林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

英語と日本語の間に数学がある(”=” その6補足)

2010年07月31日 | 英語学習
いま、柳瀬さんの 文法・機能構造に関する日英語比較のための基礎的ノート― 「は」の文法的・機能的転移を中心に ― という論考を読んでみた。ディテールに興味深い点があるのだが、ここでの関心は数学力”=”だけなので、ほんの論点だけをとりあげる。

柳瀬さんの論点を取り出すとつぎのようだ。

副助詞「は」は本来的には文章の「主題」を表す言葉のはずなのに、「主語」を示す言葉であると誤解されやすい。そのため日本人は、英語を書いたり話したりするときに、I am coffeeといった非文を産み出やすい。こんなふうに日本語特有の助詞や語順が、英語を書くときに「転移」してしまうのである


柳瀬さんは、最後の方で次のように書いている。


>「は」をあくまでも主語(しかもbe動詞)として理解したら上記の「 」文は《 》のように解釈されかねない。Be動詞での同定の意味を「=」で表現するなら以下のようになる。 (←強調はrinkaanによる)

> (1) ’ 「今日はテストだ」 ⇒ 《今日=テスト》
> (2) ’ 「今日は面白かった」 ⇒ 《今日=面白い》
> (3) ’ 「松阪はレッドソックスだ」 ⇒ 《松阪=レッドソックス》
> (4) ’ 「僕はコーヒーだ」 ⇒ 《僕=コーヒー》
>

私は、この文章にやや違和感を持つ。たしかに”=”を「は、○○である」と漠然と理解している生徒は多い。だが、「は、○○だ」を”=”であると考える生徒は少ないからだ。

つまり、
 ”=” ⇒ 「は、○○である」と理解することはできる。
だが 「は、○○である」 ⇒ ”=”という逆の流れは、なかなか成立しない。

だから「今日はテストだ」 ⇒ 《今日=テスト》というふうにはならない。


仮に、 「今日はテストだ」 ⇒ 《今日=テスト》という置き換えられたとしよう。そうすれば、さすがにある程度以上の学力の生徒ならば、ちょっとオカシイナとわかるはずだ。そして、Today is a test.といった非文作成には、躊躇するだろう。

というわけで、上の柳瀬の表現にはあまり賛成できない。(あくまでも表現の問題かもしれない。だが、このあたりは厳密に詰めておきたい)。


むしろ、”=”のロジックそのものが、生徒の頭には無いのが大きな問題ではないか。be動詞の意味を「=」で表現し表象する発想する余地がほとんどなく、したがって、《今日=テスト》で良いのかな?と考えたりしないのである。日本語と英語とが、無媒介に、論理なしに、結びついているといっても良い。

私見では、”=”のことを生徒に意識させられるならば、超初歩的なbe動詞と一般動詞の弁別だとか、初歩的英作文などは成功するはずである。(だが、これが、非常に難しい)。


=と≠の理解こそが、日本人に英語を理解させるときのポイントになるのではないか。また、=と≠をつきつめることは、論理的に思考する訓練にもきわめて重要なのではないのか。私はそんな風に思っている。(たとえば、出口の一連のロジカルシリーズをみよ。あるいは、福嶋隆史の「「本当の国語力」が驚くほど伸びる本」なども参照したい)。

ただし大急ぎで付け加えれば、日本語が非論理的で英語が論理的だという、例の議論に逆行するつもりはない。念のため。

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