笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

温故知新の旅・その4(おしまい) 三十三間堂で考えたこと

2010年09月17日 00時23分25秒 | 日々雑記
最終日は、南禅寺界隈を散策後、帰りののぞみの時間を計りつつ、三十三間堂に行きました。ここも修学旅行の定番ですね。

清水の特別展で出会ったお父さんの「三十三間堂の千手観音はそれはそれは美しい」という言葉が耳に残っていて、自分の記憶にそれが全くないことに気がついたのです。
修学旅行は別としても、社会人になってからも三十三間堂には行ったはずなのに、千手観音がたくさんいらっしゃることは知っているけれど、それとは違う千手観音がいらっしゃるのか、と。 しかも「美しい千手観音」が。

私的には大問題です(^_^;)

三十三間堂は町なかにあり、例により修学旅行生がたくさん来ていました。外国人観光旅行者もわんさかで、お土産コーナー、駐車場なども新しく拡張された様子です。
お堂の中の1000体の千手観音は、もう圧倒的なボリュームです。押し寄せてくるような、このボリュームは今までに感じたことのないものでした。
最前列には二十八部衆像。そのひとつひとつの説明を読みながら進んでいくと、中央にいらっしゃいました。

大きな千手観音坐像です。

ああ、これが。。と思わずため息が出ました。
ふっくらとした、柔らかいお姿です。本当に美しい。

その昔、金色に輝くこんなにも大きな千手観音と、その左右から湧き上がるようなこれだけ多くの千手観音を目の前にした人々は「もう大丈夫、きっと救われる」と心から思ったに違いありません。薬師寺や東大寺にはない、圧倒的な繊細さを持つ千手観音。。。

ただ個人的には、ひとつひとつの観音さまの剥落がとても気になりました。
案の定、堂内の立て札にごく小さく、修復のための応分のご寄進をお願いします旨が書かれていましたが、現実問題として、必要な修復にどのくらいの費用が必要なのか知りたい気がします。

剥落が気になる観音さまを眺めていて、お力を頂くことばかりを考えるのではなく、観音さまがこの先の人々にも力を与え続けられるように微力ながらお役に立ちたい、と、生意気かもしれませんが、そんな神妙な気分になってしまったのですよね。
薬師寺でお写経した自分の気持ちが、三十三間堂で言葉になった、そんな瞬間でした。
「自分が1000年先の未来にかかわることができる」、「自分の心の満足が、誰かの役に立っている。これはとてつもなく良いサイクルだね」、と。

残念ながら三十三間堂のWEBには、薬師寺のような写経勧進についての情報はないのですが(無料の写経体験やってます程度)、実際はきちんとした料金での写経勧進をしているようです(お堂の看板に書いてありました)。今度京都に行く時は、こちらでお写経をしてみるつもりです。
三十三間堂WEB上に、もっと情報が欲しいですね。。(少し仕事モード入っています(^_^;))

ちなみにネット検索したところ、面白い記事があったので、参考までに紹介しましょう。
三十三間堂の仏像は、いつ、どう掃除しているの?
立命館大リレー講義「日本文化の源流を求めて」

三十三間堂のサイトはこちらから
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 温故知新の旅・その3 東大寺... | トップ | 「龍馬伝」あ、らら »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々雑記」カテゴリの最新記事