ひろしま里山放浪記

自然とのふれあいなど気儘な書込み

坂歩こう会 矢野三山登山 野間神社→矢野城→下山

2011-07-10 | 日記

つづき

(12:20) 絵下山のTSS-TV塔の麓の東屋での昼食後、

       野間神社・矢野城方面へ向けて出発します。

     小雨の為、 傘を差したり、ビニールの雨カッパを被ったりしています。

   女性グループとはここで別れました。

   一旦車道まで階段を下りて、ホームTV塔の有る絵下山頂上(588.1m)を通過。

   比較的早足で岩の間を下りていきます。

(12:45頃) 発喜山を通過。(標高476m)  気がつかないまま通過。惜しい。

   途中、現れる岩石が丁度良い具合に凹形になっていました。自然石とは

   思えません。あちこちに数箇所ありました。

12:55  野間神社に到着。(標高415/420m) 

 

 12:57  神社の背後には大きな岩が鎮座していました。

  野間神社の由緒(読めません)

     祭神 大山祇之命   

     祖神 野間*****

     祭日  五月三日

    とうっすら読めませんか?

 (画像拝借)

 

室町時代、矢野を中心に広島湾東岸を治めた野間氏。

野間氏は五代110年間にわたり領地を平安に治め、矢野の文化経済を発展

させたが戦国時代の始まりに毛利氏に滅ぼされた。そうです。

 

(13:00) 野間神社(420m)から矢野城跡(265m)まで急峻な斜面をジグザグ

       に下りて行きます。(これを、発喜いろは坂と呼ぶとのこと)

(13:07)途中沢になり、湧き水「金明水」が有ります。用意されているコップで、

      のどを潤しました。

      持参の飲物が空っぽなので グッドタイミング。 ミネラル補給出来ました。

 

13:17  矢野城址に到着 

城跡は何箇所にも分散していたのが分かります。

下山途中には馬舎跡も残っていました。

詳しい史跡ですが解読困難。

 

矢野城は南北朝時代は熊谷氏の、室町時代には野間氏の居城でした。

 

矢野郷土史文化研究サークル 「発喜会」 建立による石碑

 

 野間氏の墓石  (広島県史跡)

16世紀時の矢野城主、野間高実は毛利元就の謀略に落ち、非業の最期を遂げた。という。

以上、コメントは矢野郷土史文化研究サークル 「発喜会」 製作の「矢野三山探検マップ」

を参照させていただいています。

13:32  熊野道路へ下りてきました。特徴の有る陸橋でした。

      鷹野宮歩道橋(朱の欄干・ギボシが印象的)

この陸橋をおりたら県道34線へ出ます。

県道を200mほど下ると矢野天神というバスの停留所がありました。

(13:42)  1時間に1本の運転ですが、運よく10分もたたないうちにバスに乗れました。

(13:50)  無事矢野駅に到着しました。  ここで解散。

14:00    JR呉線矢野駅乗車→14:15広島駅着→14:22西広島着


 実に蒸し暑く・小雨も降る中、厳しい条件の中で、矢野三山全てを踏破できました。

 坂町のことや、矢野町のことについても色々勉強になりました。

 坂歩こう会の皆様、道中、お世話になり、ありがとう御座いました。

梅雨も明けて猛暑がつづきそうです。熱中症などには気をつけましょう。

                              (7月6日歩数:17831歩  延べ4時間30分)

 

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