林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

数学と音読ーー小川洋子『博士の愛した数式』を読んで

2010年02月25日 | 文房具と読書
音読と黙読(その1)

小川洋子の『博士の愛した数式』はベストセラー小説だが、本当に面白く読めた。数学と数学者を文学で取り扱うなんていったいどのような手法なのだろうかと思ったが、なるほどと感心させられるものだったのである。

通常では接点などがまったく考えられないシングルマザーと数学者とが、この小説では交流することになる。そして、二人が共通の神様を抱いていたということを、この小説は読み手に納得させてしまうのでだ。(たとえば、128-131頁、178-180頁)。読みやすく、かといって通俗に流されず忘れがたい世界が構築されてあった。

ところでちょっと気になったことがある。博士(数学者)が、「文章題であれ単純な計算であれ、博士はまず問題を音読させることからはじめ」(56頁)るという点だ。音読していると、「味気ないドリルの問題が、一遍の詩のように聞こえ」(57頁)るようになるのである。どうもその秘密はリズム感にあるようだ(120頁)。音読のリズムが数学を詩にしたり、女王にしたりするのである。主人公の女性も難解な数学の公式を理解しようとするに当たって、「博士に教えられた通り、声に出して読んでみ」る。そして、「自分の声に、私は耳を澄ませた」(195頁)のだが、印象的だった。

こういう小説を読むと、数学を学ぶときにおいてさえ、数式や問題を音読することが大事なのではないかと改めて思えてくる。黙々と紙と鉛筆で問題に取り組むだけでは、数学のおもしろさが脳に焼き付いてくれないのではないか。

勉強の出来ない高校生の(数学の)参考書をみると、たいていは真っ新で何の書き込みもない。書き込みなさいといっても、書き込まない。全く勉強していないというのではなく、参考書の数学と十分に対話をしていないからではないかと思われる。数式を音読したり、あるいは、数式と格闘してうめき声をあげたりしているならば、なにかしらコメントや感想を書き加えたくなるのが普通ではないか。書き込みを加えたくならないと言うのは、そういう肉声をあげていないからではないか。数学の美に気付いていないのではないのか。あるいは、数学の言葉を内面化していないからではないのか。だから、すぐに一度であって問題を忘れてしまうのではないのか。そんな風に思ってしまうのである。