12月29日午後9時。
キッチンのガス台には、
煮豚作成中の圧力鍋と
黒豆作成中の鍋が
仲良く並んでいる。
これぞ年の瀬!
私は煮豚が出来上がりつつある
匂いに囲まれながら、PCに向かう。
なんという幸せ!
私がおせち料理を担うようになったのは
今から24年前の1993年のこと。
夫の海外赴任生活が終わって
家族で帰国したのは
1992年の1月2日。
この年の暮れ、77歳になった姑から、
これからは自分はもうおせちは作らないからと言われた。
姑は料理は上手だったけれど、
それを教えるのは上手ではなかった。
というか、好きではなかったのだと思う。
だから私はその手ほどきを受けていない。
その頃の私のお正月は
ご馳走の後の皿洗いなどが主な仕事だった。
もちろん(と、威張れる話ではないが)、
結婚前には母がおせちをつくっているのを
手伝ったことすらなかった。
あったといえば手綱こんにゃくを作ることくらい。
(これは面白かった。大好きだった)
という料理何もできない娘だった・・・。
そこで早速頼ったのはNHKの「今日の料理」。
作る作らないは別にして、
私はこの「今日の料理」の
テキストブックのファンなのだ。
亡くなった母はよく言っていた。
「お料理は本さえあれば大丈夫よ」と。
私はそれを信じて、結婚してから
よくこの「今日の料理」のテキストを買った。
(もちろん本だけではわからないことはいっぱいあるけれど)
そして私が今も頼っているのは
1993年版「今日の料理12月号」の正月料理特集だ。
毎年、毎年、判で押したようにそのテキストを使う。
毎年12月号はお正月料理特集なので、
およそ3年に1度くらいは買い求めている。
でも、煮物をはじめとしたお気に入りは
結局この1993年12月号になってしまう。
料理中に濡れた手で触るので、
あちこちに沁みが残っているが、
やっぱりこれに限る。
「今日の料理」1993年12月号
今年も黒豆の準備と、
数の子の塩抜き、
昆布巻き用の身欠きにしんを
米のとぎ汁に付けること、
黒豆だけではなく、
子どもたちのお気に入りの
金時豆を煮ること・・・。
そんなことがたいてい29日の仕事となる。
それと昼間は買い出しに。
ちょっぴり上等の肉や、
これまた少し高めの魚介類を仕入れる。
お正月だからこその奮発!
お豆の様子を見ながら、
こうしてPCに向かう。
これが何ともいい感じ!
明日は昆布巻きを煮始め、
煮物以外の料理の準備をする。
そして31日が煮物日だ。
朝からずっと台所に立ちっぱなしになる。
でもなんだかそれがとても嬉しい。
私が煮物にかかりきりになっているとき、
夫は上野の「うさぎや」まで
お年賀用のどら焼きを買いに行く。
これは長女が家にいた頃には
二人の仕事だったが、
今はまた夫一人の仕事になっている。
そんな年の瀬の3日間が、
たとえどんなに忙しくても
私は大好きだ。
その合間をぬってこうしてブログを書くなんて
かなり幸せ度が高い。
おまけに、今我が家に流れている曲は、
「アイーダ」のハイライト版のCD。
いやがうえにも気分が向上するというわけ。
と、そんないつもの年の瀬を迎えられることを
本当に嬉しく、有り難いなって思う。
煮物が煮あがるのを待つ。
その待つ時間の使い方をいろいろ考える。
今は色とりどりのおせち料理が外注できる時代だ。
でも、と思う。
私はやっぱりそれを作る時間の豊かさが好きだ。
だから出来栄えは全くよくなくても、
その時間を持てることがとてつもなく贅沢に思える。
と、ここまで来て、
なんと昔のおむつ洗いのことを思い出してしまった。
私たちの世代が最後の「おむつ洗い」世代だ。
今の紙おむつ世代のお母さんには
おむつを洗うなんて信じられないかもしれない。
ただの無駄な時間と思われるかも。
でも私には違った。
それは赤ちゃんといつも一緒という生活の中で、
ほとんど唯一の「ひとりになれる」時間だった。
ここで私は私自身に戻ることができた。
母親ではなくて、ただの自分に。
そんなとても貴重な時間だった。
なんてことを思い出したのでした。
「手をかける」とか「待つ」とか、
今となっては死語に近いこれらのことの豊かさを
おせちづくりは私にもたらしてくれる。
ちょっぴり時代遅れかもしれないけれど、
今の私はそれを思いっきり味わおうと思う。
ところで、黒豆のお鍋を開けてみたら、
あらま、お豆が思ったより小さい!
さては、100円ケチったことのつけが回ってきたか!
と現実に戻り、
あと一息鍋当番をすることにいたしましょう。
キッチンのガス台には、
煮豚作成中の圧力鍋と
黒豆作成中の鍋が
仲良く並んでいる。
これぞ年の瀬!
私は煮豚が出来上がりつつある
匂いに囲まれながら、PCに向かう。
なんという幸せ!
私がおせち料理を担うようになったのは
今から24年前の1993年のこと。
夫の海外赴任生活が終わって
家族で帰国したのは
1992年の1月2日。
この年の暮れ、77歳になった姑から、
これからは自分はもうおせちは作らないからと言われた。
姑は料理は上手だったけれど、
それを教えるのは上手ではなかった。
というか、好きではなかったのだと思う。
だから私はその手ほどきを受けていない。
その頃の私のお正月は
ご馳走の後の皿洗いなどが主な仕事だった。
もちろん(と、威張れる話ではないが)、
結婚前には母がおせちをつくっているのを
手伝ったことすらなかった。
あったといえば手綱こんにゃくを作ることくらい。
(これは面白かった。大好きだった)
という料理何もできない娘だった・・・。
そこで早速頼ったのはNHKの「今日の料理」。
作る作らないは別にして、
私はこの「今日の料理」の
テキストブックのファンなのだ。
亡くなった母はよく言っていた。
「お料理は本さえあれば大丈夫よ」と。
私はそれを信じて、結婚してから
よくこの「今日の料理」のテキストを買った。
(もちろん本だけではわからないことはいっぱいあるけれど)
そして私が今も頼っているのは
1993年版「今日の料理12月号」の正月料理特集だ。
毎年、毎年、判で押したようにそのテキストを使う。
毎年12月号はお正月料理特集なので、
およそ3年に1度くらいは買い求めている。
でも、煮物をはじめとしたお気に入りは
結局この1993年12月号になってしまう。
料理中に濡れた手で触るので、
あちこちに沁みが残っているが、
やっぱりこれに限る。
「今日の料理」1993年12月号
今年も黒豆の準備と、
数の子の塩抜き、
昆布巻き用の身欠きにしんを
米のとぎ汁に付けること、
黒豆だけではなく、
子どもたちのお気に入りの
金時豆を煮ること・・・。
そんなことがたいてい29日の仕事となる。
それと昼間は買い出しに。
ちょっぴり上等の肉や、
これまた少し高めの魚介類を仕入れる。
お正月だからこその奮発!
お豆の様子を見ながら、
こうしてPCに向かう。
これが何ともいい感じ!
明日は昆布巻きを煮始め、
煮物以外の料理の準備をする。
そして31日が煮物日だ。
朝からずっと台所に立ちっぱなしになる。
でもなんだかそれがとても嬉しい。
私が煮物にかかりきりになっているとき、
夫は上野の「うさぎや」まで
お年賀用のどら焼きを買いに行く。
これは長女が家にいた頃には
二人の仕事だったが、
今はまた夫一人の仕事になっている。
そんな年の瀬の3日間が、
たとえどんなに忙しくても
私は大好きだ。
その合間をぬってこうしてブログを書くなんて
かなり幸せ度が高い。
おまけに、今我が家に流れている曲は、
「アイーダ」のハイライト版のCD。
いやがうえにも気分が向上するというわけ。
と、そんないつもの年の瀬を迎えられることを
本当に嬉しく、有り難いなって思う。
煮物が煮あがるのを待つ。
その待つ時間の使い方をいろいろ考える。
今は色とりどりのおせち料理が外注できる時代だ。
でも、と思う。
私はやっぱりそれを作る時間の豊かさが好きだ。
だから出来栄えは全くよくなくても、
その時間を持てることがとてつもなく贅沢に思える。
と、ここまで来て、
なんと昔のおむつ洗いのことを思い出してしまった。
私たちの世代が最後の「おむつ洗い」世代だ。
今の紙おむつ世代のお母さんには
おむつを洗うなんて信じられないかもしれない。
ただの無駄な時間と思われるかも。
でも私には違った。
それは赤ちゃんといつも一緒という生活の中で、
ほとんど唯一の「ひとりになれる」時間だった。
ここで私は私自身に戻ることができた。
母親ではなくて、ただの自分に。
そんなとても貴重な時間だった。
なんてことを思い出したのでした。
「手をかける」とか「待つ」とか、
今となっては死語に近いこれらのことの豊かさを
おせちづくりは私にもたらしてくれる。
ちょっぴり時代遅れかもしれないけれど、
今の私はそれを思いっきり味わおうと思う。
ところで、黒豆のお鍋を開けてみたら、
あらま、お豆が思ったより小さい!
さては、100円ケチったことのつけが回ってきたか!
と現実に戻り、
あと一息鍋当番をすることにいたしましょう。