林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

音読か黙読か

2010年02月28日 | 受験
音読と黙読(その2)

最近は英語等で音読の重要性が繰り返し説かれることが多いはずです。しかし、昔は英語でも国語(日本語)でも、音読が重視されることは無かったと思います。たとえば、英語教育で多大な影響力を与えた英語教師といえば松本 亨 という大先生がいましたが、音読派ではありませんでした。松本先生の強調点は音読と言うよりはむしろ”READ! READ! READ!”だったはずです。

その後も、さまざまな英語教師や英語啓蒙家が現れましたが、そのほとんどが英語黙読派だったように記憶しています。つまり、音読派の声がよく通るようになったのは、実は21世紀になってからなのです。(ただし、音読が本当に支配的な学習法になったというわけではない)。


私自身は、音読についてはその重要性を痛感することがあって、基本的には音読派です。しかし、音読にはそれほどの効果があるわけではないという見解があることも知って良いと思います。人間の自由になる時間にはかぎりがあるのにたいし、音読は疲れるし時間がかかるので、いくら音読が重要だとしても、音読ばかりやっているわけにはいかないからです。音読も大事だが、音読ばかりやって多読や多聴を犠牲にするわけにはいかない!ということですね。

著名な音読消極派としては、たとえば受験学習研究家の和田秀樹がいます。音読を否定しないけれども、「好きな人だけどうぞ」という感じです。

他にインターネット上で、より説得力のある音読主義批判の文章も見つかりました。植村さんという私立中学受験専門の家庭教師の方のHPです。(これは英語ではなくて国語学習に対する見解ですが、中学受験の国語は高校生の英語学習に大いに参考になるはずです)。


音読にこだわるな!  明治大学の有名教授が唱えて以来、読解力を上げるためには音読が非常に効果があるかのように音読ブームになっているが、私の受験指導経験ではそのような感触はまったくない。検証すれば、明らかだと思う。  言葉をこれから習うような幼児教育や、黙読では文節レベルでつっかえるような受験生というには超レアケース的生徒なら多少の効果はあるかもしれないが、一般的受験生であれば、音読によって劇的に国語の成績がよくなり、上位校に合格しましたということは100%ありえないと考える。小学校低学年の国語の成績向上目的なら効果はあるかもしれない。

植村さんのHPの文章のほとんどは説得力があるものですが、この音読批判もなるほどと思わせるものがあります。私が特に面白いと思ったのは、「言葉をこれから習うような幼児教育や、黙読では文節レベルでつっかえるような受験生というには超レアケース的生徒なら多少の効果はあるかもしれない」とか「音読によって劇的に国語の成績がよくなり、上位校に合格しましたということは100%ありえない」という指摘です。

植村さんは、中学受験の国語学習において、「[かなりレベルの低い]レアケース」ならば音読は有効かも知れないが、上位校合格なんてあり得ないと主張しているわけです。私などは、なるほどと相槌をうちたくなってきます。

植村式国語教育で上位校合格をめざさせている生徒というのは、長文の意味は一応は理解できているし、授業にもついていけるが、いざ問題に向かうと適切に答えることができないレベルの生徒のことでしょう。このレベルの生徒に対して、音読にたいした意味はないというのが、植村さんの主張でしょう。

もし私の植村理論の理解が正しいのであれば、日本人の英語学習においては、逆に、かなりの程度音読が有効であるということになるはずです。なぜならば、MARCH志望までの日本人高校生の英語力は、ちょっとできる小学生の国語力と比べて遙かに劣っているからです。つまり、「レアケース」のレベルなので、音読が有効だということになると解釈できるでしょう。

ここで急いで指摘しなくてはならないのは、東大等の難関国立大学や早慶上智をめざすレベルの高校生にとっては、音読主義が必ずしも有効ではないという帰結になるかも知れないということです。植村さんの国語教育論は、そういう議論の可能性を秘めているのではないでしょうか。(つづく)