Extended Mind
オーストラリアのABC Radio―Philosophy
というpodcastは、散歩には欠かせない大事な番組の一つだ。
2010年10月1(or 2)日付けの最新番組はextended mindというタイトルのものであった。哲学、認知科学、歴史学等の専門横断的な手法により、新しい認知科学理論をうちたてようとしているもののようであった。
ちょっと昔にはやった現象学的な議論として、精神と身体を分割してしまうようなデカルト的二元論を否定し、身体を精神を一元的にとらえようというものがあった。つまり、大脳の延長上に身体を位置づけようとする試みである。他方、このexteneded mindという議論では、身体ではなく文房具(書き言語、ノートと鉛筆、PC, iphone, あるいは今回は言及されていないが Evernoteみたいなもの)の果たす役割が強調されている。つまり、文房具を大脳の「道具」として見なすのではなく、むしろ大脳の一部であると考える。言い換えれば、文房具+大脳=拡張された大脳(精神)ということのようである。
書き言葉が人間の精神の大転換をもたらしたという議論がある。ウォルター・J. オング『声の文化と文字の文化』で大変素晴らしく説明してくれる。文字の文化の出現によって、根本的に思考の習慣が変容したのというのである。とすると、Exteneded Mindという議論の意義は、もしかすると、携帯電話で気軽に常にメールしあう時代において、あるいはiPad時代において、私たちの思考と精神が、根本的に何か変わってしまうと論じることになるのかもしれない。
正直に言って、exteneded Mind論の射程は今回の放送からは読み取れなかった。だが、なにか非常に深い、知的模索をしているということは感じられた。みなさんにも強く勧めたい番組であった。ただし、英語のみである。邦訳はまだないかもしれない。(だから英語の勉強をしましょう)。
オーストラリアのABC Radio―Philosophy
というpodcastは、散歩には欠かせない大事な番組の一つだ。
2010年10月1(or 2)日付けの最新番組はextended mindというタイトルのものであった。哲学、認知科学、歴史学等の専門横断的な手法により、新しい認知科学理論をうちたてようとしているもののようであった。
ちょっと昔にはやった現象学的な議論として、精神と身体を分割してしまうようなデカルト的二元論を否定し、身体を精神を一元的にとらえようというものがあった。つまり、大脳の延長上に身体を位置づけようとする試みである。他方、このexteneded mindという議論では、身体ではなく文房具(書き言語、ノートと鉛筆、PC, iphone, あるいは今回は言及されていないが Evernoteみたいなもの)の果たす役割が強調されている。つまり、文房具を大脳の「道具」として見なすのではなく、むしろ大脳の一部であると考える。言い換えれば、文房具+大脳=拡張された大脳(精神)ということのようである。
書き言葉が人間の精神の大転換をもたらしたという議論がある。ウォルター・J. オング『声の文化と文字の文化』で大変素晴らしく説明してくれる。文字の文化の出現によって、根本的に思考の習慣が変容したのというのである。とすると、Exteneded Mindという議論の意義は、もしかすると、携帯電話で気軽に常にメールしあう時代において、あるいはiPad時代において、私たちの思考と精神が、根本的に何か変わってしまうと論じることになるのかもしれない。
正直に言って、exteneded Mind論の射程は今回の放送からは読み取れなかった。だが、なにか非常に深い、知的模索をしているということは感じられた。みなさんにも強く勧めたい番組であった。ただし、英語のみである。邦訳はまだないかもしれない。(だから英語の勉強をしましょう)。