林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

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小説家というのは自らの判断を差し控えるものだ。

2011年06月19日 | Weblog
村上春樹の『雑文集』というのをちょっと前に購入したが、ついついそのままにしておいていた。だが、読み始めてみると、いきなり良質な、しかし新奇というよりはごくごく全うで普通の小説論が展開されていたのだ。ちょっと面食らった。もっと早く目を通しておくべきだった。

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たしか『1Q84』などを発表する前の段階だと思うが、村上はよく物語の意義みたいなことを雑誌に書いていたはずだ。ここでは「小説とか何か」という質問に対して、ストレートに返答しているのだ。わかりやすいので、そのまま引用しておこう。

「小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人間です」(18頁)。

小説家の役割は、下すべき判断をもっとも魅惑的なかたちにして読者にそっと手渡すことにある。 (18頁)

良き物語を作るために小説家がなすべきことは、ごく簡単に言ってしまえば、結論を用意することではなく、仮説をただ丹念に積み重ねていくことだ。我々はそれらの仮説を、まるで眠っている猫を手にとるときのように、そっと持ち上げて運び、物語というささやかな広場の真ん中に、ひとつまたひとつと積み上げていく。どれくらい有効に正しく猫=仮説を選び取り、どれくらい自然に巧みにそれを積み上げていけるか、それが小説家の力量になる。(19頁)

読者はその仮説の集積を自分の中にとりあえずインテイクし、自分のオーダーに従ってもう一度個人的にわかりやすいかたちに並び替える。(中略) そしてそのサンプリング作業を通じて、読者は生きるという行為に含まれる動性=ダイナミズムを、我がことのようにリアルに「体験」することにある。 (19頁)


短いエッセイだが中身が濃いので全部引用することはやめよう。ここまでとする。だが、小説論をちょっと読んだことがある人ならば誰でも分かるだろうが、小説家というものは小説において結論を提示しないものなのだという議論は、多くの小説家に共有されているように見える。そして私はこのような小説観こそがまさに正統的考え方だとおもう。

小説というのは、一つの結論なり論説を読者に訴えかけるものではなく、その内容はしばしば曖昧で両義的なのである。小説を読むということは、様々な思想信条の登場人物の互いに矛盾しあう議論やら行動につきあわされることになるのである。
以前、オウム真理教問題で日本が大いに揺れたとき、有田 芳生がテレビでコメントするには、「オウムの若者たちは小説を読まないんですよ」というのだ。当時の私は小説をほとんどよまなかったが、実に印象的だったのである。

村上の解説に照らし合わせて考えると、一つの宗教、ましてや一つのカルトの虜になるということは、小説的を読むという理性の対極にある状況だと言っても良いではないか。(事実、村上の解説文もオウム真理教を意識していることが読み取れる)。


小説家は様々な仮説を興味深い形で提示するが、自らは結論を下さない。たしかに、そうなのだ! 言われてみると、私の大好きな小説家は、ほとんど皆そういうスタイルをとってきたように思う。何人か思い浮かぶが、とりわけ、John M.Coetzeeがその代表だ。彼はノーベル賞受賞講演においてさえも、自らの「説」を述べることをあくまでも拒んだのである。なんとノーベル賞受賞の記念講演で、自分の説を一切語らず、物語を読み聞かせしまったのだ。有る意味では村上以上に徹底しているのだ。
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だが、塾教師として気になる小説は、残念ながらCoetzeeではない。(本当はCoetzeeが一番私には大事なのですが。。。)。最近映画化されて日本でも上演たKazuo IshiguroのNever Let Me Go(『私を話さないで』)のほうなのだ。そこには教師ならば誰もが考えさせられるであろう大問題について、対立しあうような諸見解=諸仮説が提示されているのである。教師とは何者でありなにが出来るのか、教育とは何なのか。教師は子どもに本当のことを話すべきなのか、話す必要がないのか。

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もちろんイシグロは結論をくださいない。ただ、あっさりと仮説を読者に提示し、我々を考えさせるのみである。

ネットで検索してみると、ちょっとだけ感想文はあるようではある。だが、本格的な議論は欠如しているようにも見える。物語を通じて、個々の読者が考えること、味わうこと。これが小説の醍醐味であるが、もう少し深められても良いではないか。次回は、イシグロの『私を離さないで』について、もう少しつっこんだことを書いてみることにする。

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