里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

“仙酔島に残された地球変動の証”

2010年05月14日 | 地 学
先ず、開催者(福山市教育委員会)の話。
『5月10日が、H20年に制定された“地質の日”であり、
 広島県の天然記念物に指定されている岩脈・海食洞などがある仙酔島の遊歩道が、
 2004年の台風で崩壊後ようやく今年の4月に復旧した事から開催しました』

次いで、先生から“仙酔島の生い立ち”と、見学コース(①~⑩)についての話。
『仙酔島は、今から約9,000万年前頃(白亜紀)に、この辺り一帯で大規模な火山活動
 が起き、その時に噴出した高温の火山ガス・火山灰や岩片等が堆積して固まった流
 紋岩質溶結凝灰岩で出来上がったと考えられている』
『周囲約5kmの島の南側海岸沿いの遊歩道には、こうして出来た溶結凝灰岩以外にも、
 ・地下深くで出来た花崗岩が地表に現れた場所や、地下のマグマが岩盤を押し分け
  貫入して出来た岩脈、
 ・火山活動の激しい時に出来た断層や、火山活動が休止した合間に水底に堆積した
  “仙酔層”と呼ばれる地層など、様々な“地球変動の証”が残されている』

①海食洞

興味を掻き立てられた一行は、先ず渡船場の直ぐ近くの門を潜り出発。

以下は、随所で聞いた説明で、この小トンネルも元は小さな海食洞だったと思われるそうだ。
<>⑨火道→拡大

真ん中の窪んだ3角形部分が、マグマや火砕物が地上へ吹き出た通路(火道)で、その空間へ粉体と礫が堆積して堆積岩となっている。 この火道は枝葉の小さなものと思われ、他にもっとでかい火道があったと思われる。
<>⑨レンズ状溶結物(礫)→抜けた痕跡

火砕流が地表面で堆積する時に、岩片が押しつぶされて扁平なレンズ状となって固結したもので、大きさは数~10数cm。
これがあると火砕流の証拠となる。
②流紋岩質溶結凝灰岩と小断層群

画像真ん中あたりで白っぽく見えるのは凝灰岩層で、断層を境に食い違っており、画像の左の方でも幾つもこの小断層が見られる。
又、凝灰岩層の上下の厚い層には⑨で見られたレンズ状の岩片が見えるので、溶結凝灰岩と判断できる。
③仙酔層

先生の足元から頭上にかけて黒っぽく見えるのは、火山活動が一時衰えていた頃に、海底に凝灰岩質の泥や砂、礫が堆積して出来た地層で仙酔層と呼ばれる。
その上に見える白い地層は火山活動が盛んだった頃に出来た溶結凝灰岩の層で先生の立つ地下にも同様な層がある。
④貫 入
先ず、火山活動が活発な時に流紋岩質凝灰岩層(右)が出来、その上へ火山活動が休止した時に仙酔層(中)が堆積。
次いで、両者が断ち切られて断層を形成し、最後に珪酸の少ないマグマが貫入して、ひん岩の岩脈(左)を形成したと考えられる。
⑧複合岩脈

仙酔島(手前)と下加美島との間には、内側には花崗斑岩、その両サイドがひん岩というサンドイッチ状をした2種類の岩石が幅20mの岩脈として流紋岩質凝灰岩層へ鉛直に貫入した岩脈の水平断面が現れている。
⑤断層と海食

海水による侵食は断層に沿って進み、左側の奥に入り込んだ谷も侵食が進んだ事によって出来たと思われる。
<>⑦侵食が進む海食洞→その奥

⑥と同様に断層に沿って侵食が進んだもので、海食洞へ入って見ると正面の両側に断層があるのが見てとれる。
⑥海面より高い所にある海食洞

海水位の変動によって海面が下がってしまったと考えられる。
中央付近は鉄分を含む流紋岩なので赤く見え、周辺の色の異なる岩と併せて“五色岩”と呼ばれている。
⑩崩壊した海食門

昔、メガネ状になった海食門があったが、海水に侵食されて今ではW字形に崩壊してしまった。

と、マァこんな具合に説明を聞きながら回ったのだが、写真も撮らなければならず、
なかなか理解するのが難しかった。
しかし、仙酔島が小規模ではあるが、地学の宝庫である事は理解出来た!
先生の話では「また同じ内容の講座を計画している」との事なので、留年組として
は是非参加して勉強したいと考えている。



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