければ、点数は必ず上がります。

5.上の手帳は、時間が空いたときに見直すクセをつける
  問題集を用意して、机に座って「さあやるぞ!」というのだけが勉強ではありま  せん。これなら、わずかな時間でも復習として活用できます。

6.手帳の中身を「作る」ことを目的にしない
   覚えられない知識や、模試等で間違えた情報を集約するための手帳です。初めから完成されたノートを作っていくなど論外です。
  定期試験が近くなると、教科書を見ながら妙な「まとめ」みたいな紙を作っている受験生が結構います。勉強の効率としては最悪です。普段使っているノートのポイントだけまとめたり、問題集の中でわからない知識をメモしておく方が絶対にいいです。

  手帳をうまく活用して、仕事や勉強をつつがなく進める習慣をつけていただければ幸いです。
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ブログ開設1周年

2006年03月25日 00時50分56秒 | その他
  昨年の3月24日にgooブログにて産声を上げました「日々是勉強」も、今日(日付はもう昨日)1周年を迎えました。

  日頃ご愛読頂いている方には、本当に感謝の念でいっぱいです。

  思えば、立ち上げた当初は純粋に教育問題を扱うだけのつもりでいたのですが、あらぬ方向へ話題が広がってしまったようです。

  もっとも、その過程で、様々なブログやサイトと出会い、有益な情報を得てきたことは、私自身の仕事や人間面での成長に大きく役立ちました。
  特に大きかったのは、人権擁護法案の存在でした。昨年の8月にこの異様な法律案が国会提出寸前であったことを知ったのは、ネット掲示板のある書込からで下。それを巡る動きを追いかけ、どうやら私が今まで知っていた日本の国の姿は、良い意味でも悪い意味でも「かりそめ」だったのだと実感いたしました。
  これからも、鳥取の人権条例とともに、この法案への反対運動を続けていきたいと思います。

  それと同時に、このブログを読んで感銘されたという声も少なからずあり、どこぞの新聞ではありませんが、「言葉の力」を実感すると言うこともありました。

  今後も、「塾講師」「教育」という立ち位置は変えるつもりはございません。社会的役割に立脚した問題意識が、一番説得力があると私自身信じているからです。
  
  しかし、教育という問題は、煎じ詰めれば「人間」の問題であり、「社会」の問題でもあり、そして「国家」の問題でもあります。その点では、この1年は精力の拡散ではなく、枝が多方面に伸びたのだと、良い方向に解釈したいです。

  今後もこのブログが大樹となり、少しでも社会の役に立つ存在となるためには、書き手の私自身という「幹」を太くすることはもちろん、知識教養の幅を広げ、理解の度を深くして「枝葉」を茂らせなくてはなりません。

  みなさんの声こそ、最良の「肥やし」です。今後も応援、よろしくお願いいたします。
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偶然見つけた面白いウェブページ

2006年03月23日 01時36分08秒 | その他
  政府公報にも面白い情報があるものですね。

  以下のURLは、公安調査庁の「平成18年『内外情勢の回顧と展望』」というコーナーです。

  いわゆる「反日勢力」の活動状況が、大ざっぱながらわかるので、皆さんも是非ご覧ください。

  http://www.moj.go.jp/KOUAN/naigai18/naigai18-00.html

  公安調査庁のみなさん、できたら日教組も調査団体に指定してくださいね。(笑)
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麻生太郎が考える「ニート」

2006年03月20日 01時08分34秒 | 社会と教育
  外務大臣を務める麻生太郎氏は、変わった人物です。たとえば、愛読書に「ゴルゴ13」を挙げる時点で、「こいつは違う(笑)」と思われることでしょう。
  しかし、麻生氏の売りはそればかりではありません。麻生氏のすごさは、物事に対する卓越した洞察力と、借り物でなく自分の頭で消化した考えを述べる点です。麻生氏のホームページから、彼らしい鋭いものの見方をしている記事を見つけました。是非みなさんもご覧になってください。

月刊 嘉麻の里2006年3月号より
http://www.aso-taro.jp/kamanosato/index.html

(以下引用)

  Not in Employment, Education or Training の頭文字を繋ぎ合わせてNEET。昔風の科白を日本語で言えば、「スネかじり」といったところでしょう。  
 このニートと呼ばれる若者が、このところよく問題視されています。少子化傾向の昨今、若い労働力が何も働かないでフラフラして過ごしているのは、人物経済上もったいない‥と考えるのは、大人側の論理としては正論だろうと存じます。
 しかし此所は「正論」ではなく「異論」を述べる稿なので、私なりに別の角度からの異論を書いてみようと存じます。
 日本は天然資源にも恵まれず、古来よりつつましく互いに助け合って生きて来る以外、生き残る方法は有りませんでした。しかし封建時代から明治の時代に入ると、工業化社会という、これまでとは全く異なった概念が新しく日本に入って来ました。以来、近代工業化社会の過渡期を経て、1970年代後半から80年代にかけて、工業化社会の成熟期に入っていったんです。 
  つまりモノの豊かさの達成が喜びで有り幸せだった時代が終わり、何が幸せなのかは、人それぞれに成ったんだと思います。モノの豊かさが達成された頃から、「総中流意識」という言葉に、日本は覆われたんです。 
 ところが時代は更に動いて工業化社会の成熟期が終わって、情報化社会とかIT社会と言われる局面に世の中が動きます。価値観も経験という値打ちも急激に大きく変化ました。
 つまり、「良い学校に入って、良い会社に行って、良い人生‥」といった人生の目標通りに歩いてきた大人達は、ITだ、ICだ、ネットだ、チャットだ‥という情報社会の用語にすら対応できず、会社に於いては、窓際かリストラされていった世相を見ていた若者はどういう心理状態におかれたか‥という点に目を向けなけりゃ、ニート問題の本質が判らないんじゃないでしょうか。
 最近よく聞かれる「参加させよう」とか「動機づけの手当」などは、ニート解消の為の標語だったり、手段だったりしています。 しかし参加支援と言いますが、「どんな社会」への参加を支援しようとしているのか、「どんな社会」になるのかが、ニート側には見えていない以上、効果があまり上がらないんじゃないでしょうか。ニートの他にフリーターという種もよく聞かされます。何処が異なるのか、その定義は私もよくは判りません。
  また色々の統計を見ても、ニートの急増を示す根拠はハッキリしません。そしてフリーターもニートも、追い込まれて成らざるを得ない者と、あえて定職を持たないと選択した者とがあるように思います。
  よく見てみたら、一人っ子で、そこそこの家庭に育ったニートの共通点は、大体中学校か、高校の時代に、成績不振、イジメ、教師との相性等で、学校生活に溶け込めなくなる。それで将来の進むコースはレギュラーというか通常のサラリーマン向きコースから除れ(原文ママ)、音楽のバンドや、インターネットを仲間と始めてニート人生が始まっているように思います。「何時の日かプロに‥」なんて夢は語るんですが、暫くすると実現できない現実を知り、気がつけばもうサラリーマン向きのコースにゃ今更戻れなくなっている。
  長々と書きましたが、時代が急激に変化していった時には、何時の場合にも社会の中での身の置き場に迷う人が多く出たんじゃ有りませんか?
  幕藩体制を破壊するのに大いに貢献した官軍側の下級藩士は、近代明治国家の創造には居場所を失い、無気力になっていたろうと想像します。
  しかし当時は貧しく、生きていくのが大変な時代でしたから「武士の商法」とからかわれ乍らも、皆、懸命に生きて行こうと努力したんだと思います。しかし今は豊かです。働く意欲が無いのは中流でなく、下流だなんて書いて煽っても余り意味がないように思います。
  全ての人が「仕事での自己実現を‥」なんて煽られりゃ、世の中は失意と落胆に満ち溢れる結果しか生みませんよ。
 私は、豊かな時代には、「自己実現」をやりたくて頑張る奴は、思う存分やれば良い。しかし全ての人に創意工夫を求めて、「自己実現」を要求するのは間違っているのではないかと思います。
 今の時代は餓死する程の貧しさが存在する訳じゃ有りません。ニートはニートで彼らのペースで、スローライフをゆっくりと生きて行く事を世の中が認めても良いんじゃ有りませんか。六本木ヒルズに住むのが幸せの証じゃないのはホリエモンの話に限りません。
 負け組という名も気に入りませんが、80年の人生を終わる時に、「幸せな生き方だった‥」と感じられる人生は金銭だけじゃ買えないんじゃないかと思いつつニートの雑感とさせて頂きます。  

(引用以上)

  いろいろ突っ込む性質の文章ではないと思いますので、あえて私の感想を述べておきます。

  まず、彼なりの視点で、現代が明治維新の頃とどう違うかという分析がきちんと出来ています。その核になっているのは「現代は以前と比べて豊かな時代である」という認識です。
  また、ニートになりやすいタイプの若者の家庭状況など、不完全な面もありますが、自分なりに情報を得て、咀嚼していることが窺えます。
  麻生氏はものすごい名家の出身です。しかも、皇族の方とも縁戚関係があります。顔はいかにも筑豊の荒くれ者(笑)系のこわもてですが、上流階級であると考えて間違いないでしょう。
  それにも関わらず、これほどの認識を持ち、それを堂々と他人に対して発信できるのです。自分に対する自信もあるでしょうし、我々の知らないところで一般人とも交流があるのかもしれません。

  また、現状に対する意見表明も、普通の政治家ではないということを窺わせます。

>「どんな社会」への参加を支援しようとしているのか、
>「どんな社会」になるのかが、ニート側には見えて
>いない以上、効果があまり上がらない

  全くその通りでしょう。何しろ、仕事を必死にやるということと、自分の生き死との関連が薄くなってしまっているからです。大人の側としては「親が死んだらどうする」「税収が減ってしまう」などという理屈が立つのでしょうが、それはニートからしてみたらどうでもいいことなのです。
  結局、大人の側も、ニートの側も、「自分のために働く」という考え方、つまり自己実現至上主義から抜け出せていないのです。大人は自分のために働けと言う。しかし、ニートの側は「俺はこれでいいんだ」と反論する。これでは、社会との接点は永遠に見いだせません。

>全ての人が「仕事での自己実現を‥」なんて
>煽られりゃ、世の中は失意と落胆に満ち溢れる
>結果しか生みませんよ。

  すごいですね。政治家という職業にいる人が、ここまで透徹した認識を持っているとは驚きです。
  私は、このブログで「夢を叶えるために頑張ろう」「努力すれば必ずいいことがある」的な、利己主義的自己実現の文脈を徹底的に批判してきました(もしくは、そのつもり)。それは、我欲の充足としての自己実現を達成できる人間は、世の中のほんの一握りの人間に過ぎず、それはほとんどの場合努力ではどうにもならないものであるからです。
  麻生氏は、「きちんとした仕事をしてこそ立派な社会人だ」という考え方を批判しているように思えます。
  「きちんとした仕事を・・・」という論理は、一見正論のように見えます。しかし、この論理が破綻するのは、「きちんとした」が何をもってそういえるのか、判断基準が全く曖昧なことです。
  それが結局ニートの大量生産や、高年齢フリーターの増殖につながっているのは、彼らを育ててきた大人の側が、偏った「理想の仕事像」を無意識に伝えてきたからなのではないかと思っています。
  一つの証左として、下の「参考」に取り上げた『団塊世代を総括する』という本に出ている、子どもに付いて欲しい職業に関する調査(196ページ以降)があります。
  著者によると、団塊の世代や、その周辺の世代は、自分が就きたかった「格好いい仕事」に子どもを就かせたがっている傾向があったというのです。たとえば、学者や芸術家、医者、教員、はては「自由業」まであります。
  親がこれで、学校では社会経験の希薄な教師が「頑張れば夢は叶う!」「自分のやりたいことをやるのが正しい」「個性を生かせる仕事を探そう」などと吹聴(これも国旗・国歌否定同様、「偏った思想」には違いない)すれば、子どもが地味な労働を主とする職業を嫌うのは間違いありません。
  もう終わったことなので、過去を断罪することはしません。しかし、これからの時代は、「選んだ仕事を好きになろう」「仕事でもそれ以外でもいい、社会の役に立ったり、人を喜ばせる生き方をしよう」「地域や職場で人とつながりを持とう」というような価値観が優勢にならなくてはなりません。そうでなければ、国が滅びます。
  麻生氏が、「どんな社会」かはっきりさせるべきというのも、そういう価値観をみんなで共有しようという趣旨なのではないかと思います。

>ニートはニートで彼らのペースで、スローライフを
>ゆっくりと生きて行く事を世の中が認めても良い

  この下りを見るにつけ、麻生氏には、人間的な優しさが備わっているのではないかという気がします。敢えて言うなら、麻生氏の言葉は「いろいろな材料を煮込んで出来た、複雑な味わいのするダシ」の味がするのです。
  日教組や全教が言っている、憲法の理念やら●灰谷健次郎的な理想論から演繹した「個性が大事だ」「子どもと大人は対等だ」的発言が鼻につくのは、そこにその発言者の生きてきた人生というものが全く感じられないからです。代わりに、人間よりも、人権や理念が大切という傲慢な考えがありありと現れています。こういう連中は、「石油化学で合成した化学調味料」とでも言うべきでしょう。味が単調なだけでなく、取りすぎると精神に障害を来す恐れがあります。(笑)
  もしかすると、麻生氏自身、政治家になるまでに、いろいろな回り道をしてきたのではないかという気がします。そうでなければ、このような深みのある記事を書くことはできないでしょう。
  麻生氏というと、中国韓国びいきのマスコミに、紛争の火種を作り出す人物というレッテルを貼られていますが、それは一面的な見方でしかありません。

  こういう人が閣僚に入ることが出来る時代になった、というだけでも、私は今の世の中に救いを感じます。

  私は、首相としては、誤解されにくく志も高い安倍晋三官房長官がいいと思っていますが、麻生氏には外務大臣という最も重要な閣僚を、できれば5年10年と言った長い期間務めて、日本のもうひとつの顔になってほしいと願っています。
  できるなら、この人と一緒に飲みに行きたいです。(笑) 

★参考★

団塊世代を総括する

牧野出版

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【検閲】当ブログはキッズgooにより有害サイト認定されました!!【上等】

2006年03月19日 02時04分53秒 | その他
  ●「キッズgoo」という子供向けポータルサイトの検索機能について、ここ何日かで噂が流れていました。

  「○国を批判するサイトや、保守的なサイトは、
   検索で弾かれるらしい!!!」


  で、私もやってみました。


  ●検索にかけて、表示された結果です。私のブログはトップに来ています。

  ところが、リンクをクリックすると。


  「ごめんね。ページがひょうじできませんでした。」


  有害サイト認定キターーーーーーーーーー!!!と叫ばざるを得ませんでした。(笑)

  調子に乗っていろいろ検索してみました。

  「朝鮮総連」や「アーレフ」(もとオウム真理教)、はては「日教組」までオッケーなのに、私のブログがダメ。


  ・・・ひょっとして、誰かの「強い要望」なのか?と思ってしまいます。


  そういうわけで、私も、以下のサイトに参加しています。

キッズgooはじかれサイト同盟

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新憲法の前文には、「海洋国家」の文言を!(その3)

2006年03月18日 00時50分57秒 | 憲法の話題
  ここまでの話で、もはや明白になった事実があります。それは、

  「日本は、シーパワーである」

  ということです。

  シーパワーとは、海軍国のことです。「海上貿易無しでは成り立たない国」と言ってもいいかもしれません。
  シーパワーが本当に守らなくてはならないものは、たったひとつしかありません。「海の平和」です。これさえ守れれば、あとはランドパワーとことごとく逆の仕組みを取ればいいのです。
  ランドパワーの逆、というのは、なるべくコストの低い方法で国を運営するということです。権限を中央に集中させない、地方を自立させる、規制はなるべく少なくする、まんべんなく予算を配分するのではなく得意なものに特化する、力ではなく技術や情報を大事にする、もっとも大きな無駄といえる戦争をする前に敵を封じ込める・・・といったところでしょうか。

  しかも、日本は、シーパワーになるために、ものすごく便利なシステムを持っています。それは、繰り返しになりますが、「皇室制度」です。
  皇室が最高の権威になり、権力に正統性を与えるという仕組みは、動乱や権力交替があった後、スムーズに国内を安定させるのに役に立ちます。明治時代に薩摩や長州が「官軍」でなかったら、東日本の人々が素直に新政府に従ったでしょうか?占領下で国民が自信を失い、共産党や日教組といったランドパワーの手先が跋扈していた戦後に、国がバラバラにならずにすんだのは、昭和天皇陛下をはじめとする皇室のおかげではないでしょうか?
  皇室のご存在は、シーパワー日本が全体主義によることなく国民統合を果たすための大きな原動力なのです。
  
  ここで、日本をシーパワーとして育てていくための具体的な提言をしておきます。

★憲法前文に、「海洋国家である我が日本は」という文言を入れる
  繰り返しになりますが、憲法の英語訳constitutionには「気質」「構成」という意味もあるのです。前文に「海洋国家」とあれば、日教組や全教の教員も日本はシーパワーだと教えざるを得ません。(笑)

★自衛隊をシーパワー流の軍隊に変える
  まず、陸上自衛隊を「日本防衛」と、災害・テロ・難民流入などの「非常事態」に特化した部隊にすることです(イメージは、スイスの自衛隊)。憲法に書くのは難しいかもしれませんが、自衛隊法に「陸上自衛隊は、災害救助と復興支援の目的以外に海外に派遣することはできない」とでも入れておけば十分です。
  その上で、海上自衛隊と海上保安庁の予算を大幅に増額します。●このニュースのように、軍事機密の入ったパソコンが私物というのでは話になりません。シーレーンを失えば日本はおしまいなのです。どんなにお金をかけてもかけすぎではありません。

★日米同盟は続ける
  思いやり予算などと言わずに、何兆円でも米軍の駐留経費として負担すべきです。アメリカ軍がいれば、ユーラシア東部のランドパワーも日本に手出しが出来ません。沖縄に基地が集中しすぎているというなら、沖縄以外の過疎化している離島に基地を作ればいいのです。
  もちろん、日本の法律を守れとか、日米地位協定を改定しろ、と米軍側に要求するのとは別問題です。こういうところで受け身になってはいけません。日米安保条約は、対等な条約なのですから、日本からもどんどんアメリカに要求はすべきです。
  朝日新聞や「ニュース23」のイラク戦争報道を見て、「アメリカは悪の帝国だ」と思って(思わされて)いる人は、少し冷静になってみてください。

★シーパワーと仲良くする
  シーパワーの国とは、対等な貿易や理性的な対話が出来る上、戦争というリスクがほとんどないという利点があります。具体例を挙げると、台湾、インドネシア、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、イギリスなどがそうでしょう。特に、資源の面で相互補完性の高いオーストラリア、インドネシアは、軍事同盟を結んでもいいと思えるほどです。もちろん、太平洋という地域に限って言えば、アメリカも重要なパートナーであることは変わりありません。
  これらの諸国とは、経済だけでなく、安全保障の面でもパートナーになってもらいたいものです。
  幸い、時代はそういう方向へ着実に向かっているようです。現政権の外交方針は大筋で間違っていません。

  ●3月17日の産経新聞朝刊より

(以下引用)

 中国軍拡に日米豪結束 あす初の閣僚級戦略対話

  麻生太郎外相は十七日からオーストラリアを訪問し、十八日にシドニーで開かれる日米豪三カ国による初の閣僚級戦略対話に臨む。急激な軍拡を続ける中国が大きなテーマとなるのは確実で、三カ国外相が中国問題で意見交換する。中国脅威論が国際社会に広がる中、三カ国が結束して中国に対応していくことを明確に示す節目の会談となる。
 (中略)
 日米関係筋は日米豪に英国を加えた四カ国を「海洋同盟」と指摘し、今回の戦略対話について「『海洋同盟』が、軍事力を背景に覇権をうかがう『大陸帝国』の中国、さらに海洋戦略に乗り出した中国にどう対処するかを決めていく上で今回の戦略対話は重要な一歩になる」としている。
 
(引用以上)

★ランドパワーは極力無視する。相手にしない。
  国際法違反を承知で日本の領土を不法占拠する「たかり国家」や、日本人65万人を強制連行し、6万人を死なせた「元祖全体主義国家」や、国ぐるみで外国人を誘拐している「極悪テロ国家」や、国土の90%で砂漠化が進行中で、いつ崩壊してもおかしくない「国ごとチェルノブイリ原発国家」とは、きっぱり手を切るべきでしょう。
  これら大陸の国の内部に権益(現地工場や駐在員も含む)を持っても、海の向こうの日本にはそれらを十分に守ることができません。無理にやろうとすると、中国戦線のように周辺国との対立を招き、泥沼にはまってしまうのです。
  そういう意味では、「(東)アジア」という概念を強調するのも考え物です。肌の色が同じと言っても、ランドパワーとシーパワーは、目指すべきものが全く違うのです。関わり合いにならない、もしくは、最小限の関係で済ませるというのが、お互いのためでもあります。
  逆に、ランドパワーとの「友好」や「善隣」は、日本を泥沼に引きずり込むための罠だと思った方がいいでしょう。それにも関わらず、向こうの手引きに乗る「裏切り者」が多すぎます。例えば、下記の「元官房長官」とやらがそれに当たるでしょう。

 ●朝日ドットコムより

(以下引用)

  韓国訪問中の福田康夫元官房長官は17日、ソウルで開かれた日韓・韓日協力委員会の合同総会で講演し、「アジア共同体構想」について「主導的役割をどこがとるかは難しいが、少なくとも日本、韓国、中国の連携は必要だ」と述べ、3国間の関係改善が不可欠だとの考えを強調した。アジア外交の立て直しで積極的な発言をし始めた福田氏の動きは、今秋の自民党総裁選に向けて党内の駆け引きに微妙な影響を与えそうだ。
 
(引用以上)

  また、中国や韓国を嫌いだと言って叩くのも、やりすぎは危険です。「中国韓国とは仲良くしなければいけない」的な戦後民主主義教育の洗脳の反動が来ているのは理解できますが、その程度の感情を国策の中心に置いてはいけません。日本はもっと世界全体の流れに関与して行くべきです。
  日中戦争のきっかけは、中国に進出していた日本人駐在員たちを狙った国民党による虐殺事件が相次ぎ、「暴支膺懲すべし」という世論が高まってしまったことにあります。それもこれも、日本が中国の権益に深入りしすぎた、つまり、ランドパワーになってしまったからです。
  同じように、度を超した嫌中韓感情は、「精神のランドパワー化」を招きます。「中国から日本企業を撤退させる」「朝鮮とは一切関わらない」という世論の喚起こそ必要なのです。
  そういった国々の食品の危険性や、反日デモ・暴動も、ランドパワーと断交するチャンスと捉えるべきです。

★なにより、変えてはいけないものを知る
  日本が日本であるという確固とした証をもて、ということです。
  簡単です。基本的に共産党、社民党や日教組が叩いているものを守ればいいのです。たとえば「皇室制度」「神道」「集団主義」「協調性」などがそうです。
  上に挙げた馬鹿共は、要するに日本をランドパワーの属国にしたいだけなのです。金輪際、その主張を認めてはいけません。

  これから来る「改憲」の時代、憲法の前文に、日本が目指すべき国家像が描かれることを願っています。

★参考★

日本の敗因―歴史は勝つために学ぶ

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地政学―アメリカの世界戦略地図

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●世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略
 江田島孔明氏が発行するメルマガのバックナンバー集です。
 http://npslq9-web.hp.infoseek.co.jp/
 ※Vol.93に、拙ブログが紹介されております。
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新憲法の前文には、「海洋国家」の文言を!(その2)

2006年03月15日 22時49分22秒 | 憲法の話題
  今回は、大東亜戦争(太平洋戦争)を通じて、我が国の「海洋国家」であるという気質(constitution)を考えてみたいと思います。
 
  私は、大東亜戦争(太平洋戦争)について、以下のような考え方を持っています。

  まず、①戦争に当たって、普通の国民や兵士たちが最大限の努力をしたことは、絶対に否定してはいけないということです。
  どうも戦後の教育を受けた人たちの中には、日本の兵士たちは外国で残虐な行為「ばかり」していたという印象が根付いてしまっています。
  しかし、それが真実なら●このサイトにあるような、各国要人のような言葉が発せられるはずはありません。ここだけではありません。「大東亜戦争」と「東南アジア」「インド」「ポーランド」といった言葉を組み合わせてグーグルで検索すると、さらに多くの日本に対する肯定的な評価を見ることができます。日教組や全教の教員は、インターネットを使えないほどのIT音痴なのか、彼ら風に言えば「過去を直視することをためらう」人間なのでしょう。
  ここでは、戦争に付き物の抵抗勢力の粛清や、ゲリラ・便衣兵の処刑などの虐殺が全くなかったなどと言うつもりはありません。そういった行為は、他の欧米諸国もしているのです。それなのに、我が国の教育者たちは戦前の人々を悪鬼のごとく忌み嫌い、その有害な価値観を子どもに押しつけています。まるで、ランドパワーの権力交替に伴う「易姓革命」のようです。

  また、②戦前の日本の教育や文化や伝統が戦争を生んだのではないということも忘れてはなりません。
  例えば、教育勅語があったから戦争が起こったとか、皇室制度があったから日本は軍国主義になったという、論理性のかけらもない発言をする馬鹿がよくいますが、教育勅語や皇室制度自体には、戦争を生む危険は全くありません。
  教育勅語の「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」という部分が全体主義だというなら、スイス政府が全国民に配っている●『民間防衛』は全体主義120%です。緊急事態になっても国家に奉仕しないで、国よりも人権を守れとか、平和が大切だから有事法制など作るなとか言っている方が異常です。
  また、昭和天皇陛下が「戦争しろ」などとおっしゃったことは全くありません。天皇の統帥権を盾に軍隊が暴走したのは、憲法の欠陥の問題であって、天皇が戦争を推進したということにはつながりません。
  百歩譲って、教育勅語や天皇陛下の御存在が軍国主義を「助長した面があった」として、原因は後述するように他にあるのです。そういうことをまともに考えようともせず、「教育勅語は軍国主義的だ」「天皇は戦争犯罪人だ」などと言っている人は、戦前の日本を否定して自分だけは善人面をしたい確信犯か、よほど頭が悪いのか、義務教育時代に日教組教員に洗脳されたか、どれかでしょう。どちらにしても、かわいそうな人です。

  しかし、これらの問題と、③「するべき戦争だったかどうか」というのは、全く別の問題です。
  あの戦争ははっきり言って失敗でした。なぜなら、陸軍が大陸進出を企図し、それをマスコミと財閥が扇動してしまったことで、日本が「ランドパワー化」してしまったからです。(ランドパワーの定義については、●「世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略」をご覧ください)
  特に満州事変後の日本が「ランドパワー化」したのは、以下の特徴からでもわかります。

★全体主義的風潮になった
  ランドパワーは、陸上を主戦場にするため、死者が大量に出ます。自分の親兄弟が死んだら、戦争はまずいと思うようになるのは人情です。そういう国民の声が大きくならないようにするためには、「戦争は善だ」「文句を言う奴は非国民だ」という風潮を作ってしまえばいい、いや、作るしかないのです。
  例えば、戦争や軍隊が嫌いで嫌いで仕方がない某新聞が、虚偽報道をしてまで戦争を煽っていたというのは、非常に興味深いです(証拠は●こちら)。

★陸軍が膨張した
  ランドパワー(ロシア・中国・北朝鮮など)の特徴は、陸軍の人員が極端に多いことです。防衛戦を前方に展開することで、内陸の権益や自国の安全保障を図るためです。  戦前の日本も、上のようなランドパワー的習性を備えていたという証拠があります。「関東軍」の存在です。
  関東軍というのは、もともとは、日露戦争で獲得した旅順や、そこから伸びる南満州鉄道といった権益の保護のために駐屯していた陸軍の部隊です。それが、最終的には中央からほとんど独立して活動し、最大78万人の兵力を有する第軍団に成長しました。
  この関東軍がソ連を仮想敵として、北進を企てていたのは重要です。ランドパワー特有の「国境線を中心地域から遠ざける」習性から説明できるからです。
  「五族共和」を謳った満州国を建国し、これを基盤に「世界最終戦争」をもくろんだ石原莞爾の着想はユニークだったとは思います。しかし、大陸に利権を持ち、それを守ろうとすれば、自然とランドパワー化が進んでしまうのです。日本の気質(constitution)にあったやり方とは言い難いです。

★官僚主導の中央集権国家になった
  もっとも大きいランドパワー化の特徴はこれでしょう。
  4000年の歴史を誇るランドパワー(笑)中国は、科挙を実施していたことからもわかるように、国を支えているのは貴族ではなく官僚です。
  これは、官僚制が優れているからではありません。ランドパワーは、そうせざるしかえないのです。
  なぜなら、中央政府に次ぐ有力貴族というものが、そもそも存在し得ないからです。ランドパワーは、常に国内に反抗勢力を抱える宿命にあります。しかし、その勢力を自立させれば、敵国と結びついてしまう危険があります。だから、反抗勢力を徹底的に弾圧するのです。(逆に言えば、敵国内の反体制勢力を使って、敵国を潰すのを常套手段にしている)
  そうなると、国内に、中央政府(皇帝)を支える人材がいなくなります。それを補充するのが、科挙だったというわけです。まあ、それすらもいずれ群雄割拠に陥るのが中国の歴史なのですが・・・。
  明治時代の日本は、たしかに今日のような地方自治はなかったものの、財政の面では地方がほとんど中央政府から自立していました。補助金も交付金も存在せず、地方税の税率も自分で勝手に決めていました。また、税目自体も間接税や外形標準課税が中心でした。
  国が予算を牛耳る体制になったのは、戦争真っ直中の1940年です。所得税・法人税といった直接国税中心の体制を作り、一度中央に集めたお金を、補助金や交付税の形で地方に再分配するという形にし、地方債の起債も、大蔵省が認めた「起債計画」によってなされるようになったのです。(野口悠紀雄『1940年体制』東洋経済新報社より)このシステムは、現代に至るまで、基本的に変わっていません。

  全てを中央の統制の下に置こう、というのは、ランドパワーの発想です。日本を牛耳っていた陸軍と、「革新官僚」と言われた人々の利害が結びついて、ランドパワー型の国家体制が実現したと言えるのかも知れません。 
  しかし、日本の特徴である、シーレーンがなければ国として成り立たないという「弱点」を全く忘れてしまってはいけません。これこそが、悲劇の始まりだったといえるでしょう。
  日本敗戦の最大の要因になったのは、サイパン陥落だと言われています。なぜなら、ここから米軍の爆撃機が九州以東の本土を空襲できるからです。それにも関わらず、日本軍には当時サイパンを死守しようとした形跡がありません。米軍がサイパンに来ることを海軍は想定すらしていませんでした。サイパンを拠点として東シナ海を制圧し、東京を空爆できるというのに!!です。
  結果的に、サイパンが落ちて、東シナ海のシーレーンは完全に米軍の手に落ちてしまいました。南方戦線と本土の間の輸送船は、大戦末期になるとほとんどアメリカ軍の潜水艦に撃沈されてしまいました。東京大空襲も、原爆投下も、全てサイパンを発したB29によるものでした。
  このサイパンに対する鈍感さと比較すると、大陸での陸軍の作戦は、度を超した情熱ぶりでした。サイパン陥落と同年(1944年)の大陸打通作戦、インパール作戦、どちらも大失敗です。中国大陸での敵対ランドパワー、国民党を潰そうという日本軍の戦略が、完全にランドパワー化していたことが、ここにもよく現れています。
  資源を求めて南方に権益を確保しながら、シーレーンを守るというところに発想が行かない。ランドパワーになってしまった日本軍は、日本にとって何を守るべきかという戦略を失ってしまったのです。
  どうせ軍国主義になるなら、海軍をもっと増強し、零戦を量産し、パイロットを大量に育成すればよかったのです。そうすれば、シーレーンを守ることができたはずです。日本はアメリカとの戦争で、485機ものB29を撃墜しています。朝鮮戦争中の中国と北朝鮮を合計しても、40機しか落としていません(対日戦線投入から敗戦までは2年間、朝鮮戦争は4年間ということを考慮に入れれば実力の差はさらに大きくなる)。日本の戦闘機はめちゃくちゃ強かったのです。あの戦争中に陸軍の予算を半分に削り、零戦と航空母艦に全てを賭けていれば、あの戦争はどうなったのか分かりません。
  確かに、縦割りの官僚機構は、とかく自分たちの予算を既得権益として手放したがらないものです。3月になると、夜間の道路でやたらと片側通行が増えると思いませんか?ああやって当該年度分を消化しないと、翌年度から予算を削られてしまうからだそうです。官僚というのはそういうものなのです。
  そんな役人たちに「改革」を促すには、明確なビジョンが必要です。「そんなのできません。なぜなら・・・」と言われて、前言を撤回するような人は、リーダーとして不的確です。
  そういうとき、リーダーを支えるのは、その国の気質(constitution)に対する深い理解なのではないでしょうか。全ての政策の出発点は、constitutionであるといっても過言ではありません。なにしろ、私たちは生まれた国を捨てることはできないのですから。
  昭和の軍人・政治家たちには、「我が国が海洋国家である」という視点がかけていました。だから、社会基盤がゼロに等しい朝鮮半島や、周りが敵だらけの満州の権益に固執してしまったのです。
  朝鮮併合後の日本は、毎年国費の約20%を朝鮮半島近代化につぎこんでいました。また、毛沢東が「満州さえあれば国民党と戦える」と言ってのけたほど、満州の開発に投資していました。不況の余り東北地方で「身売り」があった時期さえも、そういう「ランドパワー権益」にはお金を出し続けました。
  日本人が「アジアの隣人」とやらに対してお人好しなのは、今も昔も同じというわけです。これを「美談」にしてしまうと、今度は朝鮮半島統一後にババを引かされる可能性が高いということに気づけません。

  今度こそは、ランドパワーのやり方は日本には合わない、日本を守れないということを、多くの日本人が自覚しなければいけないのです。

  次回では、私が「海洋国家」という言葉に託した、日本のあるべき姿について述べてみたいと思います。(つづく)


★参考★

1940年体制―「さらば戦時経済」

東洋経済新報社

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新憲法の前文には、「海洋国家」の文言を!!(その1)

2006年03月14日 01時40分37秒 | 憲法の話題
  昨年の衆議院選挙で、自由民主党が大勝したことで、憲法改正論議が一気に盛り上がってきました。
  もともと、自民党というのは、自主憲法の制定のために、1955年に保守政党が合同したのが結党のきっかけです。そうだとすると、やっと本来の目的を思いだしたということもできそうです。

  憲法というと、猫も杓子も第9条というような状況があります。確かに、これも大切な条文であることには違いありません。しかし、すでに自衛隊が存在している以上、これを憲法が追認するという以上の意味はないでしょう。

  そもそも、英語でいう「憲法」に当たる、constitutionという単語には、「構成」や「体質」という意味もあります。つまり、法規範であると同時に、その国がどんな国かという特徴を表しているものだということでもあります。

  では、その国がどんな国か、もっともよく表現されているのはどこか??

  それは、前文です。

  我が国の憲法にも、前文はあります(原文は●こちら)。しかし、これが日本という国がどんな国か、的確に表現しているとは、私には到底思えません。
  特に、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とか、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という、いかにも日教組が好きそうな部分部分は、まるでリアリティが感じられません。世界に突如出現した完全無欠の理想国家の建国宣言とでも言えばいいのでしょうか。
  もっとひどいのは、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という部分です。他国から見たら完全に「余計なお世話」でしょう。
  このように、我が憲法の前文を見ても、日本という国がどんな国か全くわかりません。こういう憲法を、宗教の教義のように頑迷に信じている人たちが、「平和憲法を守って滅ぶ国が一つぐらいあってもいい」(森永卓郎・経済アナリスト)とか「戦争の準備をすると戦争が来る」(土井たか子・前社会民主党党首)などと、日本という国などどうでもいいという態度を採るのも無理はありません。
  
  では、前文にどんな言葉を入れれば、日本の憲法としてふさわしいか?

  私は、部分的ではありますが、明確な答えを一つ持っています。それは、


  「海洋国家である我が日本は」


  という文言を入れることです。

  なにそれ?魚をよく食べるってこと?  

  ・・・まあそれも外れではありませんが、もう少し深い意味があります。それは、我が国の生存は、海にかかっているといっても過言ではないということです。

  よく、日本は技術立国だとか言われますが、その基盤が「海」だということはあまり自覚されていません。

  例えば、レアメタル(希少金属)を例にとってみましょう。

●レアメタルの海外依存度

(以下引用)

■日本の全輸入量に占める国別割合(元素の右は、主な用途)

ニッケル(Ni)
メッキ、各種合金

インドネシア(44%) オーストラリア(12%) ニューカレドニア(10%)
フィリピン(9%) ロシア(4%)
 上位5カ国計 79%

クロム(Cr)
メッキ、ステンレスの原料

南アフリカ(57%) カザフスタン(18%) インド(8%)
ジンバブエ(7%) 中国(5%)上位5カ国計 95%

マンガン(Mn)
電池の陽極、マンガン合金

南アフリカ(44%) 中国(26%) オーストラリア(22%)
ガーナ(3%) インド(2%) 上位5カ国計97%

コバルト(Co)
医療用(コバルト線照射)、コバルト合金(ジェットエンジンなど)

フィンランド(23%) オーストラリア(19%) カナダ(13%)
ベルギー(13%) ザンビア(10%) 上位5カ国計78%

タングステン(W)
電球のフィラメント、タングステン鋼

中国(79%) ロシア(9%) 韓国(3%)
ポルトガル(2%) アメリカ(2%) 上位5カ国 95%

モリブデン(Mo)
自動車用薄板、航空機用特殊複合材、脱硫触媒など

チリ(31%) 中国(28%) メキシコ(15%)
カナダ(9%) アメリカ(6%) 上位5カ国計89%

バナジウム(V)
合金として被覆材、耐熱材に

南アフリカ(68%) 中国(20%) アメリカ(2%)
オーストラリア(2%) 台湾(2%) 上位5カ国計94%

【出典】日本貿易月表

※各鉱種輸入量は、様々な形態・品目で輸入されているため、
 純分に推定換算して合計量を算出しています。

(引用以上)

  こうやって見てみると、ハイテク工業製品のほとんどに使われているのがよくわかります。こういったレアメタルがなければ、我が国の技術も生かしようがありません。
  
  ここが、日本の弱点なのです。何も、レアメタルに限った話ではありません。技術は素晴らしいが、資源はない。これは、戦前から全く変わっていません。我が国の技術を生かすためには、資源を海外から調達しなくてはいけないのです。特に、工業原料として用いられる金属は、そのほとんど全てが船を使った海外からの輸送です。
  このような日本という国の「弱点」は、おそらく変わることはないでしょう。なぜなら、我々は鉱物資源に乏しく、海に囲まれたこの日本という土地に住み続けなくてはならないからです。

  日本には、広い土地など必要ありません。どんなに狭い土地でも、そこに住んでいる日本人が、物にいくらでも付加価値を付けて、外国に売ることが出来るからです。
  逆に、海の安全、つまり、シーレーン(海上輸送路)の確保は、国が全力を挙げて取り組まなければならない課題です。日本の繁栄は、海上輸送が滞り無く行われることが大前提となっています。
  教科書にもこういうことをきちんと書いて、子どもたちに徹底的に「海は日本の生命線」と教えるべきです。なぜなら、これから一人前の国民になる子どもたちも、「何を守ればよいのか」という目標を共有しておくべきだからです。
  ●扶桑社の「新しい教科書」は、我が国で日教組のようなランドパワーに加担する勢力が吹聴する「自虐史観」を覆す点で画期的なものでした。
  しかし、「新しい教科書」を巡る論争が、どうも「あの戦争は悪だったか善だったか」という点だけを巡って行われている(あるいは、意図的にそこだけに矮小化されている)のは、首を傾げざるをえません。日本は今後、どんな国として歩むべきか、そういう考えがすっぽり抜け落ちているからです
  実は、「海洋国家である我が日本」という視点を見失ったために、日本は以前大失敗したことがあります。大東亜戦争(太平洋戦争)がそれです。

  次回は、異論は多数あるかと存じますが、大東亜戦争を題材にして、日本がいかにしてアイデンティティーを見失ったかという問題を論じたいと思います。(つづく)
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日教組、今日も元気に反日活動!!②

2006年03月13日 00時53分21秒 | 日教組関連
  日本の教育はおかしい!!

  偏向教師によって子どもたちが変な方向に導かれている!!

  国の未来は、教育にかかっている!!


  最近、このような思いをブログやホームページ上で見ることが多くなりました。
  そういう、日本という国のことを考えている方々に、一番簡単にできる「教育改革」もしくは、「教育改悪防止」のための方法を教えて差し上げましょう。
  それは、

    「民主党には絶対に投票するな」

  ということです。

  え??でも民主党って、共産党や社民党に比べたら、全然まともな政党なんでしょ?それを証拠に、靖国神社に参拝したり、人権擁護法案に反対したりする議員が結構いるじゃない。

  ええ、そうでしょう。そういう議員さんはいます。私は昔から自民党が嫌いだったので、民主党に投票していた時期がありました。

  しかし、あることを知ってから、もう絶対に投票するのはやめよう、と思うようになりました。それは何かというと、

      民主党に投票すると、
     日教組の組合員が
     国会議員になってしまうから


  です。

  国旗・国歌を忌み嫌い、税金から給料をもらいながら国の教育政策に反抗する共産主義の団体から、国会議員が出てしまう!!なんということでしょう。

  もう少し詳しく説明すると、参議院の比例代表選出議員に、日教組の議員がいるのです。
  その窓口となっているのが、日本民主教育政治連盟(日政連)という団体です。簡単に言えば、日教組系の教職員組合が作っている政治団体です。
  どんな活動をしているのか、ちょっと見てみましょう。

(以下引用)

●日政連自治体議員団会議開催

  日本民主教育政治連盟(日政連)の自治体議員と日教組・各単組がこれまで以上に十分連携を強め、運動を進めることをめざして日政連自治体議員団会議が11月16日、日本教育会館で全国から約100名が参加して開催されました。
  森越日教組委員長は、「日本のどこに生まれても同じ水準の教育を受けられるのは、義務教育費国庫負担制度による下支えがあるからである。地方議会に教育のわかる議員を一人でも多く送り出す必要がある。子どもたちの未来とそれを支える教職員が安心して働ける学校をつくるためにともに頑張りましょう」と挨拶しました。
  輿石日政連会長は、「平和と教育の危機は同時にやってくる。今こそ日教組、日政連の出番である。子どもたちの明るい未来のためにがんばろう」と訴えました。
  会議は、日教組の当面する課題である、義務教育費国庫負担制度のとりくみ、憲法・教育基本法について、2005年度人事院勧告について、神本美恵子参議院議員再選にむけたとりくみについて提起を行いました。その後、各地域での活動報告と交流が行われ、終了しました。

(引用以上)

  さて、上の記事には、日教組が最近必死になって取り組んでいる(=政府の改革を妨害している)主な議題が出てきています。それは、

  「義務教育国庫負担金削減反対」

  「教育基本法の改正阻止」

  「憲法改正阻止」


  という三つです。

  「義務教育国庫負担金については、●以前の記事でも書いたとおりです。仕事と予算を増やしたい文部科学省と「暗黙の共謀」のもと、少人数制授業や総合学習などの名目で増やしてきた人件費を、減らすまいとしているわけです。
  もちろん、子どもたちのためではありません。自分の仕事が無くなるのが嫌なだけです。
  国庫負担金を削減するとなると、日教組は「30人学級が実現していない!!」などと反論してきそうですが、●こちらのPDF資料でもわかるように、少子化の影響ですでに全国の教員一人当たりの持ち人数は平均は26人あまりになっています。むしろ、高知(18.4人)と埼玉(30.2人)の間の不均衡や、新しく人口が増えた地域への適正配置が問題なのです。
  もちろん、日教組は自分のことしか考えていないので、そういう建設的な提案は一切しません。誰が書いたか分からないメールのことでぎゃあぎゃあ騒いでいるどこかの政党と、こういうところは似ていますね。

  「教育基本法の改正」ですが、ここにきてやっと小泉内閣が本気で取り組み始めました。●こちらの読売新聞の記事をご覧ください。

(以下引用)

  安倍官房長官は12日、石川県能美市などで街頭演説し、教育基本法改正について「この国会に(改正案を)提出し、成立させたい」と強い意欲を示した。

  安倍長官は、改正の意義について「損得を超える価値、つまり家族を大切にする、地域のために頑張る、国に貢献することの尊さを教えるための教育改革を行いたい」と強調した。

(引用以上)

  日教組にとっては、こういう取り組みが面白くないのでしょう。日教組(というか、日本の戦後の教師たち)が教えてきた事と言えば、「夢を実現するために努力しよう」とか、「自分のために頑張ればいい」とかいった、利己主義的な精神ばかりでした。
  それでも、戦前生まれの「滅私奉公」する人たちが健在だった頃は、戦後教育で育った自己中心人間が悪さをできませんでした。戦前の教育を受けた人たち(昭和一桁世代)が一線を退いたのが、だいたい1995年以降です。この年にオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こったのは、象徴的だと思います。企業不祥事やモラルの低下としか思えない事件(たとえば「オヤジ狩り」や「酒鬼薔薇」のような少年による殺人事件)が頻発するようになった時期とぴったり重なります。
  そういう時期に日教組が唱え続けていた主張といえば、「教育基本法の理念に忠実な教育をしろ」とか、「平和の大切さを教えろ」といったものでした。何でも国のせいにするというでは、子どもたちはますます無責任になることでしょう。
  上の記事で安倍官房長官が唱えていることは、何処の国でも教育の場で実践されていることです。それなのに、日本だけは「愛国心」だとか「他人を大切にしろ」とかいうことを教育の場で言い出すと、「戦前回帰」などというレッテルを貼られてしまっていたのです。
  政府の教育基本法改正は、むしろ遅すぎたくらいです。それもこれも、「愛国心」という言葉に連立与党である公明党が「なぜか」拒否反応を示していたためです。
国を愛すると、なんか問題があるんでしょうかねえ?

  「憲法改正」ですが、これについては是非とも入れて欲しい「文言」があるので、次回から記事を続けて書くつもりです。乞うご期待。

  文中に出てくる神本議員というのは、●こちらのブログでも以前取り上げた、元日教組の参議院議員です。
  ●神本議員のホームページを見ていただくとすぐにわかりますが、頭の中身が「判で型を押したような」日教組組合員です。子どもを無批判に礼賛、国旗国歌の否定、ジェンダーフリーの推進、学校教育を否定するかのような教育論・・・。
  いい加減、もう少し切り口を変えた提言ができないのでしょうか?コアな支持層(頭の悪い労働組合員や、ランドパワーに汚染された教職員)以外は、こんな言葉を並べられても、政治家に対する魅力=現状を打開する力を感じることができません。
  こういう人間が国費で「国民の代表」(憲法43条)として活動してくれるのか、疑問です。

  ここで強調しなければならないのは、神本議員が「比例代表選出議員」だということです。つまり、「自民党が嫌いだ!」という理由で、民主党に参院選挙の比例票を入れ続ける限り、神本議員が当選し続けるということです。
  そして、民主党の内部に神本のような、「国民の代表」として不適合極まりない人物がいる(辻元清美と五十歩百歩である)限り、小泉・安倍・麻生・中川(昭)らが率いる「反・ランドパワー連合」にいつまで経っても勝てないのです。
  本当に民主党が政権を担いたいのなら、日政連のような偏った政治志向の団体とは手を切るべきでしょう。しかし、そうしたくてもできないのは、民主党が、公務員系の労働組合に頼らなければ選挙で勝てない情けない政党だからです。
  特に、日政連のボスである、元北海道知事の横路孝弘は、民主党の牙城である北海道を束ねる「左翼の大物」です。また、民主党に合流した「旧社会党系」の議員の大本締めでもあります。前原党首が「中国は脅威だ」というごくごく当たり前のことすら言えないのは、横路のような旧社会党勢力がいまだに幅を利かせているからです。

  北朝鮮による拉致を「捏造だ」といい、元委員長が北朝鮮を訪問して、金日成主席について「アジアと世界の平和の為に類なき貢献をつくしておられる」などと言っている政党の生き残りが内部にいる・・・日教組が支援したくなるのもわかります。

  そればかりでなく、民主党がどう考えてもランドパワー(陸軍国。旧ソ連や中国・朝鮮)の手先だと考えざるを得ない材料は、他にもたくさんあります。

 ★元自民党の有力な議員(特に旧自由党系)の多くが「竹下派」出身

  「竹下派」は、旧田中派の流れを汲む自民党の派閥です。派閥のボス・田中角栄は、日中国交回復を実現した人物で、その配下の議員の多くが中国との間に何らかの利権を持っていたと言われています。●中国の女スパイとデキていたこの人が典型例です。
  旧社民党と旧自民党が何故一緒にいるのだ?と以前の私は不思議に思ったものです。実は、彼らは、中国の傀儡であるという共通点があったわけです。

  ★沖縄を中国に差し出そうという計画をしている

  ●「沖縄ビジョン」という計画がそれです。●こちらのブログに詳しい説明があります。
  「アジアからの外国人の3000万人ステイ計画」は中国人による沖縄乗っ取り、「中国語などの学習でマルチリンガル化」は、中国様のために働く下僕の育成というわけです。

  ★日本の主権を中国や朝鮮に移譲しろと提案している

  ●憲法中間提言というのがそれです。もはや、気が狂っているとしか言いようがありませんね。

 ★韓国の反日デモに参加した議員がいる
  
  ●こいつです。最近発売された「嫌韓流2」という本にも出ています。●こちらのサイトのまとめも参考になります。

  
  こんな党に国を委せられるか!!というのが、正直な感想ではないでしょうか?
   

  来年に行われる参議院選挙で、「比例代表は民主党」と考えていらっしゃるかたは、是非とも熟慮の上ご判断ください。今度は神本議員が名簿に載るのですから・・・。
  
  あ、最後に一言。

>今こそ日教組、日政連の出番

   誰もお前らには
   頼んでねえだろ!!



  ・・・それでは、また。

★参考図書★

なぜか誰も書かなかった民主党研究

成甲書房

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いいかげんにしろ日教組―われ「亡国教育」と、かく闘えり

PHP研究所

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卒業生に贈った言葉

2006年03月04日 23時15分27秒 | 子供の教育
  以前、受験クラスの小学6年生に向けて、最後の授業で話した内容を、抄録としてまとめてみました。
  なぜ勉強するのか?という疑問に、少しでも良い答えを返したいと思う親御さんや、これから社会に出ていく若い皆さんに読んでいただければ幸いです。


  今からする話は、「これからの社会ではどんな人間が必要とされるのか」という問題についての、私なりの考えである。

  ある中華料理店について考えてみたい。仮に「来来軒」としておく。来来軒は、私鉄のターミナル駅から30分ほどのK駅から、さらに20分ほど歩いた住宅街にある。オープンしたのは1979年だ。味は可もなく不可もない。営業時間は、午前11時から午後9時までで、これは開業以来変わっていない。
  最近、その来来軒が、営業不振で苦しんでいる。主人はいつものように生真面目に食事を提供し、忙しいときも最善のサービスを提供してきたつもりである。それなのに、昼食時以外の客足がどうも寂しくなる一方である。
  今までこの方法で十分家族を養って行けたのに、今や潰れる寸前である。なぜだろう。主人には原因がわからない。

  実は、主人が目を向けずにいた外の世界では、大きな変化が起こっていた。

  ひとつは、「情報化」である。

  ラーメンを食べたいと思った人たちの行動パターンが、ここ十年くらいすっかり変わってきていた。以前であれば、家でインスタントや生のラーメンを作るのが面倒なら、近くの定食屋や中華料理店を訪れるのが普通だった。
  しかし、今はそうではない。うまいラーメンを食べたいと思ったら、まずラーメン好きは何をするかというと、雑誌のラーメン特集の記事を見たり、評判の店ばかり集めた本を読んで、これはと思った店を訪ねるのである。中には、人気があって、昼時でなくても行列している店がある。味や麺の太さなど、様々な情報が出ている本や、インターネットの専門掲示板などが、食べたいラーメンを選ぶ為の情報を、一昔前とは比べ者にならないくらい膨大なものにした。
  そして、そういう「おいしいラーメン」の店の中に、来来軒の姿はない。

  この情報化と同時に進んでいったのが、「ボーダーレス化」である。

  「ボーダー」というのは、境界という意味である。「レス」というのはケアレスミスの「レス」で、「無い」とか「欠けている」という意味である。つまり、ボーダーレスとは、「物事の境界線がどんどん取り払われる」ことである。
  ボーダーレス化は、情報化によって促進される場合がある。都内や郊外にうまいラーメン店があっても、その存在を知らなければ誰も食べにいかない。ところが、マスコミが取り上げたり、インターネット上の口コミに乗ったりという形で、その存在が知られると、来来軒のような店から客がそちらへ流れていくことになる。
  また、社会の変化がボーダーレス化を進めることもある。最近は自動車が普及したので、多少遠くの店でも足を運べるようになった。歩いていけるところに競争相手がいるとは限らなくなったのである。
  国際的な話で言えば、日本の製造業も、人件費の安い中国企業を相手に安く性能のいいものを作らなくては競争に勝てなくなっている。これも、中国への外国企業の進出が盛んになったことによるボーダーレス化である。
  さらに、情報化だけでなく、競争原理がボーダーレス化を進めることもある。来来軒の敵は、同じラーメンや中華料理の店だけではない。宅配ピザ、24時間営業の総菜屋、冷凍弁当を出すコンビニ、全てが胃袋を巡るライバルである。

  情報化、ボーダーレス化が進むことの意味は、「いつ、どこから競争相手が現れるか分からない」ということである。これは想像以上に大変なことである。なにしろ、今までと同じ努力をしていると、だんだん落ち目になっていってしまうのだ。現代の競争社会は、下りのエスカレーターを登るのとよく似ている。
  確かに、そんなのは間違っているということはできるだろう。しかし、そうはいっても社会全体が情報化、ボーダーレス化しているのは事実である。それに完全に背を向けることは、社会から逃げ出すことを意味している。

  では、来来軒がどうすれば生き残れると思うだろうか?

  私は、あえてそれをここで教えたりしない。自分で考えてみればいいと思う。それが、私のあなたたちへの最後の宿題だ。もっとも、ただ突き放すのはかわいそうなので、出題の意図ぐらいは教えてもいいだろう。それは、「社会の変化に合わせて、いかに自分自身を変化させていくか」ということだ。それは、成長ということもあれば、改革という場合もあるだろう。

  ここで大切なことがある。あなたたちの多くが、「来来軒には個性というものがない」と思ったことだろう。しかし、来来軒が生き残るためには、ただ個性だけを追求すればいいというものではないということを言っておきたい。
  
  社会に求められる人というのは、「個性的な人物」ではない。

  社会に求められ、必要とされる人とは、「自分の個性を社会や他人が望む形で表現できる人物」である。

  戦後の日本は、憲法にあるように、個人を尊重するという考えで運営されてきた。しかし、本当はそうではなかったと私は思う。「人のため」「社会のため」と思って、嫌なことを投げ出さすに我慢してきた人たちが、戦後の経済発展を築いたのである。
  あなたたちが生きていく中で、自分の思うように物事が進むことはほとんどないだろう。勉強したらしただけ成績が上がったわけではないように、思い通りにならないことは世の中では沢山ある。まして、今はボーダーレス化の時代だ。並大抵の努力では、他人を上回ることは出来ない。
  そんなとき、自分のためにだけ努力すればいいと教えられてきた人間は、「自分さえ諦めればいいんだ」と思って、努力を放棄してしまうだろう。引きこもりやニートというものは、そうやって生まれたのだと私は思う。彼らに、自分のために頑張れというのは間違っている。
  厳しい世の中だからこそ、他人の役に立つという価値が大切になってくる。他人の役に立つというのは、金のように減ることはない。増えていく一方である。確かに目に見えて自分を豊かにしてくれることは少ないだろうが、人を騙したり、蹴落としたりする必要もないので、気持ちよく生きられるはずである。

  ただ、人の役に立つというのは、ひとりよがりでは絶対にいけない。そうならないように、必要なものを教えておこう。これは、同時に、ボーダーレス化した社会で生きていくために必要な力でもある。

  一つ目は、「自分の考えを誤解無く相手に伝えられる能力」である。
  誤解されていいことは何もない。だから、相手にとってわかりやすい言葉を選んで、誤解される可能性を可能な限り低くしよう。せっかくいいことをしても、相手に伝わらないなら仕方がない。

  二つ目は、「知らない人と話せる能力」である。
  知っている人とだけ話せればいい、というのは、高度成長期の大企業や役所の中だけの話である。どこから競争相手が出てくるか分からない時代は、自分が馴染みのない場所を訪ねなくてはならないことが多くなる。人見知りで、得をすることはない。これからの学校生活でも、なるべく知らない人と無難な話ができるようにしておこう。引きこもりは、知らない人間に挨拶程度のこともできない人間が多い。これでは、社会に出ても孤立してしまう。
  
  三つ目は、「苦しいときに我慢できる精神力」である。
  少し失敗して投げ出している人間は、何もつかむことはできない。苦しくなったら場所を変えればいいだろうと思っている人間は、いつまで経っても居場所を見つけられない。嫌だなと感じた時が、我慢のタイミングである。そこを過ぎれば、出口は見える。
  自分が勉強やスポーツの練習など、努力を強いられているときは、これはいつか自分がだれかを喜ばせるための準備だと思いなさい。そう思えば、決して無駄にはならない。

  仕事も、好きな仕事を選ぶのではなく、選んだ仕事を好きになるようにすればいい。世の中の95%の人は、望み通りの仕事に就けないと私は思う。だとすれば、それからどうするかが大切である。
  私も、決して本当に望んで始めた訳ではない塾講師と言う仕事が、今ではとても好きになった。こうして、自分の話を聞いてくれる人間がいて、その中からたった一人でもいい、この日本という国や、自分の周りにいる人たちのために役に立ちたい、自分を捨てたいと思う人間が出てくれれば、安い給料でも我慢できる。合格というのは、あなたたち自身へのごほうびというだけではなく、私へのごほうびでもある。
  試験場で諦めそうになったら、私でなくてもいい、支えてくれたいろいろな人たちの顔を思い出すといい。それでももう諦めるというなら、もう私は止めない。私はそんな人間が開成中学や筑波代付属駒場中学に受かっても、少しも誉めてやるつもりはない。そういうやつは、きっとどこかで自分の為だけに生きる人生につまづくだろう。
  最後まで諦めなかったとしたら、たとえどんな結果が出ても私は認めてあげるつもりでいる。それでも、ここまで遊びたいのも我慢してきたあなたたちが、結果を出せないはずはない。不安なのはみんな同じだ。逃げるのではなく、乗り越えよう。
  今まで本当にありがとう。


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日教組、今日も元気に反日活動!!①

2006年03月03日 00時03分53秒 | 日教組関連
  最近時間的余裕が無くなってきましたが、私は日教組ファン(笑)なので、彼らが普段している活動を、「日教組、今日も元気に反日活動!!」シリーズとして、断続的に取り上げていきたいと思います。

  第1回目なので、このシリーズの基本的な方針についてまず述べておきたいと思います。

  以前、●皇室典範の改正について扱った記事で、私は、「日教組のような反体制を売り物にする団体は、典型的なランドパワー(昔はソ連、今は中国・北朝鮮)の工作員の役割を果たしている」ということを指摘しました。

  「ランドパワー」という言葉を初めて聞く方もいると思いますが、要するに陸軍国だと思っていただければ構いません。
  「ランドパワー」とは、地政学という学問領域で用いられている用語です。私の不十分な理解を披瀝するより、●「世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略」という素晴らしいサイト(メールマガジンも配信しています)をご覧頂くとよろしいでしょう。
  あえて私なりに簡単に説明すると、ランドパワーの国は、陸続きにある敵国から侵略されることを怖れて、常に国境線を自国領の中心から遠ざけようとする習性を持ちます。もっと分かりやすく言ってしまえば、隣接地域を侵略する傾向にあるのです。旧ソ連が、東欧諸国を衛星国としていたのはよく知られていますが、あれはナチス・ドイツのような西方からの侵略を防ぐ盾の役割をさせていたのです。
  しかし、領土を拡張する結果、国の外縁部に異民族や、敵国に同調する勢力を抱えてしまうという弱点があります。これは、国内に紛争の種を常に抱えているということです。
  だからこそ、ランドパワーの国々は、どこも共産主義に代表される「全体主義」の政治体制を取るのです。巨大ランドパワーであるロシアは、●こちらの記事で紹介したように、もはや民主主義国家と言えるような国ではありません。インターネット上で検閲をしている中国や、そもそも国民が外の世界の情報を全く知らない北朝鮮も同様です。
  だからといって、ランドパワーの国々は、常に武力で敵をねじ伏せようとしている訳ではありません。もともと軍事力や警察力に大きなコストを強いられているランドパワーの国も、なるべく「楽に」国家を運営したいと思うのは当然です。
  武力の代わりに用いられるのが、思想宣伝や情報の流布によって敵国を戦わずして乗っ取るという策です。これを、私は「文化侵略」と呼ぶことにしています。
  「文化侵略」がどのような形で行われるかは、●スイス政府が発行している「民間防衛」という本を見てみるとよくわかります。(●こちらのサイトで、日本の現状に即した、この本の解説がされています。必見です)

(以下引用)

  国を内部から崩壊させるための活動は、スパイと新秩序のイデオロギーを信奉する者の秘密地下組織をつくることから始まる。この地下組織は、最も活動的で、かつ、危険なメンバーを、国の政治上層部に潜り込ませるようとするのである。彼らの餌食となって利用される「革新者」や「進歩主義者」なるものは、新しいものを待つ構えだけはあるが社会生活の具体的問題の解決には不慣れな知識階級の中から、目をつけられて引き入れられることが、よくあるものだということを忘れてはならない。
  数多くの組織が、巧みに偽装して、社会的進歩とか、正義、すべての人人の福祉の追求、平和という口実のもとに、いわゆる「新秩序」の思想を少しずつ宣伝していく。この「新秩序」は、すべての社会的不平等に終止符を打つとか、世界を地上の楽園に変えるとか、文化的な仕事を重んじるとか、 知識階級の耳に入りやすい美辞麗句を用いて・・・・・。
  不満な者、欺かれた者、弱い者、理解されない者、落伍した者、こういう人たちは、すべて、このような美しいことばが気に入るに違いない。ジャーナリスト、作家、教授たちを引き入れることは、秘密組織にとって重要なことである。彼らの言動は、せっかちに黄金時代を夢見る青年たちに対して、特に効果的であり、影響力が強いから。
  また、これらのインテリたちは、ほんとうに非合法な激しい活動はすべて避けるから、ますます多くの同調者を引きつけるに違いない彼らの活動は、”表現の自由”の名のもとに行われるのだ。

(引用以上)

  インテリ、平和、青年たち・・・・このブログをご覧になる方ならすぐにピンとくるのではありませんか?

  日教組のしていることは、憲法を守るためでも、教職員の権利を守るためでも何でも無いのです。彼らの真の動機はランドパワーのために日本を内部崩壊させることです。
  日教組の愚かな言動を、ただ笑うだけでは漫画を読んでいるのと大して変わりがありません。彼らのしていることは、ランドパワーによる文化侵略と思っておいた方がいいです。

  困ったことに、日教組は、他の文化侵略団体と連携して、自分たちがしている行動を正当化することが巧みです。日教組だけで狂ったことを言っていれば「馬鹿な教師たちが騒いでる」とすぐに分かるのですが、「自称弱者」と連携されると、人のいい日本人は案外簡単に騙されてしまうのです。

  具体例を見てみましょう。

(以下引用) 
 
  ●部落解放中央共闘会議第30回総会

 ※注 この記事は2005年のものです。

  2月13日、東京・全水道会館にて「部落解放中央共闘会議第30回総会」が開催されました。
  主催者あいさつに立った菰田議長は、「人権尊重の社会をつくるため、人権侵害救済法の成立と実効ある人権救済機関を求め、力を合わせてとりくんでいきたい」と訴えました。
  つづいて、山本事務局長(日教組副委員長)が、05年度の活動報告と総括の提案、06年度の活動方針の提案を行い、満場一致で採択されました。
  記念講演では、中村清二部落解放・人権研究所・研究部長から、『フリーターなど若年就労者問題と被差別部落』と題して講演がありました。中村さんは、「420万人とも言われるフリーターは、中卒や高卒といった学歴構造の弱い部分に集中している」と指摘。さらに、「同和地区における若年就労者の失業率は高く、学力保障と集団づくりや労働教育と進路保障などといった同和地区の子どもたちを孤立させない同和教育の蓄積を生かしていくことが必要である」と訴えました。
 最後に、「職場・地域に根ざした力強い運動を創造し、人権が尊重される平和で豊かな社会を実現するため奮闘する」との総会宣言を採択し終了しました。

(引用以上)

>部落解放中央共闘会議

  部落解放というのは、いわゆる部落「差別」をなくそう、という動きのことです。
  この言葉を聞いた瞬間、免疫のない人(特に大卒以上の知識階級)は、何か罪悪感のようなものを感じるでしょう。そこが、日教組とその仲間たちの狙いです。

>人権侵害救済法の成立と実効ある人権救済機関

  ●以前の記事で取り上げた人権擁護法案のことです。
  部落解放の中心勢力である、部落解放同盟中央本部(解同)という同和団体は、支持政党である民主党を使って、自分たちが人権救済機関の実権を握れるような法案を準備しています。
  この法律に「人権」という名前が付いているだけで、何も言えなくなってしまう人は多いでしょうね。「あなたは人権を尊重しないのか?」と言われてしまうわけですから。
  日教組も、やっぱりこの法案には賛成というわけですね。私のようなうるさい人間を抹殺できるのですから(笑)、さぞかし実現に向けて力も入ることでしょうねぇ。

>学力保障と集団づくりや労働教育と進路保障

  典型的な「弱者に下駄を履かせる」政策ですね。ついでなので、文化侵略団体がよく主張する、「くらし」や「福祉」や「明るい社会の実現」のための政策というものについても書いておこうと思います。

  私の考えでは、こういった、いわゆる「アファーマティブアクション」というものは、一切禁止を原則として、例外的に完全時限立法として認めるべきです。
  なぜなら、弱者に履かせた下駄は、必ず「既得権益」になるからです。既得権益は、社会的地位や力関係の固定化を生み、社会全体の活力を減少させることになるのは、もはや常識でしょう。小泉首相が改革改革うるさく言っているのも、そういう面から見れば悪くないのです。
 (小泉改革には、大多数の下駄を脱がせることなく、叩きやすい一部だけをリンチのようにして脱がそうとしているという、不公正な手法に大きな問題がある)

  みなさんは、既得権益というと、自民党の政治家が土木予算を取ってきて、地方に丸投げするという、70年代型の利権誘導を思い浮かべるかもしれません。しかし、福祉だろうと、差別解消だろうと、本質は同じなのです。
  言い換えれば、自民党が田舎の土建屋を喰わせて票を得ているのに対して、民主党や共産党は(公務員の)労働組合や医療・福祉関係者、「自称弱者」を喰わせて票を得ているのです。どちらも、社会の活力を削ぐという点では全く同じです。
  それなのに、前者の「履かせた下駄」だけが既得権益だと国民の皆さんが「勘違い」しているのは、マスメディアに社会主義に対する幻想が未だに存在していて、土建屋と自民党代議士だけを悪者にしたがっているからに他なりません。
  日教組も、道路族・郵政族も、やっていることの根っこは全く同じです。このことに気づかなければ、社会に流動性を生むような「改革」は不可能です。

>人権が尊重される平和で豊かな社会


  ぶはははははは、「民間防衛」の言葉そのままじゃん!!


  ・・・失礼、少し取り乱してしまいました。


  どうでしょう?

  少しは「文化侵略」に免疫がつきましたか?

  日教組やその「同胞」たちは、我々の良心に訴えて自分たちの利益を主張しがちです。しかし、その真の狙いは「日本社会の否定」であり、「日本の転覆」であることを知っておくべきです。


  せっかくなので、宣伝も。

民間防衛 新装版―あらゆる危険から身をまもる

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(追記)

  どうやら、部落解放同盟が、凍結の決まった「鳥取人権条例」を復活させようとしているようです。詳しくは、●「メタモルフォーゼ・ニッポン」様の記事をご覧ください。
  私自身も、●「鳥取の悪口はもう言えない?」という記事にて取り上げたこともありますが、すさまじい条例です。使い勝手のいい人権擁護法案と言ってもいいほど、濫用の危険のある条例です。
  鳥取には、こんな条例を使わなくてはなくならないほど、根深くて頻発している差別があるんでしょうか?

  鳥取のココロと未来
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