林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

英語と日本語の間で(その2) 

2010年07月09日 | 英語学習
7月3日のブログでも紹介しましたが、江利川先生は”Nice to meet you”といったレベルであれば、日本語の介在は不要であると考えています。「しかし、大学入試レベルの英文となれば、自分の持てる日本語力(=思考力)を総動員したCALPの出番です。このレベルでは、英語よりも前に日本語(母語)で論理的に考え、表現する力が身についていないと使い物になりません」とします。

私はこの考え方を基本的に支持してはいます。しかし、この議論には一つ大きな前提があることを忘れてはなりません。進学校に通っている、ある程度以上の言語能力の持ち主の生徒に限定した議論だということです。言い換えれば、全生徒のうち10%前後のトップ層限定の話だということです。(江利川先生は、将来の普通の英語教員になる大学生に教えていると思うのですが、そういうロジックだけで良いのでしょうか?)

もし、残りの大半の生徒に英語を教えようと試みるのであれば、別のロジックが求められているはずです。すると、<日常伝達能力(BICS)の守備範囲なのか>、<高度な内容について読み、書き、論じるための認知学習言語能力(CALP)のレベルなのか>という二分法では不適切だとわかります。<日常伝達能力(BICS)>をさらに細分化する必要が出てくるからです。つまり、“Nice to meet you”だとか“How are you?”のような短い決まり文句を覚えるレベルなのか(≒小学校英語の現在)、それとも、“Is this a pen?”“ No, it isn't.”といった文法的理解と運用が求められているレベル(≒中学英語)なのかといった二分法です。

後者のレベル(中学英語レベル、あるいは初歩文法運用レベル)に対しては、前回述べたように、文法的理屈を重視したアプローチと反復練習を重視したアプローチとがあるわけです。(もちろん併用もある)。そして、もし前者のアプローチを採用するとなれば、常に日本語を英語に介在させることが求められるでしょう 

こんなことを書くと、“Is this a pen?”“ No, it isn't.”を理解させるのに、日本語の介在がそんなに必要なのかと疑問を持たれる方もおられるしれません。しかし、"This is a pen."を疑問文にしなさいと命じて書かせると”Is this is a pen."(←?を忘れるのは仕方ないかもしれないが)になってしまったりする生徒が多いのが現状です。また、10時間以上の個人レッスンをしているのに "No, it isn''t." がどうしても把握できないということは、現実にあるのです。そして積み重なっては、80%以上の生徒は中学卒業までにbe動詞と一般動詞の区別が出来ずに終わるのです。(←区別が出来なくても、通信簿で4はとれます)。このような現実をふまえるならば、日本語を用いた逐語的な英語理解というアプローチを簡単には否定できないはずなのです。


さて文法の基本中の基本は、英語ならば「主語」と「動詞」、日本語ならば「主語」と「述語」を理解することでしょう。つまり、「主語」「動詞」といった概念を把握させることから、文法教育を始める必要があります。このとき、日本語を最大限に活用すること、英単語と日本語を1対1対応にさせていくような視点が求められるはずです。

同時に、日本語の文法力の増強につながるような、英和対照的学習である必要があります。優秀な高校生の英文解釈法的な思考力増強とはかなりレベルが違いますが、英和双方の実力向上を目指す教育と言う意味では方向性は同じです。(つづく)


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